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天界と人間界を結ぶ門の前で、熾天使・レイアスはただじっと座り続けていた。
「レイアス様、宮殿に戻らなくてよろしいのですか?」
門を守っている天使が声をかけた。
「かまわぬ。私は王にティル様の守護を任されているのだ。ティル様が見つかるまで宮殿には戻らぬ」
言い出したらきかないレイアスの頑固さは、天使たちの間でも有名である。
天使は諦めて仕事に戻った。
それからしばらくの間、レイアスはじっと門を見つめていた。
「いつまでそうしてるつもりだよ」
背後で声がする。聞き覚えのある声。
振り向くとそこに立っていたのは、とても天界とは縁のなさそうな黒髪に赤い瞳、尖った耳に牙。そして額には第三の瞳を持つ青年。
「バーン…」
「らしくねぇぞレイアス」
バーンと呼ばれたその青年は、レイアスの顔をじっと見つめたまま繰り返した。
「らしくねぇぞ」
そう言ってバーンは門の方へと歩いて行った。
「どこへ行く気だ!?」
レイアスの言葉に、バーンはゆっくりと振り返って言った。
「ティルを捜しに行く」
再び前を向くと、バーンは天使に門を開けるように言った。
「し…しかし」
突然言われた天使は困った顔をしながらレイアスの方を見た。
「門を開けろ」
レイアスが言った。
「しかし…」
「責任は私が取る」
レイアスにそう言われた天使は、ゆっくりと門を開け始めた。
天界と魔界が交流を始めてから数千年。それに不満を持つ悪魔たちが魔王に反発して分裂したのが約百年前。
特にどちらとも言えないが、どちらかというと魔王派であるバーン=サルディナス=リザロは、天界と魔界を行き来する資格を持つ数少ない悪魔の一人である。幼い頃から天王と顔見知りだったからその資格を得ることが出来たのかもしれない。そうでなければいくら中立の悪魔とはいっても、短気で喧嘩好きのバーンがこれを許されることはなかっただろう。
天界に来るようになって、バーンは天王の娘である女神・ティル=ディーンに出会った。
母親を知らず、父に反抗して今まで生きてきた彼にとって唯一人心を許せた人である。
ティルもバーンを信じていた。
ティルと出会ってからバーンが前ほど乱暴者ではなくなったことで、周囲の人々は安心して二人を見守っていた。
しかし、その幸福な日々はある日突然音を立てて崩れていったのである。
突然のティルの失踪。
バーンは狂ったように宮殿中を捜し回った。ティルがよく行く森も湖も。
それでもティルは見つからなかった。
天王の命令で、宮殿中の天使たちもティルを捜した。しかし、誰一人としてその手がかりを見つけられなかった。
数日の間、バーンは魔界に帰ることなく宮殿でティルの帰りを待ち続けた。
そんな時誰かが言った。
「もしかしたら、下界に降りたのでは?」
しかし、ティルが門をくぐった形跡は無かった。
結局原因が掴めず、諦めるしかないのかと思っていた時だった。
「転生の術?」
「そう、ティル様の魂を無理やり下界に転生させた可能性が出てきたのだ」
智天使セイレスが言った。
「ティル様の部屋を何度も調べているうちに、莫大な魔力を使ったらしい跡があった」
「だからといって、そうとは限らないだろう?」
レイアスが言った。
「一つの可能性としてです」
「奴が得意だった術だ」
バーンが言った。
「本当か!?」
レイアスの問いに、バーンは無言で頷いた。
奴ならやりかねない…今の奴なら。
バーンの心は怒りで溢れていた。
ふと、バーンの心に昔聞いた言葉が浮かんだ。
『他人を傷つけることは、自分を傷つけることだ』
何故こんな時にその言葉が浮かんだのか、バーンにもわからなかった。
もう二度と会うことは無いだろう人の言葉。
そんなことは今はどうでもいい。
絶対にティルを取り戻して見せる。この命を懸けても。
彼は心に固く誓った。
そして、人間界に行くことを決心したのである。
「バーン、お前に頼るしかない自分が情けない。しかし、ティル様を捜せるのは多分お前しかいないのだ」
「もとはといえば俺のせいだからな。それに…」
バーンは言いかけてそこで止めた。
「ま、いいか。とにかく行ってくるわ」
そう言ってバーンは笑って見せた。
「頼んだぞ」
レイアスの言葉にバーンは無言で頷いた。
そして振り返ることなく、彼は門をくぐった。
その背中を、レイアスは祈るような気持ちで見つめていた。
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