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背徳の薔薇 大切な恩人へ

「何も、お尋ねになられないのですね」
 堕天使アーシア・フォン・インセグノは、コンクリート壁に両手をついて肉体をくの字に曲げた姿勢から、おもむろに首を後ろへ向け、レイに声をかけた。
 不意に話しかけられた少年は腰振りを中断し、彼女の腰は抱えたまま、互いの性器はつなげたまま、朱に染まる頬と潤んだ銀杯色の瞳のアーシアを見詰めた。
「いきなり、どうしたの?」
「こちらへ帰還なされてからのレイ様は、ただ黙々と淫気の精練に励むばかりにございます。いつものレイ様でしたならば、気になった点は、ほぼ必ずといってよいほど、質問なさっておいででしたので」
「調子狂うとか?」
「いえ、滅相もございません」
 窺う視線を向けられ、レイはひとつ息をついた。
 目線だけ下げ、一糸纏わぬアーシアの後ろ姿を見る。
 彼女の大きな臀部と自分の腰は密着しており、ふくよかで心地よい感触があった。
 恍魔を斃したら彼女の尻を抱えてみたいなどと不埒に思っていた。その後、アーシアとは長いあいだ離れ離れになっていたものの、再会を果たして自分が拉致された大部屋へ戻ってからは獣の交わりを現実のものにし、今日までの日々を過ごしている。
 能動的な男の本質を浮き彫りにするこの体位は、征服欲を掻きたて、満たし、気分を昂揚させた。内在する荒々しい気性を無遠慮に吐き散らせる開放感と、ただ言いなりになるだけで受け続けるように見える相手の屈服感は、まるで自分が最強の存在にでもなったかのような錯覚をもたらす。
 ただ、望みが叶った歓喜の時間ではあるのだが、アーシアの背後を取る姿勢でまぐわうと、同時に自分の罪穢も思い知らされた。
 本来ならば四枚の漆黒の翼を有しているはずだった彼女は、左下の翼が存在せず、三枚しかない。失われた翼の根元だった肌には、生々しい傷痕が刻まれている。
 自分が原因だ。贖えるものではないと、レイは思っていた。
「そりゃあ、いろいろと訊いてみたい話はあるけど。でも、アーシアがぼくに言わないなら、それでいいよ。言いたくないとか、知るべきではないとか、内緒にすべきとか。なんらかの判断をしてるから黙ってるんでしょ? ぼくはアーシアの行動を疑わない。恍魔を殲滅するっていう目標へ最短距離で効率よく向かうためには、ぼくに余計な情報を入れるべきじゃないんだろうし、それはなんとなくだけど解るから。考えたり悩んだりして修行の妨げになったら、それだけ遠回りになるんだろうし。まさに今までのぼくが、そうだった」
 レイはアーシアの腰を抱えていた右手を離して人差し指を立てると、彼女の首の付け根のあたりから腰にかけて伸びている、縦長の傷を優しくなぞった。
 アーシアが堕天した際に、仲間の天使によってつけられた傷だそうである。
 彼女にも、これまで生きてきた時間が存在する。きっと壮絶な人生を歩んできたのだろうと思うと、根掘り葉掘り過去を詮索して彼女を傷つける気には到底なれなかった。
 とはいえ、アーシアが再会を果たすまでに何をしていたのか気になるのは事実だし、それまで世話をしてくれていたマリア=ルイゼがどうしているのかも知りたい。幼馴染のシンディや、実の兄も同然に慕うファンの近況は、喉から手が出るほど欲しい。大部屋へ戻ってからまだ一度も会っていない淫女王バベットや、いっこうに帰ってこない、自分を呪われた生活へと叩き落したディアネイラの動向も、やはり知りたい。
 知りたいが、アーシアが話を切り出さないなら、自分は実力をつけるために、日々努力するだけだと考えていた。
 彼女への信頼が不満を凌駕しているのである。
