【マレーシア・コタバルへ】2002年12月
 今回はビザの切り替えの為にマレーシアのコタバルという町に行ってきた。コタバルはマレーシア東海岸の一番北側に位置する州の州都です。マレーシアでビザというと、在タイの人はペナンに行く事が多いけど、ペナンは受付が午前中のみなので飛行機を使わない限り間に合わない。万年金欠病の自分は間違ってもそんな贅沢はできない、ということでマレー鉄道を使って行ってきた。チケットはあらかじめ10日ほど前にフアラムポーン駅(バンコク中央駅)で購入済み、2等寝台エアコン付き下段で片道725バーツ(約2,100円)だった。今タイは涼期なんでエアコンは不要だと思うかもしれませんが、タイ南部は雨季の真っ最中。窓の明けられないエアコン無し列車ほど辛いものは無いので、念のためエアコンつきにしたんです。
 以前にも一度同じコースをたどった事があるが、列車にゆられる事片道22時間、それなりの準備をしていかなくてはならない。
 そこで「俺流!タイ汽車の旅7つ道具」の発表!
@『
本or雑誌』⇒「列車の旅では、移り行く景色を眺めながら・・・」なんて悠長な事を言ってられるのも2・3時間が限度です。バンコクを離れるとどこも同じような景色の連続。そこで、やはり暇をつぶすための道具が必要です。ゲームボーイやウォークマンもいいですが、意外とすぐに飽きちゃいます。そこできちんと文字の詰まった本や雑誌が重宝(自分が読書家なだけかも)。僕は必ず何冊かの単行本と、日経ビジネスという週刊誌を持参します。特に日経ビジネスは薄いですが文字がたくさん、政治・経済の情報から新製品の紹介など中身が詰まっていて、気がつくと2時間ぐらいは過ぎています。なお、読むのが早い僕でも、1冊8時間ほどかかります。なお、日本では1部600円ですが、なぜかスクムヴィットのフジスーパー入り口近くにあるエリートという古本屋さんで、3日遅れぐらいですが60バーツ(約170円)で購入可能、助かります。また、時間を早く過ぎさせるためには寝るのが一番。本を読んでると眠くなりますよね。

A『
トイレットペーパー』⇒22時間も汽車に乗るということは、何回かは汽車のトイレにお世話にならなくてはなりません。最初のうちは一応トイレットペーパーも付いてますが、あっという間に使い切ってしまって、あとは終点までそのままな事が多いです(これでよくタイ国鉄はISO9002が取れたもんだ)。そこでひとつは必ず用意しましょう。なお、旅の荷物はなるべく小さくしたいもの。そこで芯を抜いてつぶしてカバンに入れればだいぶ違いますよ。またこれがあれば食事の時なども何かと便利です。

B『
時刻表』⇒フアラムポーン駅の中に入って右手に大きくINFOMATIONと書かれたところがあります。ここで時刻表がもらえます。もちろん英語が通じますが、英語で話すと必ず英語の時刻表を渡されます。この英語の時刻表、実はかなり省略してあって大きな駅しか載ってません(A4の片面にのぼりと下り両方)。そこで「タイ語のをくれ」と下手な英語で言うと一応出してくれます。タイ語の時刻表は北・東北・東・南の各方面別に分かれていて、それぞれ表が下り・裏がのぼりになっています。「タイ語の時刻表をもらっても読めない」とお嘆きの方、ご心配なく、大きな駅は全て英語も併記されてますし、この時刻表を周りのタイ人に見せながら会話すると、みんな寄ってきてああだこうだといろいろ世話をしてくれる、立派なコミュニケーションツールにもなります。タイ人もやっぱり暇で暇でしょうがないんですよ。














C『
ウェットティッシュ』⇒油ものを手づかみで食べたあとは手を洗いたいですよね。また、朝起きたら顔を洗いたいですよね。汽車の水は有限です。大きな駅でたまに補給しますが、食事時や朝などはみんなが一斉に使うので無くなってしまうことが多々あります。タイの長距離バスでは到着する前にウェットティッシュが配られますが、汽車ではそんなサービスはありません。でもタイではあまり携帯用の物は売ってませんので、日本から持ってきたほうがいいです。

