――もう一つの幕間――
ここは淫界の転送室。
「今年は普段より悪いだろうとは思ってたけれど、予想以上だわ……」
魔法陣を一つ一つ確認しながら、メルローズは深い溜息をついた。
子供達の帰還まであと三日。
だが、それまでチラホラとしか消えていかなかった魔法陣の水晶の光は、五日目を過ぎた頃から次々と消えていった。
「2番、11番陣が全滅。6番もあと一人……こんな弱々しい光じゃ、もう無理ね……」
出発前に子供達の教育を行なっていた教師から、今年の子供は全体的に成長が遅めだと聞かされていた事もあり、厳しい結果になるだろう事は想像していたはずだった。
しかし予想を遥かに下回る現状に、メルローズの表情が暗くなる。
「7番陣が三人……。あぁ、ルナの子は……駄目だったのね……」
完全に光の消えうせたカリンの水晶を見やる。
カリンやシュガーの母親とメルローズは、階級はメルローズの方がずっと上だが、貴族同士として、顔を合わせる事も多い。
流石に殿中では上下を気にするが、それ以外の場所で階級差を鼻にかける振る舞いを一切やらないメルローズは、貴族同士の横の繋がりがとても多いのだ。
『カリンは判断力も淫気も高くて、すごくしっかりした子なのよ。もう何度言ったかわからないけど、きっと今回は、帰ってきてくれるわ。シュガーは……今年は出来れば連れて行きたくない。来年まで待たせたいのだけど、カリンと一緒に行くつもり満々だから、なんとか思い留まらせたいのだけど……』
数ヶ月前そんな風に自分に語っていたのを、メルローズは良く覚えていた。
子供の訃報を届けにいくのは気が重かったが、部下に押し付けて逃げるのは自分の性格に反する。
「そしてこれは……ああ、あの魔法使いの下の子……」
思い詰めた表情で様子を聞きに来た、リーフの母親の顔が脳裏に浮かぶ。
……確か初めての子だと言っていた。知らせたらどんな反応をするだろう――
考えてみるまでもなかった。初子が死んだ時の親の反応など、号泣して半狂乱になるか、認めようとせず自分の殻に閉じこもるか、どちらかの場合が殆どだ。
やがて全部の陣を一通り見て回ったメルローズは、頭を抱えたくなる程の結果に直面させられた。
「帰還までまだ三日もあるのに、もう半分しか残っていないのね……」
15の魔法陣に分かれて90人もの子供達が出発したにも関わらず、現在光の灯っている水晶の数は49。既に半数近くが散った現状に、メルローズは肩を落とす。
十歳の子供に十日間という日程が無茶なのは、淫界側も元から承知している。
出発した全員が欠ける事なく帰ってくる事など、最初から期待していない。言葉は悪いが元より間引きの意味合いもあるのだから。
だが、まだ八日目の朝にも関わらずこの結果は惨憺たる状態と言って良かった。ここから一日毎に生存率はさらに下がっていく。
「いけない、女王さまに報告しないと」
けれど淫界にいる者が幾ら悩んだ所で、子供達の生還できる可能性が上がる訳ではない。
パタパタと足音を鳴らして部屋を出るメルローズの背中では、また一つ水晶の輝きが失われていた。
<淫魔チャイルド>【8日目】
ほうほうの体で三人が山を駆け下りた時、空はゆっくりと白み始めていた。
やがて日が明け、地平から太陽が顔を出す。
カリンが決死の覚悟で人間を引きつけてくれたおかげで、幸運にも三人は包囲を抜け山を降りる事に成功していたのだ。
しかし太陽の輝きとは正反対に、子供たちの心は地の底に届きそうなほど沈んでいた。
「……」
「……」
「……」
約束した橋の袂で三人はカリンを待つ。もっともメルルに関しては、カリンを待っているというより、抜け殻のように放心状態で座り込んでいるだけでしかなかったが。
その間、三人は全く口を聞かない。
昨晩カリンとした約束は生まれてから今までで、何よりも大切な物だったから。
溜まった不安、悲しみ、恐怖、涙、色々な感情が口を開けば溢れて止まりそうになかったから。
強い日差しや襲ってくる空腹にも構わず、子供たちは橋から動かず待ち続けた。
