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この世界は狂ってやがる!

「ふっ……!」

 握ったままぐっと手首を返すと、風のない室内の空気を切り裂き、水気を掃うようにして黒い刀身が振り抜かれる。窓の外から差し込む月と、部屋の中をうすぼんやりと照らす光とで磨かれた刃が輝く様子は、戦に向けてその気を昂ぶらせているようにも見えた。

「今宵の剣は血に飢えているぞ……」

 なんてな。
 ……あほか、俺は。
 例えるなら誰も一緒に歩いていないのに道端で盛大にすっ転んでしまった時のような微妙に気恥ずかしい気分になりながら、俺は使い古した布で手早く刃を拭くと、鞘の入り口へと宛がった。
 装飾のほとんど施されていない、ところどころ塗装が剥げた鞘の中に収まる、ちきん、という小気味よい音を聞くと、改めて気が引き締まっていくのを感じる。
 ……いよいよだ。
 俺がひたすらに狙い続けた、その首を取るまで、もう少し。
 魔竜王。魔王の手下の中でも幹部格にあたる、七魔将と呼ばれるうちの一匹。魔族の中でも高い個体能力を持つ竜族を率いる魔竜王は、それに相応しいだけの圧倒的な力を持った強敵だ。

「思えば長かったな……」

 俺がまだ駆け出しで、そこらに沸いてくる魔族をセコくもちこちこと倒していた頃、滞在していた村を気紛れにやってきたヤツに潰され、俺もまた完膚なきまでに叩き潰された。あえて村人を殺さず、逃げ惑うのを見物しながら。地面に這い蹲らせられ、燃えていく村をまじまじと見せ付けられたあの屈辱は忘れ難い。
 むろん俺の最終目的は魔王を倒すことだ。しかし、ヤツを倒さないことには何もかも始まらない。
 あの日から力を蓄え、武器も……まあ、万全とは言えないが用意はできた。
 見慣れた雑魚だと思ったら色違いのとんでもない奴に殺されかけた事もあった。オークションに並ぶ名剣に、積んだ金が届かず涙した事もあった。森で遭難して、痩せ細って死に掛けたことなど忘れられない。啄ばむな鳥野郎。

 魔竜王の手勢は今や俺も含めた人間の勢力の一部によってじりじりと追いやられ、山岳の根城へと追い詰められている。この好機を見逃すわけにはいかない。
 準備は万全だ。ヤツとの戦いは命を懸ける事になるだろうが、負ける気はしない。何より、ここまできて誰かに奴を討たせるわけにはいかない。
 目を閉じると奴の顔に浮かぶ驚愕と、その断末魔がありありと浮かんでくるかのようだ。

「く、くくく……」

 首を洗って待ってやがれ。
 俺がもうすぐ、殺しにいってやるぜ!

「一人で不気味に笑っているところを申し訳ないのですが……」

 ついつい笑みを浮かべていると、ふと背後から聞き慣れた声がした。
 俺は鞘に収まった剣をとりあえず腰に吊り下げて、立ち上がる。振り返った先には予想通りの馴染み深い顔があった。

「何だよ、帰ってたのか? リノア」
「はい。道中の占い師に、御主人様が周りを顧みず高笑いをするという予言を頂いたものですから、急いで」

 音も立てずにいつの間にか背後に立っていた女が後ろ手にドアを閉めると、少しばかり古びたドアが軋んだ音も全く立てずに出入り口を封鎖する。本当に足があるのかといつもながら疑ぐってみたくなってロングスカートの下を見るが、きちんと足がついている。残念だ。
 青と白を基調とした上下の服。長い黒髪を……今日は後ろで纏め上げていた。動きのない漆黒の瞳が、こちらに向けられる。

「随分具体的だな……」
「よく当たる占い師です。それと占い師は声をひそめて、晩御飯の後は向かいの窓からリエッタちゃん19歳の生着替えがよく見えるとも言っていましたが――」

 俺は迷わず窓を開けた。

「――自分の部屋から」
「……」
「通報されますよ、御主人様。代わりがいるとはいえ、のぞきで捕まる勇者(仮)など勘弁していただけませんか」

 俺は迷わず窓を閉めた。腰に吊り下げた剣の、握ると柔らかくもなく硬すぎず、絶妙な手応えを返す柄を握って踵を返す。
 俺は迷わず右手でリノアの胸倉を掴む。揺さぶる。額を合わせる。
 まるで抵抗しないその体は、まるで人形のようにぶらぶらと俺の目の前で振れている。

「人をおちょくって楽しいかお前は?」
「お怒りのところ申し訳ありませんが、今後に関わる大変重要な報告があるのですが」
「なら入ってきた時点で言うべきじゃねぇのか? あぁん?」
「たったいま思い出しました。褒めてください」
「……はいはいはい。いーこだなーお前は、ほんっとうにいーこだなー」

 右手と左手の中指でこめかみを抑えると、割と有りっ丈の力を入れて褒めてやった。
 よっぽど喜んでいるのか両足をじたばたとさせながら、両手で謙虚にも俺の手を振り払おうとしてくるが、俺は優しいのでしばらくの間そうしていてやった。
 疲れたところでいい加減離してやると、相変わらず動きのない瞳に涙を滲ませながら、聞こえるか聞こえないかというくらいの声で、こんな事になったのも……だの、占い師を通報……だのぼそぼそと呟いている。可哀想だが仕方ない、どういう経緯があったか知らないがこいつに話したのが運の尽きだ。
 さて、いつまでも構っているわけにもいかない。

「で、本題は?」
「御主人様の暴力と私の労働環境の改善についてです」

 もう一発。
 涙目になりながらいやいやをするこいつを見ていると、何だか妙な虚しさがこみ上げてきて疲れる。

「……俺は明日以降の比較的高度なイメージトレーニングで忙しいんだよ。重要な報告ってぇのは何だ?」
「その比較的高度な妄想の内容に関わる、御主人様の望む狩りについての、重要な報告です」

 その言葉を聞いた時、さすがの俺もうろたえた。
 しかし妄想とかいう大概な言い草は俺の武器庫にしっかりと詰めておくことにする。

「……どういう事だ?」

 リノアは、いわゆる……雑用を兼ねた情報屋のようなものだ。あちこちから持ってきたとかいう情報はとりあえず信用がおける。おまけにこいつは普通じゃ知らないような魔族の様子まで知る事ができた。
 炊事洗濯なんかもするが、そっちの方は本人曰く特典というやつらしい。まあ便利だ。

 ちょっと変な奴ではあるが。

「魔竜王が魔乳王になりました」

 かなり変な奴ではあるが。

「……」
「……」

 いや、待て。待ってくれ。
 聞き覚えのない異世界の言葉が、今何か通り抜けていった気がする。
 異世界の言葉じゃなければ古代文明人の開発した高等言語とかそういう何かだ。そうに違いない。

「……いや、何だ? お前いま何て言った?」
「申し訳ありません、報告に誤りがありました。正確には魔乳王女でした」

 そこじゃねえ!

「……笑えない冗談だ。意味が分からないぞ」
「御主人様、どうか現実から目を逸らさないで下さい。全ては現実の中です」

 何で俺がようやく喉の奥から搾り出したような切実な声をかけられなくちゃならないんだ? 俺が何かしましたか?
 それ以前にまるで要領を得ない。得ないが、何かとてつもなく嫌な予感だけはしている。素手でフレイムヒドラの巣に飛び込んでしまった時ですらこんな嫌な予感はしなかった。
 右のこめかみに手の平をあてて、前髪の一つを煙突のようにぴんと伸ばしながら、リノアが言葉を続ける。

「簡単に言えば下克上です。七魔将の一人である魔竜王ダイオードが、実力行使によってその座を奪われたようで」

 その言葉が示す意味は至極簡単だった。頭の中で、椅子取りゲームにあぶれた誰かが弾き飛ばされて飛んでいく。

「んな簡単に代わったりするわけねーだろが!」
「私にそんな事を言われても困るのですが……。位の取り下げなどというより、謀反に近いようですから……魔族もなかなか殺伐としているようですね」

 やけに冷静な声に腹が立ってくるのは、なかなかやばい兆候だ。
 それも仕方が無い事だと思う。思いたい。神を信じてるなんて今まで安易に言わなくて良かった。そんなものがいるなら殴り飛ばしてやりたい気分だ。

「……本人はどうしてたんだよ。戦ってくたばりやがったのか?」
「休暇にバカンスを楽しんでいたところ、裏切った部下と軍勢に幽閉されてしまったようです。今はどこへいるのやら……と」

 ……そんなのアリか?
 何で俺の敵は休暇取った挙句に勝手に捕まって勝手に位を奪われてるんだ? 魔族だからって人の気持ちも少しは考えて欲しい。
 この世界は狂ってやがる!

