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りばーしぶる

 ――時はXXXX年

 世界のどこかから突如として現れた、淫魔という名の生命体。
 武器を持たず、武器が通じず、美しい女の姿を以って男の精を喰らい尽くし、女は同族に引き入れる。
 そんな未知の災厄に抵抗する事もままならず、その日を境に世界は変貌を余儀なくされた。

 影と夜とが淫蕩な危険となって襲い掛かる。
 幾つもの都市が外から、あるいは内部から乗っ取られて機能を停止し、連れ去られた男は淫魔の力に、女は直接敵になる。
 人類は彼女らに滅ぼされてしまうのだろうか?



 否!



 そんな非常識な連中と、これまた非常識なやり方で戦う者たちがいた。
 己の肉体と精神を駆使して戦い続ける、彼らの名は淫魔ハンター!



 人類が未曾有の危機を迎えてから数え切れない月日が経った。
 しかしそれでも、彼らと淫魔たちの戦いはいまなお続いている。




 ……この話は、そんなすんごい淫魔ハンター達になるかもしれない、ちょっぴし未熟な彼らの日常である。















 ばちん、と。

 不意にオレンジ色の光が暗闇に差し込んで、不明瞭だった空間に、徐々に色が、風景が浮かび上がっていく。
 真昼間の太陽よりも一、二段階落ちる、仄暗さは感じないがさりとて眩しさを感じる事もない、半端な電灯の光が、周囲を悉く明らかにする。

 もっとも悉くといっても、映し出されたのはせいぜい、巨大な正方形のマットくらいしかなかった。
 それが中央に配置してある、ただただ殺風景な部屋である。
 しかしやや縦に大きく取られたその部屋の上側部分は、取り囲むように並べられた透明なガラス張りで覆われていて、そのさらに外には帯状になったもう一つの部屋が見える。
 天井もあるし、何より部屋と外周部の間には強固な隔たりがあるが、それはいわゆるコロシアムのような印象にも似ていた。
 一見して見世物の為と見えなくもない作りである。そしてそれは半分間違っていないとも言えなかった。

 廊下のようにも見える外周部では、間もなくガラス越しに見える部屋で始まる出来事を見るためか、既に少なくはない人が集まっていた。
 観戦の為か、何らかの活動の為か、それとも単に話の種にするためか。
 ばらばらの目的で集まった彼らの声が混じって、判別できない雑談の群れがざわざわと部屋中に篭っていた。
 そんな喧噪も、合図を知らせる高い音と共に窓枠の上にある緑色のランプが点灯すると、水を打った波紋が収まるかのように急速に鳴りを潜め、やがて辺りには虫の音のような囁きが聞こえるのみとなった。
 とはいえ僅かな囁きも、防音設備によって中にある部屋にまで届くような事はないのだが。

 独特の緊張感が支配する中、間もなく姿を現した一組の男女がそれぞれ足取りもばらばらに中央に、そこにあるマットへと進んでいく。
 女性はある意味これからの行為に不釣り合いとも言えるほどの堂々とした足取りで先を行き、それに対して男性は一歩遅れてその後ろから現れると、駆け足気味にその後に続いていった。
 その様子は、片方が片方を先導しているようにも見えた。――どちらがどちらであるかは、言うまでもない。

 微かな囁き声すらも通さない、静謐な空間の中で二人が向かい合うと、二人の緊迫した空気が防音窓越しに僅かなりとも伝染したのか、一瞬だけ傍観者達にも緊張感が走る。

「それでは――」

 ざりざり、と部屋の隅から掠れた電子音が漏れると、機械越しに響くやや間延びした声が、試合の始まりを告げようとしていた。


「一年アルと一年リディアの両名は速やかにマットに上がってください。2分以内に開始の合図を行います」


 少し離れて談話していた者、壁に背中を預けて喉を潤していた者が、試合開始間もなくの合図を受けてばらばらと窓の傍に近寄り、或いは部屋の端で鮮明な映像を映し出す画面を覗き込み始める。
 暫くすると、二人を見下ろす事ができる窓は様々な視線でいっぱいになった。
 真剣な眼差しをしているもの、欠伸混じりに見ているもの、頬を緩ませているもの。
 そんな多様な視線に見下ろされた二人はといえば、既に白いマットに上がっていた。
 既に控え室で着衣を脱ぎ去り、二人は生まれたままの姿を晒している。

 アル――そう呼ばれた男性は、足元を確かめるように何度も踵と爪先でマットを踏みしめていた。
 何処となく愛嬌を感じさせる丸いブラウンの瞳と短く切り揃えた同じ色の髪、男にしてはやや華奢に見える身体。それは落ち着かないようにも見える仕草と合わせてどちらかというと可愛らしさを感じさせる。
 暫くするとようやく足元の懸念が終わったのか、それとも気持ちが落ち着いたのか、アルは目の前の対戦相手に目をやり、一瞬眩しさに目を細めた。

 リディアと呼ばれた女生徒の、その揺れる長い金髪が電灯の光を照り返していていたが、アルが眩しいと感じたのはそれだけの為ではなかっただろう。
 切れ長の青い瞳と端正な顔立ち。微妙に俯いた彼女は思い悩んだように溜息を吐いており、それが人形とも怜悧な印象とも受け取られない彼女に確かな生身を与えていて、彼には却って魅力的に見えた。
 左手で僅かに隠された乳房は特別大きくはないが、軽く抑えた腕にまるで寄りかかるように形を変えた膨らみが、女性らしい柔らかさを主張している。
 そして均整の取れた身体を文字通り支えるかのような長い脚。すらりと伸びた長い脚は無駄がなく、その先の付け根にある部分もまた魅力的に映し出していた。
 暫くするとアルのじっと見ていた視線に気づいたのか、それとも心の整理がついたのか、彼女も視線を上げる。
 二人の視線が微妙にななめ向きに交錯して、アルは慌てて視線を、その青い瞳に向けた。

「よろしくお願いしますね」
「ぁ、よろしくお願いします」

 リディアが軽く礼をすると、それと同時に自然と目尻が下がった。その様子に不思議と胸が高鳴って、アルは僅かにつっかえながらも言葉を返す。
 言葉自体は試合が始まる前の定型文のようなものだったが、その印象はお互いにとって責めるべき相手を印象付ける。
 二人の間に独特の緊張感が流れ、後は言葉もなく、来るべき時を待つまでとなった。
 間もなく試合が、始まる。
 アルの足がじりじりと動き、胸を静かに上下させているリディアの頬は、これからする行為のためか、単に興奮の為か、いつの間にか軽く朱が差していた。


――はじめ!


