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淫魔チャイルド【6日目】

<淫魔チャイルド>【6日目】

 シュガーの消滅から一夜明け。
 翌日の天気は皮肉な事に、雲一つない青空だった。
「リーフちゃん、おはよう……」
 暗い顔で起き出して来たリリーとリーフが顔を合わせるが、リーフはただ無言で頷く。
 清々しい天候とは正反対に、周囲は重苦しい空気で満ちていた。
 やがてメルルが二人の側にやってくると、リーフはそちらに視線を向ける。
「姉さん、カリンはどう」
「まだ寝てるみたい。でも……ごめんねリーフ、わたしちょっと声、かけられない」
 様子を見に行ってたのだろう。そっと目を伏せメルルは俯いた。
 寝ぼすけのベルならともかく、寝坊とは無縁のしっかり者なカリンが、陽が上っても起きてこないのだ。妹を亡くした悲しみは誰の目にも察するに余りある。 
「……分かった。リリー、そろそろベルを起こして」
「う、うん」
 リーフに言われ、リリーは姉の寝ている木の側まで歩いて行く。
 四肢を投げ出して突っ伏すように寝ているベルの姿が、そこにはあった。
「お姉ちゃん、朝だよ」
 優しく肩を揺するが、ベルは身じろぎ一つしない。
「あれ……?」
 その反応にリリーは眉根を寄せて首を傾げた。
 寝ていれば揺すった時、必ずベルは反射的に反応し抵抗する。
 それを良く知っているリリーはすぐ、姉が起きているのに気がついた。
「お、お姉ちゃん……おきてるよね?」
「ねてるよ」
 尋ねると律儀に返事が返ってくる。
 堂々と狸寝いりを宣言され、リリーは小さく首を横に振った。
「もう、お姉ちゃん。寝てたらお返事できないよ。寝たふりしてないでおきてよぉ……」
「やだ」
 困惑するリリーを尻目に、ベルは体を丸めて顔を上げず簡潔に言い切る。
 論理も何もない子供丸出しの拒絶に、流石のリリーも顔をしかめた。
「や……やだって……お姉ちゃん、もうみんなおきてるよ。このままだとお昼になっちゃうよ……」
「うっさいリリー! シュガーがおこしに来るまでボクはねてるんだいっ!」
 だが駄々っ子のようにベルに叫ばれ、リリーはそれ以上何も言えなくなった。
 二歳近く年が離れてるにも関わらず、陽気で快活でえっちと運動が大好きで、性格も似た者同士の二人は、非常に馬が合った。
 淫界でもシュガーとベルはいつも一緒に遊びに行っていた。
 誰の目から見ても間違いなく、二人は親友だったのだ。

『こらぁ! 八時にあそびにいくってやくそくしたのに、なんでまだねてるのよ!』
『ご、ごめんねシュガーちゃん。何回も起こそうとしたんだけど、昨日お姉ちゃんよふかししたみたいで……』
『リリーはおこしかたがへたくそだもん。ベルくらえ〜! シュガー☆あたーっく!』
『ふに……んぐぅ!? く、くるしいシュガーのバカ、のっか、かるなぁ……』