D『
』⇒夕方6時頃から翌朝6時頃まで、座席は寝台へと変身します。そしてその残りの時間は固くリクライニングの無い席に座ってなくてはなりません。あまり座りなれていないせいか、腰が痛くなったり、お尻が床擦れのようになってしまう事もあります。そこで枕がひとつあればクッション代わりにもなるし、腰やひじ掛けにあてると、とても快適に座る事ができます。ただ枕を抱えてくるのは荷物になります。しかしこの列車は寝台車です。各車輌に必ず一人、係りに人がいます。その人に枕が欲しいと身振り手振りで言えば、格納してある上段の寝台を開けて、中から枕を出して、カバーをかけて渡してくれます。これをやると周りのタイ人はみんなまねして、その後の道中、みんな自分を見る目が違いますよ。

E『
飲み物とお菓子』⇒車内では常に飲み物や食べ物を売っていますが、夜も9時を過ぎると売り子がいなくなってしまいます。そこで、深夜にのどが渇いたりお腹が減った時用に飲み物やお菓子は必須アイテムです。飲み物は冷えていなくても問題ないので、文字通りお水がいいでしょう。お菓子は多少腹持ちのするものが良。

F『
』⇒「なんだそりゃ」とおっしゃる方もいるとは思いますが、これはたった5バーツでかなりの時間を買うことができる優れもの、秘密兵器です。日本でも向日葵や南瓜の種は食べますが、さすがにスイカの種は食べないですよね。たぶん油で揚げて軽く塩をしただけですが、これが食べるのにちょっと苦労するんです。厚みがなくて殻があまり固くないため、歯で割った時なかなかきれいに割れてくれません。ただ、ちょっとした工夫をすると不思議と上手に割れるようになります。その方法は皆さんでご研究下さい。そしてうまく割れたとしても中身は厚さ1mmもないので、断っておきますがお腹にたまるものではありません。いくら日本のものよりも大粒だとはいえ、たかがスイカの種です。
 このスイカの種、タイで貧乏人には人気のお菓子なので、様々なブランドのものが売られています。セブンイレブンでも売っていますが、あれは粒の大きさが日本並みなので、初心者には向いてません。右の写真にあるパッケージのもの(印刷は地方によって若干変わりますが、袋はどこでも同じ)が粒が大きく、塩味も程良いです。フアラムポーン駅の改札に向かって左手にある、薬局と一緒になっている売店で売ってますので、忘れずに買っていきましょう。ただ、安いからと言ってたくさん買わないように、なぜなら一袋を一人で食べようとしたらかなり大変なのです。中には200粒ほど入っていますが、上手く食べられた時で一粒あたり15秒、失敗すると1分秒以上かかります。平均が30秒として、全て食べるのに1時間半以上かかります。ただこれは急いで食べた時で、普通は一袋で3時間ぐらい費やします。また、塩味が効いてるため、唇が痛くなりますので休み休みお楽しみくださいね。

 今回の目的地コタバルには、まず列車で国境の町スンガイゴロクまで行きます。僕が乗る列車は12:25発スンガイゴロク行き快速171号。先頭の写真を撮ろうとホームの先まで歩いたけど、先頭車両はその更にずっと先にあったので、諦めて引き返し、後ろから撮影してみました。僕の席は後ろから2両目の20号車です。
 定刻どおりに発車した快速171号は、とても快速とは思えないスピードで、家の庇をかすめながらノロノロ進む。今回のこの道程での目的はただひとつ、チュムポンと言う駅で名物のスープを飲むと言う事。発車してから3・4時間は車内をご飯やお菓子の売り子が行き交いますが、全て無視。ひたすらお腹を減らして20:25到着予定のチュムポン駅を目指します。
 車内はかなり冷房が効いているうえ、扇風機まで付いている。係員に扇風機を止めてもらい、長袖をはおる。さっきの7つ道具に入れてなかったけど、汽車にしろバスにしろ、冷房車の旅には長袖は必需品である。
 2時間半ほど経過してナコンパトムと言う駅に到着し時刻表を確認すると、もう40分も遅れていた。これで僕の夕食は21時過ぎになってしまった。早くも空腹が襲うので、スイカの種を食べて空腹を紛らし、時間が過ぎるのを待つ。
 更に1時間30分程してペッブリーに着くと、一斉にカノム・モーゲンという名物菓子の売り子が乗ってきた。このお菓子はココナツから作る焼きプリンのようなもので、かなり甘いけど意外といける。ここも我慢して一眠りする事にした。
 目が覚めると太陽は既に沈んでしまったようで、あたりはもうだいぶ薄暗かった。海外線の近くを走るのでフアヒンはもう過ぎたところだろう。薄暗く白い波の立つ南国の海を寒い車内から見ていると、冬の日本海を思い起こさせるから不思議なもんだ。チュムポンまであと2時間30分。
 日が暮れると車内は寝台に衣替えするために多少ざわつく。係りの人が手際よくカーテンを取り付け、布団にシーツをかぶせてくれる。自分の寝床ができたらカーテンを閉め、長袖を脱ぎ半袖になる。車内は冷房が効いているけど、カーテンをちゃんと閉めると中は意外と暖かく、長袖だと寝ている時かえって暑くて目が覚めることがある。また、この後の絶品スープはとても体が温まるので、今のうちに体を冷却しておく必要があるんです。

