【昔のまんま・ミャンマー】2004年1月A
 言われたとおり10時半に集合場所のチケット売り場に着くと、バスターミナルへ送ってくれる車が出るのは11時なのでちょっと待つように言われる。仕方なく奥に入り丸イスに腰掛けた。室内には何人かの人が同じく車を待っている。すると係りの人が一人の男性を紹介してくれた。彼は日本人でタカシ君と言い、僕と同じバスでインレー湖へと向かうとのことだった。この二人以外は欧米人とミャンマー人だそうなので、とりあえず挨拶をして何か困ったことがあったら協力していくことにした。

 11時を過ぎても迎えの車はやってこなかった。まぁ、ここは南の国、やはりミャンマーにもミャンマー時間と言うものあるのだろう。あせってもしょうがない、これから17時間にもわたるバスの旅が始まるのだ。イスに座ってこれから始まる試練、いや至極の時間の妄想に浸っていると、カウンターに座っていた女の子が突然何かを研ぎだした。僕はあらかじめ知識があったので、瞬時にそれが“タナカ”であることを察した。“タナカ”とはタナカと言う白樺に似た木の乾木をチャウピンと言う丸い砥石で研いだもので、ミャンマーの女性はこれを顔に塗り日焼けから肌を守るのだ。さらにモンユワと言う町の近辺でとれる“タナカ”には美白効果があり、さらにパフュームのような高貴な香りもするらしい。欧米文化の流入が少ないミャンマーでは“タナカ”は言ってみれば超天然の化粧品と言ったところだろう。これと似た習慣がお隣タイにもある。タイ人は風呂上りの濡れた肌に必ずハッカの成分が入ったベビーパウダーを塗る。だから特に田舎に行くと顔から身体から全て真っ白になっている人をよくみかける。これはハッカの成分による清涼効果とともに、日焼けを防ぐ効果も狙っていると聞いたことがある。
 今日まで3日ほど過ごしたヤンゴンの街中でも、ほぼ100%の女性が頬やおでこに“タナカ”を施していた。そのどれもが適当に塗っているのではなく、何らかのファッション性を感じさせた。ただ単に塗りたぐっているのは子供やお年寄りだけで、特に年頃の女性は美しくデザインされていることが多かった。なのでどうやって塗るのだろうと見ていると、みんな使い古したような歯ブラシを使っている。慣れた手つきで左右均等に塗っていた。しばし見とれていると迎えの車が来た。

 ピックアップトラックの荷台にぎゅうぎゅうに押し込まれた僕らは、ヤンゴン郊外のバスターミナルへと向かう。身動きが取れないので外の景色は全く見えない。30分ほどそのまま走り、もう限界と思ったところで舗装もされてない砂ぼこりだらけのバスターミナルに到着し、僕らが乗るのであろうバスの前で降ろされた。

 思ってたよりもまともなバスでホッとした。きちんと窓ガラスも入っているし、中に入るとほど良くエアコンも効いている。このバスで900円なら満足だ。車体自体はやはり日本で使っていた観光バスの中古だろう。座席の間隔や補助席が付いているところからみると、近距離の遠足なんかに使っていたタイプだと思う。その証拠に車内にトイレは付いていなかった。
 席についてもなかなかバスは出発しなかった。その間にも飲み水やお菓子などを売る売り子がひっきりなしに入ってくる。僕は幸いにも通路側の座席だったので、早く出発して通路に足を放り出したかった。

 12時半になってようやく乗降口の扉が閉められ、ゆっくりとバスは走り出した。しばらくは街中を走っていたのだけど、1時間もすると畑の中の一本道になった。一応舗装はされているので、日本製の中古バスは颯爽と走っている。道の両側は背の高い木がずっと続いていて、まるでヨーロッパの田舎の街道のようだ。時折り小さな集落を通過するけど、もうヤンゴンのようなコンクリート製の家はほとんど無いく、バイクよりも自転車の人が多い。そんな風景を見ながらタイの音楽を聞いていたら、いつのまにか眠ってしまった。

 不意にバスが止まって目が覚めた。時計は14時半を指している。ここで最初の休憩のようだ。街道沿いの木造の食堂で、裏には同じく木造のトイレがある。どれくらいここに止まっているのかわからないので、とりあえずトイレへと急いだ。
 トイレから食堂へ戻ると、運転手をはじめとするミャンマー人の人たちは食事をしていた。カウンターの中に並んでいる数種類のミャンマー風のカレーから選んで食べるようだ。僕は寝起きであまりカレーという気分じゃないので、バスに戻って持参したジャムトーストを食べた。

 僕はただ座ってボケっとしてるだけなのに、バスはゆっくりだけど確実に目的地へと向かって進んでいた。さっき止まった休憩地から僕は本を読み始めた。もう何度読み返したかわからない日本の単行本だけど、こうしてただ何もせず過ごさなくてはいけない時間が多い東南アジアの旅では、まだギリギリその価値を保っている。そうやってたいして興味も無く時間潰しのために斜め読みしている単行本の黄色がかったページがオレンジ色に染まってきた。窓の外を見ると、遠くまで続く畑のそのまたはるか彼方にその日の太陽が沈もうとしている。乾季だから雲がほとんど無いので、空は未だにまっ青のままだ。そんな夕日は眺めていてもなかなかその姿を隠そうとはしない。僕は再び活字を拾いはじめた。

 もういいかげん本を読むのは無理だった。時計を見るともう午後6時、外はもう黒と藍色の世界になっている。時折り通り過ぎる小さな町では所々に真っ白い蛍光灯が光り、昼間は閑散としていた風景にたくさんの人が溢れるようになった。やはりここは南国、日が暮れてからがその日のメインイベントだ。とは言っても、蛍光灯の数がタイなどに比べれば圧倒的に少ないので、なんだかワクワクするような夜の始まりというわけではないけど。しかも町によっては停電しているのか、無数に並ぶロウソクの灯りしかない所もあった。