 爆睡するベルをシュガーが体当たりで起こした事も、一度や二度ではない。
 実際二日目にベルを叩き起こしたのもシュガーだった。 
 こうして目を閉じ寝ていれば、その内に業を煮やしたシュガーが降ってくると信じたかったのだろう。
 だが、そんなベルの頬を不意に誰かが突っつく。
「年長がそんな寝ててどうするのかしら、ベル。いい加減おきなさい」
「……っ? カリン!?」
 普段通りの明るいカリンの声色に、ベルが飛び起きる。
「寝ててもおなかはふくれないわよ。わたし達のリーダーはあなたでしょう、今日はどうするのかしら?」
 指先で髪を軽く梳きながら、カリンは笑っていた。
「え、あのさ、えっと……」
「カリン、ちゃん」
 そんなカリンのあまりの自然な振る舞いと表情に、ベルもリリーも面食らったのか言葉が上手く繋がらない。
『だ、大丈夫よ。わたし……は、だいじょうぶ。みんなも無事で、よかった』
 シュガーの消滅後、カリンは泣きじゃくる事もなく気丈に振る舞ってはいた。
 だが、崖下を転がった時のショックで足を折り動けなくなっていた生き残りのハンターを見つけると、カリンは干からびて皮と骨になるまで吸い尽くした。
『死になさい』
 その間、カリンの瞳に涙は無かった。だが、絶命してなお僅かな生気さえ根こそぎ吸い取ろうとするカリンの姿は、仲間の子供達が見ても恐ろしかった。
 その後も、これまで全員で固まって寝るのが常だったにも関わらず、昨晩カリンは『今夜だけは一人でいたい』と言って、他の四人から離れて寝てしまった。
 団体から外れて行動する事は、淫界にいる頃から殆どなかったカリンが、である。どうしようもなく傷ついているのは誰の目にも明らかだった。
 そのカリンが昨日の今日にも関わらず、こうして普段と変わらない笑顔でいる。
 それはあまりにも自然で、まるで昨日の出来事がただの夢に思えるほど。
 だが。
「……カリン。もう、大丈夫なの」
「ええ。みんな昨晩はごめんなさい。泣くのも、悲しむのも、叫ぶのも、帰ってからいくらでもできるわ。だから……今はみんなで生きて帰ることだけを考えていましょう」
 メルルと手を繋いでやってきたリーフが尋ねると、カリンは貴族の子女らしく毅然と、良く通る綺麗な声ではっきり言い切った。
 夢でも幻でもない。
 全ては間違いなく現実なのだ。
「悲しんでばかりいたら、前に進めなくなってしまうもの。……ね、ベル」
「〜〜〜〜は、ぁっ……! ……カリン、ごめん。ボクがわるかった、よ」
 誰よりもシュガーの死を悲しんでいるカリンが、全てを押し殺しているのに、カリンを差し置いて自分が嘆いてるなんて――
 カリンが頭に手を載せてポンポンと優しく叩くと、ベルは色々な物をこめるように大きく息を吐いて謝った。
 しかし全てを正面から受け入れられる子ばかりではない。
「ね……ねえ、ほんとにっ……!」
 いつにない大声に、全員がリリーを見やる。
 一斉に視線が集まったせいか、縮こまるようにリリーは呟いた。
「本当に、シュガーちゃんと、もうあえないの……かな」
 その言葉に空気が一気に重たくなる。
 別にリリーに限った事ではない。友達の死など、皆が認めたくないのだから。
 だがそこを認めなければ前には進めない。 
「……リリー、それは」
 説明すべく口を開こうとした刹那、リーフはカリンの方を見やる。
 カリンを気遣っての物だろう。その意図を察してか、カリンは力なく笑った。
「ええ、信じたくないわよね。だって、わたしがいちばん信じたくないもの。……でも妹は……シュガーは死んだのよ」
 まるで自分自身にも言い聞かせるように話す。
 この時、全員が心の底から実感する。
 これは遠足でもお遊戯でもない。気を抜けば狩りの獲物にやられて、逆に自分が消えてなくなるのだ。
「お母さまや先生に一杯いわれて、分かっていたはずなのにね……人間の世界が危険だってことは。でも本当はぜんぜん分かってなかった。シュガーも、わたしたちも……」
 どこか自嘲気味にカリンは呟く。リーフ以外の全員が、大なり小なり心のどこかでは『自分達だけは大丈夫だ』という感覚があった。
 だがそんな気楽な日常の空気は、もうここにはない。
「でもカリン。もうボクたちは、みんなわかった。だからこれ以上もうだれも、いなくならない。なくさせない!」
 暗い雰囲気を、ベルが叫び懸命に吹き飛ばそうとする。
 空元気でも良い。無理矢理でも構わない。今はただ、十日間が終わるまでの間だけで良いから、前を向く気力が欲しい。
 シュガーの死を五人全員で心から悼む為にも。
 そんな折、リーフが小声で呟いた。
「今日はどうするの。……人間を探しに行く……?」
 その言葉に全員がぴくりと反応する。
 ここは安全な淫界でもなければ、大好きな母親がいる我が家でもない。そして、黙っていてもお腹が膨れはしない。
 生き残る為には、自分達だけでどうするか決めなければ行けないのだ。

