【フィリピンに行ってきた】2003年3月
 バンコクから日本へ(日本からバンコクへ)行く飛行機は様々なルートがある。一番人気はもちろん直行便だろう。定期便ではJL、NH、TG、SQ、UA、NW、AI、BGの8社(たぶん)がバンコクと成田、関空、名古屋、福岡を結んでいる。その他にも大韓航空(KE)のように乗り継ぎ便というのもあるが、直行便の次にお世話になるのはやはり経由便だろう。代表的なものには中華航空(CI)やキャセイ・パシフィック(CX)があるが、僕がよく利用するのはマニラ経由のエジプト航空(MS)だ。この便はエジプトのカイロを出発し、途中バンコクとマニラを経由して成田空港へと向かう、バンコク〜マニラ間約3時間弱、マニラ〜成田間約4時間半の道程である。中東系の航空会社なので悲惨な状況を想像される方も多いかと思いますが、飛行機は日本の航空会社並に新しいし、食事が意外と美味しいので(和食も選択可)利用しているわけである。今回は去年生まれた姉の子の顔を見るために帰ったのだけど、通常の往復航空券代(約12,000バーツ)に1,000バーツ足すだけでストップ・オーバーが可能だという事なので、どうせ暇で時間もうだるほどあるから、行ったことが無いフィリピンに用も無いのに行ってみることにした。

 バンコク発のエジプト航空は毎週水曜日と土曜日の午前3時発というものすごいスケジュールで運行している。深夜1時半にアパートを出てタクシーに乗り、この時間なら道も当然空いてるので高速を使わずにぼちぼち空港へと向かう。だいたい2時過ぎには空港に着き、チェックインを済ませてゲートへ向かうと、驚いた事に今回は時間通りというか、時間よりも早く搭乗が開始された。前回この便を利用した時は出発時間の午前3時になってもまだ飛行機がバンコクに到着していなく、結局バンコクを発ったのは午前6時過ぎだったので、今回のあまりのスムーズさは、まるでこの旅の前途を明るく照らしている・・・とは全く思わなかった。思うわけ無いよ、だってフィリピンに行くんですよ!?
 かなり早くお客さんの搭乗が終わったのに、飛行機がボーディング・ブリッジを離れたのは定刻を20分も過ぎていた。何をしているのか全く説明が無く、不穏な空気が流れていたが、カイロから乗ってきた人たちはみなさん気持ち良さそうに眠りに落ちていた。何とか飛行機が出発するとすぐに食事が出る。いくら飛行機に乗っているからといっても、もう夜も更けてどころかもうすぐ朝だ。僕はさすがに眠かったのでこの食事は断って寝た。

 タイとフィリピンの時差は1時間だ。飛び立つのが遅かったのに、フィリピン時間の6時過ぎにはもうマニラの町を見下ろす所まで来ていた。僕はマニラで降りてからそのままアンヘレスという町に行くつもりだったので、どうせならもっとゆっくり寝ていたかった。
 マニラのニノイ・アキノ国際空港ターミナル2(T2)に到着すると、マニラで降りる客だけが先に降ろされた。僕以外はほとんどがタイに出稼ぎに行っていたのであろう女性が多かった。ターミナルの窓から駐機場を見る。以前アキノ氏が殺害されたのはこのターミナルだろうか、なんて思う。ややイミグレーションが混んでいたが、問題無く通過し税関へと向かう。今回の僕の荷物は中サイズのスーツケースとリュックがそれぞれ一つ、そしてタイの土産物屋でよく目にする三角マットの一番大きいサイズを二つ持っていた。これはちょっと前に僕が輸入代行で日本へ送ったんだけど、僕の不注意でタイに戻ってきてしまったので、今回手持ちで日本へ持っていこうと思ったのだ。フィリピンの税関職員は見たこともないこの巨大な物体(2つとも黒いビニールにすっぽり覆われている)に興味津々だったけど、僕が下手な英語で説明すると、今度フィリピンに来る時は僕にひとつ買ってきてくれと名刺を渡されて頼まれた。まだ僕が観光でタイに来ていた頃、お土産でこの座布団を買っていったことがある。帰ってから知り合いの会社がある赤坂見附まで地下鉄に乗って持って行ったのだけれども、その時もいろんな人に「これはどこで買ったんですか?」って声を掛けられたっけな。なんだかちょっとだけ懐かしくなった。
 僕はさっきも書いた様に、このままアンヘレスという町に行く。まさかこの三角マットをそこまで持っていくわけではない、空港の手荷物預かり所に預けるつもりだった。税関を出て僕は2階の出発カウンターの方へ向かった。というのも、1階の到着口には手荷物預かり所が見当たらなかったし、だいたい手荷物預かり所というものは出発カウンターのそばにあるものだと思っていたからである。しかし、2階をいくら探してもみつからなかった。空港の係員に下手な英語で尋ねてみても、全然理解してくれない。誰だ、フィリピンはアジアで一番英語が通じる国だなんて言ったのは。僕はおもむろにリュックの中から、愛知のN井さんに買ってきていただいていた『旅の指差し会話帳 タガログ語』を出した。完璧、一発!空港職員はすぐに理解してくれて、僕を手荷物預かり所まで案内してくれた。N井さんありがとうございます、さっそく役に立ちました。
 それにしても今まで何回手荷物をX線に通して、身体検査をされたのだろうか。ちょっと違う場所に入ろうとすると必ず検査所がある。そういえば空港でイスラム過激派のテロがあったなんてニュースをよく聞いたよな。まぁ、こっちとしては安全な方がいいわけだからどんどん検査してもらいたいと思う。ただ、あんな適当な検査で、本当に爆弾を持っている人がいた場合取り締まれるのかな?とちょっと心配だった(現に何度も爆弾テロがあったわけだし)。
 案内されて行った手荷物預かり所は、何と荷物を受け取るターンテーブルと同じ所にあった。こんな所にあって、預けたあと引き取る時はどうするのだろうか?到着客でもないのに税関よりも中へ入るってことか?たぶん南国の人のやる事だから、たいして考えないで作っちゃったんだろうな。中で料金を確認すると、荷物が大きいので24時間あたり1個200ペソだそうだ。僕はタイの両替商でフリピン・ペソを買ってきていたので200ペソがいくらなのかわかっていた(1ペソ=約2.3円)。200ペソは約166バーツ(約480円)だ。何て高いんだ!バンコクの手荷物預かり所は24時間70バーツ(/個)だから倍以上だ。一応交渉したけど、1ペソも負からずに玉砕した。