 鋭い声での開始の合図が二人の間に流れる空気を断ち切った。
 緊張感は振り切れ、二人を巻き込む欲望の渦が、確かに流れ始めたのだった。
 二段階目から三段階目へ。確かにその時、空気は変わったのだ。
 しかし。

「……」
「……」

 動かない。
 動かない。凍りついたように、ではない。足元、息遣い、それらは確かに熱を持っていて、行為の最中である事を示していた。
 しかし、二人は依然として向かい合ったままである。
 お互いに様子を見てこうなる事が稀にあるが、それと違うのは、お互いに牽制の気配すらないという事だった。
 リディアは開始の合図が掛けられた、左腕で僅かに胸を隠したような態勢のまま、じいとアルの方を見つめるばかりでまるで動かない。かといって胸を弾ませて魅了するわけでもなく、唇を妖艶に舐めてみるわけでもない。
 見る人によってはいっそふてぶてしいくらいの不動ぶりだった。それでも彼女をミステリチックな印象に仕立てあげてしまうのは、彼女の持つ美貌の成せる業だろうか。
 対するアルはといえば、こちらも特に前進するわけでもなく、後退するわけでもなく、かといって口で揺さぶりをかけるわけでもなく、やはりまるで動かない。
 ただ違うのは、リディアと違ってアルの場合は左足を一歩下げて、若干つんのめるような姿勢になっていた事だった。
 突っ込んでくる事を予想しているための行動であったが、完全に空振りである。
 しかし、だからといって裏をかかれたというわけでもない。
 アルは状況の不可解さに無数のクエスチョンマークを脳内で浮かべながら、しかし積極的な行動に移す事ができないでいた。

「……えっと……」
「何か?」
「……いや、あの……何でも」

 状況を打開するためだろうか、アルが絞り出したように掛けた声は存外素気無く返されて、消沈してしまう。
 アルはむしろ自分がおかしいのではないかと、混乱し始めてしまう有様であった。
 試合が始まっていると思ったら、実は始まっていなかった。そんな状態がいつまでも続く。
 そんな中でも天井からの電光は相変わらず二人の身体を隠す事なく真っ白い光で照らし、時間でも動かない影を形作っていた。
 しかしそれでも影を動かしたのは、やはり時間に他ならなかった。

「それでは、」

 微妙に弛緩したような空気を感じられるようにすらなった頃、マットの上に映し出された黒い輪郭の片方が、緩やかに動きを見せる。

「そろそろ、始めましょうか」
「え? ああ、えっと……はい」

 まるで勝負が今始まったかのようなおかしくはないがある意味でおかしい台詞に、困惑したような声が応える。
 一体何だったのか。正確に言い表せる人間はいなかったが、とにかく当人達による二度目の宣言によって、今度こそ勝負が始まった。
 ただ、一度目と違う点があるとすれば、一歩前に踏み出すリディアの表情が、若干柔らかくなった事かもしれない。
 尤も、それに気付くことができる人間はこの場にはいなかったけれど。

「行きますわよ?」

 鳥が翼を広げるようにして、胸を軽く隠すようにしていた左腕を大きく開き、一歩距離が縮まる。
 隠されていながらも存在感があったそれは、覆いを失うと、まるでぷるんという擬音を鳴らすかのように一度弾んで、激しく男性を揺さぶった。
 二つの膨らみは彼女の他の部分に負けず劣らず完成された均整を保っていて、正面の――アルの側から、下乳の艶めかしい曲線までうっすらと見て取れる。
 男を誘うような淫らさ、いやらしさはないが、ごく自然に視線を引き付けてしまうような美しさ。
 リディアはそれを惜しげもなく晒しながら、両腕を開いて抱き留めるような態勢のままゆっくりと距離を詰める。いや、迫る。

「……」

 距離だけではない。
 猶予を与えるかのように一歩一歩マットを踏みしめる彼女が迫っているのは、選択に他ならなかった。
 正面からの抱擁に応じるのか、応じないのか。
 攻め手を他に探せば有利が取れるかもしれないが、彼女も無防備ではない。応じないその時は、広げられた翼が瞬時に鉤となって獲物を捕えようとするだろう。
 どちらを取るか。しかしこういった行動を取られた時点で、アルの中ではもう答えが決まっていたのかもしれない。

「行きます……!」

 裂帛の気合――と言うまでには及ばないが、自身を奮い立たせるには十分の掛け声。
 リディアの左足がマットを離れた直後、誘う相手に受けて立ったアルの足先がマットを蹴っていた。
 二人の距離が一気に縮まり、二つの影が混じり合う。
 その勢いを急速に緩めながら、そのままアルの唇がリディアのそれに押し付けられ、二人の間に、人知れず舌と唇が鳴らす粘膜の音が響く。

「んんっ……」
「……ん、ちゅ……」

 一度目の触れ合うようなキスは終わり、既に二度目になるキスが再開されていた。
 アルがリディアの後頭部を撫でるように優しく抑え、積極的に唇を重ねていく。小さめの手のひらの中で金色がさらさらと零れて、アルに心地よい手応えを与えていた。
 不意を突かれるような形になった一度目の後も特に抵抗するような事もせず、リディアはキスを受け入れる。

「ん、んっ……」

 息継ぎを挟みながらも、何度も何度も二人は唇を合わせ、それに伴ってお互いにくちくちと食むような水音と、熱っぽい吐息が漏れ出る。
 キス自体には抵抗しないリディアだったが、舌を積極的に絡めようとはせず、またその口内の奥をアルの舌には決して舐らせようとはしない。
 アルは彼女を逃がさないようにさりげなく腰にも手を回しながら、彼女の濡れた唇を、或いは白い歯の根元を舐り、その堅守を開かせようと躍起になっていた。
 執拗に何度も忍び込み、しゃぶってくるアルの舌に、否応なしに情欲が炙られてリディアの頬が紅潮し始める。
 ゆっくりと、ゆっくりと、追撃に屈するようにして彼女の守りは崩されつつあった。
 ちゅく……と、粘液が引き伸ばされるような音がした。

「ぁっ」

 次の瞬間、微かに息を漏らしていたのはアルの方だった。
 驚きと快楽の半分ずつが、彼の表情をしかめさせる。気付けば密着した下半身の、彼の凶暴な部分に柔らかく滑らかな指が絡みついていた。
 言うまでもなく、リディアのそれに他ならない。
 空いた右手が接近した二人の間に滑り込み、既に興奮で起き上がったものに絡みついて、キスを執拗に行うアル自身に淫らないたずらをしていた。

