【農村の結婚式は楽しいぞ・スパンブリー】2003年5月
 欧米では‘7’がラッキーナンバーとして使われている。日本では末広がりの‘八’であろう。ここタイの幸運の数字は‘9’である。タイ語で‘9’は「ガオ(kao=イントネーションは上がって下がる)」と発音するのだが、この発音が“前進”を意味する「ガオ(kau=イントネーションは上がって下がる)」と似ている事から、代々の繁栄が掛けられているのだという。タイの慶事にはこの‘9’がやたらと関わってくる。5月9日、僕は友達のレイが彼女の実家で挙げる結婚式に招待された。
 レイは以前、僕がよく行ったバーでウェイトレスをしていた。当時僕はまだタイ語が話せなかったので、タイ語の本を片手に色々な言葉を教えてもらった。彼女は僕より4歳年下だったけど、その豪快な性格から僕にとってはお姉さんみたいな感じだった。最近は会う機会がほとんど無かったのだが、突然電話がかかってきて、結婚するので結婚式に来て欲しいと言われた。僕は今までタイ人の結婚式に出席した事が無かったので、好奇心も手伝い喜んで参加させてもらう事にした。
 当日はレイが用意してくれたワンボックスカーで現地へ向かった。車の中には、昔レイが働いていたバーで一緒に働いていたポンやイム、リンダの懐かしい顔があった。彼女たちと会うのも久々だった。深夜3時に出発したのだが、しばらくは昔話に花が咲いた。

 レイの実家はタイ中部スパンブリー県サーム・チュック郡のかなり郊外にあった。車は街からはずれ、街灯も無い道をどんどん進んで行った。やがて東の空がやや藍色がかってきて、車窓の景色が田んぼばかりだと分かった頃、前方にカラフルな蛍光灯がたくさんぶら下がっているのが見えた。そこがレイの家がある集落だった。





