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僕がタイを中心に旅をして見たもの・感じたこと等を勝手に書いていく、いわゆる旅行記です。
ご興味とお時間がありましたらお読みください。
〔高価なデジカメを御寄贈頂いたYOSHIさんに感謝〕
【君に故郷はあるのか!熊本県牛深市】2004年9月@
僕は全く自慢じゃなくて、全国的には都会育ちだ。新宿まで30分ぐらいで行けた。子供の頃はそれはいい事だと思ってた。だけど社会に出て実際働いてみると、都会育ちは適応力・応用力が欠けている事が痛いほどわかった。それでも僕は都会でも田舎の方だったのでギリギリ助かったと思う。だけど、毎年の正月やお盆に嫌々義務のように田舎に帰る友達を羨ましく見送った。そう、僕には“ふるさと”が無かった。
《主な登場人物》
・サードさん(ゴルフの師匠、世界一の愛妻家)
・小百合さん(元キャンギャル?、サードさんの愛妻)
・お兄ちゃん(サードさんの長男、中1)
・まー君(サードさんの次男、小5)
・さーちゃん(サードさんの長女、小2)
・片岡さん(小百合さんの幼なじみ?、顔が元日ハムの片岡選手に似ているのでこんなお名前)
・いわしやさん(牛深でスーパーを経営されている社長さん)
・グッズさん(牛深で雑貨店を営んでいる社長さん)
・チカちゃん(僕の牛深初恋の人!?)
・Tさん(牛深でホテルを経営されている社長さん)
・T−Jrさん(Tさんの息子さん、ホテルの若主人)
・マウンテンリバーさん(隣町のサードさんの同業のお仲間)
※牛深の事は『旅に出よう!』で書こうとは思っていなかったので、いつものように写真はあまり撮っていません。よって、足りない分はどこかから拝借します。それでも、文字が多くなって読みづらいと思いますが、御了承ください。
それから、牛深にお住まいの方からするとちょっと気に障る表現もあるかもしれませんが、全く悪意はありませんので重ねて御了承下さい。
僕はずっと故郷(ふるさと)が欲しかった。ただ、だいたい故郷ってのは育った街のことを言うので、もうすっかりオヤジになった僕が今から故郷を持とうなんてことは無理だとわかっている。だけど、僕が思っている故郷の条件に当てはまる所があれば、そこを強引に故郷だと言い張る事は勝手だろう。その条件とは・・・、
1)暖かく迎えてくれる人々
2)のんびりしていて、美しい風景のある小さな街
3)甘酸っぱい思ひ出
この条件に牛深はぴったり合う。
1〉サードさんやそのご家族、お仲間たち
2〉こじんまりとした田舎町で、美しい海がある(=めしも美味い!)
3〉???
許してもらえるのなら、ぜひ牛深に僕の故郷になってほしい。誰に許しを請えばいいのだろうか?市長さん?商店会長さん?漁協?再来年には市町合併で無くなってしまうという牛深市。僕が「ふるさとは牛深です」と答えられる日は来るのだろうか?