「だからさ、今はこうやって少しずつでも、力をつけていくしかないんだ」
 レイは困り顔になっているアーシアへ微笑みかけながら彼女の腰を抱き直し、抽送運動を再開させた。
 勇ましく屹立する少年の若塔には高濃度に練られた淫気が収束しており、女穴を穿ちながらアーシアの淫気や肉体に浸透し、より大きな快楽を誘発させる。
 アーシアが甘い吐息を漏らしながら背筋を弓なりに反らすと、たっぷりとした乳房がコンクリート壁に押しつけられ、柔らかく潰れた。
 切なげな面持ちと愁色が入り混じった彼女と見詰めあったレイは、腰を振る速度を下げる代わりに、力強く突く。
 一撃で巨大な刺激を与えるため、若塔に絡みつくアーシアの膣内すべてが知覚できるよう集中した。
 意図的に肉ヒダを緩められているため、熱く濡れた中はとても滑らかであり、リズムよく速度を上げてしまいたい衝動に駆られるが、そこは我慢して、ファンがアーシアと戦っていた際におこなっていた、強烈な突き込みを真似てみる。
 少年の腰が堕天使の尻肉にぶつかると、けたたましくも艶めかしい音が、室内に響いた。
 アーシアから喘ぎ声があがる。強い力に押されて乳房がさらに潰れ、軽く臀部を突き出しただけの、ほぼ立っているような格好となった。
 レイは亀頭が見えるほどに腰を引いた。すると、壁に押しつけられたアーシアの肉体が沈み、くの字に戻った。
 体重はコンクリート壁に預けているらしい。両手は体勢が崩れぬよう壁に添えているだけなので両胸でも支えるかたちとなり、潰れたままだ。
 そこへ、レイが五秒に一度くらいの間隔まで抽送速度が落ちてしまっているものの、強い突き込みをおこなうため、乳房がよりいっそう、窮屈に潰れる。
 ただし、レイを見ているアーシアの容貌は、苦しそうな色合いが皆無であった。
「僭越ではございますが、わたくしといたしましては……」
「え?」
「天真爛漫でらっしゃるレイ様こそ、本来のお姿かと──」
 レイが突き入れたため、アーシアは発言の途中で悶え声になってしまった。
「そう言われてもなぁ。でもぼくだって、窺うような態度ばかりの大天使様じゃなくて、もっとこうしろああしろって言ってくれていいんだけどな」
「お戯れを」
 少年は腰を引く。先端が顔を出すのを確認するために目線を下げると、アーシアの赤みを帯びた菊座が開いているのが見えた。
 余分な力は抜ききっているらしい。
 片腕を離すと動きづらくなるが、レイは右の親指を根元までねぶって湿らすと、彼女の後ろの門へと挿し込んだ。余った指は尻に置き、少しでも支えになるよう努める。
 関節を曲げて腸壁を抉ると、アーシアが腰をくねらせた。
 すかさず腰を入れた。
 力を込めているため、両手にも握力が加わる。とくに、臀部に置いている右手の四本の指が、深々と尻肉に埋まった。
 膣を割り入っていく若塔へ、次々とヒダが絡む。上部のあたりが窮屈なのは自分の親指が後ろの穴に入っているかららしく、たいへんな甘美を味わった。
 アーシアの淫気が若塔に沁み込んでくると遂に射精の炎が灯り、レイは背筋を震わせた。
 卑猥な音がたつとともにふたりの下半身が密着し、互いに声を荒げる。
「あー、もうダメか」
 レイはアーシアの肛門から指を引き抜くと、彼女に全体重を預けて抱きついた。汗ばむ胸や腹を彼女の背中に押し当て、肌の密着面積を広げる。丁寧に折りたたまれた三枚の翼が腕に触れると、ひんやりとして気持ちよかった。
 うなじに口付けしたあと大きく息を吸い、シャギーショートに手入れされた青藤色の髪の匂いを嗅ぐと、淫魔特有の甘ったるい香りのほかに、絵本にでてくるような、清澄たる泉を想像させる匂いがした。
「お果てになられますか?」
