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第3種接近遭遇 mit よっへん・こぶぁるすきぃ もしくは Kowalskiこぼれ話 興味のない人にはどーってことない話ですが、 「彼のことだったら何でも知りたいわっ」と いう人のために・・・ |
1.Akt
1990年6月 |
洋泉社から発行された「キーワード事典・オペラの饗宴」という雑誌の、モーツァルトのオペラに関した田辺秀樹氏のコラムにて「ヨーヘン・コヴァルスキー」なるカウンターテナーとCDの存在を知る この本にはヘンデル「ジュスティーノ」のLDの紹介もされていた |
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1990年9月 |
この年開店したばかりのTowerRecord心斎橋店にて“Händel&Mozart Arien“のCDを購入、即効ツボにはまってしまい、その後“Orfeo ed Euridice“等のCDを一気に購入 |
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1990年12月 |
Komische
Oper & Jochen Kowalski初来日東京公演決定 ファンになったとたんに来日が決まるなんてこれは行けということね!とチケット購入 |
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しかしこの当時Kowalskiも「ヨーヘン・コヴァルスキー」だの「ヨッヒェン・コワルスキー」だの、まるでヤッターマンの悪役のような日本語表記をされて統一されていなかったので、CDを探す時や問い合わせをする時も「誰ですか?それ」とか言われたりして 大変だった・・・ なんだかくやしかったのであちこちの雑誌に啓蒙活動と称して投稿を試みたのですが、効果あったのか? |
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1991年6月 |
初来日公演2日前にキャンセル決定 それを当日のホール前の張り紙で知り、落ち込んでチケット払い戻して、くやしいのでその張り紙を写真に撮って泣く泣く帰った 後日Berlinの友人が持っていたので気が付いたのだけど、冷静に考えればその公演パンフだけでも購入すればよかったのに、その時はそんな心の余裕はなかったのでした なんだか気が治まらなかったので、「こーなったら本場で見るのよ作戦」決行準備開始、出来ない英語で資料取り寄せ始める |
証拠写真 |
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当時のKomische Operは東西再統一直後で対応がとっても親切で誠実 送付した国際返信切手券を切手代わりにクリップで封筒に留めて、パンフレットを送ってくれたのでした そんな無茶な郵便物を送る方も送る方だけど、うちまで届けてくれた日本郵便もなんともあっぱれ! そのスケジュールなどを見て手紙で席の予約をお願いしたら、 それまでは外国からの文書での注文を受け付けていなかったのに、 本当に来るかどうかわからない遥か東の果ての島国の人間の為に、 なんとお代は当日払いでOKよと一番前の席を確保してくれて、こっちがあわてた! |
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1992年1月 |
Berlin初上陸。Komische Operに本当に席は確保されていた やっと念願の生Kowalskiの“Orpheus und Eurydike“を観劇 当時は純情だったので出待ちなど大胆な事は出来ずにそのまま帰国 |
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実はこのころマメにファンレターなど書いてKomische Oper宛に送っていたのですが、 上記のように旧東ドイツの郵便事情に不安を感じていたので、 自分の住所・氏名を書いた返送用のハガキに国際返信切手券を備え付けて、 「本当にこの手紙があなたの元に届いているか不安なので、 届いてるようなら返事をちょーだい!」と送ったら、 ちゃんとKowalskから手書きのメッセージとスケジュールがタイピングされたハガキが戻ってきた! もちろん今回はちゃんと切手がはってありました |
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1992年11月 |
この年の5月に亡くなったMarlene Dietrichのお墓参りも兼ねて 調子にのってまたまたKomische Oper