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<選択肢>
→1.今日は、危険を冒して狩りをする気にはなれない
 2.こんな時だからこそ、獲物を探しに行こう
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 しばしの沈黙の後。
 悩んでいる皆の様子を眺めていたベルが、言い辛そうに切り出す。
「…………その、今日は、やめよっか。ボクもおなかは空いたけど、がまんできない訳じゃないしさ」
「うん。あと五日で帰れるんだもの、むりしないでいこうよ……」
 本当は狩りに行くべきだ。そう頭では分かっていた。だが、珍しく消極的なベルに、メルルも同調する。
 カリンやリリーは元よりそのつもりだったようで、全く反対はしなかったし、現実主義のリーフでさえ、目を伏せ小さく頷くだけだった。
 その理由は至極単純な物。
 怖いのだ。 
 イくのが。死ぬのが。消えてなくなるのが。
 シュガーの死は、五人全員の気持ちを萎縮させるのに十分過ぎた。
「……ねえお姉ちゃん。たしか大淫魔さまがこの辺りに住んでるんだよね……? たよって、みようよ」
 リリーが小声で提案する。
「うん。そだね。昨日メルルもそうしたいって言ってたし。みんなそれで良い?」
 反対する子は誰もいなかった。
 淫界を出る時に貰った地図を頼りに、五人は山の三合目辺りまで下りていき、そこから横道にそれた先にある洞窟へと足を向ける。
 その間、五人はほとんど会話らしい会話をしなかった。
 元より口数の少ないリーフは仕方がないとしても、場を盛り上げるベルが今日は自分から話しかけない上に、話題を膨らませるのが上手なカリンも泣き出したいのを懸命に堪えて笑顔を無理矢理作ってる現状、リリーやメルルが話をふったところで、それに返事をした後は、そのまま会話が切れてしまうのだ。
「ねえリーフ。今日は……静か、だね」
「…………ん」
 そっと呟き手をつないで、メルルはリーフの心へと話しかける。
『シュガーちゃんがいないだけで、こんなに静かになっちゃうんだなぁ……』
 カリンの心情を考えればとても口に出しては言えない台詞だが、それは偽らざるメルルの素直な感想だ。
 どんな深刻な事態も、シュガーは本心から笑い飛ばしてくれる。
 そんな底抜けの明るさがどれだけ全員の緊張を和らげていたか、失って初めて気がついたのだろう。
『…………自分が……』
 ところがテレパシーで話しかけたにも関わらず、リーフからの反応が薄い。聞こえてないはずはないのだが。
『あれ? リーフ、ねえリーフ?』
『自分がもっと良い作戦を考えていれば、シュガーは死ななくて済んだ!!』
 再び声をかけたメルルの頭にリーフの感情が爆発するようにぶつけられた。
『わっ! リーフ、ちょっと……!』
『あの瞬間誰もシュガーをフォローできる態勢じゃなかったのを気にしなかったのも! 油断して魔法かけるのが遅れたのも! やり直しなんか効かないって分かってた、分かってたはずなのに……!!』
 普段以上に妹の口数が少ない事をメルルは少々訝っていたが、今はっきりとその理由をメルルも理解する。
『リーフ落ち着いて。それはリーフのせいじゃないよ、誰もリーフを責めたりなんかしてないじゃない。リーフ、いまはシュガーちゃんのことはできるだけ考えないように』
 放置すればどんどん深みに嵌りかねない妹を何とか宥めるメルルだが、リーフの気持ちは収まらない。
『でもっ! シュガーを死なせた自分の立てる方針を、皆はこれから聞いてくれる? 作戦通りに動いてくれるの!?』
「リーフ!!」
 無言で歩いていた一行の中で、出し抜けにメルルの叫び声が響き全員が足を止める。
「うわっ!? な、なに、どーしたのメルル!」
「あ……ごめんねみんな。あのね、ちょっと私からみんなに聞きたいんだけど……人間をおそう時のリーフの作戦って、みんなどう思ってるかな?」
 なんでそんな余計な事を聞くの、とばかりに繋いだ手が強く握られるがメルルはあえて答えなかった。
 リーフは兎角、自分の能力を過小評価しがちな所がある。
 こればかりは、心を通わせられる自分が幾ら言って聞かせるよりも、周りの声を直接聞いた方が良いと思っての事だった。
「ん〜。どうって言われても、ボクは『さくせんさんぼー』ってのはリーフみたいなのを言うんだろーな、って思ってるけど」
「私はリーフちゃんみたいに頭よくないから、いつもリーフちゃんすごいなあ……って思ってるよ」
 メルルの予想通りと言うべきか。
 明らかに頭脳労働に不向きなベルは無論のこと、リリーも頭の方は年相応の女の子レベル程度だ。この二人からリーフの作戦にマイナスの意見など出るはずもない。
 カリンはメルルの言葉を反芻するように、目を閉じて少し考えこんでいたが、やがて言わんとしている事が何か思い当たったのだろう。
「わたしはリーフの知恵をとても信頼しているし、他のみんなもそうだとおもう。……もし変に気にやんでいるなら、わたしの方がつらくなるわ。リーフはいつも、いちばんいい作戦を考えてくれている。あなた以外の誰にもできないことよ」
 正面からリーフを見据えてカリンは、はっきりとそう言いきる。
「自分の作戦に乗って失敗しても……皆は、後悔、しない……?」
 リーフは下を向いたまま、小さな声で呟く。
 その姿にベルとリリーも、遅まきながら友達が何に悩んでいるか気がついた。
「しないね、ぜったい! ボクが立てるさくせんの、なんびゃくばいも、リーフの方がぜったいまともだもん」
「リーフちゃんでダメだったら、他のだれが考えてもきっとダメだもの。私は何があっても最後までリーフちゃんをしんじるよ」
 ベルもリリーも、はっきりと言い切る。
 ここにいる皆が同じ舟に乗っているのだ。基本的に、羅針盤を信じずに大嵐を乗り切れる筈がないことは、全員が良く理解していた。
「お母さまが言ってたわ。作戦を考える……えーと『さんぼう』は、みんなの命をあずかることと同じだって。リーフが今とてもつらくて大変なのはわかる。でも、決めたことの結果はちゃんとみんなで受けとめるわ。それが、信じるってことだもの」
 本当は誰かれ構わず当り散らしたいぐらい悲しいはずだ。
 だがそんな感情などおくびにも出さず、友人を気遣うカリンの大人な態度は、リーフに対して心からそう思っているからこそ言えるものだった。
「分かった。全力を尽くす。……………………………………ありがとう」
 最後に付け加えられたリーフの一言は、注意しなければ聞き取れないほど小声だった。
「んじゃ改めてしゅっぱーつ。……あ。そういや聞いてなかったけど、メルルはリーフの立てる作戦ってどー思ってるの?」
「お姉ちゃん……」
 ポンと手をうち、今更すぎるずれた質問をするベルに、リリーが困ったように額を押さえカリンも苦笑いする。
「……むー。ベルちゃんのばか」
 頬を膨らませ妹の手を取ると、メルルは問いかけを無視してずんずん先へ進んでいってしまった。
「あ、あれ? ボクなんか変なこと言った?」
「ベルはにぶいわね。あんなこと聞いたら、メルルもむくれちゃうわよ」
「うん。あれはメルルちゃん怒ると思う」
 二人から突っこまれながら、三人は後を追いかける。 
『そんなの言うまでもないじゃない! リーフのことを私が信じないわけないでしょ! リーフとだったら、私はいつだっていっしょに死ぬかくごできてるもんっ!』
『姉さん。テレパシーでも恥ずかしいからやめて……』
 当然すぎることを素で聞かれぶんむくれるメルルだが、手を繋いだままなのでリーフには丸聞こえである。
 それ以降もメルルのリーフに対する愛情だだ漏れのテレパシーが続き、リーフは顔を赤らめ手を離す。
『……ありがとう、姉さん』
 メルルは意識していなかったが、他の友達と自分とのやり取りに対してメルルが嫉妬していたのも同時に感じ取り、リーフはそっとそう心で呟いた。