 21:05、空腹をもうどうにもごまかしようがなくなった頃、ようやくチュムポンに到着。列車がスピードをゆるめると僕は乗降口に立ち、まだ止まっていないにもかかわらずホームに飛び降りた(ちなみにタイの列車は手動ドアです)。ホームには5件ほどそのスープを売る店が並んでいる。時間が無いので一番近い店まで走った。ホームでは売り子がお盆に載せたスープを売ってるけど、これはもう冷めてしまってるのが多いので、店で新たによそいなおしてもらった方がいい。なぜならこのスープ、熱さが美味しさのひとつだから。
 そのスープの名前はガポ・プラー(魚の胃袋)。直訳すると胃袋ですが、たぶん干した浮き袋が中に入っています。食感は厚い油揚げ、味はスープの濃厚な味に隠れて全くしません。スープはとろりとしたしょうゆ味、具はその他に細切りの竹の子、干し椎茸、骨付き鶏肉、豚の血を固めたもの。豚の血を固めたものは、タイ人ではメジャーな食材です。僕も昔は「えっ」って思ったけど、食べてみると全くクセが無く、固めの玉子豆腐といった感じで、身体に良さそうなので進んで食べるようにしている。たまにカオマンガイ(鶏蒸しご飯)に付いていたり、炒め物やスープに入っていたりするので、食べた事がある方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。このスープには必ず少量の砂糖と唐辛子、唐辛子酢を入れましょう。でないとせっかくのスープお味がパンチに欠けてしまいますよ。
 これだけひっぱりましたが、ガポ・プラーはバンコクでもデパートのフードコートや屋台などで食べられます。僕はこのスープに目が無いんですが、チュムポンで食べるガポ・プラーはなぜかとても美味しい。また、今のところ他の駅では見かけたことがありません。何故チュムポンにだけこんなにあるのかは、いつも時間が無くて訊けずじまいだ。今回も調味料を入れていると出発の鐘が鳴り、列車がゆっくり動き出した。僕は慌てて近くの車輌に飛び乗り、自分の席へと急いだ。
 ようやくありついた今夜の晩ごはん。その味をかみしめるようにプラスティックのレンゲでスープを口に運ぶ。一口食べただけで自分の考えが間違ってなかった事を確認できた。やはりチュムポンのガポ・プラーは格別だった。バンコクのものより深みのあるスープに、竹の子のサクサク感、そして胃袋のフワフワ感。そして何より、冷え切った体がポカポカ温まってくる。ここまで我慢していて本当によかった・・・。
 
