長崎屋福島店
2000年問題の恐怖がひしひしと迫り来る1999年9月23日、福島駅前の大型店の灯火が消えた。29年間福島で営業を続けてきた長崎屋福島店の撤退、それは中心市街地の空洞化が一気に加速し進行し続けるという、いわば悲壮感を感じさせるものとなった。



長崎屋福島店は昭和45年に旧店舗を開店した。現在のカジュアルショップ“カラカロ”の位置にあたる。昭和45年といえば軌道線全面廃止の1年前であり、店の前には路面電車が走っていた。その後、福島駅前の再開発事業として建設されたニュー福ビルにキーテナントとして入居、地下1階から7階までを使って昭和54年10月にオープンした。平成3年には過去最高の64億円の年商を上げたがその後は売り上げが毎年2〜3割ずつ減少し続け、赤字に転落していた。郊外に移転を模索したが適地が見つからず断念、平成10年には郊外の矢野目地区に福島サティが開店し、買い物客が郊外に流出した。自前の駐車場がない長崎屋福島店の集客力は相次ぐ郊外店の出店で下降の一途をたどった。その間、平成3年には福島駅前の4大大型小売店の一つエンドーチェーン福島店が撤退、さらに平成9年には福島ビブレが福島交通飯坂線曽根田駅前に移転した。その後も、中合福島店とともに福島駅前の大型小売店として駅前商店街の集客を担い続けてきた。



個人的には長崎屋福島店はとても思い入れのある店だった。小学生の頃から学校が終わると遊びに行ってカードダスなんかを買っていた。乾電池が無くなると電気屋に行かず6階のサン電気で買ったし、父の日のプレゼントもここで選んだ。平成11年の初売りは元日営業でその時はこたつ布団や福袋を買った。福袋の中身は値段の10倍以上の品物が入っていて大喜びだった。ただ、店の中が初売りとは裏腹に閑散としていたのが気になっていた・・・・・。



平成11年に入っても4月、5月は売り上げが前年割れの状態だったが6月に店舗に垂れ幕がおろされ、閉店セールが開始されると郊外に流れていた客が中心市街地に戻ってきた。6〜8月は売り上げの前年比が150%、9月は200%に達した。駅前通りの賑わいは普段の倍以上になった。そして長崎屋福島店営業最終日の9月23日、この日は2万人以上の買い物客が押し寄せ店内は活気に包まれた。店内の割引商品が飛ぶように売れ、空になった陳列棚があちこちに見られた。主婦の他若者たちの姿も目立った。夕方になっても客足は衰えず店内のフロアは人で埋め尽くされ、エスカレーターは大混雑。最後まで賑わいが絶えなかった。そして午後7時、店内に「長年のご愛顧ありがとうございました」の放送が流れ、長崎屋福島店は29年間の歴史に幕を閉じた。



閉店間際の長崎屋福島店。閉店10分前の画像だが未だに店内は大混雑。秋も深まりもう外は真っ暗だったがこの日はいつも以上に店の光が明るく輝いていた。最終日の長い1日が終わり、29年間福島駅前の顔であり続けてきた長崎屋福島店の明かりは消えた。



さようなら長崎屋。