「うん。でもちょっと待って」
「はい」
 アーシアに身を預け、乱れた呼吸を整える。
 淫核化した心臓は多忙を極め、脈拍が速い。さらに内側にあるもうひとつの小さな淫核からは、勝手に濃い淫気が溢れ出ていた。色情狂となって艶事に惑溺したくなる感情を強制的に引き出してくる力であるが、どうやらここの住者はご満悦の様子で、レイは平常心を保っていられた。
 アーシアと睦み合っているときは、大概がこうである。大人しくしてくれているほうが都合がよいので、レイは不用意に接触せずにいた。
「もうちょっと、上半身を下げてもらえるかな」
 レイは両腕でアーシアの腰を引っ張り、数歩ほど後退した。アーシアはレイの意図を汲み取り、上半身が下半身と垂直になるまで倒し、上半身をコンクリートの床と水平に保つ。
 バランスを取るため、彼女は両腕の肘から手までをコンクリート壁についた。
「うん、ありがとう。これでいいよ」
 レイは両手をアーシアの腰から乳房へ添え直し、その絶対的な柔らかさを楽しんだ。
 後ろから触ってみると質量の豊富さが感じられ、最高の揉み心地が味わえた。僅かに力を入れて握る要領で揉むと、乳房は形を変え、指の隙間から乳肉が零れる。押し込んで圧力を加えてみると、柔肉が容易に潰れ、張力を伴った。掌に伝わるしこりが、こそばゆい。
「じゃあ、動くね」
「わたくしへのお気遣いなど無用にございます。どうぞ、存分にお楽しみくださいませ」
 レイは自分の身体をアーシアに預けたまま、彼女の乳房を揉むと同時に、腰を突き入れた。今度は射精するための動きなので、腰を振る頻度が高い。手の動きもなるべく併せようとしているので忙しく、すぐに息が上がってしまった。
 アーシアが呼応し、少年の動きを阻害しない程度に、膣圧を加えてくる。
 亀頭や竿に絡みつくヒダの圧迫感が強まると、育ち続ける射精感からレイの表情は緩み、荒い呼吸に混じって情けない喘ぎが漏れた。
 それでも抽送する動きをさらに加速させ、待ち受ける高みへと昇ってゆく。
 レイの乱れた呼吸とアーシアの熱っぽい吐息が、生々しい肉の拍手に同調し、和音を奏でた。
「イク──ッ」
 レイが歯を食い縛った。
 五センチとない眼下には、藤色の髪を揺らすアーシアの横顔がある。彼女は常に少年へ目を向けていた。見蕩れたような濡れた視線や紅潮した頬、僅かに開かれた唇から零れる甘い吐息が、艶麗さに拍車をかけている。
 顎先で雫になっていた汗がしたたり落ち、アーシアの下唇で爆ぜると同時にレイは身震いし、吐精した。
 精液を勢いよく噴出させるほうが大きな満足度を得られやすいため、少年は射精中も腰を振り続けた。
 アーシアの膣壁も蠕動運動を繰り返し、若塔を奥へと吸引している。射精の瞬間になると竿の根元から亀頭へと収斂し、白濁液を射出する援護をおこなった。
「す、すごい」
 レイが嘆美の言葉を紡ぐ。
 出た、という充実感がよりいっそう満たされ、身体が浮いているようだ。
 腰を突き出すと、亀頭全体、とりわけ裏筋付近に膣圧を加えられ、音が出ると錯覚するほどに精液を吐き出す。
 レイはだらしなく口を開いて切なげな吐息を漏らしながらアーシアと見詰め合い、射精が終了するまで、甘美極まる感触を愉しんだ。

「あー。なんか、きっちり出したって感じ」
 出るものが無くなるとレイは脱力した。
 少年の重みで堕天使の肉体が僅かに沈み、折り畳まれた三枚の翼が揺れる。
 レイの両腕がアーシアの乳房から離れて垂れ下がると、釣鐘型の彼女の双球が重力に引っ張られ、少し縦長になった。
「お疲れ様にございました」
 アーシアが慰労の発言をした直後、淫気喰いが始まった。
