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小林多喜二



福元館の歴史
七沢温泉の老舗、福元館の歴史は古く、安政年間、現福元館の女将の曾々祖父にあたる古根村仙蔵氏が農業の傍ら、浴槽を設けて来客に供したのが始まりです。
 その後、2代目の古根村仙太郎の妻やえ(現女将の義父の母)が現在の福元館を明治44年に開業し、現在に至っています。

多喜二の滞在した部屋
多喜二が滞在した部屋は、旅館の前の石段を登ったところにあるはなれで、大正14年(1925年)に建てられました。今も当時のまま、手火鉢、行火、茶だんす、丹前などが残されています。

執筆中の多喜二
多喜二は、昭和6年(1931年)3月から4月にかけ、約一ヶ月間福元館に密かに滞在し、小説「オルグ」を執筆しました。本館浴場の湯船に板を渡し、その上に座ってよく歌(ブラームスの歌曲『日曜日』)を口ずさんでいました。

多喜二の想い出
福元館の女将(古根村喜代子)の義姉である昭和初期当時の福元館の娘の古根村初子さんは、
「番下駄をからからと音をさせ、丹前をふところ手に、とんびだこのような格好をして風呂に来られる(多喜二の)姿をちょくちょくみかけました」と語っています。
自著「あんなことこんなこと」(昭和60年刊)より
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