【昔のまんま・ミャンマー】2004年1月B
 翌日は早くもヤンゴンに帰る予定だった。と言うのも、今回の最大の目的であるチャイティヨーに行かなくてはならないので、この日に帰らないと間に合わないのである。チケットは前日、ニャウンシュエの街からヤンゴン行きのバスが通る三叉路までの乗合トラック代も含まれてK6,500(約800円)で買ってあった。朝は遅めに起きて、2階のテラスで目玉焼きとトーストの朝食をとった。11時に自転車力車(サイカー)をK100(約12円)で雇い、乗合トラック乗り場まで行き、20分ほど乗合トラックに揺られて三叉路に着いた。バスは12時に来る予定だったので、旅行者が集まる喫茶店でミルクティを飲む。そこには昨日のインレー湖観光の時に少しだけ会った日本人の女の子と男の子がいた。彼らも同じ便でヤンゴンに戻るそうだ

 バスはけたたましいフォーンを鳴らしてほぼ定刻どおりにやってきた。また17時間の旅の始まりだ。窓際に陣取った僕はCDを聴いて目を閉じた。
 1時間も走ると来た時と同じ食堂の前で早くも休憩になった。お腹はそんなに減ってなかったけどとりあえずまたあの激ウマ油そばを食す。かなりなウマさなので、また写真を撮るのを忘れてしまった。
 実を言うと、この帰りの工程はほとんど記憶に無い。やっぱり一度通った道だし、未知の場所へ行く胸のトキメキが無いし。記憶が復活するのは翌朝4時、ヤンゴン郊外のインセイン・ソヴァズィゴンバスターミナルに到着した時だ。外はまだ真っ暗で、ここからヤンゴン市内は自分で帰らなくてはならない。僕は思い切ってこのままチャイティヨー行きのバスに乗ってしまおうと思ったけど、その辺の人にチャイティヨー行きのバスはどこから出るのか訊いても、10人が10人全然違う方向を指差す。そのつど僕はただだだっ広くて舗装されていない砂埃の舞うバスターミナルを歩かされた。いくらミャンマーの人々が人がいいとはいえ、ここは東南アジアだった。東南アジア人のいい加減さに慣れている僕は、すぐに諦めて市内へ向かう乗合トラックに飛び乗った。
 さて、こんな時間に着いてもどこに泊まったらいいのかさっぱり見当がつかない。仕方なくガイドブックに載っている安宿を目指す。もう名前も覚えてないその宿は、部屋中が消毒液の匂いで充満していてとても気分が悪かった。よっぽど別の宿を探そうかと思ったけど、長旅の疲れでその気持ちも失せた。

 目が覚めてもUS$10の部屋の中はまだ暗かった。当たり前だ、この部屋には窓が無い。時計を見るともう12時を過ぎている。急いで水浴びをした僕は、インレー湖へ行く前にミンさんと一緒に話しを聞きに行った旅行代理店(とは言っても、ビルの隙間に机が1脚だけ)へと向かった。そこの主人の話しだと、夜7時にバスが出てチャイティヨーへ向かい、帰りのバスはあさっての朝チャイティヨーを発ってヤンゴンへ戻ると言うことだった。もう帰りの日にちが近い僕はチャイティヨーでそんなにゆっくりもしていられなかったので、片道(K3,000、約375円)だけそのバスで行き、帰りは何とか自力で戻ることにした。

 夜7時に指定された場所へ行くと、既にバスは来ていた。けっこう悲惨なバスを想像してたんだけど、実物は思ったよりもまともで大きなバスだった。乗り込むと僕以外は5人くらいしか乗っていない。そこからバスはヤンゴンの郊外へと向かって走り出す。途中何度も停まって客を乗せていく。それらの場所はツーリストエリアではないので、車窓からは街頭テレビに集まる人々や晩御飯を食べる人たちなど、庶民の普通の暮らしの様子が見えて興味深かった。そんな所を1時間ぐらい走ると風景が見覚えのあるものになった。何とまたヤンゴン市内に戻ってきてしまったのだ。この頃には全ての座席が埋まり、子供たちは補助イスを出して座っていた。そしてようやくチャイティヨーへと向かって走り出した。
 僕以外にこのバスに乗っているのは全員ミャンマー人だった。乾季である今、厚着をしないと凍えてしまうほど涼しくなるチャイティヨーは、常に蒸し暑いヤンゴンで暮らしている人々にとってはいわゆる避暑地である。だからこのバスに乗っているミャンマーの人達はお年寄りからお父さんお母さん、子供から赤ちゃんまで、一族総出でチャイティヨーへ向かう。そんななのでみんな上気していて、車内はまるで遠足へ向かう小学生のように遅くまで賑やかだった。その中のおばあさんに手作りのお菓子をもらって食べたけど、はっきり言ってすごくまずかった。だけど笑顔で完食した。

