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【昔のまんま・ミャンマー】2004年1月

まず最初に言っておくけど、僕はすっごくミャンマーが好きだ。日本じゃミャンマーなんてあまり危なくない北朝鮮みたいにしか思われてないだろうから、こんなこと言ったら変な目で見られるかもしれないけど、そんなヤツは笑って捨ててやる。「君はミャンマーを見たのか!」、少なくとも僕はその地面を踏み、歩き、食べ、見てきた。その僕が言うんだからほっといて欲しい。ただ、決して住もうとは思わないけどね。
ちょうど一年程前、インターネットである本を見つけて何となく買ってしまった。『ミャンマー・東西南北・辺境の旅』(めこん社 )。この“めこん”という会社、以前からアジアであまり日本人が好んで行かないような所の本ばかり出している、いわゆるニッチな出版社なのだ。そんな出版社から出された本だったので、特にミャンマーに興味があった訳じゃないんだけどつい買ってしまったのである。そんな一冊の本が僕の人生を大きく変えてしまうとは...、とまで言ったら大げさだけど、
この本はマイナーなミャンマーのそのまたマイナーな所に多くページを割いているのですごく興味をそそられ、しかも写真がオールモノクロなのでどうしても本当の色を自分の目で確かめたくなってしまう、僕にとってとても罪作りな構成になっていた。ただこの本を買った頃はもう既に3月までスケジュールが埋まっていて、長期で旅行に出るなんて無理だった。しかも文中にはミャンマーを旅するなら涼しい11月から翌2月がベストなんて書いてある。僕は迷わず次のシーズンに照準を合わせた。そして昨年よりも数倍忙しい今年、みなさんの迷惑も省みずに無理やりスケジュールをこじ空けて行って来たのだ。それくらいに僕はミャンマーに焦がれていた。そしてその思いは見事に満たされたのんじゃないかと思う。
まず航空券だけど、バンコクとミャンマーの首都ヤンゴンは飛んじゃえば1時間ぐらいの距離だ。なのに税や保険を合わせた料金がTG(タイ航空)で7,800バーツ(約22,000円)もする。まぁ、競争が無いので仕方のないことなんだけど。3時間近くかかるシンガポールに天下のSQ(シンガポール航空)で行っても6,000バーツ(約17,000円)ぐらいなんだから、かなり高い。さらにあらかじめビザを取って行かなくてはならない。異常に時間のかかる受付業務に耐え1日かけてようやく取ったビザは1,260バーツ(約3,600円)もした。ミャンマーは近いけど、なんだかんだとお金のかかる国なのだ。
飛行機は17:50にバンコクを離陸する予定なのに、18:00になってもまだボーディング・ブリッジがつながれていた。フライト・アテンダントに訊くと、何やらこの飛行機に乗る予定のタイの政治家が遅れてるらしい。あいかわらずタイの政治家は・・・と思うけど、こんな情報を簡単に客に教えちゃうTGのフライト・アテンダントもどうかと思った。18:20になってようやく前方のドアが閉じられ、僕らの乗るエアバスはゆっくりとタキシングを始めた。
タイとミャンマーの間には30分の時差がある、もちろん西にあるミャンマーの方が30分遅い。飛行機がヤンゴン郊外のヤンゴン国際空港に到着したのは現地時間の19時を過ぎていた。ものすごく暗い滑走路に着陸したエアバスはゆっくりとターミナルビルへと近づく、けどいったいどれがターミナルなんだ?前方にはオレンジ色の暗い明かりに照らされた平屋の建物があるけど、こんなの他の国ならただの空港施設だよなと思ってると、やっぱりその建物の前で停まった。周りには僕の乗っている飛行機以外はまったく見あたらなかった。
エアバスの乗降口に横付けされたタラップを降りると、目の前には見覚えのあるバスが停まっていた。クリーム色の車体にオレンジのライン、それはまさしく東京と成田空港を結んでいるエアポート・リムジンだった。ただし2世代前くらいの懐かしいデザインだけどね。さらにその後ろにももう一台、クリーム色にオレンジのちょっと違ったバスが停まっていた。僕はこれにも思わず反応してしまった。何を隠そう僕は高校時代このバスに乗って通学していたのだ。外側の名前が書いてあるところはテープで目張りしてあったけど、中の注意書きなんかは東武バスのまんまだ。扉が閉まる時の警告音なんかも僕の青春時代と同じで、もしかしたら僕は昔本当にこのバス自体に乗ったことがあるんじゃないかと思い(そんなはずは無いけどね)、すごく親しみがわいてきてちょっと思いにふけってしまった。