 空港の玄関から表に出ると怪しげな客引きがわんさかいる。たぶんタクシーの運転手だろう。だいたい後進国のタクシーの運転手は信用できないので、とりあえずレンタカー会社がやっているクーポンタクシーのカウンターへ行った。僕はマニラを南北に貫く高架鉄道(LRT)のドロテオ・ホセ駅にあるアンヘレス行きバスターミナルへ行くので、空港から一番近い始発のバクララン駅に行きたいと告げた。地図を見ると距離にして2km弱程だ、高くても100ペソぐらいだろうとたかをくくっていたら、250ペソ(約575円)もした。僕はタクシー以外の交通機関もあるはずだと思い、少し雨が降っていたが空港前の駐車場を歩き出した。柵の向こうに大きな道があり、バスやジプニー(乗合ジープ)がたくさん走っているのが見えたので、そちらへ歩を進める。柵の隙間から表へ出ると道路の反対側にバス停があり、多くの人がそこで待っていたので道路を渡ろうとすると、けたたましい笛の音がしておまわりさんが飛んできた。何やら反対方向を指差して叫んでいる。見ると遠くに一応横断歩道があるようだ。タイには横断歩道や歩道橋があまり無い。だからつい何も無い所を渡ってしまうのだが、フィリピンではそれはダメなようだ。僕は罰金でも取られるのかと思ってビクビクしていた。するとそのおまわりさんがどこに行くのか訊いてきたので、バクララン駅と答えると、今来たあのバスだって言って僕のスーツケースを持って横断歩道の方へ走り出し、横断歩道を渡って、停まってるバスまで行ってくれた。途中、今にも出発しそうなバスを止めるためか、ずっとご自慢の笛を鳴らしていた。東南アジアの警官というものは、日本でいうヤクザにあたる事が多い。だいたい公務員は給料が安いので、いかに自分に与えられた特権を利用して金を儲けるかしか考えていないのだ。日本の様に警官にあこがれたり、事件を解決して社会の役に立ちたいなどと思って警官になる人は皆無だろう。東南アジアの旅では、しばしばこれら警官の警官らしからぬ行動に悩まされる事がある。しかしこんなに親身になってくれるおまわりさんに会ったのは初めてだった。さっきは罰金を取られるんじゃないか、なんて疑ってしまってごめんなさい。
 バスに乗ると、まだ子供の車掌が僕のスーツケースを運転手の横のスペースに置いてくれた(写真中央の青いスーツケース)。行き先を告げると、料金はたったの9ペソ(約20円)だった。何なんだ、さっきの250ペソというのは。バスは“山形交通”なんて書いてある日本の中古車だったが、席だけは付け替えたらしく前後の間隔が恐ろしいほど狭い。僕は図体がでかいので、通路に足を出さないととてもじゃないけど座れない。そんなバスだ、周りを見ると旅行者なんて一人も乗っていなかった。バンコクの空港の前のバス停でバスを待っいる半分くらいは貧乏旅行者だろう。だけどこの国では旅行者はみんなタクシーで行ってしまうのだろうか?それだけ危ないという事なのだろうか?バスはほぼ満席だった。車内には聞き覚えのあるメロディが流れている。竹内まりやの♪見覚えのあるレインコート〜(曲名は忘れた、たぶん「シングル・アゲイン」だったような)を、タガログ語で男性が歌っている。すっごくいい感じだ、哀愁が溢れている。僕はスーツケースが心配でしょうがなかったが、しばし歌声に聞き入った。