 列車は夜通し南へと走る。
 翌朝、列車が停車する振動で目が覚めた。6時半だ。窓の外を覗くと少しだけ雨が降っていた。どうやら列車は、雨季の真っ最中の南部に入ったようだった。眠い目をこすり駅名の書いてある看板を読んだ。「HATYAI JANCTION」ハッヤイ(ハジャイ・ハニャイ)ジャンクションに到着した。カーテンが閉めてあるので見えないが、降りるために通路を歩く人が多い。ここHATYAIは南部でも有数の商業都市だ。以前一度だけこの街に来た事があるが、デパートもありバンコクの郊外とさほど変わらない賑やかさだったのを憶えている。ただし、この辺りまで来ると断然イスラム教徒の数が増える。窓の外を歩く女性も概ね頭に布をかぶっている。マレーシアのペナンに行くには、このジャンクションから更に南へと続く軌道に乗り列車は走る。
 HATYAIを出るとスンガイゴロク行き列車は南東へと進路をとる。思ったとおりHATYAIで降りる人たちがみんな顔を洗ったようで、洗面所は水切れだった。ウェットティッシュで顔を洗った僕は、売り子から朝ごはんを買った。カオ・モック・ガイと言い、黄色いカレー味のご飯に、同じくカレー風味のフライドチキンが載っている。これはイスラム料理であるが、バンコクで僕が以前住んでいたアパートの近所にこのカオ・モック・ガイがおしいい屋台があったので、僕にとってはすごくなじみのある料理だ。ただ、バンコクで僕がいつも食べていたものはフライドチキンではなく、ご飯と一緒に鶏のもも肉を炊き込んだものを紙で包んで給仕された。また、すっぱいタレが添えられ、さらに冬瓜のスープも付いていた。今食べているものはご飯もボロボロだし、味もイマイチで超ガッカリ。中国で食べる中華料理よりも日本のものの方が美味しかったりするのと同じだろうか。
 南西へ向かう軌道を走り始めると、列車は多くの駅に止まるようになる。YALA(ヤラー)ぐらいまで来ると、窓から見える男性は白い帽子をかぶったイスラム教徒だし、モスクが度々目にはいってくる。駅に停まるたび、車内は人もまばらになった。

 11時25分、定刻より35分遅れで列車は終点スンガイゴロクに到着した。いすの形に固まりそうな腰を伸びをし、治してからホームに降りた。駅から国境までは歩いて15分ほどだろうか。ただ、今にも雨が降ってきそうなので、駅前のバイクタクシーを拾って国境へと向かった(20バーツ)。