 淫核化した少年の心臓へ堕天使の淫気が吸入されてゆき、卑猥で生ぬるい感覚が駆け巡る。これは根本的な淫気の性質なわけだが、そこに個性が含蓄されているのを知覚した。
 大空を飛翔しているような、爽快な心持ちになるのである。
「このアーシアの淫気って、何度味わっても飽きないなあ」
「お分かりになられるのですか?」
「うん、なんとなくだけど。ひと言に淫気といっても、個人差があるんだね」
「いつ頃から、お気付きになられたのでしょうか」
「んー、どうだろう。はっきりと覚えてるわけじゃないけど、入院してた頃から、かなあ」
「左様でございましたか」
 アーシアの目が細められた。とても柔和で、頼もしげにこちらを見ている。レイの精気を受けた影響からか、頬の赤みが強まっていた。
 淫気喰いが終了してレイが大きく息を吐くと、その風でアーシアの横髪がなびき、赤い頬が髪の毛に隠れた。
 とても色っぽく見えた。
「あ、重いよね。すぐに──」
「レイ様」
「ん?」
 アーシアに挿入したままだった自分の一物を引き抜こうとしたら声をかけられたので、動きを中断し、彼女を見ながら次の発言を待つ。
「お仕え申上げますレイ様へ言上するなど、従者たるわたくしには過分極まりますが」
 ここでアーシアが言葉を切り、レイから視線を逸らすと、こうべを垂れた。
 相変わらず固い物言いであり、後ろめたさからなのか、目まで背けられてしまった。こういう言動がレイにむず痒さを覚えさせるわけだが、まだ話には先があるため、自分の不平は心の奥に押し込んだ。
 アーシアから意見を言ってもらえる。
 その一点だけでも、嬉しいものだった。
「もう僅かの時間だけで構いませんから、このままでいさせてはいただけないでしょうか」
 発言を終えた堕天使は、そのまま硬直したかのように動かなくなってしまった。
 レイは失笑してしまったが、緩慢にかぶりを振った。そして、「うん」と応じた。
 アーシアが自分に甘えてくれたのは初めてではなかろうかと思うと、少年の心を歓喜に奮わせた。
「ありがとうございます」
「そんなふうに言わなくていいんだって。アーシアの線引きはとても強固だけど、ぼくとしては、もっと気兼ねなくしてほしいんだから」
 レイは収めたままにしている若塔から、アーシアの膣内温度が上昇しているのを感じ取った。柔らかな抱擁は倦怠感を安らぎに変え、眠気を誘発させる心地よさをもたらす。
 人類を滅ぼしうる存在から安心を得ている自分はなんなのか。そんな思いに駆られもしたが、人間と淫魔は意思の疎通が不可能ではないはずだと身をもって経験しているため、すぐ脇にどけられた。
「よくよく考えればさ」
 レイはそう言いながら、脱力して垂れさせていた両腕に力を入れると、アーシアの下垂した乳房に触れた。重力によって形を変えている今の形状が崩れぬよう、ほんの少しだけ触れる。手は上乳から横乳、下乳、谷乳へと動き、また上乳に戻る。そんな動きを繰り返し、表情豊かな彼女の乳房を愉しんだ。
「そもそも、ぼくがアーシアを満足させられるわけがないんだよね。なのに自分の独占欲から勝手にブチ切れて、ファン兄とアーシアの戦いを強引に中断させてみたりさ。アーシアが人間界にいたのは何か大きな理由があるからだろうに。マリーが淫魔のセックスに横槍を入れるなって凄く怒ってたけど、アーシアの仕事の邪魔をしたことも含めて、ぼくの身勝手さに腹を立てたんだろうなって、冷静になれてから、そう思ったんだ」
「レイ様はよく修学なさっておられます。わたくしは、なんら不満などございません」
「そう言ってもらえると少しは強くなれてるのかなって思えるけど、満足は、してないでしょ?」
「そのようなことは……」
 堕天使が口ごもると、少年は手の動きを変化させた。
