いつか俺に言った。
傷つけることは傷つくこと。
あなたは俺に優しさを教えてくれた。
けれど今のあなたは変わってしまった。
血に飢えた瞳に映るのは憎しみ。
今のあなたは、血に塗れた破壊者にすぎない。
6
「ティルニアがいなくなった!?」
テンの言葉をバーンは一瞬疑った。
「僕が帰ってきたらいなくて…天使像の前にこれが」
そう言って、テンは一枚の紙をバーンに差し出した。
「これは…」
バーンは息を飲んだ。
そこには魔界の文字が並んでいた。
「マスター」
リッドが心配そうにバーンを見た。
「カシスから…ティルニアを預かったと」
そう言うとバーンは紙を握り締めた。
「カシス…」
「怯えないで下さい。大丈夫、殺したりはしませんから」
そう言ってカシスは笑った。
カシスの座っている椅子の正面に、ティルニアは鎖で繋がれていた。
「あなたは大事な餌ですからね。バーンを誘き出すための」
「どうしてそんなにバーンにこだわるんですか?」
ティルニアは恐る恐る尋ねた。
「彼の力が素晴らしいからです」
カシスは表情を変えずにそう言った。
「本当にそれだけかしら」
カシスの答に、ティルニアは納得行かなかった。
「あなたが憎んでるのは人間とレオンさんなんでしょ?レオンさんに聞いたわ、あなたたちのこと」
ティルニアの言葉に、カシスは何も答えなかった。
「私はいい迷惑だわ。ティルなんて知らないし、バーンを何とも思ってないもの」
「そうでしょうかね…あなたの中の『ティル』は確実にバーンを求めている。その証拠に、あなたは『リザロ』に魅かれたじゃないですか」
そう言ってカシスは笑った。ティルニアは反論できなかった。自分でも少しずつ変化してる気持ちに気付いていたからだ。
「それに、レオンの一番の弱点です。バーンは」
「え…?」
「さて、そろそろですかね」
そう言ってカシスはゆっくり立ち上がった。
「遅かったなバーン」
閉ざされた扉に向かい、カシスが言った。
次の瞬間、扉がゆっくりと開いた。
「久しぶりだな…」
バーンが言った。
「一人で来たのか?私の力になる決心でもついたかな?」
カシスの問いにバーンは悲しみに似た表情を見せた。
「カシス!どうしてだよ…どうしてそこまで変っちまったんだよ!」
バーンが叫んだ。
「バーン…私は変わってなどいないよ。私は…私はカシスではないのだから」
そう言ってカシスは…カシスの姿をした男は笑った。
バーンは何が何だか理解できなかった。
「そんなに驚いた顔をする必要は無い。体は確かにカシスそのものさ。魔力もね。けれど私はカシスではない」
「じゃあ誰だって言うんだよ!」
「カシスは恋人を失った絶望から、死を選ぼうとした。その体を私が代わりに貰ってやっただけだ」
男は笑いながらそう言った。
「誰だキサマ…!」
「その昔、レオンとカシスにその血の気の多さ故に地下牢に閉じ込められた哀れな男さ」
「なっ!」
「知ってるはずだよバーン。本当ならあの二人と肩を並べているはずだった私の名を…」
男はそう言うと笑うのを止め、冷たい眼差しでバーンを見つめた。
バーンはじっと動くことなく立っていた。
「まさ…か…」
「そう、そのまさかさ。覚えていてくれたとは嬉しいね。弟よ」
男は口元を微かに歪ませながら言った。
バーンは何も言えなかった。
「兄弟?」
ティルニアは二人の顔を交互に見た。
「どうした?兄の事を忘れたというのか?」
男はゆっくりとバーンに近付いていった。
「ガルドゥ…」
バーンが言った。
「カシス様!」
メディアが部屋に駆け込んできた。
「なんだメディア。どうかしたか?」
「レオン…様…が、会いに」
そう言うとすぐに、メディアの後ろからレオンが現れた。
「カシス…」
「やあ、久しぶりだねレオン。わざわざ来てもらったのに残念だけど、今の私はカシスじゃないんだ。バーンにも言ったところだ」
男の言葉に、レオンはバーンの顔を見た。
「どういうことだ?」
「カシスの体はこの男に乗っ取られたってわけだ」
レオンの問いにバーンが答えた。
「誰だお前は…」
「やだなぁ、忘れたって言うのか?父さん」
男は笑ってそう言った。
「まさかお前…」
レオンは驚いた顔で男を見た。
「カシス様?」
メディアも怪訝な顔で男を見た。
バーンはティルニアに駆け寄り、鎖を外そうとした。
「くそっ!外れねえ」
「バーン、どういうこと?父さんって…兄って」
「私の名はガルドゥ=アイリナス=セドナ。魔王レオンの長男にして、罪人。そしてそこにいるバーンの実の兄だ」
誰もが皆黙り込んだ。
メディアも信じられないという顔で男…ガルドゥを見た。
「あんた達に復讐するために全部仕組んだんだ。どうだ?気にいってもらえたかな?」
ガルドゥがレオンに言った。
「絶望に飲み込まれたあんたの親友の体奪って、かわいい息子を苦しめて…最高の復讐だ」
「ガルドゥ…」
「この復讐の機会を与えてくれたのは父さん、あんただ。親友であるカシスを裏切り、絶望させたんだからな」
ガルドゥはそう言って笑うと、バーンの方へ歩み寄った。
「その鎖は私にしか外せないよバーン。しかし、そんなにこの女が大事かね?」
「ティルは俺にとってすべてだ」