しかし太陽は無情に昇り続け、中天を過ぎた頃。
「カリンの、大うそつき……」
吐き捨てるように歯軋りすると、ベルはゆっくり立ち上がった。
「リリー、メルル。いこっか」
「でもお姉ちゃん、カリンちゃんまだきてない……!」
膝を抱え俯いたままのメルルは、ベルの呼びかけに何の反応もしない。
だがリリーがいやいやをするように、首を何度も横に振りベルの腕にしがみついた。
「カリンは、こないよ、リリー」
「そんな事ないよ……お姉ちゃん、もうちょっと」
「もうこないよ! いつまでも待ってらんない。お腹すきすぎて動けなくなる前に、人間さがしにいかなきゃダメなんだ、リリー! そうしないと……うえて死んじゃう」
人間界にやってきて今日で8日目を数える。精液を全く取ってない日もあるのだ。
既に体調はお世辞にも良いとは言えない。寧ろ最悪の一歩手前と言った方が良い。
「でも約束したのに……やくそく、したのに……」
しがみついたままボロボロと落涙するリリーを抱え。
「ボクだってここでずっと……カリン、待ってたい、さ……」
ベルの瞳からも、涙が零れて落ちた。
こうして待っている間は、カリンの死を頭の隅に追いやる事が出来る。きっと来ると、希望を持っていられる。
けれどここから動けばカリンが自分達を逃がす為に犠牲になった事を、正面から受け止めなければいけない。それは、恐ろしいほど辛く苦しい決断だ。
「私のせいだ……私が、私が男の子たすけようなんて、言わなかったら……」
「言ってもしょうがないこと言うのやめなよ! リリーが傷つくだけだから!」
ベルの声も届かないのか、泣きながらリリーはひたすら自分を責める。
まるでそれ以外に、友達を失った心の穴を埋める方法がないかのように。
「シュガーちゃんも、リーフちゃんも、カリンちゃんまで……みんな、みんなぁ……」
自傷行為以外の何物でもないリリーの嘆きが辺りに木霊する。
ところがこのリリーの悔恨は思わぬ副作用を生んだ。
リーフの名前を聞き、それまで何の反応も示さなかったメルルが、顔を上げたのだ。
「リーフ……」
だがメルルの顔からは、表情という表情が完全に抜け落ちていた。
髪の結い方を除けば、双子であるリーフとメルルは、表情の豊かさと笑顔で区別できると言っても良い。
だが顔を上げたメルルはぞっとする程、リーフに似ていた。
「……ぇし、て」
やがてメルルの空ろな瞳がリリーに向いた刹那、その真紅の瞳に光が戻る。
しかしその瞳にある感情はただ一色、激しい怒りのみ。
「メルル、ちゃん……?」
だがそれに気がつかないリリーが側に寄ろうとした時、メルルは跳ね起きるとリリーを押し倒し掴みかかった。
「かえして! 私のリーフかえして! かえせリリー!!」
「……あ、ひぅ……」
完全に錯乱しているのか、メルルは怒りに任せ両手でリリーの首を絞めあげる。
「!? メルル、なにを……いたっ!」
止めに入ったベルを、メルルは思いっきり突き飛ばした。
「そうだ、おまえのせいよリリー! 全部全部ぜんぶっ! なのになんで! なんでリリーはまだ生きてるのよ!」
「かふ、ぁ……」
喉を握られていては、声にならない悲鳴をあげるしかない。苦しげに呻くリリーを無視して、メルルは激しい怒りをぶつけ続ける。
数日前から燻りながら燃え続けていたリリーに対するメルルの怒りが、遂に完全に爆発した。ブレーキ役のリーフなき今、もうメルルを止められる者は誰もいない。
そこには、人あたり良く優しい女の子であったメルルの欠片さえなかった。淫魔同士でなければ絞め殺す所まで行っただろう。
けれどメルルは不意に手を離す。だが瞳に篭る怒気は薄れるどころか、さらに濃くなっていた。
「め、メルルちゃ……ごめ、な、さ……」
「許さない。ぜったい許さない。リリーなんか、もう友達でもなんでもない!」
振り上げた手がリリーに叩きつけられる時。
「ばかぁ! やめろメルルー!」
腰へと体当たりするように飛びついたベルが、そのままメルルを妹から引き剥がす。
