![]()
【タイの癒し系・メーサロンへ】2002年11月
僕がまだ日本でがむしゃらに働いていた頃、資料探しのために訪れた六本木の有燐堂という書店で一冊の本を見つけた。それがダイヤモンド社が発行している「雑学ノート」シリーズの新刊、『タイ
旅の雑学ノート』だった。著者はえもと正記と言う人で、当時は聞いた事が無い名前だった。その頃の僕はひと月に2日ほどしか休みが無いハードな環境に埋もれていた。仕事そのものは順調だったが、その順調さが僕の心を揺さぶっていた。このまま今の会社で働いていれば、それなりに出世してそれなりに良い老後が送れそうな気もしていた。だがそんなことを僕のわがままな心が許そうとはしていなかった。「とりあえず今の仕事を辞めて、何か新しい事をしたい」。そう思っていた時に手にしたのがこの本だった。
この本は、できたばかりのBTS(高架鉄道)各駅それぞれの表情を綴る第一部と、バンコクからチェンマイへ列車を使い旅をする第二部とに分かれていた。およそ270ページもある本をあっという間に読み終えてしまった僕は、何度か訪れた事があったタイに移住する事を決めていた。その4ヵ月後、仕事を辞めた僕は住んでいたアパートをたたみ、単身タイへと渡った。バンコクに居を構えた自分は、すぐに列車でチェンマイを訪れた。
チェンマイはそれなりに楽しかったが、実は本当に行きたかったのは、第二部の最終目的地であった山奥にあるメーサロンの村だった。だがタイ語を話せなかった僕はメーサロンにどうやって行けば良いのかがわからず、また申し込んでおいたタイ語学校の授業が始まるので、渋々バンコクへ帰って来た。あれから数年、学校や仕事が忙しくなかなかメーサロンに行く機会が無かったが、今年のバンコクの気候がその機会をようやく与えてくれた。
バンコクは通常10月の末から11月の初めには雨季が明ける。だが今年は一度雨季明け宣言がなされ2日ほど涼しい日があったが、その後また雨季に戻ったように雷が鳴り、湿度も高いままだった。雨季が明けて涼しい涼期になるということは、日本でいえば寒くて長い冬が終わって春になることと同じだと思う。人々はこぞってご自慢の長袖をまとい、ビアガーデンに繰り出し、短い涼期を思い切り楽しもうとする。僕もずっと雨期明けを心待ちにしていた一人だ。だが今年はなかなか明けようとしない。はっきり言ってもう雨季にはうんざりしていた。特に今年の雨季は雨が多かった。テレビでは北部地方が雨季が明けてもうすっかり涼しくなっている映像を映し出す。僕は何かに導かれるようにモーチットのバスターミナルでチェンラーイ行きの切符を買っていた。もうこんなバンコクで涼期が来るのを待っていられなかった。
チェンラーイ行きVIPバスは定刻よりも5分遅れでモーチット・マイを出発した。このバスは横3列・前後8列の合計24席しかないため、普段はたいがい満席な事が多い。だから僕はいつも左側の1列単独で並んでいる席を予約する事にしている。だが、今回乗ったこの便は予想に反して半分ほどの席しか埋まっていなかった。バスが動き出すと社内係のお姉さんに空席を確認して、2列並びの右側の席に陣取る。VIPバスはリクライニングがかなり水平に近いところまで倒れるのが売りの車だ。バスの前面には「ロット・ティー・ノーン(寝台車)」と書かれているくらいだが、いくらリクライニングが深くても11時間同じ体勢でいる事はやはり多少の苦痛を伴う。しかし横2列を独占できれば、時には間のひじ掛けを上げて横向きに寝る事も可能なのだ。今回は出だしからラッキーだ。途中ナコン・サワンで夜食休憩が20分、あとはノンストップでチェンラーイへと向かう。