******

 軽く一悶着はあったものの、昼を過ぎ陽射しが大分柔らかくなって来た頃、五人は目的地である大淫魔の住む洞窟の側まで辿り着いていた。
「渡された地図では、この辺りにあるはず」
 リーフが、持ってる杖で周囲をグルッと指し示すがすぐには見当たらない。
 だがそれも当然で、よっぽど自分の力に自信があるのでもなければ、淫魔は簡単に見つけられるような場所に住処を作らないのが普通だ。動物の巣と同じである。
「ええっと……どこかわかるお姉ちゃん?」
 早々に自分で探すのを諦めたリリーが、きょろきょろと周囲を見渡すベルに尋ねるが、見つからないのか渋い顔で眉根を寄せている。
「う〜ん、ちょっとパッと見た感じじゃそれっぽいのみつかんないなー。ねえ、シュガーはなんか見える?」
 ところが、つい無意識にシュガーの名前が口から突いて出て、周囲の空気が凍った。
「…………あ、ぅ。ごめん、まちがえた! みんなはここで休んでてっ、ボクその辺みてくるから!!」
 パタパタと足音を鳴らして駆け出すベルを、複雑な表情で見送る。
 だがベルが思わずシュガーを呼んでしまったのも無理はない。それはシュガーの目の良さを知っているからこそ、出た言葉なのだから。
「カリン、今のは」
「だいじょうぶ、分かってる」
 俯くカリンを気遣ってフォローしようとしたリーフの言葉を途中で遮る。
「シュガーの力を信じているから、ベルはついあの子の名前をいったんでしょう。向こうに帰るまで、わたしはもう泣いたりしないわ。安心して」
 落ち着いているカリンの様子に、その場の全員がホッと安堵した。
 かくてベルが戻ってくるまでの間ゆっくり座って待つ事で纏まり、固まった空気がゆっくりと流れていく。
『カリンちゃんって本当に、私たちと同い年なのかな。これだけ取りみださないでいられるのって、ほんとうすごいと思う』
『……ん』
 ベルが戻ってくるまでただ座って待っているのも手持ち無沙汰なのか、隣にいるリーフの手を握り、テレパシーを使って軽く言葉を交わすメルル。
 けれどふと、メルルが何げない小さな違和感に気がついた。
『あ、れ。……ねえリーフ』
『姉さん。別に念話じゃなくても普通に喋ってくれて構わないけど……』
『カリンちゃん、さっき【もう】泣かないって言ってた、よね』
『…………あ』
 それはともすれば、聞き流してしまいそうな言葉。
 だがシュガーの死から今まで、カリンが涙を流している姿は二人とも見た覚えはない。
 
 二人がそんなテレパシーを送っている傍らで、リリーは一人、自分だけが知っている昨夜の光景を思い出し、膝を抱えるように暗い顔で俯いていた。

――【六日目午前二時過ぎ】――

「くしゅん。……ふぇ」
 その日、真夜中の肌寒い風が皮膚を突っつき、くしゃみと共にリリーは目が覚めた。
 淫魔にとって、夜は気分の昂揚する自分達の時間である……はずなのだが。とても稀有なことにリリーは夜が怖かったりする。
 闇から背を向けるように、縮こまって丸まり寝なおそうとしたが、変な時間に起きたせいか中々眠れない。
 それどころか困った事に、やがて尿意が頭をもたげてくる始末。
「ふぇえ……」
 なんとも情けない声と共に、泣きべそをかくリリー。
 人間の幼子であれば、丑三つ時の真夜中に一人でトイレに行くのが怖いのも分からないではないが、リリーは淫魔なのだ。
 カナヅチの河童、変化の出来ない狐、人間に驚かされる幽霊ぐらい、夜の闇が怖い淫魔というのは色々と問題である。
『トイレぐらいちゃんと一人で行きなさいリリー、夜が怖いなんて恥ずかしいわよ』
『うに……なにさリリー。え? といれぇ!? やだよ、ひとりで行っといでー』
 優しい母もベルも、こればっかりは流石にどうかと思っているのか、6歳ぐらいからは完全に、幾ら頼んでもすげなく突っぱねられてばかり。
 そのせいか寝る前には必ず用を足すのが長年の習慣になっていたのだが、今夜ばかりは友達の死という衝撃的すぎる出来事のせいですっかり忘れていた。
「お、おねえちゃ……」
 心底情けないとは思いつつも、寝てるベルに声をかけようとして……リリーは止めた。
 シュガーの死を知ってから寝付くまでずっと泣いていた姉を起こす気には、とてもなれなかったから。
 すぐ側で泣き疲れて眠っている姉や、リーフに覆いかぶさるように抱きついて寝ているメルルを起こさないように、そっと立ち上がりその場を離れる。
「……シュガーちゃん」
 想像以上に涙の流れなかった自分がいる事に、リリーは気分が重かった。
 悲しくないのではない。現実感がないのだ。
 こんな簡単にあっさりと、友達を永遠に失ったことが。何かの間違いではないかと思ってしまうほどに。
 暗闇に負けないほど暗く沈んだ気持ちの中、ゆっくりしゃがみこみ裾をまくって用を足す。誰かが見ている訳でもないのに、ちょろちょろと可愛い音が響くのが気恥ずかしく感じていたリリー……だが。
「ひゃっ! な、なに?」
 かすかに鈍い妙な物音が聞こえ、つい腰を浮かせてしまったせいで少し足にかかってしまう。
 しかし、妙な物音がもしハンターか何かであれば寝こみを襲われれば酷い事になりかねない。涙目になりながらも、リリーは恐る恐る物音のする方向へ足を向ける。

