優しかった瞳は、氷のように冷たく。
破壊と殺戮を繰り返す。
お前の罪は私の罪。
お前をそう変えてしまったのは私。








          5

 魔界。
「カシス様、申し訳ございません」
「気にするなメディア。『ティルニア』が拒むかぎり、ティルは目覚めはしない」
 グラスを片手に、カシスはそう言って笑った。
「このまま行けば、バーンが味方になるのも時間の問題だろう。そうすればレオンは私に勝つことはできなくなる…確実にな」

「ティル…」
 テンが掃除をしていたティルニアに声を掛けた。
「何?」
「本当にいいのですか?このままで」
 ティルニアは手を休めると、困った顔で答えた。
「そりゃ知りたいわよ。自分がどんなだったか…」
「彼がどんな人物なのかもでしょう?」
 テンが言った。
「俺が教えてやろうか?」
 背後で声がした。
 振り向くと、そこにいたのは見知らぬ男だった。鋼の鎧を身にまとった、いかにも戦士という感じの男である。
「バーンに内緒で俺についてくれば、すべて教えてやってもいい」
男はティルニアに近づきながらそう言った。
「あなたは誰なの?」
 ティルニアが尋ねた。
「バーンの悪友ってとこ。デス=レイだ…レイでいい」
 そう言って男は笑って見せた。
「どうする?俺と来るか?」
「レイ!」
 バーンの声がした。
「何をしてるんだてめえは」
「何って?このお嬢さんに全部教えてやろうと思ってさ」
「余計なことをするんじゃねえ!」
 バーンが怒鳴った。
「見てらんねえんだよ…今のお前はらしくなさすぎる」
 レイが言い返した。
「だからといって…」
「行くわ…全部知りたいもの」
 バーンの言葉を掻き消すようにティルニアが言った。
「どうする?バーン。お嬢さんは知りたいとさ」
 レイがそう言うと、バーンは少し黙ってから言った。
「いいだろう…テンも来るか?」
 バーンの言葉にテンは黙って首を横に振った。
「僕は行くべき人間じゃありません」
 テンの言葉にバーンは何も返すことなく背を向けた。

