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アラクローネの白き魔女

 歓楽街アラクローネ。この街は完全なる無法地帯だ。街の中央にはBFの闘技場がそびえたち、連日のように昼夜を問わず試合が行われて、いつも大勢の観衆で賑わっていた。
 この闘技場では試合に出たいと思うものは誰でも参加することが出来る仕組みになっていて、ちょっと名前と年齢、性別なんかを記入用紙に書き込めば、すぐに登録カードを発行してもらえるようになっている。そのため選手の顔ぶれは、賞金目当てのギャンブラーや行きずりの冒険者、ごく普通の商人までが参加して、本当にごった煮状態になっていた。

(まあ、俺には特に関係もない場所だけどな)
 そんなことを考えながら、買い物帰りに闘技場のそばを通りかかった黒髪に黒い目をした二十代前半の青年――ヴァイルは両腕の袋を抱えなおす。袋の中身はごくごく普通の食材でいっぱいになっていた。
 てくてくと表通りに歩を進める彼が周辺に目をやると、そこにはカジノや娼館、ネオン輝くお城が堂々と立ち並んでいる。それ以外にも、他の街では堂々と売りさばけないいわくつきの品を売る専門店、呪いをかけるのを得意とする呪術師の店まであった。他の土地では規制されるはずのものが、ここでは公にさらされている。

 それに対して普通の宿屋は裏通りに押しやられ、ひっそりと運営している始末だ。ヴァイルは裏通りにある黒猫亭という、素朴な宿屋を営んでいるハンスという老人のたった一人の孫だった。後を継がせる予定だった息子夫妻を通り魔に殺されたハンスは、ヴァイルに宿屋を継がせるつもりでいる。そのためヴァイルは今、宿泊客に出すための料理の買出しに行った帰りだった。

 両親を殺した通り魔は捕まらなかった。犯罪件数世界屈指のこの街では、殺人や窃盗の取り締まりの機能などあってないようなものだ。やられたら負け。それがこの街の暗黙のルールだ。
 ヴァイルは無力だ。剣やら槍やら引っさげてギルドに出入りをしている冒険者とわけが違う。彼の触ったことのある刃物なんて、料理に使う包丁や果物ナイフくらいだ。そんな彼に出来ることと言ったら、両親の代わりに祖父を支えて、料理をし、客が出ていった後きれいに宿屋の掃除をする。そんな毎日を繰り返すことだけだ。通り魔については、泣き寝入りするしかない。それに、どんなに復讐したくとも、殺人は――だめだ。

「くそっ……」
 小さく悪態をついてぎゅっと強く目を閉じると、瞼の裏に黙々と仕事をする年老いたハンスの姿がちらちらとよぎる。
 ハンスは元犯罪者だ。農民の生まれだった彼は、友人を殺された復讐のため、法の裁きを待たずに相手を殺して、その後何年も懲役していた。やがて服役を解かれた彼は、すねに傷のある者が偏見の目で見られぬこの街にたどり着き、今は宿屋の主として暮らしている。
 ハンスは語っていた。後悔はしていない。だがヴァイルに同じ道を歩んで欲しくはないと。祖父を裏切るわけには、いかなかった。

「こんにちは、ヴァイルさん」
 突然明るい声音で挨拶され、知らず知らずのうちに袋を痛いほど握り締めていたヴァイルは、ぴたりとその場に足を止める。いつの間にか彼の足はもう裏通りの石畳を踏んでおり、黒猫亭の隣にある小さい書店の目の前に立っていた。看板には樫の木書店と書かれている。

「あ、ミミさん。こ、こんにちは」
 ヴァイルは頬を赤らめた。書店の前には美人とまでは言えないまでも、見るからに家庭的そうな、親しみのわく愛嬌のある顔立ちの女性が立っている。女性はヴァイルと同年代で、仕事用にと簡素なワイシャツと長ズボン、スニーカーといった洒落っ気のない格好をしているが、業務用エプロンをつけたその身体は程よい肉付きをしていて健康そうだ。彼女は赤毛のみつあみをゆらしてほうきで店の前を掃きながら、そばかす顔でいたずらっぽくにこりと微笑む。
「どうしたんですか? 浮かない顔して。らしくないですよ」

「あ、いえ、何でも! 何でもないんです!」
 焦ってそう答えるヴァイルの表情は、見るからに鼻の下が伸びている。彼は美人だけれども性悪な女に慣れすぎていて、かえってこういうタイプが新鮮に見えてしまう。それに店を継ぐことを考えなければならない彼は、そろそろ結婚を視野に入れた付き合いというものをしなければならない。
 嫁にするなら、美人じゃなくていいから、気立てが良く働き者で健康的な女性が良かった。ミミがいつもにこにこしながらせっせと働いている姿を見ていると、もし彼女と結婚したら、黒猫亭の若女将として頑張ってくれるだろうな、と容易く想像が出来てしまう。彼にとって、ミミは嫁にすることを考えるなら理想的なタイプだった。だが彼は、なかなか上手くアプローチすることが出来ない。

「あ、あの、ミミさん。その、ええと、こ、こ、こ、こ」
 今晩、一緒に食事でもしませんか――その簡単な一言がなかなか口から出てこない。女性経験がないわけではなかったが、いかんせん、素朴なタイプの女性は初めてで、勝手がまるで分からない。ミミは「こ?」と尋ね返しながら、うつむいてしまったヴァイルの顔を、腰をかがめて下からそっと覗き込み、上目遣いで不思議そうにこちらをじっと見ている。茶目っ気のあるその仕草は、単純に可愛い。心臓がどきどきする。
(こ、この程度のことで、何でこんなに緊張してるんだ俺は!)
 彼は勇気を振り絞って、喉の奥から声を搾り出そうとした――その時だった。

「おい、ずらかろうぜ」
 そんな声と、複数人の足音がばたばたと聞こえてきて、向こうの角から、見るからにならず者といった格好をした連中が姿を現し、逃げるように駆け去っていく。

「何かし――むぐ」
 ミミが不安そうに呟くのを、ヴァイルは手のひらで口を塞いで押しとどめる。
「しっ。目を合わせないで。店に入って」

 彼はそう言って、ミミと二人でじりじりと書店の入り口に入る。ヴァイルは以前、不思議に思って眺めていただけで、「何じろじろ見てるんだ」と因縁をつけられてぎたぎたにのされたことがあった。ああいう連中とは一切関わらないに限る。
 だが妙にいやな予感がする。両親が死んだ時もこうだった。彼がまだ少年だった頃、曲がり角の向こうから騒がしい音が聞こえてきて、様子をこわごわと覗きに行ったら――両親の惨殺死体が転がっていた。

「ミミさんはここにいて下さい。俺、ちょっと様子を見に行ってきます。これ、預かってくれますか」
 人の気配がなくなると、ヴァイルは買い物袋を彼女に渡し、そう言って表に出る。そろそろとならず者達が飛び出してきた角を曲がると、そこには、ぼろぼろになった子供――幼児と言ってもいい男の子が一人、石畳の上に転がっている。大怪我をしているようだった。彼が慌てて脈拍を確認すると、意識は失っているようだが、生きていた。

(まだ助けられる)
 道端に転がったぼろぼろの姿に、助けられなかった両親の姿が一瞬だけ重なって、目の前の子供を助けることしか考えることが出来なくなる。
「怪我人です! 誰か、手を貸して下さい!」
 思わず声を張り上げるが、ここは犯罪の横行する無法地帯。そんな声を上げたら関わり合いになりたくなくて、かえって周囲の家人にぴしゃりと戸締りをされてしまう。だがすぐに声を聞きつけたミミが、ハンスを連れて駆け寄ってくる。

「一体どうした、騒々しい」
「じいさん! 子供が、大怪我を」
 彼は声を上げる。ハンスはすぐにヴァイルとミミに指示を出す。
「お前はすぐ医者を呼んで来い。この子はうちに運んでおく。ミミさん、看病を手伝っておくれ」
「わ、分かりました」
 ミミが頷くのと、ヴァイルが泡を食って立ち上がり、医師の家に向かって駆け出すのとは、ほぼ同時のタイミングだった。

 黒猫亭に運び込まれた子供の容態を見る医師の表情は、芳しくなかった。
「手はつくしましたが、回復は難しいでしょうな」
 ほとんど匙を投げるようにそういうと、医師はハンスから治療費を受け取って去っていく。

 ヴァイルは悔しそうに歯噛みした。
「あのやぶ医者! やる気あるのか!」
「まあ仕方がないだろうな。どうやらこの小僧、身よりもない道端の物乞いみたいだし。治療費を払うあてだってない――無関係のわしらが肩代わりしてやる義務だってないんだしな」

 ハンスは落ち着いた様子で口を開く。そんな祖父に、ヴァイルはすがるような目を向けた。
「じ、じいさん、そんな冷たいこと言わないでくれよ」
 寝台に横たわる子供はやせ細った小さな身体に、ぼろきれのような服をまとって、ぐったりしたまま身じろぎもしない。見捨てることなんて出来なかった。

「治療費なら俺が払う。だから」
「金の話だけじゃない。回復したとして、その後どうする。身寄りのない子供をまた物乞いの生活に戻すのか。そんなの野良猫にいっぺんだけえさやって、飼ってやらんのと似たようなもんじゃないか」
「う……」
 ヴァイルは言葉を失って黙り込む。

「いいか、ヴァイル。こんな子供はうじゃうじゃいるんだ。善人ぶるのもほどほどにしろ。お前は助けを必要とする人間をみんな救って回るつもりか。このアラクローネでそんなことしていたら、命がいくつあってもたりゃしないぞ。そんな甘ったれじゃ、わしが死んだあと、この街で一人でやっていけないだろうが。そんなお人好しじゃあ、したたかな悪党につけこまれてあっという間に殺されるか、身包みはがされるのが関の山だ」

「分かってるよ、そんなこと!」
 ヴァイルは必死になって言い返す。祖父が心配してくれているのは分かる。だが、言わずにはいられない。
「全員救うなんて出来やしないし、そんなつもりだってない。自分の生活だって捨てられない。でも、例え救うことが出来なくたって、縁のあった人間に出来る範囲のことくらいはしてやりたい。それが何か悪いのか」

 ハンスはやれやれといった調子で肩をすくめる。こうなったらてこでもきかない。そういうところは、父親にそっくりだった。その時ミミが、おずおずと声をかける。
「あの、グローリアさんに、助けてもらうっていうのはどうでしょう? 彼女なら、きっとこの子を助けられると思いますけど」
「ぐ、グローリア、か」
 だが、途端にヴァイルは渋い顔になった。

 グローリアというのは、アラクローネの白き魔女という二つ名で恐れられている女だった。今では随分なりをひそめているが、少し前まで彼女はその荒い気性のおもむくままに、気まぐれに人を殺していた。彼女の前を横切っただけで首を飛ばされたものもいる。彼女が気まぐれに人を殺すことを、この街の住人は「魔女の癇癪」と呼び、災害のようなものとして諦めていた。