 幸いというべきか、物音の正体はすぐに分かった。
 その日、今日だけは一人で寝たいと言って皆から離れていたカリンが。
 立ち木にしがみつくようにして。
 声を上げずに、泣いていた。

 どれだけ長い間そうしているのかは分からない。ただその時のリリーには、カリンの綺麗な青い瞳が泣き腫らして赤く見えたほどだった。
 そしてほどなく鈍い音の原因も分かる。それは握りしめた手の拳で、カリンが木の幹を何度も何度も殴っている音だったのだ。
「カリン、ちゃん……」
 幾ら淫魔は傷つかないと言っても、こんな事をすれば痛いに決まっている。
 だがリリーには止めることは出来なかった。
 手の痛みなど比較にならない程の心の激痛に悶え苦しんでいる友達に、かける言葉を何も持っていなかったから。
 唯一出来る事は、気づかれないよう黙ってこの場を離れることだけだった。 
 
 それから。横になったリリーは、ようやく友達の死を実感し。
 寝つくまで涙が零れて止まらなかった。

■■■■■■

『おーい見つかったよー! みんな、こっちこっち!』
 だが、それぞれの思考はベルの大声で打ち切られる。
 声のする方に皆が向かうと、陽の影になっている岩肌をベルが指差した。
「あれだよあれ。遠くから見たときは、ただの影だとおもったのに」
 近づいて見ると、背の高い大柄の男ならば軽く屈まなければいけない程度の大きさではあったが岩肌に人が通れそうな穴が確かにある。
「見つかってよかったぁ……。でも、なんでさっき見た時は分からなかったんだろう?」
 首を傾げるリリーの横で、感心したようにリーフが頷く。
「入口が見え辛いのは、あの場所が昼間は太陽の影になるから。そして、夜はあれだけ小さければ目では見つけようがない。朝方だけ少し注意していれば、この場所は住処にはとても良い場所」
「つまり、それだけ住む場所をしっかり考えてる大淫魔さまだったら、頼ってもだいじょうぶってことだよね、リーフ?」
 補足するメルルの言葉に、リーフは無言だがはっきりと首を縦に振った。
「よーし、それじゃあみんないこっか! 大淫魔さま、おじゃましま〜す!」
「ま、まってよおねーちゃーん……」
「別に大淫魔さまは逃げないわよ、ベル。ゆっくりいけば良いのに」
 一番乗りとばかりにベルが足早に洞窟へと駆け出していき、他の皆が後へと続いていく……が、五人はすぐにベルに追いついた。
 入口のすぐ先でベルが突っ立っていたからだ。
「ベルちゃん、そんなずんずん先にいっちゃダメだよもう……えっ」
「一体どうしたの二人とも……!」
 少し遅れてメルルとカリンも足を止める。
 そこには、失神して気を失っている数人の女の姿があったからだ。
「淫魔化の見張りが、倒されてる!?」
 その光景を見たリーフは、一目で何があったかを見抜き血相を変えて叫んだ。
 ある程度成長し力を持った淫魔は、男は吸い尽くすが、気にいった女は自分の淫気を流しこむ事で淫魔化させ、自分の忠実な下僕として仕えさせることができる。
 ただし元が人間なため力はそこまで強くなく、淫魔と違い絶頂しても消えることはない代わりに(※ただし数ヶ月単位で淫魔化が解けないと身も心も淫魔となるため、イけば消滅して死ぬ)淫魔化が解け人間に戻ってしまうという欠点もあるのだが。
 引っくり返っている女は、まさに淫魔化の解かれた人間達だった。
 だが子供達が目の前の光景の意味を考えるより前に、耳鳴りのような空気が振動する音が響く。
「これは……テレポート?」
 術の正体を看破したリーフの言葉の直後、唐突に一匹の黒い翼を生やした全裸の淫魔が六人の前に現れた。
「はっ、はっ、はっ……あんな大勢でくるなんて……人間の、くせに……んんっ……! こんなものっ」
 お尻の奥に埋めこまれているアナルバールを引き抜き、淫魔は地面に叩きつけた。
 余程激しい性交だったのだろう。肌は紅潮し玉のような汗が全身から噴きだしている。見るからに消耗しているのが、子供達にも簡単に見て取れる。
「あ、あの……もしかして、ここに住む大淫魔さま、ですか……?」
「そうよ、それが何っ!」
「ご、ごめんなさい……」
 漆黒の翼を乱暴にはためかせ、不機嫌どころか怒りさえ感じさせる険しい表情をした大淫魔の態度に、話しかけたリリーは身体を縮こまらせた。
 だが脅える子供達を見て、大淫魔の険しい表情が少し緩む。
「ああ……あんたら、ひょっとして淫界から出てきた子供達かい? 悪いね、ちょっとばっかし気が立ってたもんだからさ……んっ」
 よっぽど激しく揉まれたのだろう。そり立った乳首に刺激を与え、大きな胸から母乳を搾り出している。
「えっと、だいじょうぶ? じゃなくてっ。大淫魔さまだいじょうぶ、ですか?」
「これが大丈夫な、ように、見えるかい……?」
 使い慣れてない敬語で言い直すベルを見やりつつ、大淫魔は首を横に振る。
 ピンク色の花びらはペニスを咥え込みすぎて赤く腫れているし、精液と愛液の交じり合った下半身は完全に大洪水状態だった。
 しかも時折、動物が水を欲しがるように舌を出して荒く呼吸するような有様だ。大丈夫どころか、ほうほうの体にしか見えない。
「用があるなら早く言って。あたいはもう、この洞窟を引き払うんだから」 
「えっ……。大淫魔さま、ここを捨ててしまわれるんですか?」
 予想外の言葉にカリンが思わず聞き返した。
 大淫魔ともなれば、並みのハンターが仮に数人がかりで襲ってきても、楽に射精させられる。そんな淫魔が住処を捨てて逃げ出すと言うのは、余程の事だ。
「あ、あのっ! わたしたち大淫魔さまを頼りたくてきたんです。狩りがたいへんで、助けてもらいたくて」
 だがカリンと異なりメルルは、引き払うという言葉に敏感に反応した。
 それはそうだ。このままいなくなられては、何の為にここまで来たか分からない。
 慌てて洞窟までやって来た目的を話そうとする……が。
「狩りの、手伝い?」
 一瞬呆気に取られたのか、大淫魔はポカンとする。
 だが、すぐに馬鹿にするような、それでいてどこか自嘲するような笑い声を上げた。
「あはははは、ムリムリ! 今のあたいに子供の面倒みてられる余裕なんかないよ。こちとら淫魔化は全部解かれるわ、仲間はみーんな滅ぼされるわで、今から一目散にここから逃げ出すんだもの」
『えっ!?』
 全員の声が綺麗に重なる。
 大淫魔が口にした事実は、とんでもない内容だった。だがそれを理解するより先に、大淫魔は覚束ない足取りで立ち上がった。
「そろそろ、あそこもおさまってきたし飛べるかね……。お前さんたちも、さっさとここから逃げた方がいいぜ、死にたくなかったらさ!」
「あっ、まって、まって下さい!」
 メルルの静止の声に構わず、大淫魔は名乗る事もなくウインクして漆黒の翼を羽ばたかせると、洞窟の出口を抜け大空へと飛び去っていった。
「大淫魔さまひどっ! ほとんどなーんも言わないで飛んでっちゃったよ!?」
「せっかくここまで来たのに……!!」
 メルルやベルは憤慨し、カリンやリリーは呆然と見送っている。だがすぐにリーフが全員を現実に引き戻した。
「皆のんびり話してる場合じゃない、今すぐ逃げる! 早く!!」
 大淫魔の言葉を注意深く聞いていたリーフには、確実に分かる事が三つある。
 一つめ。大淫魔が住処を捨てて逃げ出す程の数のハンターが、この洞窟にいる。
 二つめ。ここにいた他の淫魔は残らずハンターにイかされ消滅させられた。
 そして最後に三つめ。

