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背徳の薔薇 空転

「脱走おーっ、脱走おおおおぉォッ!」
 黒衣の堕天使が慌てた調子で張り叫びながら、病院の廊下を疾走していた。
 彼女は青色の長い髪の毛と、前に突き出た鳩胸を揺らし、T字路の突き当たりまで一目散に駆けていく。
 背中に生えている二枚の黒翼を使って飛翔しないのは、院内の廊下がそれに耐えうるほど広くないためだ。ただ、ときおり翼をはためかせて加速させ、風のごとく、跳ねるごとくの敏捷性を得ていた。
 あっという間に廊下の合流地点までやってくると、突然、パジャマ姿の幼い入院患者が角を曲がってきたので、鉢合わせになってしまう。
 女児とぶつかりそうになった黒衣の堕天使は、慌てて翼を羽ばたいて横へ跳躍し、回避を試みた。
 一陣の風に煽られた幼い女の子は、顔をしかめながらも吹き飛ばされまいと、廊下の壁に設置されている手すりをしっかりと握り、身をかがめる。
 幸い、堕天使によって巻き起こされた風の勢いは、幼い入院患者の小さな体を吹き飛ばしてしまうほどではなかった。パジャマの裾と幼児の髪の毛をひらめかせた程度で済んだのである。
 堕天使は難を逃れた安堵感から胸を撫で下ろし、幼女に「すまない」と侘びを入れた。それからおもむろに、慣性の力が働く終着点へ、首を巡らせる。
 今度はそこに、自分が忠誠を誓う主君、淫女王、バベット・アン・デニソンの姿を認めた。
「ああああアアァっ!!」
 黒衣の堕天使は、顔面蒼白になった。
 エメラルドのように輝く青竹色の瞳に涙を浮かべ、恐慌を来しながら翼をはためかせる。
 衝突だけは避けなければならないという意識に支配されてしまった彼女は、淫女王に突風を吹きつける無礼を働いてしまい、力が作用する逆方向へ、全力で荷重をかけた。
 だが、間に合うわけがなかった。
 彼女はバベットへ、まともに突っ込んでしまったのである。
「うわっととととぉ。──また捕り物?」
 バベットは風圧や体当たりをものともせず、軽く堕天使を受け止めてみせた。怒った様子は皆無で、むしろ楽しげに笑いながら、彼女を立たせてやる。
 多くの堕天使たちが院内を慌ただしく走るので、血相を変えた看護婦が注意を促していた。
「左様でございます。……ご無礼をいたし、たいへん申し訳ございませんでしたっ」
 黒衣の堕天使は狼狽しながらバベットの御前で膝をつくと、乱れた髪もそのままに、謝罪の言葉を述べた。
「気にしなくていいよ〜。むしろよくよけた。しっかし、マリアちゃんもたいへんだね〜」
 パジャマ姿の幼い淫魔が淫女王の姿を見て膝をつこうとした。バベットはすかさず手で制し、その必要はないと暗に告げる。すると幼女は、代わりに一礼してきた。
 バベットは満面の笑顔で手を振り、返礼してやる。
 幼女は嬉しそうに相好を崩すと扉を開け、また一礼してから、自室へ入っていった。
「こんな調子じゃ、機密も何もあったもんじゃないなあ。まるでお祭り騒ぎじゃん。ここ、病院なのに……」
 バベットは幼女を見送ってから騒がしい状況に溜め息をつくと、眼下に控えている淫魔を見下ろす。
 デニソン国近衛騎士団副団長を勤める、マリア=ルイゼ・フォーフェンバングは、「申し訳ありません」と、再度謝罪した。
「いやいや。マリアちゃんは悪くないっしょ〜」
「副団長ー、ホシを発見しましたっ。どうやら地下病棟へ向か──、失礼しました女王陛下っ!」
 マリア=ルイゼへ報告にやってきた堕天使が、バベットの姿を視認すると、慌てて膝をつく。
「いや、無礼講でいいから。ほれ、行っといで」
「ははっ」
 堕天使は起立し、淫女王へ敬礼してから駆け去っていった。
「だから院内で走ってると、ワーズ先生にどやされるよ〜?」
 バベットが呆れ顔で見送ると、ワーズ先生という名に強烈に反応した堕天使は、慌てて走るのをやめたのでバランスを崩し、転倒した。