Berlinにて“Giustino“観劇 今度はちょっとドイツ語も勉強してきたので出待ち敢行! サインももらえたし、写真も撮らせてもらった まだまだKowalski情報を得る手段も少なかったこの頃、 Komische Operだけでなく、他に何かないだろうかと探していると リリースされていたCDアルバムのジャケットに、録音場所として Christus Kircheという教会の名が小さく記されていたのを発見 旧東部地域の情報は観光地以外はほとんどなく、インターネットもなかったこの時代 LufthansaがくれたBerlinの地図を広げ、虫眼鏡片手にひたすら捜索して Berlinの外れのSchöneweideに同じ名の教会を発見! 教会の名としてはよくある名前なので、本当にこの教会かどうか分からないけど とりあえず行ってみる事に |
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Christus Kirche |
小雨降り少し凍える静かな旧東独の街 駅は大きく、トイレおばさんのおかげでクリスマス仕様にキレイに飾られた駅のトイレで心和ませて 当時は路面電車の乗り方も降り方もよく分からなかったので 雨除けにシャワーキャップを頭に被って歩く老婦人を前にみながら ひたすらひたすらひたすら歩いてChristus Kircheに到着 特にど〜ってコトなく静かに普通にたたずむこの教会が レコーディングスタジオかどうかの確証も得られないまま 満足して来たのでした |
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この時Komische Operでもらった広報誌にKowalskiのファンクラブの紹介がされていたので 帰国後すぐに連絡をとり、ファンクラブ入会 |
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このファンクラブ、元々はKowalski公認のものだったらしいが、 実はその頃ぐらいから、彼や他のファンたちとの関係がこじれ、 それでも健気に続けてはいたが、その後1年ぐらいで残念ながら解散してしまった 客観的に見ると両方に問題があったとは思うけど、 まあいつでもどこにでも似たような話はあるのである |
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1992年12月 |
Kowalskiが東京のオペラガラコンサートに出演決定 こんどこそ来るんだろなーと思いチケット購入 |
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この頃ぐらいからあちこちからKowalski情報が入るようになったのだが、 そのほとんどが「○○をキャンセルした」とか「××と○○と△△を一気にキャンセルした」とかいう、 ゲンの悪い話ばかり しかしまぁ、とっぱしからキャンセルくらった身としては、 ちょっとやそっとではもう驚きませんことよってなもんです |
1993年5月 |
ファンクラブの会合と“Julius Caesar in Ägypten“のプレミアと、 ギネス・ジョーンズとのデュオ・コンサート“O Fortuna“に誘われて、またまたBerlinへ さらにKowalski、今度こそ本当に2日に渡るサントリーホールのガラ・コンサートにて初来日 |
証拠写真 |
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この公演をその時別公演で来日していたギネス・ジョーンズも鑑賞していた 当時知る人ぞ知る存在だった彼に数人のファンはいたけれども、 カーテンコールの際、アグネス・バルツァら有名歌手が花束に埋もれていたのに、 彼だけ何にもなくてちょっと寂しそうだったので、 2日目に白いバラを1本だけ舞台下からプレゼントさせていただきました。 ちょっとせこいけど、 「日本で最初にKowalskiに花を挿したファン」の栄誉を頂きました〜! な〜んて、ちょっと自慢 |
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1993年10月 |
ロンドン・ロイヤルオペラハウスにて”Mitridate, Re Di Ponto”鑑賞 いつも彼のリサイタルの伴奏をしているShelley Katzも奥さんと観に来ていた 我々の見に行った日はちょうどレーザーディスクの録画日だったのだけど、 後で聞いた話によるとその後の公演は全部キャンセルされたそうである、 くわばらくわばら〜 |
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1993年11月 |
ウィーンフォルクスオーパ日本公演と共に「こうもり」に出演 この時のオルロフスキーは若く美しく退廃的で、それでいて孤独感も漂わせ めちゃくちゃよかった、もう最高によかった |
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1994年3月 |