 この国境を通るのは2度目だ。タイ側のイミグレーションで出国スタンプを押してもらい、国境にかかる川を渡るとマレーシア川のイミグレーションが見えてくる。タイ側のイミグレがプレハブ小屋風なのに対して、マレーシアのものはお城を意識させるような立派なものだ。
 国境を超えたら、コタバル行きのバスに乗らなくてはならない。本当はイミグレを出てすぐのところで待っていれば30分に一本くらいの割合でやってくるのだが、イミグレを出てひたすら右の方へ進んでいくと、小さなバスターミナルがあり、そこで乗らないとこの後コタバルまで1時間立ち続けなくてはならないのだ。バスターミナルに着き時刻表を見ると(マレーシアはタイよりも1時間進んでいる)、コタバル行き29番エアコンバスはあと5分ほどで出発するようだったが、バスはまだ来ていなかった。このバスターミナルにはいくつかの街へ向かうバスが発着しているが、コタバル行きは一番入り口に近いところで、その東屋はもうすでに人でごったがえしていた。
 定刻を10分ほど過ぎて、コタバルから客を乗せてやって来たバスが入ってくると、今まで東屋で座っていた人たちがとたんに殺気づき、バスが停まるであろう所まで押し寄せてきた。僕が立っているあたりがちょうどそうらしく、後ろから押されるので、危うく入ってくるバスに轢かれそうになる。それにしてもタイもそうだが、東南アジアの人々は並ぶという事を知らないのだろうか。幸運にも僕が立っているすぐ横にバスの乗降口があったので、3番目ぐらいには乗れそうだった。が、考えは甘かった。手すりをつかんで乗ろうとすると、横から誰かの足がステップに差し込まれる。その人を先に乗せて僕が乗ろうとすると、後ろから引っ張られてバランスをくずし取っ手から手がはずれてしまった。そんなこんなしているうちにもう15人ぐらいが先に乗っていった。遠慮してたらいつまでも乗れないと思った僕は、いくつもの足が差し込まれたステップに足をねじ込んだ。周りのマレーシア人の目が痛いが、僕も思いきり睨み付けた。大人気ないかと思ったがこうするより仕方なかった。乗り口でコタバルまでと言って、以前来た時に余っていたマレーシアドル(リンギット→MR$)でMR$3(約100円)を払って座席に着いた。その後も怒声が飛び交う中、10分ほどでようやく全ての人が乗り込み、満員のバスは走り出した。
 途中検問が一度あったが、いつもどおり1時間ほどでコタバル市内に入った。ただ何故だか渋滞がすごくてなかなかバスターミナルに着かない。そんなうちにもバスの横をタイ領事館に行くときに乗るエアコンバスA4番が3台も通り過ぎる。渋滞の原因は、バスターミナルでバスが詰まっていることにあった。だれも交通整理をしていなく、同じ行き先のバスが何台も並んでたりするので、後から来るバスが入れないのである。汽車が30分以上遅れて着いたので、時計はもう午後の2時をまわっている。ビザ申請は3時半までにしなくてはならないのだが、以前来た時もいたが、コタバルでビザを取った事がある人にはある程度有名なうるさいオヤジがいて、3時を過ぎると来るのが遅いとか色々言われるのである。ちょっとあせったが、A4バスに乗って領事館までは10分くらいなので安心していた。ようやくターミナルに着いてA4バスを待つが、待てども待てども全然来ない。さっきまとまって出て行ったのと、きっと渋滞に捕まって入って来れないのだろう。時計を見るともう3時を過ぎていた。かなりあせるが、輪タクにでも乗ろうかと思ったが、自転車なんですごく遅い。タクシーも考えたが、MR$5と言われて辞めた。本当に間に合うのだろうか・・・。
 3時5分前になってようやくA4番バスがやってきた。これならなんとかいけそうだ、と思ったのが間違いだった。また入り口のステップに足の入れあいが始まった。久々に来たバスなもので乗客もすごく多い。こんなことならバンコクみたいに乗ってから車掌が料金を徴集するようにすればいいのにと思う。僕も何とかMR$0.8を払って出口に一番近い席を確保した。バスが発車したのはそれから10分後の3時10分、そして渋滞のため領事館に到着したのは3時25分だった。だめもとで領事館に入ってビザ申請用紙をもらおうと窓口に行くと、あのうるさいオヤジがいなく、代わって若いお兄ちゃんが申請用紙をくれた。僕は急いで必要事項を記入したが、提出したのは3時半を回っていた。でもこのお兄ちゃんは嫌な顔ひとつせず「明日の朝9時から受け取れます」と言って引換証を渡してくれた。よかった〜、間に合って。お兄さんありがとう。ちなみに、ここコタバルの町は金曜土曜がお休みなので、この日は日曜日だったけど、平日と全く変わらない対応だった。
 懸案だったビザの申請も無事終えて、今度は街に戻って宿探しだ。以前泊まった宿は高い割りに設備が×だったので、他の宿をあたってみる。
 バスターミナルの南側にすごいホテルをみつけた。その名も「TOKYO BAY HOTEL」。日本にもこんな名前のホテルがあったと思うが、その支店だろうか?なんてことはあるはずも無く、建物はボロいくせに、1泊エアコン・シャワー共に無しでMR$35(約1,200円)もした。他にもホテルはたくさんあるのだが、どこもタイから比べたらすごくコストパフォーマンスが低い。結局以前と同じサブリナ・ホテル(MR$55)エアコン・ホットシャワー付きに泊まる事になった。このホテルは蛇口をひねると茶色い水が出続けるので泊まりたくなかったのだが、部屋に入ってさっそく水を出してみると、やはり茶色い水が出てきた。憂鬱だ・・・。
 シャワーを浴び一息ついた僕は、街に出て両替をAZAM PHOTで済ませる。MR$1=11.12バーツだった。街中を歩いている女の子を観察すると、1年前には気付かなかったけど、ムスリムの伝統的衣裳に混じって、意外と今風(タイ版)な服装の子が多い。よく見てみると、体のラインに自信がある子はチビTにGパン、無い子はムスリムの服と言う傾向に分かれている様な気がする。イスラム社会の女性はどこへ行ってもだいたい太めだが、そんな女性たちも美に関する意識が変わってきているような気がした。
 その後、以前も行ったバスターミナルのそばのマクドナルドへ行った。ここの2階には日本語が打てるネット・カフェがあるのだ。さっそくホットメールを開こうとするが失敗、何度か試みるが同じ結果なので機械を代えてみた。しかしやっぱりうまくいかない。店員に訊くとホットメールにはアクセスできないと言う。何でそんなことがおきるのだろう?しょうがないので、他の店をあたってみたら、1年前と違ってほとんどのところで日本語入力可になっていた。ただし、マック(マクド)の2階よりもスピードが遅いけど。また、タイのマックにもタイ料理のメニューがあるのと同じように、マレーシアのマックにはマレーシアの料理のメニューがあった。ひとつはマレーシア料理というよりも華僑向けであろうお粥、もうひとつはナシ(ご飯)にチキンや他の料理を盛った正真正銘マレーシア料理だ。食べてみようかと思ったが、この日は日曜日のためであろうか、カウンターが異常に込んでいて、しかも店員の動きも輪をかけて悪いため、少しだけ並んでみて辞めた。次回チャレンジ。
 