 ひとつわからない事があった。バスはだいたい周りに何も無い一本道を走って、時々地図に名前が載っていないような小さな町に入る。その際必ず検問所のようなゲートをくぐる。もちろん出る時もまたゲートをくぐって出て行く。何を取り締まっているのだろう。ミャンマーの国民は自由な移動が禁止されているのだろうか。国境に近い場所ならともかく、他の国ではあまりこういったことが無いのですごく気になった。

 夜9時に今日4回目の休憩があった。夕方の2回はバスにトイレが無いので、トイレに行きたくなった人が運転手に言って次の町で止まったのに便乗してのトイレ休憩だけだったけど、今回はちゃんとした食堂の前に止まった食事休憩だ。とりあえずトイレに行ってから食堂へ行くと、カレーを食べている人、ラーメンを食べている人とそれぞれだったけど、僕は表に蒸し器があるのを見つけて、蓋を開けてみると中身は豚まんだったのでそれを夕食にした。
 休憩が終わって少し走ると山道に入り、車窓から明かりが失われた。見えるのはヘッドライトに照らされた九十九折りの道だけだ。新月に近いので本当に暗くて、特に森の中の道というわけじゃないのに何にも見えない。そんなだから車内の客はみんな眠りだしたのか、急に静かになった。

 しばらくウトウトしていたけど、停車して乗降口が開かれたので目が覚めた。辺りは相変わらず何も見えない漆黒の世界だ。どうやら再びトイレ休憩のようなので、周りがどうなってるのかも見たかったのでバスを降りた。
 寒い!!乾季なのでヤンゴンでもちょっと涼しかったのだけど、ここはもう寒い。車内が冷房が効いていたので一応長袖のシャツを着ていたのだけど、冷気が生地を通り抜けて遠慮なく肌を刺す。そして外に出てみても、やっぱり周りには何も無かった。そんな場所でトイレ休憩って・・・、男ならあまり関係無いけど女性はどうするんだ!?って思ってたら、ヘッドライトの明かりから少し外れた所でじゃがんでいる人を発見。反射的に目をそらすと今度は真っ白なお尻が視界に入る。慌ててバスに戻った!

 夜中の2時にEUNGBAという町で最後の休憩があった。止まったのはちょっと小さめのドライブイン風の食堂だ。前の路上には何台かバスが停まっていたので、たぶん定番の休憩地なのだろう。そして中に入るとほとんどの人がある料理を食べていた。たぶんここの名物料理なのだろう。僕も隣の人が食べているものを指差して注文した。その料理とは、日本風に言えば「油そば」だろうか。麺はインスタント風の小麦粉からできた乾麺、それに植物油としょう油風味のタレ、薬味がかかっていて、更にあっさりスープが別に添えられている。これはウマかった〜。しばらくお腹にたまるものを食べてなかったのでお腹が満足した事もあるけど、アツアツのスープが冷え切った身体を温めてくれる。こんなの日本で食べたら500円は絶対にするけど、何とたったのK300(約37円)なんだからたまんないよね。あいかわらず夢中で食べちゃったので写真は撮ってません、あしからず。

 今回の目的地はインレー湖である。でも今僕が持っているこのバスのチケットはインレー湖の更に先、タウンジーまでのものだった。現在の時間は朝の4時、バスはインレー湖へ向かう分かれ道の三叉路で停まっていた。インレー湖へ向かう人はここで降りてから乗合トラックに乗りかえてインレー湖畔の町ニャウンシュエへ向かうんだけど、もし今行ってもこんな時間に宿探しなんてしたくないから、日本人のタカシ君と相談してとりあえずタウンジーまで行ってみることにした。
 さっきの三叉路からタウンジーの町までは地図を見るとそんなに近いわけじゃなかったので、急に人口密度の低くなって静まり返った車内でもうひと眠りする事にした。と思ったらほんの10分もしないうちに寂しげな集落でバスは止まった。僕とタカシ君はシャン州の州都タウンジーに行くつもりだったので、どうせここで降りる客がいるのだろうと思ってやりすごしていた。ところが屈強な男が「ここで終わりだから、ここで降りろ」としきりにせかす。まさか自分達のことを言われているとは思わなかったのだけど、最終的には渋々荷物をまとめた。

 降りてみるとそこは電気も無い小屋が並んでいるだけだった。今降りたバスのヘッドライトが無かったら恐らく何も見えるものが無いだろう。そして寝ていたので体温が下がっている事もあるのだろうけど、とにかくものすごい寒さで歯がカチカチと鳴った。僕達は持っているチケットを見せて、なぜタウンジーまで行かないのか抗議したけど、屈強な男はここがタウンジーのバスターミナルだと譲らない。確かにアジアの都市はどこもかなり郊外にバスターミナルを持っていることが多い。しかし、いくらそうだとは言っても今僕達がいるここがバスターミナルだとは到底信じられない。それくらい貧しい建物しか無いのだ。タウンジーへ行く客がかなり少なかったので、勝手にここで終点としたのじゃないだろうか。
 いくら言いあってもどうしようもなさそうだったし、寒さがもう限界だった。こんな所にいてもどうしようも無いので、とりあえず目の前にある乗合トラックでタウンジーへ向かう事にする。ところがそのドライバーが一人K1,500(約187円)だと言う。こういう時は同乗の現地人に確認するのが相場を知る一番の近道なんだけど、車内のミャンマー人はみんなヤンゴンから来た人たちばかりで、彼らもK1,500の提示を受けていた。だけどタカシ君がいくらなんでも高いと抗議したら、一人K1,000(約125円)に下がった。それでも翌日タウンジーからタウンジーからインレー湖まで戻る乗合トラックから比べると、べらぼうに高い料金を払っていたのだけど。
 乗合トラックは1tトラックの荷台に板を渡してイスを作り、そして簡易の屋根を付けただけだ。だから隙間風どころかもろに風が身体に当たって体温を奪っていく。そんな僕を見かねて同乗していた人たちが、僕を風が当たりにくい一番前側の席に移してくれた。それでも、いくらかマシになったとはいえ身体はもう既に限界を超えていた。