「どうやら末端の部下達は何も知らずに戦い続けているようですが……」
「ちょっと待てリノア……。……その何たら王女が七魔将に据わったのは一体いつの話だよ?」
「正確な時期はわかりかねます。少なくとも一週間以上は前かと思われますが……」

 少なくとも一週間、俺達は魔竜王の手下を倒し続けている。根城へ続く道を切り拓こうと、今でも倒し続けられているはずだ。
 ……なんとか喉の奥から絞り出す言葉が、まるで淡い希望のようなもので、仮にそうだったとしても俺にとっては悲しいことでしかないと自覚しながも、俺はそれを口にするしか出来なかった。

「……その王女……当然、今は魔竜王の根城に巣食ってるんだよな?」
「御主人様。……残念ながら、二つの種族は色々と違いすぎたようです。あと、魔乳王女は元から城を持っていたそうで……」

 ひどく冷静で、冷徹な言葉が、それが疑いようもなく真実である事を物語っていて。
 俺は全身から、何か熱のような、白い靄のようなものが抜けていくのが見えた。間違いなく見えた。これがオーラって奴か……。

「……じゃあ、何だ。何か? 俺達や他の連中がやってきたことは、全くの無駄になったって事か?」
「まことに遺憾の意」
「……ひでぇ」

 酷い。酷すぎる。あまりといえばあまりに酷い。
 あれだけ気分が盛り上がって、鼻歌を歌いながら剣を研いでいた自分がバカみたいに思えてくる。……これも全部その巫戯けたやつのせいだ。魔乳将軍? 王女? だか知らないが……。

「……そもそも、そのなんたら王女ってのは何なんだ? まるで聞いたことがないぞ」

 そんな存在は話の裾にも出てきたことがない。
 七魔将の一角を落とすなら、少しぐらいは各地でそれらしい軍勢が発見されていてもいいはずだ。

「どうやら今まで何らかの理由で身を隠していたようです。封印かもしれませんが」

 笑えない。今さら新しい敵なんて許していいのか? 封印されていたとしてどういう理由で封印されてたってんだ、人魔がどんだけ戦争やってると思ってるのか。
 それとも『魔乳王女』なんていう二つ名的なものが恥ずかしくて引き篭もっていたのか。あぁ有りそうだ。信憑性がある。
 あるある。

「……ねぇよ!」
「いきり立たないでください。首が絞まって思わず死んじゃいそうです」
「知るかぁ……大体何なんだよそいつらは……どういう連中なんだよ」
「それはですね……」

 リノアの言葉が途切れた瞬間。
 体の中にぴりぴりと走る何かの予感のような衝動に突き動かされて、俺は手を離して即座に後ろに飛び退いた。
 目の前で木製の扉が、蝶番ごと倒れるように吹っ飛び、ついでに俺が掴んでいたせいで逃げ遅れたリノアが弾き飛ばされ、テーブルの上にあった熱いお茶などを巻き込みながらうつ伏せに倒れ伏した。
 南無南無と昔聞いたような気がする呪文を呟きながら、俺はとりあえず腰の柄に手をかける。
 予想通り……いや、予感通り吹っ飛んだ扉の向こう側には、見知らぬ人影がいた。そりゃそうだ、忍者屋敷でもなければ扉が自分から吹っ飛ぶはずがない。

「ご覧の通り……です」

 後頭部を熱いお茶で焦がしながら、健気にも続けられたリノアの言葉に俺はなるほどな、と頷いた。
 立っていたのは、女だった。
 冷ややかでありながら熱意を湛えた蒼い瞳。肌が出てる部分と出てない部分はどっちが多いか少ないか程度の露出度の高い服装。少しだけ高めの身長に豊かな起伏を描く体つきには、青く長い髪が掛かっていて、頭には二本の角。限られた身体に扇情的な要素の塊をぎゅぎゅっと集約しているかのようで、正面の薄い布からは大きな塊二つがこれ見よがしにはみ出ている。
 下で働いていた子供が出血多量で死んでいないか心配だな。
 その女は意気揚々と人の部屋に足を踏み入れると、地面で転がっているリノアには目もくれず俺にその指を差して、言った。
 いや、叫んだ。

「見つけたわ、先代魔将の首を狙う者!」

 ……げんなりする。

 その声は甘ったるいというより、戦場に立つ戦士のような凛としたものに近かったが、今は却って暑苦しくてうんざりだ。
 人の部屋に堂々と入り込んでおいて何が『見つけたわ』なのか小一時間ほど問い詰めてやりたい。
 まぁ指差す無礼はひとまずさておいて、確証を得るところから始めよう。そう思って俺は足元の膨らみをちょんちょんと蹴った。

「……サキュバスか?」
「やや違うのですが……まぁ似たような存在と思って間違いありません」

 どこか恨みがましい視線を向けながら立ち上がったリノアから帰ってきた答えは、俺の考えを肯定した。
 サキュバス。
 古来より人間の精を吸い尽くすとされ恐れられる魔族。シスターにでも聞かせれば殴打の二、三発は免れない下世話な逸話があまりにも有名なせいで非力に思われがちだが、ガチでやっても結構手強い。少なくともでかいだけのオーガよりは。
 まぁ魔族全体としては弱い方なのだろうが、駆け出しは見たらとんずらすべき相手だ。幸いこの連中、頭が良いから脱兎の如く逃げる相手まで大抵は追おうとしない。
 しかし……魔族の中でも輪をかけて適当な連中だったはずだ。巣を作る事はあっても、団体行動はまるで引率者のいない遠足のようにぞろぞろばらばら。
 その辺が、連中がいまいち表に出てこれないというか、マイノリティな理由だったはずだが……? さて。

「中でも彼女ら一派は胸に栄養が回っているそうです。きっと頭は悪いんでしょう」
「何か聞き捨てならない事が聞こえた気がするのだけど」
「自分が小さいからって僻みを情報に混ぜるのはやめろよ、リノア」
「……御主人様は人間の味方ですか? 魔族の味方ですか?」
「大きい方の味方だな」

 扉の前にいる女がくすくすと笑う。
 もっとも俺は別に大きい方が好きというわけではない。言ってみただけだ。

「で……何だ。人の部屋にずかずか入り込んできやがって、今日の俺はもう営業終了なんだよ。お引取り願おう」
「あら、失礼ね……でもそういうわけにはいかないわ。王女直属の幹部が一人、ティルティエがあなたの身柄を貰いにきたのだから!」

 閨に忍び込んで策を仕掛けてくる一族とは思えないぐらいテンションの高い奴だ。
 どうせなら王女が直接来りゃあ一発でケリがついて助かるんだが仕方ない。さほど強そうでもないし、さっさと終わらせてしまおう。
 そう思って握った手は硬く、あと僅かもあれば目の前でふてぶてしくも瑞々しく揺れるサキュバスの胴体を切り裂いているはずだった。

「この私が、あなたに正々堂々のバトルファックを申し込む!」

 ……いざ剣を抜こうと思ったところで、今日何度目かわからん異次元言語が襲い掛かってこなければ……。
 あるいは問答無用で斬りかかっていれば良かったのかもしれないが、その時の俺はあまりに疲れていたんだろう。

「……リノア!」
「バトルファックとは――」

 無意識に助けを求めて呼んだ声に、隣に立っていたリノアが髪の一部を立てながら口を開いた。

「――単純にいえば彼女達の間で行う、性技を用いた決闘のようです。先に絶頂を迎えた方が負けという単純な規則で、彼女達にとっては誇りを賭けて行う重要な儀式の側面も在る……と。性技に自信を持つ種族だからこそ、そういったものがあるのでしょうね」
「あら。よく知ってるわね、あなた」
「優秀ですから」

 なるほど。
 こんな連中ならそういうものがあってもおかしくないかもしれない。が、しかし。

「ばぁかか、お前は。誰がお前らの土俵で勝負するか」

 俺が付き合う必要性があるわけがない。
 こいつは一体何しに来たんだ。名乗っての一騎打ちが通用するとでも思ったのか? しかも罠がある事を知らせた上で。
 剣の錆にはなりそうもないが、ボケてる間に切り捨てるとしよう。

「……いえ、御主人様。どうやら受けなければならないようです」

 そう思って柄に力を込めたとき、制止するかのように唐突に横から聞こえてきた声に、俺は眉を顰めた。
 何だと?
 いつの間にか移動していたリノアが、窓際の方を指し示していた。

「こいつは……」

 透明な窓に張り付くようにして外を見回す俺の視界に入ってきたのは、宿の周囲に大量にたむろする魔族の姿だった。
 フードを着てる奴がいる上に部屋が二階なせいでイマイチ分かりにくいが、どいつもこいつも揃って歪んだ体付き、そして時おり隠し切れずにはみ出る尻尾や角。そのほとんどが、この部屋に踏み入ってきた奴と同類だ。
 しかしいくら連中が隠密に長けているとはいえ、この街の治安を心配したくなる。
 無性に月でも見たくなって視線を水平に戻すと、隣の屋根の上に座っていた二匹のサキュバスがにっこり笑って手を振ってきた。
 ……死んでしまえお前らなんて。

「お分かりかしら?」

 上品ぶりやがっているうざい声が背後から聞こえてくる。
 振り返ると、初めに入ってきたサキュバスの背後にいつの間にか三人ほど別の奴が控えていた。髪の色から背丈までばらばらだが、どいつも揃って涎が出るほど実り豊かだ。