「リリー責めたってだれも戻ってこないんだよ! みんなもう、帰って、こないんだ」
だがベルの悲痛な叫びも、メルルの心には届かなかった。
ゆっくり立ち上がると、もうリリーには興味がないのか一瞥もくれず、メルルは元来た道へ歩き出そうとする。
「……こんなことしてる場合じゃないわ。私、リーフを、さがさなきゃ。私とはぐれてぜったい困ってるもの」
「メルルしっかりして! リーフはもう、どこにもいないんだ!!」
リーフの死を認めない限り、前を向いていく事は出来ない。生きて帰るには、それは絶対に避けて通れない道。
しかしメルルは、ベルの言葉から耳を塞いでしまった。
「リーフは死んでなんかない。リーフは、私といつだっていっしょだもん。私をおいて、いなくなったり、ぜったいにしないの!」
踵を返しメルルは来た道を駆け出す。
傍から見れば、それはただの現実逃避。だがメルルにとって、リーフのいない世界を現実と認めるのは不可能だった。
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<選択肢>
1.急いでメルルを追いかける
→2.泣いてるリリーを慰める
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今のメルルを一人で行動させるのは危ない――
だが泣き崩れる妹をこの場に置いていくのは、ベルには到底できなかった。
「私の、わたし、っの……せいだ、みんな私が……」
「ちがうよリリー! みんなで決めたことなんだ、リリーだけのせいじゃない! それにリリーがいなかったら、三日目に会ったハンターにボクたち絶対みつかってた。リーフをたすけたのだって、リリーじゃないか!」
ほんの少し判断が甘く、運や巡り合わせも悪かった。それが結果的に悲劇に繋がってしまっただけなのだ。
だがその判断で永遠に失った物の大きさは、あまりに巨大だった。
「……ば……た」
「え? リリー、今なんて」
そっと抱き起こした時、リリーからかすかな言葉が漏れる。反射的に顔を近づけ聞き返したベルの耳に。
「私が、消えちゃえば、よかったんだ……」
「!」
吐息と一緒にリリーの声が届いた時。
生まれてから一度も妹に手をあげた事がなかったベルが、リリーの頬を打った。
「……っ……おねえ、ちゃ、ん……」
焦点のぼやけていたリリーの瞳が、この時ようやくベルを写す。
「どんだけリリーに気にするなって言っても、リリーが落ちこむのは分かるさ……。だけどリリー! そんなこと言うのだけは、ボクゆるさない!」
大粒の涙を浮かべた姉の姿が、そこにはあった。
「消えちゃったみんなの分も、がんばって生きなきゃダメなんだ。……お願いだから二度とそんなこと言わないで、リリー。ボク、ボクは、リリーの消えるとこなんて、絶対……」
言葉に詰まったベルは力任せにリリーを強く抱く。
「ごめん、なさい……お姉ちゃん」
抱き返すリリーの手に力が戻ってくる。割り切れた訳ではない。だが自分の事を誰よりも大切に思ってくれている姉を、これ以上悲しませたくない。
その想いが、かろうじてリリーに前を向く力を与える。
「さっきからあやまって……ばっかだ、リリー。ボクこそ、リーダー気どりでいたくせに、ぜんっぜん役にたってないんだぞ……」
「そ……そんな事ない、よ」
「あるよ! 何か考えるのはリーフが全部やってくれてたし、みんなをまとめて引っぱるのはカリンだった。ボクはほとんど、シュガーと一緒にバカいってただけ」
それはベルがずっと抱えていたコンプレックスだった。
何かに秀でた能力がない、ごく普通の淫魔の子供。それがベルだ。
「シュガーほど速くうごけるわけでもないし、道具つかわせたらメルルより上手い子なんかいない。そして淫気じゃリリーにぜんぜんかなわないのはボクがいちばん良くわかってる。ボクだけができることなんて、なんにも……なんにも……!」
ベルにとっては、自分の無力さを痛感させられ続けた八日間だった。
決して言うまいと思っていたが、自己嫌悪と苛立ちと悲しさがない交ぜになった涙がぽろぽろと零れ出て行く。