ドレスデンゼンバーオーパにて”Belsazar”鑑賞 Komische Operの“Orpheus und Eurydike“をキャンセルかまされ、 コペンハーゲン・ラジオホールで”Messias“鑑賞 |
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嘘みたいな話だが、この時ベルリンからコペンハーゲンに向かう飛行機がKowalskiと一緒 それも50人乗りの有視界飛行のプロペラ機に乗客10人 このままこの飛行機が落ちたら犠牲者名簿に名前が並ぶのね〜 などとアホなこと考えていたら、だだっぴろいカストロップ空港でトイレ探して迷ってしまった |
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1994年9月 |
Staatsoper Berlinにて“Tancredi”のプレミア鑑賞 演出はちょっと中途半端なHarry Kupfer風でTancrediはちょっとかっこよすぎ 後に再演の話もあったけど何故か立ち消え Tancrediのハンカチ踊りは伝説と化すのか? |
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1994年10月 |
ウィーン・シュターツオーパ日本公演「こうもり」に出演 この公演はテレビ放送され、NHKの歌謡ショーにも出演したりして 一気に彼のファンを増やすことになった様子 |
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1995年3月 |
やっとこさ彼の単独リサイタル「詩人の恋」を日本で鑑賞 噂によるとチケットは1時間ほどで完売したとかしないとか この後Kowalskiはドイツのテレビなどで「日本公演の印象」などを話しているが、 日本人の歓迎ぶりにはかなり感謝してたけれど、 彼の目に日本の聴衆はかなり奇異に写ったらしい |
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1995年4月 |
とかなんとか言いつつ、 Dietrichの遺品展が開かれるという事もあってまたまたBerlinへ Komische Oper
Berlinにて“Orpheus und Eurydike“と“Julius Caesar in Ägypten“鑑賞 Julius Caesarの公演の際えらい事が発生! 2幕の始めに支配人らしき人が現れて「われらがKammersänger,Jochen
Kowalskiが・・・」と何やら釈明を始めたのである! いったい何事が〜と恐怖におののいていたのだが、Kowalskiは無事出演 しかし彼の調子が悪かったせいでか、 Caesarのソロアリアは全部ふっとばされて舞台は進んだのであった、 わけわからんうちにぼーぜんと楽屋口に行くと 「せっかく日本から来てくれたのにごめんねーっっ」と目薬を注しながら(彼は花粉症)、 熱い抱擁をしてくれたのですが、キャンセルならまだしも、こんなことってあるのね・・ |
1996年5月 |
ハンブルグオペラにて”Die Fledermaus”鑑賞 ここの演出はかなりシニカルな作り、この時アイゼンシュタインを演じていたのは、 その後日本でも人気の出たボイエ・スコウフス 毎度の如く楽屋口に行くとKowalskiは何故か超ご機嫌、 日本人である我々を見つけると何故か「カンバーイ」を繰り返し、 一緒にいたスコウフスに「彼女たちはわざわざ日本から来たんだから、 写真を撮らせてあげなさーい」とか言って困らせていた 日本公演の発表前だったので「今度は東京以外ではどこで歌うのか?」と聞いたら 「う〜ん」と考え込んでいたので、あらゆる所の地名を挙げてみたけど全部はずれ 後々発表を見ると「倉敷」と「仙台」だった 実はこの時、初めてKowalskiを見に行く友人と一緒だったのですが、 その友人に対してKowalski「いつも観に来てくれてありがとー!」なんて言ってたのだ 「ファンの顔はみんな覚えている」なーんていつも言ってるけど、まぁ、こんなもんよ |
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1996年9月 |
日本にてリサイタル「美しき水車小屋の娘」鑑賞 確かこの時に「2年後のKomische Oper
Berlinの日本公演は “Fledermaus“をやるよ」とか言っていた |
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1996年12月 |
Metroporitan Oper
New Yorkにて”Ein Sommernachtstraum“鑑賞 ブリテンはちょっとむずかしー、けど舞台装置に衣装はカラフルでファンタジック この時のニューヨークは寒かったのでKowalskiは思いっきり防寒していた |