 
 教会を出てから、ティルニアは何も聞かずにバーンの後をついて歩いた。
「ここだ」
 そう言ってバーンが立ち止まった場所は、小さな洞窟の前だった。
「ここをくぐると魔界城に出る」
「魔界!?」
 ティルニアが聞き返した。
「帰ってもいいぞ」
「帰らないわ」
 バーンの言葉にティルニアはそう答えた。
「じゃあ行くぞ」
 そう言うとバーンは洞窟へと入っていった。
「よく来てくれた」
 洞窟に入ったと思ったら、次の瞬間そこは大きな広間になっており、一人の男が三人を出迎えた。
「あんたに会いに来たわけじゃない」
 バーンは冷たくそう言った。
「久しぶりですねティル…」
 男はそう言って優しく微笑んだ。
「まだ『ティルニア』だよ」
「そうでしたね。じゃあ初めましてティルニア」
「どうも…あの、あなたは?」
「私はレオン。この城の主です」
「じゃあ魔界の王…?」
 ティルニアはレオンをまじまじと見つめた。
「驚きましたか?」
 レオンの言葉にティルニアは大きく首を縦に振った。
「立ち話も何ですから、そこに腰かけて下さい。サラ、お茶をお持ちして」
 レオンがそう言うと、キャティアの少女がお茶を運んできた。
「ありがとう」
 ティルニアがそう言うと、少女は微笑んだ。
「さあティルニア、何を知りたいですか?」
 レオンが尋ねた。
「全部…です。リザロ…いえ、バーンは自分のことを何も教えてくれません。私が女神だった話は聞きました。けど、バーンとどんな関係だったか、バーンが何者なのかは教えてもらってないわ」
「バーン…自分の口から言わなくていいのか?」
 レオンが訊くと、バーンは何も言わずただじっと座っていた。
「私の作った法に反対している悪魔たちの代表者はカシスという男で、私と互角とも言える魔力を持ちます。そして、私たち二人に負けない強い魔力を秘めているのがバーンです。バーンは私とカシスのどちらにも味方しない、いわば中立の立場にあります。しかし、カシスは何としてでもバーンを仲間にしたいと考えているのです」
「それと私の記憶と、どう関係があるんですか?」
「女神・ティル=ディーンは、バーンの恋人でした」
「え…?」
 ティルニアは驚いた顔でバーンの方を見た。
「返してほしければ味方になれ…カシスはそう言ったがバーンは自力でティルを見つけてしまった。だから再びバーンから奪うために君を狙ったんです。ティルとして目覚める前に」
「すべてはあんたが悪いんじゃねえか」
 黙って話を聞いていたバーンが口を出した。
「カシスを変えたのはあんただ」
「そうだ…そうだな。…私がすべて悪いんだ」
 バーンの言葉にレオンはうつむいた。
「かつて親友であった彼を裏切り、彼を変えてしまったのがすべての始まり」
「何があったんですか?」
 ティルニアはレオンに尋ねた。
「人間の女を取り合ったんだよな?」
 答えたのはバーンだった。
「カシスと一緒になるはずだった、けど最終的にあんたを選んだ。心の底から愛していた女を親友に奪われた。でもここまではまだよかったんだよな?」
 バーンが言った。
「時が過ぎて、カシスは私を許してくれた。しばらくして、カシスはエルフの女性と恋に落ちた。過去の失恋の傷も癒え、以前と変わらないカシスが戻った。しかし…」
 レオンは途中で話を止めた。
「何があったの?」
 ティルニアがバーンに尋ねた。
「その女が殺されたんだ。人間にな」
「うそ…」
「それ以来カシスは人間を憎むようになった。そして人間に味方した私を」
「そして二人の喧嘩に巻き込まれたのが俺とティルだ」
 バーンはレオンを睨みつけた。
「すまないと思ってる」
「謝ればいいって問題じゃねえだろう!俺の唯一の居場所まで奪って、何がすまないだ!」
 そう言ってバーンは部屋を出て行った。
「あの、私探してきます」
 ティルニアが立ち上がろうとすると、レオンは無言でそれを引き止めた。
「そっとしておいてあげて下さい。バーンも辛いんです」
「でも…」
「バーンにとって、カシスは兄のような存在だった。そのカシスが大きく変わってしまったことが…自分の恋人を奪った人物であることが辛いんです」
「レオンさん…」
「私はバーンのことを何も知らない。今彼がどれほどの力を持っているかも知らないんです。実は今日会ったのもだいぶ久しぶりなんですよ」
 そう言ってレオンは少し寂しそうに笑って見せた。
「レイ、ティルニアを村に連れて行ってあげて下さい」
 カシスがそう言うと、部屋に壁に寄りかかって話を聞いていたレイが、二人の方へ歩み寄って来た。
「お嬢さん、帰ろうか」
「でも、バーンは?」
「すぐに追ってくるさ」
 そう言うとレイは笑った。ティルニアはゆっくり立ち上がると、レオンに軽く頭を下げた。
 レイが開けた扉をくぐると、そこはあの洞窟の前だった。
「お帰りなさい」
 リッドが二人を待っていた。
「お嬢さんを村まで送ってやってくれ」
「デス=レイ、あなたは?」
「俺は魔界に戻る。向こうからゲートを閉じて、黒悪魔たちが入れないようにしないといけないし」
 そう言って、レイは洞窟の中に消えて行った。
「バーンは…ゲート、閉じたらどうなるんです?」
「大丈夫。マスターにゲートなんか必要ありません。自力でこちらに戻ってきますよ」
 いつもと変わらない表情でリッドが答えた。
「戻りましょう、皆心配してます」
 二人はそれ以上何も話さずに、村へと歩いた。