 メールチェック等をひととおり終えたら、もう日が暮れていた。1年前と同じようにA&Wというファーストフォードの前の街路樹には無数の小鳥が集まって来ていて、けたたましい鳴き声を響かしている。バスターミナルの横の駐車場はナイトバザールへと変身中だ。タイだとナイトバザールは食べ物半分、雑貨などの品物半分といったところが多いけど、ここはほとんどの店が食べ物だ。というよりも、この街の台所といったところだろう。親子連れの客が今日の夕食を求めてひっきりなしに歩いている。イスとテーブルが並ぶ簡易屋台もあるけど、フライドチキンや焼き鳥なんかを売る屋台の方が多いかな。またバスターミナル側とは反対側の奥の方にはご飯とおかずを紙に包んでくれる「ナシゴレン」という料理を売る店が何軒かある。僕はこれが好きなので今回の夕食もここで買ってホテルで食べる事にする。
 注文の仕方は簡単。最初に白・黄色・水色・茶色と4種類あるご飯から好きなものを選ぶ。黄色はサフランライス、茶色はたぶんタマネギのみじん切りを揚げて混ぜたものだろう。ただ水色のものだけは何だかよくわからなく、あまり食べたいと言うような感じがしない。ご飯を決めたら次に載せる具を決める。鶏など肉類のトマト煮やカレー煮、小鳥の丸焼きやゆで卵等の中から、茶色いご飯に鶏のトマト煮を載せたものと、サフランライスにミートソース、野菜を載せたものの2種類を購入。料金はどちらもMR$2(約65円)だった。どちらも辛めのタレを少しだけ入れてもらったので、ご飯が冷めてるけども辛さが食欲を刺激して両方ともたいらげてしまった。ただ、普通の人なら一食で十分だろう。

 翌日、9時に領事館へビザの付いたパスポートを取りに行く。無事受け取って、その足でタイに戻ろうとバスターミナルへ向かった。帰りの汽車はスンガイゴロクをタイ時間11:55出発予定だ。バスターミナルにはまだ4A番のバスは入っていなかった。バスを待つ僕の前をバイクのヘルメットを持った女性が通り過ぎた。僕はとっさに「頭に巻いてる布は、ヘルメットを被る時どうするんだろう?」という疑問を持った。そこでその女性を追跡してみる。
 ある角を曲がるとたくさんのバイクが停めてあった。そこで彼女は自分のバイクにまたる。僕は固唾を飲んでその後何が起こるのかを遠くから見つめた。僕は絶対に布をとってから被ると思っていた。そうすれば、もしかしたらあの布の下の髪型はどうなっているのかも見れるかもしれないと、ドキドキする。その時!にわかには信じがたい事が僕の目の前で起こった。何と、彼女は布を取らずにそのままヘルメットを被ったのだった。唖然とカメラを構える僕の前を、彼女のバイクが通り過ぎる。改めて街中を見渡してみると、みんな布の上からヘルメットを被っていた。こんな発見、だからなんだといった感じだけど、フジテレビで毎週月曜25時40分からやっている『トリビアの泉〜素晴らしきムダ知識〜』に投稿したら、採用されて賞金がもらえるかもしれない。どなたか代わりに投稿してみませんか?そしてもし賞金が出たら僕にも何か下さいね。











 バスがなかなか来ないので、朝食をとろうとマーケットに行った。マーケットにはバットに色々なおかずを入れて並べた屋台がたくさんある。タイにもぶっ掛けご飯屋台はたくさんあって、野菜料理から肉料理までいろんな趣の味が並ぶけど、マレーシアのそれはほとんどカレーだ。その中でも前回も食べてめちゃくちゃ旨かった魚卵のカレーを注文する。この料理は半分くらいの屋台で必ずおいている人気メニューだ。タラコのような魚卵をカレースープで煮ただけで、他には何の具も入っていないけど、魚の卵を丸ごと食べられるのって何だかすごくうれしい。味は子持ちカレイの煮付けの卵のカレー味だ。写真の見た目は悪いけど、一度食べてみてください。本当に美味しいから。