 まだ夜明け前だというのに、集落の入り口に設置された大きなスピーカーからはルークトゥング(タイの演歌)が大音量で流され、仮設テントの下ではおばちゃんたちが忙しそうに大量の料理を作っている。
 レイは一番奥の家で化粧の真っ最中だった。大きな声で綺麗だとは言いづらい彼女だが、化粧中の写真を撮ろうとすると、「綺麗になってから撮りなさい」と怒られた。レイの側では新郎のターリーが手持ち無沙汰にうろうろしている。ターリーは39歳、アメリカのカリフォルニアから来たアメリカ人で、今はバンコクでコンピューター関係の仕事をしている。彼とは以前一度だけ会ったことがある。去年のレイの誕生日に、僕は用事があってちょっとしか顔を出せなかったのだけど、その時にレイと一緒にいたがターリーだったが、その時はまさかレイと結婚するとは思わなかった。ターリーはちょっと頭が寂しくお腹も出っ張ってるけど、なかなかユーモアのあるいいやつで、常にニコニコしている。彼はやる事が無いのか、料理を作っているおばさんの所に行ってみんなの分のコーヒーを持ってきてくれたり、自分の衣裳を着ては脱いだりしている。
 そうこうしているうちに時計の針は6時を差していた。レイはようやくメイクが終わり、今度はタイの伝統的花嫁衣裳へと着替えが始まった。ターリーもようやく本気で自分の衣裳を着始めた。しかし、レイはが衣裳を着るのにてこずっているのに対して、やはり男性の衣裳はあっという間に着れてしまうので、ターリーは再び来た服を脱いでから着出した。ターリーはタイ語をほとんど話せないので、他に話す人がいないからちょっとかわいそうだ。
 6時半になっていよいよ式が始まる事になった。とは言っても、特設の式場で何の前触れも無くターリーが金のネックレスをレイの首にかけ、同じく金のブレスレットをの手首にはめ、金の指輪を指にはめた。これは結納式みたいなものらしい。それにしても、いつも家の近所のおばちゃんたちがしている細っこいものと違い、ごっつい太いやつばかりだ。もし僕が新郎だったら、とてもターリーみたいな甲斐性は絶対無いな。
 結納式らしい行事が終わって写真撮影をするともう7時だった。みんな定位置についていよいよ式が始まるかと思ったけど、なかなか始まらなかった。どうしたのかというと、もうかなり前に迎えが行っているのだが、僧侶がまだ来ていないらしい。
 7時25分、ようやくお坊さんたちがピックアップ・トラックの荷台に乗って到着し、結婚式が始まった。お坊さんは全部で9人、やはりここでも‘9’だ。まずは新郎新婦が仏壇に線香を立て、続いて一番仏壇に近いお坊さん(多分一番格が高い)が仏壇につながっている糸巻きを伸ばしながら並んでいるお坊さんに回していく。それから絹糸でできた繋がっているふたつの輪を新郎新婦の頭にそれぞれ被せ、読経が始まった。ふたりともこれまで見せなかった真剣な表情でお経を聞いている。しかしターリーは慣れない正座や横座り(タイでは横座りが最も正式な座り方です)で足が痺れるのか、足を頻繁に組み直す。かわいそうだけど仕方がない。こういうことを文句一つ無く我慢するターリーに、みんなとても好感を持っている。嫌な顔をしないどころか、逆にいろんなことに気を使っているのだ。目は青いけど、心はアジア色。それにしても、タイのお坊さんはみんな経本を全く見ないでお経を読んでいる。9人が一斉に声をそろえて呼んでいるので、誰かが間違えればすぐにわかりそうなものだけど、そんな事は一回も無かった。しかもそれが延々30分以上も続いた。途中、レイが仏壇のロウソクから別のロウソクに火を移し替え、一番格が高いであろうお坊さんに渡した。そのお坊さんは傍らにある聖水の入っているバーツ(鉢)の上にロウソクをかざし、溶けた蝋を水の上にたらした。更にレイは大きな入れ物に入っているご飯を9つの器に分ける。読経が終わると、9人のお坊さんがさっきのバーツの中の水を小さな箒のようなものを使ってふたりの頭にかける。これでお坊さんの役目は終わりだ。続いてお坊さんたちへの施しの食事が次々に運ばれてきた。今思うと食べ物の種類はやはり9種類あったと思う。











 お坊さんたちが後ろで食事をしている間、反対側では参列者が新郎新婦の手にさっきの聖水をかけていく儀式があった。参列者は二人にひと言ずつ声をかけながら水をかけるわけだが、聞いていると「早く赤ちゃんをつくってね」とか「末永く幸せにね」と言った内容のものばかりだったので、たぶん定型句があるのだろう。僕はレイに「わがまま言っちゃだめだよ」と言いながら手に水をかけた。そんなやりとりを参列者全員がやるので、かなり時間がかかった。その間二人は同じ姿勢でいなくてはならず、室内もかなりの熱気だったので、おかげでターリーの出っ張ったお腹が少し引っ込んだかもしれない。
 二人の手に聖水をかける儀式の間、お坊さんたちはゆっくりゆっくり食事をしていた。僕らはあまりの暑さに嫌気がさしたので、外に出た。外では既に参列者の食事が始まっていた。僕らも昨夜から何も食べていなかったので戴くことにした。メニューはお坊さんたちと同じである。ニガウリのスープ、カノム・ジーン(カレーがけそうめん)、筍の煮物、タイ風豚の角煮、パット・ウンセン(春雨の炒め物)等々、タイの代表的家庭料理のオンパレードだ。しかもどれもバンコクのおかず屋さんで買うよりもすっげー美味しい。ほとんど寝ていなかったのであまり食欲が無かっのだけど、1人前の大盛りご飯をたいらげてしまった。
 そうこうしているうちに、お坊さんたちが食事を終えお寺に帰る事になった。やっぱり来た時と同じく、ピックアップ・トラックの荷台に乗って(←なんだかとっても可愛いでしょ!)帰って行った。後で聞いた話だが、これだけお坊さんを呼んでも、お布施はお坊さん一人あたり100バーツ(約290円)程度だそうだ。日本のお坊さん、はっきり言って儲け過ぎです。とはいえ、小乗仏教の僧侶は経済活動が仏典により禁じられているので、仕方のない事なんだけど。