 深夜12時に真っ暗闇の道端にある雑貨屋兼安食堂で休憩、バスはそのまま一本道を走り出した。この時間になるともう車内で話す人もいなく、通路側に座る僕の隣りの補助席の子供も、僕の腕に寄りかかって気持ちよさそうに寝ている。僕もこの後の山登りに備えてひと眠りすることにした。

 しばらくして突然車内の明かりがついた。ドライバーが何か叫ぶと、僕以外の客はみな荷物をまとめてぞろぞろと降りだした。時計を見ると5:00、窓の外は真っ暗で遠くの方に明かりのついた小屋が見えるだけだ。たぶんここがチャイティヨー登山の玄関口キンプンなのだろう。車外に出ると山の麓のこの時点で既にかなり寒かった。僕は慌ててタウンジーで買ったブランケットを被った。目が慣れてくるとバスが着いた広場の周りには、木造の粗末な小屋がたくさん建っている。看板を見ると“GestHouse”だそうだ。こんな隙間だらけの小屋じゃ、星飛雄馬の生家じゃあるまいし寒くて寝てられないだろう。もし僕がバスのチケットを往復で買っていたら、こんな所で寝袋も無しに寝なくてはならなかったのかと思うとゾッとした。
 とにかく、まだ山頂へ向かう道の門が開いていないので、唯一明かりのついているゲストハウスで暖かいミルクティを飲んで待った。

 6時近くなると小型のダンプカーがけたたましい音をたてて集まり、その荷台に客をまさしく鮨詰めで載せ始めた。鮨詰めと言うよりも、むしろ深夜まで煮詰まった会議室の無数に吸殻が突き刺さった灰皿と言った方がいいだろう。みんなとにかく隙間に足を差し込んでいるだけで、身体は手すりから飛び出している。あんなのに乗って行かなくてはならないのか・・・!僕は少し頭が痛くなった。しかしこれに乗らないと上へは行けないのだ。
 とりあえず近くで客を載せているダンプの所へ行くと、外国人はあっちだと言われる。しかたなくあっちのダンプの所へ行くとここじゃないと言われる。そんなことを何回かして、とにかく僕は強引に目の前のダンプの荷台に足を差し込んだ。辺りはまだ真っ暗だ。

 客席には横に板が渡してあって、客はそれに腰掛けている。だけど前後の感覚が恐ろしくミャンマーサイズなので、デカイ僕ではとても座ることができない。座れたとしても無理な体勢なので長時間は我慢できないだろう。仕方なく一番後ろの手すりに座った。この事がこのあと恐ろしい事態に発展するとは想像もしていなかった。もしこの段階でわかっていれば、きつくても板の上に腰掛けただろう。

 何を考えたのか、僕らの乗ったダンプはタイヤをスピンさせながら急発進した。例えるなら、東京の豊島園と言う遊園地にコークスクリューというジェットコースターがあったのだけど、その出発の時のような感じだ。まるでガンダムがホワイトベースから飛び出る時のよう(同世代の人しか通じません)な強烈なGを感じながら、「アムロ行きまーす!」と言っている(これも同世代以外は無視してください)余裕なんて全く無く、一番後ろの手すりに腰掛けた僕は、危うくそのまま後ろに落っこちそうになった。落ちるのは何とかしのいだけど、ダンプはフルスロットルで細い山道を登っているので体勢を立て直す暇も無く、後ろの荷物を載せる籠にしがみついたままの状態で耐え続けたのだった。