 親指以外の四本の指を動かし、アーシアの下乳を弾く。すると、乳房が重そうに前へ揺らぎ、振り子の原理で戻ってくる。
 指の腹に彼女の肌感を得ると、また弾く。
 今度はそんなふうに繰り返し、いじった。
「責めてるんじゃないんだ。自分が抱く独占欲のくだらなさに気付いたってだけだから。打算的に言うなら、アーシアが満足したら消えちゃうんだから、そうなったらぼくが困るし」
「レイ様、そうご自分を卑下なさらないでくださいませ」
 首を下げていたアーシアが、再び首を後ろへ向け、レイと視線を合わせてきた。
「べつに、自分を貶めてるわけじゃないよ。……アーシアは、昔はいざ知らず、今は淫魔でしょ?」
「はい」
「アーシアもほかの淫魔たちのように、セックスが生き甲斐になってる?」
「……はい」
「ぼくの世話をしてくれるようになってから、出会うまえのように、ちゃんと精気を取って、生きてる?」
「畏れ多くも、レイ様から、過分にいただいております」
「じゃあ肉体的には、どお? ちゃんと満足できてる? ぼくが足枷になって、淫魔の生き甲斐を失わせちゃってたりしない?」
「決して、そのようなことは……」
 アーシアの銀杯色の双眸がレイの空色の瞳から逸らされた。
「ほら、してないんじゃん」
 レイは微笑した。
「ち、違うございます。レイ様のお手並みは遥かに上達なさっておいでにございます。お相手をさせていただいているときは至福の時間をいただいておりますし、レイ様にお任せして快楽に身を投じられるようにも──、ああ、わたくしは、なんという暴言を」
 不意に膣が締まり、レイは快楽によって顔を弛緩させられた。ただ、再び射精感を発起させられるほどではない。
 それに比べてアーシアの動揺ぶりは顕著で、レイと視線を合わせられず、きつく下唇を噛みながらかぶりを振り、自責の念に捕らわれて混乱しているようだった。
 レイは無作為にくる締めつけに愛しさを覚えながら、彼女の乳房を弾き続けた。
 生真面目な性格から、アーシアは柔軟な思考を苦手とする。それが災いとなって錯乱するのを見るのも、久しぶりだった。
 レイの心臓の中にある小淫核から発熱を帯びた淫気が漂い、アーシアを手篭めてしまえと使嗾する意思が伝わってきたが、少年が黙ってろと念じると、小淫核の住者は大人しくなった。
「落ち着いて。アーシアを追い詰めてるんじゃないんだから」
 レイはアーシアにのしかかった姿勢から首を下げ、彼女の頬に口付けた。すると、アーシアが頭を振るのを中止した。
 我に返ったのか、それとも頭同士をぶつけぬよう配慮したのかは判然としないが、とにかく止まった。
 狼狽しながらも、アーシアが目を合わせてきた。瞳は涙に滲んでおり、今にも零れ出しそうなほどだった。
 レイはまた、手の動きを変化させた。
 アーシアの下乳に掌を合わせ、軽く握る。指が乳肉に沈むと、優しくさするよう、そして緩やかに、大きく円運動しながら揉んだ。
「ぼくはもう知ってるんだ。男の淫魔って、ちゃんといるんでしょ? いるって判ったときは、さすがに驚いたけど」
 黒翼の堕天使は無言だったので、先を続けた。
「だからさ、時間が空いたときは、自由にしてきなよ」
 未だ無言だった。
 人類は、淫魔は女性しか存在しないという見解が定説となっている。男性の淫魔が存在する事実を自分は知ったが、会った経験はない。そのため、男性淫魔の存在を秘匿する理由から彼女が黙っているのかもしれないと心慮し、方向を修正した。
「じゃあ、同性とだったら?」
 いっこうに発言してこないため、レイは、「なんで黙ってるの?」と訊いた。
 しばらく無言で見詰め合う時間ができてしまった。そこでレイは彼女の胸を揉むのをやめ、先端にあるふたつのしこりを摘み、こねた。
