Kate Bush "Never For Ever" (1980) [UK] Babooshka Delius Egypt The Wedding List Violin |
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1980年 日本盤だけに飽き足らず 輸入盤やコレクターズアイテムを求めるきっかけになったアルバム Kate Bushを初めて知ったのは1978年の東京音楽祭 初めて自分で買った洋楽アルバムはKate Bush 初めてのビデオソフト(それもベータ)はKate Bushのライブ 初めてのプロモビデオ集はKate Bush 初めての12inchシングルはKate Bush 初めての洋書の写真集はKate Bush 初めての輸入盤はKate Bush 初めてのブート盤CDはKate Bush 初めてのブート盤DVDもKate Bush |
Marlene Dietrich "The Magic of Marlene" (?) [Germany] Ich bin von Kopf bis Fuß Sag mir, wo die Blumen sind |
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1982年 それまで持っていたイメージとは違うドイツ語の柔らかさと ベルリンという街に興味を持つきっかけになったアルバム ああまさか当時ビデオ化されてなかった映画が上映されるとなったら 入れ替え制のない映画館で1日中鑑賞したり 国内を駆けずり回ってアルバムや写真集やポストカードを手に入れるのみならず 初めての海外旅行を統一ちょっと後のベルリンとロンドンにして 本やら写真やらを探して買いあさり 亡くなった後はベルリンに墓参りに行くわ生家を尋ねるわ遺品展に行くわ 資料を集めたサイトをおこがましくも作成するわと ドイツ人も呆れる行動に駆り立てられるとは |
Matia Bazar "Souvenir" (1986) [Italy] Vacanze Romane Aristocratica Souvenir Ti sento |
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1986年 なかなか乗りきれなかったレコードからCDへの移行期に 初めてCDで買ったアルバム コンパクトディスクが世に出回りだした頃は アルバムはレコードとCDの両方でリリースされていたので 新譜はまだまだレコードで購入していたのだけど 遂にCDでしかリリースされなくなったアルバムも出てきたので ええいっと思い切ってCDプレイヤーを導入する決意をさせたアルバム これ以降、怒涛のようにCDを購入することに・・ |
Fairuz "Fairuz in America" (?) [Lebanon] Nassam Alayna Al Hawa Sanarja'ou Yawman Olympia, Paris 1979 Bahibak ya libnan |
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1987年 ワールド系の輸入盤屋に通うきっかけとなったアルバム NHKの情報番組で紹介されていたオリンピア劇場でのコンサートで歌われていた曲を求めて レコード屋に頼んでNHKに問い合わせてもらったり 神戸・三宮のMr.Jacketやアメリカ村のGardenで 読めないアラブ語を前にお店の助言と勘を頼りにアルバム買っているうちに ナンだかアルバムの枚数がスゴイ事になってしまっちょります |
Jochen Kowalski "Handel & Mozart Arien" (1980) [Germany] Or la tromba Giustino Ombra mai fu |
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1990年 国内外のコンサートなどをワールドワイドに追っかけたり ドイツという国に多少なりとも関わったりするきっかけとなったアルバム ま〜まさか初来日東京公演でドタキャンくらった勢いで 東京公演のみならず千葉や倉敷 果てはドイツ語まで勉強しだして ドイツ人ちにホームステイさせてもらいながら年1ペースでベルリンに 更にポツダムにドレスデンにハンブルグ おまけにロンドン、メトロポリタン、コペンハーゲンと追っかけるようになるとはっ もうアホ丸出しっ |
Mireille Mathieu "Das Himmel unter Paris" (1980) [France] Rummelplatz der Liebe |
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2000年 それまで「怖いわ怖いわ」と躊躇していた 海外のオンラインショップで買い物をし始めるきっかけとなったアルバム 子供の頃、外国人と結婚して神戸に住んでいた叔母がダンナの国に永住する事になり うちに置いていったアルバムのうちのミレイユ・マチューのベスト盤が気に入ってた事を思い出し 輸入盤屋華やかりし頃にアルバムを探しに行ったけど見つからず 偶然ベルリンのCD屋の「ドイツ人歌手コーナー」で ピアフのシャンソンをドイツ語を歌ってるアルバムを見つけ 「ええっっミレイユ・マチューってドイツ人だったのんっっ?」という大きな誤解を抱いたのが 日本ではリリースされていないアルバムを集めだすきっかけ ミレイユ・マチューはドイツ語アルバムを東西ドイツのどちらでもリリースして人気があったけど やっぱりフランス人だったというのを再確認したのは もちょっと後のこと |
Anna Prucnal "Chante Vertinski" (1980) [Poland] Le negre violet |
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2003年 スラブのメロディの美しさを知り ロシア人とも交流するきっかけになったアルバム ロシア人とのアルバム交換のおかげで そのロシア人のお父さんの形見だったという アレクサンドル・ヴェルチンスキーの生誕100年記念のソ連リリースのアルバムやら ヴィソツキーやらプガチョワやらタチアナ&セルゲイ・ニキーチンやらアンナ・ゲルマンやらの キリル文字のCDがざっくざく おまけにプリュクナルの来日コンサートのプログラムやら 日本では出版されてないフランス語の自伝やリリースされていないアルバム求めて オンラインショップで海外の中古盤まで漁るようになって ほんまにも〜〜 |