バスを降りるとイミグレーションがあった。何故か職員は女性ばっかり。しかも1つの通路に3人もいて、受け取る係り、かなり昔のタイプのコンピューターに打ち込む係り、確認して返す係りと何故か分業している。その割には1人にかかる時間が異常に長〜い。イミグレを通ると荷物を受け取るベルトコンベアがあったけど、僕はバックパックを機内に持ち込んでいたので素通りし、出迎えの人が並ぶロビーへと出た。しかしこの空港は本当に暗い。滑走路や駐機場も暗いけど、ターミナルの中もほんのりオレンジ色の明かりが点いてるだけだ。そのことにも驚いたけど、もっと僕の脳天を揺らしてくれたのは目の前の人々の服装だった。聞いてはいたけど、男も女もみんなロンヂーと言う巻きスカートを履いている。頭ではわかっていても、その違和感はなかなか消えなかった。
いつも貧乏旅行の僕にとって、今回は大名旅行だ。なんてったって知人に紹介してもらったミャンマーの人に迎えに来てもらっているばかりか、ホテルまで予約してもらっているのだ。名前はミンさん、ヤンゴンでフリーランスの観光ガイドをしている。税関カウンターを出ると名前が書かれた紙を持った人が大勢並んでいる。その中に僕の名前もあり、すぐにミンさんと会うことが出来た。そして彼もやっぱりロンヂー姿だ。挨拶もそこそこに表へ出てタクシーを拾う。日本語がむちゃくちゃ達者なミンさんは、空港のタクシーは高いから表で流しのタクシーを拾おうと言って、さらに暗い空港の外へと出て行く。通りは真っ暗で本当によく見えない。
そんな中向こうの方から車のヘッドライトが近づいて来てミンさんはタクシーだと言って値段の交渉に行った。街中までUS$3、安かったのでそのタクシーで行くことにする。ところが乗ろうと近づいてみると安いだけのことはあった、僕が生まれる前の車じゃないかと思わせるような年代物だ。空港の入り口でさっき見た他のタクシーも古かったけど、だいたい10年前ぐらいのものでこんなにボロいのは無かった。ただミンさんがせっかく捕まえてくれたんだからその車で行くことにして乗りこむ。乗ってみると外観だけじゃなく中もものすごいことになっていた。まずシートが固定されていない、そして内装が全部剥がれていて全く無く、更に足元を見ると地面が透けて見えていた。これは写真に収めなくてはならないと試みたが、狭いのと暗いのとで全然写らなかった。
今回はさっきも書いたけどホテルを予約してもらっていた。1泊US$40、通常はもっと高いけど、ミンさんが骨を折ってくれてこの値段になっている(それでも僕にとっては十分高いけどね)。知り合いからはいいホテルだと聞いていたけど、ボロボロのタクシーで着いたホテルは本当に想像をはるかに越えるすっげーいいホテルだった。
GRAND PLAZA PARKROYALは僕にとってはまったく場違いな雰囲気で、ウェルカム・ドリンクなんかを飲みながらソファにふんぞりかえって書類の記入をした。部屋は4階、エレベーターに乗り込む。ヤンゴンは停電がすごく多いと聞いてたけど、このホテルは関係ないだろう。部屋に入るとエアコンが程よく効いていた。僕がいつも泊まっている、部屋を出るとエアコンが切れちゃうようなホテルとはレベルが違う。このホテル、バンコクで言えばアマリ・ウォーターゲートよりも上だろう。それで約4,400円だ。ミンさんありがとう。でも、やっぱりちょっと予算オーバーなので2泊だけにしてもらった。
荷物を片付けたらもう21時を回っていた。お腹がすいたのでミンさんにビルマ料理を食べに連れて行ってもらう。ホテルからけっこう歩いてようやく着いたのはエアコンの無い食堂風の店。オーダーはミンさんに任せて、ビールだけお願いした。
