【嗚呼!青春のサコンナコンへ】2003年3月
 目が覚めるともう空が白くなっていた。昨夜8時45分に出発した寝台急行69号ノンカーイ行きは、翌朝の6時50分には僕が降車するウドンターニーに到着する予定だ。今どこのあたりなのかはわからないけど、見渡す限りの農地が続き、時より草を食む牛や水牛の姿が通り過ぎる。昨夜、何度も友達のメイに電話したけど繋がらなく、あきらめて寝た時にはすでに30分の遅れがあったので、それからするともうウドンターニーからひとつ手前の駅ぐらいには到着するだろうと思い、僕は荷物をまとめ始めた。するとすぐに駅に到着したようなので駅名を確認すると、その駅はまだかなり手前のコンケーンだった。寝台急行69号は僕が寝ている間にその名前を裏切るかのごとく、さらに1時間30分も遅れていた。荷造りの手を休めた僕は再び布団にくるまった。
 ウドンターニーには8時45分にようやく到着した。そこからメイにもう一度電話をかけたが、やはりまた電源が入っていなかった。仕方なく僕はサコンナコン行きのバスが出るバスターミナルへと歩いた。今回の旅は去年までバンコクの大学に通っていた友達のメイを訪ねる旅のはずだった。特にメイに何か用事があるわけじゃなかったが、ただバンコクにいる事に飽きている僕にとって理由なんて何でも良かった。4日前にメイにはこの日の朝に僕が到着する事は電話で伝えてあったが、それ以来連絡が取れないでいた。もしかしてメイは僕が彼女の地元に行く事を望んでいないのか?それにしてもこの話は、この間メイがバンコクに遊びに来た時にメイの方からサコンナコンに遊びに来いと言い出だした事から始まったのだ。とりあえず見切り発車だけど、サコンナコン行き2等エアコンバス(80バーツ)の座席に着いた。
 いくら寝台列車でも眠りは浅いものだ。狭いバスのシートで僕はいつの間にか眠っていた。1時間ほどして目が覚めると車窓には痩せた赤土の大地が果てしなく続いていた。まるで昨年見たカンボジアのど田舎のような風景だ。時折小さな町で停車すると、決まってガイヤーン(タイ風焼き鳥)や串刺し味付け焼き玉子を持ったおばちゃんが乗り込んできて商売をする。そういえば昨夜から何も食べていなかった。だけどその睡魔には勝てずにひたすら眠り続けた。

 12時ちょうどにサコンナコンのバスターミナルに到着し、メイに電話するとようやくつながった。今サコンナコンからバスで3時間ぐらいのコンケーンというところにいて、2日後にサコンナコンに帰るらしい。僕はちょっと頭にきていた。それならそうともっと早く言ってくれよ!電話を切った僕はとりあえず宿を探した。予想通り何の変哲も無い田舎町だったが、どこもあまりきれいではないのに意外と高かった。何だかこんな町に泊まるのがバカバカしくなり、もう違う町へ行こうと思って、そのことを告げるためにもう一度メイに電話した。するとメイは「今サコンナコンへ帰る途中だ」と言う。「それならそうと一本電話入れろよ!帰ってきても、もしかしたらもう他の町に行ってしまっているかもしれないだろう!」僕は少々いらつきながら言った。それでも夕方6時頃には着く予定なので待ってて欲しいと言われたので、そんなタイ人の性格にあきれつつ、仕方なくメイが勧めるサコン・グランド・パレスというホテルへバイクタクシーで向かった。
 サコンナコンの町自体が何にも無い田舎町だけど、サコン・グランド・パレスのあたりは本当に何も無かった。店どころか家もあまり無い。前の道路は工事中なんだかただ舗装がされてないのかわからない。ホテル自体もいまいちパットしなかったが中に入って料金を訊くと、朝食付で700バーツとここも意外と高かった。何でここがオススメなのかもう一度メイに訊こうと電話したが、また通じない。とりあえず部屋を見せてもらったらまあまあだったので、朝食無しで400バーツに負けてもらいチェックインした。