 その恐ろしい魔女は、もう何百年と生きているそうだが、その容貌は十六の少女の姿のままで止まっている。千年に一度しか実らないという、北の大地に一本だけ生えていた白銀樹の実を食べたためだ。その実には不老不死の力があったという。彼女はその実を食べたあと、その樹を焼き払い、彼女の生まれ故郷でもある北の大地を業火で燃やし尽くしてしまったという話だった。

 彼女の力は本物で、このならず者だらけのアラクローネでも一目置かれている存在だった。彼女はそれでも、気が向けば人助けもする。その時はこれ以上ないほど心強い魔女だった。

 ヴァイルは何の因果か、昔東通りで起きた「魔女の大癇癪」と呼ばれる無差別に大勢の人間が殺された虐殺事件に居合わせて、何とか生き延びることが出来た。屍が累々と転がる凄惨な光景の中、彼は初めて白き魔女グローリアと対面し――以後、なぜか腐れ縁となっている。それ以来、ヴァイルは何度も彼女に殺されかけ、同時に何度も助けられている。ヴァイルにとって、彼女は正直、あまり顔を合わせたくない相手だった。

「大丈夫ですよ、ヴァイルさん、グローリアさんにすごく気に入られてるじゃないですか」
 ミミはそう言って後押ししてくる。彼女はヴァイルとグローリアの関係を何も知らない。だから他意はないのだろう。ないのだろうが、今現在の想い人のミミにグローリアに頼みごとをしろと言われると、何とも複雑な気分だった。

(気に入られているというか、暇つぶしの玩具にされているというか)
 彼は深い深いため息をついた。だが、人の命には代えられない。こんな時、グローリア以上に頼りになる存在がいないことも確かだった。
「分かった――相談に行ってきます」
 そういうとヴァイルはさっそく立ち上がり、アラクローネの町外れにある白き魔女の住みかに足を向けた。

 彼女の家の玄関を叩くと、自動的にぱたんと扉があいて、木の杖がすーっと彼の前に飛んでくる。杖はついてこいとでも言うようにくいくいと部屋の中をさし、またするすると移動していく。彼がその後について行くと、否が応にも薬草の独特の匂いが鼻をついて、いたるところに置いてあるよく分からない怪しげなものが目についてしまう。やがて杖は占いや儀式を行うための水晶部屋の前で止まり、かたりと床に落ちて、動かなくなった。

(……水晶部屋か)
 ヴァイルは導かれた場所に、ちょっとだけ安心する。以前来た時は杖がまっすぐ地下室の拷問部屋へと向かっていって――その時は地獄を見た。彼はそっとドアノブに手をかけて、ゆっくりと押し開く。たちまち不機嫌そうな声が聞こえてきた。

「久しぶりじゃな、ヴァイル」
 待ち構えていたように、椅子に座っていた女に冷たい視線を向けられる。彼女がグローリア、その人だった。部屋の中は小さいものから大きいものまで、氷の結晶にも似た沢山の透明な水晶が飾られていて、見ようによっては雪に閉ざされた北の大地のようにも見えた。

 その手には小さな水晶玉が乗っていて、グローリアはそれを無造作にぽいと放り出すようにしてゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。
 彼女は真っ白な長い髪に、抜けるような白い肌をしていて、おとぎ話に出てくる雪の精とはこのような風貌なのかと思わせられるほどに神秘的だった。彼女はゆったりとした白い装束に身を包み、銀糸を織り込んだ青色のケープを羽織っていて、動くたびに首や手首につけられた小さな鈴を連ねた飾りがしゃらしゃらと澄んだ音を立てる。まるで氷の浮かぶ湖面のような涼やかな音が室内に広がっていき、その中で、彼女の目だけが燃え盛る赤い炎のように揺らめいていた。

 グローリアはヴァイルの目の前まで来ると、彼の肩に手をかけて、桃色の唇をぬらすようにぺろりと舌なめずりをする。ひんやりとしていそうな白い肌と対照的な、あたたかそうな薄紅色のその舌が、やけに艶かしく見えてしまう。

「最近は隣の書店のミミちゃんという小娘に夢中だったようじゃが、わざわざこんなところまで足を運んで、一体どういう風の吹き回しなんじゃ」
 お気に入りの玩具をとられて腹を立てているような、怒気を含んだその声音に、ヴァイルは逃げ帰りたくなってしまった。
(……なぜ俺の行動を監視してるんだ、こいつは)
 背筋にぞくりと寒気が走る。だがここで帰るわけにはいかない。彼はグローリアの目をまっすぐに覗き込むと、口を開く。

「子供が大怪我して、死にそうなんだ。あんたなら助けられるだろ? 何とかしてくれ。金も払う。だから、頼む」
「ふん、それが人にものを頼む態度か?」
 彼女の返答は、あからさまに機嫌を損ねたようなものだった。ヴァイルははっとして、居住まいを正すと、ぺこりと頭を下げて丁寧に頼む。
「助けて下さい。お願いします」

 だが、とんとんとグローリアの小さな足が床を叩いた。土下座しろ、ということらしい。ヴァイルはためらわずに地面に膝をつくと、床に頭をこすりつけんばかりにしてもう一度口を開く。
「お願いします、どうか――」
 その途端、頭を足で踏みつけられる。ぐりぐりと踏みにじられてからゆっくりとその足がどけられて、ヴァイルはすがるような目をして顔を上げる。だがそこには不愉快そうに目尻をあげる彼女がいて、彼は全身にいやな汗をかいた。何かまずいことでもしたのだろうか?

「な、なあ、いくら払えばいい? 全額きっちり払うから」
「金などいらぬ。わらわに大枚をはたく金持ちの阿呆は腐るほどいる。金が欲しければな、おぬしのようなちっぽけな宿屋の跡継ぎなどから搾り取らずとも、他のあてなどいくらでもあるわ」

 ヴァイルがぐっと息を飲んでいると、彼女はつっとつま先を彼の顔の前に持ち上げて、口を開いた。
「わらわがおぬしに求めるのはな、暇つぶしの楽しみよ。長く生きておると何もかもに飽きてしまって退屈じゃからな。金の亡者の商人も、名誉を求める高慢ちきの王侯貴族も、強さを求める戦士にももう飽いた。頼みごとを聞いてほしければせいぜいわらわを楽しませてみせるんじゃな」

 彼女は足を口元に近づけてくる。靴を履いている。このまま舐めろということらしい。ヴァイルは彼女の足に両手を添えるようにして優しくつかむと、ぺろぺろと躊躇なく舐め始めた。その顔には屈辱の色も、葛藤や苦痛もない。ただただ無心、といった様子だった。
 ヴァイルは大胆な音を立てて舌で靴底全体を舐め上げる。グローリアはかすかに息を呑み、足をぴくりと動かすが、ヴァイルはまったく気が付かなかった。自分の目の前で失われようとしている命が助かるなら、メンツなんていらない。プライドもいらなかった。

 だが唐突に頭上からグローリアの冷ややかな声が響く。
「不合格」
 見上げると彼女はなぜか怒りで顔を真っ赤に染めて、わなわなと震えている。ヴァイルは愕然とした。
「ど、どうして」
 やれと命じたのは彼女なのに。思わずかすれた声が出てしまう。だがグローリアは、たちまち彼には到底理解できない屁理屈を言い始めた。

「おぬしは本当に分かっておらんな。わらわは何も靴を舐めて欲しかったわけではない。プライドをへし折られて屈辱にまみれたおぬしの顔を拝みたかっただけじゃ。それなのに、何のためらいもなくべろべろ犬のように舐めまわしおってからに。おぬしのような恥知らず、屈服させても何の面白みもないわ」

 言い終えると、彼女は見下すような目をして、吐き捨てるように言う。
「――こんな真似、例えわらわが命じても、もう二度とするんじゃないぞ。分かったか」
「な、ん……」
 彼はそれ以上二の句がつげなかった。助けられない。どうしよう、一体どうしたらいい。頭の中が混乱して脱力してしまう。

 だがふと頬に優しくグローリアの手が添えられて、気が付くと彼女が鼻先と鼻先がふれあいそうなほど顔が近くなっていた。彼女はふふと笑い声をもらす。
「良い顔じゃ。これでちょっとは楽しくなってきたかの」
「……っ!」

 ヴァイルは思わず怒りでグローリアを怒鳴りつけそうになる。だが、必死で唇を噛んでそれをこらえた。完全にこの魔女に弄ばれている。
「じゃ、じゃあこれで、助けて、くれるんですか」
 悔しそうに顔をゆがめて言うと、彼女は艶やかに笑って、答えた。
「まあ待て。ひとつ賭け事といこうかの。ああ、その前に」
 グローリアは彼をじろりと睨み付けて、言う。
「うがいと歯磨き、しっかりしてこい。靴を舐め回して口の中が汚れておろう」
「わ、分かった」

 彼が素直に頷くと、彼女はさらに声をかける。
「済んだら、寝室の方に来い。待っておる」
 その言葉に、ヴァイルはぎくりと足を止めた。思わず、またか、と彼女に聞こえないように呟いてしまう。グローリアは頼みごとを持ちかけるたび、淫猥な条件を出してくる。今度は一体何をさせられるのだろう。

 寝室に立ち入ると、グローリアは既に一糸まとわぬ姿になっていて、ヴァイルは思わず声をかけるより先に口の中に唾が沸いてきてしまう。
 どこもかしこも真っ白な、少女らしいしなやかな身体。胸の前では両の腕をしっかりと組んでいて、その隙間から谷間がちらりと覗いているだけで、一番大好きなものがよく見えない。ぷくりとふくらんだ恥丘も、その下に走る一本のすじも見えるのに。

 腕で隠されたその場所に、物欲しそうに目を釘付けにしたまま喉の奥をぐびりと鳴らすと、グローリアがくすくすと笑う。
「どうした、ヴァイル。随分鼻息が荒いようじゃが」
 その言葉に、彼は正気を取り戻す。相手はこんな性悪な魔女だというのに、もう下半身がむずむずしている。血が通ったその場所は、ズボンが窮屈に感じられた。欲情している自分が悔しい。彼は彼女の身体から無理やり引き剥がすように視線をそらし、顔を横に背けたまま口を開く。

「それで、一体なんだ? 賭け事って」
「うむ、わらわとBFの真似事をして、おぬしが勝ったら、ご褒美にその子供を助けてやる、というのはどうじゃ」
「グローリアと?」

 ヴァイルは思わず表情を引きつらせた。BFをするからにはグローリアとお互いに全力を尽くしていちゃつかなければならない。ミミの笑顔が脳裏をよぎる。それに、出来ればもうグローリアを抱きたくなかった。