 お坊さん達が帰ると、引き続き結納式の第二部が始まった。ターリーが持って来たのであろう結納金(たぶん)を、仲人役のおじさんがピンクの布の上に円を描くように広げた。見た感じ1,000バーツ札が100枚(10万バーツ)ぐらい、500バーツ札が100枚(5万バーツ)ぐらい、100バーツ札が9枚、そして99バーツ、合計150,999バーツぐらいだと思う。下位の数字はやっぱり‘9’にならないといけないそうだ。更にその上から何故かベビーパウダーをかけだした。今度はそのお金をピンクの布で包み、レイのお母さんが肩に担いで持っていく滑稽な仕草をして笑いを誘う。日本人からすると意味不明の行動の連続だけど、考えてみれば日本の結婚式のしきたりだって外国から見れば滑稽なものがけっこうあるだろう。この頃になって、僕はタイの結婚式が日本のように涙を誘うよりも、いかに喜びを表現するかが大事だということがだんだんわかってきた。

 これでとりあえず結婚式の儀式の部分は全て終了だそうだ。その後はやたらとみんなで記念撮影タイムが始まる。日本人以外のアジア人って、本当に写真が大好きだ。いったい何枚撮れば気が済むんだろう!何故か僕も異国からの客人として、あっちこっちで引っ張りだこだった。今日の主役は僕じゃないんだ、と言っても、どうしても僕と一緒に写真が撮りたいらしいのだ。もしもそれがうら若きレディ達だったら僕も鼻の下が伸びっぱなしなのだろうけど、そんなずうずうしい事をするのは万国共通、おばちゃん達と決まっている。僕は日本でもおばちゃん達にはモテモテだったのだけど、おばちゃん達の好みも万国共通だと言うことがわかった。
 このあとは家族や親戚、友達にいたるまで、みんな昼寝タイムになるのだけど、その前に各自一杯やるという事なので、僕もその輪に加わった。酒はセング・ソムと言ういわゆるタイ・ウィスキーのみ、それを各自お好みでソーダかペプシで割ってやるわけだ。僕は甘い酒はNGなのでもちろんソーダ割りだけど、酒の弱いタイ人はもっぱらペプシで割る、決してコカ・コーラではないのだ。朝の9時前からそこら中でみんな飲み始めるのである。一種異様な酔いに包まれて、そのまま11時まで飲み続け、みんなすっかりいい気分になった。
 すっかり酔っ払っちゃった人から順に昼寝タイムに入る。もちろん寝床なんて無い。各自風通しのいい所を見つけて、勝手にゴザをひき横になるだけだ。まだ昼間なので蚊はいないが、いくら日陰に陣取っても普通なら暑くてしょうがない。でも大丈夫、そんな事気にならないくらいみんないい気持ちなのだ。僕も軒下の土間の上にゴザを広げ、遥か彼方まで続く稲穂を見ながら眠りに着いた。