         このままここにいれば間違いなく全員が死ぬ。

 やがて洞窟の奥からは、複数の足音が小さく聞こえ始める。このままでは、ハンターと鉢合わせするのは時間の問題だった。
「う、うわわわわわわ! うそでしょ!?」
「どっちでも良いからまず出ましょう、走りながらどうするか考えればいいわ」
 今は一分一秒を争う。
 出口に向かって回れ右しカリンが駆け出すと、リーフとメルルもそれに続き、最後に事態の急変についていけないリリーの手を引っ掴んでベルが洞窟から飛び出した。
「ど、どうしようリーフ、リーフ、リーフっ」
 しかし急な危機に、即座に対応できる子供ばかりな筈もない。
 特にメルルは酷く狼狽し、痛くなるほど強く手を握りしめリーフに繰り返し呼びかける。
『リーフだけだったらテレポートで今すぐ逃げられるわ! すぐリーフだけで逃げて、あとの事はお姉ちゃんたちで考え――』
「姉さん落ちついて」
『一人で生きていける訳ないよ、姉さん。それに皆から離れたくない……』
 あけすけな本音をテレパシーでストレートにぶつける姉を、リーフは心中で宥める。
 しかし双子の心の会話が他の三人に聞こえる訳はない。
「慌てないでメルル、いい方法はきっとあるわ。リーフ、あなたにしがみついてテレポートで山から降りるのって出来ないかしら」
「……ごめんカリン、全然無理。元々大した距離は飛べないし、人数が増えれば増えるほどテレポートできる距離は落ちていく」
 枝が皮膚を裂くのも無視し、山道から外れ木々の茂みを突っ切りながら先導していたカリンがそう持ちかけるが、リーフはすぐに否定した。
 リーフ一人でさえ、転移できるのは一キロ程度が精々。しかも魔女同士でない限り、二人三人と人数が増えていく毎に、飛べる距離は半分づつ落ちていく。これでは五人全員がリーフに掴まって飛べるのは五十メートル程度しかない。
 しかも体力の消耗がかなり大きく、とても連発できる魔法ではないのだ。リーフのテレポートに頼って全員が逃げ出すのは不可能だった。
「どうすんの、早くきめないとハンター出てくるってば! せめて山を下りるか登るかだけも、すぐ決めようよ!」
 リリーを連れて殿にいるベルの大声が全員の耳に届いた。
 