全部で3品、きのこと空芯菜の炒め物(写真中央)、大エビのカレー(同右下)、ライムとたまねぎのサラダ(同左下)、それに自動的にくず野菜のスープ(写真左)とご飯が付いてきた。まずはライムとたまねぎのサラダ、うっめ〜!適度に酸っぱくてそして甘味が無く、干しエビの風味がすごく利いている。これはイケル、早くもイチ押し。続いてきのこと空芯菜の炒め物。ちょっと油が多すぎるけど、これはご飯のおかずにグー。くず野菜のスープ(むちゃくちゃ美味いわけじゃないけど、素朴な美味しさ)で口を直して、メインのエビのカレー。写真で見てもかなりの油だけど、これもなかなか美味しい。もちろんビールもライトな口当たりで合格。これからしばらくビルマ料理を食べるんだけど、ちょっと油がきついことを除けばいけそうだ。食べ終わって支払いをしようとしたらミンさんが既に払っていた。客人にはもてなすのが習慣なようなので、ミャンマー最初の晩餐は甘えてご馳走になる事にした。
翌朝はミンさんと10時に待ち合わせをして、ヤンゴンのシンボル“シェダゴン・パゴダ”へと向かった。普通ならタクシーで10分くらいの距離なんだけど、最初に両替がしたいのと、歩いて街の雰囲気を味わいたかったので歩いていくことにする。まず最初に向かったのが“ボージョーアウンサン・マーケット”。マーケットと言っても、ここはバンコクで言えばチャトゥチャク(ウィークエンド・マーケット)のように雑貨や洋服、お土産物屋が軒を連ねている。でもチャトゥチャクと違う所は屋根が高くて店と店の間隔も広いのでそんなに暑くない事と人があまりいないことかな。だからけっこう気分よく買い物が出来るのだ。
そんなマーケットに来た理由は両替をするためだ。でもどこを探しても両替の看板を揚げた所が無い。黙ってミンさんについて行くと、ミンさんはマーケットの絵画を売っているブロックの通路に座っている男におもむろに声をかけた。改めて見てみると、このブロックにはそんな男達が何人か座っていた。ミンさんはそれらの男達に声をかけてレートを訊いているようだ。しかし戻ってきたミンさんはレートが余り良くないと言って再び別の場所へと歩き出した。次にやって来たのは、見た目はただの籐かごを売る店。しかし尋ねてみるとさっきの両替商よりもいいレートで両替してくれるらしい。とりあえず僕は持っていたUS$200をミャンマーのKyat(チャット)に替えた。1US$=K865、K1,000=125円、たったUS$200なのにものすごい量になって財布どころかポケットにも入らなくなってしまった。大相撲の懸賞金といった気分だ。
両替も終わって本日のメインイベント、“シュエダゴン・パゴダ”へと向かう。“ボージョーアウンサン・マーケット”からはシェダゴン・パゴダ通りを真北に進んでいけば突き当たりがヤンゴンのシンボル“シュエダゴン・パゴダ”だ。この通りは何だか静かで特に興味をそそられる物がなっかったので、途中にあったミャンマーの郵便ポストの写真を撮った。そうしたらミンさんが慌てて駆け寄ってきて、危ないから写真は控えるようにと言われた。というのも、どうやらこの辺りはミャンマーの官庁街らしく、軍事政権であるミャンマーの官庁街なので全てが軍の施設みたいなものだそうだ。どうりでさっきから自動小銃を持った憲兵の姿をよく見かけるはずだ。途中、ミャンマーの小学校や変わった施設なんかがあったけど、とりあえず写真を撮るのは止めた。
“ボージョーアウンサン・マーケット”から軽く1時間近くは歩いただろうか、ようやく“シュエダゴン・パゴダ”の入り口が見えてきた。パゴダとは仏塔の事で、ミャンマーではまず豪華な仏塔ありきで、その近所に僧院と言う地味なお寺があるという図式が多いようた。タイも仏教国なのでもちろんバゴダ(タイ語ではチェディ)はあるけど、ミャンマーのように全ての仏塔が黄金に輝いているわけではなく(世界最大であるナコンパトムの仏塔は土色ですが、チェンマイのドイステープ寺にある仏塔は金色です)、さらにミャンマーは都会田舎を問わず、いたるところにこういった黄金の仏塔が見られるのだ。そしてここ“シェダゴン・パゴダ”は2000年以上前からマレー半島中に知れ渡る聖地の象徴であり、たぶん現在でもミャンマー国民全員の誇りなんだと思うくらいに大きく豪華だ。山門の背後にそびえ立つ主塔は大きく眩しいくらいに黄金に輝いていた。