 猛スピードで10分ほど(たぶん)走ると、ダンプはようやく小さめの空き地で停まった。どうやらここで料金の徴収があるようだ。係りの男がタイヤに足をかけて1人K200(約24円)ずつ集めているので、僕も200チャットを握って待っていた。そしていよいよ男が僕の所に来たのでその200チャットを渡すと、男は下手な英語で「フォーハンドレッ」と言って指を4本立てた。僕が日本語と身振りを交えてみんな200チャットじゃないかと抗議すると、じゃあここで降りろという仕草をするので、仕方なくK400(約48円)払った。それにしてもこうやって書いてて思うんだけど、たった24円か48円で言い争ってる自分ってアホだよな。

 料金徴収をしている間に東の空が明るくなってきた。僕はこのダンプの乗り心地を皆さんに知ってもらおうと思い、走っている途中に写真を撮ることにした。その為に座る体勢を立て直し、片足を荷台の隙間に挟み込んで両手で捕まらなくても落ちないようにした。そしてカメラを構え静かに再スタートの時を待った。
 F-1のようにスタートランプは無いけど、まるでそのランプが赤から青に変わったかのごとくダンプは再び急発進した。加速時のGをこらえた僕は、巡航速度になると同時にシャッターを何回も切った。そしてその中の一枚が右の写真。本当は写真よりもかなり薄暗いんだけど、カメラのホワイトバランスをマニュアル操作で高くしフラッシュ無しにしたら、我ながら思ったとおりの画が撮れた。どうですか、爆走ダンプの恐怖が伝わりましたか?

 再び15分ほど走って爆走ダンプの終点の広場に着いた。周りには食堂や雑貨屋が並んでいる。ダンプから降りると、ずっと力を入れていたので足がガクガクだった。しかし、ここからは自力で頂上を目指さなくてはならない。雑貨屋で飲料水だけ買って歩き出した。
 登り口の所で背負い籠を持った地元の男たちが道行く客に声をかけていた。彼らは客の荷物を担いであがってくれる、言ってみればトレッキング時のポーターだ。僕はけっこう大きなザックをひとつ持っていたけど、まあ大丈夫だと思ってお世話にはならなかったのでいくらなのかはわからない。だけど道中かなりの急坂が続いたので、後々手ぶらの客が楽々あがっていくのを恨めしくみつめる事になった。
 担ぎ屋の集団と一緒に、もうひとつ竹竿を持った集団がいる。彼らは荷物が重いとかそんな事を言っている客じゃなくて、そもそも自分の足で急坂を登るのがかったるい人を、手製の竹竿で作った輿に乗せて山頂まで連れて行ってくれるのだ。上り下りともにあって、上りはザックを担いでマイペースで登る僕の脇をスイスイと通り抜けていき、下りはまるで走っているような速度で下っていく。僕はヤンゴンでミンさんに自分の足で登らないとご利益が少ないと言われていたので、もちろん利用していない。だからこれも料金はわからない。使っているのは主に華僑の人達だったように思った。これが普段50m歩くのもかったるくてバイクタクシーを使うタイ人だったら、かなりの確率で利用するだろうな。

 山頂へと続く道は思ってたような山道ではなくて、コンクリートで舗装された“ちゃんとした道”だった。ただし傾斜は想像以上で、万年運動不足の僕は息も絶え絶えだ。途中の道端には所々に茶店があって、かわいい女の子が“おいで、おいで”している。思わず引き込まれそうになったけど、マラソンなんかもそうだけど、こういうのは一度休んじゃうと休みグセが付いちゃうので、グッと堪えて山頂を目指した。
 30分も登るとすっかり身体が暖まり、羽織っていたブランケットも不要になった。この頃には山登りにも慣れてだいぶ身体が楽になった。「いや〜気持ちいい!」、久々に運動の爽やかさを思い出した。やっぱり澄んだ空気とほど良い気温がそうさせるのだろう。
 さらに10分もするとようやく舗装されていない細い山道になった、と同時に茶店が少なくなって、その代わりに奇妙な土産物を売る露店が並びだした。たとえ買ったとしてもワシントン条約に違反しいて日本には持ち込めないであろう物ばかりだ。はっきり言って気持ち悪い(特に熊の掌や小動物の骸骨)ので、まともに見ようとは思わなかった。