 しばらくすると周りの乗客が「ここだ、ここだ」と騒ぎ出したけど、周りに高架鉄道なんて走っていない。一人の乗客が僕のスーツケースを持って降りてしまった。僕も慌てて降りると、次の角を右に曲がると駅に行けると教えてくれる。角を曲がると、500mぐらい遠くに高架鉄道の線路が見え、そこまで続く道は舗装が無く、雨は止んではいるがそれまでの雨水でドロドロだった。仕方なく僕は歩き出した。そのあたり一帯は市場もかねているようで、朝からかなりの人が出ている。物乞いも多くて、旅行者の僕にまとわり付いてくる。途中大きな教会があって、その前ではお金の無い人のためにであろう炊き出しをしているようだ。さすがカソリック系キリスト教徒の多い国だ、その前を通る人はみな教会に向かって胸で十字をきっていた。子豚を回しながら焼いている店がある、駅弁売りみたいにして歩きながらお菓子を売っている人がいる。このあたりはあまり治安の良い地域ではないのかもしれない、でも何となく居心地がよかった、足元がぐちゃぐちゃな事を除いては。
 ようやく高架の下にたどり着いた、しかし駅はまだかなり先にあった。道の両側にはシャツや靴なんかを売る店が連なり、路上もこれから店開きをしようとする屋台でいっぱいだ。しかもおびただしい数のジプニーが行き来し、屋台を引いている人も溢れているので、なかなか前に進む事ができない。それどころかジプニーは僕が歩いていても平気で突っ込んできてぶつかる、屋台を引いているおばちゃんもちょっとした隙間に割り込んでくる。もう勘弁してくれ。僕は素直にタクシーに乗ればよかったと思った。
 ようやくバクララン駅に着いても、すぐにLRTに乗れるわけではなかった。切符売り場の入り口ではやっぱり荷物チェックがあり、僕は公衆の面前でスーツケースの中身を全部出さなくてはならなかった。日本へのお土産に買ったラオ・カーオ(もち米焼酎)を説明するのが大変だった。スカスカのスーツケースの隙間を埋めるために入れていたインスタントラーメンやHANAMI(カッパえびせんの偽物)をひとつくれとせがまれる。そんなので良かったらいくらでもやるから、早く終わらせてくれ・・・。
 やっとのことで入場許可が出たので、切符売り場で切符を買う。全線12ペソの一律料金だった。切符売り場では職員が磁気カードを1枚1枚売っていたが、改札はちゃんと自動改札だった。カードをその中に入れ、回転バーを回して中に入るのだが、今度はスーツケースが通らない。寝かして引きずりながら無理やり通した。ホームに上がるとすごい人の数だった。時計を見ると、何!1時25分?ホームの時計はみごとにくるっている。正しくは午前8時40分、ちょうど出勤ラッシュなのだろう、今停まっている列車を諦めて、次の列車に乗ることにした。
 すぐに次の列車がきたけど、客はみんな前の列車に乗って行ってしまったので、すごく空いていた。車内はエアコンが無くて蒸し暑かったけど、初めて見るマニラの街並みを眺めていたら、あっという間に目的地に着いてしまった。ここからが問題だった。LRTを降りたドロテオ・ホセ駅の周りには、バスターミナルと思わしき施設が林立している。とりあえず一番近い所に行って訊くと、あっちだと言われ、そっちに行くとまたあっちだと言われる。角を曲がるとまた違うバスターミナルが見え、エアコン無しのバスだから嫌だなぁと思ってると、やっぱり違う方向を指差されホッとした。ようやく目指すフィリピンラビットバスのターミナルに着いた。僕は“速い”という意味の“ラピッド”だと思い込んでたので見逃していたのだった。まぁ、『ウサギとカメ』ではウサギは足が速いことになってるし、途中一休み(故障)しないで着いてくれればOKだ。窓口でアンヘレスまでの切符を買うと、たった90ペソだった。もうすぐ出発するというバスのトランクにスーツケースを詰め、運転手がどこかで勝手に下ろしちゃわないだろうかと心配なので、そのトランクがある真上の席に陣取り見張る事にした。バスは定刻どおり9時20分に出発した。しばらくはマニラ市内の渋滞につかまってのろのろ走っていたけど、その名の通り快調に走り始めると、僕は荷物を見張る事なんてすっかり忘れていつのまにか眠ってしまった。そりゃそうだ、昨夜からほとんど寝ていないし、泥道を荷物を持って歩いてきたんだぜ。

