【昔のまんま・ミャンマー】2004年1月C
 駅に着いて次のヤンゴン行きの汽車を尋ねると、約1時間後の出発だったので、普通席の切符を買おうと窓口へ向かった。料金はヤンゴンまでたったのUS$2だったのでお金を差し出すと、係りのおじさんは僕を裏に呼んで外国人はパスポートの提示が必要だと、たどたどしい英語で言った。そこでパスポートを出すと、カーボンを間に入れて接写ができるようにした伝票にパスポートの情報を写し始めた。そしてその伝票の写しの方が切符だった。
 切符を受け取った僕はとりあえずホームに出た。何ともいえないローカルな駅だけど、汽車を待っている人が大勢いたので、僕もその中に混じってベンチに腰掛け汽車を待つことにした。隣りはうら若き女性だった(別に狙ったわけじゃないですよ)。「♪汽車を待つ君の横で僕は、時計を気にしてる〜」なんて、全く情緒も季節も違うけど急に思い出して、独りで笑った。

 汽車が来るのは1時間後のはずだったけど、ものの5分もしないうちに何ともいえないレトロな汽車が入線した。どうやら僕が乗るはずの汽車とは別の汽車のようだけど、ダイヤはあってないようなもらしく、この汽車も4時間遅れでバゴーに到着したらしい。僕は駅員に切符を見せながらこの汽車でいいのか確認したら、乗れ乗れと急かされたので、慌てて乗り込んだ。
 他の人より遅れて乗ったため、板張りの席はもうほぼ埋まっていた。しかし僕が席を探して通路を歩いていると、みんなここに座れと席を作ってくれる。僕は会釈をして通路側に座り、朝市で買ってきたオレンジをお礼に差し出した。
 扇風機も無く、人いきれで蒸し暑かったけど、走り出したら爽やかな風が入ってきて気持ちがいい。となりのボックスでは、お母さんが娘の髪を編んでいる。外の景色はどこまでも野原が続いている。のんびりしてて、何だかとっても平和で、いつのまにかウトウトしてしまった。

 突然、「ギーーーッ」と言うすごい音がして身体が前方に持っていかれそうになり、慌ててイスの縁にしがみつく。正気になると、汽車が急ブレーキをかけて止まろうとしているのがわかった。摩擦で焼けたブレーキパットのものだろう、黒い煙が窓から入ってきて、車内はものすごく焦げ臭くなった。その間はだいたい15秒ぐらいだろうか、ゆっくり走っていたと思ってた汽車だけどなかなか止まらなかった。
 汽車が完全に止まると、僕が座っているのと反対の窓の外が騒がしくなった。乗客たちも窓から身を乗り出して何かを見ている。恐らく事故だろうと思い、連結部のところへ行って見た。するとすぐそばの車両の下を覗き込むように人が集まっている。どうせすぐには出発しないだろうと思い、僕もそこへ行ってみた。
 車両の下を覗き込むと、何か赤黒い塊りが車輪と軌道の間に挟まっている。運転手たちが潜り込んで引っ張り出そうとしている。僕の脇にいる人に何を轢いたのか訊くと、どうやら水牛らしかった。ようやく引きずり出された水牛は、もう何かわからないただの物体だった。そりゃそうだ。この車両は前から6両目だ。それだけ激しく轢かれれば形なんて残ってるはずは無い。
 約20分停車して、汽車はヤンゴンへ向けて再び走り出した。

 バゴーを出発して2時間ほどで、車窓がようやく街っぽい感じになってきた。時々通り過ぎる道も舗装路になった。線路の脇には大きな木が立っていることが多くなり、木陰に入って車内が明るくなったり暗くなったりする(←左の写真はイメージです)。ヤンゴン市内に入ってきて、汽車はよりそのスピードを落として進む。地図を広げると、ヤンゴン中央駅はもう少しだ。

 汽車は本当にゆっくりとホームに滑り込む。最後は赤ちゃんがハイハイするよりも遅いくらいだ。待ちきれない乗客はまだホームではない砂利の上に飛び降りる。僕は鉄道の旅を最後まで味わいたくて、完全に止まってから、その後の列車独特のより戻しの揺れが収まるまで席に座っていた。

 ヤンゴン中央駅(写真→)に到着した僕は、バゴーからミンさんに電話して取っておいてもらった駅近くのパノラマホテルにチェックインした。なんかちょっと煤けたようなあまりきれいなホテルじゃないけど、テレビ・エアコン・バスタブ・朝食付きで1泊たったのUS$17なので、コストパフォーマンスは高い。シャワーを浴びた僕は、すぐそばの行きつけの豚まん屋に行ってお気に入りのStarColaを飲んで一服した。