「うっ……」

 くす。
 慈しむような嘲るような微笑が、リディアから微かに、しかしはっきりと漏れて聞こえていた。
 触れる指先は、いつの間にかアルの先端から漏れ出ていた粘液を掬い取ると、根元の部分からなぞるようにして刺激してくる。
 直接的でもどかしい触れ方に、欲望の炎が煽られてじりじりと燃え広がるように、彼の身体を熱が蝕んでいく。
 亀頭まで辿りついた指の二本が、段差を引っかけるようにして擦り、残りの指に膨らんだ先を可愛がられると、とくとくと快感と、声にならない声とがアルから零れ落ちた。

「んむ……んっ……」

 当然アルも黙ってはいない。
 震えるように送り込まれてくる快感を振り切って、彼は再びリディアの唇に吸い付いた。
 腰に回した手が、ぴくりと震える引き締まったお尻を揉み込み、背伸び気味に体重を預けながら唇を押し当てて、一層深いキスをする。
 預けるというよりもはや押し倒しに行っているかのような行動に、リディアの僅かに引いた後ろ足が乗せられた体重でマットに沈み込む。

「んん……ちゅ、れろ……」
「ん、ふ……んっ……!」

 再三のように唇の間から忍び込んだアルの舌がリディアの唇の裏側を味わい、独特の感触の歯茎を舐る。唾液が混ざりながら、どちらからともなく唇から溢れて、鈍い光を湛えながら下っていった。
 執拗な舌技による興奮の為か、至近距離で感じる熱に酔っているのか両方なのか、リディアの吐息は紅く染まった頬同然に熱かった。喉の奥から快感が漏れ出て、壁が崩れ落ちようとしている。
 それでも瞳は恍惚としてはおらず、その奥に怜悧な輝きの一筋を湛えているのは流石と言えるのかもしれない。
 リディアの手も視界外でありながらアルの男根をしっかり捉えているが、やはり態勢のせいか、アルの動きを止めるに至らない。
 そうこうしているうちに、優劣の天秤がゆっくり傾いていくかのように状況が変化しようとしていた。

「んんくっ……じゅる、んっ……!」

 下半身と上半身。
 お互いに違う部分で攻勢と防戦を繰り返していたが、とうとうその均衡が崩れかけていた。
 呼吸だけすれば即貪りつくようなアルの執拗な舌と、形のいい尻をさりげなく揉む手が、リディアの喉から快楽をせり上がらせる。
 それはもう歯と歯の隙間から流れて、彼の舌へと唾液交じりに色付いた吐息を感じさせる程にまでなっていた。
 さして時間も経たず、予兆のようにリディアの瞳が揺れ――そしてとうとう、唇を押し付け合ったままに彼女の息は零れ落ちる。
 それは同時にリディアの、アルに対しての忍耐が限界に達した事を示していた。
 間髪入れず、待ちに待った陥落に歓喜するように、今まで執拗に攻撃していたアルの舌がリディアの口内の奥へと滑り込む。
 そして――

「んんんっ……!?」

 ――捕まった。

「じゅる、んん、んっ……ふ」
「は、んんっ……!」

 アルが待ちに待った機会に勇んで奥へと滑り込んだ瞬間、待ち侘びたかのように伸びてきた艶めかしい何かに巻き込まれる。
 それは間違いなく、責められていたリディアの舌に他ならなかった。
 状況を飲み込めずに一瞬強張ったアルの身体を、その舌に、彼女の唾液をたっぷりと含んだ舌が絡みつき、擦りあげる。
 彼女の領域に引きずり込まれ、唇で柔らかく挟み込まれ、奥でたっぷりと舐めしゃぶられ、揉み解される。
 お互いの舌を使ったキスは今までと比較にならないほどの粘っこい音を立てて、無機質な部屋に響く。
 拘束を解かれ、お互いの舌が離れる頃には、既にアルの丸い瞳は情欲に潤んでいた。リディアの唇からずるると引きずり出された舌から、大粒の唾液が零れ落ちる。

「んぐ、はぁっ……!」
「ん、ふふ……いかがでした?」

 趨勢は明らかに反転していた。
 カウンター気味にたっぷりと舌技を叩き込まれたアルの膝は力を失い始め、腕の拘束が緩む。なまじ体重を預けていた為に逃げる事もまともに出来なかった。
 目を白黒させる彼の目の前で、リディアの笑顔が宝石のように煌めいて――それが一瞬で、唇を釣り上げた挑発的な表情に取って代わられた。
 硬度を増したアルのペニスが彼女の白い肌にめり込み、滑る。
 鈍い快感に怯んでアルは一瞬下半身に注意をやるが、接吻の前に責めていた彼女の手はもうそこを狙ってはいなかった。

「では、お返しをさせてもらいますわよ」

 リディアの両手が素早くアルの両頬を挟み込み、ちょうど耳を塞ぐような形で抑える。
 そして次の瞬間には、退くことも許さないままに、今度はリディアの方から顔が重ねられていた。

「こうすると、んっ……ふふ、ぁふっ……」
「んく……ぁ、うっ……」

 既に唾液でまみれた唇同士が触れたと同時にちろりと唇の外側を舐めたかと思うと、そのまま思い切り吸い付いた。
 今度は逆の立場。
 その立場を存分に満喫するかのように、リディアの舌がアルの口内に侵入し、所構わず舐め上げる。
 抵抗しようとするアルの舌は暫く彼女のそれと押し合いを続けていたが、やがて根負けしたようにしてあっさりと絡め取られた。

「ん、じゅるっ……んむ、ちゅうっ……」
「ん、んくっ……!」

 添えられた手によって耳を塞がれたアルは、口内で起こっている秘め事が、まるで頭の中で反響しているかのように深く感じ取ってしまう。
 二人分の乱れる息遣いと、唾液まみれの舌戦と。耳を閉じた為に、何もかもが身体の内側を通すようにして直接響いてくるのだった。
 それを分かっているのだろう彼女は、彼の舌に絡みつき可愛らしく甚振りながら、さらに強く吸い付いていく……!