東西南北に4ヶ所ある山門のうち南側の山門から入る。一応山頂まで行けるエレベーターも設置されているらしいが、僕は山門で靴を脱ぎ裸足で目前に真っすぐに伸びる100段はあろうかという階段を登ることにした。もしこの階段が急で屋根が無かったらそんな気は起こらなかったかもしれないけど、実際は緩やかな勾配で、しかも山頂までずっと屋根がついている。そして階段の両側はお土産物やお供え物を売る店なんかが並んでいるので、疲れも退屈もせずにすぐに頂上に着いてしまった。頂上で外国人は拝観料としてUS$5を払わなくてはならない。もちろん自国民は無料だ。僕が行った時、ちょうど何だか聞き覚えのある言葉がしたので見てみると、白いお揃いの服を着た集団がいた。訊いてみるとやっぱりタイ海軍の人たちだった。彼らももちろん拝観料は払っていた。
拝観料を払って山頂の広場に出ると、目の前にさっき外から見えた黄金のパゴダが目に入った、と言うよりも視界に入りきらないくらいにでかい!カメラのフレームに収まらない。この主塔、『地球の歩き方』によれば、高さ99.4m、基底部の周囲が433m、使われている金箔が8688枚、使われているダイヤモンド5451個(最頂部にあるものは1個76カラット!)、ルビーは1383個と、すさまじいばかりの豪華さだ。これを見てしまうと、金色の塗料で塗ったり鏡を埋め込んだりしかしていないタイのお寺がとってもチープで趣味が悪いだけに思えてしまう(以前からうすうす思ってはいたけど・・・)。
ミャンマーは今、世界の最貧国のひとつだ。軍政の失政のせいで経済制裁を受けているため経済は停滞しているし、基幹産業だった農業も技術の遅れや天候のせいで急激に競争力を失っている。恐らく一般のミャンマーの人々の生活はかなり厳しいであろう。そんな状況でもミャンマーの人々は親や自分の徳を積むためにお寺にこぞって寄進し、国内各地に無数の煌びやかなパゴダを建設している。僕は無神論者なのでその事に対してはこれといって特別な思いはないけど、そうやって宗教を損得勘定無しに純粋に信仰している姿勢がとても凛々しくて清々しいし、そのおかげでミャンマー人がとても優しく礼儀正しく、愛すべき人になっているのだと思う。この辺が何でも金(カネ)のタイ人の仏教信仰とは違う所、と言うよりタイ人が失ってしまった大事なことなのじゃないかと思う。


境内にはその他にも様々な施設がある。それらの全てはやはり時には大勢お金を出しあって、時にはお金持ちの個人が寄進した物との事だった。そんな施設の中では多くのミャンマー人がお参りをしたり僧侶の説法を聞いていたりする。ここは外国人にとっては観光地だけど、地元の人たちにとってはまさに信仰の対象である聖地なんだと改めて感じる。また、本当に多くの仏像があるのだけど、そのどれもが非常に穏やかな顔をしている。それに比較すると日本の仏像は全体的に厳しい顔をしていると思う。やはり寒い所と暖かい所では仏像の表情は変わってくるのだろうかなんて考えいた。

ヤンゴンの人々にとってここ“シュエダゴン・パゴダ”は聖地であると共に行楽地でもあるらしい。たしかに境内にある各仏殿では持参したお弁当を広げている人々をよく見る。家族や友達とやって来て、暑い昼間は仏殿でお弁当を食べながらおしゃべりをする。とってもゆったりとしたミャンマー流の時間の過ごし方なのだろう。僕はパゴダの中の仏像なんかより、この空気がいっぺんで好きになった。
そんな幸せな気持ちをぶち壊すこともある。もう憶えていないくらい何回も鳥のフンを踏んでいる。裸足で入らなくてはならない施設なのに広場には屋根がなく、しかも広場の周りには鳥が止まるに適した梁のある建物が並んでいるのである。最初の一回はウワーッって思ったけど、もう最後の方は諦めていた。鳥のフンを踏まないと何にも見られないしね。だけどウェットティッシュはこの“シュエダゴン・パゴダ”に行く時には必需品だ。見学が終わって靴下と靴を履く時に重宝します。
2時間ほど“シュエダゴン・パゴダ”を見学して表へ出ると、もう13時を過ぎていた。喉が渇いたのでパゴダの前の茶店に入る。僕は何があるのかわからないのでとりあえずコーラを頼んだ。こういう店だからコーラは冷やされてビンで出てくると思ったんだけど、出てきたのは缶だった。しかもあんまり冷えてない。しかし飲んでみると味は普通だった。それもそのはず、缶にはシンガポール製と書いてあった。そうだよな、アメリカに散々叩かれてるんだから、そんなアメリカの企業(コカコーラ社やペプシ社)がミャンマー国内にあるはず無いので、ましてやリターナブル瓶を使ったコーラなんてあるはずないよな。