 村に戻ると、二人はまっすぐに教会に向かった。
「お帰りなさい、ティル」
 テンが笑顔でそう言った。
「うん…」
 ティルニアは曖昧に答えた。
「僕はちょっと出かけてきます。留守番頼みますね」
 テンはそう言うと、何も訊かずに教会を出て行った。
「優しいですね、彼は」
「うん。優し過ぎるくらい」
 そう言ったティルニアの目は少し潤んでいた。
「マスターは多分今ごろ天界でしょうか…」
 リッドが言った。
「え?悪魔も天界に行けるんですか?」
「ええ、蒼悪魔は天界と友好を結んでますから。もう伝わってるとは思いますけどど、あなたを見つけたことを知らせに行ったんですよ…あなたの父上に」
「どんな人ですか?」
「私は天界に行ったことがないのでわかりません」
「あなたにとって…バーンはどんな人なんですか?」
 ティルニアが尋ねた。
「命の恩人です。人間に必要では無くなった私を、あのお方は必要としてくれます」
「人間に…必要とされない?」
「私の魔力が強いがために、それを恐れた人間は私を殺そうとしました。まぁ、もうとっくに人間の寿命の倍は生きてましたから、死んでも構わないと思っていた私をあのお方は救ってくれたのです」
 そう言うと、リッドは何やら呪文を唱え始めた。
 暖かな光が天使像を照らした。光が消えると、リッドの姿は変わっていた。
 栗色の髪は銀に。
「私はこの姿と本当の名を捨てました。リッド=ナーシャというマスターからもらった名前が今の私。かつては英雄と謳われ、人間を助けるためだけに力を使ってきたのに、今度は化け物扱いですよ。人間はこの世で最もわがままで自分勝手な生き物です。時には天使の様に、時には悪魔より残酷になる…」
 リッドの目には悲しみが溢れていた。
「そうね…そうかもしれない」
「でも、マスターはそんな人間を愛しています」
「バーンが?」
 ティルニアは驚いて聞き返した。
「ルシファーが堕天使となったのは、罪を犯し続ける人間に裁きを与えるため自ら望んだことなんだと、マスターはそう言っていました」
「バーンが人間を…?」
「聞かなかったのですか?マスターの母上は人間だったんですよ」
 リッドの言葉に、ティルニアは一瞬止まった。
「人間界は、マスターにとってもう一つの故郷なんです」
「バーンが…」
 ティルニアはまだ信じられなかった。
「私は…あの時消えるはずだったこの命を、マスターのために使うと心に決めました。初めてなんです。心から仕えたいと思えたのは」
「本当の名は何ていうんですか?」
 ティルニアが尋ねると、リッドは黙ってしまった。
「ごめんなさい、言いたくないならいいです」
「一度捨てた名前ですけど…昔は気に入ってたんですよ。聞いたことありますか?『名も無き神官、旅の魔導士、その魔力にて眠りの魔人を封印す』」
「知ってるわ。『神官の名はハルディン。失われた言葉で[光り]を意味する。魔導士の名はナタク。その髪はこの世のものとは思えぬ程透き通る銀…」
 そこまで言いかけて、ティルニアははっとした。そして、自分の目の前にいる青年の姿をまじまじと見つめた。
「銀色の髪…ナタク」
「ナーシャは失われた言葉で[銀]。私の髪の色です。銀髪なんて珍しいものではありませんけどね」
 リッドが言った。
「それでは私はこれで失礼します」
 それ以上何も言わずに、リッドは教会を出て行った。
 教会に一人残されたティルニアは、天使像に祈りを捧げた。
 顔を上げ、奥の部屋へ向おうとした時だった。背中に冷たい視線を感じた。
 振り返ろうとしても、怖くてできなかった。
「そんなに怯えなくてもいい」
 男の声。
 自分の意志と反して、体が勝手に声の主の方へ向こうとしていた。
「こんにちは、美しいお嬢さん」
 男はそう言うと小さく笑った。



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