「じゅ、るっ……ん、ちゅ、るる、るるるっ……!」
「んぐ、ふっ……ん、んーっ!」

 それだけで音がするのではないかと思うほどに強く、深く唇で吸い付き、一方で口内では水音を立てるようにして舌を貪り味わう。
 火傷するのではないかと勘違いするほどの熱く、甘い吐息が漏れ出して、互い違いに交換される。
 深く吸い付くリディアは自然と被さるような態勢になり、既に完全に屹立したモノが、より強くその肌に押し付けられ、にゅるりと滑る。
 さらさらとした金髪が肩や腕を優しくくすぐる。
 形のいい胸が密着した身体同士に挟まれて反発し、柔らかさと張りとが彼の身体にその存在感を直接訴えてくる。その先にある柔らかい、小さい、しかし押し付けられる胸と比べての確かな硬さを感じてしまう。
 どろどろの口内で快感が撹拌されて、閉じられた聴覚によってそれが増幅され、淫らな音と、口内を激しく啜られる感触とで頭の中が一杯になる。
 恍惚としたまま碌に抵抗できないアルの揺れる視界の前では、まるで恋人同士のそれのようにぴったりと上品に瞳を閉じたまま、しかし淫らな口付けを続けていた。

「むぅ……ん、ふ、ちゅく、ん……」

 かき回されるような水音と、唇同士が深く沈んでいく吸音。
 それがだんだんと深くなっていくにつれて、リディアの閉じた瞳が満足するかのように優しげになり、アルは瞳を潤ませて視線が定まらなくなり、手足の先がくにゃりと脱力し始める。
 深くなればなるほどアルが力を失っていく様子は、キスをし続けるだけ、際限なく体力を吸い取られていくかのようだった。
 始めは対等に抱き合っていたはずの二人の態勢は既に、崩れかけているアルの顔をリディアが支え、ほとんど上から唇を落とすような姿になっていた。

「ん……じゅ、る。……ふふ、どうでした? 耳を塞がれたままのキスというのは、また違った良さがありますわね」
「く、ぁっ……あう、ううっ……!」

 ようやく執拗な唇が離れ、赤みがかった艶めかしい舌が離れていった頃には、アルはリディアのその問い掛けに小さな呻き声で返すのが精一杯だった。
 全身の感覚器官が快楽で麻痺してしまったかのように、まともに働かない。
 それでも膝から倒れてしまわないのはさすがと言っても良かったのかもしれないが。

「口もまともに聞けませんか?」
 
 彼女はわずかに屈んで彼の表情を窺うと、口元を綻ばせながら、僅かに苦笑したようにその柳眉を緩やかに曲げた。
 それだけでは優勢が決まる事は少ないキス。そのキスによる勝負で、一瞬の隙を突きながらも正面から捻じ伏せた。
 その表情には彼女の自分に対する自信に裏付けられた慈悲と蔑みが同居しているようで、アルは恥辱的な感情を味わわざるを得なかった。

「そ、そんな事ないっ」

 しかし当然、それだけではまだ、この時間は終わらないのだ。

「そう。では、そろそろ私も直接してあげますわ」

 さり気なくアルが彼女の淫唇に差し出そうとしていた腕が、彼女の左手に掴まれる。
 攻め手を掴まれた事と、彼女の鋭い掴み方にアルがあっと驚いた声をあげている間に、状況が三段階は先へと進んでいた。
 リディアの左手が彼の右腕を脇に仕舞うかのように引き込み、その足が逆方向に踏み出す。
 その行動に対して、触れ合っている何かが動いたという反射以上の何かをアルは感じた。頭の中で警鐘が鳴り、反射的に、そして経験的にその動きを潰そうとする。
 しかし。

「ああっ……!」

 しかしそう考えても身体が追い付かない。ディープキスで蕩けさせられたばかりの感覚では反応鈍く、ささやかな抵抗はあっさり抑え込まれる。
 そのまま躍るように彼の背中側で半回転すると、背中にぴったりとその身体が密着し、引き込んだ左手がそのまま翻るようにしてアルを抱き込んだ。
 鮮やかな背後への位置取りに、アルはあたふたするしかない。

「先程はちゃんと出来なかったですものね。今度は存分にしてあげますわ」

 そして後ろを取られたアルの、その下半身から突き出したモノが、今度こそしっかりとその手に握られた。
 その右手の嫋やかな指が添えられ、上下して、無抵抗の欲望の塊を嬲り始める。

「あら、もうこんなに粘ついたものが垂れてきていて……」

 正面から密着している間、押し付けられるようにしてリディアの身体を味わっていたその肉棒は、既に自分自身を持ち上げていた。
 その先から下部にまで既にこぼれ始めているぬらぬらとした汁を、リディアは指先で掬い取り、指先でにちにちと捏ねるように擦りあわせてから、再び亀頭に手ずから塗り込む。
 敏感な先端を丁寧に指で弄られ、押し包まれて、思わずといった風にアルの喉から空気が吐き出された。

「ふぐっ……!」
「私とのキスは、そんなに興奮されたのですか?」

 実際にはリディアのしなやかな足の付け根もぬらりとした光が見つけられるのだが、アルの身体からとくりと漏れ出すそれに比べれば差は歴然だった。
 そもそも背後を取られているアルには、そんな事を知ることすらできないのだが。

「自分から仕掛けておいて、たっぷり虐められてしまったキス……」

 耳元へ寄せられた口にからかうような言葉でなじられ、吹きかけられる吐息と、肌をくすぐる金髪とに、アルは神経を撫でられているような錯覚を起こす。
 そしてこそばゆいようなそれらの刺激が、いっそう逸物に与えられる快楽を増幅していく。
 五本の指で挟まれ、つつかれ、時に先端を指の腹で抑え付けられ、ぬるりと滑る。吸い付くような手のひらと一緒に包まれ、上下に扱かれる。
 決して激しい手の動きではないが、感じる部分を無駄なく抑えるような流れる正確な動作が、無駄なくアルを追い詰めていた。

ぁっ、ぁっ。

 漏れ聞こえてくる声に、鼻から抜けるような甘いものが混じり始める。裏筋をつつとなぞられ、震える身体がリディアにしっかりと抱き留められる。
 拘束がほどけない焦りと、下半身から流れ込んでくる快楽と、耳元で囁かれる恥辱が相俟ってアルは逃げ道をほとんど失っていた。
 後は体格負けしていない事を考えて強引にでも前に倒れたりして突破口を開く方法があるが、リディアはそれを追い切れる自信があった。
 むしろ、袋小路に追い詰める事のできる好機になる。彼女はそう考えていた。
 もっとも、このままでも同じことだろう。要するにアルは、既に絶対的に不利な状態なのである。

「そんなに身を捩らせて……私の胸は、気持ちよくありませんの?」

 身悶えする彼の身体を抑えて、左手と身体とで強く挟み込むと、豊かな脂肪がまるで弾けるようにしてアルの背中で躍った。
 真後ろにどうしようもない幸福な存在感が形を変えながら押し付けられて仰け反り気味になった彼のペニスが扱かれ、再び悶える。
 背後にいるリディアの動作一つ一つに反応して身体を硬直させる様は、まるで操り人形のように見えなくもなかった。

「確かに、貴方が想像するほど大きくはないですけれど。貴方のそれを挟めるぐらいには……ありますのよ?」
「そんな事言ってっ……!」
「私のこれ、押し付けて……手で扱いて。贅沢させてあげますから、気持ち良くなってしまいなさい」