 コタバルから4A番バスにゆられて、再びタイ国境に戻ってきた。たった24時間ぐらいしかマレーシアには滞在していなかったけど、タイに戻れると言う事でなんだかホッとする。やっぱり僕にはイスラムの国は水が合わないようだ。特にお酒が売ってないので寝つきが悪かったのと、早朝から大音響でコーランが流れて目が覚めてしまったから。
 国境を通過してバイクタクシーでスンガイゴロク駅に着くと、列車は既に入線していた。僕の乗る車輌は1号車だったので、席に荷物を置いて先頭の汽車の写真を撮りにすぐに外に出た。この汽車が約22時間かけて僕らをバンコクまで運んでくれるのだ。
 汽車は定刻どおり11時55分に発車した。帰りの車輌はタイのおばさんやおばあさんが埋めていて、それは賑やかだ。と、同時に僕の事を全く放っておいてくれない。外国人と話すのも初めてのようだし、僕が持ってるデジカメやCDウォークマン、日経ビジネスに興味津々だ。また、自分の家で作ってきたのか、訳のわからない食べ物をビニール袋から出して僕に勧める。見るからにまずそうだったが、食べてみるとやっぱり僕の口には合わなかった。仕方ないので寝たふりをしてると、何やら傍らに気配を感じた。目を開けるとみんな集まっていて、すぐ近くで僕の顔を覗き込んでいた。目が合うと「ワ〜ッ」と笑って、今度は得体の知れない踊りを踊り始めた。僕はだんだんと頭が痛くなってきた。これから20時間以上、このばあさん達と一緒にいなくてはならないのか・・・。
 帰りはほぼ時刻表どおりに列車は走った。途中PATTHALUNGというところで、進行方向左手に変な形をした山がたくさんあった。行きの時はその辺を通ったのが深夜だったんで気付かなかったが、なかなか見事な風景を見せてくれた。
 順調だと思っていたが、スラタニーに到着したのは定刻を40分も過ぎた21時20分だった。車内は既に寝台へと変えられていて、ばあさん達は素既に寝ているようだった。お腹が減ったので僕はホームに降り、何か食べるものは無いか探した。ホームの中ほどにチュムポンで食べたガポ・プラーのようなものを売っている屋台があったので、行ってみた。よく見てみると、雑炊だったので、一人前買ってみた。発車の鐘が既に鳴ってるので、僕は手早く薬味の揚げニンニクと刻んだしょうがを入れ、近くの車両に飛び乗った。
 揺れる車輌を次から次へと渡り、自分の席にようやく到着して、早速その雑炊を食べてみた。はっきり言って、うまい。すごくお腹が減ってたのもあるけど、鶏肉の出汁がよく出ていて、また薬味が絶妙な風味を醸し出している。まさかこんなに美味しいとは思わなかったので、写真は撮っていない。これで今度からこのマレー鉄道の旅にも新しい楽しみが加わった。食べ終わって周りを見ると、臭いを嗅ぎつけたのか、ばあさん達が自分達の寝台のカーテンから顔を覗かせて、羨ましそうにこっちを見ていた。

 けたたましいたくさんの話し声で目が覚めた。時計はまだ5時になっていなかった。さすが年寄りはどこの国に行っても朝早く目が覚めるようだ。窓の外はまだ真っ暗、時折見えるのは街灯の灯りと踏み切りの警報機の赤い光だけだ。ばあさん達はみんなもう起きていて、顔を洗ったり、再び得体の知れない手作りお菓子をつまんだりしていた。5時半にラーチャブリーに着くと、ばあさん達はみんな降りていった。エアコンの噴出す「シュー」という音が聞こえる。車内にようやく静寂が訪れた。僕はもう一度寝ようと、寝台のカーテンを閉めた。
 バンコクに近づくと列車はノロノロと走り、フアランポーン駅に到着したのは、結局定時から1時間ほど遅れた10時ちょうどだった。この路線を走る列車の旅は2度目だったが、今回は速く走ろうとしない列車にイライラする事が全く無かった。やはりタイにいる間に僕の中の体内時計のネジが緩くなっているのだろうか?それが良い事なのか悪い事なのか、僕にはわからない。(完)