 今回ミャンマーに来て、ヤンゴンもそうだけど、地方で立ち寄った食堂や茶店にカレンダーがあったり、街中でやたらと目にする女性がいた。ミンさんに訊いたら、彼女はテンモーンミッ(ThetMonMyint)と言って、今ミャンマーで圧倒的に人気のある女優さんで、少数民族の出身だそうだ。ちょっと太め(グラマー)だけど、確かに魅力的な女性だ。はっきり言って僕は今大ファンになっている。ポスター屋台で散々彼女のポスターを買って来て部屋に貼っているし、彼女がジャケットになっているVCDも買ってきた(しかしK1,650もしたのに中身は全く関係無い人達が歌ってるだけ、残念)。はっきり言って、今まで見た東南アジアの女性の中で一番きれいだと思う。今度、世界初の私設“テンモーンミッ・ファンクラブ”でも開こうかな(会員になりたい人は掲示板に書き込んでください)。それから、ポスターはかなり大きいくてスキャンできなかったので、強引にデジカメで取り込みました(テンモーンミッ・ギャラリーをご覧ください)。このポスターを欲しい人も掲示板に、熱烈なメッセージとともにお申し込みください。メッセージ次第ではお譲りします(ポスターで売っていたものは、なぜかむちゃくちゃいいのがありませんでした。さらにデジカメで無理やり撮ったのであまり美しくないですが、本当はもっときれいです)。

 もうひとつ街を歩いていて気になったのが、ガス屋のガスボンベだ。何軒かあったのだけど、そのほとんどで左の写真のような日本で使われていた中古のガスボンベが使われていた。充填期限平成13年、15年、昭和68年・・・、んっ、今年は平成何年で、昭和だと何年だ?海外に暮らしていると今が平成何年なのかは全くわからなくなる。そんな僕でも、それらのボンベが充填期限が切れていることぐらいはわかる。中には右の写真のようにマジックで“ハイキ(=廃棄)”なんてさらっと書いてあるのまであって、もう使えないモノを海外に輸出している日本はなんてひどい国だ、なんて思いそうになるけど、実際は使えないのではなくて、新しいものに買い換える推奨の時期を設定しているだけで、本当は何の問題も無く使える。こうしないと日本のガスボンベ製造メーカーがやっていけないのだ。もとい、日本のありとあらゆる製造業が食べていけないのだろう。ある某大手家電メーカーPで働いている知人は、製品によって壊れて欲しい時期になると壊れるやわな部品を設計段階で設定して組み込んでいるそうだ。その友達は世界のS社なんか1年で壊れるようにしているけど、S社はサービスセンターが充実していて修理でも儲けていると言う。そんな日本よりは、使えるものはダメになるまで使い切る第三世界の方が、圧倒的に健康的だと思いませんか?それにしても、いくら日本語がわからないとはいえ、補填期限や“ハイキ”なんてのは消して輸出した方がいいと思った。

 ヤンゴン最後の夜は、ちょうど中国正月の最中だった。市内の中華街へ夕飯を食べに行くと、細い路地で中国の獅子舞?が店々をまわっていて、もの凄い人出だった。通りに面した食堂では、ほとんどの人がミャンマービールの生ビールで中華料理を食べている。僕もようやく席を見つけ生ビールを注文した。このミャンマービール、1杯K300(約38円)と、バゴーで飲んだマンダレービールよりも若干高いだけあってなかなか美味しい。温度管理もしっかりしていて、まわりの人がみんな頼んでいたので注文した具だくさん焼きそばK600(約75円)との相性は抜群で、つい4杯も飲んでしまった。でも、4杯飲んでもたったのK1,200(約150円)だからたまらない。うん、ますます大好き、ミャンマー!!

 翌朝は11時発の飛行機に乗らなくてはならなかった。8時に起きて支度をし、9時にロビーに下りるとミンさんが来ていてくれた。チェックアウトして外にでると、ミンさんが既にタクシーと空港行きを交渉して用意してくれていた。今回は本当にミンさんにお世話になった。やはり知らない国でこうして親身になってくれる人がいると、すごく安心できる。また次回もミンさんにお願いしよう。
 タクシーに乗り込むと、ミンさんとはここでお別れだった。ミンさんは既に空港までのタクシー代を払っていてくれた。最後までミャンマーの人はとても優しくて、日本人に通じる心づかいをしてくれた。この国を野蛮で危険な国だと言う人は、一度この国を実際に旅してみるといい。10日間旅した僕は断言できる、ミャンマーは東南アジアでもっとも優しく清らかな心を持った人々の国だ。決して欧米や日本の政府やマスコミが作り上げたような妄想の国ではない。ただ、だら〜っと長い紀行文になってしまったけど、もし読んでミャンマーに興味を持たれた方がいらしたら、タイに来るよりはちょっと時間と手間がかかるけど、是非一度実際にミャンマーを訪れてみて下さい。きっと心がふっと軽くなって、素直な気持ちに戻れるはずです。

(完)