嵐が来る。

今を…すべてを壊すために。

嵐が来る…。



          3

 リザロが村を出て数日が過ぎた。
 今までと何も変わらない、平凡な日々が続いた。
 ティルニアは、礼拝堂でじっと天使像を見つめていた。
「ここにいたんですか?」
 奥の部屋から出てきたテンが声を掛けた。
「ねぇテン、神様って本当にいるのかしら?」
 僧侶である自分がこんなことを口にしていいものかと思いながらも、ティルニアはテンに尋ねた。
「いると思いますけど…」
 少し困った顔をしながら、テンはそう答えた。
「じゃあどうして願いが届かないのかな」
「それはねぇティル、神は人間を助けるために存在するのでなく、見守るためにあるからですよ」
 テンの言葉にティルニアは少し納得した。
「嵐が来る…」
 天使像を見つめたまま、ティルニアは小さく呟いた。
「嵐ですか?」
「リザロさんが最後に言ったの、嵐が来るって。何のことだと思う?」
 ティルニアの問いに、テンは考え込んでしまった。
「あの人はね…僕たちと違う世界の人だから…。理解できなくてもしかたないと思います」
「え…」
 ティルニアがテンに訊こうとした時だった、そう離れていないところで、誰かの悲鳴が聞こえた。
「何?」
 教会を出てあたりを見渡すと、どこからか煙が上がっているのが見えた。
「ティル!」
 カリアが走ってくるのが見えた。
「父さん、何があったの?」
「俺にもよくわからん。だが、奴等の目的はお前のようだ。とにかくお前は森に逃げろ」
「奴等…?」
 ティルニアがカリアに尋ねた。
「話は後だ。とにかく森へ」
 先に話を聞きたいとも思ったが、ティルニアはカリアに言われるままテンと三人で森に逃げ込んだ。
「ここまで来ればしばらくは大丈夫だろう」
 森で一番大きな木の下にたどり着くと、カリアはそこに腰を下ろした。
「ねぇ、話って何?」
 ティルニアはそればかりが気になってしかたなかった。
「お前にこのことを話す日が来なければいいと、何度も願ったよ」
 そう言うとカリアは話し始めた。
「二十年ほど前、俺はリザロという一人の青年に出会った」
「リザロ!?」
「先日村に訪ねてきた彼とは、声も姿も違う男だ。そして、その男の供をしていたリッド=ナーシャという男にも会った。彼らは俺に『あなたの娘にティルニアという名を授けなさい』そう言ってどこかへ行ってしまった。その時俺は結婚なんかしてなかったし、その予定もなかったから、旅人にからかわれたと思っていた…」
「それで…?」
「次の年、この木の下にに捨てられていた赤ん坊を見つけた。それがお前だよ、ティル」
「それじゃあ…私」
 突然自分が本当の娘ではないことを知らされたティルニアは、頭が変になりそうだった。
「お前を拾ってすぐ、リッドが私を訪れた。そしてこう言った『この子がもし嵐に直面した時は、あなたが守ってあげて下さい』と」
「嵐…」
 今になってリザロの残した言葉の意味がわかった気がする。
 嵐とはこのことだったんだ。
「俺にはお前が何者なのか、そしてリザロやリッドたちが何者なのか見当もつかない。ただ、今度の『リザロ』も関係ないとは思えない」
「リッドって人は?こないだ訪ねて来た人なんでしょう?」
 ティルニアが尋ねた。
「彼はお前が元気にしているかを聞きにきたんだ」
 ティルニアは、他に何を訊いていいものか考えた。
 静かな森が一層静かになった気がした。誰も何も言わず、しばらく沈黙が続いた。
「僕、村の様子を見てきます」
 沈黙を破ってそう言うと、テンは村の方へと走って行った。
「ねえ、父さん。たとえ血の繋がりが無くても、父さんは父さんだわ。私をここまで育ててくれたじゃない」
 精一杯の笑顔で、ティルニアはカリアに言った。
「ティル…」
「お話は終わったかしら?」
 背後で声がした。見ると、そこに立っていたのは町でティルニアを襲ってきた女戦士・メディアだった。
「さて、今度こそあなたに死んでもらわなきゃ」
 そう言うと、メディアはおもむろに剣を抜いた。
「何故娘を狙う?」
 カリアがティルニアを庇った。
「そうね…あの男に会わなければもう少し長く生きられたでしょうね」
「あの男?」
 ティルニアがメディアに尋ねた。
「リザロとか名乗ってたかしら…まぁ、うそでは無いけど」
 メディアはそう言うと、剣をカリアの喉に突きつけた。
「お退きなさい。血の繋がってもいない他人のために、あなたも死にたいの?」
 冷たい笑みを浮かべ、メディアが言った。
「誰が何て言おうとティルは俺の娘だ。十九年間ずっとそう思ってきた。一度だってこの子が他人だなんて思ったことはない!」
 カリアが叫ぶように言った。
「ならあなたも死になさい」
 メディアが剣を振りかざした時、どこからともなく飛んできた真空の刃が、その剣を弾き飛ばした。
「その人たちを殺させるわけにはいきません。私が相手をしましょう」
 森の中から姿を現したのは、先日カリアを訪れてきた男・リッドだった。
「リッド…」
「あいつがこの女を置いて村を出たのはおかしいと思ってたのよ。なるほど、あんたが残ってたわけね」