 運転手に起こされたらもう着いていた。僕は急にスーツケースが心配になり慌ててバスを降りると、トランクはまだ開けられてなかった。トランクを開けてもらうと無事に中から僕のスーツケースが出てきた。すると周りからいろんな手が伸びてきて僕のスーツケースを持っていこうとする。トライシルクの運転手たちだ。トライシルクとはバイクに屋根付きのサイドカーを着けたもので、これがこの町のタクシーにあたる。僕はまだ頭の中が眠ったままだったので、ターミナルのベンチに座ってしばらく考えることにした。時計を見ると11時過ぎだった。マニラから約2時間かかったわけである。僕がこの町に来たのは知り合いがたまたまここに遊びに来ていたからだ。ここアンヘレスには以前アメリカのクラーク空軍基地があったのだが、1991年のピナツボ火山の噴火によって基地は撤退してしまった。現在はその跡地に経済特別区を作っている他、基地の前のフィールズ・アベニューはかつての米兵相手のバーが並ぶ歓楽街となっている。知り合いとはそのフィールズ・アベニューにあるマルガリータ・ステーションというレストランで待ち合わせをしている。とりあえず僕はフィールズ・アベニューを目指した。
 バスターミナルの前の道をジプニー(乗り合いジープ)が両方向に走っている。どっち向きのジプニーに乗ったらいいのか、それよりもどのジプニーがフィールズ・アベニューに行くのか全く見当がつかなかった。ここで再び『旅の指差し会話帳 タガログ語』の登場だ。何てことない、左に向かって走っているジプニーは全てフィールズ・アベニューへ行くそうだ。全く役に立つ本だな、これは(別に出版社の回し者じゃないですよ)。
 フィールズ・アベニューまでの道のりはマッカーサー・ハイウェイという一本道で、すごい渋滞だった。窓が小さくもちろんエアコンも無いジプニーの中はもの凄い熱気だ。汗だくの僕を尻目に、乗り合わせた地元の人たちは涼しい顔をして座っている。ノロノロ20分ほど走って、僕はフィールズ・アベニューとの交差点で降ろされた。行けばわかると言われていたマルガリータ・ステーションを探して歩き出したけど、全然見当たらない。とことこ15分も歩くとそのうち右手に旧クラーク空軍基地のものと思われるゲートが見えてきて、その前にジプニーの溜まり場があった。何だ、さっきの交差点で降りて大損じゃないか。しかも目指すマルガリータ・ステーションはその目の前にあった。僕は中に入り知り合いのTさんを探したけど、よく考えてみれば僕が何時に着くのかTさんは知らないし、待ち合わせの時間も指定していなかった。何てバカなんだろうと思ったけど、右も左もわからないこの町ではTさんしか頼りになる人がいないので、仕方なく荷物を持ったままカウンターに座って待つ事にした。
 時間もちょうど12時だったので食事をしようと、どデカイメニューを見る。ものすごく色んな料理があるけど、基本的にはアメリカンフードだ。何が美味しいかわからなかったのでリングポテトフライトとBLT、更にお待ちかね、今回一番のお楽しみだったサンミゲルビールの中ジョッキをオーダーした。嬉しい事に“ドリンク・オブ・ザ・デイ”がこのサンミゲルだったので、通常は1杯45ペソ(約103円)なのが、その日は何と25ペソ(約57円)の超激安プライスだった。すぐに来た中ジョッキを一気に飲み干しておかわりしたのは言うまでもない。しかもちょうどお昼時で料理が来るのがすごく遅かったので、サービスの塩ピーナッツをつまみに3杯も空けてしまった。でも、それだけ飲んでも170円だからね。それにしてもこのサンミゲルはかなり旨い。けっこうあっさり目のビールなんだけど、ギネスやドイツビールが好きな僕でもぐいぐいいける。今の所、僕の中ではアジアのベスト・ビールだ。料理がようやく来た頃には、すきっ腹で飲んでいたのでかなり気持ちよくなってきた。しかたなく僕はテーブル席に移ってもう1杯おかわりした。
 こんなことってあるのか。4杯目のジョッキを空にすると、ちょうどTさんが店に入ってきた。もうすっかり出来上がっている僕を見てTさんは呆れ顔だ。僕は上機嫌を通り越してもうすっかりお休みモードに入っていたので、Tさんと同じホテルにチェックインして夕方までひと眠りする事にした。
 ホテルはディスカウントしてもらっても1泊800ペソ(約1,840円)もした。タイの田舎で1泊300バーツ(約870円)の清潔なホテルに泊まりなれている僕にとっては、このホテルはコストパホーマンスがとっても低かった。温水シャワーだと言うけど、栓を開いて何分経っても水は冷たいままだし、窓は小さく、そのわりに外の音がうるさい。そしてこれが一番ダメな所なんだけど、恐らくフィリピンは土足文化なのだろう、床がとても汚いのである。一応掃いてはあるけど砂だらけだ。Tさんに訊くと、フィリピンの安ホテルはどこもこんなもんだそうだ。ちょっぴりホームシック気味になった僕は、染みだらけのベッドで丸くなった。