 しばらくして前方にいくつかの建物が見えてきた。ここで山道は終わりで、再び細い舗装された道になる。左右に分かれているけど、みんな左に向かって行くので僕も従った。その先にはゲートがあり、僕だけ軍服を着た役人のような人に止められ、事務所の中に入るよう言われた。外国人は入山料を払わなくてはならないらしい。素直にパスポートを提示してUS$6払い、領収書代わりに胸にシールを貼られた。
 入山料を払い終えて歩き出すと、ようやく前方にあの黄金の物体が見えてきた。歩き始めてからここまで約50分、
あともう少しだ。目標が見えて、自然と歩みが速くなる。下を見るとダンプを降りた広場が本当に小さく見える。よくここまで登ってきたものだと我ながら感心する。
 そしていよいよ山頂広場への入り口、輿に乗って担がれてきた人達もここで降りる。床は石のタイル張りになっていて、ここで靴と靴下脱いで裸足にならなくてはならない。ほんのり汗をかくぐらい身体が温まっていたので、足の裏で感じるひんやりとする石の感触が心地よかった・・・、ここまでは。実はこの山頂広場、面積にするとサッカー場が一つ入ってしまうくらいの大きさがあり、もちろん屋根など無いので野ざらしだ。と言う事で、この広場に無数にいる鳩達の糞がそこら中に落ちている。最初はそんな事とは思ってなかったので全く無防備で歩き出したら、「ニュルッ」・・・・。悲鳴にならない何とも言えない声をあげてしまったがあとの祭り。足の裏はまるでブルーチーズを踏みつけたかのような惨状になっていた。周りを見ると、みんな「ウッゲ〜」って顔してる。これから歩く前方の床を見ると、文字通り足の踏み場も無いほど鳩の糞が転がっている。1回踏んでしまったら2回も3回も一緒だ、と思って諦めて先を急いだ。

 鳩の糞をなるべく避けつつ歩く事約5分、「見えた〜〜〜〜!!!」、「でけ〜〜〜〜!!!」。近くに行ってみると本当にデカくて、眩しいくらいに真っ金金だ。直径は6mぐらいあるだろうか。そして崖の上に半分はみ出してちょこんと載っているだけで、今にも転がり落ちそうだぞ!前述の『ミャンマー・東西南北・辺境の旅』にはミャンマー人の話として「パゴダに納められている仏陀の髪の毛が、落ちないようにバランスをとっているのだと言われています」と書かれている。ここに来る前は鼻で笑ってたけど、今はもしかしたら?って感じだ。どうやって色を塗ったのだろうか?っていうかどうやってあそこにあんな大きな岩を持ってきて載せたんだ?自然?これは僕が今まで生きてきた中で、アンコール・ワットと並ぶ観光地で見ておくべきNo.1だ!
 僕は興奮して黄金の巨石に近づいた。そこでは男性たちが岩に金箔を貼って手を当て、目をつぶって何かを祈っている。その表面は金箔が貼られ過ぎたためだろうか、ボコボコだ。改めて僕も売店へ行き、金箔と安っぽい参拝記念バッチのセットをK350(約44円)で購入し岩の所へ戻った。その場所には男性しか入れないらしく、柵のすぐ外側では女性たちが岩に向かって座って祈っていた。僕も風で飛んでしまいそうになる金箔を何とか貼る。表面は冷たくて少ししっとりした感じだ。でも近くに寄って触ってまでいるのに、さっきまでの興奮は小さくなってしまった。この巨石は太陽を背にして(順光で)少し離れた所から見るのが正しいのだろう。

※これは後日談になるのだけど、タイに住んでいるミャンマー人が、この黄金の巨石は写真を持っているだけでご利益があると言っていた。欲しい方はコチラの写真をダウンロードして焼いてください。できるだけ解像度を落とさずに画像サイズだけ小さくしてあります。

 黄金の巨石参りも終わったので、今度は裏側の参道から下ることにする。門の先には土産物店や茶店なんかが並んでいて、これであと場末のパチンコ屋とストリップ小屋があれば、まるで日本の温泉街のような風情だ。僕、好きなんだよね、こんな感じ。店以外にも露店が出ていて果物の甘酢漬けや焼バナナなどのお菓子も売られている。朝から何も食べてなかったけど、特にお腹が空いているわけではなかったので、適当な茶店でいつものようにミルクティと揚げパンを食べる。こうして1日に何度もベタベタに甘いミルクティを飲むのも当たり前のような感じがしてきた。でももしこれがコーヒーだったら、コーヒーを飲むと下痢をしてしまうガキの様な体質の僕にはさぞかし辛かったであろう。(日本で働いていた時、打ち合わせ先でコーヒーが出て、しかもそんな時に限って「うちのコーヒーはレギュラーだからいけますよ、さっ遠慮しないで」なんて勧められちゃうんだよね。お茶とコーヒーどっちがいいですか?って訊かれるとホッとした。同じような体質の人って意外と多いので、みなさんもお気をつけください。)

