●通過点●


「間違っていない」とあの男は言った。
何もかもを捨てきれず選びきれずに手を伸ばし、その結果何一つ叶えられずに終わっていく 自らの選択の是非を神に問うたあの時。
あれは神の啓示か。
それとも悪魔の囁きか。
ただ酔ったような心地よさが耳の奥に、頭の芯に、体の内側に染み込んで―――
そして自分は今、ここにいる。


カチリと硬い感触が歯に当たる。

それが代謝機能増進のアンプルであることに気付くのにほんの少し間があった。
どうやら無意識のうちに自分で内ポケットから取り出していたらしい。
ほんの数mlの琥珀色をした液体が血で赤く濁った視界のわずか数p先で揺れている。
常人が服用すればおそらく血液が沸騰するだけでは済まされない。
飲み込めば瞬く間に体中の細胞を活性化させる劇薬。
その絶大な効果と引き換えに支払う代償もまた大きい。
体の中で命と時間があるべき姿を捻じ曲げられ、削り取られていく。

かすかに口元を歪めると、ためらわず天を仰いだ。
一瞬で喉の奥にアンプル液が流れ落ちていくのが分かる。
舌先にわずかに痺れるような甘い痛みが走る。
劇薬に似つかわしくない微かな甘みは、飲み干されたアンプル液の空ケースが口を離れ地面 に届く前には体の最奥から突き上げてきた灼熱の嵐によって吹き消されていた。
脈打つような微かな衝撃がさざ波のように皮膚の下を走る。それと同時に音を立てて 傷ついた筋組織や神経が再生をはじめ、背中に穿たれた幾つもの銃創は、撃ち込まれた 銃弾の欠片を押し出しながら見る間に塞がっていく。肉が繋がりあう音は引き裂かれる音よりも 不自然な醜悪さに満ちていた。体の中で得体の知れない生き物が爆発的な速度で増殖し駆けずり回る。 身震いし叫びたくなるおぞましい感覚にウルフウッドはただ黙って耐えた。
体が焼けるように熱い。そのくせ頭は恐ろしく冷たく冴えていく。その温度差は薬によってもたらされ るものなのだと分かっていても何か大事なもの―――命とも時間とも違うまた別のなにか―――が自分 の中から消え失せてしまうという錯覚にいつも囚われていた。

今、その感覚はない。
いつもと変わらず体は熱く、頭は急速に冷えていく。
強制的な代謝促進は無遠慮に確実に命の賞味期限を蝕んでいるはずなのに。
自分の内側で、何一つ消えていく気配を感じない。
逆に取り留めなく散らばっていたものが凝縮していくような充足感が指の先まで支配している。

殺さないと決めていた。
戦いが始まる前から。

もう、誰も殺さない。
そして自分も死なない。

そんな都合のいい綺麗ごとが許されるのか。
今更そんな道を選べるのか。

繰り返す問いに今、答える声はないけれど。
ただ一つ、はっきりしていることは、その道を選びたいと思っている自分がいることだけだった。 許されても。許されなくても。


パニッシャーのグリップを握り、ゆっくりと立ち上がる。
アンプル液を口にしてからひどく長い時間が経過している気がしたが、実際にはものの数秒も経っていないはずだ。 戦闘中にあってはそのわずかな間隙さえ致命的なものとなり得るのだが、先ほどまで苛烈を極めた攻撃は不思議なことに 鳴りを潜めていた。塞がった傷口からはもう血が噴出すこともなかったが、失われたものを総て回復するのに 十分な時間が与えられるはずもない。
永遠に感じられた静寂の間は一瞬の後には打ち破られた。
咆哮を上げて迫り来るリヴィオの姿を視界に捉えて、ウルフウッドは地面を蹴った。


死なせない。殺さない。
例え今ある生が、どうしようもない暗闇の中にあるとしても。


双方向から走り寄る二人の距離が急速に縮まっていく中、パニッシャーのトリガーに指をかける。
生半可な撃ち込みではリヴィオをとめることはできない。それはすでに証明済みのことだった。 瞬時にランチャーの発射を決意する。教会に撃ち込まれかけたミサイルを素手で止めた、その瞬発力と反射神経が あればこの攻撃もかわすだろうが、通常では考えられない至近からの砲撃となれば、わずかなりとも隙が生まれるはずだ。
今はそのギリギリの可能性にかける。
射出されたミサイルをリヴィオがかわしきれず、この距離で爆発すれば、2人とも間違いなく肉片と化す。 いくら脅威の再生能力を誇ってはいても、もとが生身の人間である以上、死を免れることはできない。
しかし迷いはない。冷ややかに冴え渡る思考の内側で自分を突き動かしているものはただ一つの意志。

生き延びるんや。皆で・・・。
お前も。自分も。

想いは内側から外側へ、膨張し拡大し止めようのない奔流となって溢れ出す。
死へと向かう無謀な賭けと傍目には見えたとしても、死神の懐に飛び込むために走っているつもりはなかった。
死ぬつもりはない。殺すつもりもない。
ただ、生きるために、生かすために、引き金を引く。
それが、いつか偽善だと咎めた旅の連れの生き方をなぞるやり方だという自覚はあった。
泣き出しそうな笑顔を浮かべて、傷だらけになりながらも決して生き方を曲げようとしなかったあの男の。
綺麗ごとだけでは生きていけない、と多くの人間がたやすく繰り返し振りかざす免罪符まがいの言葉にどうして素直に頷き、 立ち止まることをしないのか。まるで頑是無い子供のような頑迷さで、突き進んでは、傷ついてゆく。
何を考えているのか分からず、時に苛立ちと腹立たしさを覚え、気持ちが悪いとさえ思ったこともある。
そんな男の考えていたことが、今、ほんの少しだけ分かるような気がした。