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<時間制限選択肢>(30秒以内)

 1.山を大急ぎで駆け下りる
→2.逆に山を駆け登る
 3.二手に別れる
 非選択.決めきれずその場に留まる
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「今から急いで下りようとしても、逃げ道をハンターが潰してると思う。登った方が良いかも、しれない。でもごめん……正しいかどうか自信がない」
「ボクさんせい! なやんでる場合じゃないもん!」
「人間があきらめていなくなってくれたら、後でゆっくり下りられるものね。わたしもいいと思う」
「うん。私もリーフちゃんにまかせるよ」
 不安げにリーフは言ったが、ベル・カリン・リリーの三人は迷うことなく賛成した。
「みんないいって言ってくれたよリーフ。登ろう?」
 本当はもっと冷静に分析をしたい所だが、悠長に悩んでいる時間はない。
 メルルが妹を促した事で、パーティーの方針は決まった。
「……分かった。それじゃ皆、円を描くように全員で手を繋いで」
「ほえ? 手をつないでどーすんの?」
「ここから一番近い崖の上にテレポートする。人間は同じ目線の気配は掴めても、上の気配は掴み辛い。急いでっ」
 意味が掴めず目をしばたかせたベルに、リーフは普段よりも心持ち早口で説明し全員を急かす。 
 慌ててそれぞれが手を繋ぎ、最後にリーフがメルルと手を繋いだ。
「ええと……輪っかを作るんだよね? でも私は……えっと」
 左手の空いているリリーが隣にいるリーフの右手を掴もうとするが、リーフの右手には小さな杖が握られている。
「リリーはローブの裾で良い。でも絶対に離さないで。……じゃあ転移する」
 困り顔のリリーがほっとしたように裾を握るのを確認してから、リーフは目を閉じ精神を集中させる。
【……………………】
 他の子には理解できない詠唱の呟きと共に、手にした杖の先端が繰り返し明滅する。
 だが、リーフと二人でテレポートした事が幾度もあるメルルだけは、普段であれば十秒あれば済むはずの詠唱が、二十秒を過ぎても続いていることに気がついた。
 リーフの頬からは玉のような大きな汗が浮かんでいる。
 魔法の才に秀でたリーフと言えども、五人纏めて飛ぶのは初めてなのだ。
『リーフ……がんばって……』
 集中を乱さないよう、メルルはただ祈る。
 やがて不意に呟きが止むと、杖の先端に点いていた光が弾けるように激しく輝く。
 一瞬の間と共に、次の瞬間五人は崖の上にいた。
「すっごい! これがテレポートなんだ、ボクこんな感覚はじめてだよ!」
「おねぇちゃん……私、頭がくらくらする……」
 興奮するベルに、目を回したリリーがもたれかかった。 
「安心してリリー。すぐにおさまるわ。テレポートはなれないと少しだけ酔う、って学校で先生が言っていたもの。……ところで、リーフは大丈夫……?」
 視線の先で、メルルに支えられるようにリーフは立っていた。
「ん……大丈夫……成功して、良かった」
 そう言うリーフの顔からは汗が滴り落ちている。
 メルルの支えがなければ、今にも倒れてしまいそうなほど消耗しているのは明白だ。
「皆、ここから動くの……はっ……もう少し待って。敵の数を確認する良い機会。見つからないように、洞窟入口の辺りを、見て、きて、欲しい」
 だが自分の体調など全く無視するかのように、リーフは必要な事を指示する。
「あ……う、うん。メルルはリーフとリリーを見ててあげてよ」
「すぐには絶対動かないわメルル、安心して」
 言われるまでもなくそのつもりだったメルルは、リーフを自分の膝の上に寝かせて小さく頷いた。その間もメルルの視線は全くリーフから外れない。
 かくて二人をメルルに任せて、ベルとカリンは二人で様子を見に行く。
 そっと崖の上から真下を見下ろした先には、凄い光景が飛びこんできた。人間達がまるで蜘蛛の子のようにわらわらと飛び出して来ていたからだ。
「うっわぁ……なんなのさ、この人数……」
「お母さまが『戦は数よカリン』って昔いってたけど……すごいわね」
「もうこれじゃ、数のぼーりょくだよ。大淫魔さまも逃げだすわけだ」
 両手の指でも数え切れない人間の姿に、カリンもベルも冷や汗を浮かべる。
「十五、十六、十七、十八……ぜんぶで二十人ぐらいかなあ?」
「いいえベル、多分もっといるわ。道を通せんぼしているハンターも含めたら、最低でも三十人はいると思う」
「あの大淫魔さま、よっぽどいっぱい人間たべてたんだねー」
 嘆息するベルとカリン。
 だが、ようやく動悸の治まったリーフに崖の上から見た状況を伝えると、リーフは露骨に顔をしかめた。
「ハンターの数はカリンの予想した位かもしれない。でも、付近の集落に動員をかけていれば、動いている人間の数は倍ぐらいいると考えた方が良い。……正直、予想していた中でも最悪に近い」
 リーフによる相手戦力の数読みは、二人よりもさらに輪をかけて辛辣だった。
「でも数に頼る以上、一昨日のような規格外のハンターはまずいないと思う」
「……ひぅっ!」
 全滅の危機に晒された時の事を思い出したのか、リリーはびくっと震えてベルにしがみついた。