 タイ人にサコンナコンと言うと、ほとんどの人が犬を食べに行くのかと言う。それくらいタイの中ではサコンナコン=犬食というイメージが定着している。ただ本当はターレーという村のそのまた一部の人のみしか食べない。僕はそのターレーという村へ行こうとホテルを出た。とりあえずバスターミナルまで来たものの、どの車がターレーを通るのかがわからない。こういう時はバイクタクシーに連れ行ってもらうのが一番なので、近くのバイタクおじさんと交渉を開始した。ターレーの村まではここから20km程あるようで、バイクなら約30分とのことだった。僕は往復300バーツで話をつけ、さっそくターレーへと出発した。
 日差しが痛かった。一応長袖を着てヘルメットを被ったけど、うなじから首にかけてがじりじりと焼けついた。もうそろそろ限界かと思ってた頃、タイでは珍しくキリスト教の教会や学校などが道端に見られるようになった。バイタクのおじさんのによると、ここはもうターレーの村で、ターレーの村はキリスト教徒が多いので犬を食べるんだと教えてくれた。本当かどうかは別にして、確かに仏教は無駄な殺生を禁止している。そういえば韓国もキリスト教徒が多いから犬を食べるのかな、なんて思っているとバイクはターレーの市場へと到着した。おじさんが市場の人に犬はどこで売ってるのか訊いてくれた。どうやら犬は一般の市場ではなく、違う場所で売っているようだった。バイクは市場の裏の路地を抜け、細い道路を左折した。
 思っていたより普通だった。市場の裏の道を左に曲がると、何軒かの小屋があった。ここで犬の肉を売ってるということだ。おじさんが気さくに声をかけてくれたおかげで、僕も簡単に犬を売ってる売り子の人たちと話ができた。何軒かあったお店はみんな同じ経営だ。僕は犬の干肉を100g(15バーツ)だけ買って、売り子たちと話したり写真を撮ったりした。売り子たちはカンボジア系の人が多かったけど、誰一人として自分で犬を食べると言う人はいなかった。みんな口を一にして言うには、中国や韓国でも犬を食べるけどタイほど美味しくて安く犬が食べられる国は無いそうだ。先日の暴動の時、カンボジアでも犬の肉がかなり値上がりしたというニュースはよく聞いたけど、それがうまいか安いかなんて思ってもみなかった。通常、犬肉はビーフジャーキーのように乾燥させたりして売ってるが、ここでは生肉も売っていた。聞いたところによると、中国では皮だけはいで頭を付けたまま売っているらしいが、ここでは通常の豚肉と同じような感じで売っている。また、トムヤム風味のトムヤム犬肉スープも売ってたが、食べていきなさいというすすめを丁重にお断りして町へと戻る事にした。

 町へ帰る途中バイタクオヤジがしきりに町にある犬肉料理屋を勧める。別に犬の肉が食べたいわけじゃないし、犬を食べたら犬によく吠えられるようになるって聞いたことがあるし、この誘いも断ってホテルへと戻った。

 ホテルの部屋に入ると急に睡魔に襲われた。6時までまだ2時間もあるので一眠りしようとベッドに入ったらすぐに電話が鳴った。でるとメイからで、もうサコンナコンに着いたそうだ。今からホテルに行くと言うので、急いで服を着てロビーに降りた。5分も経たないうちにメイが来て、お腹が空いたからご飯食べに行こうと、自分がサコンナコンにいなかったことを詫びようともせず、あたりまえのように腕を引っぱった。僕は眠くて言い合うのが面倒だったのでメイに言われるがままに外にでた。外にはメイの友達が待っていた。ピーター、ビッキー、アットの3人だ。簡単に自己紹介をし、2台のバイクに分乗してプラー(魚)を食べに行った。
 連れて行かれたのはイサーン(タイ東北地方)風バーベキュー店。バンコクならここでシーフードを焼くけど、イサーンには海が無いので、焼くのはもっぱら淡水魚である。バンコクにもイサーン料理屋があって、店頭でプラーチョン・パオクルア(雷魚の塩包み焼き)を焼いているところをよく見かけるけど、、ここでは大きなプラーニン(日本名不明)も焼いていた。メイはそのプラーニン・パオクルア(ニン魚の塩包み焼き)1匹と、ソムタム(青パパイヤサラダ)を辛い物と僕用にあまり辛くない物の2種類頼んだ。まだ夕方なんで酒は無しでペプシで乾杯。ビッキーはメイの幼なじみで、実家は雑貨屋を営んでいる。ピーターは大学を卒業したばかりで今は求職中、アットはコラート(ナコン・ラーチャシーマー)の大学で建築学を勉強している現役女子大生だ。メイは去年までバンコクの大学に通っていたがお金が無いので辞めて、この5月から地元の学校に通い直すらしい。ちなみに家は養鶏と米作をしている。
 色々話をしていると、料理が続々と出てきた。メインのプラーニンは鯛の尾頭付きといったいでたちで、バンコクで見るものよりもかなり大きかった(約35cm)。肉は淡白な白身で、適度に脂がのっていてかなりいける。しかも2種類あるタレがまた絶品!そして本場のソムタム(青パパイヤのサラダ)は全然違う味がした。バンコクの物は妙に甘くて、酸味付けにマナーオ(タイ風レモン)を使ってるが、ここのソムタムはゆずに似たようなレモンを使っていて、香りがすごくいい。更に、どこかへ行っていたビッキーが屋台でカノム・ジープ(シュウマイ)を買ってきた。バンコクでもカノム・ジープはよく売ってるけど、日本の冷凍シュウマイより美味しくない。ビッキーがこれはサコンナコン風カノム・ジープだと言った。確かにバンコクで見る黄色い皮の物とは違い、小龍包の様に白い皮で包まれていた。これも激ウマだ!気に入ったこの店!さっきまでの眠さも吹き飛ぶ美味しさだった。これで会計は180バーツ(約500円)なんだから、余計にたまんない。満足してお金を払おうとすると、メイがここは自分が払うと聞かない。僕は高いところだけ払えばいいと言う。これだけはっきり言われると逆に気分がよかった。お言葉に甘えて今回はご馳走になることにしよう。