「別の条件じゃ駄目か? 毎日料理、作ってやるとか」
「……料理か。悪くはないな。おぬしの飯は上手いからの」
 グローリアは真顔で考え込む。彼女は唇をぺろぺろ舐めて、よだれを垂らしそうな顔をしていた。

 その表情をすがるような顔で見守っていると、彼女ははっと我に返って、いやそうに眉をしかめた。
「なんじゃ、その顔は。おぬし、わらわとするのがいやなんじゃろ。今はミミちゃんに首っ丈だからの」

 グローリアは組んでいた腕をほどいて、こちらの腰周りにその腕を巻きつけてくる。上体をそらすようにしてこちらの顔を見上げるグローリアを見下ろすと、ふわりとふくらんだ胸の先に、桃色の可愛いつぼみがついていた。グローリアのおっぱい。ようやく見たいものが見られた彼は、視線がそこに縫いとめられたまま目をそらせない。

 巨乳好きでも貧乳好きでもない彼にとってはちょうどいい大きさの、ふわりとした乳房。やわらかくって、それだけで気持ちの良いものの先端に、なぜこんなぷるぷるの美味しそうな突起までついているのだろう。今にもよだれが垂れそうになって、口の中でじゅるっと大きな音を立ててしまう。
「ほれ、どうした。顔がだらしなくゆるんでおるぞ。……本当はしたいんじゃろ?」

 グローリアが嬉しそうに微笑みを浮かべて、腰を手のひらでさすってくる。次いで今にも尻の溝に触れそうな場所を指先でくすぐられた。ズボン越しのその動きに、むずがゆいような感覚がさわさわとさざなみのように広がって、身体が切なくなってくる。指先の動きに気を取られている間に、いつの間にかぴったりと彼女の身体が密着して、下腹部ですりすりとペニスを布越しにやわらかくさすられていた。やわらかい胸のふくらみが、ヴァイルの上半身に押し付けられてつぶれている。

「あ……」
 下半身が前も後ろも良くなって、彼は思わず吐息とともに声をもらす。その愛撫は優しくてもどかしい。グローリアがいたずらが成功した子供のような無邪気な顔を見せて、くすくすと笑う。
「完全におっきしたようじゃな?」

 ヴァイルは思わず赤くなった。彼女の手は尻の上をするっとすべって、そのまま今度は大腿の内側に両手を差し込んでじっくりと撫で始める。グローリアが性悪だと思うのは、何もただ性格が悪いからというのではない。彼女はヴァイルの前でよくこんなふうに無防備な表情をさらけ出してくる。それで理不尽なことをされてもすぐにほだされてしまいそうになる。本当に厄介な相手だった。

 やわらかい手のひらが這う感触に、膝から足の付け根まで、大腿の内側がすっかり心地良くなってしまい、ヴァイルは焦ったように声を上げる。
「う、や、やっぱりだめだ。俺には今他に好きな人が」
 言いかけたところを、唇でそっと塞がれる。しめった唇が唇の上をするりとすべって、すぐに離れる。ヴァイルは一瞬ぼうっとしてしまうが、すぐに首を振って理性を取り戻すと、また口を開こうとした。

 だがその前に、グローリアが拍子抜けするほど唐突な問いを発する。
「おぬし、ミミちゃんとは一体どこまでいってるのじゃ?」
「な、何も、してない」
 ヴァイルは気まずそうにそう言うと、がっくりと頭を落とす。
「……そもそもまだ告白もしてないし」
「それじゃ、おぬしの完全なる片思いというやつじゃな」
「う、ぐ」

 グローリアは悔しそうに呻くヴァイルに、たたみかけるように言う。
「ミミちゃんはおぬしが誰と寝ようと、気にもとめないのではないか? むしろ好きでもない男に一方的に想われて、自分のために貞操まで守られてるなんて、知ったらかえって重荷に感じるかもしれんな」

 ヴァイルは心がえぐられたように胸の奥がずきずきと痛んで、ちょっぴり泣きそうになってしまいながら、声を上げた。
「別にいいだろ! ミミさんが気にしなくったってなあ、こっちの気分の問題で――!」
「おぬしは哀れな子供の命を、自分の気分の問題のために見殺しにするのか。……随分つまらん男になったものよのう」

 冷ややかなその言葉に、彼ははっと目を見開いた。そうだった――それどころではない。グローリアは手と下腹部の動きを止めて、返事を待つようにじろりとこちらを見上げている。

「分かった。やる」
 ヴァイルは決意を固めると、グローリアを見る。彼女は既に生まれたままの姿になっている。こちらが着衣のまま始めるのはフェアじゃない。彼がぐいっと上着を脱ぎ捨てて床に落とすと、グローリアが彼のズボンのジッパーを押し下げて、下着ごと一気に足首まで引き下げた。ヴァイルはそんな彼女を見下ろしながら、尋ねる。

「ルールは?」
 彼女はこちらを見上げると、髪をぱさりとかきあげながら、答えた。
「さっきにイった方が負け。魔法や薬は禁止。シンプルじゃろ? ああ、あとな」
 グローリアは目を部屋の奥の寝台に向ける。
「リングはあのベッドの上じゃ。それで良いか?」

 ヴァイルは少し考え込む。シングルサイズのそのベッドは、二人で寝るにはちょっと狭くて、お互い逃げ場がどこにもない。だが魔法も薬も禁止となれば、力の強いヴァイルの方が有利だった。
「……いいのか? それで」
「ふふ、かまわぬ。そのくらいのハンデがなければ勝負が面白くならないからの」

 言いながら彼女は目を細める。ヴァイルは真剣な様子だったが、その顔はまだ人の好さが滲み出ていて、このままではまだ面白くなかった。本当に本気にさせるには、もう少し煽ってやる必要がありそうだ。グローリアは彼に向かって、嘲笑めいた声音で言う。

「しかし、おぬしも物好きよの。その子供を助けておぬしに一体何のメリットがある? まさか人助けだなどと陳腐なことを言うのではあるまいな」
「――それは」
 ヴァイルの声がかすかにくぐもる。グローリアは鈴を転がすようにころころと笑いながら、そんな彼を見つめた。

「もちろん違うな? わらわはおぬしを誰よりもよく知っておる。おぬしはただ免罪符を手に入れたいだけじゃ。両親が無残に殺された時、何も出来なかった無力な自分をなぐさめるためのな」

 その言葉に、彼は唇を噛み締めて顔を背ける。言い返して来ないのは、自覚があるためだろう。その横顔に怒りが滲む。何も出来なかった自分への怒りと、それを暇つぶしのために楽しそうに小突き回すグローリアへの怒り、そして、行き場を失った復讐心。それを上手に引き出してやるために、彼女はヴァイルの耳元に唇をそっと寄せて、ささやいた。

「子供を助けて、『今度は助けることが出来た』――自分にそう言ってやりたいんじゃろ? そのためになら、人の靴底を舐めることも、好きな女がいるのに他の女を抱くことも簡単に出来るというわけじゃな。本当に愚か者よの。そうまでして手に入れた免罪符も、単なる幻でしかないというのに」
 グローリアは彼がどうすれば怒るのか、よく心得ていた。

「言っておくが、おぬしが勝ったとしても、その子供を助けるのはな、この白き魔女グローリアじゃ。おぬしではない。おぬしには助けてやる力がない。だからここにすがりに来た――女の手にすがりつくためにな」
 彼女はヴァイルの耳たぶをぺろりと舐めて、くり返し言葉を吹き込む。

「おぬしに出来るのは、ただわらわをベッドの上で悦ばせることだけ。そんなもの、人助けであるものか。本当にみじめで、みっともない、恥知らずの男よのう」
「分かってる」

 ようやくヴァイルが口を開いた。その声は低く震えて、目がどんよりと濁っている。普段お人好しの仮面をかぶっている彼のこんな目を見たことがあるのは、きっとグローリア一人に違いなかった。勝負も面白くなって、ひそやかな独占欲も満たされる。最高だ。彼女はぞくりと胸の内を震わせる。

「言われなくたって、そんなこと分かってる。俺に出来るのはあんたをめちゃくちゃにすることだけだ。言いたいことはそれだけか」
 矢継ぎ早にそう言うと、ヴァイルはグローリアの肩を乱暴につかむと、そのままどさりとベッドの上に押し倒した。

「んっ――!」
 グローリアが声をもらす。返答するより早く、ヴァイルの唇に無理やり唇をこじ開けられて、強引に舌をねじこまれていた。途端に口の中をぐちゃぐちゃにかき回されて、同時に両の胸をもみくちゃにされる。感じるどころじゃない。痛い。苦しい。けれど自分に一心に向かってくる彼のその攻撃性に、無性に興奮してしまう。

「ん、う、むっ……!」
 唇を塞がれながら彼女が興奮と苦しさに喘ぐと、彼はまるでグローリアの喉の奥にでも入れようとするように自分の舌を突っ込んでくる。舌をつたって喉に唾液が流れ込んできて、彼女は思わず無我夢中で彼の背中に両腕を回し、自分の足を彼の足にからめた。息苦しくてむせた拍子に唇の間から唾液がどろっとこぼれ出し、耳のそばをつうっと伝ってシーツに落ちる。

 いつの間にかヴァイルの指はグローリアの乳首をとらえて、ぐりぐりとひねっていた。胸の先が熱い。じんじんと痛んでいる。
「んっ! んう――!」
 ひねられた桃色の乳首が薄紅色に染まり、つんと尖って立ち上がる。やがて身体を襲っていた痛みが不意に強い快感に変わって、グローリアはぞくぞくと背筋を震わせながら彼の口の中に熱い息を漏らす。それと同時に、無意識に彼の背に回していた指先に力を込めていた。

「っ!」
 背中に鋭い痛みが走って、ヴァイルは身体をびくりとさせる。グローリアに、背中に爪を立てられていた。一瞬気を取られた隙に、舌が逆に絡め取られて、痛いほど強く吸い上げられてしまう。唾液がすすられ、彼女が喉を鳴らすのが伝わってくる。魂を抜かれるようなその口付けに、ヴァイルは慌てて彼女の舌に絡め取られた自分の舌を引き抜くが、舌はしっかりと絡みあっていて、その拍子にずるっと強くこすれあってしまう。唇を離して顔を上げると、どろりと透明な糸が引き、二人のことをつないでいた。舌が痛みと快感でしびれている。ヴァイルはぜえぜえと息をつく。夢中になって息をするのも忘れていた。

「はあ、はあ、はあ、あっ、く」
 彼が苦しげに息を整えようとしている間に、グローリアの手が彼の乳首に伸びて、くりくりと指の間でこねくり回される。胸の先がじいんと疼いて、思わず気持ち良さそうな声を上げてしまう。
「あ、あっ……!」