朝6時過ぎに目が覚めた。窓が水滴で濡れていた。一瞬雨かと思ったが、眠い目をこすりよく見るとバスの回りは深い霧に包まれていた。その霧の中をバスは疾走し、やはり定刻よりも5分遅れ、7時5分にチェンラーイのバスターミナルに到着した。バスを降りトイレを済ませ、続いて国境の町メーサイ行き普通バスの席を確保する。このバスは言ってみれば通勤通学バスだった。小さめの車体にぎゅうぎゅう詰めに客が乗る。僕は席に座っていたので快適だったが、立っている人々はただバスが早くそれぞれの目的地へと到着してくれる事だけを考えてるようだった。だがそんな願いもむなしくバスは途中で乗る人や降りる人のために度々停車し、なかなか先へは進まない。そんな中、自分の前に北タイらしい若い女性が立った。ちょうど向かい合うような感じになっていたので幾度となく目が合う。そのたび彼女は微笑を浮かべながら恥ずかしそうにうつむく。そんな素朴な反応が何だか心地よい。
そうこうしている内にバスはメーサロン行きソンテウの乗り場があるパサンという町に到着した。バスを降りると何台かの青いソンテウが並んでいた。おじさんがどこへ行くのかと訊いてきたのでメーサロンと答えると、1台のソンテウを指差された。その荷台にはすでに若い親子2組とおばあさん、女の子が座っていた。メーサロンに行ったことがある人から、このソンテウは6人以上集まらないと出発しないのでかなり待つよ、と言われてたが、自分を入れてもうすでに7人だったのでじきに出発するだろうと思い席についた。だが期待に反してメーサロン行きソンテウはなかなか発とうとはしてくれない。周りの人に尋ねてみたが、乗っているのはみんな少数民族の人たちだったので言葉が通じなかった。ただ日本人にかなり興味があるようで、ポケットから木の実やらお菓子なんかを出して僕に勧めてくる。試しに何の実かわからないけどひとつ食べてみた。木の味がした。お返しにと深夜バスでもらっていたクッキーと菓子パン・インスタントコーヒーをあげた。子供たちは喜んでお菓子を食べ、おばあさんはしわくちゃの顔をさらにクシャクシャにしながらスティック状のインスタントコーヒーを舐めていた。どうやら粉ミルクと砂糖を混ぜてあるからであろうか、それはそれでおつな味がする様だ。
そんな街角国際交流が30分程続いた頃、おじさんに僕だけ車から降りるように言われた。理由を聞いても北部訛りなのでイマイチわからないが、渋々従う。すると少数民族を乗せた車はメーサロンとは違う方へと走って行ってしまった。おじさんは、あのソンテウは別の村行きだと言い、乗り場には僕一人だけが残された。おじさんは続けて「メーサロン行きの客は君一人だけだ、チャーターしないと着くのが遅くなるよ」としきりにチャーターを勧める、300バーツとのことだ。時計を見るとまだ9時過ぎだったので、断って木陰で読書をはじめた。そんな間にもぽつぽつと人が集まってくる。時計が11時が表示する頃になると5人ほど客が集まった。もうすぐ出発するだろうと思っておじさんに確認したら、他の人はみな違う村行きで、やっぱりメーサロン行きは僕ただ一人だった。慌てておじさんにチャーターする旨を告げて、メーサロン行きソンテウは西へと走り出した。
発車してしばらくはなだらかな一本道を車は快調に飛ばした。チャーターしているので助手席に陣取ったこともあり、周りの景色を楽しむ余裕があった。ところがいざ山道にさしかかるとかなりの急なカーブが連続した。箱根ターンパイクをさらにきつくした感じと言えば関東の人にはわかってもらえるだろうか。これで、もし荷台に座っていたらすっかり酔ってしまったかもしれない。20分程走ったところに少数民族の村があった。前には観光バスが停まっていて、中では西洋人が写真を撮っていた。すっかり観光化された村のようで、これから自分が行くメーサロンもそんな感じなのではないかと心配になった。その先はさらに深い山道だったが、時折目の前の景色が開けて遠くまで続く山並みが目に入る、目的地までもう少しだ。