 もし仮にあんなハンターが複数うろついていた日には、全員ここで仲良く昇天必至だろう。リリーが思わず脅えるのも無理はない。
 たが幸い、名の通った超一流ハンターは仲間に足を引っぱられるのを露骨に嫌う。その為か、淫女王討伐など余程の例外を除けば単独で行動する事が常だ。
 これだけ数がいる以上、個々のハンターの実力はそこまで大した物ではないというリーフの読みはほぼ間違いないだろう。
「あー、そういえばそんなこともあったね……。おとといだっけ、なんかもっとずっと前みたいに思えるや」
「私も……。人間界の十日って、こんなに、長かったんだ……」
 メルルの重い呟きに全員が黙って頷く。
 退屈な学校の授業や、母親のお説教など比較にならないほど、今の時間の流れは遥かに遅く感じる。
 もう終わって欲しい。早く家に帰りたい。
 口にこそ出さないが、それは五人の切なる願いだ。
「そろそろ動こうと思う。自分のせいで待たせてごめん」
 そんな重たい空気を追いやるように、リーフが立ち上がった。
「ムリしちゃだめだよリーフ! もう少し休んでても」
「本当に大丈夫、姉さん。急がず慌てずゆっくり登っていけばもう全然問題ない。それに動いていた方が余計な事を考えなくて済む」
 メルルに限らず他の皆も体調を気遣っていたが、ここまではっきりした態度であれば、あまり気にし過ぎてもかえって悪いと判断し、山を登り始める。
 木々の間をそろそろと登りながら時折崖下の様子を確認すると、リーフの予想通り、ハンター達は弱らせた大淫魔が、それほど遠くまで移動できないと判断したのか(※当然の判断である)半数以上が足早に山を駆け下りて行った。
「慌てて山をおりようとしていたら、多分すぐにつかまってたわね」
「うわー、こわいこと言わないでよカリン……。でもどうしよっか。いつまでもここにいる訳にもいかないけど、今夜にはおりる?」
「いいえベル、まだ早い。今日動くのは愚策。ハンターの目的が大淫魔様を滅ぼす事なら、どれだけ遅くても明日には殆ど山からいなくなる。待つのも勇気」
 これ以上どれだけ山を登っても、集落がない以上獲物はいない。出来ることならさっさと下山したいと逸るベルを、リーフが嗜めた。
「だから、今夜はここで野宿。一人見張りを立てて、一時間半経ったら交代。何かあったらすぐ全員を起こす。何もなければ早朝にそのまま降りてしまえば良い」
 人数がそれなりにいても、早朝は厳重な警戒線を張るのは難しい。まして数が減っていれば大して苦もなく下山することが出来る。
「そうなると後は、見張りの順番ぐらいかしら? とくに希望がないなら、やりたい順番をあてていけばいいとおもうけど」
「あ、あの。私からお願いがあるんだけど……うちのお姉ちゃんは、一番最初にしてあげて欲しいかなって……」
 非常に珍しいことに、リリーが率先して提案する。
「へ? なんでボクが一番さいしょなの、リリー?」
 きょとんとするベルに、しばしリリーは言い辛そうにもじもじしていた。
「だって……その……。お姉ちゃん、一度寝ちゃったら起こそうとしても……なかなか起きてくれないもん……」
「あー、言ったなリリー!! リーフ、ボクの見張りじゅんばん、一番最後にしてよ! ボクだっておきようと思えばすぱっと起きられるんだから!」
 頬をパンパンに膨らませて反論するが、リーフはジト目でベルを見やった。
「却下。リリーの考えは至極もっとも。ベルが一直目、次が自分、真ん中にカリン、四番目が姉さん、最後がリリーで行こうと思う」
『さんせーい』
「みんなひどっ!!」
 そうこうしている内に日が完全に沈む。
 心まで沈んでいかないよう、五人全員で寄り集まって耐えているが、十日試練の終わりはまだまだ遠い。
 エロシーンが今回は不足気味ですが、6日目のお届けです。
 今回はリーフの魔法に関する記述が多かったので、ここで一応『淫チャにおける魔法の設定』について軽く触れてみようかと思ったり。淫魔は剣でも魔法でも全く傷つきませんが、それは単なる利点だけでなく、同時に欠点でもあったりします。
 淫魔の能力とは【攻撃から完全に身を守れる】というよりは【暴力的な干渉から自身を切り離す】ものである、と私は考えました。
 その為、攻撃もされないがこちらから物理攻撃を仕掛ける事も出来ない、という考えです。そんな訳でリーフは所謂ファンタジーにおける【攻撃魔法】の一切を使う事ができません。リーフに限らず全ての淫魔は生物を物理的に傷つける能力がないので。 
※ただし性的に吸い殺すのは除きます。本来性交は攻撃ではありませんからね

 一方で転移や金縛りなどは直接傷をつけるような物ではないので、力さえあれば使う事が出来る、と考えています(ゲートやパラライズ、テレポートは実際に淫魔ハンターでも登場していましたね)
 なおリーフはすっげぇ魔法万能っぽく見えますがそれは大間違いで
【才能が高いので使える魔法は多いが、レベルが低いから威力や使用回数は少ない】
 という大きな欠点を抱えています(今回使ったテレポートも、もし大魔女と呼べるほど魔力が高ければWizのマロールよろしく五人抱えて下山できたかもしれません)
 
 こんな所までお読み頂きありがとうございました、七日目でまたお会いしましょう〜。

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