そんなベルの手を取り、リリーはそっと自分の胸に押し当てた。
「でも……お姉ちゃんはずっと。私の側にいて私を助けてくれたよ……」
だからそんな悲しいこといわないで。お姉ちゃんは、とっても素敵でかっこいい、私だけのお姉ちゃんだから――
メルルとリーフのようなテレパシーなど使えないが、今だけはリリーの気持ちが掌から伝わってくる、そんな気がした。
「……うん、ごめん。バカなこと言っちゃったよ。すぐメルルおっかけるよリリー!」
そう、沈んでいる場合ではないのだ。
リリーの手を引いて、ベル達はメルルを追いかけ始める。
その頃、どこをどう走ったか分からないほど滅茶苦茶に駆け出したメルルだったが、とうとう走れなくなったのか川岸まで来た所で、胸を抑えて蹲る。
「は、は、はっ……リーフ、リーフ、どこなのリーフ……リーフぅ……」
ポニーにしていた髪留めは走ってる内にどこかへ飛んで行ったのだろう。
バラバラの髪を振り乱しながら、もうどこにもいない妹を探すメルルの姿は、滑稽かつ非常に哀れだった。
けれどその時、メルルの瞳が何かを映しだす。
「……! リーフ!?」
リーフらしき姿を見かけたメルルは、全く迷わず地面を蹴り飛びつく。
ズバシャーン!
だが数秒後、激しい水しぶきを上げてメルルは川に飛びこんでいた。
元々双子であり、髪型も見分けがつかなくなっている。リーフだと思ったそれは、川面に映った自分の姿に過ぎなかった。
「……う、うわぁあああん……りーふ、りーふが、えっく、えぐっ、いないよぉ……!」
ずぶ濡れになりながら、メルルは泣きじゃくる。
メルルにとってリーフは肉親、妹という括りで収まる存在ではない。リーフは自分の半身であり、恋人であり、希望であり、人生全てだった。
そのリーフが死んだことを、メルルが納得も理解できるはずもないのだ。
淫魔狩りで周囲にハンターがまだうろついてる可能性が高いにも関わらず、自分の姿を隠す事も周囲を警戒する事もなく、ただ一人で号泣するメルル。
「ん……子供の泣き声……? 違う、どっからどう見ても淫魔じゃないか!」
包囲を抜かれ苦々しい面持ちで下山していたハンターの一人が、その姿を見つけた。一目で正体を看破したハンターだが、別にハンターが熟練の凄腕だったからではない。
メルルが着ているローブは木々の先で裂け、片方の胸は丸見え。
しかも下は何もつけておらずお尻も秘部も丸見えの幼女が山道に一人でいては、淫魔だとばれない方がおかしい。
だが、そんな自分に迫る生命の危険も、今のメルルにはどうでも良かった。
リーフがいない。リーフはどこ。その事以外には何も考えられない。
「探さないと。リーフ、さがさないと……リーフぅ……」
何日も満足な食事が取れておらず、大きく体力も落ちている中、ふらつく足取りでまるで夢遊病者のように立ち上がるメルル。
だが沢から抜け出した直後、横からいきなり体重がかけられたかと思うと草むらに押し倒された。
「…………ふわ」
「うわぁ……淫気からしてまだ子供か。でも成長させたら碌な事にならないからな……」
気の進まなそうな顔をしたハンターだったが、すぐにそんな考えを脇に追いやり、メルルの小さな乳首を歯で軽く噛み、二本の指を秘所にすべりこませる。
「あ、あぅううう……! んーっ、んーっ!」
既に快感に対する耐性は相当落ちている中では、駆け出しに毛の生えたレベルであっても、ハンターの攻めは強烈だった。
脳天を突き抜けるような快感に身を震わせ、中でかき回される指をきゅうきゅうに締めながら、メルルのあそこからは愛液が溢れて止まらない。
そして親指を割れ目をなぞらせるように辿らせながら、硬く尖った淫核に爪の先をぐっと押し込むと、メルルの体が跳ねた。
「あはああああ! きもちいい、きもちいいよぉ、そこダメなの……!」
だがこれだけ攻撃を受けながらも、メルルは全く反撃をしない。
いや、反撃を『する気がない』のだ。