「別に私達は力比べをしてもいいのよ。これだけの数を突破できる自信があるなら、そうしなさい」

 俺はようやく目の前のサキュバスがわけのわからない一騎打ちを持ちかけてくる事ができた理由を知った。
 同時に目の前の女の顔が、俺に決闘を持ちかけてきた時の手袋を叩きつけてくるのではないかと思うほどの激しいものから、ねばっこく嫌らしいものへと変化していく。

「死ぬ前に十匹以上は道連れにしてやるぜ、俺は」
「なら、そうしてみたらどう? でも、一つしかない命を粗末にしていいものかしら」

 さすがに動揺はしないか。唇を歪めながら、自信たっぷり質量たっぷりに胸を張っているだけだ。
 連中の一人一人がどのくらいの力なのかは計り難いが、窓の外を覗いた限りでも結構いた事を考えると、物量的にさすがに厳しい。
 横に視線をやると、リノアと目が合った。黒く濁った瞳をこちらに向けて、小さく唇を開いてくる。

「受けるべきかと。ここから逃げるよりはまだ相手をした方が可能性はあるように思えます。……彼女達の中では重要な儀式的側面もあるようですから、負かせば少なくともここで襲い掛かってきたりはしないでしょう。多分」
「多分か。……大体何でこんなに必死こいて俺が狙われなきゃいけないんだ?」
「一応勇者の一人ですから。来るべき時が来たということで」
「前半と後半が繋がってねえよ」

 勝負だの何だの言っているが、人と馬が競走するようなもんだ。少なくとも目の前で微かに笑いかける女は公開処刑としか思ってないだろ。
 こんな方法を『持ちかけてきた』理由は、戦力は連れてきたものの、こいつもあまり道連れ被害を出したくないって事か。

「……せめて術が使えりゃな」
「才能ないですからね」
「黙ってろ」
「理不尽な……」

 人が気にしている事をやかましい。
 こういう連中に対して抵抗力を高めるには、術を使うか祝福を受けた装備だ。魔術師にはサキュバスを従える連中もいる。トばすこと自体は不可能じゃないんだろう。
 しかし俺はどちらも持たない。持たないから、ここまで乗り込んできたんだろうが。

「内緒話は終わった?」

 女が片目を瞑って口を尖らせながら、こちらを急かしてくる。扉をぶっ壊した事といい、あまり気が長くはないらしい。
 時間を稼げば騒ぎか何かでも起きるんじゃないかと思ったが、どうやら本気でベッドの上を墓場にする覚悟をしなくちゃならないようだな。

「リノア」
「はい」
「預かってろ」

 腰に吊り下げた剣を鞘ごと横に放り投げると、青い髪を波のように揺らしながら、女の表情がみるみる喜色に輝いていく。
 不本意だが、ここは思惑に乗る他はない。だから我慢だ。明らかにこっちを獲物としてしか見てない表情も我慢だ。そっ首へし折りたくなるのも我慢だ。

「やるのですか?」

 質問には答えず、俺は息を吐いた。
 勝負は受けるが、やり遂げる気はさらさらない。どうにか機会を窺って逃げ出すなりした方がいいだろう。
 不可解なほど統制が取れているだけに、この女さえ人質にできれば逃げる事も不可能ではないはず。
 ……大丈夫。ねんねの坊やじゃあるまいし。
 いくら相手が性の権化だからって、人間様が負けてたまるかよ。大丈夫大丈夫。うん、大丈夫。

「預け物をしておくんだ。勝負の間、そいつには手を出さないでくれるんだろうな」
「私の狙いは、王女の前任者が手傷を負わされたという、あなただけだもの。コトが済むまで人質代わりにはなってもらうけど、その後は用はないわ?」
「……!」

 ……無言でガッツポーズするんじゃない駄目イドめ。何があっても助けてやらんからな。

「それじゃあ」

 足音も立てず、水面を歩くかのように優雅に女が近寄ってくる。気がつけば至近、触れ合うくらいの距離で女がこちらを見上げていた。
 薄い紅色に彩られた唇をほんの僅かに歪め、唇の端を舐め上げて。隠そうともしない溢れる自信と、隠れた場所からじわりと浮き出してくる妖艶さを伴って。
 その背後で、傍にいた三匹と一人がずいぶんと開放的になった部屋からそそくさと出ていくのが目に映った。……後で頭突きしてやる。

「始めましょうか? ……ふふ、気持ちよく負けさせてあげるから、ね」
「世界一憂鬱な睦言だな……」

 人生それなりに上手くいっていたはずなのに、ものの十分も経たずにこんな異常状態になっているんだから憂鬱にもなろうものだ。
 俺は目の前にいる女が、実は俺の呼んだコールガールである事を願って目を閉じたが、残念ながら開いた目に映ってくるのは頭の上で捻くれている角だった。

「でも……きっと世界一素敵な言葉になるわ。あなたにとって、ね」

 囁かれる確信的な言葉は勝気そうな女の自信に支えられていて、ただ胡散臭いというだけでは済みそうにない。
 豊かな二つの膨らみが肋骨のあたりにぐにぐにと押し付けられ、その指が服の上から、つつ、と筋肉の間を滑っていく。

「そうはなりたくないもんだ。そうなったら人間お終いだな」
「そう?」
「お前らだって、無抵抗の人間をそんな風にするのは張り合いがないだろうよ」
「あら、そうでもないわ。可愛い声で鳴きながらびゅく、びゅく……って出してくれるのは、私、好きよ?」

 試してみる? そう言ってころころとこちらに笑いかけながら、女はその人差し指で、薄紅の唇をゆっくりとなぞる。
 可愛らしさと妖艶さが同居したその姿に、心臓の奥が徐々に徐々に、火が通った石炭のように熱が通っていく。

「俺は嫌いなんだよ」

 少し気になる言葉があったが、とりあえず今は無視しておくか。
 目の前にある、ふくよかな体つきに誘われるようにして、その後ろ側に手を伸ばす。

「それなら、私のことを気持ちよくしてちょうだい?」

 その手をすり抜けるようにして、女が身を翻した。
 くるり、と蝶が舞うようなゆったりとした動作で一回転して、そのままの勢いで背中側からベッドに埋もれていく。
 仰向けになったまま、女は片方の手でその大きな胸をやわやわと揉みしだき、片方で閉じた足の間にある薄布を引っ掛けるような動作でさする。それはその奥にあるものを、否応なく喚起させるようなものだった。
 わずかに潤んだ瞳で悪戯っぽく笑いかける、明らかに誘っているとしか思えない姿に、劣情と激情が昂ぶってくる。
 それは罠とは違う。
 扇情的な姿に透けて見えるのは、明らかな余裕だ。

「……今に見てろ」
「ふふ、それは楽しみね?」

 内側から湧き上がってくる怒りに圧し出されるように、俺は青い川が流れる、真っ白な台地の上に身を投げた。
 女が自ら弄る手を敢えてずらさず、太腿と脇腹付近にそれぞれの手を這わせていく。
 血が上りかけている頭は、さっさと指を直接、その服の役割を果たしていない服の内側に突っ込めとがなり立ててくるが、ここは我慢だ。
 ……ご大層な名前がついちゃいるが、要するに相手を先にイかせてしまえば勝ちってことだろ。やった事がないわけでもない。……ないわけでも、ない。

「もぉ……別に我慢しなくてもいいのよ?」
「我慢したくないのは、お前の方じゃないのか」
「さぁどうかしら? ん……ぁ、ふふ」

 脇腹から肋骨の下の窪みへと探るように手を滑らせると、くすぐったそうに笑うサキュバスは、早くも頬をほんのりと桜色に染めつつあった。
 太腿はサキュバスのくせに生意気にも地を駆ける獣の足のように引き締まっていて、すべすべとした感触と、力を入れると程よく押し返してくる張りがある。
 こうしてベッドの上でよくよく眺めてみると、起伏は大きいものの、それらは全て一本芯が通っているかのように締まっている。
 だからこそ、気になる。その身体の中で唯一、ふるふると重力に従って揺れる、大きく柔らかいカタマリが。

「私のおっぱい気になるかしら? 触ってみたら、ね……大きいほうの味方なんでしょ?」

 その言葉は社交辞令だ。
 もっとも触りたくないかと言われれば、確実に嘘になることは分かりきったことなんだが。
 ……何で胸一つ揉むのにこんな考え込まなきゃならねんだよ。
 急にばかばかしくなってきて、俺は上半身をまさぐっていた手を、その盛り上がった山稜に引っ掛ける。それを覆っていた布きれが、勢いよく上に弾かれて、素肌が露になった。

「はふ、んっ……ふふっ、どう? 柔らかい?」
「どっちかというと、気持ち悪いな」

 気持ち悪いという言葉は正確ではなかった。
 片山に掌をあてがうと、肌が吸い付きながらずぶずぶと胸の中に誘われていく。何処までも沈んでいくかのような感触は、奇妙でありながらも嫌な感じはまるでしない。
 指をいっぱいに広げてもまるで掴みきれず、指の間からまろびでた脂肪が溢れている。

「その割にはずいぶん必死に揉んでるみたいじゃない……」

 それはお前のがばかでかすぎるせいであって、はっきり言って俺のせいではない。
 すっかり興奮した様子で熱い吐息を吹く女の様子を見計らって股座の間へともう片方の手を這わせると、自慰に耽っていた女の手が絡み付いてきて、導くようにわずかに濡れた布の上へと宛がわれる。
 ……一体どこまでさせる気だ。そう思ったが、ここで止める意味はない。