 実際はそれほどでもなかったのかもしれないけど、ものすごく長い時間耐え続けた気がした。乗合トラックはようやく人が住んでいそうな所を走るようになり、目的地が近い事を予感させた。そしてまだ真っ暗で人影もまばらなタウンジーに到着した。乗合トラックが到着したのはどうやら市場の前のようだけど、まだ時間が早すぎてひっそりとしていた。とにかく僕が暖を取りたいのとタカシ君がタウンジーに一泊するからホテルを探すと言うので、目の前のホテルへ駆け込んだ。見た感じはそこそこ大き目のホテルだったので中は密閉されていて暖かいのだろうと思ってたら、予想に反して吹きっさらしで真っ暗だった。カウンターに誰もいないので呼ぶと、裏から軍隊が着るような防寒服を着た青年が出てきて、僕を見るなりなんでそんな薄着なんだと言うような仕草をした。そして僕が寒くて震えているのを見ると、魔法瓶から熱いお茶を淹れて出してくれた。このお茶は今考えてみるとただの薄い中国茶だったけど、この時はこれほど嬉しい物はなかった。熱さをこらえて一気に飲み干し、更にもう一杯もらってグラスを抱きしめた。「生き返る〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」、とりあえずホッとした僕を青年がこっちに来いと呼ぶ。着いて行くと裏庭に出た。そしてそこには釜戸があり、炭が赤々とはぜていた。ホテルの中は外と全く同じ体感温度だったので、例え外にあったとしてもこうして釜戸で暖をとるのが一番暖かかった。長距離バスの係員や乗合トラックのドライバーなんかに嫌な目に合わされていただけに、これらの心遣いは身体とともに気持ちも温めてくれた。

 そうして1時間程たった頃、ようやくほんのりと明るくなってきた。それにあわせるかの様にホテルの外で色々な音がしだす。人が歩く音、お寺の鐘、車の音・・・。さっきまでの限界を超えた寒さもひと段落したので、僕らは丁寧にお礼をして表に出た。明るくなったとは言え、まだ懐中電灯無しで歩くのは厳しいくらいだ。それでもさっきまでは本当にひっそりとしていた通りに、こんなに早くどこへ行くのだろう人が歩いている。いちばん人が集まっている所に行ってみると、そこは生鮮市場で、既にごった返すほどの人で埋まっていた。そして遠くから朝もやの中を托鉢に向かう僧侶の列が足早に向かってくる。売っている物はというと、やはり山間の町だけに野菜が中心だった。そしてよく見てみると商っていたり買い物をしているのはほとんどが女性で、男たちはというとミャンマー風の喫茶店でお茶を飲んでいるようだった。僕らもひときわ賑わっている店を見つけ席についた。

 東南アジアのお茶といえば、基本的に練乳たっぷりの甘〜い紅茶であることが多い。そしてここミャンマーでは、食堂でテーブルの上に置いてある無料のお茶は味も風味も少ない薄い中国茶だけど、茶店で飲むのはその練乳の入った濃い紅茶だった。まずガラスの小さめのグラスにたっぷりの練乳を入れ、その上から紅茶を注ぎ、分離した練乳を自分の好みでかき混ぜ溶かして飲むのが普通だった。ところが僕らは厨房に近い席についていたのでこの店の紅茶の作り方がよく見えていた。ここでは紅茶を淹れるのにお湯ではなくホットミルクを使っていた。その為か非常にまろやかでふんわりとした味がした。そしてヤンゴンの店では決まって揚げパンやサモサ(インド風揚げ餃子?)なんかが出てきたけど、ここタウンジーはも中国に近いせいか豚まんも出てきた。これらの食べ物はお茶を頼むと自動的に出されるんだけど、食べた分だけ支払えばよく、食べなかったものは再び陳列棚に戻される。タカシ君が豚まんを食べたので、僕は揚げパンを食べる事にした。それにしてもこの揚げパン、ヤンゴンなら細長いものだったけど、なぜかまん丸だ。特に期待しないで口に入れてみると何ともいえない懐かしい味がした。いったい何の味だったか?
 生地は甘食のように締まっていて、中には豚ひき肉の餡が入っている。そして生地も餡もほんのり塩味が効いていて、コンデンスミルクをほとんど溶かさない紅茶との相性は抜群だ。朝からちょっと油がしつこかったけど、お腹が空いていたので1つまるまる平らげてわかった。そうだ、ピロシキだ!食感は少し異なるけど、風味はロシアのピロシキにそっくりだ。僕らは勝手にピロシキと呼ぶ事にした。このピロシキは後にも先にもこの店でしか見かけなかった。ミルクティがK100(約12円)、ピロシキにいたっては1個K60(約7円)とまるでタダのような朝食だった。

 ここからタカシ君が泊まるホテルを探すが、部屋のわりに意外と高くていい所がなかった。それと、ミャンマーでは外国人が泊まっていいホテルというのは決まっている。だから訪ねた中には外国人を泊めてくれないホテルも多かったのだけど。

 もういいかげんタカシ君も部屋探しを諦めたようで、僕と一緒にインレー湖へ戻る事にした。その前に、せっかく大きな町に来たのだから市場をのぞくことにした。僕もこの服装じゃこの先が思いやられるので、何か羽織るものが欲しかったし。
 市場は朝9時ごろからようやく開いた。入ってみると予想したよりかなり大きい。商品は中国に近いので中国製が多かったが、繊維関係はミャンマー製もあった。僕はジャンパーでも買おうかと思ったけど、考えてみればこんなところで買ったジャンパーなんて今寒さをしのぐだけで、その先ではあまり役にたたなそうだ。そこで僕は大きめのブランケットを買うことにする。そういった布関係が売っている店は固まっていた。どこも同じような商品が並んでいて、しかも編みがしっかりしている物は中国製で値段も高めなことが多い。それに対してミャンマー製のものは安いけどいかにも手編みといった感じで所々ほつれがあったり、デザインもイマイチだった。でもやっぱりミャンマーに来てるんだからどうせならミャンマー製のものを買いたい。それで何件も回ったけど納得いくものが無い。仕方なく中国製のものを買おうかと思い始めた矢先、ある店の奥の方でようやく気に入ったものが見つかった。生地は厚手でもちろん手編み、値段もK3,000(約370円)とお手頃だったので、K2,500(約310円)に負けてもらって購入した。これはこの先の旅も、それから違う国に行く時も本当に役に立った。僕はどこかへ旅行に行く時は、これから先もずっとこのブランケットを持っていくだろう。

