1月号の報告書についてはやっぱり再整理する余裕がありませんでした。
(時間的にというよりは気持ち的に)
なので、時間軸に沿って日記などに書いたことを追加でまとめる形としてあります。
今月号。
ずっと恐れていたことがついに、という想いがありました。
でもどうしても見たいと思っていたことを同時に目の当たりにすることにもなりました。
こういう時には悲しみに泣けばいいのか喜びに泣けばいいのか解からなくなります。
判じがたいからといって、思いも涙も消えたり止まったりはしないのですけど。
2003年7月号分の報告書の一番最後の方で、原作で見たい場面がある、と書きました。
テレビシリーズのトライガンを見終わった時からずーっと思い描いていた一つの場面がありますと。
ウルフウッドと孤児院の方々絡みでどうしても見たかった場面、聞きたかった台詞。
それは孤児院の皆からのウルフウッドに対する「おかえりなさい」の言葉と
それまで決して見ることのなかったウルフウッドの涙だったんです。
テレビはテレビ、漫画は漫画で別物と考える一方で、これは一筋どうしても切れないリンクでもありました。
テレビシリーズでのウルフウッドの死に様があまりにも理不尽に思えて仕方なかったせいかもしれません。
帰りたいと願う場所へ帰ることもできず、悔恨の涙を一人流して死なねばならないほどに彼は罪人では
なかったはずだと。
だから、原作のウルフウッドにどうしても帰りたいと願う場所で受け入れられて欲しかった。
その時、絶望とも悔恨とも違う涙が流れるのならテレビシリーズのウルフウッドの魂も救われる。
ずっとそう思ってきたんです。
そしてその日がやってきました。
孤児院を旅立ったあの日「行ってらっしゃい」という言葉とともに舞っていた紙吹雪が
今、「おかえりなさい」とウルフウッドの上に舞い降りてくる。
「もうええ」と言い「おこがましい」と言い、自らの罪の許しを乞おうともしなかった男の上に。
それは魂への祝福と贖罪の証明ではないかと思うのです。
その瞬間、ウルフウッドの魂は確かに救われたんだと思います。
頬を一筋流れた涙はなによりもその証明であっただろうと。
ウルフウッドは幸せであったと思います。
最後の最後で「家族」に「おかえりなさい」と受け入れられて。
唯一友人と認めた男の傍らで静かに死を迎えることができて。
それは決して不幸な死に様ではないと思います。
内藤先生は愛情深く、キチンとウルフウッドの生き様を描ききってくれた。そう思います。
そしてずっと思い描いていた場面を原作で見ることが出来て本当によかったと思います。
4年間抱えていた一つの心残りがようやく解消されました。
でも、やっぱりどうしても涙が止まらないんです。
牧師がいなくなっても物語りは続く。
これから先、ヴァッシュの隣に生きたウルフウッドの姿を見ることはないのだと思うと堪らなくなるんです。
恐らくこれから先、待っているのは「ウルフウッドがいないこと」を再確認し続ける作業なのだと思うと怖くすらなってくる。
雑誌の目次ページで内藤先生が言っていた「まだまだ、ここが始まりです」という言葉は、そういうことかとも思ったのですが。
ただしそれは同時に「ウルフウッドがいたこと」を再確認する作業でもあるはずなのです。
そういう意味ではウルフウッドの人生はまだここで終わっていないということを言っているのだろうと。
ヴァッシュにあるいはリヴィオに引き継がれたウルフウッドの魂の証明がここから始まるのだと。
だから、どんなに悲しくても寂しくてもやっぱり最後まで見届けたいと思います。
でも。でも、あと少しの間だけ、ウルフウッドのために泣く時間を下さい。
ウルフウッドの生き様を否定するつもりはないですが、それでも私はこの人に生きていて欲しかったんです。
生きて未来に辿り着いて欲しかった。
あの時ヴァッシュに「笑え」と言った、「おまえはやっぱり笑ってる方がええ」と言った、ウルフウッドは酷い奴やと思います。
こんな時に、笑えない。笑えないでしょ。ホント無茶苦茶。
ウルフウッドが蘇る、ということはこの先おそらくないだろうと思います。
蘇って欲しい、復活して欲しいという気持ちはもちろんありますが、命ってそういうものではないだろうと。
だからこそ、そこに重みがあるんだとも思うので。
次号が出るまでの1ヶ月、何度繰り返し今月号を読み返すことになるのだろうかと考えます。
もう少し気持ちが落ち着いたらこの報告書も改めて再整理するかもしれません。(今回はちょっと自信ないんですけど・・・)
その折に、またお付き合いいただければ幸いです。
本日東京地方は終日雨でした。
不思議なことに気温はあまり下がらず暖かい日でもありました。
「涙雨」
そう思った人、多いのではないかと思います。
久しぶりに頭が痛くなるほど泣きました。
泣き疲れて眠ったなんて何年ぶりかと思います。
もともとあまり涙もろい方ではないのですが、一度泣き出すと止まらなくなります。
今日は会社を休もうか。どうせ行ったって仕事にならないし。
朝、布団の中でグズグズとそんなことを考えていましたが、結局出勤することにしました。
今抱えている作業に余裕がないのは確かだし、そうでなくても一人でいると他の事が何も考えられなくてまた泣いてしまいそうだったので。
会社に行って仕事をしていれば気が紛れるし・・・。
確かに気は紛れましたが、肝心の作業はほとんど進まず気付けばPCの画面を呆と眺めていました。
基本的に会社とプライベートで意識を切り替えるのは得意な方だったのですが今回はそれが上手くいかない。
これではマズイ。このままでは本気で仕事に支障をきたしてしまう。どうすればキチンと気持ちが切り替わるだろうか・・・。