 ムチを打って動かしてきた万年運動不足の身体に、甘いミルクティで糖分補給が済んだところで麓へ向かって歩き出した。参道にはあいかわらず似たような店が並んでいて、看板娘がおいでおいでしている。特に買うものは無いけど、とりあえず看板娘の写真だけは撮っておく。その辺の布で作った戦時中のようなシャツがかわいかった。
 しばらく下っていた参道が再び登りだした。石のタイルがずっと敷きつめられているのでとても歩きやすいのだけど、登りになるとさすがにキツイ。やがて前方にこの山のもう一つの峰が見えてきた。参道はその峰へと向かって延びている。何だか嫌な予感がしてきたと思ったら、その参道はその峰の直前で行き止まりになっていた。どうやら帰るのは来た道を戻るしかなかったようだ。仕方なく再び巨石のある広場まで戻る。往復で30分ほどのロスだけど、そんな事よりもさっきせっかくウェットティッシュで足の裏をきれいにしたのに、またあの鳩の糞だらけの中を歩かなくてはならないのだ。

 一人でブツブツ言いながら足の裏のハトの糞を再び拭い、今度こそ本当に下山を始めた。最初の舗装されている部分は傾斜も緩かったのでそうでもなかったけど、舗装が途切れて山道に入ってから足が笑っていて苦しくなった。夏休みに家族で登った大菩薩峠(山梨県にある2,057mの峠)を思い出した。この時初めて僕は足が笑うという状況を体験したのだ。本当に足に力が入らなくて、大き目の段差を一気に降りる時、危うく転びそうになる。帰りは下りだから楽勝だと思っていたのも昔の事だ。結局、下りの方が登りよりも時間がかかってしまった。

 山腹の広場から再び暴走ダンプに乗って山を下る。今度は出発点で料金を払うのだけど、やっぱり外国人料金のK400(約48円)、同乗していた欧米人も同じ料金だ。そして出発、登りの時はまだ朝だったのでまだ上から帰ってくるダンプはいないだろうから良かったけど、帰りは下から登ってくるダンプもいるだろうに、そんな事お構いなしに相変わらず飛ばす。登りならブレーキをかければ止まりやすいけど、下りはいくらブレーキをかけても惰性で止まらないよな。そんな事を考えながら約20分、生きた心地がしなかった。麓に到着して山頂を見上げてみると、さっきまですごそばいたあの黄金の巨石がはるか上方に本当に小さく見えた。生きてこうやってもう一度見られてよかった〜。これも仏陀のおかげ!?

 麓では1台の乗合トラックが停まっていた。訊くと鉄道駅があるチャイトー行きだったので、迷わず乗り込む。時間にして約30分、これまたK150(約19円)と申し訳ないような料金だ。同乗しているのは地元のおばさんやその子供たち。どうやらチャイティヨーに来る外国人で自力で帰る人はそうとうに珍しいらしく、ジロジロ見られる。そこでここぞとばかりにデジカメで子供の写真を撮って見せてあげると、いっきに車内の雰囲気が軽くなる。やっぱりデジカメは後進国では貴重なコミュニケーション・ツールだと実感する。

 チャイトーに着いたはいいけど、ヤンゴンへ戻る途中のバゴーへ行くバスにどこで乗ればいいのかがわからない。ちょっと離れた所に鉄道の駅らしき建物は見えるんだけど。仕方なく木陰でボケッとしている人に『指差し会話帳』を使って尋ねてみると、そのおじさんはミャンマー語と身振りで一生懸命説明してくれた。ところが全くわからなかったのでそんな顔をしていると、仕方ないなと言う顔で連れて行ってくれることになった。
 乗合トラックが集まっている広場を横切り、鉄道駅を突っ切る。その向こうにはまた大きな木が鬱蒼と茂る大きな広場があり、その広場を横断すると市場があって、その市場の中を右に左にずんずん進み、ようやく国道のような広い通りに出る。1軒の茶店の前にバスの係員がいて、おじさんがたぶん僕をバゴー行きのバスに乗せるよう言ってくれたらしく、K1,500(約190円)を払った。そうしてお金を払っているうちに、連れてきてくれたおじさんはいつのまにかどこかへ消えてしまっていた。またお礼も言えなかった。