 簡単な食事の後はデザートだ。続いてバスターミナルの前にあるグリーン・コーナーという店に入った。ここはサコンナコンで一番流行っている店らしいが、店の半分がケーキ屋、半分が冴えないファミレスみたいな感じであまり期待できなかった。みんなはケーキやパフェをじゃんじゃん注文したが、僕は何だか小腹が空いてたのでハンバーガーを頼んだ。食べ物を待っているとあとからあとから客が入ってくる。サコンナコンにはよほどまともな店が無いであろう事が想像できた。この町では洋食が食べられる所はほとんど無いのか、欧米人の姿も多い。こんな所まで来て何やってるんだろうと思っていると、我が同胞、アロハを着て真っ黒に焼けた日本人2人がタイ人と一緒に入ってきた。かと思うと、メイやビッキーの高校時代の先生が仕事を終えてお茶を飲みにきたり、となりの病院の看護婦さんが食事をしに来たりと、本当に流行ってる。ケーキはいまいちだったが、ハンバーガーはなかなかいけた。
 ここで僕はメールのチェックがしたくなり、ネットカフェに連れて行ってもらった。サコン・プラザというこの町唯一のショッピングセンター(平屋建て)の横に2軒並んでいて、1時間15バーツと言う激安だった。しかし、ホットメールを見ようとしても開けない。コンピューターを替えても、店を替えても日本語サポートソフトのダウンロード画面になって、ダウンロードしようと思っても途中で止まってしまう。これまでもいろんな町や国でメールチェックをしてきたけど、ホットメールはどんなしょぼい町でも見ることだけはできた(日本語入力不可な所は多い)。1時間ぐらいチャレンジしたけど、あきらめた。たぶん僕がいつも行ってるのは観光地ばかりなので、そういうところのネットは外国語が見られるようにあらかじめセッティングされてるんだろう。それだけサコンナコンに英語圏以外の人が訪れる事が少ないということだろう。
 外に出るとすでに日が暮れていた、と同時に虫の大群に襲われた。羽蟻みたいなやつがビュンビュン飛んで灯りに群がっている。その数といったら半端じゃない。でもみんなこんなことはあたりまえだと平気な顔をしていた。僕は2匹ほど食べちゃいそうになった。

 さっきご飯を食べたばかりだけど、今度は夕食だそうだ。人の家の庭先をバイクで横断しながら到着したのは国道沿いの木造一軒家。その前の歩道にはテーブルが置いてあり、今タイで流行ってるタイ風韓国焼肉が食べられる。タイ風韓国焼肉ってなんだって感じだけど、ジンギスカンみたいな鉄板の上で豚肉や牛肉・モツ・イカなどを焼き、鉄板の縁にはスープが入っていて、そこで野菜を煮ながら食べるものだ。タイ人はこれが韓国の焼肉だと信じているふしがある。あいかわらずペプシで乾杯するとすぐにメイの携帯に電話が入って、メイとビッキーは友達に会いに行くと言って行ってしまった。残された僕とピーター・アットでいろんな話をしながら焼肉を食べた。タイの若者ってやたらと都会志向というか欧米志向というか、あまり故郷を大切にしない人が増えてきている印象だったけど、2人も田舎の生活を大切にしてるし、誇りを持っていた。そしてよく勉強している。アットは来年政府の奨学金で日本の大学へ勉強しに行きたいと猛勉強中だ。酒を飲んでいなかったのでかなり中身の濃い話ができた、もちろん大半はバカ話ばかりだけど。しばらくするとメイとビッキーがジョニ赤を買って帰って来た。僕はソーダ割り、他の4人はコーラ割りで改めて乾杯した。この4人、とにかく仲がいい。僕も久々に純粋に楽しい食事だった。
 5人でジョニ赤を1本空け、ほろ酔い気分で今度は町で唯一のディスコに行く事になった。あいかわらずバイク3人乗りで深夜のツーリングだ。タイでももちろん運転免許はあるけど、地方に行けば行くほどその辺は適当になる。子供は学校が遠いのでバイクで通うし、日が暮れると公共の交通機関が皆無なので遊びに行く時はバイクに乗らなくてはならない。もちろんヘルメットの着用義務なんて形骸化している。僕も生まれて初めてバイク3人乗りを体験した。
 てっきりこのままディスコに行くのかと思ってたら、なんとかというお寺に連れてかれた。昼間サコンナコンの町を見てまわるのは暑いので今見なさいだって。でも真っ暗なお寺なんて気味悪いだけだし、酔っ払って来るような所じゃないと思う。次に連れてかれたのはサコンナコンのシンボルだという門。確かにライトアップされていてきれいだけど、まだかなり新しい。こんな歴史も権威も無さそうなものがシンボルか・・・。しょうがないから1枚だけ写真を撮った。