ふもとから小一時間でようやくメーサロンに到着した。看板には「美斯樂」とある、中国名だ。ここは中国共産党への反撃の機会を伺っていた中国国民党(台湾と同じ)の人たちが開いた村だそうだ。現在は武装解除をしてタイの国籍を有しているのでタイ人ということになるが、村の中は中国語が圧倒していた。それから、さすがにこんな奥までは上がってこないのか、さっき見た観光バスの一団の姿は見えなかった。空気は冷たかった。町並みといい、坂道といい、初秋の箱根に来ている様な錯覚を覚える。これで温泉でもあれば言うことなしだ。ソンテウが停まる雑貨屋の前から少し上がると2軒のゲストハウスがあった。そのうちの一軒、新生旅舎(ロングレーム・シムセー)はバンガローもあるようなので値段を訊くと提示は300バーツだったので、200バーツに負けてもらってチェックインだ。宿帳に名前を書こうとすると、3日前から誰も泊まっていないらしく、宿のお姉さんは照れ笑いを浮かべる。通されたバンガローは布団一組と大きな鏡、トイレとホットシャワーがついていたが、残念ながらこの村に温泉は無かった。
シャワーを浴びてさっそく街の散策に入る。メーサロンの街はふもとから続く一本道をの両側にへばりついているといってもよい。これまで散々坂を登ってきたのに、街の中の高低差もなかなかなものだ。普段運動不足の身体にはかなり堪える。すぐに息が切れるけれども、空気がおいしいのでそれも心地よい。空気が汚いバンコクにいるからだろうか、よけいにそう感じる。平坦な道に出て呼吸が整っても、脳がもっと吸えと催促してくる。仕方なくわき道にそれて斜面にへばりつくように家が建っているあたりを歩く。雰囲気は尾道を思わせる。細くて緩くカーブした坂道の先からにわとりの親子が餌をついばみながら歩いてくる。家の台所からは炭を焼く臭いが漂う。しばらく歩くと舗装が切れ、田んぼのあぜ道のようになる。そうなると家は茅葺に変わる。アカ族の住む家だと後で知った。ある家の前の石の上に座って休んでいると、遠くで水の流れる音がする。その音をたよりにさらに土の道を降りていく。僕はまだタイで透き通った川を見たことが無い。バンコクを流れるチャオプラヤー川はどこまでさかのぼっても茶色い水だ。カンチャナブリーにあるエラワンの滝にも行ったことがあるが、きれいだけれども清流ではない。自分はどうしてもタイの清流を見てみたいという衝動に駆られていた。しかしその音は行けども行けども近くはならなかった。そろそろ諦めようかと思っていた頃、道の前方に川が見えた。近寄ってみると幅2mぐらいのその川は、期待に反しやや濁っていた。上流に目をやるとメーサロンの中心部があった。生活用水が流されてる事を想像するのは簡単だった。僕は反対側の山へ向かって歩き出した。その山の上には家が見当たらなかったので、きっと透き通った小川があるに違いないと思った。こうなったら意地だ、絶対に探し当てようと思った。メーサロンの町並みがどんどん遠くなる。そして僕はどんどん下って行く。
小さな名も無い滝だった。
心地よい疲労感に襲われる。
しばし休憩。。。

30分も経った頃、町へとひき返す。はるか上方に町並みが見える。風はひんやりしているが、さすが南国だけあって陽光は強かった。すぐに身体は火照り、額に汗がにじむ。ちょっとしたトレッキングを終えて町に戻った僕の眼に写ったのは、崖の上にそびえ立つ仏塔だった。近くのおばさんに、あそこからの眺めは最高だけど、長くて急な階段を登らないとならないと行けないと言われ、少しひるむ。でも最高の景色と言われたからには登らないわけにはいかないよな。気だるい身体に鞭を打って僕は仏塔を目指した。最初のうちはかなりの角度の急坂を登った。途中MeasalongResortの入り口に中国寺院があった。さらに登ると今度はタイのお寺だ。ここまで来ると周りに家は無くなり、お寺の裏から急な階段が始まった。まだできたばかりのコンクリートの階段は崖を縫うように上へと続く。この階段ができる前は崖をよじ登っていたのか、崖のところどころが階段のように掘れている。実際アカ族の人たちはその崖をひょいひょいと登った。