 豪快に転んだ堕天使はスカートをめくり上げて青い下着を曝す。顔を真っ赤に染めながら裾を正し、恥ずかしそうに立ち上がったところで、鬼の形相をしている看護婦に捕まり、怒鳴り散らされた。
 平謝りの堕天使を目撃したバベットは、額に手を当てると、見て見ぬ振りをした。
「ほれほれ。マリアちゃんも、立った立った。しっかし、遂に地下病棟を嗅ぎつけられたか」
 バベットがマリア=ルイゼへ手を差し出すと、マリア=ルイゼは恐縮そうに女王の手を拝借し、起立した。
「すぐに私も向かいますので」
「あー、もういいから会わせてあげよ。それより、連盟評議会の弾劾裁判が終わって、アーシアちゃんの処遇が決定したよ。それをマリアちゃんに報せに来たの」
「女王様が御自らっ。恐縮ですっ。……それでアーシア様は!?」
「うん、ちょっと耳貸して」 
 バベットに耳打ちされた内容にマリア=ルイゼは驚愕し、胸に手を当てながら真っ青になった。
「そんな……。アーシア様に否などございませんっ」
「うん、それはあたしも同じ意見だよ。でも、辛いだろうけど、今は耐えて。ウチに来た堕天使のみんなには、カーミラちゃんが必死に説得してくれてる。……ごめんね。あたし、一所懸命に庇ったんだけど、力不足だった。でも、なんとかする。マリアちゃんさ、そのあいだ、淫人ちゃんを頼める?」
「こんな事態を引き起こしているような無能な私に、大事を一任なさるのですか!?」
「あのさあ。堕天使のみんなって、生真面目なのは分かるし、へりくだる態度も美徳だと思うけど、あんま自分を無能呼ばわりしないほうがいいと思うよ〜。マリアちゃんが無能だったら、ウチの子たちは、さらにそれ以下になっちゃうじゃん。やたらしつこいと、それが嫌味になっちゃうことがあるって知っとくと、お得だよ〜」
「す、すみません」
「いやいや。だからあたしは怒ってるわけじゃないって。ほんじゃ、改めて命令してあげるから、頑張んなさい」
「はは!」
 淫女王から命令が通達されると、マリア=ルイゼは人差し指と中指を伸ばし揃え、指先を眉間に当てる仕草を取った。
 これは、堕天使たちが覚悟を決めたときに見せる、最敬礼である。
「さて。マリアちゃんが淫人ちゃんを看てくれるなら、そっちは大丈夫として、問題はアーシアちゃんだなぁ」
 看護婦に説教され続けている堕天使を眺めると、バベットは大きく嘆息した。
「こっちはこっちで、たいへんでした……。あー、ちょっと。もうそのへんで許してあげて〜。あとで、あたしが言っとくからあ〜」
「そうはまいりませんっ。患者はほかにも大勢いるのですよ? 今日という今日は、たとえご尊敬申し上げる女王陛下であろうと、聞いていただきます!」
「あう」
 この国の最高権力者が、看護婦に説教される光景が展開された。
 慌てて仲裁に入ったマリア=ルイゼも、そのまま巻き込まれて雷を落された。

「んー。怪しいな、ここ……」
 白の貫頭衣と緑のスリッパだけを着用しているレイは、真っ直ぐに伸びた薄暗い廊下の終点に来ていた。
 そこには鉄扉が一枚だけ存在し、明らかにオートロックと思われる計算機のような設備がドアノブの上に貼りつけられている。
 淫魔の文字か何かが九個あるボタンに刻まれているものの、当然、レイには何を意味しているのか判別できない。
 ただ、下手に押して暗号を打ち間違えたら、侵入者を報せるために警報が鳴り響くであろうくらいは、容易に想像できた。
「どうするかなあ」
 シンディに逢せてくれと何度お願いしても却下され続けてきたので、ならばと病室を抜け出し、彼女を探索する強硬手段にでた。
 毎日のように捕まってはまた抜け出すという行為を繰り返しながら院内を探索しているうちに、地下へと続く階段を発見した。そこで、一番下まで降りてみたら、この怪しすぎる場所に到着したのである。
 ここにシンディがいる確証はない。何か恐ろしい実験をしている場所なのかもしれないと思うと怖くもあったが、手をこまねいていても仕方がないため、とりあえず開きはしないものかと、ドアノブに手をかけて回してみた。
 すると、なんの抵抗もなく、ドアが開いた。
「嘘……」