そんな僕に対して地元民のミンさんは何やら怪しいビンに入った黄色い透明のジュース(写真左→)を飲んでいる。ちょっとだけ飲ませてもらうとそれは安っぽいオロナミンCだった。特に美味いわけじゃないけど、ビンである分うまく感じる。周りのミャンマー人を見ても、缶コーラを飲んでるのは僕だけで、みんなビンに入った様々な色をした怪しいジュースを飲んでいる。
一息ついたあと店を出るので会計してもらうと、缶コーラは何とK1,500(約190円)もした。やはり輸入物は高い。それに対しミンさんの飲んだ地元のジュースはK150(約19円)と涙が出るほど安かった。このことがあってそれ以降僕は、この地元のジュースばかり口にすることになった(写真一番右が、後の僕のお気に“StarCola”)。
続いて、ちょっと遅くなったけどお昼ご飯を食べることにした。と言うのも、普段僕は朝飯は食べないんだけど、ホテルの朝食が結構豪華だったので(実際は普通ですが、あくまでも僕にとってはの話です)、つい調子にのりすぎて食べ過ぎてしまったのだ。だからお昼ごはんと言っても軽いものにしたかったので、ミンさんに何か美味しい麺類をリクエストしたら、ミンさん、また歩く歩く。20分ほど歩き、町を縦断して着いたのは路地の隅っこで営業している“モヘンガ”屋だった。“モヘンガ”とは魚からとった出汁を使った麺料理で、特に朝食として好まれているらしい。スープは魚の出汁と言っても味はあっさりしたポタージュのようで、麺はたぶん小麦麺だろう。パリパリしたとうもろこしの天ぷらが砕いて入れてあり、香ばしくてなかなか美味しい。以前タイ最北部のメーサイから国境を越えたところにあるミャンマーのタチレクという町で食べたことがあったのだけど、さすがミンさんご推薦、圧倒的にここの方がウマかった。よって意外と小食の僕だけど、ついおかわりした。それくらいイケるので夢中で食べてしまい、うっかり写真を撮るのを忘れてしまった。
お腹もいっぱいになって続いてはまたミンさんにインターネット屋に行きたいとお願いした。ヤンゴンの中心部には数件あるらしいけど、場所がいいのでスーレー・パゴダ通り沿いのSAKURA TOWERの隣にある店に行った。ガラス張りの明るい店内には10台ほどのコンピュータが並んでいて、ほとんどがミャンマー人で占められている。僕も入り口のカウンターで名前を書き、日本語が表示できる機械を指定した。席に着きパソコンの画面を見るとどうやらOSはWindows98のようだ。さっそくHotmailに接続してメールのチェックをしようと思ったけど、何度試してもエラーメッセージが出てログインができない。他のYahoo!やgooなどのフリーメールでも同じだった。そこでアイスを食べてたミンさんに訊いてみると、どうやらミャンマー政府は不自由な自国民と自由な外国人との間の自由な交流を制限しているらしく、全てのメールを検閲しているそうだ。
そのため政府から許可を得た人だけが許可を得たメールサーバーを使って外国とメールのやりとりをしているとの事だった。僕はHotmailは世界中どこに行ってもネット屋があれば使えると思ってたので、ただ唖然としてしまった。それにしても今時そんな政府ってあるんだ。北朝鮮もそうだけど、彼らは自分たちの既得権を守るためには何をしてもいいと思ってるんだろうな。ミャンマーに着いてみて外で思われているほど堅苦しさが無いなと思ってたんだけど、こんな所でミャンマーが置かれてる状況を感じてしまった。
それでもメールのやり取りはできないけど海外のHPは自由に閲覧できたので、今世界で何が起きているかとか、スポーツの結果なんかもちゃんとチェックでき、しかも自分のHPの掲示板にも書き込みができた。とは言ってもこの後に行く田舎の町ではそれもままならなかったけど。