 夕方6時に起きて、Tさんと裏通りにある地元の人向けの食堂に食事に行った。そこはタイにもよくある、色んなおかずが並んでいて、食べたい物を指差して皿に持ってもらう方式だった。並んでいるおかずは10種類ほどあったが、7種類が肉料理、残り2種類が魚料理、野菜料理が残り1種類という構成だ。僕はどちらかというと肉はあまり好きではない。普段はタイ料理でも肉が多いと思っているくらいだ。だからとりあえず魚料理からカジキマグロのマリネ風煮物を選んだ。もう1種類くらい食べようと考えているとTさんがフィリピン風豚の角煮が美味しいと勧める。よく見ると肉以外にもニンジンやジャガイモが入っていたのでそれを頼み、併せて白いご飯も注文した。はっきり言ってここの料理は旨かった。カジキマグロは臭みが全く無く、マリネ風なのでとってもあっさりしている。そして豚の角煮の方だけど、汁の半分が油でちょっと胸焼けがしそうだったが、一口食べてみるとこれもやや酸っぱめでかなりいける。タイの角煮は中国風でとても甘いのであまり食べないけど、これならいくらでもいける。付け合せの野菜にもしっかり味が染み込んでいて、ほんのりビーフシチューの様な風味がする。一発で好きになってしまった。だけどひとつだけ不満な事がある。これだけ食べて80ペソ(約184円)だったけど、もしこれがタイの普通の食堂だったら高くても25バーツ(約72円)ぐらいだろう。ケチ臭く聞こえるかもしれないけど、アジアで生きる時に食費がどれくらいかかるかということは大きな問題だ。タイよりも発展が遅れている国々(カンボジア・ラオス・ビルマ等)でも食費はタイと同じくらいかそれ以上のかかる事が多い。そういう国々で食事をする際にはいつも、改めてタイの豊かさを思い知ることとなる。

 旅に出たら夕食の後はもちろん食後のお楽しみとなる。ここアンヘレスは米軍基地の門前町として発達してきたので、当然アメリカ兵向けの歓楽街が出来あがった。日本だって沖縄や横須賀などの米軍基地がある街には必ずある(ちなみに自衛隊の基地がある所にも、ささやかながらスナック街が必ずある)、それと同じだ。ただこの街には既に基地は存在していないので歓楽街は存在意義が無いのだが、何故かネオンがギラギラ輝いているのである。Tさんもそのネオンに魅了されて度々この街を訪れている人だった。Tさんの案内で1軒のバーに入る。ここは通称“ゴーゴー・バー”と言って、水着の女の子がステージで踊っていて、気に入ったら呼んで一緒に飲むことができ、更に気に入れば店外デートも可能というシステムだ。アメリカではどんな田舎町に行ってもあるもので、ストリップ・バーと呼ばれている。この店もアメリカ人のお客さんが大半を占めていて、僕も彼らに習って僕もサンミゲルを片手にステージの女の子を眺めた。
 フィリピンの女の子を見てまず考えたのは、さっき食べた食事のことだ。僕が思うに、フィリピンの人たちは肉食なのだろう。だから僕の目の前で踊っている女の子たちはみな胸が大きいけど、身体全体が太い。たぶん骨まで太い。だからかどうかわかんないけど、みんな老けて見える(後で聞いたら10代の子もけっこういるらしい)。まっ、僕が普段見ているタイの女性がやたらとスタイルが良いのでそう思えるのかもしれないけど・・・。
 僕は完全に引いていた。酔いも覚めてしまった。Tさんはなじみの子と楽しそうに飲んでいる。僕は眠くなったと言って独りでホテルへ戻った。

 翌朝目覚めたのは8時だった。朝からホテルの前の道路を走る車の音がうるさくて目が覚めてしまったのだ。ホテルの近所にスイス食材の店があったので、そこでパンとオレンジ・ジュースを買い朝食にした。昼まで街をぶらぶらし、またマルガリータ・ステーションへ行った。改めてメニューをよく見てみると、タイ料理が多いことに気付いた。別にフィリピンまで来てタイ料理を食べる理由は全く無いので食べなかったけど、今タイ料理は世界中に広まりつつあるということを再認識した。そして今日も昼間からビールを飲み、ほろ酔い気分でネット・ショップへ行きメールをチェックし、自分のHPの掲示板に「四方山ばなし」を書いた。

『四方山ばなし』3月13日 投稿者:管理人  投稿日: 3月13日(木)13時30分21秒 202.69.170.10
 昨日、知り合いを頼ってフィリピンのアンヘレスという町に来た。ここはあのピナツボ火山のすぐそばで、ピナツボ火山の噴火を機にアメリカ軍の基地が撤退した。基地の中は今再開発がされていて、リゾートやカジノなんかが出来てるけど、基地のゲートの前は昔ながらの歓楽街(横須賀基地前のドブ板通りみたいな感じ)が広がっている。ここにあるレストランの多くは欧米人向けだ。中ジョッキ1杯が50円くらいなので、僕も含めみんな昼間からほろ酔い気分だ。そしてそれらレストランではあまりフィリピン料理が無い。そのかわりタイ料理のメニューがかなり幅を利かせている。それどころか、クルン・タイというタイ料理レストランまでできていて、そのチーフコックはタイから来たと看板に書いてある。恐るべしタイ料理パワー。和食に続き、世界を席捲するか!