「……こんな幼くても、やっぱり淫魔は淫魔なのか……。このまま続けててもイくだろうけれど、どうせならこいつが欲しいだろ?」
よがり狂うメルルの痴態に軽く嘆息しつつ、クリトリスの責めをやめ指を引き抜くと、そり立つペニスを見せつける。
「うん……お兄ちゃん、いかせて……妹の、リーフのところにつれてって……!」
瞳に涙を光らせて喘ぐメルルの心に、抵抗するそぶりは既になかった。
「………………う」
メルルの懇願にハンターは露骨に顔をしかめる。
ほんの少し想像力があれば、メルルが何故泣いていたのか、そして今どうして全く反撃をしないのか。それが分かるだろう。
この幼い淫魔は……メルルは、こう言っているのだ。
『殺してくれ』と。
メルルの懇願に哀れむような視線を向けつつ、口中へと舌を入れ深いキスで感度をさらに高めながら、とろとろの膣奥へと秘裂を割ってゆっくり挿入していく。
「ふといの、いっぱい入ってる……とってもきもちいいよぉ……」
幾ら淫魔であっても幼女の膣には大きいペニスを、メルルは自分から受け入れる。
二度三度と抽挿を繰り返す毎に、滑りは増し、快楽をこらえるどころか自分から加速させる動きをするメルル。
それに併せるように破滅的な快感がメルルの体中を駆け回っていく。
「あは、あは、あはぁ……リーフ……おねえちゃん、すごく、すごくきもち、い……!」
もうメルルの目は、何も見てはいなかった。
その濁った瞳の奥は、ここにいないリーフの姿を映していた。
「メルルー! 返事をしてメルル、どこー!」
「はっ、はっ、はっ……っ、メ……メルル、ちゃん……!」
後を追いかけてきたベルとリリーは、その時ようやく、今まさに果てる寸前のメルルを見つける。
だがそんな二人の声も、既にメルルには全く届かなかった。
「いくよぉ、イく、おまんこイっちゃう、イくうううううううう……!」
メルルの瞳に恐怖の色はなかった。潮を吹かせ、全身を震わせながらメルルは逝く。一瞬の内に、その体は燃え尽きて灰と化し、塵となって拡散し消えた。
「メルルー!」
ベルの叫びが周囲に木霊する。
リスクを承知で助けに向かった二人だが、その結果は最悪だった。
ただ間に合わなかっただけならまだしも、よりによってメルルの死の瞬間を直視する羽目になったのだから。
「あ、あ、あ……あああああああああ……」
膝を折り落涙するリリー。リリーの性格ならば、自分の愚かな行動がメルルまで殺してしまったと思わない方がおかしい。
「はぁ……鬱だ……。げ、まだいるのかよ! おーい、こっちだー!」
しかもさらに悪い事に、ベルとリリーの存在に気が付いたハンターが、首にかけた小さな木の呼び笛を口に咥え思いっきり吹くと、甲高い音が周囲に響き渡る。
「……! リリー、逃げるよっ!」
「おねえちゃん、メルルちゃんが、メルル、ちゃん……が……」
へたりこんで動けないリリーの頬を、ベルは迷わず叩いた。
「リリー! あとでどんだけ泣いても良いから、今は逃げるの!! そうしないと、ボクも! リリーも! ここで死んじゃうんだよ!!」
「えっく、えぐっ、おね、ちゃ……」
泣きじゃくるリリーを無理矢理立たせ、妹の手を引いてベルは逃げ出す。
戦うという考えは全くなかった。
体力も淫気も落ちている今のベルでは一対一でも勝ち目は薄い。まして他のハンターまで呼ばれてるのだ、勝てる道理などどこにもない。
だがのこのことこんな近くまで戻って来て、そうそう簡単に逃げられるほど淫魔ハンターは甘くなかった。
『淫魔が二匹そっちに行ったぞ、森に逃げこまれたらアウトだ!』
『言われなくても分かってる! 俺は火炎魔法で森の前に壁を作る、お前はなんなら弓矢で足でも狙ってやれ!』
そんなハンター達の指示が耳に入り、ベルは思わず自分の耳を疑った。
「ちょっと……うそでしょ、逃げるおんなのこの背中狙うとかしんじらんないよ! うわ、あぶなっ!?」
「ふぇえええええ、おねーちゃあん……!」
そうこうする内にもベルの頬をかすめて弓矢が通り抜けていき、リリーが情けない声を上げる。
淫魔に物理攻撃は一切効かない。