 呆気に取られつつも、レイは鉄扉を引いて開放する。
「……レイ?」
 中から声が聞こえた。
「シンディッ!!」
 レイはスリッパが脱げるのもかまわずに走り、ベッドの縁に坐っていた幼馴染に抱きついていった。
「よかった、やっとシンディに逢えたっ」
「ちょっ、レイ。……痛い」
 苦しそうなくぐもり声が聞こえると、少年は慌ててシンディから離れる。
 顔をしかめながら恥ずかしそうに俯いている幼馴染を見下ろしたレイは、頬を紅潮させてしまった。
 感激のあまり抱きついてしまったが、こんなことをしたのは初めてなのだ。
 羞恥の思いは、彼女の裸身を見、性的にひとつになった経験をも呼び覚まし、ますます少年の顔を赤く染めてゆく。
 シンディも同様らしい。レイを見上げられず、落ち着きなく華奢な身をくねらせている。
 レイと同じように貫頭衣を着用しているだけの少女は、髪の毛を下ろしたままの姿であった。貫頭衣は丈が短く袖がないので、細やかな白雲色の四肢が見えている。また、腰と脇の二箇所を紐で留めているだけのひじょうに簡素な衣なので、両脇は丸見えとなっていた。
 シンディがキャミソールやショートパンツなど、肌の露出が多い衣服を着用しているのを見る機会があったとはいえ、あまりにも生々しい姿に鼓動が高鳴る。
 レイは、自分と同じでシンディも下着をつけていないのを知ってしまった。がら空きの側面から覗く腰には、下着が見えないからである。小振りな乳房の輪郭も垣間見えている。
 恥ずかしさのあまり、顔で湯を沸かせられるほど熱くなってしまった。
 長い無言の時間が続くあいだ、シンディは何度もレイを一瞥するのだが、すぐに顔を横に向けてしまっていた。
 レイも同じ思いだった。だが、逢いたい人に逢えた喜びが大きく、やがて、自然と口が開いた。
「シンディ、こんなトコに、いたんだね」
「うん」
「具合はどお?」
「大丈夫」
「淫魔たちに、辛い思いをさせられたり、してなかった?」
「うん、平気」
「そっか。ならよかった」
 会話が途切れてしまった。レイは困惑しながら部屋の様子を窺う。
 室内は、飾り気がないものの、清潔である。謎の装置が部屋の隅に置かれてあったが、おそらく治療用のものだろうと、とくに気にならなかった。
 照明もしっかりしており、薄暗かった廊下と比較すると眩しいくらいである。
「あはは、よかった。そっか、よかった。あはは」
 場がもたなかったレイは、から笑いしながら、さらなる情報でもないかと、茶色い髪の毛を掻いて照れ隠ししながら、室内を見渡す。
 簡素なテーブルと椅子を見つけると、それが人生において最も重大な物であるかのように凝視した。実際はさほど興味もない調度品なのだが、シンディから顔をそむけて視線を外せたため、一所懸命に見た。
 自分は何をしてるんだろうと悲嘆した。
「ねえレイ。髪の毛、伸びたね」
 不意に話しかけられ、少年は驚いてシンディに振り向いた。輝く彼女の肢体が目に入り、慌てて目をそらす。
「似合ってないよ?」
 少女が微笑した。
 シンディのほうが怖い思いをしているだろうに、自分のほうが励まされてしまった。情けなくあったが、優しく微笑んでくれる幼馴染によって、レイは緊張感がほぐされた。
「散髪してなかったからさ、伸び放題なんだ」
 目にかかっている前髪を掻き上げ、額を出した。自然と笑みが零れ、今度は、真っ直ぐに、自分の大切な幼馴染を見詰められた。
「いろいろあったから、何から話をしたらいいのか」
「うん、そうだね」
「でも大丈夫だよ。シンディは家に帰れるからさ、安心して。バベットが約束してくれた」
「レイは?」
「ぼくは、ダメだよ。淫魔になっちゃったもん」
「ファンさんから聞いてたけど、やっぱ、そうなんだ……」
 シンディは円らな目を細め、悲しげな表情を作った。
 レイは話題の振り方に失敗したと心で舌打ちしつつ、口を開く。