 メールチェックが終わって再び街に出ると、まだ午後2時だというのにもうオープンしているバーがある。何もすることが無いからバーに入ってビールでも飲もうかと思ったけど、そういえば昨日Tさんがカジノの話をしていたのを思いだした。旧米軍基地内と街中の2ヶ所あるらしい。基地内は今経済特別区として開発されているので、きっとカジノはリゾート・カジノだろうと思い、リゾートが苦手な僕は迷うことなく街中のカジノへと向かった。
 昨日ジプニーを降りた所から質屋が建ち並ぶ細い道を入った所にカジノはあった。カジノはホテルの一部を利用しているようで、入り口でカメラなどを全て預けさせられた。入場料は100ペソ、その代わりに100ペソ分のスピードくじをくれた。全部めくってみたら120ペソになり、120ペソ分のチップをもらった。入り口を入るとスロットマシーンが並んでいた。とりあえずそのチップでやってみたら、またまた270ペソに増えた。気を良くした僕は奥の部屋に入った。たぶん元々はホテルの宴会場だったのだろう、大きなホールにルーレットやポーカー・バカラ・ブラックジャックなどの台が並んでいて、明らかに地元のオッサン、おばちゃんと思われる人たちが群がっていた。特にバカラの台には見物客も含めてすごい人だかりができている。僕はバカラのルールがわかんないので、昔から結構自信のあるブラックジャックで勝負してみることにした。以前カンボジアのポイペットというところにあるカジノで、このブラックジャックでかなり儲かったことがあった。カンボジアのディーラー(親)は下手なんで、元々勝つ可能性が50%に近いブラックジャックでは、気長にやれば簡単に勝つことができた。今日も高かったホテル代ぐらいは儲けようと考えたわけだった。空いている席につきいざ賭けようと思うと、最低300ペソからで手持ちのチップでは足らなかった。仕方ないので1,000ペソをチップに換えた。
 ほんの一瞬だった。たった4プレイで1,200ペソ分のチップが消えた。普通ブラックジャックというのは4回やれば最低でも1回は勝てるものだけど、ここのディーラーはむちゃくちゃ上手い。6人が座ってプレイしたが、誰一人として勝てなかった。僕はもう一度1,000ペソをチップに交換してディーラーに挑戦した。
 今回もあっという間に負けた。一度だけ引き分けがあったけど、その他はみんな負けだ。しかも19とか20とかで負けている。一気に財布の中身が寂しくなった。僕は席を離れ、残った170ペソのチップを握りスロットマシーンをしたが、今回はあっという間に無くなった。僕にはギャンブルは向いていないようだ。

 またアンヘレスの夜がやってきた。夕食はTさんと昨日見つけたタイ料理屋ですることにした。店内は6つほどのテーブルが並んでいて、ほぼ満席の賑わいだ。メニューを見たが大概の有名なタイ料理はあるようだ、でも高い。どれも一皿150ペソ(約350円)以上はする。2人で食べるのには少なかったけど、トム・カー・ガイとガッパオ・ムーサップの2種類とサンミゲルを注文した。料理を待つ間サンミゲルを飲みながら周りの人たちが食べている料理を見たが、あまり期待でき無そうな感じだった。店にはシンハー・ビールやタイウィスキーなんかもあったけど、やたらと高いので誰も飲んでいない。
 かなり待ってようやく料理が運ばれてきた。見た目はなんだかよくレストランの前に置いてある蝋でできたサンプルのようだ。食べてみると全くタイ料理とは別物だ。まったく香草が効いていない。特にガッパオ・ムーサップは豚のひき肉をニンニクとバジルで炒めたものなのだが、一応入っている青いバジルは全く香りがしなかった。さっさと食べて店を出た。やっぱり外国で食べる(日本も含む)タイ料理は食べるに値しない。翌日か掲示板に書き込んだ「四方山ばなし」にはこう書いていた。

『四方山ばなし』3月14日 投稿者:管理人  投稿日: 3月14日(金)11時59分35秒 202.69.165.113
 昨日書いたアンヘレスのタイ料理レストランに行ってきた。結論から言うと、高いだけで行く意味は無かった。値段はバンコクのレストランの倍、屋台の5倍くらいで、料理自体はちょっと別物だった。よく日本でも本場から招かれたシェフが腕を振るうレストランがあるが、フレンチやイタリアンならともかく、アジア料理(タイやインド料理)のシェフはまゆつばものだ。だいたい、その国出身者だからってその国の料理をおいしく作れるのか?日本だって僕より家庭料理をおいしく作れる女性はあんまりいない。ましてや男なんて皆無だ。日本では今や本場のシェフを売り物にするところも減ってきたけど、後進国ではまだまだ通用するようだ。現にアンヘレスのタイ料理レストランは結構は流行っていた。