「メディア=ミュー…あなたほどの戦士が、何故あのような男に味方するのです?」
 冷静な口調でリッドはメディアに問いかけた。
「あら、心外ね。それなら私も言わせてもらうわ、あなたほどの魔導士がどうしてあんな奴に味方するわけ?」
 メディアはそう言い返した。
「一度失いかけたこの命をあのお方に助けられた…からですかね」
 表情を変えることなく、リッドはそう答えた。
「つまらない理由ね。でもまぁ、そんなことはどうでもいいわ。邪魔しないでくれる?私はどうしてもこの女を殺さなきゃいけないのよ」
「それで…また転生させるんですか?さすがのカシスも、彼女を殺すことは出来ないでしょうからね」
「そう…」
 メディアはティルニアを見てそう言った。
「大丈夫、肉体が滅ぶだけよ。魂は新しい体に入れ代わる…それだけよ」
「残念だが、そうさせるわけにはいかないんだよな」
 新しい声が聞こえた。
 木陰から一人の男がゆっくりと歩みよってきた。その姿はまさしく旅の青年・リザロのものだったが、声や口調は全く別人のものだった。
「マスター…」
 リッドが言った。
「ずっと見張ってたわけ?」
 メディアが悔しそうに言った。
「当たり」
 そう言ってリザロは笑った。
「リザロ…さん?」
「似合わないわね、その名前。それからなぁに?その格好…まるで道化ね」
「てめぇこそ何だ?まるであいつの操り人形じゃねぇか」
 その言葉にかっとなったメディアは、リザロ目がけて短剣を投げつけた。リザロは余裕でそれを避けると、ティルニアの方へ歩み寄った。
「怪我はねぇな…」
 ほっとしたようにそう言うと、再びメディアの方へ目を向けた。
「サラが泣いてたぞ」
 その台詞に、メディアはピクッと反応した。
「親友だったんだろうが…」
「うるさいわね!関係ないでしょ!?私は親友だなんて思ったことないわ」
 メディアが叫んだ。
「操り人形とか言ったけど、あんたなんて害虫じゃないの」
「聞き捨てなりませんね」
 鋭い目つきでリッドはメディアを睨みつけた。
「マスターのことを悪く言う方は、例え誰であろうと容赦しませんよ」
 そう言った言葉には、明らかに殺気が感じられた。
「カリア、ティルニアを連れて村に戻れ」
 リザロが言った。
「あんた達は?」
「こちらのレディーと少々話があるんでね」
「私には無くってよ、リザロさん…いいえ、バーンさんと呼んだ方がよろしいのかしら」
 メディアは笑いながらそう言った。
「そうだな、いい加減この格好にも疲れたことだし」
 そう言って、リザロは小さな声で呪文を唱えた。
 まばゆい光が辺りを包んだ。あまりの眩しさに、ティルニアは目を閉じた。そして、次に目を開けた時そこに見たのは、先程までのリザロとは似ても似つかない黒髪の男。
「さぁてと…そろそろ始めようか?」
 男が言った。
「そっちの方が似合ってるわよ、バーン」
 メディアは皮肉っぽく笑うと、その男・バーンを見た。
「リッド、カリア達を村に連れてけ」
「し…しかし」
「命令だ」
 バーンの言葉に、リッドは渋々従うことにした。
「さあ、村に戻りましょう」
 リッドがそう言うと、ティルニアは大きく首を横に振った。
「納得がいかないわ!私が何で狙われるのか、リザロさんやあなたが何者なのかそれを知るまで、私はここにいる」
 そう言われて、リッドは困ったようにバーンを見た。
「なら、ここにいればいい」
 バーンが言った。その言葉の中には、リザロだった時の優しさは無かった。
「面白くなりそうね。それじゃあ私がサービスとしてお嬢さんにこの男の正体を教えてあげるわ。この男はバーン=サルディナス=リザロといってねぇ、正真正銘悪魔ってやつよ」
「悪…魔…?」
 ティルニアはあらためてバーンを見た。
「悪魔を見るのは初めてか?」
 笑いながらバーンが言った。
 ティルニアは何も言えなくなった。恐怖と不安が心の中に生まれた。
「さあメディア、ティルニアを殺したいならまず俺を倒すことだ。まあ無理だろうがな」
 バーンが言うと、メディアはためらうことなく斬りつけてきた。バーンはそれを意図も簡単に避けて見せた。
「あなたも少しは攻撃したら?」
 メディアが言った。
「その必要はない」
 そう言うと、バーンは何やら呪文を唱え始めた。すると、メディアの足下が光り出した。
「何!?」
 メディアは驚いたように足元を見た。
 光は次第に大きくなり、ついにはメディアを包み込んだ。
「いずれまた会うことになる」
 バーンがそう言うのとほぼ同時に、光は小さくなった。光が消えたその場所には、メディアの姿はなかった。
「瞬間移動ですか?」
 リッドが尋ねた。
「奴のとこに帰したんだよ」
 そう言うと、バーンはティルニアを見た。
「話してやろう。知りたいことがあるなら訊いてみな」
 怯えたようにカリアの腕にしがみついていたティルニアは、やっとのことで一言だけ言うことができた。
「私は…誰?」

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