 両の乳首をつままれて、くいっ、くいっと引っ張られる。すぐに火のような疼きが胸の奥にまで届いた。彼は息を乱して上体をのけぞらせるが、ぎゅっと唇を噛み締めてこれ以上声が出るのを防ぐ。
 彼は仕返しとばかりにグローリアのうなじに顔を伏せると、そこに痣がつくほど思い切り吸い付いて、痛みと快感の区別のつかないその感触に、グローリアの手の動きがびくっと震えて、止まる。ヴァイルは彼女の手首を自分の両手で押さえつけると、そのまま彼女の耳たぶにがぶりと歯のあとがくっきりとつくほど強くかじりついた。

「痛っ!」
 グローリアが声を上げる。ヴァイルは彼女が顔をしかめ、身体を引きつらせているうちに、鎖骨の下にも吸い付いて、胸の合間に顔をうずめる。そのまま彼はグローリアの心臓のあたりに、次いでみぞおちに口付けのあとをつけていく。グローリアの白い身体に点々と赤い痕がつき、ヴァイルは彼女を征服したい欲動に突き動かされた。彼はグローリアの両の手首を解放すると、脇の下に手を入れて、そのまま彼女の身体を逃げられないように押さえつける。

 グローリアが喘ぎ、やわらかい胸のふくらみが上下する。彼は口を出来るだけ大きく開けて、そのふくらみにがぼっと勢い良く吸い付いた。つるつるの白い乳房を出来るだけ口の中にいっぱいに詰め込むようにして、そのまま吸引するように音を立てて吸い上げる――ヴァイルは唇が乳首に触れる幸福感にめっぽう弱い。責めるというより自分がめろめろになってしまう。それを踏まえての苦肉の策だった。口の中にはすっぽり乳首もおさまっているが、舌で舐めずに口で乳房を吸うことだけに集中する。

「あ、やっ、ああんっ」
 グローリアが身体をのけぞらせる。ヴァイルはすぐに肺が苦しくなって、一度胸から口を離して息を吐き出すと、もう片方の胸に取り掛かる。彼女はそのまま、胸をまる飲みされるような快感にくり返し喘いだ。全身にしっとりと汗をかいて、白い肌がほてって桜色に染まっている。グローリアが我を忘れて身をよじると、その手にふと彼の脇腹が当たる。彼女ははっとして、両手を伸ばすとそのままそこをくすぐった。

「うひゃっ!」
 途端、ヴァイルはおっぱいからちゅぽんと音を立てて口を離すと、間抜けな声を上げてもがく。こそばゆくてたまらない。そこをくすぐられるとたちまち力が入らなくなってしまう。
「や、やめっ、やめろっ! やめろってば! あっ、ちょっ――!」

 弱点を執拗に責められて、彼は目尻に涙を浮かべて悶えながら、グローリアに脇腹をまさぐられたままベッドに仰向けに転がされてしまう。ヴァイルは必死に抵抗するが、グローリアを押しのけようとするその手には全く力が入らない。次第に身体中に芋虫が這い回るようなもぞもぞした感覚に襲われてひいひいと息を切らす。やがてヴァイルが横たわったままぐったりしてしまうと、彼女は弱りきった獲物をなぶるような目をして彼の両足を開いてその間に座り込んだ。目の前には無防備にそり返ったペニスがある。

(まずい)
 そう思うより早く、グローリアの手が彼のペニスを根元から握り込む。既に先端の割れ目から透明なつゆを垂らしているそれは、上下にしごかれるとすぐにくちゅくちゅと濡れた音を立て始めた。あっという間に身体の芯がかっと熱くなってしまう。
「う、あ」

 ぞくぞくと腰を震わせながら、ヴァイルが呻き声を出す。先走りがグローリアの指にねっとりと絡み付いて、手のひらの皮膚がぺとりと竿に吸い付いてきた。片手ではまだ脇腹をくすぐられながら、もう片方の手で竿を上下にしごかれ続ける。やがてその手に、今度は竿の付け根をじっくりと揉み込まれ、くすぐったいのか気持ち良いのか分からなくなったまま、彼はくり返し身をよじった。

「あ、はあっ、はあっ、んっ、く――!」
 もがきながらも、息がどんどん乱れていく。快感の波が寄せては返し、気ばかりが焦っていく。このままではイってしまう。彼は脇腹の手を何とかしようと彼女の手首をつかんだが、その瞬間裏すじを親指の腹で思い切りこすり上げられて、びくんと身体が跳ねてしまう。背筋にびりびりっと痺れるような快感が駆け上る。その拍子に彼の手が、力なく彼女の手首からすべり落ちた。

「あ……あ……」
 なおも裏すじへの刺激を続けると、ヴァイルは息も絶え絶えと言った調子のかすれ声をもらす。グローリアは満足そうな笑みを浮かべると、今度は手のひらで濡れた亀頭をこねくりまわした。敏感な場所が強い快感に襲われて、彼は「ひっ」と喉を鳴らす。もう全身にびっしょりと汗をかいて、頬をすっかり紅潮させていた。その様子を眺めながら、勝ち誇ったような声音で言った。

「良いざまじゃな、ヴァイル。わらわはおぬしのような偽善者ぶった大馬鹿者は大嫌いなんじゃ。このまま負け犬の、役立たず以下にまで落ちこぼれるが良いわ」
 その言葉に、ヴァイルはまるで理性を手繰り寄せるかのようにシーツをぎゅっと握りしめると、ぶるぶると震えながらも、ぐいと上体を起こしてグローリアを睨む。だがその瞬間を待っていたかのようにするりと手のひらがどけられて、先端にちゅっと口付けを落とされた。言葉とは裏腹に、とても優しいキスだった。唇がとろりと濡れて透明な糸を引く。
(うわあ……)

 頬をゆるめている場合ではない。そんなことは分かっているのに、既に全身の血が煮えたぎるほどに興奮している彼は目がその光景に釘付けになってしまう。何度されても飽きない。あの時だって。一瞬記憶が、彼女と出会ったばかりの頃に飛んでしまう。その隙にペニスがちゅるんと音を立てて彼女の口の中にすべり込んだ。そのまま唇で締め付けられ、ずずっと大胆にすすり上げられる。割れ目から滲んでいるカウパーを、尿道に溜まっているものと一緒に口の中に吸い出されて飲み込まれた。

「あああっ!」
 甘い唇に身体の中から強引に体液を吸いだされる感覚に、彼はせっかく起こした上体をまたベッドに沈めてしまう。昔のことなんか思い出している場合じゃない。射精感がすぐそこにまで高まって、思考回路が完全に麻痺していた。何とかグローリアの唇から逃れようと腰を動かす。だが脇腹を両手で爪が食い込むほどにしっかりとつかまれて、どうしても取り外せない。もがいている間にもペニスが強く吸い立てられて、彼女の口内にとろっとろっとつゆをこぼしている。気持ちとは裏腹に、もっと濃厚なものをそこに出したいとでも言うように、足が勝手にひくついて、彼女の頭に巻きついて自分の身体に引き寄せてしまう。

「むっ、ぐ――!」
 その途端、頭を股間に引き寄せられたグローリアがペニスを深くまで咥え込んで苦しげな声を出す。亀頭が口の一番奥に押し付けられていた。ヴァイルは半ばぼんやりした頭で、それでもはっとして目を見開いた。死なない程度にこのまま足で頭を締め付けて呼吸困難に陥らせれば、酸素欲しさに口を離すかもしれない。彼は夢中になってそのままグローリアの頭をぎゅうっと両の足で締め付けた。その途端、亀頭がずるっと喉の奥にまで入り込み、たちまちグローリアが苦しそうにえずき始める。
「え」

 ヴァイルは一瞬何が起きたのか分からずに目を丸くする。口内とはまた少し違う感覚に、ペニスがぎゅっと強く挟み込まれている。それがどうしようもなく気持ち良い。目を落とすと、グローリアの唇が、根元にまでぴったりと引き寄せられていた。

「ぐ、んむうっ、ううっ! うううっ!」
 彼女は苦しげにもがきながら、じゅるっじゅるっと口の中から音を出し、唾液を大量に吐き出している。細い喉でぎゅうぎゅうとペニスがきつく圧迫されて、喉の粘膜に搾り取られるように我慢汁が溢れ出した。彼女が苦しげにぐびっと喉を鳴らしてそれを飲み込むと、その拍子に性器が一際強く押しつぶされて、頭のてっぺんから足のつま先まで、全身に得も言われぬ快感が走り抜けた。あたたかい唾液が玉袋のしわの間にまでじんわりと染み込んでくる。

 両の玉がきゅうんと疼いて、彼はようやく自分が墓穴を掘ったことに気が付いた。本当に馬鹿なことをした。初めて味わうディープスロートの快感に、彼は悲鳴のような声を上げる。
「うはあっ!」
 あまりの刺激に彼は全身を総毛立たせる。足がびくんと痙攣しながら、勝手に左右に開いてしまう。もうだめだと思った瞬間に、グローリアが猛然とした勢いで喉からペニスを引き抜いて起き上がった。

「げほげほげほっ! う、げえっ! ごほっ!」
 グローリアは口からよだれを垂れ流し、目からはぼろぼろと涙を流してベッドの上にぐったりと座り込んでいる。めまいがするのか、ふらふらになったまま、よだれをぬぐうこともなく嗚咽を漏らして泣きじゃくっていた。いつもの余裕たっぷりの態度からはとても考えられない姿だった。

「……っ! ……っ! ……っ!」
 ヴァイルの方も危うく快感がペニスの先端までせり上げかけて、もはや声にならない悲鳴を上げて、出したくて出したくてたまらないとでもいうように、何もない宙に向かって腰をぐいぐいを突き出てしまう。だが彼は顔を耳まで真っ赤にし、みっともなく涙とよだれを垂らしながらも必死に耐えた。耐え抜いた。本当にぎりぎりの寸止めだった。心臓がばくばくと壊れそうな音を立てていて、頭の芯までぐらぐらする。

「うっ、くそ……」
 ヴァイルは何とか動けるようになると、よろよろと身を起こしてグローリアを見る。彼女はまだぐすぐすと普通のか弱い女の子のように泣いている。視界が明滅していたが、これを見逃すわけにはいかなかった。まだ動くのが辛いが彼はグローリアに拷問部屋で拘束具をつけられた状態での鬼のような寸止め地獄に耐え抜いたことがある。電気椅子に座らされて「逝ったら負け」というしゃれにならない賭けに乗らされたこともあった。それに比べればこれくらい。

 彼は歯を食いしばると、乱暴に彼女を押し倒す。彼女はまだ口をきくのもつらそうな様子をして、それでも必死にかすれ声を上げた。
「はあ、はあっ、あっ! ま、待てっ、何をするんじゃ、この乱暴者が……!」
 仰向けに倒されたグローリアはぜえぜえと息を切らし、涙をこぼしながらもはっとして、慌てながら両の足をぴったりと閉じてしまう。ヴァイルはそんな彼女の腰をつかんで下腹部にぺろぺろと舌を這わせる。
「あっ――!」
 たちまちグローリアは声を上げた。子宮が物欲しげに疼いてしまい、腰をむずむずと震えさせる。
「うっ、く」
 グローリアはぎゅうっと目をつぶり、ゆるみそうになる太ももに力を込める。だが身体の奥にあるものが、もっと直接的な刺激を欲しがって潤んでいた。