 茶店でいつもの様にミルクティを飲んだ。何とかジェスチャーで砂糖を入れないでとお願いしたら、コンデンスミルクだけの甘さのミルクティが出てきた。コレはイケル、今度からこうしよう。それでも日本のものよりは断然甘いけど。
 20分もするとバスがやって来た。バスには既に多くの客が乗っていた。おそらく結構遠くから来たのだろう。後方にようやく席を見つけて座ると、ひざ頭が前の席に引っ付いてしまう狭い席だった。しかも窓を締め切っているのでエアコン付だと思ったら、外からの砂埃が入ってくるのを防ぐだけで、エアコンは付いていなかった。代わりに扇風機がいくつか回っている。これで我慢するしかない。

 汗だくで爆睡すること2時間半、バスはようやくバゴーの町に着いたようだ。しかしこのバスはヤンゴン行きなので、始めて来たこの町でどこで降りればいいのかまったく見当がつかない。仕方なくみんなが降りる所で一緒に降りたのだけど、旅行者向けの宿があるのはそこからさらに1km程先だったので、炎天下の中、荷物を背負って歩かなくてはならなかった。

 ようやくツーリストエリアに着いた時にはもうヘトヘトだったので、目の前のボロホテルに選ぶ余裕も無くチェックインした(素泊まりUS$5)。昨夜からずっとシャワーを浴びてなくて体中ベタベタだったので、とにかくシャワーが浴びたかったのもあったけど。部屋に入ってシャワーを浴びると、さっきのバスで相当砂埃を被ったのか、3回目でようやくシャンプーが泡だった。そして寝不足だったのでそのまま寝ようと思ったら、西陽がさすので暑くてしょうがない。しかしエアコンはスイッチを入れても電源が入らない。そういえば、シャワーはいつまでたっても水のままだったし、部屋の電気も全く点かない。しかたなく5階の部屋から階段で下まで降りて従業員に言うと、夜7時にならないと発電機が回らないそうだ。がっくりしてまた階段で部屋まで戻り、素っ裸で横になった。

 目が覚めるともう外は暗くなっていた。時計を見ると7時過ぎ、5時間も死んだように寝てしまった。とりあえず寝汗がすごかったのでもう一度シャワーを浴びた。今度は少しだけ暖かい水が出るようになっていた。エアコンの電源ランプも緑色に光っている。すると今日は何度かミルクティを飲んで揚げパンをかじっただけで、まともな食事をしていないので、寝起きにもかかわらずものすごい空腹が襲ってきた。急いで服を着て外に出て、ホテルの通りをはさんで斜め前にある“三五飯店”という食堂に入った。看板が漢字だったので、メニューを見るとやはり中華料理のようだ。漢字とミャンマー語と一応英語で書いてあるけど、腹が減っていてじっくり見るのもかったるかったので、安い方から適当に指を差し、併せてマンダレービールの生を注文した。中ジョッキ1杯K250(約32円)と激安なだけに味の方も安っぽい味だったけど、一応ちゃんとビールの味がした。そしておかわりの生中と一緒に料理が運ばれてきた。豚肉と白菜の炒め物K750(約94円)、空芯菜炒めK300(約38円)、ベジタブル炒飯K500(約63円)。安いものばかり頼んだら、何だかベジタリアンみたいな料理ばかりになってしまった。しかもどれも3人前は軽くある。ビールを入れてK2,050(約256円)の晩餐、味は油っこいミャンマー料理に飽きてきた頃だったので、あっさりしていて期待以上だったけど、あまりにも量が多すぎて半分以上も残してしまった。