熊本県牛深市は、熊本市の南西、天草諸島の天草下島の最南端にあり、海をはさんで反対側はもう鹿児島県のはっきり言って辺境の地だ。熊本市内からは車で3時間近くかかるし、一応同じ島内の五和町に福岡などからコミューターの路線がある小さな空港があるけど、そこまでも車で1時間程度かかる。その事が幸いして、まだまだ美しい自然が残っているし、独自の文化や風潮も残っている。逆にその事が災いして、やはり過疎化の波に襲われている。一応市制は引いているけど、僕ら都会の人間からすると“町”と言った方がしっくりくる規模だ。ただ以前は漁師町としてかなりの隆盛を極めたらしく、その当時に市制になったのだろう。
今回牛深行きを決めたのは、元々サードさんなどから牛深の話しをよく聞いていて、とても魅力的な所だと感じていた事と、8月末から3週間ほど日本に帰る予定で、ちょうどマイレージが国内線で使う分くらいは余っていたので、思い切って行ってみる事にしたのだ。ただ、いくら飛行機がタダだとはいえ、タイで暮らしている身で先立つものが少ないので、宿には泊まらずに、サードさんがお持ちのアパートの一室をお借りする事にした。ただ、その事がサードさんに必要以上に甘えてしまう元凶になったとも思う。
***
羽田からお昼の飛行機で熊本空港に飛んだ。熊本空港からはバスで天草に向かう予定だったけど、牛深の手前の本渡(ほんど)行きのバスは飛行機の到着から1時間以上待たなくてはならない事は、あらかじめインターネットで調べてわかっていたので、とりあえず今目の前で出発しようとしている熊本バスセンター行きのバスに乗り込んだ。料金は本渡(ほんど)バスセンターまでで2,550円、タイなら水平近くまで倒れるシートのVIPバスで、片道10時間のチェンマイまで往復できそうな値段だ。
渋滞などもあって、熊本バスセンターまでは約1時間かかった。何故ここに早めに来たかというと、熊本空港の人がバスセンターで熊本ラーメンが食べられると言ったからだった。やっぱり、地方に行ったらその御当地のものを食べないと気がすまない僕にとって、熊本ラーメンはかなり魅力的だったのだ。
バスを降りる際に運転手のおじさんに訊くと、バスセンターには熊本ラーメンの店は2軒あるとのことだった。東京でも新宿や渋谷にある“桂花ラーメン”、そして新横浜ラーメン博物館に出店している(現在は不明、8年程前に取材した時は確かにあった)“こむらさき”の2軒だ。そこでバスを降りて、そのあたりでバスを待っている人たちにどちらが美味しいか聞き込みをしてみた。すると8割がた“こむらさき”の方が好きだと答えたので、“桂花ラーメン”は東京でもすぐ食べられるしと思って“こむらさき”に行くことに決めた。
バスセンターの地下は土産物屋のようになっていた。中でも目を引いたのは“辛しれんこん”。僕は子供の頃から、父親が熊本に出張に行った際に買ってきた“辛しれんこん”を食べていたので、その姿を見た瞬間すごく食べたくなった。だけど冷蔵庫に入れても3〜4日ぐらいしか持たないということなので、泣く泣くあきらめた。
お目当ての“こむらさき”は食堂街の一角に“桂花ラーメン”と向かい合うようにしてあった。ここに来て、東京でよく食べたニンニクたっぷりでコテコテの“桂花ラーメン”に心が傾きそうになったけど、初心通り“こむらさき”に入る。
もう3時になろうという店内は、お客さんもまばらだ。席に着くと店員さんがメニューを持ってきた。店員はトッピングが色々のっかった“こむらさきラーメン”(?)を勧めるけど、やっぱり一番ベーシックなものを食べないと味の判断はできない・・・、なんてことは考えず、一番安いという理由だけでラーメン(500円)を頼んだ。だってタイじゃ普通ラーメンは、量が少なめだけど20バーツ(約55円)で食べられるしね。
そういえば今日は朝からほとんど何も食べていなかった。羽田でお腹が空いたんだけど、空港の食べ物って、たいして美味くないくせに恐ろしい値段なので我慢していたのだ。