さて、時刻は15時を過ぎている、この後どうしよう・・・と言うか、明日からどうしよう?ミャンマーに来る前にとりあえず今回の旅行中に行きたいところはリストアップしておいた。@チャイティヨー(ヤンゴンから100km程北東にある黄金の巨石がある巡礼地)は必須、Aタマニャ山(ヤンゴンから130km程東のミャンマーで最も慕われている老僧の説法が聞ける山寺)、Bマンダレー(ミャンマーのほぼ中心にあるミャンマー第2の都市、タイで言えばチェンマイ)周辺、Cバガン(マンダレーの南東100km程にある遺跡の町)、Cインレー湖(ヤンゴンから約300km北にある湖、猫好きの僕はただここの寺にいる猫の曲芸が見たかっただけ)の4ヶ所だ。チャイティヨーはヤンゴンからそんなに遠くないから行くとして、チャイティーヨーと方角的に一致するタマニャ山はと言うと、目当ての老僧が昨年末に亡くなってしまった為、ミンさん曰く今は行く価値無しとの事だった。マンダレーとバガンはどっちか片方だけ行って片方は行かないと言うのはもったいない位置関係だけど、逆算してみると今回は両方とも行ってじっくり見るだけの日数が無かった。と言うことで、とりあえずインレー湖へ行き、再びヤンゴンに戻ってから必須のチャイティヨーに行くことにした。
そうとなったら明日発のインレー湖行きのバスチケットを買わなくてはならない。ヤンゴン発の長距離バスのチケットは、ヤンゴン中央駅の前にあるボージョーアウンサン・スタジアムの周りで売っている。行ってみると確かにチケット屋みたいなのが無数に並んでいるんだけど、基本的に行き先がビルマ語で書かれているのでどこでインレー湖行きのチケットが買えるのか全くわからない。しかし僕には強い見方がいる。ミンさんが各ブースを回ってきれいなバスで値段も安い会社を探してくれた。ところがインレー湖行きのバスは数社から出ているのだけど、もう明日の便はほぼ埋まってしまっている。たとえ空いてたとしても一番後ろの席だった。僕は長距離バスの最後部の席はリクライニングが効かないことを経験から知ってたし、そんな席で約17時間も座り続けるのは苦行以外のなんでもないので、迷わずヤンゴンでもう一泊延泊してあさっての便で向かうことにした。買ったチケットはこの場所から郊外のバスステーションへ行くピックアップトラック代も含めてK7,000(約875円)と嘘の様な値段だ。もしかしてすごいバスが来るんじゃないのか?と嫌な予感が頭をかすめた。
ここでお世話になったミンさんとはお別れすることにした。やっぱりガイドの人がいると何かと便利で楽なんだけど、やっぱり僕の旅のスタンスとはちと違う。僕は知らない所に行っても平気で地元の人達に話し掛け、興味を持ったものには何でもチャレンジし、たとえ失敗してもそれがいい思い出になったり、次からの教訓になったりして、そうしてると「あ〜、旅してるんだなぁ」とすごく感じるのだ。そして目の前の風景が急激に色を帯びて脳みそにインプットされる。日本にいた時もだけど、タイに住んで何も不自由がなくなってしまった今、こういう瞬間が自分に生きてる事をいちばん実感させる。でも、やっぱり先立つものが少ないので、ミンさんにヤンゴン延泊分の安めのホテルの予約だけしてもらった。
さぁ、これから僕の旅の始まりだ。ホテルに一度戻りシャワーを浴びて見も心もリフレッシュして外に出ると、もう日が暮れていた。とりあえず中国人街の方へ歩いてみる。世界の色々な国に中国人街はあるけど、それらとちがってヤンゴンの中国人街はあまり漢字の看板が目立たない。町並みとしてはお隣のインド人街とほとんど変わらなかった。ただ、歩いている人や売っている物が変わってくるだけである。とは言っても、やはり他の地域に比べると人が多く出ていて活気がある。それと赤を中心とした色彩豊かな中国寺院の存在も街の雰囲気を明るくしていた。
とにかく何か食べてみよう。真っ先に座ったのはモツ串揚げ屋台。これは昼間からいたる所にあってずっと気になっていた。別にわざわざ中華街で食べなくても街中にあるんだけど、やっぱりどうしてもすぐに食べてみたかったのだ。もし普通の日本人が見たら汚そうだしグロいので敬遠するかもしれないけど、僕にはとても美味しそうに見える。日本にいた時からモツにはめがないのだから仕方が無い。
