大黒屋
各地方都市の中心市街地で百貨店が苦戦を強いられているなか21世紀を迎えた。 2001年5月21日、創業100周年を迎えた老舗デパートが倒れた。 いわき市のシンボルだった大黒屋の倒産、36万都市の顔であり浜通り唯一の百貨店は相次ぐ大型量販店の攻勢を受け ついに力尽きた。


大黒屋の創業は明治34年、昭和44年に中町の現在地に移転した。創業以来地元の小売店として、 またいわき市をはじめ福島県浜通り地方の唯一の百貨店として大黒屋ブランドを築き上げてきた。 いわき市の中心市街地である平地区の商業を先導し、 いわき駅前を中心とした街づくりにも大きな役割を果たしてきた。 付近には市役所などの官公庁が並んでおり、 いわばいわき市の超一等地で君臨してきたのである。 市民にとっても街での買い物やお中元・お歳暮などの贈り物、 衣類の仕立てなど欠かせない存在だった。 だが、90年代に入り状況は一変した。 相次ぐ郊外型大型店の進出、買い物客は広い駐車場を持つ郊外店に流れ出し中心市街地の客足は激減した。 特にいわき市の場合は大型店の過当競争で地区全体の売り場面積が増えても売上高がほとんど変わらない オーバーストア現象に陥っていた。 合併都市いわき市の核は分散しており、いわき駅前の平地区は中心市街地としての牽引力が 残念ながら明らかに足りなかったのである。 大黒屋はなんとか巻き返しをはかろうと扱う商品の価格帯を広げ、また平成2年に約10億円をかけて 店舗のリニューアルを行った。 だが状況は改善せず、リニューアルにかかった費用が重荷になってしまった。 世紀が明けて2001年、大黒屋は創業100周年を迎えた。 しかし、不況が続き取引先との条件が厳しくなり資金繰りが悪化。 創業100周年の垂れ幕も空しくついに5月21日、裁判所に自己破産を申請。 裁判所から破産宣告を受け倒産したのである。



大黒屋が閉店し、国道6号線に面したいわば平の大動脈の人通りも途切れた。 車のみが素通りしていく大黒屋の正面………。



大黒屋の各入口にはお詫びの張り紙が。倒産に至った経緯が記されてある。 5月21日の9時50分頃、つまり開店予定時刻の10分前に張りだされたが 店の前には開店を待っていた買い物客が集まっており 驚きの表情で張り紙を見入っていた。 大黒屋の突然の閉店にショックを隠せない人もたくさんいたという。



大黒屋の前にはタクシー乗り場があり、大黒屋で買い物をした後に雨に濡れることなく タクシーに乗り込むことができた。 閉店後も客待ちタクシーが数台並ぶが、シャッターが降りた大黒屋から人が乗り込むことはない。 付近の人通りもまばらで、十数台の客待ちタクシーが待機するイトーヨーカドーやサティの前と比べて 本当に寂しい光景となってしまった。



大黒屋の国道6号線に面した部分には常磐交通の平中町のバス停がある。 大黒屋の入口から多くの人が出入りしていたが今はバス待ちの人が数人いるだけ。 大黒屋の袋を持って大勢の人が各方面へ向かうバスに乗り込む姿も今はない。



大黒屋といえば大黒様の宝くじとして全国的にも有名だった。 だが大黒屋の倒産と共に宝くじ売場も閉鎖されてしまった。 引き継ぎを検討している業者から数件の問い合わせがあったというが シャッターは閉じられたまま。



宝くじ売場のシャッターにもお詫びの張り紙がある。 大黒屋倒産の時期がドリームジャンボ宝くじの発売期間中とあって、 倒産から数日たった後でも宝くじ売場の閉鎖を知らずに 大黒様の宝くじ売場にあやかろうと遠方から訪れた人もいたという。



大黒様の宝くじ売場が健在だった頃の光景。 この宝くじ売場からは毎年1等がでることで有名で1等が出ないとニュースになるほどだった。



ありし日の大黒屋。倒産9ヶ月前の画像。大黒屋は中心市街地の空洞化の影響をもろに受けていたが それでも浜通り唯一の百貨店としての集客力は大きく、周辺は賑わっていた。 この賑わいが戻る日は来るのだろうか………。

なお大黒屋は6月19日と20日の両日、スーパーのマルトに依頼して 今まで支えてくれてきた市民のために大黒屋の商品を格安で販売する還元セールを行った。 本来は大黒屋そのものの手で還元セールを行う方針だったが 残務処理で実施が困難だったため同じ地元企業のマルトに依頼し、 マルトが大黒屋の商品を買い上げて実施した。 販売した商品は大黒屋の買い物袋に入れ、大黒屋最後の名残になった。 還元セールは21日まで行う予定だったが大黒屋を惜しむ市民が大勢詰めかけ 20日16時をもって全ての商品が完売となった。