だが、それはあくまでダメージがないだけの話であり上手に利用すれば、淫魔を転ばせたり怯ませたりするには有効な時もあるのだ。
特に【ハンターから逃げ出そうとしている淫魔の足を止める】場合などは。
すぐにでも身を隠したい所だが、ここまで来る時に通った道に一番近い真横の入口は炎で潰されている。
幾ら体が焼ける事はなくとも、燃え盛る炎の中にダイビングするのはベルもリリーも恐怖感の方が遥かに強いだろう。
このまま真っ直ぐ走り続けた先には火で通せんぼされていない森へと続く道があるが、そこまで逃げこめる保証はどこにもない。
そして斜め右には崖。左手には流れの速い川がある。
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<選択肢:どっちへ逃げる?>(時間制限5秒)
1.崖下へ飛び降りる
→2.急流に飛びこむ
3.炎の中を突っ切る
(非選択.このまま走り続ける)
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自分一人だけならともかく、リリーを連れてこのまま逃げていたら絶対に捕まる。
そう踏んだベルは、迷わず決断した。
「リリー、ボクの手ぜったいはなさないでよ!」
「え……えっ?」
意味が分からないのか、呆気に取られるリリーの反応に構わずベルはリリーを抱き寄せると、そのまま川へと飛びこんだ。
「きゃあああ……!」
「わぁあああああ!」
川は二人分の悲鳴を飲みこみながら、一気に流れていく。
淫魔は一切の物理攻撃を無効にする。それは剣や魔法の攻撃に限らず、どんな高い所から落ちようが、火の中に放り込まれようが変わらない。
だがある程度の痛みは感じるし、何より恐怖までは消せない。それでもやらざるを得ないと判断した上で、川へ飛びこんだベルの判断は賢明だった。
二人の後を追いかけようにも、人間が飛びこんでは高確率で溺死しかねない。川べりでハンター達は何かをわめいてはいたものの、後を追って飛びこむ者はいなかった。
「リリー、がぶ、がぼっ……リリー、しっかりー!」
あっさりと気を失った妹を目いっぱい抱きしめ、二人はどんどん流れていく。やがて川の支流は本流に合流しさらに勢いを増す。
そうして十分以上流されて続けたが、だしぬけに、ベルの耳元に轟音が聞こえてきた。それは何かが下に向かって叩き付けられるような激しい音だ。
「はっ、はっ……なに、この音……えええええええええ!?」
叫ぶのも無理はなかった。
何しろ流れの向こうがぷっつり切れ、そのまま直角で真下を向いているのだ。要するに滝である。
だが今更この流れから抜け出す事など出来る筈もない。ベルとリリーは、そのまま凄まじい水圧と共に真下に向けて叩き付けられる。
既に気絶しているリリーは勿論、この激しい衝撃にはひとたまりもなく、ベルもあっさりとその意識を手放した。
それからどのぐらい経っただろうか。
「ん……ぷぁ! う〜、ひどいめにあった……」
「お、お姉ちゃん……大丈夫……?」
顔を下にしド座衛門のように浮かんでいたベルが意識を取り戻した時には、既に目を覚ましていたリリーの顔が間近にあった。
「うん、へーき。リリーも無事でよかったよ、ハンターに追いかけられた時はどうなるかと思っちゃった……わ、な、なにどしたのリリー!?」
ずぶぬれのまま水滴を拭う事もせず、リリーはぴったりと姉にしがみついた。
「お姉ちゃん……お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん……!」
心の中に溜まった物が一気に噴出したように、ベルに抱きついて泣き続ける。
「いなく、なっちゃった……みんな、みんな……!」
「……リリー」
「私がメルルちゃん殺したんだ……私が、わたしが、いたから……!」
嘆き悲しむリリーの精神状態は、どう見ても完全にボロボロだった。
先ほど目の当たりにしたメルルの死だけが理由ではない。シュガーもカリンもリーフも、もうどこにもいないのだ。