 話しは変わるけど、僕は結婚していない。だけど昔からすごく子供好きだ。そんな僕にはたった一人だけ姪っ子がいる。姉の娘で、恵香といい、もうすぐ3歳になる。もちろん、おじさんである僕は1度しか会ったこと無いのだけど、かわいくてしょうがない。だから、どこか旅行に行くと自然とお土産を探してしまうのだ。今回も恵香に安くて(貧乏なおじさんでスマン!)いいお土産はないかと探した。ここはミャンマーのシャン州、シャン州といえばやはりシャンバックだろう。街を歩いていても小中学生は100%このバッグを肩から掛けて学校へ行くし(すごくかわいい)、大人もかなりの割合でシャンバッグを持っている。このシャンバッグ、最近はタイでもよく模造品が売られていて、特に旅行者なんかが持っているのをよく見かけるけど、名前の通りこのシャン州に住むシャン族の伝統的なバッグなのだ。そんななので見た感じ、小中学生はお母さんの手作りを使っているのじゃないかと思う。僕は恵香とその母(愚姉)、そして世話になっている叔母の為に、日本でも使える大人用と、子供サイズの物を探した。市場の中にはシャンバッグを売る店がいくつもあるんだけど、オリジナリティのあるデザインのある店は限られている。そういった店を回って品物を見て、当然値切っていくつか購入した。ちなみに、大人用はK300(約370円)、子供用はK200(約250円)と、タイで買う半額ほどだった。もちろんデザインも断然上である。

 時計を見るともう11時近くになっていた。そろそろインレー湖観光の拠点となるニャウンシュエへ向かう事にする。市場の周りにはシャン州の州都らしく各地へ向かう乗合トラックが並んでいて、そのおかげでどのトラックに乗ればいいのか見当もつかなかった。そこで忙しそうに車に荷物を積み込んでいる青年に尋ねてみると、彼はこっちだと言って歩き出した。僕らも素直に従うことにする。彼は市場の周りをグルッと回り、さらに細い道をどんどん歩いていく。いったいどこまで行くのだろうか?僕らはたぶん近くにニャウンシュエ行きの車があるのだと思って気軽に尋ねただけなんだけど、もう300m以上は歩いているけど一向に着きそうな感じがしない。もしかしてどこか暗がりに連れて行かれて、ドスンッ!なんてことは、さすがに昼間だから無いだろうけど。

 粗末で、車が悲鳴をあげそうなくらいの人と荷物でいっぱいの乗合トラックが見えたのは、歩き出してから軽く5分以上は過ぎていた。こんなに遠くまで案内してくれたんだから、案内してくれた彼は当然チップを要求してくるだろうし、僕らもあげようと思ってた。ところが、彼は僕らがお礼を言う暇も無いくらい、気がついたらだいぶ遠くを歩く人になっていた。僕らは呆気に取られていた。古いけど、「感動した!」。さっきは疑ったりしてごめん。チップはともかく、せめて人としてきちんとお礼がしたかった。
 停まっている乗合トラックは既に満席だったので、僕らは次の便で行こうと思った。ところがもう席についていた人たちが表に出て、旅人の僕らに席を空けてくれた。表に出た彼らはステップに足を引っ掛けて立って乗っていこうというのである。再び、「感動した!」。朝のホテルの青年といい、何て親切で思いやりのある人たちなんだ、うぉ〜!僕が求めていたのはこういった事なんだよ。これがタイ人では100%ありえない、断言する。お言葉に甘えて風の当たりにくい一番奥の特等席に座らせてもらった。そして、記念にとその辺のおっさんに乗っている乗合トラックの写真を撮ってもらったら、斜めってるし、何が撮りたいんだかわからない写真だった。しかたないよな、たぶん自分で写真を撮ったなんて初めてなんじゃないのかな。それにしても、これももしタイでこうやってカメラを渡したら、かなりの確率で撮るフリして走って逃げるよな。僕は既に彼らを疑う事はしなかった。

 そんなこんなで出発準備が終了すると、係りのおじさんが料金を集めに来た。昨日バスターミナルからここまでK1,000だったから、その倍以上はあるニャウンシュエへ行くんだからK1,500ぐらいかと思ってたら、なんとたったのK200(約25円)だった。やっぱり昨夜はそうとうに足元を見られてたのだ。騙されたような嫌な気分と得した気分とが同居したまま出発した。さっき買ったブランケットを羽織ってる事もあるけど、風の当たらない一番前の席に座らせてもらったので、快適快適。天気もよくて春のポカポカ陽気のようだ。そんな中、昨夜寝不足だった事もありいつの間にか眠ってしまった。

 30分ほど走って、昨夜バスがインレー湖行きの客を降ろした三叉路に到着した。そこからはひたすら真っすぐの一本道を突き進む。両側は荒地や湿地で何も無いけど、時折り小さなパゴダ(仏塔)があり、その前には必ず女性が箱を持って立っていた。僕らの乗った乗合トラックはその度に止まって何かをしていた。よく見てみるとお金を渡しているようだった。毎回小額だったけど、たぶんこれは通行料を取ってるのじゃなく、パゴダを修復したり大きくしたりするための寄付なんだと思う。時には助手席に座るお客さんがしている事もあった。そんなバシバシ寄付して、一人あたりK200しか取ってないんだから、そんな喜捨するような余裕はないだろうに。

