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夏期講習会@


「全く、やかましくてしょうがない。」
まさひろの苛立ちは日に日に増していた。千葉県にある中学生の学習塾の講師をしているが、今は
夏休み。夏期講習ともなると、普段の塾生に加えて外部からもこの期間に限り、受講生が大幅に
増える。経営する方にとってはこのチャンス逃すわけも無く、申し込みがあった生徒は、素行の
良し悪しに関係なく入塾させる。従って、中には何しに塾に来ているのか、さっぱりわからない生徒も
いる。多分、親からしてみれば、夏休みにダラダラと勉強もせずにいられたら後の受験や新学期に
響くだろうから、取敢えず、塾にでも行かせて勉強をさせようということであろう。勿論、中には真面目
に受験勉強に取り組んでいる生徒もいるが、特に、夏季限定で来ている生徒は不真面目なのが
多い。授業中にも関わらず、漫画は読むし、携帯メールをしている。それでも静かにしていれば良い
のだが、ちょっとでも油断するとお喋りが始まる。注意するとその時は大人しくなるが、すぐに話し
始める。学習塾だから無視すれば良いのだが、何もしないとますます図に乗り、煩くなる。懸命に
勉強している塾生もいるわけだから、放っておくこともできず、注意しての繰り返しだ。ストレスが溜まる
のも無理はない。

「ふ〜。しかし、大変ですね。今の中学生は。これじゃ、学校の先生も気の毒に。」
休み時間にまさひろは、同僚の講師・斎藤にそう話かけた。まさひろは主に3年生の英語を教えている。
同僚の斎藤は、同じく数学を担当している為、同じくストレスが溜まっているはずと思ったのだ。
「特に、あの女の子3人組が問題ですね。」
斎藤はそう答えた。そう、同じだ。あいつ等だ。喧しいのは。美香、唯、瑞希の同じ学校に
通う3年生だ。この夏期講習会に限り、外部から来た生徒達でいつも教室の一番後ろに陣取っている。
彼女達の周りに男子生徒もいるが、彼らはそう煩くも無い。もっぱら煩いのはこの3人組だ。
「見た目は、そう不真面目でも無いんですがね。普通の生徒って感じで。成績もとても良いですよ。」
と数学の小テストの結果をまさひろに見せた。まさひろは少々、驚いた。抜き打ちでやったテストで
あるが、クラスのトップ3だそうだ。特に、美香は100点満点だった。とても勉強しているとは思えないの
だが、点数が良いわけだから学校や家ではちゃんと勉強しているのだろうか?
「同じ学校の生徒に聞いたのですが、彼女たちは学校でも常にトップ3らしいですよ。素行の方は一緒
みたいですが。勉強できるものだから、学校の先生も注意せず、野放し状態って話ですよ。」
まさひろは、少々、憤りを感じると共に、一緒に勉強している真面目な生徒達を哀れに思った。世の中
不公平に出来ているものだ。まさひろが中学生の頃から勉強しないでも出来る奴は、本当に出来る。
だが、そういう奴に限って人の妨害になるようなことはしなかったものだ。だが、彼女達は違う。わが世
の春を楽しむかのような奔放さで、人の迷惑など考えている素振りも無い。そういう態度に憤りを
感じているのだ。

「先生。ちょっと良いですか?」
夏期講習会も中盤の折り返しの時期、まさひろが講師控え室で休憩をしていると、休み時間に後ろの
方で声がした。振り返ると例の3人組だった。ドアの向こうに3人立ってこちらを見ている。一番前には
3人のリーダー格のような美香がいる。相変わらず、授業中の素行の悪さは変わっていないので、
まさひろの心の中には彼女たちへの怒りしかなかった。
「何か用があるなら、入って来なさい。」
冷たい感じで、まさひろが言うと、
「失礼しま〜す。」
ニヤニヤ笑いながら、3人が入って来た。その仕草一つを取っても、目上の人間に対する敬意とか畏怖
みたなものは、微塵も感じ取ることが出来ない。まさひろは不愉快な気分になっていた。
「先生、この問題、よくわかんないんだけど。」
と、リーダー格の美香が切り出した。意外であった。まさか、彼女達が質問をするとは。流石に無視する
わけにもいかず、まさひろは美香が指している問題集を眺めた。
「有名私立某高校の入試問題か。」
中学生の問題とは思えないほどの難問で、一瞬、焦ったまさひろであったが、暫く考え込むと答えが
頭に浮かんだ。そして、彼女たちに回答を導き出す考え方や文法・語彙等の説明をしてやり、最後に
回答を書いた。勿論、正解である。彼女達は回答集で確認すると驚いた表情で、
「へ〜。伊達に塾の講師してるんじゃないじゃん。かっこ良い!」
美香は今までに見せたことの無い笑顔でそう言った。まさひろは、ちょっと癪に障ったが、意外な一面を
発見した新鮮さと彼女達の明るい表情を見て、不思議と憤りは無くなっていた。まだ、中学生、幼なさ
もいたるところに残っており、こう見ると純粋さも感じられる。と同時に、1点、あることが脳裏に浮んだ。
「君たちはいつも、このような難しい問題をやっているの?」
「うん。このレベルの問題やら無いと、志望校へ入れないから。」
3人の中で一番、背の小さい唯がはにかみながらそう言った。聞けば、3人とも某有名私立女子高校を
志望していると言う。それでは、今の授業のレベルではとても合うまい。もっと難しい勉強をしないと。
「俺の授業、退屈かな?」
まさひろは思い切って聞いてみた。3人とも首を縦にちょっと頷いた。少なくとも、学校の授業よりは高い
レベルの受験勉強を教えているつもりであったが、それでも彼女たちにとっては、はっきりと不十分だ。
まさひろのその心を察したのか、美香が、
「先生。居残りの補習をしてくれない?みんなが帰った後で、特別補習を。」
まさひろは少し迷った。確かに彼女たちの実力であれば、普段の授業など受けてもしょうがない訳
だから、何しに塾に来ているのかわからない。別のことを特別に教えてやりたい気もある。だが、ここは
学校ではないのだから、彼女たちだけに特別補習などしたら他の生徒の手前、まずいことになる。
「気持ちはわかった。ちょっと、塾長に相談してみるよ。」
まさひろは、そう言って、後日、塾長に実情を話すことにした。不思議なのは、あれだけ彼女たちを
煩わしく思っていたのに、何故か、今となっては彼女たちの為に動こうとしている。まさひろは一人、
苦笑しながら、自分の責任感の強さみたいなものに満足していた。

                              続く

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