中腹で一度休憩しただけで、何とか登りきった。振り返ると眼下には素晴らしい眺望が広がっていた。おばさんの言ったことは本当だった。仏塔は現在改修工事中で、工事しているのはもちろんアカ族の人たちだ。登りきってわかったのだが、どうやら仏塔の裏まで下から道路が延びているらしく、欧米人がバイクタクシーに乗って来ていた。その欧米人もしきりに景色を愛でていたけれども、やはり自分の足で登ってきてこそより感動は大きいんだ、などと考えながらしばし景色に酔う。ちなみにバイクタクシーで町からここまで登ってくると、往復100バーツだそうだ。
僕がこのメーサロンに来てみたかった理由のひとつが、ここでは中国人の手によっておいしいお茶が栽培されてるからだった。山の上から見てみても至る所に茶畑が広がっている。お茶を摘んでいるのは全てアカ族の女性たちだ。通りには多くのお茶屋さんが並んでいる。お店の方は色々と漢字を書いて説明してくれ、必ず試飲を勧めてくる。細かい説明は避けるが、本式のお茶の入れ方は興味深い。特に「聞香杯」という陶器にお茶を注ぎ、そのお茶を湯飲みにあたる「品茗杯」に注いだ後、空になった「聞香杯」に鼻をつけ茶の香りを嗅ぐというところは、まるでソムリエがワインを空けて客にコルクの香りを嗅がせるのに似ているなと思い、お店の人の真似をして自分もその気になって香りを聞いてみた。それにしてもどの店で飲んでもおいしい。日本の烏龍茶とは全く別物だ。通常淹れた烏龍茶は茶色と言うのが日本人の常識だが、実は黄色がかったものと茶色のものと2種類あった。店主の話しでは黄色いお茶の方が高級だそうだ。ということは日本人はあまり良くない烏龍茶を飲んでいると言うことか?サントリーの烏龍茶はコマーシャルで「一級茶葉のみ使用」と謳ってたと思ったが、一級=最高級と言うわけじゃなさそうだ。
もう何杯飲んだだろう、すっかり水っ腹だ。結局僕が飲んでみて一番おいしいと思ったのは、偶然にも最も高級なお店の一番高いお茶だった。金色でほんのり玉露の風味がした。ただ、いくら生産地でも最高級品はかなり高かったので、大切な方へと自分のためにだけ一番小さいのを買った。
ここで、実務情報。
【交通機関】・バンコク→チェンラーイ行きVIPバス 700バーツ(夜食チケット付き、ジュースにも交換可)
・メーサイ行き普通バス 15バーツ(バーン・パサンまで)
・メーサロン行きソンテウ 6人以上集まれば50バーツ/人、貸切300バーツ
【宿泊施設】・MeasalongResort 700バーツ〜(オンシーズン料金)
・KhumNaiPholResort 1,000バーツ〜
(オンシーズン料金、事前にコネを使っても値引き不可だった、超強気。)
・ShinsaneG.H. ドミトリー100バーツ〜、バンガロー300バーツ(交渉により200バーツに)
・AkaG.H. ドミトリー50バーツ〜
・GoldenDragonG.H. バンガロー300バーツ〜(きれいでオススメ、たぶん負けてもらえる)
・MeasalongCentralHillHotel 700バーツ〜
(オンシーズン料金、たぶん値引き可、フロントがオカマなのでイケメン有利)
【インターネット】GoldenDragonG.H.のコーヒーショップで可。
XPをインストール済みなので日本語入力OK。1分1バーツ(Minimum10分)