 『GOLDEN POND』、サコンナコン唯一のディスコだ。月曜の夜なので客の入りはいまいちだが、週末はかなりらしい。入り口でまたジョニ赤を買って中に入った(ジョニ赤美味しくないんだよな・・・)。今日何回目かの乾杯をしてちょっとするとコンサートが始まった。バンコクのディスコでも毎晩2回ずつセミプロによるコンサートがあるが、ここのはセミプロというよりも文化祭の学生バンド並だ。最初に出てきたのは吉川晃司くずれ、続いてはセクシーおねえちゃん、そして超ださラッパーの3人。それでも彼らはバンコクから来たらしい(おそらく自称で、たぶんバンコクの3流ステージに上がったことがあるだけだろう)。彼らの歌唱力やルックスとは関係無しに、客はお好みの曲が始まるごとに超盛り上がる。僕も今はまっているASANEE&WASANの♪SIT-KAUNG-TURがかかった時には、酒も手伝いつい大きな声で歌ってしまった。
 深夜1時近くになるとジョニ赤はもう20%ぐらいしか残っていなかった。みんな酒が弱いんでほとんど僕一人で飲んだような感じがしないでもないけど、僕的にはそんなに酔っていなかった。ぐいぐい飲む僕を見てピーターやビッキー、それにディスコにいた彼らの友達たちもビックリしていた。「フッフッフ、君達とは肝臓が違うんだよ」とタイ人に日本語でまくしたてた。そんな僕につられてか、メイがかなり飲みすぎたらしくフラフラしている。ビッキーもこんなに飲むメイを見たことが無いらしい。メイが「家がすごく遠いから、ホテルに一緒に泊まってもいいか?」と訊くので、仕方なく足元がおぼつかないメイをビッキーと僕で挟み込んで3人乗りでホテルに帰った。
 ホテルの部屋は2階だ。エレベーターが無いのでビッキーと二人でメイを担いで階段を登る。メイはタイ人にしては珍しく身長が165cm以上もある大きな女の子だから、けっこうきつい。ようやく部屋に着くと、ベッドに放り出した。しまった、こんなことならベッドをダブルじゃなくてツインにしておくんだった。チェックインの時にわざわざダブルに代えてもらっていたのだ。ビッキーはメイを放り出すとすぐに帰っていった。とりあえずベッドの下の方で座るように寝ているメイを、ちゃんと寝かさなくちゃならない。今度は一人で持ち上げて枕までずらし、サンダルを脱がせた。腰が痛い。
 シャワーを浴びてメイが寝ている側と反対側に入ろうとすると、「吐きそう!」とメイが言う。再びメイを担いでトイレに連れて行く。僕としては便器に吐かせたかったんだけど、どうしても洗面台の方で吐こうとする。そのうち本当に洗面台で吐き始めた。「掃除が大変なんだよな」なんて思ってると、見る見るうちに洗面台に水が溜まってきた。いよいよというところで吐き終わったらしく、再びメイをベッドまで抱えて連れて行く。案の定、洗面台の掃除が大変だった。
 ようやく水が流れてくれて、僕も寝ることができる。改めてメイが寝てる反対側にもぐりこんだ。すると今度はやたらとメイがまとわり付いてくる。僕はうっとうしくてベッドの端へ端へと逃げる。いよいよベッドから落ちそうになると、ベッドから出てさっきまでメイが寝ていた方にもぐりこむ。そしてまたメイが少しづつ近づいてくる、僕は更に反対側に移る・・・。こんなことを何回繰り返しただろう。僕はかなり眠かった。「お願いだから寝かせてくれよ」「抱きしめなさい!」。なんだこいつ酔ってないのか?仕方ないから抱きしめてやった。それをいい事にメイはどんどん密着してくる。僕は半年ほど前にバンコクでディスコに遊びに行った帰りに、メイを送るタクシーの中で唇を奪われた事を思い出していた。こいつは普段はただニコニコしてるだけのやつだけど、酒が入るとすごく積極的になるんだ。僕はこの後の展開を頭の中で考えていた。
 ひとつだけ断っておきますが、メイは決して夜の女性ではありません。タイの田舎の典型的な普通の子です。特に実家が貧乏というわけじゃないけど、大学を卒業できるほどの財力は無いといったレベルです(少なくともこの時まではそう思っていた。でも実はけっこう貧乏なのが後でわかります)。
 時計の針は2時を過ぎていた。この先どうしようか考えていると、さっきまで僕の首のところでもぞもぞ動いていたメイが不意に静かになった。耳を澄ますと可愛い寝息が聴こえる。よかった〜、寝てくれた。しばらくそのままでいて、メイの眠りが深くなった頃を見計らってまた反対側に最後の移動をし、僕も眠りについた。