 三叉路から30分以上走って、ようやくニャウンシュエの街が見えてきた。何だか平べったい寂しげな街だ。おそらく市場であろう建物の向かい側で車は止まった。ここから歩いて宿を探すことにする。たぶんインレー湖へ観光に行くだろうから、船着場に近い宿の方が便利かなと思い、うるさいサイッカー(輪タク)の客引きを無視して歩き出した。途中にある宿はとりあえず全て部屋を見た。そうこうしている内にタカシ君とは別れてしまい、結局船着場のまん前のジプシーINNという安宿に泊まることにした。朝食付き2泊でUS$9、涼しいのでエアコンが無い事は何の問題も無いけど、日が暮れてからしかお湯が出ないので、埃まみれの身体を洗うのに苦心した。

 さっぱりしたのでお昼ご飯を食べに行こうと宿を出ると、宿のお兄ちゃんが明日インレー湖観光に行くのか?と訊いてきた。今回の目的はインレー湖畔にあるお寺でおこなわれる猫の曲芸を見る事なので、US$20と言われてちょっと高いと思ったけどお金を払った(払ってしまった)。

 市場までは普通に歩くと10分くらいかかる。なので何か乗り物で行こうかと思ったけど、やっぱり歩かないとその街の雰囲気というものがつかめないと言うのが持論なので、とりあえず歩いてみた。まず目に付くのが馬車。おいおい、今は何時代だ!と、つい口走ってしまうくらい旧態な乗り物だ。乗ってないので料金はわからないけど、パカパカと小気味よく僕の脇をすり抜けていく。そんな光景を見ていて、ふと思った。こんだけ馬車が走ってるのに、何で道に糞が落っこちてないのだ?そこで、道端で客待ちをしている馬車を観察してみると、きちんと東部アジア人らしい心遣いがしてあった。右の写真のように馬の後部には麻袋が渡してあるのだ。もしお馬さんが糞をしてしまっても、この麻袋がしっかりキャッチ、という画期的な装置でした。

 今回の旅で、どうしても食べてみたいものがあった。前述の『ミャンマー・東西南北・辺境の旅』のコラムにある“ラペトゥッ”だ。これは茶葉の漬物“ラペソー”とショウガ・ピーナツ・ゴマ・揚げニンニク干しエビ等をレモンやピーナツ油などで味付けし和えたもので、一口に言えばお茶のサラダと言った感じだろうか。この料理はヤンゴンでも探してみたけど、普通にメニューに入れて売っている所は無く、日常的に家庭で作るもののようで食べられなかったのだ。だけどこんな田舎の食堂ならリクエストすれば作ってくれるのじゃないかと睨んだ僕は、市場の回りの人たちに訊いて回った。ところがここでもなかなかいい返事に出会う事ができなくて、あっちこっちウロウロした。そしてあるミャンマー料理の食堂なら作ってくれるだろうと聞いて、さっそく入ってお願いしてみるとようやくOKだった。

 その食堂はやはりミャンマー風のカレーが鍋に入って並んでいた。しかしその他にもちゃんとメニューがあって注文も可能だ。そこで僕はマトン・カレーと“ラペトゥッ”を注文した。まずは温めるだけのカレーが出てきた。まぁ、どこにでもある味だ。そして“ラペトゥッ”、何でこんなに大盛りなんだ。しかも油がすごくてしつこい事この上ない。中に入っている様々な穀類もしけってしまっていて、香ばしさが足りない。もしかしたらこの店のが美味しくないだけかもしれないけど、期待が大きかっただけに落胆も大きかった。もったいないけど、半分以上残した。

 とりあえずお腹はいっぱいになったけど口の中がベタつくので、来る途中にあった茶店でお茶することにする。そこでいつも通りミルクティを飲んでいると、偶然さっきはぐれたタカシ君が同じ店にやって来た。そこで今晩一緒にご飯を食べに行く事を約束し、さらに僕がインレー湖観光にUS$20も払っていると話したら、彼の宿では一人あたりたったK1,600(約200円)だということだった。10倍!!僕は慌てて宿に戻りさっきのお兄ちゃんに抗議すると、半額に負けようとしたので、キャンセルするから全額返せと言った。それでもああだこうだ下手な英語で言い訳するので、仕方なくオーナーの所へ入って事情を説明すると、オーナーはいかにも宿の主人らしく物分りのいい人で、お兄ちゃんにちゃんと全額返すように言ってくれた。まぁ、今回は僕が大して考えもせずに払っちゃったのが悪いんだけど、これは朝の出来事でミャンマー人を疑うと言う事を放棄してしまっていたからで、やはり親切なミャンマー人でも外国人相手に商売をしている旅行関係の人間はこんな事もあるのだ。だいたい、どんなに柄の悪い国に行っても基本的に地元の人たちというのは親切な事が多い。悪いのは観光客相手にぼろうとしている奴らだ。こんな基本的なことを忘れてた自分が恥ずかしい。

 その夜、約束どおりタカシ君と彼と同じ宿の日本人とFourSistersRestaurantに行く。ここは宿もかねてるんだけど、山小屋のような雰囲気のいい1階の食堂では地元インダー料理(インレー湖周辺に住んでいる民族がインダー族)を食べることができる。基本的に毎日違った5種類の料理が出てきておかわり自由、料金はお客さんが決めると言うシステムになっていた。内容はカレーに和え物、サラダ、炒め物といった感じで、この日食べた中では卵とトマトのカレーが(写真右下)抜群にうまかった。その他の料理も野菜を中心としたあっさりとした味付けで、油っぽいミャンマー料理にちょっと飽きてきていた頃だったので、ご飯を何回もお替りした。食べ終わっていくら払おうかみんなで相談したら、みんなかなり満足しているようだったので一人K1,500(約187円)置いて出てきた。帰り際この店の主人だろうか、優しそうな初老の女性が「明日は魚料理なので、またいらっしゃい」と言って見送ってくれたのが印象に残った。オススメの一軒だ。

