<日記より転載>
まず表紙から。
全体的にモノクロに近い色調。暗すぎず明るすぎず、でも少し寂しさや憂いの滲むような色使い。(←内容知ってるからそう見えるだけかしら?)
で、ウルフウッドの表情がめっちゃエエです。
サングラスを透かして見える鋭い視線っていうのはもともとかなりツボどころ。
ガバメントを握った大きくてごっつい手とか、節の高い指とか、平たくて大きなスクエア形の爪とか。
一個一個のパーツが「ああ、ウルフウッドだなぁ〜」という感じで。
コミック引っくり返して裏表紙。見た瞬間に「うっ・・・」ってきました。(T_T)
空っぽの2人がけソファが一つ。足元にはポツンと飲みかけの酒瓶が転がってて。
それがなんなのか分かるもんだから。ページを捲って中をみるのがまた怖くなる。
しょうがないから暫く表表紙と裏表紙、グルグル回しながら見直したりして。
コミックサブタイトルが「wolfwood」なのに気づいて、また「ううっ・・・」ってきたりとか。
埒があかないので一まずお茶など淹れなおし、気持ちを落ち着けてからリトライ。
中表紙は2003年12月号の表紙でまたまたジタバタ。
うううっその目を閉じた横顔はヤバイんです。私的にはヒジョーにヤバいんです。
それに目次ページのクロネコ君にまで十字架の影がかかってるよ、はぁぁぁぁ・・・。
(この調子じゃちっとも進まんので間さくっと飛ばしまして)
台詞が変わってた箇所突っ込み。
P64、台風さんが来て爺さまに頭突きかます直前。
「オマエがここに来たのは何故や。簡単や。おまえがどうしようもなくおまえだからや」
だった箇所、エライ台詞が増えとります。
「ダボ!」っちゅうのは「ダァホ」(=ド阿呆の変化形)が更に詰まった言い方なんでしょうか。
それとも牧師の造語なんでしょうか。誤植の可能性も捨て切れませんか。
「これが済んだら一杯おごったってもええぞ!!」
っていうのは、あの場面への布石・・・ってことなんかなぁ。(そうなんだろうなぁ)
「駄々っ子のヘタレ」ちゅう言い方には思わず心トキメキましたが。
こういう時の牧師って、視点が完全に『ニコ兄』なんですもん・・・「泣き虫」とか「やんちゃ」とか「おいた」とか・・・小さい子にもの言う時に使う感じの言葉が不意にポロッと出てくるの。
そこでなんだかイイ感じに力が抜けて、輪郭が和らぐというか、ホッとするというか、可愛らしい愛嬌が生まれるというか。
(可愛げのない男は格好よさの魅力半減、逆であるなら魅力倍増が私の持論なんですが。「女は度胸 男は愛嬌」ってことで)
P72〜74にかけて。
台風氏と牧師の沈黙の再会場面は大幅に様相を変えております。
コレはコレでエエんですが・・・・・・・・私的にはあの怖気をふるうほど徹底したストイックな再会場面の方が好きやったかな〜。
(ん?なんか雑誌掲載時の感想と言ってること変わってないか?自分)
もどかしくてバタバタしたくなったのは事実ですが、やっぱり絶品だったと思うんですよ、あの沈黙は。あの静けさは。
一本ピンと張った細い線の上にあるような言いようのない緊張感。秀逸だったんだけどなぁ・・・・・・・。
で、台風さんの口から孤児院の皆様方へ
「僕はニコラスの友達だ」
とか言う台詞も出てきてるし。あぁぁぁあなたの口からも出るか!「友達」発言!
←だから友達じゃ不満なんか?自分・・・。いや友達でエエンやけどな。悪いわけじゃないんやけどな。
(割りきってたんと違うんかい)
牧師の場合はモノローグだったけど、台風氏の場合ははっきりと言葉にしてます。
・・・・・・・・・・・・・「ミカエルの眼」の知覚増強メニューの中には当然聴覚も含まれてますよね。
この言葉は牧師に聞こえてると解釈してよろしいか??
いや、その前に。
この台詞そのものになんか妙な違和感が。
なんだろう???
もう一回読み直し。
「僕はニコラスの友達だ」
ン? (‥ )
ハッ!Σ( ̄□ ̄;)
台風氏が牧師のこと『ニコラス』って言ってるよ!!
ひええぇぇぇぇぇっっっっっ!!!!
ε=ε=ε=(/; ̄▽)/ ニゲロー
よく分からんけどド赤面(//////∇//////)〜3
よく分からんけど動悸息切れ不整脈。
狂喜乱舞とはチト違うんだけど、なんじゃいこのゴッツイ恥ずかしさと照れはっ!
拡声器を持ってきましょう。エエ是非持ってきましょうよ!
牧師さんに聞かせてあげようじゃありませんか。最大ボリュームで!!!
(嫌がらせ?当然です☆せめてコレくらいはさせてください)
いや、孤児院=牧師のホームなわけなので、そこの人らに対してファーストネームで呼びかけることは別段おかしなことではないわけなんですが。
にしても。にしてもだ。
今まで一回も呼んだことないくせに、この期に及んで下の名前を呼びますか。
嬉しいような悔しいような、口にして欲しかったような、して欲しくなかったような・・・。
大切な相手をあえて下の名前で呼び合わないことで、そこにストイックな色っぽさというものが宿る気がするし、そういう関係性って実は結構好きなので、少し複雑な気持ちにもなりました。
えっとあと気になったところは、もともと10月号分の頭にあった青空に鳥の構図と台風氏の台詞が、9月号頭の砂漠でうずくまってる牧師の一枚絵の前になってたこととか。
・・・これなんでワザワザ移動したんだろう??ページ番号は合ってるみたいだから乱丁ってわけじゃなさそうだし・・・。
P82にある10月号分頭のあの台風氏の台詞は、P101の台詞に引き継がれてるわけだからちょっと間が長く開きすぎてP101の「だが」が何処から繋がってるんだか分かりづらくなってる気もするんですが。
雑誌読んでた眼で見るからそう思うのかな?
(残りの部分に関しては繰言になってしまうので敢えて割愛。)
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