程なくして注文したラーメンがやってきた。ようやくこの空腹から逃れられる。ボリュームの無いタイのラーメンに慣れているので、かなり量があるように見える。はやる心を押さえて写真を撮り、すすった。美味い、けど何か僕が思っている熊本ラーメンとは違った。あっさりした博多ラーメンを食べているような感じだ。やっぱり僕は臭くてニンニクたっぷりの熊本ラーメンが好きだな。卓上のニンニクを大量に入れて、たいらげた。
お腹がふくれてバス停に戻ると、まだ本渡行きのバスの発車まで20分ぐらいあった。とりあえずベンチに座り、近郊行きなのだろう、頻繁に往来する市バスに乗り込む乗客を見ていた。すると、僕の目の前に白いシャツに紺の半ズボンを履いた小さな男の子が立った。僕が席をつめて空けてあげると、きちんとお辞儀をして隣りに座った。そんな男の子の胸元には、見たことのないプラスティックのケースのようなものがぶら下がっている。男の子にそれは何か尋ねると、変なおじさんに連れて行かれそうになったりしたら、下のつまみを引っ張れば大きな音が鳴るのだと教えてくれた。彼は制服を着ているところから私立の小学校に通っているのだろう。ということは、家はある程度のお金があると思うよな。だから公立の小学校に通っている子よりも誘拐の標的にはなりやすいのだろうけど、何だか嫌な世の中になったなと思う。
10人ほどの乗客を乗せた本渡行きのバスは定刻どおりに出発した。しばらくは熊本市内を走るので、信号や軽い渋滞に巻き込まれて、あまり気持ちよく走らない。僕はいつの間にかウトウトしてしまった。
気が付くと僕が座っている進行方向右側の窓の向こうには海が広がっている、島原湾だ。海の無い所で育った僕は、こうして車窓から海を眺めていても全然飽きることはない。昔、函館から登別まで列車に乗って延々海岸沿いを走ったけど、ちょうど夕暮れ時だったことも手伝って、何時間も海を見つめ続けたことがあった。何だかその時のことをちょっと思い出した。
長距離バスだと思っていたこのバスも、時折現れるバス停で乗客を拾ったり降ろしたりした。高校の前を通った時は、バスの座席が埋まってしまい、立っている人もいたくらいだ。そんな人々は2、3のバス停が過ぎると降りていく。出発時には乗客が少なくて、このバス路線は大丈夫なのかと思ったけど、こうして地元の人々の生活の足にもなっているのだと思って安心した。
突然、携帯電話が鳴った。今回は日本に3週間もいるので、以前日本で使っていた携帯電話に番号を入れておいたのだ。静かな車内で鳴り響く着信音を消そうと、急いで通話ボタンを押した(すっかり車内で携帯OKのタイの癖がついてしまった)。電話をかけてきたのは、この秋で終わったフジテレビの深夜番組に出演するタイ人をタイから連れてきている会社のタイ人だった。彼女はパソコンを買いに秋葉原に行きたいらしいのだけど、どの店が免税店なのかを訊いてきたのだった。タイ語を耳にしてしまった僕は、すっかりタイにいるような感じで、大きな声でタイ語で話してしうた。そしたら、車内の他の人たちの視線が突き刺さった。明らかに怪しい奴だといった目で見ている。僕は我に帰って、それからは小さい声で話して、手短に要件を済ませた。
僕はこのバスの時刻表をインターネットでダウンロードして持ってきていた。当初はほぼ時刻表どおりだったけど、最初の大きな橋を渡ったあたりから、遅いミキサー車にひっかかりやや遅れ始めた。このバスは牛深までは行かず、同じ天草下島の本渡止まりだ。だけど今回僕は、福岡に用事があって、その福岡から天草航空を使って天草空港まで帰ってくる小百合さん(サードさんの奥様)に、バスセンターまで迎えに来てもらうことになっていた。なのでバスが遅れると小百合さんを待たせる事になってしまうので、ちょっとイライラした。
ダイヤよりも若干遅れたバスは、3つ目(?)の大きな橋を渡っていた。橋からは結構大きな町が見える。そこが本渡市だった(実際は橋の手前から本渡市)。熊本バスセンターを出発して2時間半余り、途中ここまで大きな町はひとつも無かった。こんなに不便な所にある島に、こんなに大きな町があることにちょっと感動した。