「お前は俺の身体を使って自慰でもしたいのか?」
「そんなこと……ないわよ? でも、何だかスイッチ入らなくて……それにね、味を覚えさせた方が溺れてくれるんじゃない?」
「冗談」
「……くす。そんなこと言っちゃって、いいのかしら」

 揉み潰すような勢いで胸に力を入れるたび、女の仄かな嬌声が混じりながらぐにぐにと変形していく。そのたびに、気分が変に盛り上がっていく。
 気がつけば甘い匂いが鼻腔を刺激していた。
 胸を一揉みするたびに、中に詰まった淫靡な香水が噴き出すかのように匂いが強くなっていく。いや、本当に匂いなのか?
 頭の中を間接的に弄られている感じがする。サキュバスの身体に触れているのだから当然とも言えるが……。

「私のおっぱい、大きくて、柔らかくて……もっと揉んでみたくなるでしょ?」

 掌に従い、あるいは逆らい、その姿形を変えながら掌を楽しませてくるのは正しく魔性のそれで、理性がへこたれそうになる。
 かといって逃げるわけにはいかない。これがいわゆる勝負である以上は。
 だからこの巨大な武器を揉み続けることそれ自体は問題ではない。
 問題なのは、逃げるという選択肢が頭の中からそもそも欠け落ちそうになってしまっていることだ。
 片方の指の先、秘所に宛がわれたそれが、中からじわりと染み出してきた粘液に触れる。
 それは溶けるほどに熱く、水飴のようにしつこく絡み付く。

「ん、ん……気がついてる?」
「はぁ、うっ」

 泣きたくなるほど惨めったらしい声が口を突いて出た。
 女が軽く膝を曲げて押し付けてきた足に擦られて、俺はいつの間にか股間が膨らんでいる事を知る。

「ふふ……もう、がっちがち……。揉んでるだけでよくなっちゃった?」

 女はそれみたことかと言わんばかりに、その顔をにやりと歪めていた。
 狂ってやがる。
 確かに女を弄るのに興奮はするが、こんな風に制御が利かなくなったりする事はしない。
 手を止めたい。止めたくない。
 二立背反の思考がぐるぐると頭の中を回って、余計に思考を鈍らせる。手は今もなお、無心に胸を揉み続けているというのにだ。

「ね……吸ってみたくない? ひくひく疼いて、切ないの」

 空いたもう片方の乳房が女の手で捏ね回され、差し出されるようにその先っぽを俺の前に見せつけてくる。
 カタマリの先にある桃色がかった小さな突起は、誘うように全体ごとふるふると揺れて、俺の理性も一緒にぐらぐらと揺らされているかのようだった。
 唇は渇いていて、異常なことにその揺れる乳首に今すぐしゃぶりつきたいと思ってしまう。その顔に埋めたいという戯けた考えが、後頭部を這い回る。
 誘うように揺れているそれは、雑魚を釣るための天然の疑似餌のようだった。

「ぐっ……」
「ね……?」

 女は指先で、尖ったその根元をこりこりと摘みながら、いよいよもって吸い付かれるその時を待ち望んでいるようだった。
 その姿に腹立ちを抱いていたはずなのに、いつの間にか別人格の発露かと勘違いするかのような、全く別の意思が湧き上がってくる。
 正反対の二つの意識が頭の中で火花を散らしながらせめぎあう中で……俺は。

「……冗談じゃないぜ」

 吐き出すように、その言葉を口にした。
 疑似餌。あれは疑似餌だと、俺は一瞬でも思った。俺の本能の一部はあれを確かに危険なものだと捉えた。
 二つの本能のせめぎ合いは、危険を察知する方がとりあえずの勝利を収めた。

「あら、そう……残念だわ。凄く気持ちよくなれると思うのに」

 提案を撥ね退けられても大して痛そうでもなしに、ただ残念そうに女はその片手を離す。
 その行為に欠片でも名残惜しさを感じてしまう事にいまさら愕然とはしない。しないが……。
 俺はサキュバスとの交合というものを聊か甘く見ていたのだろうか。そんな仕様もない後ろ向きなことを考えてしまう。
 なるほど、逸話に残るはずだ。
 こいつらの身体は、単純に人間の上玉やら床上手やらといった言葉では言い尽くせないものがある。身体を触れ合わせるたびに立ちのぼってくる形容し難い空気は、俺に不自然な行動を取らせようとする。己の抗魔力の低さが呪わしい。ついでにこんな勝負に乗ることを勧めたリノアの事も恨めしい。
 今は恨んでいる場合ではないというのに、こんな事を考えてしまう俺も変といえば変だ。
 涼しげでありながら熱に揺れる青い瞳がこちらをとらえると、変に気持ちが昂ぶって、胸の奥が揺れ始める。その眼に見透かされているような気になってしまって、それが不快ですらない。

「あなたの手、すごく必死で……私も気持ちいいわ。あなたも気持ちいいでしょ……ね? だから……」

 やばい。
 何がやばいって、俺の頭の中で警鐘がまともに鳴ってくれないのが危険だ。廃滅的な危機は目の前に広がっているというのに、現実感とかその他大勢に圧されて頭の中がまともに働かない。
 だから、急を要するその動きにも、対応することができなかった。

「そろそろお返し、してあげるわ?」

 自らの体をまさぐっていた両手に軽く押され、しなやかな両足で巻き込まれ、天地がひっくり返る。
 決して防げなくはなかった緩慢な動きのはずなのに、気がつけばさらさらとした青い髪が首筋をくすぐっていた。
 そして俺を捉えて離さない青い瞳の向こう側にある、重力に従って釣り下がる二つの膨らみ。

「ん、ぐっ……」
「こんな風にひっくり返されても、まだおっぱい掴んだままなんて……そんなに好きなのかしら」

 あまりにも馬鹿馬鹿しい行動だと思いながらも、掴んだ手を離せない。
 真上から手が伸びてきて、肌の擦れる音と共に服の前面部があっという間に解くように脱がされ、魔法まで併用したのか下腹部まで外気に晒される。

「そういう人は、ねぇ」

 女はろくに力が入らない俺の両手の手首を掴み、ベッドに叩きつけながら上から圧し掛かるような体勢になる。
 ちょうどさっきと逆の体勢。
 力づくで抜け出そうとすればいくらでも逃げられる体勢。そのはずだ。そのはずなのに。
 ほんのりと汗で湿った乳房が目の前に持ってこられて、自然と唾を飲んでしまう。抵抗しないといけないという思いつきが、風に吹かれたように散じていく。
 俺を組み敷いた女が一気に上半身を落としてくる!

「潰しちゃうんだからっ」
「ん、ぐっ……んんっ!」

 気がついた時にはもう遅い。女の体が沈んできたと思った瞬間、視界が目一杯、柔らかい乳房によって強引に制圧される。

「ほぉら、どう? 両手でぐい、ぐいって押し込んで……はぁ、ん、息がくすぐったいわ」
「んぐっ……ぐ、ん、んんんんん……っ!」
「ふふん、苦しい? 息が苦しいでしょう? 私のおっぱいで窒息死させてあげましょうか」

 巨大な圧力が顔面にすっぽりと覆いかぶさってきて、息が苦しい。
 口を開いて呼吸をしようとするたびに吸い付くような肌が滑り込み、包み込んできて空気の出入り口が塞がれ、殺す気かという抗議は声にもならない。
 しかし何より……さっきと違って直接肺の中に送り込まれるかのような、立ち込める甘い匂いに、血液が沸騰しそうにさせられる。

「冗談よ……ほら、離してあげる。苦しかった?」

 こいつ……!
 両手で膨らみを持ち上げて見下ろしてくる女の顔には、欲情の中にさっきまでは顔を覗かせる程度しかなかったはずの侮りがはっきりと表れている。
 喉を鳴らして空気を吸い込む俺を、薄く唇を持ち上げながら見つめている。まるで鼠か何かでも見るようなそれでだ。

「お前っ……」
「ん……まだ口が利けたんだ。でも、無駄でしょう?」
「ぐっ……ん、ぐ、んぐぅっ……!」
「上から押し潰されて、何も抵抗できない……いや、抵抗しないんだものね?」

 もがこうとする俺を抑えつけるかのように、再びその、ほんのりと温かみを持った塊が押し付けられてくる。
 ぐにぐにと変形するたびに、押し付けられた胸が潰れながらにして顔を押し潰してくる度に、掻き集めた抵抗力があえなく吹き散らされる。

「いい匂いでしょう? こうして窒息させてね……離してあげる」
「ん、ぐっ……!」
「そうすると、まるで肺の中が甘いので……私で一杯になるみたいでしょ?」

 息苦しさの中で、立ち込める濃霧のような甘いそれはどんどん濃度を増していく。
 これはまずい。吸ってはならない。……いや、違う。解決するのはもっと別の、大前提の部分のはずだ。何で俺はこれを吸わされている? いや、それ以前に何をしている?
 頭の中がタチの悪い風邪を引いた時のように、延々と駄々漏れになったまま一向に纏まりを見せない。それが酸欠のせいなのか、それとも甘美な何かのせいなのか、入り混じりすぎて段々判別がつかなくなっていく。