 物足りないタイ料理で夕食の後は今晩も夜の街に繰り出すことにした。僕が完全に引いているのをTさんが感じていて、今日はバーじゃなくてディスコに行こうということになった。そこは裏通りの昨日食べたフィリピン料理食堂の向かいにあった。入り口にはぴちぴちの服(懐かしのボディコン風)を着た女の子たちがたむろしている。中に入ると、中央に大きな丸いお立ち台、その周りがカウンターになっていて、さらにその周りにはソファー席が並んでいる。2・3階にも席があるようだが、我々は1階のソファー席についた。ここはディスコというよりも・・・、何なんだろう。踊りたい人はお立ち台の上で踊るようだが、踊っているのはほとんどが入り口にいた子達と同じ黒いボディコン系の服を着た女の子だ。しかもみんなムチムチでパンツ丸出し。まっ、楽しくお酒を飲むには問題ないな。ここでもたらふくビールを飲み、さらにその辺にいる女の子達に飲み物をご馳走してあげた。おかげで、アンヘレス最後の夜は本当に、本当に楽しかった・・・。

 翌日はお昼にホテルをチェックアウトをして、そのままマニラへと向かった。マニラに着いたのは4時過ぎ、翌日日本行きの飛行機は午前8時出発の予定なので、それまでひと休みできるホテルを探した。アンヘレスでもそうだったけど、マニラにも安くて居心地の良さそうなホテルが全く無い。スーツケースを引っぱっり汗だくになってあっちこっち行って見つけたホテルの名前は“SOGO”、名前に惹かれてチェックインしたけど、みごとに連れ込みホテルだった。1泊800ペソ(約1,840円)、部屋自体は日本のビジネスホテルのように無機質にきれいだけど、窓が無いし、灯りが赤いランプだったりする。あと12時間ほどだけなので我慢することにした。
 シャワーを浴びて表に出ると、すぐそばにファーストフードがあった。表にメニューの看板があって、その中に“ハロハロ”というフィリピン風かき氷があった。そういえば以前ミニストップというコンビニのCMで、このハロハロが季節限定であった事を思い出し、試してみる事にした。
 このハロハロ、かき氷の上にシロップ漬けのフルーツや豆・ナタデココ・紫芋の餡などを載せ、シロップとミルクがかかっている。かなり甘くて、食べ終わった後は喉が渇き、しかも具が多いので意外とお腹に堪えた。
 そういえばお土産になるような物を何も買っていなかった。アンヘレスの路上でおじさんがサンミゲル・ビールのラベルをプリントしたTシャツを売っていたのを思い出し、どうせその辺で売ってるんだろうと思い探してみた。バンコクならいたるところに観光客向けの露店が並んでいて、そういったお土産なら深夜まで購入可能だが、今自分がいるところにはそういった露店は全く見当たらない。とりあえず、ショッピングセンターがたくさんあるというマカティという街に行ってみる事にした。ちょうどホテルの目の前からもう一本の高架鉄道MRTがマカティ方面に向かって走っている。毎度の事だが、駅の入り口で持ち物検査を受け、切符売り場に並んだ。それにしてももの凄い行列だ。窓口は8ヶ所ぐらいあるのに、それぞれの窓口に50人ぐらい並んでいる。いくら帰宅ラッシュの時間だからといってもこれは異常だ。たぶん回数券や定期券みたいな物を全く導入していないのだろう。10分ほど並んでようやく窓口に着くと、このMRTは均一料金のLRTと違い行き先によって料金が違っていた。隣りの駅が9.5ペソで、一駅増えるごとに0.5ペソづつ加算されるので、2つ先のマカティ駅には10ペソ(約46円)という事になる。狭い階段を降りホームへ行くと、冷房付きの車輌が出発しようとしていた。