橋を渡り終えて、程なくして本渡バスセンターに到着した。熊本のバスセンターと比べるとだいぶローカル感があって、待合室なんかはJRの非電化線の駅舎のようだ。ちょうど高校の帰りの時間なのか、高校生が多い。サードさんに電話をしてみると、小百合さんはもうバスセンターに着いているとの事だった。
サードさんから以前写真を送っていただいたのでお顔を拝見した事はあったのだけど、放課後のまだうら若き乙女がいっぱいの待合室の中ではなかなか見つからなかった。しかししばらくしてようやく小百合さんを見つける事ができた。初対面なので簡単に挨拶を済ませ、車に乗った。小百合さんが、バスセンターの近所にマウンテンリバーさんの勤めるお店があるので会いに行きましょうかと言うので、ご挨拶させていただくことにした。しかしお店に行ってみると、マウンテンリバーさんはお休み。しかたが無い、最終日に牛深でお会いできるそうなので、諦めて牛深へ向かった。
本渡から牛深までは約1時間、本渡市内を走っているうちは群馬や栃木の町を走ってるのと感じは変わらなかったけど、本当にすぐに山がちな道に入った。車内では小百合さんと牛深の事やサードさんの事などを話す。小百合さんとは今日が初対面だったけど、とっても話しやすい人だ。途中、河浦町というところで右手に入り江が見えて、ちょっときれいだった。その入り江を過ぎると再び山道に入る。しばらくして小百合さんが「弟(大阪にお住まいで、僕も何度かお会いした事がある)が帰って来る時に、この先のトンネルをくぐって牛深の街が見えてくると、帰ってきたなと感じるらしい。」と説明してくれた。そういう、故郷に帰って来たと感じる瞬間って僕には貴重なので、この先の景色をしっかりまぶたに焼き付けておこうと思った。
そしていよいよそのトンネルに入る。そんなに長くないので、入るとすぐに出口の明かりが見える。実際のこの地点では既に行政上の線引きで牛深市には入っているのだけど、気持ちはこのトンネルを越えた瞬間が僕の初牛深なのだ。トンネルを抜けたら、遠くに青い海がパーッとひろがっていて、その手前に牛深の町並み。勝手にそんな想像をしていたんだけど、実際は入る前と同じような山道だった。だけど程なくして道の先に牛深の町と、その向こうに海と島々が見えてきた。坂を降りていくと道の脇に徐々に建物が増えていく。朝、家を出てから約9時間、バンコクに戻るのと同じくらいかけて、ようやく僕の故郷(候補)、夕暮れの牛深に到着した。
サードさんは店舗の2階でお仕事中だった。一緒に次男のまー君もいて、あいさつも無しにいきなり「テレビに出せ!、テレビに出せ!」とかなりきつい訛り(?)で言う。本当にしつこいので、さすがにサードさんが怒った。
レジのところで今回持ってきたお土産をひろげる。この間、中国に行った時に買ってきたKIRIN製のビールとマカオで買ってきたポルトガル・ワイン、そしてタイから冷凍して持ってきたソンブーンの“プー・パッポンカリー(蟹と卵のカレー炒め)”と、チョンブリー県のスパンチャイという食堂だけで売っている、渡り蟹の肉と蟹卵の和え物(これは絶品!)だ。冷凍のものは、タイから持ってきた時もスチロールの箱に入れてきたので溶けてなかったけど、今回も全く溶けていなかった。
その後は4階のリビングでお話しタイム。マー君はあいかわらずテレビに出せ!と言っている。とってもかわいい長女のさーちゃんは何か訊くと恥ずかしそうに答えてくれる。お兄ちゃんは学校で何かあったのか、あいさつだけであまり話してくれなかった。しばらくすると片岡さんがいらしたので、夕涼みのベランダに出て3人でビールを飲む。片岡さんにお会いするのは初めてだったけど、サードさんのホームページの掲示板に書き込みをされたりしていたし、このホームページも見ていてくださるようだったので、はやり初対面のような感じがせず、牛深の事について色々教えてくれた。それにしても、サードさんとは度々飲むこともあったので知っていたけど、とにかく熊本のみなさんは酒が強い。ここでも500mlの缶ビールを8本ぐらい、3人であっという間に空け、それから本格的に外へ飲みに行く事になった。