「そのうち私の匂いをずっと感じられるようになるんだから。ほら、ぱっとして、ぎゅうって、ね」
「げほっ、ぐ……ん、んんんんっ……!」
「ふふ……ほら、あなたのあれも、凄く興奮してるのが分かるわ……精気のすごくいい匂いがするんだもの」

 止めさせないとまずい。そう思って伸ばした両手を嘲笑うかのように、何度目かわからない胸が押し付けられる。
 表面が舐めしゃぶるかのように顔面を上下して、その快感に身悶えしてしまう。快感?
 自問自答してみて気付いた危険な兆候に思考を割いている時間は、やはりというか、なかった。
 熱を持った下腹部に、ひやりとした何かが触れてくる。突然の刺激でありながら、まどろんでいた思考を乱すことがない、自然で、危険な。

「あんよで触ってあげる……ふふ、すっごく熱い。ほら、もう出ちゃいそうなんじゃない?」
「んぐ、ん……ばっ……ん、んんっ……!」
 少しは喋らせろこの塵! 心の中で罵倒した。十回以上は罵倒した。
「ほら、もう先端を擦ると、くちゅくちゅいってるわ……。そんなに『私』に潰されるの、興奮する?」

 女の行動が激しくなるのと比例して、段々と態度がでかくなっていく。腹が立つ奴だ。
 しかし。
 しかし、それに対してお灸を据えるべきである俺の意識は既に薄氷のようだった。そしてそれを知っているから、目の前のサキュバスはより強く行動を変化させていくんだろう。

「潰されて、悶えて、腿で擦られながら必死に我慢しちゃって……そろそろ潰されるのが気持ちよくなってきた?」
「ん、ぐ、んっ……」
「何度でもおっぱいで顔を咥えてあげるから。精液流すまで後何回、耐えられる?」
「ぶはっ、ぐ、ふ、くっ……ぜぇ、ふ……」
「それとも、私の虜になっちゃうのが先かしら。それでもいいわ、私。その時は、ティルティエ様……って呼んで頂戴ね?」
「……っ!」

 冗談じゃない。そう思ったのは、じくじくとまわり続ける毒が混じった心の中だ。
 ティルティエ、と。噛みそうな名前であったことすら厭わずに、するりと喉元から這い出そうになった言葉を肺の奥まで叩き込む。
 下半身の敏感な先端部分をゆっくりと何かが撫で擦るように刺激しながら、にたりと笑いかけてくる女の青い瞳に気味の悪さを感じながらも目を離すことが出来ない。

「あれ、今一瞬何を言おうとしたのかしら……聞いてみたいけど、私」
「抜かせっ……!」
「残念。気が変わったらどうぞ。きちんと呼んでくれたら、このおっぱいで、あなたのをみっちり包んで、扱いて、食べてあげるから……ね?」
「んんんんっ……!」

 そしてまた潰される。
 顔面は柔らかい物体によってベッドに押し込まれ、全快のはずの全身にはろくすっぽ力が入らない。頭の中は蕩けるような快感の霧が苛む。
 狂っていた。少なくとも、あの胸でずりずりと下半身を這い回られ、抱え込まれ、同じように押し潰されてしまえばどんな風になってしまうかと片隅でも考えてしまうくらいには。
 今は片隅だが、それがいつど真ん中に居座っているものに取って代わるか分からない。
 それだけの恐怖がある。それだけの悦楽がある。

「ん、く、んぐっ……!」

 まずい。
 勝てない。
 どれだけ逆境であろうが、俺が生きていて相手が生きている以上はいくらでもやりようがあると、そう思っていた。
 あらゆる状況といった状況を逆転してきた要素が、まるで吸い尽くされていくかのように姿形を失っていく。反撃の糸口は結び目からばらばらになって、掌をすり抜けるどころか掴む機会すらない。
 俺は最初からやるべき事を誤ったのか?

「ほら、ほら、ほら、ほら……まだ頑張る?」
「ん、んん、ぐ、げほっ……ぁ、くっ……!」

 抗魔力も、特別な御守も持たない俺が、元からこんな方法でサキュバスに属するものに勝とうとすること事態が間違いだったのか?
 このままでは、負ける。
 負けるというのに、ろくな悔しさすら込み上げてこない事が空恐ろしい。いや、それどころか、却って。
―――――様
 いや、まだ、まだ俺は負けたくない。空恐ろしいと思う気持ちがある、その感情から、糸を引くように引っ張り出した有りっ丈の力で堪える。

「ふふ……そうね。たくさん我慢した方が、気持ちいいものねっ……ほらっ!」

 しかし、遅すぎたのか。
 鼻腔から入ってくる香りは全身どころか、巡りめぐって思考を溶かしていく。
 何度も押し寄せ、叩きつけられる、しかし柔らかい感触にいよいよ限界が近付いていく。身体の? 心の? ……両方の?
 駄目だ。このままでは――遅かれ早かれイってしまう。早ければ次の一撃で、しかし遅かろうが反撃の手段はない。緩慢か即死かの違いでしかない。
 それなら、いっそ――。

「ん、ぐっ……!」

 ……勘弁だ。それだけは嫌だ。断固拒否する。
 しかし俺の真上では、火照らせながら、完全に俺を玩具にするような目つきで、その大きな凶器を振り被る女の姿があった。まずい。
 このままでは、このままでは――

「……っ……!」

 そう思ったところで。
 突如として思考が、闇に落ちた。




『御主人様』

 とんだかと思った思考だったが、どうやらそうではなかったらしい。
 暗転といえば正しいのか、一瞬真っ暗闇の中に落ちた思考は次の瞬間には役目を取り戻していた。悟りを開いたって、あんな感じかもな。
 しかし、どうやら視界は変だ。まともに物が見えない。いや、そもそも働いているのかすら分からない。単に暗闇というわけでもないが、辺りにある影のようなものが実像を描いていない。
 まるでどこかに浮かんでいるかのような、不思議な感覚だ。

『御主人様』

 いや、それよりも更に不思議なことがあった。
 身体を、頭を、あれだけ苛んでいた不思議な感覚が消えている。いや、消えてない。
 しかしさっきまでの状態が嘘だと思えるぐらい、明瞭かつ健康であることは間違いなかった。まるで夢から覚めた時のような。思い出すと恥ずかしい夢ではあるが、それが気にならないぐらい奇妙だ。

『御主人様』

 いや、それよりも更にもっと不思議なことがあった。
 この声だ。
 直接頭に響いてくるようなこの声。

『何だよ』
『……返事は早めにいただけませんか。てっきりもう堕ちてしまったのかと』

 頭の中に響いてくるのは、聞き覚えのある声だ。不思議と落ち着く。しかしどこか殴ってやりたい、そんな声。
 どうやってこんな事をしているのかは定かじゃないが、多分に魔術の類なんだろう。何かしらの道具の力も足してるかもな。
 まるで曲芸みたいな真似をしやがるが、不思議とすんなり飲み込めた。さっきまでが異常な状態であるせいもあったかもしれないが……。

『何だ、これ……念話だってのか?』
『そんな旧式と一緒にしないでください。……今、私の魔力を送っていまして』
『何だと?』
『一時的に意識を切り離して話かけています。正直凄く疲れるので、今にも切れそうなのですが』

 珍しく疲れているとこぼしてくる割には、相変わらず抑揚のない声だ。

『何をする気だ?』
『御主人様の周りに私の意識を通して魔力の膜を張ろうという算段です』

 話がやけに抽象的だ。説明するのが面倒なのか、何か隠しているのか、それとも本人も知らないのか判断がつかない。
 まぁ、しかし。
 どうやら俺にとっていい知らせである事は間違いない、という事は分かる。

『どうにかなるのか?!』
『連中の影響は中和できるはずです。それと、少しばかり御主人様の指にも快感をあげるための仕掛けを』
『お前、そんな器用なこと出来たのか? いや、というより出来るのか?』
『専門ですから。離れているせいであまり劇的な事はできないのですが』
『……十分だ』

 思わぬところからの助けだ。
 これで多少なりまともになるというのなら是非もない。あのサキュバスには目に物見せてやるとしよう。
 やはり最後に助けを求めるのは天などではなく、そこに確かにあるものだという事か。いや、よく考えれば今は俺が雇い主なんだから、俺の力と言えなくもない。恐らくそうだ。

『……しかしお前。戦闘には手を出さないんじゃなかったのか?』
『それがですね、御主人様』
『何だ』
『傍にいる三人が、私のことを物凄く肉食的な目で見つめているもので』

 まぁ……よく考えれば連中と約束したのは勝負がつくまで手を出さないって事だけだ。
 普通はこういう事態になる前に音もなく逃げ去っているんだが、さすがに今回の急変する事態にはリノアも逃げ切れなかったという事か。

『ですから、御主人様にはどうにかこうにか勝利してもらい、私を助けてもらおうかと』
『まぁ、任せろ。しかしあれだな……勝負を勧めたお前を恨い殺してやろうかと思ったが、こんな裏技があったとは……呪おうとして悪かったな』

 正直もう負けたかと思った。
 こうして確かに意識を保ってみると、つい先程までの自分を思い返して寒気がする。
 負けそうだという自覚すらなく叩き伏せられて、完全に向こうの土俵に持ち込まれたまま終わるはずだった自分。
 まあ、正確には現在形だが……。

『いえ、特にこんな事は思いついていませんでしたが』

 ……は?