 背中を意識させられながら、前への正確な責めは継続されている。既に先走り汁でべとべとになった右手が、影絵を作るように優雅に捻り、カリ首の下を刺激していた。
 たまらず喘ぐアルは、上り詰めていくのを感じながら抵抗できず、心の焦りが余計に我慢の上限を余計に押し下げていく。

「そんなっ……ぁ、やめっ……!」
「いけませんわ。そんな泣きそうな声で弱音を吐くなんて……弱点が何処か、教えるようなものですわよ?」
「は、うぅうっ……」

 一度通ったはずの場所、精を運ぶその管の底、付け根の部分にリディアの人差し指と中指が強めにぐりぐりと押し当てられて、アルがくぐもった悲鳴を、あるいは歓喜の嗚咽を漏らす。
 優しく諭すような言葉の中にも嘲笑が滲み出しているようで、彼は悔しいと感じながらも、それと同時に締め出せない感情が共存しているのも否定できなかった。
 むしろ悔しいという気持ちは、逃れようのない状況では余計に快楽を引き立たせるスパイスでしかない。

「それとも……わざわざ教えてくれているんですの?」
「違っ、違うよ、そんなの……っ」
「そうですか? 本当は責められたくて、わざわざそんな分かり易い反応をしているんじゃありませんの?」

 裏筋をこりこりと爪の先で軽く押さえられ、膨れ上がった亀頭を親指で押し込まれるようにぐりぐりと刺激する。
 アルの腰が力を入れられるたびに跳ね上がり、当然のようにそれが抑え付けられる。

「いっそ前に倒れてしまえば、寝たまま存分に扱いて、手の中に吐き出させてあげますわよ?」
「あうっ、あっ、〜〜っ……!」
「まあ……もう無理かもしれませんけれど」

 にゅるにゅる、ぐりぐり、にゅこにゅこ……。
 息継ぎをする暇もなく続くリディアの余裕を持った精緻な責めに、もはや抵抗できないアルは限界寸前に達していた。
 まだこんなやり方で負けたくないという気持ちと、射精したいという気持ちが快楽で溶かされてない交ぜになり、考える力を奪ってゆく。
 耳の奥に吹き付けられる甘い熱が渦を巻いて身体に循環し、押し付けられた胸にほだされて、段々ただただ射精の快楽欲求だけが脳裏に張り付くようになる。

 真後ろでその金髪を揺らしながらリディアが小さく何かを囁いているが、ほとんど彼には聞こえていない状態だった。
 滂沱のようではないが、徐々に徐々に確実に、その我慢の防波堤に穴を開けてくるような快楽を受け止める事だけで精一杯。
 身体全体が限界を訴えるように震え始める。
 リディアのものであろう手がにゅるりと肉棒を一周する感覚。その今までより一際柔らかい感触に、アルの我慢が限界に達し、次に間髪入れず来るであろう右手の粘つきながらも滑らかな手を予想すると、それを貪ろうとしたのか、無意識のうちに背筋を伸ばして姿勢を硬直させた。
 そして、待ち望んだその刺激が――

べちゃ

 訪れなかった。

「……? へ?」

 目の前で、部屋に入った時と同様の煌めくな金の絹糸が視界一杯に溢れ、飛び散る。
 何かを強く踏み込むような鈍い音に続いて、間の抜けた声が一泊遅れて部屋に響く。
 昂ぶりを迎えようとして伸びきった背筋が時間と共に元に戻り、ちかちかと点滅しかけていた視界があっという間に開けていく。
 まるで肩透かしを喰らったような格好になったアルが、一瞬でも呆けた声を出してしまうのも無理はなかった。

――気が付けば、目の前で膝をついて倒れこんでいるリディアがいるのだから。

 何故? どうして?
 記憶を手繰り寄せるアルだったが、直前の記憶が完全に快楽に溺れてすっぽ抜けていて判然とする事がない。
 気が付けば自分の右前方をすり抜けるようにしておちおちとたたらを踏み、足をつっかけるようにして倒れてしまったその姿だけだった。
 彼女はアルの目の前でその裸身をマットの上に放り出して、完全に背中と尻をこちらに向けたまま膝と手とをついている。つまり四つん這い。

 はっきり言って彼にとっては何が何だかわからないような状況ではあった。
 しかし、一つだけ分かることがある。
 つまるところ、自分にとって好機以外の何物でもないという事が。

「てええいっ!」

 考えているような余裕もアルにはなかった。
 半分は衝動的なものに突き動かされて、ほとんど無我夢中になってマットを蹴る。当然、狙いは目の前に無防備に突き出されているリディアの臀部。
 そこを抑え付けようと、アルは力を絞り出すように声を張り上げながら、横から思い切り腕を交差させる。

「捕まえっ――」
「っ!」

 一瞬の交錯。
 まるでスローモーションになったように感じられる視界の中で、アルは自分の腰を狙った両腕が勢い余って空振りしていくのを見ているしかなかった。
 背後から近付いたアルが彼女の姿勢を合わせるために両膝で滑り込み、その両腕が捉える直前。四つん這いになっていたリディアが今度は突然、マットに伏せるような極端な態勢に変化したのだった。
 勢い余った両腕は、膝立ちの態勢からうつ伏せになってその分だけ高さが落ちたお尻を追いかけるようにして、腰の辺りのマットに手をついてしまう。

「あうっ!」

 それでも素早く立ち直ろうとするアルだったが、忘れかけていた快感が再び、そそり立ったままの股間が何かに挟まれ、快感に一瞬怯んでしまう。
 しかし、リディアの態勢はうつ伏せのままで手の出しようがない。それなら、何故? いや、答えは単純だった。

「これはっ……!?」

 やや前屈みの膝立ちのような格好になったアルの、最も感じる場所を挟み込んでいるのは――うつ伏せになったリディアの、その足の裏だった。
 完全に背後を晒したまま伏せた状態のリディアは膝を折り曲げて、その両の足の裏側で、粘液塗れでてろてろと光を湛えるアルのものを挟み込んでしまっていた。
 挟み込んだだけでは終わらず、器用にも指まで使って刺激しながら、両足の動きを一致させるようにして前後させ、しっかりと竿を扱いてくる。

「甘いですわね。……油断してはいけませんわよ?」
「くぅぅっ……!」

 先に油断して態勢を崩したのは、そっちの癖に!
 アルはそう言いたい気分に駆られたが、口から出てきてしまうのは嬌声ばかりでしかなく、言葉は掠れて消えて行ってしまう。
 空振りに終わったからといって、まだ終わったわけではない。現にリディアはうつ伏せのほとんど抵抗できない状態で、その細い腰はもう掴めているのだ。
 そのまま引っ張りあげるなり何なりする事ができれば、薄い陰を作る尻穴を責めるのも、バックの態勢で挿入するのも容易い。
 容易いのだ。
 しかし……