牛深最初の晩餐は焼き鳥だった。奥の座敷に陣取って焼き鳥と酒を頼む。普通、関東で酒を頼むと日本酒が出てくる。九州では焼酎が出てくるとは聞いていたけど、本当に焼酎が出てきた。海を挟んでお向かい長島町の“さつま島美人”の五合瓶。サードさん曰く「志村けんがテレビで“島美人”が好きだと言ったら、取り寄せとかで流行っちゃって、この辺でもあまり売ってない」らしい。この島美人、鹿児島なのでもちろん芋焼酎である。僕は今までほとんど芋焼酎を飲んだことが無かったので、最初はソーダ割りで恐る恐るやってみた......「旨い!」。“魔王”とか“森伊蔵”みたいなプレミアが付くような焼酎と違って、“島美人”は関東で言えば“いいちこ”のような安酒らしい。しかし、そんな事全く関係なく、美味いものは旨い!すぐにソーダ割りのグラスを空けて、次からは地元の皆さんに倣ってロックでやる事にした。
あての焼き鳥が出てきてグイグイやっていると、お仕事を終えたいわしやさんとグッズさんがいらした。おふたりには以前お会いした事があったので、しばらくぶりの再開である。あいさつもそこそこにおふたりも焼酎をやり始める。グッズさんが肴がもう無いので何か頼もうとおっしゃるので、焼き鳥の追加ときびなごの刺身を注文する。はっ、きびなごの刺身?あの小さい魚を刺身にするのか?僕は白魚の踊り食いみたいなのをイメージをしていた。ところが出てきたのは、どこから見ても刺身だった。
なんとも美しい刺身だ。こんだけ小さい魚をさばくのだ、かなり早い手捌きが無いと、体温が肴の身に伝わって鮮度が落ちてしまうだろう。僕が白黒した目できびなごの刺身を眺めていると、みなさんが食べてみなさいとしきりに勧める。で、僕が一番箸を付ける。「甘〜い」。つるっとした食感と、小さな身体に凝縮された旨味が何ともいえない。甘海老の様な感じがする。なんて味の濃い魚なんだろうか。皿に盛られた刺身がどんどん減っていく、半分以上は僕が食べているのだ。ところが、食べ進めていくうちになんか違和感を感じ始めた。醤油だ、醤油に何か味がついている。サードさんに訊くと、九州の醤油には味が付いているそうだ。醤油だけ舐めてみると、関東で言えば“たまり醤油”のあっさり版といった感じか。しかしこの醤油、けっこう癖になりそうだ。お土産に買って行こう。
結局この席で、島美人を1本半空けて店を出た。みなさん、ご馳走になってすみません。
続いてはちょっと歩いてどなたかの行きつけのスナックに入る。そしてそこで運命的な出会いが僕を待っていた。店自体はどこにでもあるちょっと高級感のあるスナックで、ちょっとお年のママさんともうひと方、そして僕の牛深初恋の人となったチカちゃんがいた。席に座るとそのチカちゃんが僕の対面に座る、たぶんどなたが気を使ってそういう席割りにしてくれたのだろう、感謝。
皆さんは地元の話しでけっこう盛り上がっていた。最初のうちは僕に色々教えてくれるような感じだったのだけど、そのうち僕には全く理解できない行政や人間関係の事が中心になっていたので、僕はチカちゃんと話すことにした。背が高くてとてもスマートな彼女を、僕はてっきり他の土地からやってきたのだろうと思っていたら(別に牛深の女性がスタイルが悪いと言っているわけじゃありません)、地元牛深出身だった。するとサードさんがすかさず「どこ中学?」などと訊いてローカルネタで盛り上がった。
たぶん年齢とか色々話したと思うんだけど、僕も酔っていたのであまり記憶が無い。だけど、牛深を離れるまでにもう一度くらいは会いに来ようと思った。
翌朝は目覚ましをかけたわけじゃないけど、7時過ぎには目が覚めた、というより、上の階に子供がいて朝からドタバタ走り回っているので、目を覚まされた。まだ眠いけど風呂に入り、散歩に出る。とりあえず街の方へ向かうと、いわしやさんのスーパーが朝から営業していた。中に入るといわしやさんがもう既に商品を陳列している。挨拶をして昨夜のお礼を言った。そこで朝食代わりにパンとコーラを買い、ちょっと先の港に行って食べる。まだ太陽が高くないので、海風もあいまってとても心地いい。今日はこれからサードさんとTさん、T−Jrさんと一緒にゴルフに行く、絶好のゴルフ日和だなこれは。