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実はこのオペラには、後に映画「オペラ座の怪人」にクリスティーヌ役で出演していたEmmy Rossumが子役として出演していたらしい、 そういえば妖精役で子供がたくさん出ていたようないなかったような・・・ 彼女のプロフィールには「7歳の時からメトロポリタン・オペラの舞台に立ち、 ドミンゴやパバロッティなどと共演してきた」とあるけど、 その中にKowalskiの名も入れて下さいなっ |
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1997年9月 |
ギネス・ジョーンズとのデュオ・コンサートが何故か突然日本で公演される ギネス・ジョーンズは相変わらずホンマモンの迫力でかっこよかった |
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1997年11月 |
Deutsches Theaterにて“Eine Sehnsucht“鑑賞 日本人の顔をみるとKowalskiは「しゃぶしゃ〜ぶ〜」と連呼していたけど、 周りのドイツ人に「しゃぶしゃぶって何?」と質問されて困った |
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さて、毎度の如くひとしきりファンサービスを終えたKowalskiは愛車に乗ってご帰宅 我々Berlin在住の友人とそのボーイフレンド、Hamburg在住の友人と一服するべと、 近くの地下レストランで食事などして、ひとしきりお喋り と、いっても友人すべて生粋のドイツ人、 ちょっとフルスピードの話にはついてはいけなかったのですが、 よくよく聞くと、いい話も悪い話もひっくるめてのKowalski談話、 彼らは統一前からのKowalskiのFanなので、ま〜いろいろ一過言あるのである。 しかーし!何の気なしにトイレに向かったところ、 何と壁を隔てたとなりのブースに何故か愛車で立ち去ったはずのKowalskiが 友人たちとご飯食べてたのでした!ひぇ〜!! 多分こっちの話は聞こえてないとは思うけど、帰りにKowalskiと目があった時、 何ともヘンな顔をしておられました。 壁に耳あり障子に目あり、呼ぶより誹れって? |
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Komische Oper
Berlinにて“Fledermaus“鑑賞 |
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1998年6月 |
Komische Oper
Berlin日本公演「こうもり」鑑賞 この公演には「ベルリン・天使の詩」の天使カシエル役で日本でも有名なオットー・ザンダーも出演! オットー・ザンダーにサインを頼んだら、たまたま側にいたKowalskiの背中を台にして書いてくれた。 もったいなや〜ありがたや〜 しかしこの時は本当に暑かった! 「むしあつい〜」と日本語を覚えて帰っていった歌手もいた |
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この時名古屋で特別コンサートがあってKowalskiが何曲か歌うということだったのですが、 プログラム見てびっくり!「こんなの5年前のプログラムじゃんっ!」とパスしてしまった 私も大人になったものよのう〜 (単にめんどくさがりになっただけっ?) |
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1999年1月 |
Komische Oper
Berlinにて“Orfeus in der Unterwelt“プレミア鑑賞 当日はテレビ録画が入っていてKowalskiも小道具壊さんばかりの大熱演 しかしプレミアの批評は今一つ。どっちかというとケバくて毒々しく、 エロチックな演出や舞台装置が受け入れられなかったよう、 歌手への負担も大きかったらしく次の日の公演をキャンセルする歌手が続出 |
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1999年3月 |
日本にてリサイタルと米良美一とのデュオ・コンサート リサイタルはなんだか寄せ集めのようなプログラムでちょっとがっかり・・・ デュオコンサートの方はKowalskiはともかくとして、米良っちの調子がちょっと悪そうで気の毒 |
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1999年6月 |
ウィーンフォルクスオーパ日本公演と共に「こうもり」に出演 この時オーストリアの大統領だの皇室ファミリーだの勢揃いで御観劇 ・・だというのに演出は以前のすんごいよかったのとは違うオーソドックスなもので、 公演自体もなんだかのったりしていてちと不調 |
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