ここで、メールをチェックしようとさっきインターネット有りの看板を見たGoldenDragonG.H.へ向かう。コーヒーショップに1台だけパソコンがあって、もちろん誰も使ってない。モデムの電源を入れ、コンピューターを立ち上げる。驚いた事にWindowsXPがインストール済みだ。しかし驚くのはまだ早い。このコーヒーショップには何とエスプレッソマシンがあるのだ。ここのママがコーヒー園を持っていて、そこで採れたコーヒー豆を直売している。もちろん1杯30バーツで飲む事もできるが、烏龍茶と同じように試飲も可能だ。自分はコーヒーを飲まないタイプの人間なのではっきり断言できないが、なかなかいけてると思う。タイに来ていつもがっかりしているコーヒー党も納得の味じゃないだろうか。
充実した一日が過ぎて夜になった。僕はグルメと言うわけではないけれども、食べる事に関してはかなり執着している。ということで、村人に地元の人オススメのお店を訊いてまわる。リゾートの中のレストランを観光客用としてあげる人が多かった中、その他で唯一地元向けのお店で複数の人が答えてくれた店があった。さっそくそこまで徒歩で向かってみる。さっきまで幅を利かせていた太陽が沈んだので、いくら歩いても暑くはならずに、かえって歩く事が楽しくなった。町の中心から一番離れたその店に15分ほど歩いて到着した。タナカーン・タハーン・タイ(ThaiArmyBank)の3軒隣り、KhumNaiPholResortの目の前にある。名前はイムポーチャナー(包飽餐廳)、店頭にはお茶が置いてある。僕がその店に着いたのは7時前だったが、客は一人もいなかった。本当に地元の人に人気があるのか心配になったが、表に書かれているタイ語メニューに「ヤム・バイチャー(お茶の葉のあえもの)」をみつけ、その料理はどんなものなのか尋ねようと店の人を呼ぶと、奥から一人の女の子が出てきた、10歳ぐらいだろうか。その子は一生懸命に説明してくれたが、僕のタイ語力が足りないのか、彼女の発音が悪いのか、よくわからなかった。ただその子の「是非食べて行って」という熱意に負けて席に着いた。まずビールを注文すると小さな身体でビアーLEOの大瓶を抱えて来て、グラスに注いでくれた。そしておすすめを訊くと、「ペット・オップ・バイチャー(茶葉を使ったアヒルの燻製)」ということだったので、それとさっきのヤム・バイチャーを注文した。
名前はブーチューちゃん、アカ族のお母さんが店をやっていてそれを毎日手伝っている。12歳なので本当なら小学校6年生だけど、アカ族なので学校には行ってない。でもタイ語は独学で学んだそうだ。だから言葉が少しわかりづらかったようだ。それにしてもこの子はよく働く。その頃になると2組7人の客が席を埋めるようになっていたが、一人で全ての客の相手をしている。中には少数民族相手だからといって横柄な態度のタイ人の客もいたが、嫌な顔一つせずに嬉々として店の中を飛び回っていた。そんな彼女を僕はかなり愛しく思う。言っておくが、僕にはそういう趣味は全く無い。ただ、今時こんな境遇の中で一所懸命生きている子供がいることに感銘した。感動した。また、微笑みの国タイランドと言われている国に住むタイ人の人間的醜さも再確認した。そして全く違うかもしれないけれど、なぜか昔のNHKテレビ小説「おしん」を思い出した。そういえば昔タイでも絶大な人気を誇っていたと聞いたことがあった。
料理が出てくることになると客の数は全部で15人を超えた。まずはヤム・バイチャーにトライ。少し口にふくんでみるとどこかで食べた事のある味だった。茶葉や野菜・香辛料を掻き分けて下を見てみると、そこにはイワシの身がまるごと3匹分あった。タイにはプラー・カッポン(缶詰の魚)という缶詰がある。これは脂ののったイワシのトマト煮で、一缶10バーツ程度、何故だか貧乏人にとても人気がある。そんな油っぽいイワシの身だが、生のお茶の葉と和えることで油っぽさが軽くなっていてなかなか美味しい。