サードさんの所へ行くと、サードさんはもうパソコンに向かって仕事をしていた。昨日もそうだったけど、これから毎日サードさんの所へ行くと100%パソコンに向かっていた。通販をしていて忙しいので、本当は僕と遊んでる暇は無いのだと思う。
しばらくするとTさんとT−Jrさんがやって来た。T−Jrさんの愛車にサードさんのゴルフバッグを積んで出発する。僕はもちろんゴルフバッグは持ってきていないので、今回は昨夜ご一緒した片岡さんのゴルフクラブをお借りする(ありがとうございます)。コースは牛深から約1時間の所にあるザ・マスターズ天草コースだ。
ゴルフ場の正面玄関に着いた。僕が今まで行ったことのあるタイのゴルフ場とは違ってとてもすっきりしている(タイは趣味が悪い)。ここが僕の日本デビューのコースだ。そして今回もまたサードさんにお世話になってしまった、申し訳ないです。
タイのゴルフ場は日本では考えられないと思いますが、キャディが一人に最低一人ずつ付く。最低と言うのは、彼女らのキャディフィ(だいたい1人250バーツ=約600円+チップ)を払えば1人に付き何人でもキャディを付けることができるのだ。だけど今回は4人でまわってキャディさんは1人、カートも4バッグ4パーソンだ。
タイ人のキャディはゴルファー1人に1人付くのに、ほとんどの人が働きが悪い。でも日本ではこれがスタンダードなのだろうけど、今回のキャディさんには本当にびっくりした。ちゃんと全ての人のボールの落下地点を把握してるし、残りの距離で言わなくてもその人の飛距離に合わせたクラブを出してくれるのだ。性格もとてもおだやかで、おかげで気持ちよくラウンドすることができた。

前半9ホールが終わって食事をとるためにクラブハウスのレストランへ向かう。今日のラウンドには昼食のクーポンが付いていて、メニューの中からどれでも一品食べる事ができるのだけど、実は前の晩にサードさんのお子さんがある熊本名物を食べていて、帰る前に一度は食べようと思っていたのだけど、そのレストランのメニューの中にもその料理があってサードさんはそれを注文した。その料理は「大平燕(たいぴんえん)」と言って、春雨を使った五目そばみたいなもののようだ。これって熊本以外の人はほとんど知らないだろう。だがっ!根っからの貧乏性の僕はどうせタダで食べるなら一番高いものにしようとオムレツ定食を頼んでしまったのだ。まだあと2日いるのだからまだ食べる機会があるだろうと思ったのが間違いで、結局食べずに帰ってきてしまった。すっごく心残り・・・。
お腹もいっぱいになって午後のラウンドへ。タイのゴルフ場ってほとんどがまっ平らで、フェアウェイやグリーンも荒れている所が多いけど、このザ・マスターズは本当に良く手入れがされていて、しかも目の前の海を挟んでその先には雲仙の普賢岳が望める。つまりコースも眺望も文句の無いゴルフ場なのだ。先ほど昼食をとっていたレストランでは、ちょうど韓国からツアー会社の人たちが見学に来ていた。こんなにいいゴルフ場なので、韓国の人たちにはマナー良くまわって欲しいと思う。
結局スコアの方は午後は午前中よりはまだましだったけど、お恥ずかしい内容だった。それにひきかえみなさんすごく上手だ。特にT−Jrさんは僕よりも年下なんだけど、僕みたいにあたふたしていなくて余裕がある。やっぱりこんないいコースでまわるのは僕にはもったいない。僕のへぼゴルフにお付き合いいただいたTさん、T−Jrさん、そして連れて行っていただいたサードさん、本当にありがとうございました。
ゴルフ場の帰りにアイスを買いにコンビニに寄る。サードさんおすすめのコーヒー味のシャーベットのような物を買う。本当に日本のアイスは色々な種類があって羨ましい。僕は大のアイス好きなんだけど、タイのアイスってクリームっぽいのかココナツ系しか無いので欲求不満気味なのだ。さすがにアイスだけは日本から持ってきてもらうわけにはいかなしね。そのアイスを帰りの車の中で食べる。ちょっと時間を置いてから食べると、やや溶け気味になって滑らかでとても美味い。なので後日東京に戻ってからまた食べたいと思って探したけど見つからなかった。幻のアイスだった。