 子供の頃、いくら遅く寝てもいつも朝早くから起きているおじいさんやオヤジのことが不思議だった。ところが僕もそんな年になったのだろう。翌朝は7時には目が覚めてしまった。まだ寝たい感じはすごくあるんだけど、身体がどうしても寝ようとしてくれない。となりではメイが気持ち良さそうに寝ている。さて、どうしようものか・・・。いつもの旅なら朝早く目が覚めたらホテルの周りを歩いてみるんだけど、窓から見る限りこのホテルの周りは本当に何も無い。仕方なく持参した本を読んで時間をつぶす。
 9時になった頃メイが目を覚ました。「プワット・フア(頭痛い)」。そりゃそうだ、あれだけ酩酊していれば頭痛いはずだよ。僕が昨夜の出来事を話すと、メイはディスコに行った所から記憶が全く無いらしい。吐いたのも憶えていないらしい。僕に抱きついて離れなかった事を話したら、顔を真っ赤にして毛布を被ってしまった。「ところで、この辺何にも無いけどメイはどうやって帰るの?」。メイはビッキーに電話しようとした。「ムートゥー・ティーナイ(携帯はどこ?)」。彼女はサムソンの最新式カラー携帯(日本円で5万円以上する!)を持っていたんだけど、どこかに置いてきたらしい。試しに電話をしてもつながらない、もう無いな。タイで携帯を無くしても出てきたためしがない。というのも、タイでは携帯の中古が売買されていて、買値の半分くらいで売ることができるからだ。「シィアダーイ(もったいない)」。「女はすぐに携帯を無くすから安いのでいいんだよ。何でお前があんな高いの持ってるんだ?」「お母さんが買ってくれた」。こいつの家はやっぱり金持ちなのか?でも前に実家は農家だって言ってたけどな。タイの農家は日本と違って貧乏人の代名詞だし。
 とりあえずビッキーの実家に電話をしてビッキーに迎えに来てもらうことにした。ビッキーが来るから早く用意しろと言っても、僕にシャワーを浴びろと言ってベッドから出ようとしない。メイが帰ったらシャワーを浴びると言ってもどうしてもベッドから出ない。引きずり出そうとしたら、知らないうちにベッドの中で服を脱いでいて恥ずかしくて出られないらしい。ならそうと早く言いなさい。僕はシャワー室へと向かった。
 シャワーを浴びている最中にビッキーの声がした。トランクスにTシャツ姿で表に出るともう2人とも準備ができていて、朝ごはんを食べに行こうと言う。急いでジーンズを履こうとしたらメイが「何でパンツを履かないんだ」と言う。タイ人の男はタイ人の仏教徒率と同じくくらいかそれ以上の割合でパンツはブリーフだ。だから僕の履いていたトランクスはムエタイのパンツにしか見えないらしい。ビッキーも不思議そうに見ていた。
 