「くすぐったいですわ。……私はそんなに重いですか? 傷付きますわ……ふふ」

 それでなくてもただでさえ暴発寸前だったアルの逸物には、リディアの変則的な足技は新鮮すぎて、そして屈辱的に魅力的すぎた。
 ふとももや素股攻めとは違う。
 しかし上から体重を乗せて踏みつけたり嬲ったりするのとも違う。
 アルにとって彼女は下に位置した、しかも完全に背中を見せたまま、足の裏と甲とでぐりぐりと捏ね回され責められているのである。
 少しも振り返らないというのに、彼女は視界に頼らず実に正確にアルのものを責め立ててくる。

「こんなに熱くて……見なくてもどうなっているか分かりますわね。顔が見えないのは少し残念ですけれど」

 手とはまた少し違った、硬さが混じった感触。と思えば、また少し違う柔らかさが責めていく。
 足の裏と甲で挟まれて揉まれ、ふくはらぎの部分を押し付けられ、その変化を使って快楽を引き出させようとする。

――こんなに近くにいるのに。
――こんなに近くにあるのに。

 アルはリディアの、時折バランスを取るためか震える以外にはぴくりとも動かない上半身を見ながら何もできないでいるしかなかった。
 マットにざあっと広がった金髪が、開始直後に感じた時のように、不思議と目に眩しい。
 リディアにはもはや態勢を変えようとするどころか、後ろを振り向くような素振りすらない。ほとんどその膝から先だけが、アルの急所を妖しく責めているだけだ。

 もしかすると彼女はこの時、仮に本を読んでいたりしても変わらない事になっているんじゃないか――そんな事をアルは考えた。
 不利な体勢を変えようともせず、全く動かず、こちらに顔すら見せないまま、一方的に自分だけが感じさせられている。
 まるで何かの片手間のように、絶頂を迎えさせられているような錯覚。

「そろそろ楽になってしまいなさい」

 びくびくと震えるアルの身体から絶頂が近い事を感じ取ったのか、リディアは足の裏同士で強めにモノを挟み込み、激しく前後させてきた。
 快楽を相乗させるようにして粘液がぐにゅぐにゅと音を鳴らしながら、堪えようのない快感が足から送り込まれる。
 もはや反撃の力が残っていない彼はもう、それを黙って享受しているしかなかった。

「もう限界……でしょう?」
「ぅっ……あ、ぁああっ……!」

 誘うような声色が、脳髄の奥をちりんちりんと呼び立てる。
 どうして、せめて前に覆い被さるように倒れなかったんだろう。どうなるかは分からないけれど、せめてそうすればこの態勢の無理な足扱きからは逃れられたはずなのに。
 そう思うとアルには無性に情けなさが込み上げてきて、一瞬でそれが甘い囁きに取って代わられて。
 淫らな雄の液にべとべとになりながらもなおそれが美しいリディアの足裏に。
 汚く甘美な音を鳴らしながら、精液を絞り上げようとするその足裏に向かって、アルはただ腰を振りたくった。

「あ、ぁああああっーっ!」

 たったそれだけで終わりだった。
 身体の最奥から噴火のように押し寄せてきた欲望が快感に負けて噴き上げられ、真っ白い精液になって吐き出される。
 どくどくと吐き出された欲望の塊はリディアの足と、その背中と、広がった金色とに降りかかり、その麗しい全てを穢して、それでいて引き立てる。射精の快感に身を震わせながら、負けたというのにアルはその光景に征服感を満たされずにはいられなかった。
 脱力してそのまま倒れてしまいそうになりながらも、噴き出したあとの僅かな時間はリディアの背面足扱きも続く。
 びゅ、びゅっと、絞り出されるようにして残った精液が再び、しかし一度目とは違い、衰弱したように弱く放たれる。

 そうして射精が止まると同時に彼女の白い両足がアルの股間から離れると、ようやく勝負の終わりが確認された。
 もっとも彼女の足が離れたから吐精が止まったのか、それとも射精が止まったから彼女は足を離したのか、それはその場にいるほとんどの人にとって分からない事だったが。




『勝負あり、そこまで!』




 機械越しに凛とした声が男女二人だけの空間に響き渡り、ほとんどそれと同時に、アルはその場に崩れ落ちるようにして伏した。
 射精後の気怠さと、勝負の疲労感と敗北感か、大きな溜息が一つ零れ落ちる。
 部屋をぐるっと取り囲む透明な窓の傍にいた偵察者か、あるいはただの見物人達のうちいくらかはばらばらと離れていったが、ほとんどは残ったままであった。

「ん……」

 このまま色々な意味で眠ってしまいたい衝動に駆られながらも、アルは頭をゆっくりと持ち上げて視界を動かした。
 そういえば、終わった後の礼をまだしていない――そんな事を思い出したからである。
 その相手は何処にいるのかと、顔と視界を右へ左へ、ゆっくりと動かす。
 やがて鮮やかな金髪を捉えると、彼はそれを追っていった。乾きかけの精液が付着した綺麗な髪に、わずかな興奮を憶えてしまいながら。
 そうして金髪を追っていくと、ようやく彼女のかんばせが目に映った。

(ああ――)

 アルを射精させた時にはうつ伏せの態勢になっていた彼女は、いつの間にかさっきまでのアルと同じ、膝立ちの態勢になっていた。
 彼女の表情は、喜びを露わにしているわけでもなければ、当然憐みの感情を見せているわけでもなかった。
 何度も彼が眩しいと思ったその金髪を揺らしながら、彼女はただ口を真一文字に結んで、その綺麗な線を描く顎を軽く持ち上げているようだった。

(そういう、事なのかな)

 一体どこを見ているのか。一体何が見えているのか。
 それはアルには全く分からなかった。
 ただ、その凛とした姿で見ているものが、何か、自分にとっては凄まじく縁のないものであるように思えた。
 その姿が、実際の距離以上に遥か遠くにいるように感じられる。

(違うんだなあ、本当に――)

 リディアが見上げるその視線を追う気にもならず。
 ただただその眩しい金色をぼんやりと見上げながら、アルは何度も感じていた息苦しいほどの隔たりを強く自覚した。















 昼下がりの直視すると眩しいくらいの陽光が降り注いで、外はもちろんの事、屋内までも反射した光でいっぱいに溢れさせる。
 それでいて吹き抜けるような風には春らしい繁茂した植物の薫りと、涼しさとが混じっていて、日差しが差していながら過度の暑さを感じさせない。
 清涼感のある快晴である。