 ヴァイルの舌は恥丘のすぐそばまで下腹部を丹念に舐め上げると、今度はちゅぱちゅぱと音を立てて足の付け根にくり返しキスを落とす。左右の大腿のかすかな隙間を舌の先をつつくと、グローリアの腰がひくんと跳ねて、彼女の意志とは無関係に両の足が開かれた。手を伸ばして割れ目を開くと、そこはもうぐしょぐしょになっている。ヴァイルは彼女の足の間に顔を埋めると、その内側全体をくちゅくちゅと音を立ててと舐め始めた。
「きゃあんっ!」
 グローリアは高い悲鳴を上げるが、じたばたと暴れる身体には力がない。どうやら体力が尽きたらしい。

「あっ……! あ、あんっ! やっ、は、あん……っ!」
 彼女はもう喘ぎ声以外のものを唇から発しない。愛液が絡み付いた舌の動きに反応するかのように下腹部がぴくぴくと痙攣し、腰を気持ち良さそうにくねらせる。その表情はとろけそうになっていて、見るからにもう一押しだった。逃げられないように彼女の太ももをしっかりと押さえつけて、膣口の際をつつくと彼女の身体がもどかしげに悶えた。ちろっちろっとその場所を責めながら指でクリトリスをさする。
「んっ、ああ、あっ、あんっ!」

 彼女の目はもう天国を垣間見ているようで、ぼうっと宙をさまよわせていた。彼は膣口を唇で覆うと、溢れてくる愛液を膣の中から吸い出すように強くすする。さっきのお返しだ。身体の中から強引に体液を吸いだされる感覚に、今度はグローリアが声にならない声を上げる。
「――っ!」

 膣口がひくっ、と反応するのが唇に伝わってくる。ついで舌を無理やりといった感じで膣の中に出来る限りねじりこむと、そのままちゅくちゅくとかき回した。彼女の膣の中で彼の唾液と愛液がまざって、とける。クリトリスをさする手は休めない。やがてグローリアは全身を弓なりにのけぞらせると、身体をびくびくと痙攣させる。膣口がきゅんっきゅんっと収縮して、ヴァイルの舌と唇が、溢れ出した愛液でたっぷりと濡れた。明らかにイっている。彼はグローリアの膣の収縮が収まるまで、ちゅくっちゅくっと音を立ててその愛液を舐め取っていたが、やがてごくりと喉を鳴らすと、ゆっくりと身を起こした。

「俺の、勝ちだな。約束通り、子供を助けてくれるんだろ?」
 彼女はまだぐったりと横たわったまま、熱が冷めないといった様子ではあはあと息をついていたが、頬をすっかりほてらせたまま、顔をしかめて喉の奥から苦い声をしぼり出した。
「ああ、負けてしもうた。悔しい……!」

 彼女は本当に悔しそうに歯噛みして、拳をぎゅっと握りしめる。だがその表情は、すぐに無邪気な笑顔にころりと変わって、ヴァイルに言った。
「――じゃが楽しかった! こんなに熱くなったのは久しぶりじゃ。またやろうな、ヴァイル」

 まるで遊びの約束を取り付けるような調子でそうねだられて、ヴァイルは性懲りもなくくらっとしてしまう。頼みごとを聞いてもらえる。その安心から、怒りは嘘のようにすうっと消え去っていた。グローリアが急激に天使のように見えてしまう。我ながら単純だと思う。でも、これで子供を助けられる。気持ちを踏みにじられたことなんてささいなことだ。女の手にすがりつくどうしようもない奴でいい。少なくともその女の暇つぶしの玩具の役割くらいは、これで果たせたのだ。

「その子供、今どこにおる」
 運動してすっきりしたといった表情で、彼女がそう尋ねてくる。
「うちの二階の、空いている客室だ」
 ヴァイルがそう答えると、グローリアは目を閉じて何やら意識を集中させていたが、やがてふと目を開くと、口を開いた。

「まだ大丈夫じゃな。確かにそこらのしがない町医者の手には負えんじゃろうが、わらわの手にかかれば後遺症とて残るまい」
「良かった……」
 その言葉に、ヴァイルはほっとして胸を撫で下ろす。本当に良かった。グローリアはそんな彼をまじまじと見つめると、唇に微笑を浮かべた。
「随分すっきりした顔をしておるな」
「え?」
 唐突にそんなことを言われ、ヴァイルはちょっと驚いたように彼女の方を見返した。不思議そうに首を傾げると、グローリアはくすくすと声を立てて笑いながら、ヴァイルの腕の中に体重を預けるようにしてしなだれかかってきた。

「……おぬしは腹の底にどす黒い怒りを無理やり押さえつけておるくせに、普段は真面目で善良な人間を装っておるからの。ストレスが溜まりやすいじゃろ」
 言いながら、手のひらで彼の胸を優しく撫でる。
「互いに犯し合うようなえっちをして、大分フラストレーションも発散されたのではないか? いつもは奉仕させたり、いびり倒したりばっかりじゃしな。こういう乱暴なのはおぬしも新鮮じゃったろ」

「な……」
 ヴァイルはグローリアの言葉に、唖然としてしまう。彼は腹を立てて、グローリアを痛めつけようとした。だがそれも彼女の計算のうちらしい。自分は本当に、ただこの魔女の手のひらの上で踊らされていただけのようだ。

「お前、本当に人が悪いな」
 何もかも馬鹿馬鹿しくなって、すっかり気が抜けてしまった。そんな言葉しか出てこない。いつの間にかグローリアは楽しそうに彼の両の乳首を指の腹できゅうっ、きゅうっと圧迫していて、さっきの痛みを伴う快感とは違う、甘くとろけるような感覚が胸の奥に広がっていた。胸の奥がすっかり切なくなって、彼は少し焦った様子でそんな彼女の手を握る。

「こら、やめろって。勝負はもう終わったろ。それより早くうちに行くぞ。こんなことしてる場合じゃないんだから」
「むー」
 グローリアはすねたように頬をふくらませて彼を睨んだが、すぐに気を取り直したようにベッドからぴょこんと下りる。

「分かった。約束は約束じゃからな。おぬしの願いを叶えてやろう」
 そう言って、彼女は得意げに振り返る。その表情は満ち足りていて清々しかった。気持ち良く昇天したグローリアは上機嫌だったが、正直ヴァイルは解放する先を失った快楽の奔流がまだ身体中を渦巻いていて、かなりしんどい状態だった。だが自分の性欲処理はひとまず後回しにするしかない。グローリアに対する自分の役回りは、とかく理不尽だと思う。

 グローリアの治療を受けたその子供は、まだ目は覚まさなかったが、すぐに安らかな寝息を立て始めた。
「……これでもう大丈夫じゃ。何日か寝てれば元気になるじゃろ」

「そんなに早く回復するのか? 魔法ってすごいな」
 ヴァイルが感心したように声を上げると、グローリアはいやそうに眉をしかめる。
「魔法がすごいのではない。わらわがすごいのじゃ」
 その言葉に、彼は苦笑いを浮かべるしかない。降参を示すように両手を軽く持ち上げると、うやうやしく口を開く。
「分かりましたよ。偉大なるアラクローネの白き魔女、グローリアさま。……恩に着る」
「分かれば良い」

 ふとグローリアの耳たぶに噛みあとがくっきりと残っているのに気が付いたヴァイルは、彼女の耳に指先を伸ばして触れながら、申し訳なさそうに口を開く。
「ごめん。痛かったろ」

「かまわぬ。わらわがけしかけたのじゃ。たまには乱暴にされてみたかったからの。それにおぬしの怒った顔、なかなか良いぞ。ぞくぞくしてしまう。……わらわはあの顔、大好きじゃ」
 好き。ヴァイルはその言葉に過剰反応してしまう。たちまち心臓が壊れそうなほどばくばくと脈打ち始めた。

「だ、大好きって」
 彼は出来るだけ自分を落ち着かせながら、言葉を選ぶ。
「お前、俺のこと大嫌いだって言ってたじゃないか」
「あんなの嘘じゃ。大体な、わらわが嫌いな男に肌を許すはずがなかろ?」
「な、何を馬鹿な……」

 グローリアはけろりとした顔をして、あっけらかんとそんなことを恥ずかしげもなく言ってくる。ヴァイルは一瞬期待して、すぐに消沈する。期待するたび、過去の出来事が、くり返しくり返し脳裏をよぎる。彼はうなだれたようにがっくりと頭を落とすと、低い声で呟いた。
「――いくら好きだって言ったって、ちっとも振り向いてくれなかったくせに」

 彼は以前、グローリアが好きだった。骨抜きにされていたと言ってもいい。だがいくら想いを伝えても、彼女は「暇つぶしのただの道具」とか「お気に入りの玩具」と称して、さっぱり取り合ってくれなかった。なのに身体の関係だけは求めてくる。全くわけが分からない。

 肉体だけの関係が良い、つまりはそういうことなのだろうか。ヴァイルはやがてそう結論付けて、煮え切らないこの関係に終止符を打とうとした。刺激がなくていい。ごく普通のちっぽけな幸せが欲しかった。だが彼が新しい恋を始めようとすると、彼女は必ずその恋を邪魔するかのようにグローリアと身体を重ねることを要求してくる。抱くと忘れようとしていた愛しさに立ち返る。もっと彼女が欲しくなる。いくら抱いても手に入らないこの女への欲望がいつまでたっても断ち切れない。だからもう、彼女を抱きたくなかった。それなのに。

「いい加減にしてくれよ、もう」
 ヴァイルはまだ彼女の愛液の香りがかすかに残る喉の奥から、そんな言葉を吐き捨てる。

「優柔不断なおぬしが悪いんじゃろ」
 だがグローリアは動じる様子もなくさらりと言い返してきた。
「もしおぬしが本当にわらわのことを忘れたならな、一目顔を見れば分かる。じゃがいつまでもいつまでも明らかに未練ったらしい顔をしておるから、こっちもついいじめたくなってしまうのじゃ。どうじゃ、おぬしの自業自得じゃろ?」

「り、理不尽だ」
 彼は情けない声を上げる。
「あのなあ、俺だって忘れようと努力してるんだ。頼むからもう二度と思わせぶりなこと言って誘わないでくれ」

「いやじゃ。おぬしがいないと遊び相手がいなくなってしまう」
 グローリアはそう言って、椅子に座っている彼の膝の上に跨ると、身体を密着させて首に両手を回してくる。そのまま嬉しそうに彼の肩口に頬をうずめて、すりすりと頬ずりをし始めた。その感触はやわらかくてあたたかい。

「まったく、お前のおかげで真面目な交際、いつまで経っても出来ないじゃないか。そんなこと言うなら、責任取ってお前が俺のものになってくれよ」
 ヴァイルは彼女の背中を抱きしめて、ついそんなことを言ってしまう。ミミを好きになろうとしていた、その矢先だったのに、本当に性懲りもない。だがグローリアから即座にかえってくるのは、実に素っ気ないものだった。
「お断りじゃ。おぬしのような平凡な男と、このわらわが釣り合うか」

 胸に棘がささったように、ぐさりと痛む。まただ。また受け入れてもらえない。アプローチの仕方が悪いのだろうか。彼はグローリアを抱きしめたまま、言い方を逆転させてみることにした。
「……グローリア。俺をお前のものにして欲しい」
 男のプライドはずたずただが、彼女の性格ならこの方が喜ぶかもしれない。だが彼女はこともなげに言い返してくる。
「もうなっておる」

 しれっとしたその言葉に、ヴァイルは全身がわなわなと震えてしまう。何も言い返せない。身も心も思うがままに翻弄されている彼には反論の余地もなかった。彼は思考をフル回転させ、父の教えを思い出す。父は生前言っていた。女は恥ずかしくなるような甘い台詞を聞きたがる生き物だという。彼は彼女を息が止まるほど腕の中に抱きしめて、耳元に唇を寄せてささやいた。

「愛してる」
 あまりの恥ずかしさに歯が浮きそうになり、額からいやな汗が噴き出すが、その言葉を耳に吹き込んだ途端、グローリアの身体がかっと火がついたように熱くなったような感じがした。
(――効果てきめんかっ!)