 翌朝は前日の昼寝が効いて、朝早くに目が覚めてしまった。仕方なくシャワーを浴びてから茶店でミルクティを飲み、揚げパンをかじる。そしてまだ朝靄が濃い街をぶらぶらしてみる。
 町の中心部を流れるバゴー川沿いを歩く。ちょうど川にかかる鉄橋の向こうに朝陽が昇る。お母さんのお乳が欲しい仔犬が歩道との段差に苦労している。土手に降りようと思ったら、土手はおびただしいゴミで埋め尽くされていた。朝の清々しい気分が台無しだ。川の対岸に視線を移すとどうやら市場があるようだ。そしてその市場に向かって弱々しい枝のような木材で作られた橋が伸びていて、買い物に向かうのであろう人々が渡っている。せっかくだから僕も渡ってみようと思い、橋へと向かった。

 その橋は近くで見るとより弱々しく見えた。欄干は直径10cm程の木でできていて、歩道は本当に本当に薄い板が敷いてあるだけだ。そんな橋をいっぺんにたくさんの人が渡って行く。僕はできるだけ橋を渡る人が少ない時を狙った。いよいよ橋のたもとまで来ると一軒の粗末な小屋があり、おばちゃんが一人座っている。どうやらこの橋は通行料が必要なようだ。『指差し会話帳』で訊いたら片道K20(約3円)だったけど、ポケットにはちょうどいいお金が無かったのでK25硬貨を出すと、おばちゃんは恥ずかしそうに飴玉を差し出した。そう、お釣りは飴玉だったのだ(右の写真は再現です!→)。確かにK5なんて日本円じゃ1円もしないのだから飴玉でいいのだ。このいい加減さにグッとくる。東南アジアはこうルーズじゃなきゃね。

 一人で渡っても揺れまくる木の橋を渡り市場に入った。ヤンゴンでは生鮮市場は見ていなかったので、ここが僕のミャンマーの市場初体験の地だ。屋根の無いオープンスタイルのマーケットで、もちろん地面も舗装されていない。商品は魚や肉などもあるけど、圧倒的に野菜や果物を売っている店が多い。特に目をひいたのが、今が旬なのだろうか、いたるところで売られているオレンジだ。タイには基本的に甘くも酸っぱくも無い気の抜けたミカンしか無いのだけど、ミャンマーのミカンは皮が厚くオレンジ色をしている。そして日本のデポコンやネーブルのようにヘタのところが膨らんでいる(←左の写真はヤラセです...)。試しに食べてみると、ほんのりネーブルの風味がしてなかなかいける。果物天国タイにいてほとんど果物を食べない僕も、つい買ってしまった。
 さらに市場の中を歩く。どこからどう見ても旅行者の僕だけど、物売りのおばさんたちは一生懸命僕に色々勧めてくる。さっきのような果物ならともかく、魚やキャベツなんか買わせてどうしろっていうのだ。僕がいらないと言っても彼らは気分を悪くするどころか、おもしろがってミャンマー語で何か話し掛けてくる。僕も『指差し会話帳』を駆使して返事をいていると、だんだん周りに人が群がってくる。『指差し会話帳』を取り上げて見だしたり、デジカメで自分を撮れ、いやうちの子を撮れ等々・・・、僕がいるとみなさんの仕事の邪魔になりそうなので、その場をこっそり抜け出した。

 この市場を見て回って一番印象に残ったのは、並んでいる商品の事ではなく、頭の上に荷物を載せて運ぶ人たちのことだった。もちろん大きなものは台車に乗せて運んでいるけど、少なくとも今まで僕が見てきた東南アジアの国々では無い習慣だ。こうやって頭の上に物を載せるのは、インドやアラブ、アフリカの人々ではなかっただろうか。そういえばミャンマーは東南アジアの西端であり、西隣のバングラデシュはヒンズー教徒の国(バングラデシュの東端、ミャンマーと国境を接するアラカン州に住むアラカン人は仏教徒だけど、その他大勢のバングラデシュ人はヒンズー教徒。)だから、仏教の西端でもある。濃い顔の多いミャンマー人を見てもわかるけど、ちょうどミャンマーからバングラデシュにかけてで人や文化が変わるのではないか。この頭の上に物を載せて運ぶ文化はミャンマーが東端なのじゃないかと勝手に思う。