 9時過ぎに食事が終わったんだけど、店を出て真っ暗な街を見てみんな素直に宿に戻った。そんななので翌朝は6時前には目が覚めてしまう。今日のインレー湖観光はタカシ君なんかの船にK1,600で同乗させてもらうことになっていたけど、出発が8時だったのでかなり時間を持て余すことになった。仕方なく朝もやの涼しい町を歩いてみる。宿の前の運河沿いの道では夜明けとともに托鉢が始まっていた。少年僧を先頭に一列になって回る。もちろんみんな裸足だ。タイももちろん小乗仏教なので托鉢があるが、ミャンマーとはだいぶ趣きが違う。タイのそれは一列になって歩くのではなく、各自バラバラになって回る。こういった言い方はまずいかもしれないけど、僕の眼には競争をしているようにも映る。そしてある程度格の高い僧侶になるとお付きの人と一緒に回っていて、托鉢してもらった物を受け取ったそばから大相撲の表彰式のようにお付きの人に渡す。だからお付きの人はみなそれらの物を入れるためのずた袋を持っているのである。また托鉢されるものもミャンマーは炊き立てのご飯が多く、少量ずつしゃもじですくってそれぞれの鉢に入れていくけど、タイではご飯やおかずはあらかじめビニール袋に入れて用意してあり、またその他にもジュースやお菓子なんかも入れる。この辺は文化的な関係もあるのだろうけど、たぶんタイも昔はミャンマーの様にしていたのではないかと思う。私見を言わせてもらうと、僕的にはミャンマー方式の方が清々しくて好きだ。タイの托鉢はそんなに厳粛な空気は無いけど、ミャンマーのそれは何かひとつピンと張りつめた物がある。そしてご飯から立ち昇る湯気が朝陽に輝いてきれいだった。

 宿では一応朝食が付いていたけど、いわゆるアメリカンブレックファーストだから食べたくないので、外で何か探すことにした。運河ではインレー湖観光に行く船や荷物を載せてインレー湖から戻ってくる船が、大きなエンジン音を轟かせて盛んに行き交っている。もう喫茶店は開いているけど、何かもっと違うものが食べてみたかった。運河沿いの道を遡って行くと木造の橋がある。かなり粗末でガタガタなんだけど、とても味のある橋だ。橋の上は子供達が学校へと急いでいる。みなお揃いの緑のロンジー(巻きスカート)を履き、肩からは色様々なシャンバッグを掛け、近くの子は歩き、遠くから来る子は自転車に跨っている。東南アジアなのにその様子はお隣りタイではなく、何故か日本を思い出す。郷愁のある風景だ。

 橋の西側の袂、冬枯れの田んぼの前に1軒だけぽつんと粗末な小屋があった。のぞいてみると中では地元の人たちが麺をすすっている(もちろんミャンマー人が本当にすすっていたわけじゃありません)。おしいしそうなので、僕もここで朝ごはんにすることにした。プラスティックのイスに座ると、頼まなくてもみんなと同じものが出てきた。見てみると普通のラーメンとは違う。スープは無く、その代わりに油がかかっている。それからピーナツ粉やパクチーみたいな葉も見える。周りの人はこんな所にやって来た異国人を興味津々で見ている。そのうち隣りのおじさんが、テーブルの上の唐辛子と高菜の漬物のようなものをかけてかき混ぜるのだと仕草で教えてくれた。教えられた通りにしてみると、中から太目の麺とクリームのようなスープが出てきた。どこかで見たことあるなと思ったら、おととしの11月に行ったタイのメーサロンで食べた“スィートウファン”にそっくりだ。食べてみるとやっぱりポタージュのような味でまさしくそのものだった。そしてハッと思った。考えてみれば僕が今いるインレー湖はシャン州にあり、メーサロンはそのシャン州と接している。そりゃ同じものを食べていてもおかしくないよな。ただ、ここのはメーサロンよりかなりボリュームがあったのと、値段がK200(約25円)で半額以下な事だけ違っていた。

 宿に戻るともうインレー湖観光へ出発の時間になっていた。急いで支度をし、船着場へ向かう。船着場にあるMTT(国営ツールスト・インフォメーション)でインレー湖への入域料US$3(3日間有効)を支払い、5人乗りほどの長細い舟に乗る。剥き出しのエンジンで、タイのルア・ハンヤーオ(ロングテイル・ボート)を連想させる。いざ走り出してみると、やはり大きな音と白い水しぶきをあげて運河を突き進んだ。
 かなりスピードが出るのでその分体感温度がかなり低くなる。昨日タウンジーで買ったブランケットを羽織ってしのいだ。10分も運河を走ると両側に浮き畑が広がる。インレー湖は水深が浅く水草が多いので、その水草を使ってその上で水生栽培をしているらしい。確かに水面下を見ると、舟が走っているこの水路でも水面近くまでぎっしり水草が生えている。浮き畑は見た感じトマトやナスなんかが多かった。水面に浮いているので、もちろん僕らの舟が出した引き波にあわせてゆらゆら揺れた。それにしてもこの浮き畑、よく考えたもんだよね。湖上にあるんだから水をやる必要はないし、湖の水から養分は摂れるだろうし。昔の人が考えた知恵ってすごい。
 そんな浮き畑の中をしばらく進むと、突然目の前の水面が拡がる、ようやくインレー湖に出たようだ。もしかしたら浮き畑があった辺りから既に湖上だったのかもしれないけどね。