 しかしそんな快晴も舗装されたコンクリートの上ではその効果を落とすのか、それとも単によくある例外なのか。
 明らかにどんよりとした空気をその身に纏いながら、雨雲を頭上に浮かべた男は窓際に肘をつけて、いかにも憂鬱そうに項垂れているのだった。

「はあ……」

 大きな、それはもう大きな溜息である。見てる方が心配になるかもしれない程だった。
 迷信じみた言に従うのであれば間違いなく不幸まっしぐら、今すぐ野良犬に追われ棒にも当たること請け合いである。
 とはいっても、意識してそんなものが抑えられるぐらいなら誰も苦労はするまい。そしてアルも、そんな事ができない一般的な人間の一人だった。

「ふう……」

 どんよりとした目が中庭にいる一組の仲睦まじい男女を映してしまって、無性に物悲しくなって彼はその目を閉じた。
 目を閉じてしまうと、自然と瞼の裏側に浮かんでくるのは強い思い出ばかりで、今日の自分の戦績を思い返してしまっていた。
 一人目の金髪の女性に敗れたのを皮切りに負けに負けを重ね、とうとう今日の日程は白星なしで終わってしまった。
 いや、そもそも今日に始まったような話ではない。
 養成学校に通うのが決まってからというもの、宛がわれた対戦では当然負け越し、というか凄い勢いで黒星を量産しつつある。ジャンルがジャンルならそろそろ銀行呼ばわりされてもおかしくないのではないだろうかというのがアルの感想だった。

 一年生はそもそもまだあまり実技に関して本格的な修練が始まっていないのだが、それでも個々に任せると腕が鈍る事があるせいか、生徒同士の対戦は日常的に組まれている。
 結果に関してはっきり公表されるわけではないし、成績には直接関係ないが、それでもアルにとっては気になるものは気になるわけで……。
 もっぱら対戦カードが組まれる日は、イコールでアルにとっての憂鬱な日として繋がりつつあった。

――せめてもう少し実力が近い人と組んでくれたらいいのに。

 色々な意味で無茶な思考であるが、アルはそんな事を頭の中で愚痴った。
 実力が近い人。ふと、アルの頭の中で一つの記憶が呼び起される。
 その記憶にある少女は、アルが以前に観戦しにいった時、偶然見かけた相手だった。いかにも小柄であまり身体つきも良くない彼女は相手の男に責められてほぼ一方的に負けていたのである。

――あのぐらいの子を当ててくれればなあ。

 そんな明らかに歪な考え方で、それでいて切実な願いが一瞬頭の中をちらりと掠めて、アルはその思いつきを追い出すようにして頭を左右に振った。
 しかし現状に対する鬱屈が消えたわけでもなく。
 余所に向けられなくなった感情が仕方なく内に向かってきて、自問自答を繰り返しながらアルの心をちくちくと苛む。
 ぶんぶん振っていた頭はたちまち自嘲気味で投げやりな動きになり、そのうち振り子のように勢いを失くして止まってしまった。

「はぁ」

 そして、溜息。
 繰り返しである。或いはこういう時に思考のループから逃れられないという事が、人が弱っているという事なのかもしれない。
 もう一度溜息をつくと、アルは窓枠に預けていた身を離した。服の袖をぱたぱたとはたいて、窓の桟から付着した汚れを払う。
 しかし桟に溜まっていた汚れは意外にしつこく、はたいた程度では袖にこびりついた汚れは完全には取れそうもなかった。

 そして思考をぐるぐると繰り返して、彼は結局同じような考えに行き着く。
 仰ぎ見る宙空に頭の中で描き出されるのは、今日一度目にイかされた眩しいほどの金髪の女性。
 不可解な行動が目立つ試合でもあったが、アルの脳裏に一番強く刻まれていたのは、イかされて試合が終わった後、ひざ立ちの態勢で上を見上げる彼女の姿だった。
 BFの最中とはまた印象が違う、真っ直ぐな瞳と、一文字に引かれた唇はいかにも意志の強さを示しているようだった。彼女は一体何を見上げていたのだろう。どこを見上げていたのだろう。
 そう思う時、アルは彼女に対して何度も感じた眩しさが、その見事な金髪に依るものではなく、彼女自身が放つ輝きに自分の目がくらんだのではないかと感じていた。

 いや、そもそもそれは彼女だけに留まらなかった。
 アルはその感覚を今日に始まった事ではなく、その金髪の彼女だけではなく、多かれ少なかれ他のバトルファッカー達にも感じてきた事だった。

「やっぱり、こんなんじゃダメなのかなあ……」

 腕の問題とかそういうものではなしに、自分と彼らは違う。
 金髪を靡かせる彼女だけではなく、他の人達も、いったいどういう経緯で、どういう想いを抱えてこの養成学校に通っているのだろう。
 BF養成学校に通い始めて以来、アルはそんな風に自分と周囲の間に目に見えない線引きというか、奇妙な居心地の悪さ、いわゆる場違いな雰囲気のようなものを感じてしまうのである。
 それは疎外感のようなものとは違って彼の心を追い詰める事はなく、しかしそれだけに水没したように彼の心根を冷え込ませた。
 悪い結果に直面すると陥ってしまう、思考の悪循環。
 しかしそれも、不可思議にストップした立ち合い同様、永遠に終わらないという事はなかった。

「あ……時間だ」

 不意に視界に入った時計の針を見て、アルの意識はほとんど泥沼に嵌り掛けていたところから引きずり出された。気が付けば、辺りの騒がしさはすっかりなくなってしまっている。
 自由時間がなくなってしまったというのに、アルは不思議と心が休まるのを自覚していた。
 そろそろ行こう、遅れちゃう。
 アルがそう思って窓際から離れ、廊下を歩き始めたところで、その視線に止まるものがあった。

「……」
「あれ?」

 もう既にほとんどの人は教室の移動を終えてしまっているのか、人の姿があまり見当たらなくなってしまった廊下。
 その開け放った窓の一つに寄りかかるようにして、一人佇んでいる誰かがいた。まるでさっきまでの自分のようだな、と思い、さっきまでの自分を思い出してまた渋面を作った。
 薄手のジャケットを引っかけてズボンを履いているその誰かは、窓際に肘をつけて、目を閉じて外の風を受けているようだった。
 あんな人もいるんだな。
 アルはそう思って、少しだけ親近感が湧いた。細かいところまでは分からないが、どう見ても自分より小柄そうである。少し自分より濃いめだが、ブラウンの髪の色も同じだ。
 しかし、移動しなければ間に合わなくなるかもしれないというのに目を閉じたまま一向に動く気配がない。
 さすがに寝ているという事は考え辛いが、気持良く風に当たっていたら時間に気付かなかった、という事は十分にありうる。

(うーん……)