 3時間ほど寝ただろうか、やっぱり暑くて目が覚めた。ふと脇を見ると、本日の主役のご両人が、疲れたのだろう仲むつまじくお休み中だ。僕はその横を静かに通り、表に出た。表には大型トラックが何台も停まっていて、何かイベントでもするような大きなステージを設営している。いったい何が始まるというのだろうか。
 ちょっとお腹が減ったので、朝ご飯を作っていたテントの所に行ってみた。テントの周りではまだ飲んでいる人たちもいた。その彼らに食べさせるのだろう、おばちゃん達もせっせと酒の肴を作り続けている。中でも、豚の腸(シロ)をニンニクと一緒にカリカリになるまで炒めてしょう油で味付けした物はかなりいける。僕はもう酒はたくさんだったので、白いご飯と一緒に戴いた。たぶん、日本の居酒屋でこの料理を出したら間違いなく名物料理になるだろう、そのくらい旨かった。
 お腹もいっぱいになった所でその辺の散策に出かけるけど、どこまで歩いても田んぼしか無い。ずっと遠くから歩いてきたおっちゃんに「蛇が出るから気をつけろ」と言われ、ヘビ嫌いな僕はレイの家まで引き返した。気がつくと、さっきホルモン炒めを食べたテントの他に、もう一つ料理を作るテントができていた。こっちの方はさらにデカく、作っている量も半端じゃなく多い。聞くと今晩の披露宴用の料理だった。やっぱり料理人のおばちゃん達にモテモテの僕は、あれこれつまみ食いをさせてもらった。
 再び朝からご飯を作っていたテントの方に行くと、直径40cm程の大きな丸いスチールの容器で作った2種類のお菓子を切り分けている所だった。茶色く焦げ目がついた方はすぐにカノム・モーゲンだということがわかった(「旅に出よう!」コタバル編参照)。通常このお菓子は約20cm四方のアルミの容器で作られるが、今日のやつはかなり巨大だった。甘い物があまり好きではない僕でも、このお菓子は意外といけるのだが、きょうのやつはなんだかしょっぱくて、一口頂いただけで止めておいた。そしてもう一方のかなり身体に悪そうなピンク色をしたお菓子(名前は失念)も、何事も経験と口に運んでみた。するとこちらは意外といけた。甘さは控えめで、少し何かの香料の香りがする。確か日本にもこんな味のお菓子があったような気がするが、何だか思い出せない。中身はピンクの層と白の層が何重にも重なっていてた。一瞬その感じと見た目からひし餅かと思ったが、よく考えてみるとひし餅ってどんな味がするのか知らない(いったいどんな味がするの?)。飾ってあるのは春先にしばしば見たけど、実際に食べた記憶は全く無い。来年のひな祭りの頃に日本に帰って是非食べてみようかな?。何の味に似ているのかわからないので、仕方なくかなりの量を食べた。それでも何だか全然わかんない。周りはタイ人しかいないので相談する人はいない。しかたなく、そのピンクのお菓子を肴に一杯やることにした(あまり人には言えないけど、実は僕はチョコを肴に酒を飲むのが好きです)。アルコールが入るとすぐにその謎は解けた。そう、さくら餅の皮の味だ。食感も確かに牛皮とそっくりだった。やはり米を主食とする民族同士、お菓子も米から作るんだろうと勝手に推測して感心していたが、すぐにそのお菓子がお腹の中で膨張してきて気持ち悪くなってしまった。いくら何でも主原料はお米だ、そんなにバカ食いするものでは無い。
 ところでこれらのお菓子は切っても切っても後から後から運ばれてくる。何段にも重ねられた蒸し器で作られているようだ。このお菓子が何のためにあるのかというと、僕は日本でいえばバタークリームのケーキの様な物じゃないのかと睨んでいた。つまりお祝いに来てくれた人たちへの引き出物の一部だ。実際に、僕もその夜帰る時になって、その2種類のお菓子を大量にもらったのだった。