 期待に満ち満ちた顔をして腕の中の彼女を見ると、唐突に目から火花が出るような痛みが頬を打つ。ばちーんと鋭い音が頭の中にこだました。彼はその衝撃で椅子からどさりと崩れ落ちると、床にそのまま突っ伏した。くらくらしたまま、倒れこんだヴァイルの前にたたずむグローリアを見上げると、彼女は顔を耳まで真っ赤にして――怒っていた。振り上げた片方の手のひらは、ヴァイルを打った衝撃で真っ赤になって腫れている。

「何というこっぱずかしいことを言うんじゃ、この馬鹿者がっ! おぬしのような泥臭いやつ、伴侶にするなど願い下げじゃ!」
(な、なんで?)
 ヴァイルは愕然とした。グローリアはどうしてこんなに怒るのだろう。この女は、どうも父の教えでは歯が立たないらしい。

 その時どさっと音がして、振り向くと、開けっ放しになっていたドアの向こうに、ミミが気まずそうな顔をして立っていた。彼女は荷物を落としたらしく、慌ててそれを拾い上げる。

「もしかして……聞いてました?」
 ヴァイルはおそるおそるミミに尋ねる。彼女はぎくりと身をすくめたが、すぐにいたずらっぽい表情をして、答えた。
「ええ、聞いちゃいました。いくら好きだって言ったって振り向いてくれなかったくせに、ってところから」
 言いながらミミは茶目っ気たっぷりといった様子でぺろりと舌を出してみせる。

「ごめんなさい。でもいいなあ、グローリアさん。うらやましい。私も一生にいっぺんくらい、愛してるって言われてみたいなあ」
「うっ」

 茶化すようにそう言われ、ヴァイルは耳まで真っ赤になったあと、床の上に座り込んで身を起こした状態のまま、げんなりとあきらめたように肩を落とす。グローリアを口説き落とそうとしていたところをミミにばっちり聞かれてしまった。どうやらミミとの恋は、始まる前に完全に終わってしまったようだった。グローリアはいつの間にか素知らぬ顔をして、そっぽを向いてしまっている。だがその表情はどことなく満足気だった。彼女はミミが立ち聞きしていることに、気が付いていたに違いない。

「あの、ヴァイルさん。これ。うちの弟の古着を持ってきたんです。その子、ぼろきれのまんまじゃ、かわいそうだから」
 ミミはそう言って男の子にちょうど良さそうな衣服の束を差し出してくる。
「あ、ありがとうございます」

 ヴァイルはそれを受け取りながら、ちょっと感動してしまった。どうやら彼女は、頼んでもいないのに気をきかせてくれたらしい。何て優しい女性なのだろう。それに比べてグローリアは、靴まで舐めさせておいて怒り出す、何という理不尽な女なのか。なのに結局何だかんだで、またグローリアに骨抜きにされている自分が本気でいやになってくる。何かの呪いにでもかけられているのだろうか。胸の内が自己嫌悪でいっぱいだった。

「ん……」
 突然子供が呻き声を漏らす。三人は「あ」と声をそろえて同時にそちらの方を振り向いた。少年が目を覚ましている。少年はきょとんと目を丸くして、部屋の中をきょろきょろと見回している。

「大丈夫か」
 ヴァイルが子供の枕元にかがみ込んでそう尋ねても、男の子は「あー」とか「うー」しか言わない。ヴァイルは困ってしまったが、ミミがふと気が付いたように言う。
「もしかして、言葉、教わってないんじゃないですか?」
「え? あ、そうか」

 ヴァイルは子供のいでたちを見る。多分、教育を受けたことなどないだろう。どうしたらいいものか悩んでいると、途端に男の子のおなかがぐうきゅるると大きくなった。
「お前、腹減ってるのか」
 目を丸くして、ヴァイルがそう尋ねると、男の子は物欲しそうに指をしゃぶり始めた。

「分かった分かった。お粥作ってやるから、待ってろよ」
 彼はそう言って立ち上がると、心なしか嬉しそうな様子で子供の寝かされた客室を出て行った――医者でも魔法使いでもない彼は、子供の怪我を治してやれない。だが美味いものなら食わせてやれる。そんなちっぽけなことに浮き足立っているようだった。

(相変わらず、小さい男よの)
 その後ろ姿を見送りながら、グローリアは思う。彼女は巨万の富を得ても満足しない欲深な者を沢山見てきた。歴史に名を残すような偉業を成し遂げ、皆に英雄と担ぎ上げられて傲慢になり身を滅ぼした者も。それに比べてあの男は、何とちっぽけなことで幸せになれるのだろう。

 彼女は切なげにため息をつく。グローリアの力を悪用しようと近付いてくる者はいくらでもいる。王侯貴族に大悪党――もちろん気に入らない相手は全て返り討ちにしてやっているが。恨みもたくさん買っている。命を狙う者も少なくはない。ヴァイルはグローリアを手に入れるということが、一体どんな意味を持っているのか、おそらくあの能天気な間抜け面では、何も分かっていないに違いない。

「ほら、ぼく。お洋服持ってきたから、お着替えしようね」
 ふと目をやると、ミミがにこにこと優しそうな微笑を浮かべて男の子の着替えを手伝い始めている。書店の店員。見るからにヴァイルが好きそうなつまらない小娘だ。安定を求める、堅実な嫁選び。好みなのは確かだろうが、身を焦がすような想いはそこには存在しないに違いない――そんなくだらないものに、お気に入りの玩具を奪われてたまるものか。

「どうしたんです? グローリアさん、しかめっ面して」
 はっとして我に返ると、ミミがこちらの顔を覗き込んでいた。
「さてはあなたも、お腹空いたんでしょう。ヴァイルさんに、グローリアさんのご飯も頼んできましょうか? ヴァイルさんのご飯とっても美味しいんですよ」

 屈託なく笑ってそう言ってくる小娘が、何だか無性に憎らしくなって、グローリアはぷいと横を向いて、にべもなく返答する。
「知っておる」
「あ……」

 ミミははっとして声を漏らす。明らかに彼女の機嫌を損ねていた。
「そ、そうですよね。すみません」
 ぺこりと頭を下げてみるが、グローリアはこちらを見ていない。返事もしない。気まずい沈黙の中、やがて男の子のすうすうという寝息だけが響いてきた。お粥の出来上がりを待たずに、どうやらまた眠ってしまったらしい。ミミは何とか場をなごませようと、出来るだけ明るさを装いつつ、口を開く。

「グローリアさん、ヴァイルさんが好きなんでしょ? なんでOKしてあげないんです? あんなにひっぱたいちゃってかわいそうですよ」
 無言のままぴくりと肩を動かすと、ミミが屈託なく笑いかけてきた。

 ミミはグローリアを見る。外見だけ見れば自分よりも年下だ。それに、彼の膝に乗って頬をこすりつけるその仕草はどう見ても子供が気心の知れた相手に甘えるようなものだった。この街の住人であるミミは、ずっと前、グローリアを遠目から見たことがある。その時の彼女は、暗く荒んだ目つきをしていて、虫けらのように人を殺せる人物だった。こんな表情を目にする日が来るなんて想像もつかなかった。

「……見えちゃいました。愛してるって言われて、グローリアさんが一瞬嬉しそうな顔したの。ヴァイルさんの位置からじゃ、見えなかったでしょうけど」
「――おぬしに何が分かる」
 グローリアは言いながら、ようやくすっくと立ち上がった。そのままじろりとミミを見る。
「分かりますよ。女ですから」

 彼女がそう答えると、その声にかぶせるように、グローリアが冷ややかな声を出す。
「わらわも見えた。おぬしがショックを受けたように、ドアの向こうで立ち尽くす姿がな。おぬしこそ、あいつのことが気になるんじゃろ。恋敵の後押しをするとは、随分余裕綽々ではないか」
 ミミは「うっ」と言葉をつまらせて赤くなる。そのまましどろもどろといった様子で、弁解した。

「私は別にそういうつもりじゃ――! そりゃ、ヴァイルさん親切だし、年頃も近いし、ちょっぴりいいなって思ったことぐらいありますけど。でも恋人のいる人を横から掠め取ったりはしませんよ」
 彼女は若干照れくさそうにしながらも、それでもまっすぐにグローリアに向かって言う。その様子に敵意はない。

「ひょっとして、私にやきもち妬いたんですか? アラクローネの白き魔女、そう呼ばれる人物も、案外かわいいんですね。そうしてると、まるで普通の女の子みたいです」

 そう言って、彼女はふっと表情を緩める。その声は親しみを感じさせるもので、それが余計にグローリアの癇に障る。だが彼女はグローリアに向かって、優しくさとすように、にこりと笑いかけて、その鼻先にちょんと人差し指を突きつけた。

「やきもちなんて妬かなくたって大丈夫だから。妙な意地張らないで、好きだって素直に言ってあげましょう? ヴァイルさん絶対に喜びますよ。ね?」
 グローリアはぴくりとこめかみを動かした。何だこの口うるさい、お節介な、怖いもの知らずの女は。心の中で悪態をつく。少しばかり自分の立場というものを分からせてやる必要がありそうだった。

「おぬしはこれでも、わらわが普通の女に見えるのか」
 風もないのにゆらり、とグローリアの髪が波打って、ふわりとなびく。赤い目が火のように燃えていた。何だろう。そう思う間もなく、ミミの身体が金縛りにあったように、ぴたりと動かなくなってしまう。