「違うんだ。んー、違うって言い方もヘンだね。──ぼくには、やらなくちゃいけないことがあるんだ。それに、今はとくに帰れない。だって、淫魔の力を持っちゃったぼくが、帰るわけにはいかないでしょ? でも、ぼくは人間に戻ることを諦めてない。絶対、家に帰るんだって、決めてるんだ。これが、ぼくがやらなくちゃいけないこと。またシンディと遊びたいし、みんなとも、逢いたいから」
 なんとか元気づけようとするのだが、シンディの容色は曇ったままだった。
 淫魔化した者の末路を知っているようだ。淫魔ハンター養成学校の学生になったらしいし、自分がグーおじさんと慕っている人が経営している淫魔ハンター事務所でも働いているらしいから、当然かもしれない。
「ねえ。シンディがハンター学校に入ったのってさ、やっぱ、ぼくの、せいだよね」
「レイは何も悪くないよっ。アタシは、アタシの意思でハンターになるために入学したのっ。そんなふうに、自分を責めちゃダメだよ」
 声音を立てて慰めてくるシンディを見ながら、本人の口から事実を肯定する発言がなされ、やり場のない悲しみが広がっていく。
 慰め、謝罪しなければならないのは自分のほうだ。だが、いざシンディと向かい合ってみると、学校を退学しろとは、言えなくなってしまった。
 あらゆる惨事を覚悟して、彼女は淫魔ハンターへの道を選択したのだろう。社会的な立場のある幼馴染だ。塗炭の苦しみのうえでの決断だったのは、充分に解る。
 実の兄と慕うファンに、自分のことは忘れるよう、シンディに伝言を頼んだ。ファンはしっかりと、伝えてくれたはずだ。それが、どれだけ彼女を傷つけたのかと考えると、辞めろなどとは言えなくなってしまった。
「ごめんねシンディ。シンディは、帰れるから」
 出すべき言葉が見つからず、シンディの身の保障を報せてやるだけで精一杯だった。
「レイが帰れないなら、アタシも帰らない」
「何を言ってるんだっ」
 レイは思わず激昂してしまい、シンディを驚かせてしまった。
「ごめん。でもダメだよ。シンディは帰らなくちゃ」
「なんで? アタシは、レイを助けるためにハンターになろうとしてるの。そのレイがここにいるんだから、帰る必要性がないじゃない。レイが言いたいことは解るよ。アタシに学校を辞めさせたいんだよね? 普通の生活をさせたいんだよね? アタシを大事に想ってくれて、とっても嬉しい。でも、帰らない。アタシはレイと一緒にいる」
 シンディの蒼い双眸は、『こうと決めたら一直線』の輝きを放っていた。今までこの覚悟を曲げさせた経験がないレイは、愕然とした。
 それでも、帰らないという発言は許容できなかったので、反駁した。
「ここは人間には危険すぎる世界なんだ。シンディを蔑むわけじゃないけど、生きていけるわけがない。淫気に当てられて、またあんなふうに──って、ごめん」
 墓穴ばかり掘っていた。何を言っても空回ってしまうようだ。
 ただ、シンディを説得して帰さなければならない。その思いは変わらなかった。
「ううん、いいの。アタシこそ、ごめんね。レイ、苦しかったよね。本当に、ごめんね」
 シンディは俯きながら拳を握り、小さく震えた。
「あのときの記憶が……、あるの?」
「うん……。蜂の頭をした淫魔のことはあまり覚えてないんだけど、レイのときのは、全部覚えてる。アタシ、どうしても抑えきれなくて、自分が自分でなくなっていくような……。でも、それは明らかにアタシなの。なんて言ったらいいのかな──」
「うん、解る。それはぼくも一緒だから、それ以上、言わなくていい。イヤなことを思い出させちゃったね。ごめんね」
「レイは、いっつも優しいね」
「そうかな?」
「うん、そうだよ」
 背後から靴音が聞こえてきた。
 レイが振り向くと、堕天使が一名、近付いてくるのが見えた。開け放たれたままの扉の前まで来ると、堕天使は立ち止まる。入室はせず、レイに黙ってうなずき返してきた。もう少し話をしていいという合図らしい。
 アーシアが所用でいないらしいので、入院中の身の回りの世話を代行してくれている、マリア=ルイゼ・フォーフェンバングである。仕事に忠実でありながら、融通の利く話しやすい淫魔だったので、レイはすぐに慣れた。ただし、院内鬼ごっこでは幾度となく捕縛されており、その後は強烈な説教を受ける。厳格な一面ももっている淫魔だ。