そして思いついたのは。
「お弔いをしよう」というものでした。
哀しみを昇華させて受け止めるためにお葬式という儀式が存在するのだという話をフト思い出したのです。
架空の人物だろうとなんだろうと哀しいものは哀しい。
ささやかでいい、自分の気持ちに区切りをつけるために自分なりにウルフウッドの弔いをしようと考えたのです。
大げさなことはしなくてもいいや。
お花を買って、お酒を買って、お線香・・・は似合わないからウルフウッドに似合いそうだと前から思っていた煙草を買って、それで弔いにしよう。
お酒の銘柄は何がいいかな・・・。
そんなことを考えていた時、フト気になっていたことを思い出しました。
そういえば、ウルフウッドとヴァッシュが最後に飲んでいたあのお酒。
確か『BRIDE』って銘柄だったなと。
『BRIDE』って『花嫁』だから、それじゃ結婚式みたいだって書いてたサイトさんがいたなぁ・・・。
でも今はそんなこと考える気分じゃ・・・。
そこまで考えて、ハッと気が付いたのです。
違う。
違う。そうじゃない。
結婚式だ。そうなんだ。
結婚式で正しいんだ、あれは。
他にもたくさん並んでいた酒瓶の中から、ウルフウッドがなぜワザワザあの銘柄を選んだのか。
それしかなかったわけではなかったのに、なぜそうしたのか。
結婚式だからだ。
これから行う儀式を結婚式だと考えてワザとそうしたんだ。
あれは。
牧師の最後の悪ふざけだったんだ。
冗談に紛らわせて本音を包み込んだ悪ふざけ。
自らの死を湿っぽい弔いの儀式ではなく、晴れの門出と演出するための。
こんな状況でさえなかったら、恐らくあれは笑いを誘う場面であったかもしれない。
大の男が二人して「固めの杯」に飲む酒じゃないだろうと。
「結婚式」でもあるまいにと。
大体「花嫁」だったら左だろう。
なんでお前、当たり前のように右なわけ?
そりゃまあ、牧師だからやな。
理由になってないだろうが。
・・・そんなヤリトリまで想像できてしまう。
牧師の狙いはそうだったのかも。
だから「笑え」と言ったのか。
おかしいやろ?大の男が二人して。「結婚式」の真似事してるんやで?
そうか。
そういうことだったんだ。
そうするとその言葉もあの場面もまた違う意味合いを帯びてくる。
・・・・・不器用な人やなぁ牧師さん。
「笑え」なんて言わなくても良かったのに。
素直に「泣くな」って言えば良かったんだよ。
「お前が泣くのは見なくない」ってバシさんに言えば良かったんだよ。
でも、そう言えばバシさん絶対泣くって分かっていたから。それを見たくなかったから。
だから「笑え」って「おまえはやっぱり笑ってる方がええ」って言ったんでしょ。
・・・・阿呆やな、あんた。
もう少し言いようがあったでしょうに。
そんないかにも酷い男を装ったもの言いしなくても良かったのに。
阿呆みたいに不器用で優しすぎて泣けてくるわホンマ。
バシさんきっと全部知ってたよ、ウルフウッド。
あなたが言おうとしていたことも、悪ふざけに含まれたホントの意味も。
だから黙って何にも言わずに最後まで、涙を流さず付き合ってくれたんだよ。
あの教会の鐘、鳴らしたのはバシさんでしょ?
あれは鎮魂の鐘じゃなかった。
弔いの鐘ではなかった。
あなたが望んだとおり、魂の門出へ送る祝福の鐘として鳴らされたものだった。
なるほどだから「始まり」か。
内藤さんの「まだまだ、ここが始まりです」の言葉の意味がようやくストンと腑に落ちた。
ウルフウッドの魂の救済、バシさんへ受け渡されるウルフウッドの意志、そしてここから始まる物語の幕開けがすべて「結婚式」になぞらえて構成されていたわけだ。
しかもそれを表に出さず、酒瓶の銘柄一つに暗に漂わせて。
・・・思い込みもあるかも知れません。
でも、そう考えた時、心が少し軽くなったのが分かりました。
よし分かった。
湿っぽい弔いはやめにしよう。
それが恐らくウルフウッドが望むものだろう。
そう考えて、会社帰り速攻で花屋へと走った私が注文したものは。
白い薔薇を中心に白い花と緑の葉物で作ったブーケ。
ちょうど結婚式で持つようなあの形。
お酒も買いに行きました。
『BRIDE』という銘柄のお酒は探したけれどもなかったので「ジョルジュ デュブッフ サンタムール」というワインのハートラベルを1本購入。
「サンタムール」とは「愛の聖人」という意味。
何にも知らない周りの人から見れば「今日は何のお祝い?」と思われるだろうな。
そんなことを考えながら、最後に煙草を買いにコンビニへ。
そしたらレジの近くでお母さんと一緒にお店に来ていた4、5歳くらいの女の子が不思議そうに私を見上げながら聞いてきました。
「そのお花どうして買ったの??」
迷わず即答。
「お祝いがあるんだよ」
そう。お祝い。やっぱりお祝いなんだろう。
弔いの儀式を厭うあの人へ。涙を嫌うあの人へ。
ひねくれもので不器用で、大切なものを守ることにただひたすらに懸命だった優しく強いあの人へ。
今までホントにありがとうの感謝とありったけの祈りを込めて。
帰宅後、食卓の一角は急ごしらえの祭壇となりました。
白いブーケの花束とハートマークのラベルの酒瓶。
隅に添えた煙草の銘柄は「Peace」と「HOPE」。
(名前とタール量からなんとなくイメージしていた二品でした。ちなみに「Peace」はタール29mg、「HOPE」は14mgです。)
喫煙家のいない我が家では消費されるあてのないものですが、気が済むまで飾っておこうと思います。
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