 昨日のグリーンコーナーでアットも合流し、今日も朝からみんなでケーキを食べる。僕はメニューに緑茶を見つけたので注文した。出てきたのは予想通り甘〜いアイス緑茶だった、しかも殺人的な量だ。おかげで同じく甘〜いケーキをほとんど食べられなかった。
 朝食の最中に、僕がサコンナコンのインターネット事情は異常な遅れ方だと言うような話をしたら、ビッキーがもっといいところに連れて行くと言う。それなら見てやろうと、そのネットショップへと向かった。
 街中からバイクで約20分、そのネットショップはビッキーの家のすぐそばだった。とりあえずホットメールを開けてみたが、今度はエンコードに日本語があるので読めそうだと思ったけどやっぱりだめだった。僕はもう諦めた。
 前にも言ったとおりビッキーの家は雑貨屋を営んでいる。タイならどこにでもあるようなというか、タイのテレビで雑貨屋の設定があるとこんな所だよなぁといった感じの、THE雑貨屋だ。メイがそのショーケースから飲み物を勝手に出して勝手に開けて僕にすすめる。そしてその辺のお菓子をバリバリ開ける。ビッキーのお父さんやお姉さんはニコニコしているだけだ。とりあえず戴くことにしよう。
 お菓子でお腹がいっぱいになると、メイが自分の家に行こうと言い出した。このわがままお嬢さんがどんなところに住んでるのか見てみたかったので、バイクを走らせた。
 二人乗りで舗装の途切れた道を走る。周りで家畜を飼っているところが多いらしく、家畜の糞の臭いが鼻につく。10分も走ると共同農場のような所に入った。大きな貯水場があり、その貯水場を回り込んだ所にメイの家があった。『百聞は一見にしかず』という言葉があるが、この時ほどこの言葉の意味を実感した事は無かった。予想をはるかに上回る貧乏さだ。赤土の道路脇に木造2階建ての家がぽつんとある。僕は何だか見てはいけないものを見てしまったような気がした。メイのお母さんが外で洗濯物を干している。僕は丁寧にワイ(合掌)をして挨拶した。家の前では物置でも作っているのだろうか、3人の男たちが工事をしている。その男たちが邪魔なジャックフルーツの木を切ろうとしていたので、もったいないと言った。その男たちの一人がメイのお父さんだと知ったのは帰る前だ。その人がお父さんだと気付かないくらい貧しかった。メイが水浴びをしている間、僕は居間でお母さんに出された冷水を飲んで待った。来る途中メイが家には冷蔵庫もテレビも無いと言っていたが、テレビも冷蔵庫も洗濯機もあった。ただそれらを覆うハードの部分、家がただの小屋だ。僕は仕事で行った北海道の富良野にある『北の国から』の小屋を思い出した。それでもメイは何でこんなに健気なのだろうか?全く暗いところが無い、というかかなりあっけらかんとしている。メイが水浴びを終え帰る途中、僕はそのことをメイに訪ねた。「兄弟に女が自分しかいないから、両親ともメイのことが可愛くてしょうがないの。だから何でも買ってくれるし、何でも言う事を聞いてくれる。」「・・・・・・・。」これが熱帯のおおらかさなのだろう。ぼくはこのような熱帯の空気が好きだ。僕は毎日こんな空気の中で泳いでいる。もしタイに来たばっかりの頃にこの話を聞いたら、こんな気持ちにはならなかっただろう。
 ビッキーの家に帰ると、メイは銀行に行くといって町へ出かけていった。僕はビッキーの家の居間でテレビを見て待っていた。この時新しいお友達のヌイが合流した。居間といってもただの部屋で網戸は無くなぜかリクライニングチェアがたくさん並んでいた。ビッキーが「蚊がたくさんいるから気をつけてね」と言って、僕にひとつのリクライニングチェアをあてがった。たくさんあるリクライニングチェアは昼寝用だった。こんな空気も大好きだ。いったい網戸も無いのにどうやって蚊に気をつけるのだろうと思いながら、僕は遠慮せず昼寝をした。
 1時間ほど寝て目が覚めると周りではビッキーやピーター、アット、ヌイがみんな並んで昼寝をしていた。僕ももっと寝たかったけど蚊に刺されてかゆくてしょうがなかった。僕は表に出て、ビッキーの家のお店の冷蔵庫から勝手に採れたての牛乳を取り出し飲んだ。こんなに美味しい牛乳は飲んだことが無い。あまりのおいしさに感動していると、ビッキーのお姉さんが僕を呼ぶ。行くと小さな子供たちが店の前にたくさんいた。しかも黒い変わった服を着ていてすごくかわいい。「1週間に1回だけ地域の小学校はサコンナコンの伝統的な衣裳を着て学校に行かなくてはならないの」とビッキーのおねえさん。今日がたまたまその日だ、これを逃してはならないと僕は慌ててカメラを取りに行った。

 メイが戻ってくると、ホテル代がもったいないから今夜はビッキーの家に泊まれと言う。そうしようかとも思ったけど、たぶんまた蚊に刺されるだろうし、水浴び場はあるけどシャワーが無かった。明日はナコンパノムと言う町に行き、そのまま深夜バスでバンコクへ戻る予定なので、今夜はゆっくり寝て、朝きちんとシャワーを浴びたかった。後ろ髪をひかれる思いで、町のホテルに泊まることにした。