さっきはモツ串揚げと書いたけど、実際は揚げるわけではない。あらかじめ湯通ししてある各モツを小さく切って串に刺して並べ、客は自分の食べたい部位を勝手に取っておもむろにぐつぐつと湧いている油の中につける。でもこれは油30%くらい、その他はモツ煮のスープみたいなもので、お客さんを見てると別にその中で長い時間煮込むわけではなく、どちらかというと温めるといった感じだ。約10秒ぐらいつけて程よく温まったら、次は鍋のふちにぶら下がってる容器に入っているタレに付けて食べる。このタレは唐辛子をベースにした辛目のソースなのであまりつけすぎるとモツ自体の味がわからなくなってしまう。もちろん2度付け禁止だろうけど、どれも一口サイズに小さく切ってあるのでその必要は無いだろう。
具は東京のもつ焼き屋にあるようなものがほとんどなので、もつ焼き好きならどれが何かはわかるだろう。臭みが無いしクセの無い味なのでちゃんと新しい物を使ってるのだろう。これがまたけっこうウマくて止まらない、止まらない。20本ほど食べただろうか。お勘定をしてもらうとたったK710(約89円)。小さめの具はK30(約4円)、大き目の具がK50(約6円)だそうだ。僕が子供の頃母親の買い物について行って、すずらん通り(どこだそれは?)でよく食べた肉屋の焼き鳥の「ひな皮」が1本10円だった。当時でもそれは安かったのだけど、その「ひな皮」の半額なんだからこれは安い。これでビールがあれば文句無しなんだけど、残念ながらビールは売っていない。次回からはビール持参で来た方がいいな。
さらに中国人街探索は続く。サンダルでも買おうかと上海国際商厦というビルに入る。小さいけどデパートといったところだろうか、食品以外の雑貨が並んでいる。でもどの売り場もたいしたものは売っていない。しかし履物売り場へ行くと無数の靴やぞうりが展示されている。見ていると普段着の店員が話し掛けてくるので、ここぞとばかりに本を使って話してみる。「ミンガラーバー(こんにちは)」「チィネーダーバーベー(見てるだけ)」「バラウッレー(いくら?)」「ゼーチーデー、ゼーショォペーバー(高い、負けて)」「カッスィーネーデー(ケチ)」・・・。ウケる、ウケる!他の店員たちも自分の持ち場を離れて集まってきて、本を取り上げてああだこうだと言っている。やっぱりこうだよな、旅っておもしろい!結局市役所の職員が履いているような黒いおじさんサンダルをK5,500(約687円)も出して買った。タイの倍はするよ、でも楽しかったからいいや。最後はなぜか「カッスィーネーデー(ケチ)」とみんなで言い合って店を出た。
そろそろ歩き疲れたのでホテルに戻ろうと思うけど、ちょっと小腹が空いた。ちょうど目の前の路地にすごく賑わっているラーメン屋台があったので席を見つけて座った。ここはさすが中国人街だけあって、ラーメンも雲呑の入った中華そばだ。けっこう大きめなプラスティックのどんぶりに入って一杯K450(約56円)、あっさりめでお腹にやさしかった。
食べ終わってホテルへ向かうんだけど、その間に何度も停電に遭う。大通りはわずかながらも街灯が点いてたりするんだけど、それが消えると月明かりだけの世界になる。でも大通りは月明かりが入るのでまだ良くて、路地に入ると元々街灯が無くて暗いところに停電があって、周りの建物からこぼれてくるわずかな明かりも無くなってしまう。しかも月明かりも入らないので、しばし立ち尽くして目が暗闇に慣れるのを待たなくてはならない。ところが地元の人たちは慣れているのか、暗闇でも目が見えるのかスイスイと歩いている。僕も真似して歩いてみたけど、ボコボコの歩道に足を取られたりして危険この上ない。それでも停電になると辺りで一斉にロウソクが点るし、停電自体も5分ほどしか続かないから何とか自力でホテルにたどり着いた。
翌朝は最後のGRAND PLAZA PARKROYALホテルなので、遅く起きてゆっくり食事をした。そして12時にチェックアウト。そのまま歩いてヤンゴン中央駅に近いPANORAMA
HOTELへと向かう。フロントに行くとちゃんとミンさんから連絡が行っているらしくUS$25の部屋にUS$17でチェックインできた。今度のホテルは僕がタイでいつも泊まっているような安ホテルだ。それでもあの豪華なホテルから移ったのでその落差にしばらく憂鬱になる。