 このインレー湖、乾季の今でも南北に15km、東西に7kmもある大きな湖だ(雨季には南北22km、東西12kmになるらしい)。なのでさっきまでの浮き畑を過ぎてしまうと、遠くに山々が見えるだけだ。時折り舟のエンジン音に驚いた小魚が「ちゃぷんっ」と音をさせて飛び跳ねる。そんな感じなのでちょっと退屈していると、不意にエンジンの音が小さくなった。前方を見ると大きな仕掛けを載せた小舟に乗った人が、片足で櫓を漕ぎながら近づいてくる。あれはまさしくインダー族(インレー湖の土着民族、伝統的な漁法で知られる)の漁師じゃないか!船上はいっきに活気づいた。
 小舟はこっちへこっちへと進んでくる。何と後ろで漕いでるのはまだ子供だ。と言う事は漁師の親子か?そして近くまで来ると、おもむろに父親の方が竹製の仕掛けを持って漁を始めた!?何でわざわざ僕らがいる方に寄って来て漁をするんだ?なんてそんな事より、本当にあんな仕掛けで魚が捕れるのだろうか?さっきも書いたようにインレー湖は水深が浅く水面ギリギリまで水草が茂っている。魚はそんな水草を絶好の隠れ家として使ってるのだろう、その水草めがけて仕掛けを放り込むのだから捕れても不思議ではない。しばらく仕掛けをグラグラ動かしていた父親の方が仕掛けを引き上げ始めた。みんなその仕掛けの先に注目する!何にもかかってない・・・。すると後ろに乗っていた子供が何と小魚を仕掛けに引っ掛け、父親が再び湖の中に仕掛けを投げ込んでからまた引き上げた。そりゃかかってるの当たり前だけど、それをこっちに向けて写真を撮れって急かす。さっきまでの期待が大きかっただけに、みな一斉に鼻白んでしまった。そう、彼らは観光客用の見世物だったのだ。撮影タイムが終わると彼らは僕らの舟へと近づいてきてチップをせがむ。しらけていた僕ら日本人はあげず、同乗していたカナダ人が100K(約12円)あげていた。もう本物のインダー族は伝統的な漁法で魚を捕っていないのだろうか?

 インダー族による華麗なショー!?が終わった後、舟は湖の南西部にある水上マーケットへと向かった。いくつかの水上集落や寺院の近くを通って、多くの小舟で溢れ返っている一帯へと入っていく。遠めに見るととても賑わっていて「これはっ!」って思ったけど、中に入ってみるとそれらの舟はみんなみやげ物を積んでいて、僕らのような旅行者の舟を見つけると我先にと寄って来る。ひどいな。これならタイの水上マーケットの方がまだマシだ。さっきの漁師の件といい、いくら鎖国に近い国でも、観光地はこんなもんなのだ。結局、みやげ物以外のものを売っている(水上マーケット本来の姿)舟は、右の写真の2隻のみだった。

 インレー湖周辺にはいくつかの集落があり、それらは昔からその集落ごとに違った物を作っていた。続いてはそんな集落を回る。まず最初に行ったのは銀製品を作る集落。建物は木製の水上家屋で趣がある。中に入ってみると職人さんがバーナーを使ってアクセサリーを作っている。そんな工場(こうば)を見学した後はショールームで買い物。こんな感じでこの後、鍛冶屋の村、シルクの村、タバコの村、真鍮製品の村、織物の村などをまわる。結局ただの観光ツアーだった。特に作っているものが特徴あるわけでもなく、土産屋にあるような物を作っているだけだ。僕らはちらっと製作風景を見て、一応ショールームも見て、そしたら休憩所でお茶をして過ごした。だいたい、どこの村でもテーブルの上に魔法瓶に入ったお茶とタバコ、お茶請けが置いてあり、それらは自由に戴いてもいいのだ。僕はタバコは吸わないのでもっぱらお茶とお茶請け専門だったけど、そのお茶請けが各村で違っていて、次の村のお茶請けの方が楽しみだった。右の写真は、右側がお米から作った塩せんべい、中央が吸い放題のタバコ、左側がお茶の漬物(ラペソー)だ。ラペソーはほど良い塩味で酒のつまみにもいけそうだ。またその他にもキャンディやミャンマー風スポンジケーキ(駄菓子屋の味)などもあった。

 そんな土産物村巡りでも、織物の村だけはなんとなく居心地がよかった。この村は完全に湖上に高床式の木造家屋を建てて、その中で糸紡ぎから機織りまでやっている。かなり大きな工房で、3階建ての木造家屋が2棟と販売や事務などをする平屋とでできていて、だいたい糸紡ぎはおばあさんの役目で、機織りは若めの女性が担当していた。どちらにしろ、全てふた時代ぐらい前の手作業で、あたりには機を織る小気味良いリズムが響いている。僕の母親の実家はふとん屋で、自宅と近かったため学校が終わるとおばあちゃんのいるそっちへ帰っていた。木造の工場(こうば)を見ると、何となくそんな頃を思い出させる。遊んだ記憶、いたずらした記憶、叱られた記憶、木と畳と綿の匂い、おばあちゃん手作りの味噌おにぎりの味・・・。帰りたいけど帰れない、あの頃大人だったら今より楽しかっただろうなんて思う。そんな郷愁を抱かせる場所だ。
 そんなセピア色の風景の中では、女工さんたちの子だろう、余った生地で作ったような服を着た子供たちが元気に遊んでいる。何か遊具があるわけでもなく、ただ駆け回ったり、輪になってクルクル回ったり、僕がまだ子供の頃のテレビゲームなんて無かった時代の遊び方だ。彼らは毎日こうして同じような遊びをしているのだろう。こうした遊びは決して飽きることが無いし、子供達の表情は無垢の笑みで溢れている。外国人の僕らが何か話しかけると、恥ずかしいのか怖いのか、一人が逃げると他の子も一緒になって「わーっ」と言って逃げていく。そして遠くでニコニコしながらこっちを覗いている。やっぱり子供はこうでなきゃね。こうして育った子は絶対に友達の首をカッターで切ったりはしない。