至近に迫ったリヴィオの眼前で、ためらわずトリガーを引き絞る。


射出されたミサイルの残像と驚いたリヴィオの表情が奇妙に間延びした時間の中でひどく鮮明に目に映る。


一瞬後、青空へ弾き飛ばされたミサイルの軌跡を確かめることもせず、ウルフウッドは抱えていたパニッシャーを 走り込んできた勢いごと、立ち竦むリヴィオの体に叩きつけた。
生身の肉体と硬い無機物がぶつかりあう鈍くて重い衝撃がパニッシャーの装甲越しに掌に伝わってくる。
脳管を揺さ振るような強烈な衝撃に眼を見開き、呼吸を止めて棒立ちになったリヴィオの首に素早く手を回し、 強く引き寄せるとパニッシャーごと抱きすくめるようにして自由を奪う。
そのままの姿勢で取り出したハンドガンの先をパニッシャーのトリガーの隙間から押し込むと、あやまたず 心臓の真上に銃口が押し当てられた。
リヴィオの施された代謝促進手術は自分のそれを遥かに超えている。
が、どれほどのものなのかは分からない。
どこまでが限界なのか。どこが「死」と「生」の境界なのか。
見分けられるくらいなら、なんの苦労もない。
壊れても壊れても元通り復元し再生するその「機能」は、使われるたび生身の人間としての現実感を遠ざけて、 やがて帰る道を見失わさせる。目前の「死」を回避することによって得られる束の間の安堵と、その一方で急速に 「生」の時間が奪われていくことに対する戸惑いと恐怖。相反する感情の板ばさみになりながら、そこには選択の余地はなく、 逃げ出す方法もない。いっそすべてを幻として終りにしてしまえば、そこに救いはあるのだろうか。 だとしても今、安らかな終りをこの歳近い同輩に与えるつもりはなかった。


「生きろ、リヴィオ」
祈るように呟くと、心臓に銃口を押し付けたまま、ハンドガンの引き金を引いた。


あの日、耳の奥に刻まれた言葉は細胞の中まで染み込んで、吹き荒れる嵐の中でも掻き消されず、まるで道標のように胸の中で鳴り響いている。
あれは神の啓示か。
それとも悪魔の囁きか。



分からないけれど、もう一度あの男の口から、あの言葉を聞いてみたい。
この闘いが終わったら―――そう、すべてが終わったその時には。



生まれてきたことも、生きていることも、生きていたいと思うことも。
また、自分の命と同じく、人の命を救いたいと思うことも。
口に出せば笑いものにされるような理想も、夢も、綺麗ごとも。



すべて、間違いではないのだと。



立て続けに響く銃声は渇いた大気を震わせて、青すぎる空へ溶けていく。
その刹那、遥か遠く、なつかしい歌声を聞いた気がした。


=END=



2003年3月号を読んでいても立ってもいられなくなり。
報告書そっちのけで書いてしまいました。
原作のファン解釈による行間埋め小説です。 (なんか書かないと体中の毛穴から妙なものが噴出してきそうだったので)
この回は数あるトライガンの話の中でも歴史に残る名場面の回として記録される ことになるでしょう。いやきっとなる。激メガクール。漢の世界。 クール過ぎて鳥肌サブいぼ立ちまくりです。
惜しむらくは台風氏がいないことではありますが、なんだか居ないって感じがしないんですよね。 「見えないけどそこに居る」という感じがするんです。(決して台風ファンの欲目ばかりではなく)

「牧師が今考えていることはなんだろう」
「何を思って引き金を引くんだろう」
と、恐ろしいほど男の色気を紙面に撒き散らしている牧師の姿を見ながらずーっと 考えていました。

死のうとしているわけではない。
殺そうとしているわけでもない。
心中まがいの無謀な距離からのランチャー発射も死なばもろともを狙ったとは思えない。
生きようとし、生かそうとするその意志はどこからきたのかって考えていくと自然、 2002年の8月号で台風氏が牧師に向けて放った一言に目が向いたわけで。
で、同時に同12月号で少年時代にリヴィオが牧師に向けて放った問いかけも思い出したのです。
「自分が何も価値の無い人間だと思わされた事があるか」という問いに、平然と「あるな」と 答えた牧師。孤児としてその施設に流れ着いてくるまでに一体どんなことがあったのかは分かりませんが、 自分の存在を否定されるようなそんな経験もしてきてしまっているんだろうな、と思いまして。
そんな彼の耳に台風氏のあの言葉はどんな風に響いただろうってグルグル考えているうちに出た結論が 「自分の存在の肯定」というものでした。
台風氏がそこまで考えて言った言葉かどうかはともかく、牧師にはそう感じられたんじゃないかと。
すべて「正しい」と言ってもらいたいわけではない、そこまでは望んでいないし正しいと言い切れるものでは ないことは自分でも分かっている。でもせめて「間違ってない」と言われたら、全部ではなくてもたった一つでも 自分のしてきたことを間違っていないと言ってもらえたら、それで救われるような気持ちになることも あるんじゃないかと思うのです。特に孤独な闘いのさなかにおいては。
生きていることを許されるようなそんな感覚もあったかもしれないなぁと。

なので「牧師、台風氏の言葉を胸に現在疾走中」という感じで書いてみました。
(茶化したいんだか、真面目に語りたいんだかどっちなんだ自分・・・←多分両方です)
きっと牧師が見ているのは遠くて近い未来の光で、今はそこに向かう途中の暗闇を 走り抜けている最中なのだと思うのです。
題名はそんなところからきています。

ってここにこんなに書いたら報告書に書くことなくなっちゃうじゃんよぅ(^^;)



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