『お前……じゃあ……どうして今、こんな事が出来てるんだ?』
『たった今思い出しました。褒めてください』
『……おい』
『申し訳ありませんが、もう干渉するのが限界ですので打ち切ります』
『聞け』
『それと彼女達の魅力を打ち消したわけではありませんので。強い快感など加えられれば膜は破れかねませんし、万が一あの糞無駄な糞脂肪分の糞塊に自分から挟まれにいくようなら死んでください』
『おい、えぐれ胸』
『もしかしたら私の手違いで術が破れるような事もあるかもしれませんね』
『……』
『……』
『……』
『それでは御主人様、勝利を願っています。主に私の貞操のために』

 最後まで抑揚のない、どちらかというと不安しか沸いてこないエールを贈られて、ぱちぱちと火花が弾けるような音と共に、再び世界が暗転していく。
 ……無事に済んだら、ただじゃおくまい。


 目の前が弾けるように広がり、明滅しながら段々と視界が色を取り戻していく。
 二、四、八、十六、三十二、六十四。

「そぅ、れっ」
「むぐ……っ」

 ……一。
 相変わらず容赦なく打ち付けられる胸は、ほとんどぴったりと密着してきてかなり息が苦しい。必然的に喘ぎながら息を吸えば、谷間の間にこもったそれを取り込む事になる。汗が混じり始めているそれは、息苦しさも相俟って恍惚に近い変な気分になりそうだ。
 加えて下半身のものは引き締まった太腿あたりに絡みつかれていて、なかなか心地いい。
 とはいえ、今は思考を奪われるというほどではない。
 試しに両手両足の指に意識をやってみる。……きちんと力が入るな。この分なら身体のほうは大体思った通りには動いてくれるだろ。
 さて、あまりもたもたしてもいられない。とはいえ、焦るのも厳禁だ。落ち着け、落ち着け。

「んぐっ……くっ、は、ふはぁ……っ!」
「結構頑張るじゃない。ちょっと私も楽しくなってきちゃった……」

 解放されたところで、俺は深呼吸をしながら改めて目の前でこちらを見下している女の様子を窺った。
 サキュバスの性技ってのが果たしてどれほどのものなのかは知らないが、少なくとも今加減されているのは確かだ。勝負をつけるだけならさっさとその谷間で股間に這いずってればいいんだからな。
 それが向こうの何かしらの理由によるものなのか、それとも弱者を甚振る余裕なのか。まぁ今見ている限りでは後者だ。見下されている俺は窮鼠か。

「さぁ、いくわよ……!」

 心臓の音を聞きながら、俺は時を今か今かと待ち続ける。
 その大質量の塊を二つ、両手で抱え上げながら、恐らくは再びそれをぶつけてくる為にサキュバスは背中を俺と水平にさせたまま上半身を持ち上げ、振りかぶるように上半身を少し反らす…………ここだ!
 俺は女からすれば今の今まで力なく横たわっていたように見えるであろう両手を跳ね上げ、今にも凶器を振り下ろさんとする、その細い両肩をがっしりと掴んだ。流れるように動く身体を思い描きながら、少しだけ気だるく感じる身体に息を止めて力を引き絞り、間を持たせずに一気に身を翻す。
 緩慢だった女の肩を軽く突き上げ、膝を立て、足を巻き込みながら一気に体勢をひっくり返すまでは数秒すら必要無い。

「……へ……え?」

 叩きつけるようにベッドの上にその体を押し付けると、少しばかり硬めのベッドがぎしりと軋み、ぱちくりと目を瞬かせながら女が俺の下で間の抜けた声を漏らしていた。
 どうやら本気で不意打ちだったらしく、その表情は追い詰めた獲物をいたぶるそれから、一転して鳩が豆鉄砲食らったような顔だ。なかなか可愛いじゃないか。
 重なった体が面のように返るのは、これで二度目。
 裏の裏の裏にさせてたまるか。

「え、ちょっと、何で……?」
「さぁ、何故だと思う?」

 まあ、さっきまでの俺の痴態としか言いようがない状態を考えると、うろたえるのも無理はない。
 半いんちきな手がばれない事を祈りながら、未だに状況が整理できないサキュバスの肌の表面を、右手でくすぐるように刺激する。

「ぁ、ひゃんっ」

 ……おや、予想外にいい声だ。
 心構えが出来てなかったせいか、リノアが残した補助が効いてるのか、或いは両方か。ベッドの上でその体をほんの少し震わせながら出た声は、喉の奥から思わず、といった風。

「ちょっと……っ、何よいきなりっ、こんな」
「俺ばかりよくしてもらうのも悪いだろ? というわけだから、遠慮なく受け取れ」

 体に合わせて、重力に従ってのたくり踊る胸の動きについつられそうになる。体に自由が利くというのもどうやら良い事ばかりでなく、動けるだけにその弾力のある塊の間に突っ込みたいという欲求が鎌首をもたげてくる……我慢だ。
 我慢しながら女の片足を体重で押さえ込んで、余った左手を秘所に這わせる。ずぶずぶに濡れた布のようなものを取り去ると、奥から流れ出してくる熱いものが指を伝った。

「……何だ、もうこんなに濡らしてるのか? 俺にしながら、そんなに興奮してたのか」
「なに、ばかな事いってるのよっ……、当然でしょっ」

 ……ああ、そういやこいつはサキュバスなんだった。ややこしい奴。
 押し込むまでもなく、そっと力を加えればずぶずぶと飲み込んでいく秘裂に任せて指で遠慮なく中身をかき回すと、堪えきれない甘い嬌声が混じり出す。
 中に入った指が最悪蟻地獄のように引きずりこまれる事を考えていたが、中の襞が普通と比較にならないほど細かくさざめきだっているのを除けば人間とは変わらない。
 胸が論外ならこっちはどうだ……と思ったが、どうやら挿入は避けた方がいいらしい。残念。

「この……さっきまでへこへこ腰まで振ってたくせにっ。そんな今にも漏らしそうな……射精しちゃい、なさいよっ」
「ん、おっ……!」

 女の両腕が伸びてくると、上半身にその細い指先で触れられる。まるで俺には見えない急所を的確に知っているかのようで、思わず仰け反ってしまいそうだった。
 一瞬油断していたところにびりっと快感が走って、思わず腰の奥から得体の知れない何かが漏れ出るかと思った。
 奥のどろどろとした何かが気が抜くと熱に絆されて、外に出てきてしまいそうだ。

「ん、くっ……ちょっと、やめっ……!」
「そんな声で言われてもな……」

 知らないふり。知らないふりだ。
 こっちも当然のように余裕がないが、それ以上に相手の混乱ぶりは酷いものがある。

「ぐちゅぐちゅいいやがって……あんま暴れんな、思わぬところを引っ掻いてしまいそうだ……なっ」
「ひゃ、んっ……! この、しらじらしっ……ぁ、やっ……!」

 あんまり酷いものだから勘ぐってしまいそうになるが、反応に嘘はありそうにない。こいつ、責められると弱いのか?
 盛り上がった肉質の小山の麓に右手を這わせながら、ぐちゅぐちゅと卑猥な音を流し続けている秘所の裏口に人差し指をやって撫でると、案の定ひくひくと震えながら反応する。この辺り人間と違って気にしなくていいのは楽だな。
 俺のモノに太腿を押し付けてこようとしてるのか、じたばたと暴れようとするが、足を組んで阻止してやると見て分かるぐらいはっきり悔しそうに表情を歪めていた。
 ざまぁ。

「ん、やっ、だっ……んっ……!」

 俺が追い詰められる以上の速度で、女は加速度的に体を昂ぶらせている。
 手足をばたつかせながら身体を揺らして抵抗する様は、勝負として見れば無様で、女として見れば嗜虐心を感じる程度には可愛げがある。
 頬を紅潮させて青い瞳を細めながら女がもがくと、じっとりと染み出てきた汗を弾き、魔性の身体の中でも特に存在を主張する大きなそれが縦横に揺れた。
 先端で尖った乳首は咲きかけの桜のような色をしていて、本人がどれだけ興奮しているかわかろうというもんだ。

「は、んっ……あ、やっ……」
「ん、く……お前、しつこいな結構……!」

 本能なのか、もがきながらも伸びた両腕はきっちりと俺の身体を捉えている。激しい快感をもたらすものではなかったが、うっかり押し出されない保証はない……かもしれない。
 ……さて。
 俺はとどめを刺すべく、ふらふらと揺れるそれに顔を近づけると、向かって右側の乳首に思い切り吸い付いた。