 舟はようやく土産屋巡りを終えて、パウンドウー寺院へと向かう。巨大で、まるで湖上に浮かんでいるようだ。舟を降りるともうそこから靴を脱いで裸足にならなくてはならない。僕も靴を脱いでまずは本殿の写真を1枚撮ると、ここでデジカメの電池が切れてしまった(だから左の写真はホワイト調整ができてないのできれいじゃありません)。急いで予備の電池に替えると、充電されていたはずのその電池も充電されていなかった。この後、本殿の中の金箔を貼られすぎてしまった仏像や、今日のメインイベント猫の曲芸も撮らなくちゃならないのに。すると、本殿は2階建てになっていて、その1階部分に土産物屋が並んでいた。デジカメは単3電池も使えるので、そこで高かったけど仕方なく4本K1,600(約200円)で変なブランドの電池を買った。さっそくデジカメに入れて、本殿の仏像を撮りに行った。中は思ったよりも明るく、中央に本当に金箔が張られすぎて真ん丸くなってしまった仏像が5体並んでいる。とりあえず1枚撮ってみると、けっこう明るかったのに自動的にフラッシュがたかれた。すると、あろうことかさっき買ったばかりの電池が一発で切れてしまった。たった一枚で切れてしまうミャンマー製の電池って・・・。
 再び1階の売店に行ってもっとまともな電池をよこせと言ったら、今度はパナソニックのアルカリ風の電池が出てきた。4本でK2000(約250円)なんて言ってるので値切りの交渉をしていると、足元をウロウロしていたその店の子が何と僕の持っているデジカメをはたき落としやがった。デジカメはかなり派手にコンクリートの床に落とされ、中からさっきの電池が出てきて散らばった。真っ青になってデジカメに駆け寄る僕を、その子の母親はニコニコ笑って見ている。そりゃ、ちゃんとデジカメを持ってなかった僕も悪いけど、ちょっとぐらいは自分の子を叱りなさいよ。幸いデジカメは少し傷がついただけで壊れてなかった。そんな事があったので電池は前と同じく4本K1,600(約200円)に負けてくれた。

 時計はもう12時を過ぎていた。途中、昼食休憩をしてから猫の曲芸のあるガーペー僧院へと向かう。さっきのパウンドウー寺院とは正反対の寂れた僧院が、トマトの浮き畑の中にに浮かぶように見えてくる。とても趣きのある佇まいなんだけど、デジカメの電池が心配で、フラッシュ&液晶画面無しで必要最低限だけ撮ろうと思っているので諦めた。船着場から中に入ると田舎の公民館のように煤けていて、それが逆に味わいを醸しだしいている。中央には様々な様式の仏像が無数に並んでいる。東南アジアの仏像ってキンキラであまり好きじゃないけど、この僧院の仏像はどれもあまりギラギラしていなくていい感じだ。そしてどれもとてもやさしい顔をしている。そんな仏像の裏側の陽だまりに10匹ほどの猫が丸くなっていて、近くには若い僧侶が猫と同じように寝っ転がっていた。

 僕らが勢ぞろいしたのを確認すると、若い僧侶がキャットフードを手にして気だるそうに立ち上がった。そんな気配を感じたのか、ダラダラとしていた猫たちが一斉に色めきたち、僧侶はその辺にキャットフードをばら撒いた。そして僧侶はひとつの輪を手にし、餌に群がる猫に輪をくぐれと急かす。そうしていると一匹の猫が輪に興味を示し、おもむろに飛び上がった。「かっ、かわいい〜」、猫好きの僕にはたまらない。しかしこの間約2秒、むちゃくちゃ早くてなかなかシャッターチャンスが捕らえられない。僧侶は猫にそれを3回ほどさせると再びベンチの上にゴロンと横になってしまった。デジカメの写真を確認すると、やっぱりデジカメのタイムラグのせいで猫が輪をくぐる瞬間の画は捕らえられなかった。

 ガーペー僧院の見学が終わると一度街に戻って休憩し、夕方に夕日を見に再度出発することになった。その帰り道、ガーペー僧院を出ようとしていた僕らの舟に二人のお坊さんが乗ってきた。どうやら街へ行く用事があるらしく、ちょうど僕らの舟が街へ戻るのでそれに便乗したのだ。船頭さんはもちろん地元の仏教徒なので当然だけど、日本人の僕らもこうやってお坊さんのためになっていると思うと、何だかちょっと気分が良かった。

 宿に戻って急いでデジカメのバッテリーを充電し、集合時間の5時半までまだ時間があるので昨日の茶店へ向かった。まるで幼稚園にあるようなすごく低い木のイスに座ると、昨日と同じ若いにいちゃんが勝手にミルクティを持ってきた。テーブルの上にドンと置かれた揚げパンとともに胃袋に流し込む。僕は子供の頃から甘い物が苦手だったので、このミャンマーの甘〜いミルクティも最初はそのあまりにもの甘さに震えながら飲んでたんだけど、今はコップの下の方に溜まっているコンデンスミルクをあまり溶かさずに上手に飲めるようになったので何の抵抗も無くなった。またたく間に空になったコップをおにいちゃんに見せると、今度はコンデンスミルクがほとんど入っていないミルクティを持ってきてくれた。なかなか学習能力のあるおにいちゃんだ。そんなんで何もせず通りを眺めてお茶を飲むだけで2時間を過ごした。

 充電の終わった電池をデジカメに装填して船着場に向かうと、もうみんな揃っていた。僕がその重心が取り難い細長い木舟に乗ると、けたたましい爆音と共にエンジンがかけられ舟は再びインレー湖へ向けて走り出した。湖上、もとい、水路上の風はもう既に冷たくなり始めていた。僕は慌ててブランケットを肩からまとった。
 そうして30分ほどかけてたどり着いた湖上で見た夕陽は、これと言って感動するようなものじゃなかった。だけど、沈む夕陽を見る時って何でちょっと悲しい気分になっちゃうのだろう?

 その日の夜はタカシ君の宿の従業員の家にご飯を食べに行った。宿が集まっている船着場の辺りから市場をはさんで反対側の方へ30分近く歩いた所にその家はあった。地元の人の家にお呼ばれしての夕食なんて、期待しちゃうよね。家は木造で、正面の戸を開けると裸電球の灯る玄関で、僕らはその左手の部屋に通された。一見ログハウス風のその部屋には3つの大き目のテーブルが置いてあり、そのうち二つには既に欧米人たちが座っていた。ここでようやく、今日招待してくれた人は、旅人に食事を振舞う事をアルバイトにしていたのだった。
 出てきた料理は野菜を中心としたインダー料理だったけど、味は昨夜のFourSistersRestaurantの方が上だった。それでも街中で食べる油っぽいミャンマー料理に比べたら数倍あっさりしていて食べやすいけど。僕らはお礼に一人K1,000(約125円)を渡して帰った。

そのBへ...)