 夕方日が暮れかかると、最後に記念にすごくいい所に行くとみんなが言い出した。3台のバイクに6人で分乗し、にわかツーリングが始まった。ビッキーの家の前の道を町から反対の方に行くと峠になっていて、サコンナコン近辺から出るバンコク行き長距離バスは全てこの峠を越え、コンケーンという町を経由してバンコクへと向かう。2人乗りのバイクは峠では恐ろしく非力で、後ろから長距離バスが来るたびに冷や汗ものだった。僕はメイを後ろに乗せまずはサコンナコンの町を見渡せると言う場所へと向かう。15分ほど走ると到着したが、サコンナコンの町自体に灯りがあまり点っていなく、また靄がかかっているのもあってそれ程景色が良いとは思わなかった。でもみんなはすごく感動している、すごく綺麗だと言う。せっかくみんなが連れてきてくれたのに、僕はその肥えてしまった目を恨んだ。
 そのすぐそばに世界一大きい道標がある。タイの幹線道路には道端に道の名前と何km地点か、次の町まで何kmあるかが書いてある道標が1kmおきにあって(日本の高速道路の〜kmポストのようなもの)、通常は高さ60cmぐらいだが、ここにあるものは普通の3倍以上あり、乗用車よりも大きい。タイ暦2540(西暦1997)年11月15日に完成したこの道標は、総工費15,000バーツ(約43,000円)で作られた。それにしてもタイ人は世界一に挑戦するのが好きだ。最近では「世界一大人数のエアロビクス大会」「24時間歌を歌い続ける」「24時間奥さんを抱っこし続ける」など、ギネスに申請したものはかなりある(そういえば日本も昔はそんなのがたくさんあったな)。この道標もギネスに載ってるのだろうか?もし載ってらとしたらかなり安上がりだ。
 ちょうど峠の上に日が落ちるので、その頃になると急激に夕闇が迫ってきた。みんながもう一ヶ所いい所があるから急ごうと言うので、再び2人乗りで今度は今来た方へ戻りだした。その場所はすぐにあった。貯水場というか小さなダムだった。ここも何てこと無いところだったけど、ちょうど暮れかけの空の色が綺麗で、その明かりが映る水面がまた美しかった、そして誰もいなかった。みんな何をするわけでもなくガードレールによりかかって水面を見つめ、ときおり誰かが冗談を言ってみんなを笑わせる。そんな時間が心地よかった。学生時代、ただ海が見たいという友達の一言をきっかけにみんなで海を見に行った事がある。なんだかそんな青いひとコマが想い浮かぶ。たぶん他の5人は子供の頃からこれらの景色を見てきたのだろう。特に今見なくてもいつでも見られるけど、今日は僕のためにここへ来てくれたのだ。日本にも友達はいるけど、もうみんな大人でこんな非生産的なことをしたがる人はいない。僕はすっかりみんなが好きになっていた。きっと都会暮らしでこういった人間づきあいに餓えていたのだろう。

 辺りがすっかり暗くなり、一度ビッキーの家に戻って荷物をピックアップして町のホテルへ向かう。帰り際ビッキーの家族がみんなで見送ってくれた。僕は飲んだり食べたりした物のお金を払おうとしたけど、いいといって受け取ってくれない。仕方がないので丁寧にお礼をし、今度は日本からお土産を持ってくると言って出発した。
 翌朝ナコンパノムへ向かうため、ビッキーの家の人がバスターミナルのそばの安ホテルを僕に用意してくれていて、そこへみんなが送ってくれた。チェックインしてから一緒にご飯でも食べに行くのかと思ってたら、みんなすぐに帰ってしまい、なんだか急に寂しくなった。仕方なく前のセブンイレブンでビールとつまみを買い、誰もいない部屋で一人で晩酌をした。何なんだ、この胸のもやもやは。いくら飲んでもちっとも酔いやしない。たぶん寂しかったのだろう。仕方なく僕は夜の町を歩き始めた。特に何か目的があるわけじゃないけど、昨夜みんなで行った場所をひとつづつ確認していっただけだ。タイ風韓国焼き肉の店、グリーン・コーナー、サコン・プラザ、ゴールデン・ポンド・・・。これだけ歩くともう自分がどこにいるのかわからなくなる。途中で給油をしながらさらに歩くと、何と日本料理らしき店を見つけた。中に入って訊いてみると、タイスキとタイ風日本料理の店だった。さらにその先には一軒のインターネット・ショップがあり、試しにそこでホットメールを開いてみると、何と日本語が読めるばかりか、入力までOKだった。そこで2日分のメールをチェックし、必要なものだけ返事を書くと2時間ぐらいかかった。終わって料金を払おうとすると、なんと45バーツ(約120円)、なんて安いんだ!
 ネット・ショップに2時間もいたからだろうか、外に出ると全く方向がわからなくなっていた。しばらくは感で歩いていたけど、夜遅いせいか辺りに道を尋ねる人も無く、メイに電話して助けを求めた。その頃メイはみんなと町に一軒だけの映画館でレイトショーを観ていた。僕が自分の周りにある看板を片っ端から読んで伝えると、映画を見ている途中ならもったいないからいいという僕の言葉ををさえぎり、すぐ行くからそこを動かないでと言って電話を切ってしまった。僕は道端のブロックの上に座り、メイが来たら日本料理店があったことや、メールができた事なんかを話そうと考えた。ほどなくメイがビッキーと一緒に来ると、メイはまるでお母さんのように迷子になった僕を叱り、とてもじゃないけど日本料理店やメールの話なんてできなかった。子ども扱いついでにお腹が減ったと伝えると、バイクで道端のラーメン屋台に連れて行き、その後ホテルまで送ってくれて、もうほっつき歩かないように釘を刺されて再びお別れをした。
 また一人で寂しくなった・・・。

 翌朝目覚めてから、サコンナコンの市場の探索に出かけた。どこにでもあるような市場だったけど、さすがイサーンだけあって虫のレパートリーは圧巻だった。バンコクでも食用の虫を売っている屋台はいっぱいあるけど、生食用の物を売っている所は無い。芋虫、ヤゴ(トンボの幼虫)、コガネムシ、蝉、蟻・・・・・。それから何の虫だろう、どれもまだ生きていて、もそもそ動いている。売っているおばちゃんはしきりに僕に食べてみろと勧めるけれど、さすがに生は食べられなかった。