「ひんっ……ふ、ぁぁ……♪」

 硬くなった先を口に含んで、微妙に力を調節しながら吸い立てる。
 右手を乳房に押し当てて揉みしだきながらのそれに、果たして狙い通り女は恍惚とした声をあげながら僅かに背中を反らしていた。感じる場所には間違いないらしい。
 柔らかい乳の中に手を埋めながら、こりこりとした先端を吸うというのは、なんとも不思議な気分になってくる。これが童心に帰るって奴なのか、果たして。
 ともすればその行為に夢中になってしまいそうになる。が、まあしかし、追い詰める方が遥かに早い。はずだ。
 千切らないように手加減をしながら、乳首に歯を立てて刺激を送り込む。ひょっとしたらこの連中に手加減なんていらないのかもしれないが……
 そんな事を思っていると、突然口の中に何か温かいものがじんわりと広がった。

「ふ、ぁっ……出ちゃ、出ちゃうっ……!」
「……ん、ぐっ……?!」

 ほんのりと滲み出るようなそれは、すぐに噴出といっても差し支えないほどまで勢いを増して、口の中に放り込まれ、或いは唇の外に伝う。
 乳房を持つ手にぐっと力を込めながら、視線を顎の下へやる。
 膨れた胸の先、俺の唇を伝っている液体は、白かった。舌の上に溜まるそれは、ほのかに甘く不思議と懐かしい味がする。それの正体は、いわゆる。
 ――母乳だぁ?!
 馬鹿げた話であるが、他になんとも例えようがない。

「んっ……ふは、ぁ、出ちゃ、んぐっ……」
「ん、ちゅる……ん、くっ……」

 なんとも不可思議な状況に色々と疑問が沸いては消えるが、委細構わずさらに強く吸い立てる。
 背中を反らしながら悶える女の声に昂ぶるものを感じながら、泉のように湧き出てくる母乳を吸い上げていく。

「んっ……美味しい……?」

 荒い息をつきながらこちらを見つめる女の表情が、紅潮したままじんわりと変化していく。それは恐らく俺がついさっき起こしたもので、またこの女が起こしたものの逆なんだろう。
 じわじわと湧き出てくる人肌の飲み物が唇の端から零れるたびに、その変化が強くなる。

「ちょっとぽやっとしてきたでしょう? ……ふふ、大人しくなっちゃって……」

 下半身を弄っていた指のことを言っているのだろう。確かにほとんど動かない指が、逆に膣に貪られるかのように擦られていた。
 サキュバスの手に軽く乳首を摘まれ、思わず背筋を動かしてしまう俺の反応に満足した風に、そいつは笑った。にこりと。にやりと。

「その母乳を飲むとね、全身が凄く敏感になって……幸せな気分になっちゃうの。ね、そうでしょ……?」

 先程の追い詰められて万策尽きたような振る舞いとは一転して、ゆっくりと言い聞かせるような甘い声が耳の奥に響いてくる。
 道理で、あれほど乳首を吸わせようとしていたわけだ。飲んだ時にはもう遅い、という事なんだろう。

「頭の奥がふわふわして、ぼうっとしてくるでしょ? 大丈夫、怖くなんてないわ。だから、ほら……」

 つまり……俺も、という事か。

「こっちに、いらっしゃい」

 崩れ落ちるように傾く上半身にその細い二本の腕を絡みつかせ、優しく、優しく、撫でさすりながら、しかし確かに自分の元へと引き寄せようとしている。
 微笑したその表情の中に、僅かにこちらを見下すような色が混じっているように見えたのは、間違いじゃないだろう。力を失っている俺を。罠に掛かっている俺を。

 ……もう、いいか。
 もう……。

「……ぶ……べっ!」
「……え?」

 間抜けの振りをするのは。

「……え、え……?」

 自分の頭の隣に吐き出された、唾液交じりの白い塊を見て、再び女の表情は二転三転。
 続けて俺の口から零れ落ちていくものに視線をくれると、勝利を確信していた表情がたちまち未熟なトマトのように青褪めていく。

「うぐ……げ、ほ゛っ……っぷふぅ。あぁ気持ち悪。で、何だって?」
「ど、どうして……?」

 面食らったような表情が実に愉快極まりない。
 つくづく追い詰められると思考回路が停止してしまうタチなのだろう。
 わざわざ自分でさんざん危険部位を教えてくれているってのに、そこから出てきたものを俺が何も考えずに喉を通すわけがない。

「そのばかでかい胸に手をあてて、よーく考えてみることだな。まぁ、ともかくだ」

 さすがに心臓がさっきよりバクバクしてるとか、まぁ効能はあるが、まぁ誤差の範囲だ。
 とはいえ中々危ない橋だった。血液の温度を継いだようなほんのり暖かい母乳は、ふとすると無意識に飲み下してしまいそうになるのだ。もうちょっと我慢してたら飲んでたかもしれん。
 まぁさっきまでの俺ならともかく、今の俺にはこのくらいの時間は飲んだふりをするぐらい嗜み程度だ。本当はもうちょっと絡め手を含めて使うものなのかもしれない。
 それを知らないこいつが未熟なのか、それとも予想外の事態によほど慌てていたのか。
 まあ、いずれにしても。

「ネタをばらすのが早すぎるんだよ……ど間抜けめ!」
「やぁ、ん、あっ」

 そもそも罠が見え見えなのに手をかけてやった俺に感謝の一つをしてくれてもバチは当たるまい。俺の狙いであったとはいえな。
 意図的に動きを止めていた左手の動きを脈絡もなく再開して、湿ったやらかい肉の中を抉っていく。

「んぁっ、ひ……っ!」

 じりじりと我慢勝負を続けていたはずの女もさすがに一連の流れで完全に混乱極まったのか、ほとんど抵抗らしい抵抗になってない。
 未熟な奴め。
 首筋に舌でも這わせようと思ったが胸が邪魔で届かないので、とりあえず鎖骨から肩にかけて口付けながら、手の動きを徐々に早めていく。

「あ、やめ、やめてっ……ちょっと……!」
「白々しい事を言ってくれるなよ。ほら、そろそろイったらどうなんだ?」
「あ、や、うそっ……!」

 ほんのりと赤みを帯びながら悶える手足も、豊かな起伏を描く腰から首元にかけても、じゅぶじゅぶと泡立つ粘液を零す秘裂も何もかもが性という印象そのもの。
 だというのに弄くるたびにまるで生娘のように身体を震わせる様は、なかなか興奮させられる。
 いやいやをしながら全身を震わせるのはまさにそのものだ。少し違うのは、その瞳が理解しがたいものを見る目ではなく、助けを請うようなものだと言う事か。
 残念ながら聞かないが。

「ふぁ、あっ……ぁ、や、こんな、こんな、ぁっ」

 全身に伝わるびくびくという振動が一定周期で激しくなり、こちらに向けられた目にだんだん見えない何かを見るような、奇妙な視線が混じりはじめる。
 もうこれ以上待つ必要もない。
 その鼓動に時機を合わせて、俺は膣の入口ぐらいまで一旦引かせた指を、数を増やして一気に奥に押し込んだ。

「や、あ、あぁぁぁぁっ……!」

 淫らな液塗れの肉の中に指が突き入れられる、ぐぽっという音がしたと共に女の一際高い嬌声が部屋の中に響く。
 身体を弓なりにしならせながら、急所に突き入れた指が濁流のように噴き出す女の蜜は、突き入れた指が思わず押し出されてしまうかと思うほどだった。

「ん……終わりか。どうだ? 気持ちよかったかよ?」
「ぁ……ぁっ……」

 よっぽど気持ちよかったのか、それとも自分達の土俵で負けた事が信じられないのか、女は虚ろな目をしたまま質問には答えられないようだ。前者だと嬉しいが、後者でも割と気持ちいい。
 女がぼんやりと天井を見つめながら身体をぴくん、ぴくんとさせるたびに、ぷしゅっと押し出されるようにして飛び出した蜜がベッドを汚していた。


「そんな……」
「こ、こんなことって……」

 ふと随分風通しのよくなった入口の方から聞こえてきた声に振り向くと、さっき女の後ろに控えていた三人組が入口からこちらを見つめて唖然としている。
 どうやらこいつらにとってはよっぽど想定外の事だったようだ。まぁ当たり前か。
 その隙間から、リノアがこっそり顔を覗かせて無表情でVサインを送ってくる。
 ……そうだな。まったくもって、いい仕事だ。
 今度デザートでも奢ってやろう。

「こ、こんなの……こんなのっ……」

 殺意すらこもっていそうな気配にもう一度首の向きを変えると、ようやく茫然自失とした状態から目覚めたのか、ベッドに倒れ伏したままだったサキュバスが上半身を持ち上げていた。

「認めない……っ、こんな、こんな、認められないわっ……!」

 サキュバスは硬く拳を握り締めながら、まるで俺を親の仇か何かのような凄みで睨みつけてくる。
 よっぽど性技で負けたっていうのが悔しかったんだろうが……なんとも往生際の悪いことだ。
 まあ、何にしても決闘に勝ったのは俺だ。
 首を一つもらうついでに解放してもらおう。そう思って口を開こうとした瞬間、突如として女がびしっと俺の顔を指差した。
 憎しみと、悔しさと、他諸々が大量に混ざった表情。昔誰か、有名な画家が書いたとかいう一見不細工にしか見えない名画に似ている気もする。似ていない気もする。