 そうしながら、しつこく、「なんで?」と、また訊いた。
 やがてアーシアが根負けし、口を開いた。
「我ら淫魔の戦略により、レイ様はその御身を、望まぬ境遇に置いてらっしゃいます。淫人となられてからも自由を利かせてさしあげられない現状において、その塗炭の苦しみは、下賎なわたくしなどでは推し量れません。それでもレイ様は、運命を切り開こうと努力なさっておいでです。ですから、レイ様のお傍に仕える身として、わたくしも試練をいただこうと考えた次第にございます」
「同情、してくれてたんだね」
「申し訳ございません」
「なんで謝ってんの。誰かに想ってもらえるのって有り難いし、ぼくは嬉しいんだ。シンディやファン兄、グーおじさん、グーおじさんの事務所の人たち。たくさんの人がぼくを心配してくれてるんだって知ったときは、頑張ろうって思ったもん。絶対に生きて帰るんだってね。だからアーシアが卑屈になる必要なんかないよ。これは解ってくれる?」
「はい」
「──で、そのアーシアが自分に課した試練って、もしかして、ぼく以外とはエッチなことをしないって意味だったり、する?」
「ご名答にございます」
 性欲を満たしていない様子だったのでまさかと思って訊ねたら、当たってしまった。
 愚かな独占欲を恥じ、アーシアに自分以外の者との性交渉を提案したのは、彼女が楽になってほしかったからである。それは彼女を消滅させてしまうという杞憂以前に、今の自分では技術的に不可能なのだ。
 ほかの誰かと睦み合っていなかったと知って、正直嬉しい気持ちも芽生えたものの、淫魔としての彼女にとって、禁欲はたいへんな辛酸のはずである。
「でも、せめて自分で慰めるくらいは、してるでしょ?」
「いたして、……おりません」
 レイは愕然とした。
 淫魔が快楽によらず、平静を保っていられるわけがないと思ったからだ。少なくとも、人間界で普通に暮らしていたときには、そう習っていた。
 ファンを始めとして、イェンセン・グスタフが経営する、グスタフ淫魔ハンター事務所に所属している淫魔ハンターたちからも、淫魔が性欲に支配さたかのように、狂ったように襲ってきたという体験談を、山のように聞いている。
 この常識すらも間違いだったのだろうか。
 少なくとも、自分は最低でも日に一度は精液を体外排出しないと気が狂う。これは淫人という、淫魔の中でも特異な存在だからこそ起こる事態なのかもしれないとも思った。自分に巣食っている淫気が溜まっていく精気を毒として認識し、吐き出させるための作用でしかないのかもしれない。
 だから、質問を重ねた。
「性欲を満たさなくて、平気なの?」
「レイ様は、お優しいですから」
 アーシアが微笑んだ。
 明確な回答を得られなかったが、その気色から事実だと推察した。

(おいフルー。聞いてるんだろ?)
 淫核になってしまった自分の心臓の、さらに内に存在する小さな淫核へ、思いを投げかけた。
<我の尊名を縮小して呼び示す、不遜千万たる未熟の放浪者よ。我の名は精霊の文字に記したまえば、そのすべてにおいて激甚たる意味合いを含蓄せし──>
 鬱陶しいので、魂に直接響いてくる言葉を無視し、自分の都合のみによる念を飛ばす。
(淫界にいても淫魔は性交渉なしでは生きられない。ぼくはそう思ってるんだけど、当たってる?)
<狂気と淫乱。複数の精髄を司りし精霊に対峙せしめるこの一時ですら倣岸の罪による鷹懲があると肝に銘じて百拝し、悔恨による魂の洗滌を施行せよ。しかして後、我に官能の献呈もちて、精霊の御名におけたりし宿主の責務と──>
(うるさいなあ、どうなんだって訊いてるんだっ。ぼくに分かるように言わないと、アーシアからち○こ抜いちゃうからな!)