バーンはそう言って、かばうようにティルニアの前に立った。
「バーン…」
ティルニアは複雑な気持ちだった。バーンは今自分を守ってくれている。しかしそれは自分であって自分ではない…。
「その女はお前の事など想っていない。今は女神でも何でもない弱い生き物だよ」
「違う!」
ガルドゥの言葉をさえぎる様に、バーンは叫んだ。
「あんたが思うより、人は強い生き物だ。たとえ記憶がなくても姿が変わろうとも、ティルは…ティルニアは唯一人の大切な人だ」
「バーン…」
ティルの中で確実に何かが変わろうとしていた。
…・・この人はちゃんと私を見てくれている…
「じゃあ二人一緒に殺してやろう。父さんへの最高の復讐だ」
「ガルドゥ!!」
「いやあぁぁぁ!」
ティルニアの叫び声と共に、あたりを光が包み込んだ。
「何…ぐっ…」
光が消えたその場所に、ガルドゥがうずくまっていた。
「バーンには手出しさせないよ、ガルドゥ…」
ガルドゥの口から出たその言葉に、誰もが耳を疑った。
「カシス…」
バーンは驚きの表情でうずくまる男を見た。
「私はもう絶望に捕らわれたりしない…!」
それはまさしくカシスの叫びだった。
「カシス!」
倒れ込んだカシスを、レオンが抱き上げた。
「すまない。レオン」
そう言ったカシスの中には、もうガルドゥは感じられなかった。
「カシス」
「すまなかったバーン。私はもう大丈夫だ」
そう言って微笑んだカシスは、昔と少しも変わること無かった。
「彼女にも礼を言わなくては」
そう言うとカシスはティルニアの鎖を外した。
「…光を与えてくれた」
「え?」
バーンはティルニアの方を振り返った。
ティルニアなにも言わずに微笑んで見せた。
「ティルニア?」
「私ももう大丈夫よ…」
そう言って、バーンの顔を覗き込んだ。
「ティル…?」
バーンは恐る恐るその名を口にした。
「ありがとう…バーン。ゴメンね」
「ティル」
バーンは力いっぱいティルを抱きしめた。
「苦しいわよバーン」
バーンの肩が小刻みに震えていた。
「泣いてるの?」
「もうすこしだけ…何も言うな」
「…いいよ」
ティルが優しくそう言った。
「ガルドゥは…あいつはどうなった?」
バーンが尋ねた。
「多分、地下牢の自分の体に戻った頃だ」
レオンが答えた。
「カシス、これからどうする?」
「前を向いて行く。お前と一緒に魔界を支えていくよ」
レオンの問いにカシスはそう答えた。
「これは終りではなく、始まりだからな」
「そうか、ティルニアは記憶を…」
リッドの報告に、カリアは寂しそうだった。
「ティルニアの記憶もそのままですが、彼女は天界に帰る事になるでしょう…本当はあなた達からティルニアの記憶を消したいのですが」
「それだけは勘弁してくれよ」
カリアは笑ってそう言った。
「この先、きっとあなたに幸運が訪れるでしょう」
リッドが言った。
「それでは私はこれで」
そう言うとリッドはマントを深くかぶり、カリアの家を出た。
「リッドさん」
村を出ようとしたリッドを、テンが呼び止めた。
「何か?」
「バーンさんによろしく伝えて下さい」
テンが言った。
「わかりました。確かに伝えておきます」
リッドはそう言うと微かに微笑んだ様に見えた。
そして二度と振り返ることなく去って行った。
テンはその姿が見えなくなるまで、ずっとその場に立っていた。
「さようなら…ナタクさん」
「ねぇ、バーン」
「ん?」
天界の宮殿の中庭で、二人は散歩していた。
「お兄さんがいたなんて初耳だったわ」
「そうだっけか?勘当された兄貴だからなぁ」
「ティル様!」
レイアスが駆けてきた。
「ティル様、バーンと一緒にいるのも結構ですけど、天王もしばらくあなたがいなくて寂しい思いをしていたのですから、そちらにも顔を出して差し上げて下さい」
「…そうね。そうするわ」
そう言うとティルはバーンの顔を見た。
「ごめんねバーン。また後でね」
「しゃあねぇな。行ってこいよ」
バーンがそう言うと、ティルは宮殿へ入って行った。
「まったく。邪魔するなよレイアス」
「お前と二人きりじゃ、心配だからな」
レイアスはそう言って笑った。
「久しぶりだ。こんな穏やかな日は」
ティルがいなくなってから、ずっと心配しどうしだったレイアスにとって、こんなにのんびりしたのは本当に久しぶりだった。
「一応、ありがとう」
「何だよ。一応って」
二人がそんなやり取りをしていると、ティルが駆けてきた。
「何だティル、天王のとこじゃなかったのか?」
「うん、言い忘れたことがあったの」
そう言うとティルは呼吸を整え、バーンの耳に口を近づけた。
「今度こっそり下界につれて行ってね。皆に会いたいから」
「…わかった、約束するよ」
バーンがそう言うと、ティルはまた宮殿へと歩いて行った。
「約束よ」
ティルは途中何度か振り返って、バーンへ手を振った。
「ティル様、何だって?」
レイアスが尋ねる。
「まぁ…二人だけの秘密ってヤツ?」
バーンはとぼけた顔でそう答えた。
レイアスは一瞬だけバーンを睨むと、すぐ笑顔を見せ言った。
「平和だな」
「あぁ」
バーンは空を見上げて大きく息を吸い込んだ。
そして今の幸せを、体中で感じていた。
|