(え?)
 さすがにちょっと動揺して、口を開こうとするが、舌が上顎にくっつき、喋ることが出来ない。グローリアはそんな彼女の前に立ったまま、ぼうっと光る手のひらをかざしてみせる。
「わらわが今まで何人の人間を手にかけたか知っておるのか。復讐を諦めたあの阿呆と違ってな、わらわは人を殺したことなど山のようにあるのじゃぞ。自分の気まぐれのためだけではない。わらわに頼めば自らの手を下さずして復讐を果たすことが出来る。そう考えて、思いつめた顔をしてやってくる愚か者が一体何人いたと思う」

 グローリアはこんこんと語る。いつになく饒舌になっているのは、自覚があった。それもこれも、ヴァイルとミミが、そろいもそろって能天気なせいだ。そう思うことにして、言葉を続ける。

「復讐の代行も頼まず、助けても一文の得にもならぬ物乞いの子供を助けろなどと依頼する阿呆はあやつくらいのものよ。生きる世界が違いすぎる。わらわのこの手は、あやつと違って血にまみれておるわ」

 言いながら、彼女は光る手のひらを、耳の心臓の上に置いた。その胸はグローリアより大きい。ミミの顔を覗き込みながら、獲物を前にした蛇のように、ぺろりと舌なめずりをする。

「今この場でおぬしの心臓を止めてやることだってたやすく出来る。怖いもの知らずにもほどがあるぞ、小娘が。忠告してやろう。舐めた口はきかん方が己のためじゃぞ」
 グローリアが手のひらをすいと横にずらして金縛りをとくと、ミミはすとんと無様に尻餅をつく。その姿を見て思う。これで少しは懲りただろう。だがそんな彼女の耳に、予想外の返答が返ってきた。
「あなたはしませんよ、そんなこと。――あなたが人を殺したって話、もうずっと聞いてないもの」

 驚いて目を見開くと、ミミはこちらをじっと見つめている。睨み付けても、その目をそらす気配はない。
「聞いてれば分かるわ。人を殺してきたこと、後悔してる。そうでしょう?」
 白き魔女グローリア。そう呼ばれて恐れられている女は、ミミの前で氷のような無表情をしているが、それでもじり、と足がかすかに後ずさった。
「ひょっとして、ヴァイルさんに会ってから、やめたんじゃないんですか? 私もあの場にいたんです。『魔女の大癇癪』って呼ばれたあの事件の時に。あなたは男の子を一人連れ去って、言っていた」

 殺すのにも飽いた。あまりにも簡単すぎる。こやつに免じて、おぬしらは見逃してやろう。

 生き残った人間は、ほっと胸を撫で下ろしたが、そこにいる誰もが少年は無事では済まないだろうと思っていた。だがしばらくして、白き魔女に連れ去られた少年が、無事に生きて戻ってきた。そんな噂が流れていた。その時にはちょっとした話題になっていた。

「その時の男の子、ヴァイルさん、ですよね。それから『魔女の癇癪』がおこらなくなった――違いますか」
 グローリアがひるんだように喉をひくっと鳴らす。そのまましばらく黙っていたが、やがてその唇から出てきたのは、低く、すごむような声だった。
「目障りじゃ。消え失せろ」

 せっかく真剣に話していたのに、取り合おうとしないその姿勢に、ミミはさすがにむっとする。彼女は頬をふくらませ、かすかに目尻に涙を滲ませて、ぶっつけるように言葉を投げた。
「何よ、意地っ張り。もっと素直になったらいいじゃないの。この分からず屋」

 乱暴にそんなことを言い捨てると、ミミは立ち上がってぱたぱたと駆けて行く。あの時の男の子。ミミは彼と知り合いどころか、口もきいたことのなかったその頃から、遠目にその姿を見かけるたびにちょっとだけ気になっていた。やがて一階の玄関のドアがばたんと開閉する音が響いて、そのまますっかり静かになる。

 黒猫亭は静かになった。今日は特に客足もない。少年は寝ていて、ミミは去り、ハンスは買出しに出掛けている。知らずのうちに、グローリアの足は厨房に向かっていた。厨房に入るとヴァイルの後姿が見えて、ことことと音を立てる鍋からは、ほっこりとあたたかい香りがしている――その香りは、かいでいると何だか無性に安心した。

「あれ、ミミさんは?」
 おたまを片手にとろとろのお粥を作りつつ、ヴァイルは振り返って尋ねてくる。だがその名を聞くと、グローリアはたちまち子供がすねたようなしかめっ面になって、あかんべをした。
「追い返した。邪魔だったからの」

「お前な、ミミさんは悪くないだろ。俺が勝手に目をつけてただけで――んっ」
 あきれたようにそう言うと、ヴァイルはぐいっとグローリアの両腕に強引に引き寄せられた。そのまま唇を塞がれる。そのやわらかい感触にヴァイルはおたまを握る手の力をゆるめそうになったが、何とか落とさずに持ち直した。だがたちまちぬるりとぬめる舌が口の中に入り込んでくる。舌先をちろちろとくすぐるように舐められながら、ヴァイルはまだひりひりする頬に意識を向けて、ぴくっとこめかみを動かした。そこにうっすらと血管が浮き上がりかける。

(こいつ、ついさっき俺のことふったの、もう忘れたのか?)
 そんなヴァイルに、グローリアはしっとりとしめった唇を離して顔を上げると、不機嫌そうにふんと鼻を鳴らして言った。
「あの女の話はするな。気に食わん。不愉快じゃ」
 さすがにヴァイルはかちんときた。
「お前は小姑かっ! お前のせいでだめになったの、ミミさんで十人目だぞ!」

 彼はおたまを振り上げるようにして怒鳴りつけるが、グローリアは全く意に介さない。むしろズボン越しにもそもそと彼の股の間にあるものをまさぐってくる。そこに触れられるともうだめだった。せっかくしずまっていたものがすぐに痛いほどふくらんでしまう。
「う」

 あまりに一瞬でがちがちになって、さすがにちょっと恥ずかしくなる。グローリアもその硬さを確認するように手でくり返し上下にさすりながら、ちょっとびっくりした様子でこちらを見上げていた。
「一瞬でおっきしたぞ?」
「しょうがないだろ。さっきあれだけ盛り上がっといて出さなかったんだから」
「ふむ。そういえばそうじゃったな。どれ」

 ヴァイルの言葉に、彼女はさっそくといった調子で彼のズボンを下着ごとずりさげる。すぐに下半身があらわになって外気にさらされ、彼は泡を食って大声を上げた。
「な、何をする気だ! 勝負はもう終わっただろっ!」
 焦ってズボンを引き上げようとし、おたまが邪魔なことに気付いた彼は、それを流しにつっこんだ。その間に竿が手のひらに直に握りこまれて、先端にちゅうっと口付けを落とされる。唇が離れた時に、甘い息が亀頭にかかって、ヴァイルがぎくりと身をすくめると、グローリアはにこりと笑って口を開いた。

「ここからはな、勝者へのご褒美タイムじゃ。敗者は勝者を称えて尽くす義務があるからのう」
「そっ、そんなルール、この街の闘技場にはなかったぞ!」
「わらわが今作ったのじゃ。苦情は聞かぬ」

「ちょ、あ」
 返事を待たずに、彼女は先端を口にふくんで美味しそうにちゅうちゅうとすすり始めた。口の中のものに唾液がからんで、ねっとりと濡れる。同時に手でゆっくり棒の部分をさすっていく。たちまち身体の芯までむずむずと疼いてきて、彼は息を乱して身体を強張らせた。口の中で雁首を舐めると、張り詰めたようにぴくっと彼の腰が反応して、グローリアは嬉しそうな顔をしてこちらを見上げる。

「ま、まま待てっ、待ってくれ! ここは料理をする場所だぞ!」
 気持ちよさに意識を奪われそうになりながら、彼は必死にお粥の鍋にふたをした。鍋はふたの隙間から細いゆげをくゆらせて、ことことと音を立て続ける。その行動を見て、彼女は口を離すと楽しそうに笑い声を立てた。その唇から、唾液とカウパーが入り混じったものが長い糸を引いてぽたりと床に滴り落ちる。
「心配せずとも、そんなとこには飛ばんと思うぞ? イく時はちゃんと全部口で受け止めてやるからの」
「そういう問題じゃ、はうっ……!」

 突然ずるっと根元まで唇に咥え込まれて、ヴァイルは自分が何を言おうとしたのかをすっかり忘れてしまった。また亀頭が喉の奥にまで滑り込んでいる。その光景に目を奪われたまま呆然としていると、唇で根元をきゅうっと締め付けていたグローリアがぐいっと身を引き起こして苦しげに咳き込み始めた。
「む、ぐ、げほげほっ!」

 その姿を見つめながら、一足遅く神経がさっきの快感を認識する。先端から根元まで、腰の奥までが、じんわりと強い快感でしびれてきた。気持ちが良くって、また先っぽの割れ目から先走りをとろんと滲み出してしまう。ヴァイルは思わずよだれを垂らしそうな顔をして、おそるおそる尋ねた。

「……大丈夫か?」
「じゅるっ。……うむ、さっきのが初めてじゃったからな。まだ慣れなくて苦しいが、まあ練習すれば大丈夫じゃろ」
 練習。その言葉に、思わず嬉しそうにゆるんだ口元からとうとうよだれをたらっとこぼしてしまう。その様子を見て、グローリアは涙を浮かべながらも得意げに言った。

「おぬし、これ、すごく気持ち良さそうにしておったろ? 勝負の最中とはいえ、ばっちりと見ておったぞ。正直、おぬしに負けるとは思ってはおらなんだ。ご褒美にこれで最後までイかせてやろう」
 その言葉に、全身が期待ではちきれそうになる。それでも何とか理性を手繰り寄せて、ぐびりと物欲しそうに喉を鳴らしながらも口を開いた。
「無理するなよ。苦しそうじゃないか」

「そんなだらしない顔で言われてもな。喜んでるようにしか見えんぞ。それにな、男は女がこんなふうに苦しげにしてる姿にそそるのじゃろ」
「ばっ、馬鹿を言え! 俺にはそんな嗜虐趣味は――!」

 ヴァイルは声を荒げたが、言い終えるより先に両手で腰をがっちりつかまれて、また一気にペニスが喉の中に深く取り込まれた。じゅるっじゅるっと彼女の喉が大胆に鳴り、すぐにまた苦しそうにずぼっとペニスを引き抜かれる。抜かれる時に雁首が引っかかり、一瞬だけぎゅっと性器が引っこ抜かれそうな、痛みと紙一重の快感が走って、腰がびくんと跳ね上がる。