 シンディは淫魔を見ても怖がらなかった。なぜかは分からない。当然だ。彼女とは、やっと話ができたばかりなのだ。
「まさか、さ。淫魔の誰かにそうしろって言い含められてたり、する?」
「違う。これはアタシの意思だよ。淫魔たちは治療以外、アタシに何もしないの。──あの、すみません。少しレイとふたりきりにしてもらえませんか?」
 シンディがマリア=ルイゼに声をかけると、堕天使は「少しだけだぞ」と言い残し、扉を閉めた。
 密室でふたりきりになると、シンディはおもむろに立ち上がり、レイと向き合った。
「どうしたの、シンディ」
 シンディはレイの発言に応えず、黙って両脇の紐を解く。
「何をするんだっ!」
 レイは中断させようとしたが、シンディに触るわけにもいかず、周章しながら顔を横に向け、目線を逸らした。
「レイは、アタシについて、いろんなふうに考えてくれてるんだよね。それは、アタシも一緒だよ? 所長のトコでお世話になりながら勉強させてもらって、アタシはアタシなりにいろんなことを考えた。ファンさんから、レイが淫魔化してる可能性があるって聞かされたときから、ずっと思ってたことがあるの。今のレイを見て、その思いに決心がついた。──アタシ、淫魔になる。それならここに残ってもいいでしょ? レイ、アタシを、淫魔にして」
「な──っ。いきなり何を言ってるんだ!」
「こっち、向いてくれないんだね。アタシ、凄く、勇気を出してるんだよ?」
 向けるわけがない。淫魔化させるには何が必要かと思い至ると、レイの股間は熱くなった。
 人類は、まだ淫魔化の仕組みが解明できていないし、自分も淫魔化させる方法は知らないものの、絶頂が基点となっているのは間違いない。
 その絶頂は、性的行為によって起こす。
 シンディの破壊力は身をもって経験しているだけに、劣情を催してしまった。
 ひとたびこうなると、もはや性欲を吐き出さないかぎり止められない。無理に我慢していると発狂してしまう。
 それでも大きくなるなと心中で声高に命令し、沈着に努めようとた。
 シンディを淫魔にするなど、認められない。が、自分の身体はシンディを欲して次々と燃え上がっていった。
 退室を考えたが、シンディが話をし始めたので、冷静さを見失わぬよう集中しながら、少女から視線を外したままの姿勢で聞いた。
「学校のことなんだけどね? 一年生は、基礎を叩き込まれる期間なの。だから、実習といったら、体術とか、忍耐術とか、身体ケアとか、人形を使った、ごく簡単な技術くらいしか習わないんだ。淫魔学とか、性教育とか、ハンター協会の仕組みとかさ、ハンターになるための知識ばかりじゃなくて、数学とかの普通の勉強もしなくちゃいけないから、習わなくちゃいけない机上学習が、ほんっと多いの。羞恥心で萎縮しないための徹底的な教育も受けなくちゃいけないし。実は一年生って、凄く忙しいんだ。エッチが目的で入学してくるだけとかの、素行不良な生徒たちを見つけ出して更正させたり不合格にしたりする期間でもあるらしいから、実技なんて、ほんのさわり程度しか習わないの。でも、進級して二年生になったら、異性と肌を合わせる授業が始まる。えっと、あの。……ほ、本番は、三年生になってから習うんだけど、それ以外の技術を教わるようになるの。そしたらアタシ、汚れちゃうから、レイの隣にいる資格を、失っちゃう……。それでも、レイを助けられるならいいって、ずっと、思ってた。でも今、レイを見てたら、それじゃいけないんだって、より感じたの」
 ここでシンディが言葉を切った。レイは、「うん」とだけしか言えなかった。
 彼女が何を伝えようとしているのかが、まだ理解できなかったからだ。