こんな短期間に友達の死を立て続けに体験すれば、十歳の子供の精神で耐えられる方がどうかしている。
「………………っ」
喉元までリリーのせいじゃないという言葉が出かかったが、寸での所でベルはそれを飲みこむ。
慰めて欲しいのでも、庇って欲しい訳でもない。リリーは過酷な現実に押し潰されそうな中で、全てを自分の責任にして目を閉じてしまいたいのだと気がついたから。
だからベルは。
「……うん。メルルが死んじゃったのは……ボクとリリーのせいだよ」
劇薬だと知っていながら、あえて肯定した。
「えっく、うぁ……あぅ……」
「メルルの気持ちをかんがえないで、ボクもリリーも無神経なこと言ってた。メルルが落ちつくまでボクは待ってあげなきゃいけなかった。リリーも、リーフの話だけは出しちゃいけなかった」
まさか肯定されるとは思わなかったのだろう。
しがみつくリリーの腕から力が抜けていく。
「シュガーのことも、カリンのことも、リーフのことだって。ああすればよかった、こうすればよかったって、思うことはボクだっていっぱいあるよ。……だけどねリリー!」
倒れてしまいそうになるリリーの体を支えるように、そんな妹をベルは力いっぱい抱きしめた。
「もう、ボクとリリーしかいないんだ! もう一回はっきり言うよ! 二人で力あわせてがんばんなきゃいけないのにリリーがそんなんじゃ、ボクも死んじゃうんだ!!」
よっぽど衝撃的だったのだろう。
それまでベルの胸に顔を埋めていたリリーが、顔をあげてベルを見た事からも伺える。
「やだ、やだよ……お姉ちゃんまでいなくなるなんで、やだよぉ……!」
濁ったメルルの瞳に光が戻ってくる。涙に濡れた空ろな視線がベルに向くことで、その視点が定まっていく。
「リリーとボクの二人なら、だいじょうぶ。どっちが欠けても生き残れない、ってことをリリーがおぼえてさえいてくれればね。お母さん待ってる、ぜったい帰るよ!」
体を起こしリリーの手を握ると、弱いながらも握り返してきてベルは安堵する。
今のが危険な発破のかけ方だったのは、当然ベルも自覚していた。だがここまでしてでも、リリーの精神状態を引き上げなければいけない状況なのだ。
『そうだよ。ボクがいなくなったら、だれがリリーを守るのさ。ボクがしっかりしなきゃ……泣いてる場合じゃ、ないんだ……!』
そして残り半分以上は自分に言い聞かせ、水浸しの体を引きずって、二人は滝壺から離れる。
けれどその時、恐ろしい異変が起こった。
先を歩いていたベルの視界がぶれ、まるで何かにつんのめるように、ぐらりと体が傾いたかと思うと、水しぶきと共に川に倒れこんだのだ。
「……お姉ちゃん!?」
「てへへ、こけちゃったよ。ボクもドジだね……え、あれっ」
急いでリリーに抱き上げられ、照れ隠しのように舌を出すベルだったが、すぐに転んだ理由が自分の不注意ではない事に気がつく。
自分の腕や周囲の景色が二重に見えるのだ。ぱちぱちと目をしばたかせても直らず、腕でごしごし目を擦って、ようやく元に戻る。
しかも異変はそれだけではなかった。手足の指先が痺れたように感覚がなくなって来ているのだ。これでは力が十分に入らなくなり、踏ん張りも利かない。
「……リリー。どうしよ、なんかボクも本当にまずいかもしんない。リリーはどっかおかしくない……?」
「…………あのね。気のせいかもって思ってたけど……私も、ずっと頭がいたいの」
互いに顔を見合わせる二人の首筋に嫌な汗が流れる。
手足の痺れや眩暈、それに頭痛。本来ならどれも淫魔には無縁の物。
体調がおかしい理由は明らかだった。栄養状態が悪すぎるのだ。
丸二日の間に食べた物と言えば、昨日の夜にハンターと戦った時の中途半端な食事一回だけなのだから。
既に辺りは薄暗くなり、夜の闇が降り始めている。
二人は今まさに、自分達姉妹にも死の影が背中まで這い寄っている事を知った。
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