団参の歌「榮えある神謳會」制作の逸話

革真宗教日本教御本部外勤使命 西部 春男

 御母御生誕百年祭をお迎へ申し上げ、中濃第二地区記念誌に西部家が今日の倖せな成長が出来ました道程を書かせて戴きます。これは西部家が一教時代に、おえびす様宝主様より御拝受申し上げました御利験の数々は、すでに御神報に掲載された事もありますが、再度発表させて戴きます。
 昭和25年5月27日早朝、私は父をつれておえびす様の門をくぐりました。時には18くらいの人が待って居られました。暫くして寶主様が御出座になられ、次々と御神示されて、私達の番になりました。寶主様が

「どうして来たの」

とお優しいお声で聞かれましたので、私は

「 昨夜部落の集会の場でおえびす様のことを聞いて、早速父が足が痛いのでお願いに参りました。よろしくお願い申しあげます。」

とお願いをしますと、寶主様の第1声は、

「可愛いぞお目出度うよく来たなあ。お前の父はもう年であるから、すっきり治す事は出来ないが、今日からはおえびす様の御子であるから、おえびず様が加護をしていくから、もうこれ以上悪くはしない。少しは痛むが仕事に差し支えないよう守ってやるから安心して帰りなさい。」

と言われて喜んで家に帰りました。8月からは家族でお参りするようになりました。寶主様は優しい笑顔で可愛い家の子等よ、よく来たなあと言われ、折にふれては御母の御行の時代のお話を暇のある限りして下さいました。家の都合で、今日は年寄り夫婦で、今度は若い者夫婦でとお参りを重ね、或る時は、寶主様が今日は早く終わるから少し待つようにと言われ、終わるとすぐにここに来なさいと言われ、又、行の時代の話をして下さり、夕方近くなりますと、寶主様は内侍さんを呼ばれ、夕食の準備を命じられ、話が終わるとすぐ、今食事を運ばせるから食べてゆっくり帰るようにと言われ、御退下になられました。寶主様のやさしいお心づかい、すき腹で帰してはの心づかいが身にしみて嬉しく、今に至る心の奥にあたたかく残って居ります。

 25年の年も師走12月30日に家族を代表して私が一ヶ年間の御礼を申し上げにお参り申し上げますと、寶主様が一段と威厳を正され、おごそかに扇をかざされ

うん事代主大神と名乗らせ給い
   昭和二十六年を迎へて
事代主大神     西部家に御祝詞
「東風吹きて 我が家に香る福寿はる
            (愛)
    花の匂いぞ いとゞ目出たき」

との尊き御祝歌と共に 1ヶ年間の御礼言上を非常にお喜びになり、この御祝歌は西部家永劫の家宝として大事に保存するようとの御神示と共に、勇祚様に書いてもらって帰るようにと言われ、寶主様に御礼言上申し上げてから、勇祚様にお願い申し上げて、御祝歌を書いて戴きました。勇祚様も非常に喜んで申されました。

「こうした事は誰も彼もと言う事ではなく、ごく少ない中で御拝受出来たので、本当にお目出度い事で、すばらしい宝である時が来ますから、喜んで26年の明け春をお迎えなさい。」

と励まして下さり、喜び勇んで家に帰りました。

 団参の歌「榮えある神謳會」 制作の逸話

 昭和28年4月28日に第1回大祭が御執行されました。前人未踏の御式典で御座いました。午前の御儀の前後に御神訓御神歌「神と共に人の道行く」と「神州讃歌」の御奉唱があり、指揮者として岐阜神謳会で一人、富之保神謳会で私が選ばれ神州讃歌の指揮を本部附馬渕さんの琴の音に合わせてタクトをふらせて戴き感激で胸一杯で御座いました。この感激が私に団参の歌を作らせて戴きたいと思う起因となりました。
 この嬉しい感激一杯の大祭を終えての帰りの道中で池田さんと二人で今日の感激を振り返りながら、私は池田さんに2人で団参の歌を作ることが出来ないだろうかと話しかけますと、それは良い事だ、君なら出来る是非作ってくれと励まされ、5月の団参までに3番まで出来ました。が、まだ寶主様に見て戴く事は出来ず、厳道様に