 少しだけアルは迷った。
 別に講義があると決まっているわけでもないし、何かの事情で休んでいるかもしれないし、余計なお世話かもしれない。
 しかし本当に気付いてないのなら、言ってあげた方がいいかもしれない。切欠に知り合いになれたりするかもしれない。
 暫し天秤が揺れていたアルだったが、それほど時間がない事に思い至ると、悩んでいても仕方ないと声をかける事にした。
 もし窓に寄りかかっているのが大柄な誰かだったとしたら、おそらく彼は素通りする決断をしただろう。

「ええと……あの、ちょっと」
「うん?」

 声をかけると、思いのほか素早い動きで振り返って返事をされた為に、アルは驚いて少しだけ後ろに仰け反った。
 そんなアルの様子を見て、不思議そうに目をぱちぱちとさせる。碧眼だった。透き通るように綺麗というわけではないが、快晴を溶かしたように翳りが感じられなかった。そう、丁度今日の天気のような。
 少しの間だけ沈黙が二人を包み、少しだけ慌てたようなアルの声がそれを打ち破る。

「いや、その、早く移動しないと時間になるよって思ったんだけど。次、授業あるの?」
「僕? そうだね、あるよ。……ああ、もうこんな時間なのか」

 さりげなくアルが着けている腕時計にちらりと目をやりながらそんな風に答えて、ふぁ、と軽く欠伸をしている。
 その反応があまりにも悠長で暢気なものに見えてしまって、アルは焦れながらも半ば呆れていた。

「なんだか随分と余裕があるなあ」
「そうかな。まあ、実際結構余裕があるからね。大丈夫じゃないかな?」

 急かしたようなアルの言い方にも一向に意に介する様子がなく、あくまでのんびりとした調子を崩さない返事が続く。
 アルは声をかけた事を微妙に後悔した。しかし、今さら放っておくのもなんだか声のかけ損のように思えてならず、アルは眉を寄せながらも危機感を煽ろうとする。

「でも次って、確か男でほとんど一か所に集まって合同のだよね? 一年生なんだし、できるだけ早く行かないとまずいと思うんだけど……」
「一か所? ……ああ、なるほど」

 ようやくアルの言葉に、初めて曖昧な感想のような何か以外の反応が返ってきた。
 不可解だとでも言いたげだった表情が一段階明るくなり、得心がいったように一度だけ軽く首肯する。どうやらようやく話が通じたらしいと、アルは今度は安堵の意味で息を吐く。
 そんな彼に向かって、一言。

「僕、女なんだけど」

 安堵していたアルの挙動が、一瞬で凍りついた。

 え? という疑問の声は、驚きにかき消されてアルの喉を通る事がなかったが、間抜けな様を晒さなかった事を考えると幸運だったのかもしれない。
 アルはゆっくりと言葉の意味を噛み締めてから、目の前にいる彼の――否、彼女の姿をもう一度ゆっくりと眺めた。
 よく見れば確かに短く切ったショートボブの茶髪は女性的を感じられなくもなかった。どことなく丸みを帯びていそうで撫で肩っぽくもあり。腰はしっかり細くなっているし、ズボンを履いているせいかくっきりと映るお尻のなだらかな稜線は女性を感じさせるに十分だった。
 アルが窓にいた彼女を見かけたのが横や後ろからだった為に良く分からなかったのと、彼女の一人称が勘違いの種だったのかもしれない。

「ごっ――」

 自分がとてつもない勘違いをしていた事にはっきりと思い至ると、凍りついていたアルの身体が徐々に解凍され、その代わりに思考が激しく混乱の渦を巻き出した。
 一拍遅れて、何をすればいいのかも具体的によくわからないまま、とりあえず謝らなければならないという気持ちだけが先行して、身体が先にお辞儀をしていた。
 恥ずかしさと申し訳なさで考えが纏まらないまま、ほとんど言葉が勢いのままに飛び出していく。

「ご、ごめんッ! さっきまで後ろから見てたからつい気付かなくて、君の事を勘違いしちゃって、その――」
「ああ、それとね」

 そんなアルの言葉を手で遮るようにして、彼女は飛び出してくる言葉に割って入った。
 一般的に考えてあまり愉快とはいえない勘違いをされたというのに、話を遮った彼女はといえば、笑顔を浮かべていた。
 快活明朗さを印象付けるような、にこやかな笑顔。
 その笑顔のままで、彼女はある意味両者にとってのさらなる駄目押しのような一言を放ってみせた。

「二年生だから、僕」
「――」

 瞬間、たった今まで勢いのままに弁解していたアルの身体が再び凍結した。
 瞳の瞬き以外はほとんど動かないその様子を、勘違いされた側である彼女はいかにも楽しくて仕方ないといった風に眺めている。特に気分を害したようにも見えないその様子は、つまるところ、彼女の興味がとっくに自分から相手に移っていった事を示していた。
 そんな彼女に見つめられ続けて暫く。
 アルの額から出た汗が垂れ落ちそうになった頃、凍りついていたその身体の、口元だけが徐々に動き始め――

「ご――」
「ご?」

 動き始め――

「ごめんなさぁあああいっ!!」

 ――爆発した。
 ほとんど絶叫のような勢いで声を上げて、脱兎の如く廊下を駆けていく。それでも無意識に講義を気にしてか、全力で喉の奥から張り裂けそうな声を出せないのが彼であったが。
 日中の廊下を少し高めの男性の声と、ばたばたという足音が響き渡り、一人の男子生徒が脱兎の勢いの如く駆け抜けていった。
 頭がパンクしてしまった為に、その場を放置して逃げ出したとも言う。

 あっという間に喚くわ走るわの騒々しい音源は遠ざかっていき、元の講義前後の比較的静かな廊下に、件の彼女が一人、取り残される。

「あんなに騒がしくして風紀に捕まらないかな? でも……ハハハ、面白そうな後輩だなぁ」


 かくしてアルは即刻黒歴史に入れたいような恥ずかしいだけの記憶を組み上げてしまう羽目になり。
 廊下で偶然出会ってしまっただけの誰かにまで、これ以上ないほどに強く記憶されてしまう事になったのであった。


 BFのみならず日常ですら羞恥を晒す事になってしまった彼の明日はどっちだ。
続き? 何それ、おいしいの?

最近なかなかすっきり書けない事に悩みつつ。
要するに『ぐだぐだな試合展開』というものを書こうとしたら文章も展開も何もかもがぐだぐだになったという話。
見てくださった方はありがとうございました、本当にお疲れ様です。
お目汚し失礼しました。



たとえ一方的タグで全てが埋め尽くされたとしても……。
私は私のやりたいようにやっていくんだよ……。
まあそれはどうでもいいとして、最近あちこちで豊作ですよね。とても嬉しい。

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