 陽がかなり西に傾くと、ようやくステージの設営が完了したようだ。僕もたびたび目にした事がある、タイの田舎風のコテコテのステージができあがっていた。風船をアーチ状にくっつけた入り口では、洋風の衣裳に着替えたご両人と親族がパーティの参列者を迎えている。参列者はみな各自、手にタイで普通手紙を送る際に使われる超一般的な封筒を手にしてやってくる。親族(今回はレイのお母さん。お父さんはどうしたのかって?タイでお父さんの事を訊くのはあまりスマートじゃありません)の人がそれら封筒を受け取って、すぐそばに置いてある超安っぽいリボンが付いたプレゼントボックスに入れていく。この封筒が日本で言うご祝儀袋なのです。どうやらタイでは日本のように水引きが付いているような特別な封筒は無いらしい。僕は事前に、タイ人の友達にこういう結婚式の友人のお祝い金の相場を聞いていた(だいたい100〜300バーツらしい)ので、僕が日本人であることなどから1,000バーツ(約2,900円)を包ませてもらった。僕は日本で友達の結婚式があると普通30,000円を包むけど、今回はタイなのでそうした。ただしその他に、以前大阪のI村さんに頂いた金箔入りの焼酎を、タイでは金はかなり縁起の良い物だということから贈ったけど。

 10人掛けのテーブルが75席、その席がほとんど埋まった頃、突然10人程のダンサーが出てきてタイの演歌に合わせて踊りだした。続いて知らない演歌歌手が出てきて自慢の喉を披露する。ダンサーはこの他にもう1セットあって総勢20名ぐらい、歌手は男性1人に女性2人のステージで、披露宴の幕は切って下ろされた。曲は全てタイの演歌、客はテーブルに置いてあるビールやタイのラム酒・ソフトドリンク等を飲み始め、各テーブルにはじゃんじゃん料理が運ばれてくる。タイ風サラダ・鶏の唐揚げ・トムヤムクン・海老の春雨蒸し・東北風あぶった豚のサラダ・チャーハン等々々...。僕らの仲間は10人掛けのテーブルに5人で座っていたので、とてもじゃないけど食べきれる量じゃない。だけどもったいないから一生懸命飲んで食べた。
 7曲ほど終わっただろうか、大音量の音楽が無くなり、レイとターリー、レイのお母さんとこの地区の地区長さんがステージに上がった、ようやく披露宴の始まりのようである。実直そうな性格が伺える話し方の地区長さんだったが、それでも時折り精一杯お客さんの笑いを誘いながら、ふたりの馴れ初めやターリーの仕事の事などを話していった。
 その後レイの幼なじみや恩師のような人が順番にステージに上がって、レイのお母さんに花を渡していく。日本で言えば新郎新婦からそれぞれ相手のご両親に花束の贈呈といったところだろうか。
 続いて何が始まるのかと思ったら、再びダンサーと歌手がステージに上がって歌謡ショーになった。その間レイとターリーは各テーブルを回って写真撮影をする。日本で言えば各テーブルのキャンドルに火を点けて回るのと同じだろう。
 約30分程かけて各テーブルを回った二人はそのままどこかへ行っていなくなってしまった。ステージでは相変わらず歌謡ショーが続いていた。

 延々と続く歌謡ショー、そして無料の酒と料理。お祝いに来た人々はここぞとばかりに食って飲んで、すっかりいい気持ちになっていた。しばらくしてひとりのおばさんがステージ前で踊り始めた。すると、まるで堤防が決壊したかのように客席からどんどん酔客が流れ出した。このためにステージと客席の間が大きく開いていたのだ!僕もおばさん達に一緒に踊ろうと誘われたけど、もう帰りの車が来るところだったので止めておいた。肩の凝る日本の結婚式よりも、こうやってお客さんが楽しむような式の方がいいかもしれないね。
 9時ちょうどに車が来て、レイとターリー、レイのお母さんに挨拶をして帰途に着いた。宴はまだまだ夜半過ぎまで続くそうだ。帰りの車の中では次は誰が結婚するんだという話で盛り上がった。田舎のタイ人同士で結婚したら、なかなかあんなに大きな結婚式をする事は難しいらしい。みんな良い相手を見つけてまた僕を式に招待してね。

 最後に、レイ・ターリー、結婚おめでとう。末永くお幸せに。(完)