「私は団参の歌を作りたいと思い3番まで書きましたが、おゑびす様の事をこんなに書くことは不敬な事でしょうか。」

と恐る恐るお伺い申し上げますと厳道様がご覧になり

「これはすばらしい事です。最後まで書いて又見せて下さい。」

と励まされ又書き始めました。6番まで出来て最後の7番の締め括りが出来ぬのに悩んで居ります内に7月の団参となり、寶主様に御教えに

  「判然と御親の庭に咲く花は以上の幸なし花もその実も」

  「九重の庭面の花は九重の君の好めるその実とぞ知れ」

との大御教えで御座いました。不思議偶然神作るのお言葉通り、寶主様の御教え通りに7番の結びに7月の御教えを結びつけよと、全く符節を合する仕上がりとなりました。7月28日の凰翔会が終わってから厳道様に見ていただきますと、何にも言わず、すっと寶主様の御手に渡されました。寶主様が一読されてから

「よくぞこれまでに仕上げたなあ、此の幾月かを両親と大勢の子のある中で夜の更けるのもいとわず、よくぞこれまでに書き上げた。この上は作曲をしなさい。」

と言われました。一瞬の躊躇を見逃されず、寶主様は

「神と共に行く道に不可能は絶対にないのだ。出来るからやれと仰るのだ。大神様がお前が団参の歌が作りたいと思う真心に御意を送られ作詞が出来たのだから作曲をせよとの大御心であるぞ。一生懸命で御祈願しなさい。必ず作らせて下さる。」

と優しく御教えを賜りましたので

「「はい」やらせて戴きます。よろしくお願い申し上げ仕う奉ります。」

と御祈願仕う奉り、家に帰り夜の御礼拝と朝の御礼拝に御祈願申し上げてから、畑の作業にかかり、15分くらい立つと胸の中が何とも言えぬ爽やか気分となり、わきいでる泉のようにメロディーが流れ始め、暫くして口ずさむようになり、小さい声から段々大きな声で歌えるようになりました。家に帰ってハーモニカで吹いてみて曲が出来ましたが、音楽に無知な私は音符する事が出来ないで、小学校の音楽の先生に御願いして、自分で歌って先生が音符にして下さいました。8月11日の団参にお参りして、寶主様に御礼御報告申し上げて、出来上がった曲を見て戴きますと寶主様がハーモニカを取り寄せられて、お前吹いて見よと言われましたので吹かせて戴きますと、寶主様はお手拍子でお聴き下さいました。寶主様はニッコリと微笑まれ、

「よかったなあさぞ苦労したであろう。お前の真心が大神様に通じて御意を送られた団参の歌で立派な作曲である。」

と、西部春男作詞作曲と明記することをお許し賜りました。又、8月28日の凰翔会に池田さんと二人で歌って発表せよと命じられ歌わせて戴きました。寶主様はこの団参の歌を日本教の神謳会の歌としたいが皆の意見はどうかと言われますと、凰翔神使の皆様が拍手で答えられましたので、続けて寶主様は、ではこの団参の歌に相応しい(○○神謳会)と題をつけるよう9月団参に意見を出すよう宿題が出されました。提出された中から『団参の歌栄えある神謳会』これは菅田神謳会から提出されたと伺いました。9月の凰翔会で寶主様は今後一年間この『団参の歌栄えある神謳会』を団参日、凰翔会、感謝祭、戸主会の各御式典の始まる前に必ず合唱するようにと御下命になりましたので、団参のバスの中でも歌われるようになりました。
大神様、寶主様より御奉戴申し上げました。神と共にあれば何時如何なる場合も大安心であり、強い信念と忍耐力とハイと答えられる心を一層強くして戴きました。

団参の歌 榮えある神謳会


 一、御親の花の 集いよる
    月に一度の 団参の
   老若男女 まじわりて
    手植えの花と かおらなん

 二、神にめざめて 咲く花の
    豊にかおる 姿をば
   寶主様に 降臨の
    お恵比寿様の およろこび

 三、愛子の花の 楽しさわ
    神降臨の 寶主様
   優雅な姿 慕わしく
    月団参の 日やまたる

 四、玉のみ声に 切々と
    真なる神に 目覚めよと
   神なる道を 解き給う
    御意の程や かしこけれ

 五、三々五々と 歩をつらね
    定められたる 団参に
   御親を慕ふ 花姿
    我等は栄えある 神謳会

 六、御親の庭に ひねもすを
    扶桑神歌や 盆おどり
   楽しくすごす 団参の
    我等は御親と 共に行く

 七、花は九重 愛子等は
    おゑびす様の 花園に
   花もその実も 幸せな
    我等は栄えある 神謳会

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