革真宗教日本教神系八光会
加藤帥征奉帥司



加藤帥征奉帥司


八光会神使一同

 昭和25年頃、無二の親友であった長谷部甲子一(後に八光会副奉帥司)に誘導され、愛子としての人生を歩み出しました。昭和26年5月、八光会の帥征奉帥司の御拝命を賜りました。
 日本教も当時は宗教法人神道真言教会として発展途上中の時代でした。奉帥司は、現在の日本教の広大な敷地買収に当たり、当時としては珍しいスクーターに乗り、東奔西走し、地権者及び反対者を説得し、まとめ上げ、現在の日本教用地の確保の原動力として涙ぐましい努力をされました。
 大雨が降れば御本部は被害はなかったか、風が吹けば御本部は大丈夫かと、日々御本部第一の明け暮れであったようです。長谷部副奉帥司と名コンビで、1日2,3回は顔を合わせ、色々と相談したり談笑したりの日々でありました。
 足が弱かったのか、明星祭の御奉納(当時は浮き世の芝居、舞踊)の際によろけてしりもちをつき、一同の笑いを誘ったこともあり、愛子の人気者でもありました。
 自宅が料理店であるため、珍しい料理ができれば寶主様に召し上がっていただき、喜んでいただき、寶主様、寶主様の毎日を送る、幸せな人生であったと思われます。