とりあえずインターネットをしに昨日の店に行く。なんだか鳥インフルエンザがどうしたというのがトップニュースだったけど、特に気にならない。ひと通りインターネットに目を通して店を出た。今日はインド人街を歩く。するとある歩道の一角でイスに座っている一段に出くわす。近寄ってみるとお客さんの足の爪を切っていた。切っているのはみんな屈強な男たちで、使っている道具は錆さびだ。空いている男がしきりに僕に席に着くよう勧めるけど、あんな不衛生なハサミで切られるのもちょっとなぁ。とりあえず本を取り出して話してみると、みんな刑務所から出てきた元服役囚で、他に仕事が無いのでここに座って客の足の爪を切っているそうだ。料金は聞いたけど切る気が無いので忘れた。
さらに歩くと向かい合って“MisterJ'sDONUTS”と“MacBURGER”を発見。それぞれミスター・ドーナツとマクドナルドのパクリだろう。“MacBURGER”の方は覗くと昔の学食のように暗くて客もまばら、ハンバーガー自体も肉がなんだかちょっとクセがあった。
“MisterJ'sDonuts”は明るい内装で流行っているらしく客も頻繁に出入りしていた。しかも後日談なんだけど、地方に行くバスで同じ便に乗っていたミャンマー人の多くがこの“MisterJ'sDonuts”の袋を大切そうに抱えていた。おそらく田舎で待つ家族や友達にこのドーナツは都会の香りを運ぶのだろう。ちなみにヤンゴンのパクリファーストフード・シリーズはこれだけじゃなくて、KFCのような赤地に白の看板で“TOKYO
FRIED CHICKEN”というのもあった。こちらは入って食べてみたけど、雰囲気はやっぱり安食堂、味は路上で売っている鶏のから揚げをただ室内で売っているだけだった。

田舎もそうだったけどヤンゴンでも路上で一番目にするのはコオンを売る屋台だろう。コオンとはキンマの葉に肉桂とタバコの葉、石灰、キンマの実などを巻いて噛むいわゆる嗜好品である。この習慣は台湾でもあって、噛んで赤くなったツバをそこらじゅうに吐くので、この時は乾季で雨が降らないからいたるところにその跡が残ってしまっていた。噛むと口の中がスッとするらしいが(仁丹みたいなものか?)、勧められてもなんとなくお腹が心配だったのでチャレンジはしなかった。
続いて、ヤンゴンの路上だけでよく見かけた(マンダレー等ならあるかもしれませんが行っていないのでわかりません)のが左の写真の“冷たい水スタンド”。注文すると下のバケツにたまっている水をコップですくい上げ、それをバケツの上にある大きな氷の塊りにかけ、下で別のコップで受け取る。
これを3回ほど繰り返してお客さんに飲ませるのだけど、まずバケツに入っている水が清潔なのかどうかが不明なのと、使い終わったコップは洗っているのかがわからないので試す勇気はもちろん無かった。その他にも右の写真のように、思いやるのある店の店主が店前に設置した飲料水の入った壷が街角にあって、誰でも中の水を飲むことができるんだけど、同じ理由でこれも飲んでいません、お許しを。
それにしても世界にはいろんな商売があるもんだね。
その夜、ヤンゴンの街に繰り出した。あいかわらず停電ばかりで歩くのもはばかられる時もあるけど、カンボジアの夜のように身の危険は全然感じない。時々真っ暗な道を歩いていて暗闇にうごめく集団があってドキッとするけど、それは路上カフェで、普段着のヤンゴン市民がプラスティックのイスに座っておしゃべりしているだけだった。そうとは言っても、もちろんヤンゴンにもスリや引ったくりなんかもいると思う。僕も最低限の警戒は解かなかった。
翌朝はあまり寝すぎるとバスの中で寝れなくなるので、早めに起きてホテルの食堂へと向かった。昨日までとはうってかわってホテルの朝食はものすごく貧相だ。一応バイキング形式だけどおかずはまずいしパンはパサパサ。でも一応食パンを何枚か焼いてバターとジャムを塗り部屋に持ち帰った。何かと言うと、これから始まるバスの旅に備えてのものだ。今までミャンマーのバスの旅は経験が無かったので、途中にどんなものがあるのか見当がつかなかった。それでとりあえず当面の栄養の確保をしたのだ。まだ暖かいジャムトーストをザックの一番上に詰めて集合場所へと向かった。
(そのAへ)