 11時ちょうどのバスでナコン・パノムへ向かう。途中、前述のターレー村を通った以外はこれといった変化も無く、1時間半ほどでナコン・パノムのバスターミナルに到着した。夕方に出発するバンコク行きのバスを予約してから街へと向かう。バスターミナルからコン川(メコン川)まではサムロー(三輪バイクタクシー)で向かう。普通、こういった田舎町では旅行者からはかなりぼってくるんだけど、今回の道のりは5km程あっただろうか、運転手は10バーツしか請求しなかった。正直な運ちゃんなので、オーリアン(タイ風超甘いアイスコーヒー風味ドリンク)をご馳走してあげた。
 到着した地点はコン川のほとりにある船着場だ。もしビザがあれば、ここから小さな船に乗って対岸のラオスに渡れる事ができるそうだ。ここから見えるラオスの町はター・ケークと言って、見える限りではほとんど何も無いラオスの普通の田舎町だ。それにしてもここの国境検問所、一応出入り口はあるけど、裏に回れば誰でも出入りできるぐらいちゃっちいし、現に何のチェックも受けないまま通って向こう側に行く人もたくさんいた。しばらく座って国境って何なんだろう?なんてマジに考えながらそんな光景を見ていた。


 どれくらい国境の船着場でボーッとしていたのだろう。そろそろ陽が西に傾きかけてきた。僕はこの町に来た一番の目的である、コン川(メコン川)で獲れる巨大ナマズを食べようと立ち上がった。近くの屋台のおばちゃんに訊いたら、その場所よりも少しだけ川沿いの道を北に上がった所に巨大ナマズを食べさせてくれるお店があるらしい。とりあえず重たい足を北に向けた。
 その店はすぐにわかった。店名はズバリ「GoldenGiantCatfish」、まだ日暮れ前ということで誰も客がいなかったが、巨大ナマズが食べられる事を確認して、コン川を一望できる窓際の席に座った。壁には色あせた巨大ナマズの写真が掛けてある。その写真をまじまじと眺めていると、その店の主人らしいおばちゃんが「昔は150〜180kgもある大物が良く獲れたけど、今じゃたまに30〜40kgのものが獲れれば良い方で、ほとんど獲れなくなってしまった」と話してくれた。写真の物も相当大きく見えたが、考えたら180kgと言うとかなり大きな相撲取りぐらいある。
 この巨大ナマズ、タイ語ではプラー・ブクと言い、その肉は鶏肉に近く、料理はトム・ヤムをはじめ、代表的なタイ料理の味付けに何でもしてくれるらしい。さっきの話だときっとナマズは冷凍物なので味付けの濃いものにしないと臭うと思い、プラー・ブク・パット・ペット(=レッドカレーに近い物)を選んだ。料金は希少価値があるのか何と1皿160バーツ(約450円)もしたが、ここまで来たんだからと思い、ビールとカオ・ニアオ(もち米)と一緒に注文した。
 ビールが先に来て、川を見ながら何も考えずに飲んだ。僕は明るいうちに飲む酒にすごく弱い体質なので、料理が来る頃にはもうすっかりいい気分になってしまった。そんな状態ではあったけど、やっぱりナマズの身は少し臭った。ナマズ本来の臭さというよりも、やっぱり冷凍ものだからであろう。もしこれが獲れたてであったらなかなかの珍味だ。鶏肉ではないけど魚とも少し違う、白身で皮との間に黄色い脂肪がついている。固めの鰻のような感じもする。僕の拙い文章力ではとても書ききれないので、興味のある方はご自分で。北部、チェンラーイ近くのチェンコーンでも食べられるそうです。

 食べ終わって外に出るると、もうバスの時間が近づいていたので、とりあえず国境検問所の前にある市場へ行った。ほとんどのものが中国からのチープな輸入品だったけので、片っ端から地元の物は無いのかと訊きまくったら、壷に入ったサートー(米から作った甘いお酒)があった。今このお酒は一般の流通にも乗っているのでバンコクでも買えるけど、ビンに入ったものしか見た事が無かったから、持って帰るのがおっくうだったけどおもしろいので、同じく米から作った麺と一緒にお土産として買った。ちなみに、サートーは約1升入りで120バーツ(約350円)、麺は2食分3パックで100バーツだった。

 バンコクへと向かう夜行バスは、定刻どおり18時にナコンパノムを発った。1時間もするとサコンナコンの街に入り、中心部を抜け、ビッキーやメイの家がある213号線に入った。しばらくするとビッキーの家の前を通り、続いて世界一の道標の前にかかった。なんだか心がツーンとした。楽しかった時が思い出された。田舎へ遊びに行った子供が帰り際泣いて帰りたくないと言うような感じだ。また独りぼっちになる明日からがちょっと怖かった。(完)