「げほ、げえっ……」
 涙をぼろぼろと流しながら、グローリアはそれでも彼を高めようとむしゃぶりついてくる。彼女がぐびっ、ぐびっと喉を上下させるたび、そのまま身体が全部グローリアの中に持っていかれてしまいそうだ。先走りと唾液で喉がぬめぬめになっている。慣れない器官でのきつい搾り上げに、あっという間に脳天までが快感でびりびりとしびれてくる。身体の内側が火のように熱くなり、どくどくとすごい速さで血流が全身を駆け巡る。気を抜けばすぐにでも出せる状態だったが、もうちょっとこの快感を味わっていたかった。

「はあっ、はあ、あ、はあっ、ああっ……!」
 乱れた息の合間に、喉の奥から引きしぼるような声を上げると、既に意識が快感で麻痺しているヴァイルはゆっくりとグローリアを見下ろした。ずるっ、じゅぼ、ずる、じゅぼ、じゅぶっ。そんな音をくり返し立てながら、彼女は自分の喉で彼の性器をしごき続けている。もう身体の中にたまっているどろどろのものが、火にかけられた鍋のようにぐつぐつと煮えたぎっているような感じがする。今にもそれが吹きこぼれて、ふたがはじけ飛んでしまいそうだった。

「……気持ち良いか、ヴァイル?」
 小休止といった様子で口を離してぜえぜえと息をついていたグローリアが、涙もよだれも垂れ流しながら、すんすんと鼻を鳴らして尋ねてくる。とても口をきける余裕もないが、何とか首をこくこくと縦に振って、上ずった声を出すことは出来た。
「ん、い……いいっ……!」
 その返答に満足すると、グローリアは嬉しそうに目を細めて再び彼を自分の内へと招き入れる。頭が沸騰してしまいそうだ。

 彼には嗜虐趣味はないはずだった。だがグローリアが死にそうな顔をしてふらふらになりながらも、自分を気持ち良くするために苦痛にあえいでいる姿を見ると、どうしようもなく興奮してしまう。背筋がぞくぞくして、彼女の頭を押さえつけてめちゃくちゃにしてやりたいのを、かすかに残った理性で押さえつける。グローリアを見下ろしながら、多分、自分は酷く浅ましい顔をしているのだろうと思う。

 一方グローリアは、そんな彼の顔を見て、全身の細胞が歓喜に打ち震えていた。ヴァイルの怒り、憎しみ、復讐心、そして、残虐性。そういうものを目の当たりにするたびに、一瞬だけ彼が自分と同じ血塗られた世界に堕ちてきてくれたように錯覚できる。もちろんそれは幻だ。彼は醜いものを抱えていても、自制できる人間だった。だが彼のそんな一面が垣間見える時、その時だけは、ひとつに溶け合ったような気分になれる。手放してやりたい。手放したくない。そんな気持ちに揺り動かされながら、彼女は今日も彼にしがみついてしまう。

 彼女はこれ以上深く咥えられないところまで彼のものを喉の中に受け入れたまま、彼の腰を抑えていた手の片方を竿の付け根に持っていき、そこにある玉袋を揉みしだいた。途端、彼の身体がびくっとのけぞる。
「あっ――!」
 ヴァイルが膝をがくがくと震わせながら、切羽詰った高い声を上げる。ただでさえ腰が抜けそうなほど気持ちが良いのにさらなる快感をくわえられ、もうとても耐えられないといったようだ。射精をこらえようと力を込める下腹部が限界を訴えてひくついている。グローリアの手に包まれた袋の中にある玉が、揉みほぐすようなその動きに反応してせり上がる。

 次の瞬間、喉の中に弾けるように、大量の精液がほとばしり出た。じゅわりと熱いものが、ペニスとそれを締め付ける狭い喉の粘膜の隙間に広がっていく。その液体は半分は彼女の身体の中へ流れ込み、もう半分は彼女が咳き込んだ拍子に逆流して口からぶしゅっと溢れ出した。唇の合間から白いものが噴き出して、どろりと床にこぼれ落ちる。
「ん、むっ!」
 グローリアは歓喜と苦痛の涙を溢れさせながら、根元にしゃぶりついた唇をきつく閉めると、そこに強く吸い付いたまま喉全体でどくどくと脈打つ彼のペニスを締め上げてやる。ヴァイルはびくっびくんっと腰を痙攣させながら、精液を吐き出すたまらない解放感と、射精中の性器を引き搾られる強烈な刺激に頭が真っ白になって、奈落に落ちるような感覚と、天に昇るような感覚をいっしょくたに味わった。

 彼は腰をひきつらせ、精液を最後の一滴まで彼女の中に注ぎ終える。グローリアは精巣を労わるような優しい手つきでさわさわと撫で上げると、ようやく口を離して、彼の腰を支えていた手をどけた。その途端、ヴァイルは抜け殻になったようにぼうっとしたまま床の上に座り込む。一人で立っていられないほど腰砕けになっていた。

 彼女は既に焦げ臭い煙を吐き出している鍋の火をかちりと止めると、そんな彼を抱きしめて、思う。お人好しのヴァイルに、ちょっと親切にされて、ちょっぴりいいなと思う女くらい何人でもいる。でも、腹の底にたまっている醜さまで搾り出すようにしてやれるのは、この自分しかいない。それで、良かった。

 絶頂の余韻がさめる頃、気付けば床にへたり込んだ彼の胸にはぴったりとグローリアがくっついていた。鍋のふたはいつの間にか上気ではじけ飛んでいて、すっかり焼け焦げて真っ黒になっている。中身は吹きこぼれて空っぽになっていた。これではまた作り直さなければならない。だがグローリアは得意気に目を光らせてぺろぺろと舌なめずりをしてこちらを覗き込んでいる。頬やら顎やらが、まだ白く濁ったもので汚れていた。

「気持ち良かったか? 気持ち良かったんじゃろ? 何せわらわがあんなにも頑張ったんじゃからな」
 どうやらねぎらいの言葉が欲しいらしい。
「最高だった」
 頭を撫で付けながらそう言うと、ぱっと嬉しそうにその顔を輝かせる。
(ち、ちくしょう。……かわいい)
 彼は愛の告白に対して強烈な平手を返されたことをこれですっかり忘れてしまった。ヴァイルが彼女の濡れた顎を指先でぬぐうと、グローリアはそれをぺろぺろと舐め取ってくる。自分達はあと何回、同じことをくり返したら気が済むのだろう。ぼんやりそんなことを考えていると、一体どういう風の吹き回しなのだろう、グローリアはふと思いついたように、唐突な質問をしかけてくる。

「のう、ヴァイル。ところでこの宿、一体なんで黒猫亭というのじゃ? 猫なんかおらんではないか」
「ん? ああ、そのことか。話したことなかったっけ」
 彼はなおも彼女の頭をよしよしと撫でながら、答えた。
「じいさんがこの宿始める時、黒猫飼ってたんだってさ。俺が生まれる前に死んじまったらしいけど」
「黒猫?」

 グローリアがきょとんとしてオウム返しにそう言うと、ヴァイルはハンスから聞いたことを思い出しながら、ぽつぽつと語り始めた。
「刑務所から出てきたあと、じいさん、皆に白い目で見られてたんだって。例え復讐っていったって、人一人殺しちまったんだ。殺人者って言われてみんなから怖がられてた。……アラクローネに来る前は、もともと閉鎖的な、お堅い村に住んでたらしいし」

 彼女はじっと話に聞き入っている。ちょっと身につまされたような表情をしている。彼は今度は背中を撫でてやりながら、話を続けた。
「そんなじいさんのたった一人、いや、一匹って言った方がいいのか。その一匹の理解者が、黒猫だったんだって。みんなが怖がって避けて通る殺人者も、動物なら怖がらずに接してくれる。すごく嬉しかった――じいさん、そう言ってたよ」

「その黒猫、名前はなんと言うのじゃ」
 グローリアは興を引かれたように尋ねてくる。だが彼はその質問に、少し気まずそうに顔をそむけると、ぽつりと呟くように言った。
「……ヴァイル、だってさ」
「ヴァイル?」

 彼女はぎゅっとヴァイルの襟首を引っつかみ、楽しそうな顔をする。彼はぎくりと身をすくめた。祖父にとって大事な猫だというのは分かっているが、それでも猫と同じ名前をつけられたのは、何となく納得いかない。グローリアはにやりと笑みを浮かべて、口を開く。
「それは良いことを聞いた。おぬしを玩具とか道具というのは、今日を限りにやめてやろう。おぬしはこれから、わらわの大事な飼い猫じゃ」
「なっ、今度はペット扱いか!」

 ヴァイルは思わず腹を立てる。恋人に昇格させてくれるわけでもなく、かといって別れてくれるわけでもなく。二人の関係はいつまでも煮え切らない。だがグローリアはくすくすと笑い声を立てたあと、疲れたようにこてんと彼の胸に頭をうずめ、半ば寝ぼけたような声を出す。

「良いではないか。……のう、黒猫ヴァイル」
 それはほとんど甘えるような声音だった。眠たそうに、目がとろんととろけている。
「ヴァイルぅ、起きたらまたにゃんにゃんするぞ……」
 彼女は最後に一言そう言うと、そのまま彼に体重を預けてすうすうと安心しきったように安らかな寝息を立て始めた。その様子を見ていると、すっかり毒気を抜かれてしまう。

「まあ、ひとまずいいか。玩具から、ようやく生き物に昇格出来たんだし」
 やれやれといった調子で肩をすくめて、彼はグローリアを抱き上げる。ヴァイルの部屋にでも寝かせておこう。そう思って立ち上がる。だが腰に力が入らずに、かくっとまた膝をついてしまった。膝頭を盛大に打ちつけて、目尻に涙が浮かぶほど痛かったが、腕の中のグローリアだけは落とさないように死守していた。

「――すっげえ良かったからな、さっきのやつ」
 彼は赤くなって、やるせないため息をついた。完全に骨抜きだった。この分ではまだまだこの先、アラクローネの白き魔女に振り回されるに違いない。
初めましてこんにちは。しろくろと申します。
せっかくBF闘技場があるのに作中で使用してなくて「なんじゃそりゃー」と思われた方すみません(汗)。

本来この話は、アラクローネのBF界に君臨する無敗伝説のフレア姐さんが主人公の予定でした。「私を負かす男なんてもうこの街にはいやしないのさ。いたとしたら、きっと余程の大物に違いないわね」と豪語していたフレアに、裏通りにあるちっぽけな宿屋のごくごく凡人の兄ちゃんが挑戦してきて…という話を書こうと思っていたのです。

けれど話を練っていているうちに、次第にその平凡な兄ちゃんの方を気に入ってしまい、「フレアよりこいつの方が書きやすくね?」という結論に至って、当初の予定と全く違う作品になってしまいました。というわけで闘技場が残っているのは見る影もなくなった元主人公フレアへの手向けです。

とにかく長い作品になってしまいましたが、もし万が一飽きずにここまで読んで下さった方がいたら、本当にありがとうございました。

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