 マカティの街は駅前にデパートやショッピングセンターが建ち並んでいる、何となく横浜駅の周辺に似ていると思った。とりあえずお土産物屋さんを探そうと、指差し会話帳を片手に歩く人に尋ねてみると、グロリエッタというショッピングセンターに行けば何でも揃うと言う事だったので、さっそく行ってみた。グロリエッタはマカティにある商業ビルの中心部に位置する大きなショッピングセンターだった。入り口でまたまた荷物検査をされ館内に入ってみると、放射線状にモールが建ち並び、歩く人たちも日本の人々と変わらないこざっぱりした格好をしていて、夕方という時間帯もありかなり賑わっていた。Informationでサンミゲル・ビールのロゴが入ったTシャツが欲しいと、これまた指差し会話帳を使って訊いたら、案の定、受付嬢はどこの店で何を扱っているのかあまり把握していないようだった。これは東南アジアに共通して言えると思うのだけど、デパートなどの受付でお店の名前を言って尋ねれば、もちろん丁寧に、時には地図を書いてくれたりしてして答えてくれるけど、日本の受付嬢のようにどこの店で何を売っているか書きこんである様なお手製の虎の巻を持っている人はまずいない。だからそういった訊き方をしても希望通りの返答があることは少ない。僕はこういう時は館内を巡回しているガードマンに訊く事にしている。彼らは館内をくまなく歩き回っているので、まぶたの裏に尋ねられた商品が焼きついていることが多いのだ(旅の知恵)。しかし今回はどのガードマンに訊いてもサンミゲルのTシャツは無いと言われた。確かに館内をよく見てみると、けっこうおしゃれなお店は多いのだけれども、バンコクのマーブンクローン(MBKセンター)の様に、バッタ物を扱っているような店はほとんど見あたらなかった。ただ、あるガードマンが隣りのSMシューマトには確かそういうものが売っているコーナーがあったはずだと教えてくれたので、そこまでの道を教えてもらってSMシューマートへと向かった。
 相変わらずシューマトの入り口では荷物検査があった。しかも係員が少ないので、検査を待つお客さんが殺到しているのである。もみくちゃにされながらやっとの事で荷物検査を受けて中に入ると、そこは大衆的なショッピングセンターだった。さっそくガードマンにTシャツの事を話すと、確かにあると言う返事をもらった。そのガードマンに連れられて売り場へ行くと、そこにあったのは僕が想像していたものとは違い、Tシャツの前面にカラーでサンミゲルビールのボトルがプリントされているものだった。モノクロでラベルだけの物が欲しいと言うと、それは偽物だから売ってないと言われた。他をあたろうとも思ったけど、もうあの荷物検査の嵐に晒されるのにうんざりで、諦めておとなしくホテルに帰ることにした。帰り道、MRTの入り口でも荷物検査があった。

 帰り道、道端の食堂で豚の角煮とサンミゲルビールを買い、部屋で一人寂しく晩酌して寝た。
 翌朝5時に起きて、タクシーで空港へと向かう。早朝なのでちょっと心配だったが、まだ暗いうちからマニラの街は活気づいていたし、ボロボロのタクシーだったけどドライバーもきちんとメーターを使ってくれた(60ペソ)。
 空港に着いたら、まず最初に預けてある三角マットを引き取りに手荷物預かり所へと向かった。不思議な事に、何のチェックも無く税関の中へ入れた。こんな事で本当に大丈夫なのだろうか?ところが、肝心な手荷物預かり所が開いていない。税関の人に訊いても、普通は6時に開くので、もうすぐ開くはずだと言うだけだ。飛行機の離陸時間までもう1時間30分しか無い。
 10分待っても開かなかった。僕は痺れを切らして、空港のガードマンに預り証を見せて荷物を出してくれと頼んだ。するとガードマンはどこかに電話して、もう少し待てと言った。5分ほどしてようやく手荷物預かり所の係員らしき人がトボトボ歩いてきた。どう見ても寝起きだ。たぶん空港内の仮眠所で寝ていたのだろう。係員は慌てた様子も無く、手荷物預かり所の南京錠をひとつづつゆっくりと開けていく。急げー、急げー。僕は心の中で叫んでいたけど、そんなことその人は一向に気にしていないようだった。ようやく中に入り預り証を見せると、チェックインが先だと言う。何故だ?だってここで引き取った物を預けなくちゃならないじゃないか、と言っても全く聞く耳を持ってくれない。仕方なく僕は2階のチェックインカウンターへと向かった。
 もそすごい行列だ。最初何の列だかわからなかったのだけど、どうやら僕が乗るエジプト航空のチェックインカウンターに並ぶ人たちだった。というよりも、行列はチェックインカウンターの前に置いある大きな秤へと続いている。並んでいる所から見える各チェックインカウンターにはそれぞれ秤があるように見えるけど、どうやら使えないのだろう。行列の先にある大きな秤では、ひとつひとつ乗客の荷物の重さを量って、シールに書き込み荷物に貼り付けている。こんなんで本当に間に合うのだろうか?
 30分程並んでようやく僕の荷物を計る番が来た。荷物を計ってチェックインを済ませたら、もう出発まで30分を切っていた。僕は急いで1階に引き返し手荷物預かり所へと走ると、何と再び手荷物預かり所はしっかり施錠してあった。もう絶望だ。僕は三角クッションを日本で待っているM本さんには申し訳ないが、もう諦めようと思った。すると、そんな僕の姿を見ていたさっき電話をしてくれたガードマンが、ちょっと待っていろと言ってどこかへ走っていった。3分ほどすると、そのガードマンが寝ぼけ顔の係員を引っ張って走ってきた。僕は涙が出そうになった。世界中のの空港職員ってどこかタカビーというか、偉そうにしている人ばかりなので、こんなに親切にしてもらった事はなかったのだ。ガードマンさんが尻を叩きながら係員に急いで引渡しの手続きをさせ、しかもその荷物を一緒に持って出発ロビーまで走ってくれた。ギリギリ間に合って荷物を預け、僕はイミグレーションへと向かった。振り返ると、さっきのガードマンさんがにっこり微笑んで手を振っていた。(完)