お店に戻りインターネットを開いたサードさんが、また台風が来ていると言う。ちょうど牛深に来る直前にも台風が来ていたので、さすがにもう来ないだろうと思ってたのだけど、僕が牛深を離れる翌日ぐらいに九州を直撃するコースだった。僕はこの後、島原に渡ってから大村競艇場に行き、そのあと博多に行ってから東京に戻る予定だったのでちょっと心配だ。外に出て空を見上げてもとてもいい天気で、にわかには信じ難かった。
その夜は念願の三八食堂へ焼肉を食べに行った。ここはサードさんがHPでしきりに安くて美味いと書いているので、是非とも行ってみたかったのだ。くたびれた外観以上に中はもっとくたびれていて、北海道の街道沿いの寂れた食堂の趣きだ。そして中を切り盛りしているのはその雰囲気にぴったりの愛想が良くて物静かなお母さん、常にニコニコ朗らかだ。
後から来るT−Jrさんを待たずに、焼肉とビールで始めることにした。焼肉は飾り気の無いスチールの大皿に野菜と合わせてどっさり、コンロは昔懐かしい家庭用ガスコンロ。食通の人が見たらひっくり返ってしまうような状況だけど、僕は高級レストランやチェーン店より、こうして独特の雰囲気や味のある店が好きだし落ち着く。
焼肉もそりゃ西麻布にあるような高級店のものと比べれば立つ瀬が無いけど、お母さんの手の臭いまで香るような手作りの感じがなんだか心地いいし、ホッとする。そう、三八食堂は牛深での僕のお袋の味だ。
けっこう食べた所でT−Jrさんが合流した。T−Jrさんは僕よりも少しだけ年下で、ホテルで働いている。そんなT−Jrさんは来るなりビールを飲んでから焼酎を生(き)でゴクリ。芋はやっぱり生じゃないとダメだそうだ。そこで僕も今飲んでいるソーダ割りを飲み干して生にする。しかもT−Jrさんは芋の銘柄まで指定する熱の入りようだ。今日飲んだのは“桜島”。昨日飲んだ”島美人”よりもちょとだけ香りが強いようだけど、これもなかなかイケル。結局、店にある“桜島”は売り切れになってしまった。
この日の2次会はT−Jrさんの行きつけのスナックだ。ここでもまた変わった焼酎を開けた。店内は奥様方のグループもいて照明も明るかったので、なんだか歌声喫茶みたいな感じだ。僕らはカウンターに座り牛深の事を熱く語り、日本のカラオケを久々に歌った。僕がチューリップのファンだと言って歌うと、サードさんも待ってましたとばかりにチューリップを歌う。サードさんの年齢だとチューリップはまさに青春の歌だろう。僕は実際はだいぶズレてるのだけど、昔の歌に接する事が多かったTV番組(「ボ○ャ天」)のスタッフをやっていたので、その時にファンになったのだ。なのでさすがにT−Jrさんはついて来られなかったけど、T−Jrさんも十八番を歌いまくる。そして、このカラオケで何に驚いたかって、通信カラオケのリモコンがタッチパネル式で、しかも曲数がむちゃくちゃある事だ。元々僕はあまりカラオケに行く事は無かったのだけど、それにしてもこの技術とサービスの進化にはすっかり浦島太郎になってしまった。
しばらくして体調が万全じゃないサードさんが早退して、僕とT−Jrさんの二人だけになった。T−Jrさんはバーボンを飲み始めていてもう目が座ってきている。カウンターの中にいる熊谷美由紀似のお姉さんにしつこく同じ事を何度も言っていた。そして知り合いの大手生命保険会社の方がいらした時には、僕に紹介してくれる時やその後の会話の中で、そのライバルの生命保険会社の名前を言って間違えていた。わざとやってるのかマジボケなのかわからなかったけど、その都度僕が訂正した。それでも、僕もかなり酔ってたけど牛深の色々な話しを聞けて本当に楽しかった。T−Jrさん、ご馳走さまでした。
(そのAへ...)
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