<精気無くして淫魔は肉身の存続叶わぬ。快楽無くして淫魔は精神の保持叶わぬ。精気、淫気、相互不可欠なり。他者から得られし精気の量、これ淫魔同士ではかろうじて補完足りえたりしも、同性では極微、異性では微々たらしめるものなり。全てを創造せし大いなる存在が自らの身を引き千切りて創りだしたもう、愛の籠に抱かれた神の子らによる生命の源泉こそが、ひとつの精髄のみで縒り創られし不完全の存在を、唯一現存せしめうる理なり。他者から得られし淫気の量、これ種族を問う必要なし。同性では大、異性では極大。これらは個体差による変化ありしも、その性質はひとつのところとなす。肉身の存在こそ真理なれ。これこそ遠大なる導きなりて、存在許されし物理の者どもは、兆拝にても不足するほどの仕組みであると知るべし>
「レイ様……?」
 アーシアが首をかしげて不思議そうな面持ちになった。
 心配そうなアーシアの顔を見て、レイは自分の中にいる存在との交信が途切れてしまった。
 しかしレイはアーシアに微笑み返した。
「ごめん、ちょっと考え事〜」
 と茶化し、再度、意識を心臓の奥へと向け、確認のための発言を確実に飛ばすために、瞼を閉じた。
(要するに、アーシアは我慢してたってこと?)
 視界を遮って意識を狂気と淫乱を司る精霊に向けてみると、頻闇に染まる人の上半身を模した存在が認識できた。
 下半身をもたないそれは、腕組みしている。
 これがどこの世界と繋がっているのかなど、レイには分かりようもない。妄想の産物なのかもしれない。だが、フレンズィー・ルードという、自分の中にいる精霊に違いないと確信できたのだった。
 自分の魂がその存在に吸い込まれていくような感覚に襲われたが、それは好きにさせておいて、回答を待った。
 ただし、吸いきられてしまえば自分が消滅するのは自明なので、そう長く時間はかけられそうもない。
<是なり。失われし大天使時代のささやかたる記憶、責務、自覚において、淫魔となりて堕ちし時間が流れゆけど、その清廉たる蒼穹は無意識のさらに奥、神層の窓口に潜みつつ、ピチピチと生きたりしものなり。これ、大天使たらしめる存在の尊きを証明するに至れり>
(それおまえのせいじゃんか! おまえがアーシアを堕天させたんだろ! 責任を取れっ、この馬鹿精霊が!)
<暴慢なり!>
 魂ごとどこかにもっていかれそうな振動に直撃され、レイは意識が遠のきかけてしまった。このままでは自分が破砕すると直覚したものの、納得のいかない憤怒の激情が糸程度に自分を繋ぎとめてくれたので、
(うるせえ黙れ!)
 と、怒鳴り返せた。
 すると、呆然としかけた自意識が復活した。理由は分からない。精霊が何を言ってるのかも、実際のところ、よく分からない。
 ただ、自分をいつも見守ってくれていた人を大切に想う気持ちが、今の自分のすべてを包んでいた。
(アーシアに執着するなら、ちゃんと見てやれよ! 自分なりに一所懸命生きているアーシアを、認めてやれよ! アーシアを自分のものにしたくて力を示してばかりだから、おまえは嫌われるんだろ! なんで守ってやんないんだ!!)
<好嫌たる心情など精霊界の理に介さず。また、我が服従を宿命とせし大天使を守護する義理もなし。我は大天使の燔祭こそを望む。だが、我が宿主とする放浪者よ、それが真意か>
(そうだ。ぼくはアーシアを天界に還すっ。やり方は知らないけど、それは探す。ぼくの中にいるなら、それくらい知ってるだろ!)