続いて彼女のおすすめ、ペット・オップ・バイチャーをかじってみた。茶葉を使い燻製にしたアヒルの身を油で一度揚げている。僕はアヒルはくせがあるのであまり好きではないが、これに関しては超オススメ。ビールのつまみには最高、いくらでも食べられる。ビールを継ぎ足してくれるブーチューちゃんにすごく美味しいと伝えると、ニコニコ笑って応えてくれる。お勘定は全部で225バーツだったが、彼女へのチップと合わせて300バーツ渡し、ほろ酔い気分で店を後にした。子供にチップと言うのはあまり好ましくないので、今度来る時は何かお土産を持ってこよう。
メーサロンの夜は予想通りかなり冷え込んだ。部屋にはやや厚めの掛け布団があったが、僕は更にフリースのジャンパーを着込んで布団に入ったほどだ。翌朝、朝陽を見ようと5時半に起きる。とりあえず顔を洗っただけで表に出た。普通の呼吸ではならないが、「ハァ〜」とすると息が白くなった。もう東の空がやや明るくなり始めている。眺望の良いところを求めて歩き回る。途中野菜を担いだ少数民族のおばさんと何度もすれ違う。たぶん市場に売りに行くのだろう。今日は麓のほうは霧が出ていないらしく、残念ながら雲海は見られなかった。だが、やはり陽がのぼるところは何度見てもいいものだ。朝陽に向かい普段の不摂生を反省する。
宿のすぐそばに小さな生鮮市場があった。中に入ると採れたての野菜や肉、まだ生きている淡水魚が売られていた。肉や魚はさすがに下界から持ってきたものらしいが、やはり野菜はこの辺りで採れたものが多かった。中華系タイ人の店は市場の中心に位置しているが、少数民族の店はその周りを囲うように隅に追いやられていた。でもそのおばさんたちは僕と目が合うとニコニコ笑い、茶色く染まった歯を見せながら何かを話し掛けてくる。全くわからないけれども好感的なのはわかる。何か買おうかと思ったけれども、保存が利くものが無かったので止めておいた。
市場の中には朝食がとれる店もある。パートンコー(揚げパン)とナム・タオフー(豆乳)を頼んだら、さすがお茶どころ、小さなグラスに烏龍茶も注がれてでてきた。この朝食はバンコクでもよく摂るのでこれといって変わったことは無かったが、その店のおばさんが食べているポタージュのようなスープの麺が気になった。どこで買ってきたのか訊くと、手を引いて連れて行ってくれ、頼んでくれた。その麺料理はスィートウファンと言って、中国の麺料理だそうだ。近くのおじさんが紙に漢字で「稀豆粉」と書いてくれた。麺は太目のうどんのような感じ、トロッとしてクリーミーなスープは意外とあっさりしていて朝の胃袋にやさしかった。これもおすすめだ。
満足な朝食を終え宿に戻り、出発の準備をする。ふもとへと向かうソンテウは8時ごろから出発するらしいが、人数がそろわないと出発しなそうなので、早めにソンテウ乗り場へ向かう。予想通り客は自分だけだった。しかし10分も待つとなぜか出発する。僕一人を乗せたソンテウは行きよりもスピードをあげてメーサロンの街を後にした。隙間から入ってくる風が冷たく、フリースを着込む。だがカーブをひとつ曲がるごとに風が生ぬるくなる。バーンパサンの町に着いた頃には僕はTシャツ姿になっていた。
そのままメーサイへ向かい、先月久々に開いた国境を越えビルマのタチレイでコピーCDを買い、ビルマの麺料理モヒンガーを食べた。モヒンガーは夕方に多くの屋台が出るが、昼間から食べられるところを前から知っていた。この麺はタイで言うカノム・ジーン、カンボジアで言うヌム・ボンチョックだろうか。魚で出汁をとったスープをそうめんのような麺にかけたものだ。用事を終え再び国境を超えタイに戻った僕は、夕方のバンコ行きVIPバスに乗り込んだ。早朝4時30分、バスを降りるとバンコクは雨上がりだった。まとわり付くような空気に包まれ、また来月メーサロンに行こうと決めた。(完)