「あ……あなた達っ! こいつを捕まえなさい!」

 ……って、おい。

「何言ってやがる、この戯け!」
「わ、私は、負けたからって、あなたを解放するなんて約束をした覚えはないわ!」

 屁理屈だろこれは、無茶苦茶な。……子供かこいつは?
 怒りと呆れが同時に立ち上ってきて、俺はぶん殴りたいような脱力したいような、どっちなんだろうな本当。
 何で俺はこんなわけのわからん勝負をした挙句、こんな面倒なことになっているんだ?
 命令された御付達はといえば、さすがに連中にも倫理観に似たものはあるのか、どうしたものかとうろたえている。少なくともこの女のような奴はマイノリティなようで安心した。

「し、しかし……ティルティエ様?」
「いいからっ! 早く、私の命令に従いなさい。なんとしてでも捕まえるのよっ!」

 俺と女の間を行き来する、命令に従うかそれとも……といった具合に悩んだ視線が、段々と俺の方に向けられる時間が多くなっていく。
 ……やばい、雲行きが怪しくなってきやがった。
 とりあえず突き飛ばして逃げようかと足を動かしかけた瞬間、その場にいる誰よりも早く扉の外にいたリノアが動いた。
 素早く三人の間をすり抜けるようにしてこちらに近付くと、俺の剣を片手で抱え込んだまま、そっと反対側の手を差し出してくる。

「御主人様。お手を拝借」

 こちらを見つめる視線は相変わらず無表情だ。何を意図してないか分かりにくいからもうちょっと表情の出し方を勉強しろ。
 そう心の中で吐きつつも、俺は一も二もなくリノアの手を取った。
 眩しい光が辺りを包みながら視界が歪んでいく。

「あ、あーーーっ! 待て、待ちなさ……っ」

 女が総てを言い終わる前に、視界を光が覆い尽くしていた。

 宙に浮いたような感覚は一瞬。
 次の瞬間には、俺は全く別の感想を抱いていた。

「さむっ……!」

 肌を撫でる冷たい風に、思わず身震いする。いきなり鳥肌になっちまった。
 わずかに遅れて回復した視力が映し出したのは、綺麗に立ち並ぶ建物の群れだ。ところどころ灯りがついたそれらが、妙に眩しく見える。
 ここは……外か!

「テレポートか」
「イエス、マイ臨時マスター。宿の包囲網はとりあえず抜ける事に成功しました」
「ご苦労臨時メイド。……しかし、こんな術もあるなら初めからやれよ!」
「さっきまで妙な結界があって、嫌な気分でした。それに術を発動する隙が見当たらなくてですね」

 本当だろうな、こいつ……。
 辺りを見回してみると、俺達が泊まっていた宿の姿は建物の陰に隠れていて見えない。とりあえず安全圏のようだ。
 まぁとりあえず、またもや助けられたと言っていいのかもしれないが、しかし……

「せめて俺の服を持ってくる余裕はなかったのか……?」

 寒いのもよく考えれば当たり前だ。俺は裸なんだからな!
 残っているのは上半身に着ていたものぐらいだ。しかも前は当然のように開いている。
 間違いなく常識的な人間に見つかれば速攻で社会的に死亡してしまうことは疑いようがない。

「これで御主人様も立派な性犯勇罪者ですね」
「混ぜるな。変なところに混ぜんな。やばいぞこれは、とにかく近くのどっか、店とか物陰に……」

 そう言いかけた時、目に映った。
 丁度俺らがいる近くの路地から、顔の覗かせた成人くらいの慎ましやかな街娘が、突然火をつけたような顔になりながらこっちを見ているのが。
 ……やばい死ぬ。下手するとさっきよりもずっとやばい。主に精神的に。
 あーあ、という無感情な声が隣から聞こえてきた。お前には後で拳骨食らわしてやるから覚悟しやがれ。

「あの……その、貴方は……」
「いや、違っ、違うんだよ、聞いてくれ。これはちょっと深い事情があってだな……」
「いえ……その、全て分かっております。安心してください」

 何が分かってるのか俺にはさっぱり分からないな。
 街娘は恥ずかしげに顔を赤らめながら、こちらを落ち着かせるようなのんびりした口調で、ゆっくりと近付いてくる。
 ……いや、待て、何故近付く――?

「こんなに逞しいものをお持ちになって……別に隠す必要なんてないですのに」

 熱い吐息を吹きかけながら、娘が両手をこちらに伸ばす。
 緩やかに巻き取るような両手が、首に掛かる。その顔は、ぞっとしてしまうほどの欲情に満ちていて――

「さぁ……」
「――っ!!」
「あっ」

 ――思わず異常を感じて咄嗟に飛び出した拳が街娘のどてっぱらにめり込み、2mほどきりもみ回転して地面に転がった。
 しまった。
 めきゃって、いった。何か、めきゃって鳴ったぞ。伏せたままの街娘(だと思う)はぴくぴくと身体を震わせながら起き上がろうともしない。震える女ならさっき見たが、それと事情が違うのは明らかだ。
 まずいな、裸で外を歩き回った挙句に傷害なんて洒落にならん。
 いや、違う違う。その前に。

「……な、何なんだこりゃ。痴女か? 痴女なのか? 今日はやけに縁がある」

 いや、あれは魔族だったか。

「御主人様」

 隣からまたもや、無感情な声での呼びかけが聞こえてきた。やけに背中に寒気がする。
 その声に抑揚はない。何の色もない。
 だから、もしその声に何かを感じることがあるとすれば――俺自身が何かを感じている事に他ならない。

「……何だ」
「実は、さっきの魔乳王女の情報なのですが……結構古い情報のようで。今しがた、正確な情報が」

 ばたん、ばたん。
 周りがやけに騒がしい。扉のようなものが開く音とか、窓のようなものが開く音がする気がする。気であって欲しい。
 何だか路地の奥から足音が聞こえるような気がするが聞きたくない。

「この街を丸ごと占領したそうです」

 ばたん、ばたん。どたん、どたん。
 窓から次々とのぞく二つの光は怪奇小説を彷彿とさせるような光景だった。

「……リノア」
「はい」
「逃げるぞ!」
「了解」

 リノアの腕を強引に取って、俺は踵を返して思い切り脚で地面を叩く。
 肌寒いとか股間に風が当たって変な感じがするとか、そんな些細なことを気にしている場合ではないッ!
 全力疾走だ。脇目も振らず全力疾走。
 開け放った窓から扉から、どんどんわき出してきている見た目普通っぽい女達は全員無視だ。
 何か地鳴りかと勘違いするほどの足音が後ろから聞こえてきて、しかもどんどん増えているが知ったことではない。後ろがどんな事になってるかなんて考えたくもない。
 とにもかくにも脚を動かしていると、隣で俺に抱えられているリノアの髪の毛の一部がぴん、と立ち上がった。

「あ。御主人様、魔界アンテナが」
「やめろ」
「たった今本当に最新の情報が入りました」
「言うな、やめろ。今の俺はそんな事を聞いている暇がない。聞く気も起きない」
「魔王城が陥落したそうです」
「――」

 言うなと言ってるだろうに!
 そんな言葉が出てこないぐらい衝撃的な内容だ。頭がまともにその情報を噛み砕いてくれない。

「魔王もどうやら捕まってしまったらしく。新しい盟主はまだ詳細不明ですが、とりあえず七魔将も挿げられたそうで」

 流れからしてそんな事はないのだろうと思っていたが、ひょっとして誰か超人的な奴が魔王をやってくれたんじゃないかという淡い期待もあっけなく爆散した。
 ああ、全力疾走するのがいい加減疲れてきた。
 本当に何でこんな事になってるんだろうな俺は。この事態の元凶というものがいるなら呪い殺してやりたいぜ!

「先に挙げた魔乳王女ラスアムの他に、紅蓮淫将ファ=トゥルア、魔導妖女ミレリア、告白天使ヴァイスフォーゲル、接吻魔人プレシア、精液便姫バネット、食人王女グルグラントが、その座についたようですが」

 もう何から突っ込んだものかわからん。何を呪えばいいのかもわからん。
 俺は理解できない逃避行を真っ裸で続行しながら、とりあえず夜空に向かって声を張り上げる事しかできなかった。


「この世界は狂ってやがる!」



                   完











次回予告!

 突如として意味不明な存在に襲われ怯える人類の中で、ひたすら狩りを続ける仮勇者!
 しかしそんな荒んだ生活を贈る彼の前に、人と魔、禁断の愛を育む一組の男女が現れる!
「ああ、なんだか怖い人が襲い掛かってくるよ、ハニー!」
「怖いわダーリン! 力を持たない私達なんて一瞬ね。けれど彼は何故だか膝を折っているわ?」
「それはきっと僕達の純粋な愛に心を打たれているんだよ、ハニー」
「そう……きっとそうね! そう、これが――」
『愛の、力――!』

「てめぇらもうどうでもいいから二人まとめて海に沈んでろおおぉぉぉぉぉっ!!」

 独身○○歳の仮勇者に、彼らの愛を理解することはできるのか!

次回!『この世界はバグってやがる!』




※嘘です
読了ありがとうございました。
もう少しメリハリのある書き方ができるように頑張りたいと思います。
※10/24 本文中の狂った日本語をちょっと修正。

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