 きっぱりと、言いきった。
 すると、頻闇の上半身でできた存在から狂気の精髄が和らぎ、レイは少し楽になった。
 狂淫の精霊に接触すると知らずのうちに感情が昂ぶってしまうのは、精霊の傲慢な態度に苛立つだけでなく、この精霊が狂気を司っているために、力の影響を受けてしまう要素もあるようだ。
<我には桎梏の契約が優先される。しかし現行において、宿主の意図は履行叶わぬ>
(よく分かんないし、話が逸れてる。アーシアはぼくに同情してくれたから自分を律して、淫魔の存在理由として不可欠なはずの快楽を、自分の精神力で抑え込んで強引に我慢してるって、解釈していい?)
<緩き頭にて悟りしは、前進として評価するに、値する>
(あい、じゃあもういい。あとは静かにしてろ。こっちが呼びもせずに出てきたら、今度こそち○こ抜くからな)
<それは、あい叶わぬ遊びなり>

 レイは意味不明の不思議世界から自分を自覚させるため、一度だけ深呼吸した。
「レイ様、大事ございませんか? レイ様、大事ございませんか?」
 少し高めで澄んだ声が、裏返って聞こえた。
 後頭部のあたりに柔らかな感触があり、額のあたりには、温かな感触があった。
 薄目を開けてみる。
 さまざまな色合いが混ざり合っていてよく理解できない。なんだろうと思ったとき、目が潤んでいて焦点が合っていないためだと気付けたので、何度もまばたきをした。
 そのあいだに、湿りの多い温かい何かが、頬に接触した。それは不規則に当たってくるが、とても心が安らぐ現象だった。
 ゆっくりと視覚が戻ってゆき、やがてはっきりすると、眼上で涙に暮れるアーシアの容貌が見えた。
「あ……、れ?」
 アーシアの背に乗っていたはずなのだが、力なく首を巡らせてみると、いつの間にか自分の頭は彼女の膝の上にあり、額や頭を撫でられていた。
 アーシアの顔は、半分が彼女のたっぷりとした乳房で遮られている。
 いい眺めだなあと、朦朧とする意識の中で思った。
「あぁっ、レイ様、ようございました。本当に、ようございましたっ」
 なぜアーシアが、恥も外聞もなく泣いているんだろうと思った。
 とにかく元気づけようとして、レイは頭中に残っていた想いを口をした。
「あんまり、アーシアを縛りたくないんだけど。──命令。ぼくへの義理立てを今すぐ中止して、アーシアは、ちゃんと、精神的にも、肉体的にも、満たされること。いい?」
 眠気が、今いる世界からレイを遠ざけ始めた。正直、心臓も痛い。
 ただ、
「承りました」
 と何度もうなずいている命の恩人を見ると、よかったという安息感が、心に充足した。
「起きたらさ、またエッチの相手を、頼むね」
 いたちの最後っ屁をかますと、少年はアーシアの返事すら聞こえぬまま、あとは真っ暗闇の世界へと自分をいざなうために、瞼を閉じた。

背徳の薔薇 大切な恩人へ 了
第二十六話です

 今さらですが投稿させていただきます
 二十五話の後ろにコソっと置けたらいいなとか思いつつ、やり方が分からないから、そのまま堂々と恥さらしです


 一年半以上になりますが、メッセージありがとうございました
 ヴェイスとディアネイラの話となると、零話になりますね。実はこれ、第一話として作ってたんですけど、できていたプロットにおいては、一方的ですらない決着にしかなりえなかったので、これが私の第一本目のBF界への投稿としてはいかがなものか、などと尻込みし、現在の第一話を投稿させていただいた、というのが実情だったりします
 戦う描写をして、BFを盛り上げてくださっていた先輩方へ、尊敬の意としたかったからです

 なので、零話になるお話は、妄想で補っていただく方向でお願いします。過去話を作るよりも、先のお話を作っていくほうが、建設的でしょうから
 もっとも、私の更新が遅いから、そもそも内容なんて覚えてねーよ、って感じだとは思いますので、陳謝です

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