 時計を見るともう8時になろうとしていた。朝の涼しいうちに街中の観光を済ませてしまおうと思い、市場脇のサイカー(自転車)スタンドで、ここは観光地バゴーなのでマジメでボラなそうなドライバーを探し、とりあえず一番有名なシュエターリャウン寝釈迦仏へ行って欲しいと言うと、往復でK600(約75円)だった。
 棒ブレーキの昔懐かしい新聞屋自転車に、木枠で作ったサイドカーを付けただけのこのサイカー、図体のでかい僕にはちょっぴり厳しいものがあるけど、歩くぐらいの速さでゆっくり走るので、景色を見るにはいいかも。托鉢の僧を待つ人達や、学校へ行く準備をしている子供たちなど、普段の生活ぶりが手に取るように見える。何となくタイのダムヌーン・サドゥアク水上マーケットで市場以外の水路を見て回っているような感じがした。

 約10分のツーリングで目的地のシュエターリャウン寝釈迦仏に到着した。バンコクのワット・ポーにある寝釈迦仏のようになかなか豪華な仏殿に入っている。資料によると、ワット・ポーの寝釈迦仏の全長が46mなのに対して、ここの寝釈迦仏は55mもあるらしい。入り口を入ると参道になっていて、100mぐらい前方に寝釈迦仏のお腹の辺りが見える。ゆるやかな階段を上っていくと徐々にその全体像が見えてきた。確かにでかいけど、仏殿が表側の豪華さとは逆にやたらと貧相なのが気になる。あの鉄骨の柱をどうにかすれば、もっと仏像としての重みを感じやすくなるんじゃないかと思う。ところで、ガイドブックにはここでUS2$の入場料と、K50(約6円)の写真撮影料がかかると書いてあるけど、まだ朝が早いせいか誰もいない。しかたなくお布施の箱に入れてきた。

 あっという間に見学が終わってしまった。もともと僕は観光地に行っても観光というもには興味が無いので、ほとんどと言ってもいいくらいしないのだ。しかし、何でも見ておかなくては気がすまない性質(知識欲が強いのだろう)なので、義務感で見ていると言ってもいい。だから見るだけで十分なのである。さすがにこの一ヶ所だけじゃ物足りないので、ガイドブックを見てチャイプーン・パゴダの四面仏を見に行くことにし、サイカーのおじさんと交渉すると、あとK400足して合計でK1,000(約125円)でいいらしい。ガイドブックには片道4kmぐらいあると書いてあるけど本当にそんな安くていいのだろうか。

 走り出してみると、案の定かなり遠かった。車やトラックがビュンビュン走る国道の路肩を走る事約25分、国道から右に曲がって舗装されていない道に入ると、その奥の方に四面仏が見えてきた。ちょうどこちらに向いている面の仏像が色の塗り替えの為に足場が架けられている。国道から300mぐらいガタガタの小道を走ってようやく四面仏のたもとに到着した。サイカーのおじさんは汗いっぱいの顔を手ぬぐいでぬぐって、木陰で一休みをしている。僕はほとんど誰もいない境内に入った。
 遠くから見ているとわからなかったけど、足場がかかっている部分は朝から人が登って修復作業をしていた。裏に回ると、ちゃんと裏にも仏像が鎮座している。その顔はやはりミャンマーの仏像の顔で、とてもにこやかだ。陽のあたってない方の仏像の前の日陰で、しばし仏像の顔を見る・・・。やっぱり僕には観光は向いてない。ここでこれ以上何をすればいいのか迷う。汗だくになってこんなに遠くまで連れてきてくれたサイカーのおじさんも、もしこれで僕が帰ったら、「えっ、もう終わり!?」ってな感じだろう。しばらく我慢してじっとしていた。

 ようやく10分が過ぎたので表に出て、サイカーのおじさんに宿まで送ってくれるよう言う。おじさんは無口だけど、僕が何か言うと必ずニコニコしてうなずいてくれる。その横を托鉢の帰りだろうか、小坊主たちが朝陽を眩しそうにしながら通り過ぎる。
 宿までは約30分の道のりだった。おじさんに約束のK1,000の他にK500を渡したら、あいかわらずいつものニコニコ顔で、「また遊びに来な」みたいな感じの事を言って帰っていった。
 さて、明日の便でバンコクに戻るので、今日はヤンゴンに戻らなくてはならない。宿に戻り荷物をまとめ、汽車に乗るために駅へと向かった。

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