「バベットっていう淫女王が、一度ここにお見舞いに来たよ。でも、何も教えてくれなかった。淫界で治療を受けさせるから、淫気中毒にならないように抗体を接種させたって説明くらいしか、言ってもらえなかった。レイもきっと、何も教えてくれないよね。このままだとアタシは、何も知らないまま、また人間界へ帰ることになる。だったら、アタシはレイの傍にいたいよ……。淫魔になったっていい。レイの苦しみを和らげるためなら、アタシはなんでもする。それなら、レイの望みどおり、学校を退学するよ。アタシも淫魔になるから、一緒に人間に戻る方法を、探そう?」
 何か、軽い物が落ちる音が聞こえた。レイは視界の端で、シンディが裸になったのを知り、欲情する感情に自己嫌悪した。
 淫核化した心臓の中にある、もうひとつの小さな淫核は、嬉々として淫気を精製していた。
 精霊が、手当たり次第に吐き散らせばよいと言っているのが、手に取るように分かる。おまえのせいで余計たいへんな目に遭ったんだろうが、と、心で絶叫すると、「至り」と、嬉しそうな返事がきた。

 バベットから聞いた話では、自分は心肺停止したらしい。その後、バベットと多くの堕天使たちが救助に駆けつけ、今に至るのだそうだ。
 気付いたら病室にいた。治療はほぼ済んでおり、あとは体力の回復を待つだけだったので、たいした辛さはなかったが、心肺停止前後の状況は、それはもう悲惨のひと言に尽きるそうである。
 狂淫の精霊、フレンズィー・ルードが復活したとも聞かされた。絶望的な戦いにバベットたちは挑もうとしたらしいが、精霊は敵対せず、大人しくレイの中へ還ってゆき、事なきを得たという。
 精霊を従えているのだとも、教えられた。訓練次第では召喚も可能になるらしい。
 使い方など知らないし、使われるような存在でもないだろうが、精霊へ意識を向けてみると、反抗する気配はいっさい感じない。時折、今のように揶揄してくるくらいだ。
 以前から小淫核の力が働いているのは分かっていたが、精霊が、より活動を活発にしているのが実感できるのである。
 精霊が自分に巣食っている事実は頭痛の種だが、シンディは淫魔化せずに無事であり、また、アーシアも無事だと教えてもらったときは、心底から安堵したものである。
 ふたりの所在を訊ねたときは、アーシアはいないが、シンディならこの院内で入院していると知り、毎日のように監視を突破しては、大切な幼馴染を探し廻った。
 そしてシンディと再会し、今、彼女の告白を聞いたのだ。

「アタシがおかしくなったときのこと、レイは解るって言ったよね? だからアタシにも、レイの苦しさがよく解る。淫魔になっちゃったってことは、レイはずっと、ずっと、あんな思いをしてきたんだよね? アタシは、苦しんでるレイに、少しでも楽になってもらいたい。一緒に、分かち合いたいの。さっきも言ったけど、二年生になったら、アタシは異性との実習もたくさんするようになる。やっとレイと逢えたのにこのまま帰るなんてイヤ。ほかの人とするくらいなら……。だからアタシはっ」
 シンディに抱きつかれ、レイは歯噛みした。自分は最低だと、その思いしか抱けなくなった。
 張りのある幼馴染の小さな胸を感知し、少年の若塔が屹立する。貫頭衣の裾が出っ張り、情けない姿を晒した。
「ダメだよ、シンディ。そんなふうに、自分を物のように扱っちゃ、いけない」
 レイは、そのまま押し倒してしまいたい衝動を抑え込み、幼馴染の狭い両肩に手をやると、静かに引き離した。
「アタシはレイを物のように扱ったっ。そのせいでレイを死なせたっ。なのに、なんでっ? なんでレイは、いっつもそうなの? そりゃ、アタシは胸もお尻も小さいから、レイには不満だらけだろうけど、レイをあんなふうにしちゃったアタシは、何かしなくちゃ気が収まらない。今だって、そんなになってるじゃないっ」
 シンディに股間を見られ、すぐに両手で隠した。
 返事はできなかった。
 シンディの覚悟は痛いほど伝わっている。身を案じてくれる幼馴染の細やかな気遣いは、有難く思う。だが、とても応諾できるような内容ではなかった。
「女の子がこれだけ言ってるんだよ? レイは優しい心の使い方を間違ってるっ。レイの意気地なしっ!!」
 シンディの大きな瞳から滝のような涙が溢れ出した。
 レイは目のやり場がないため、彼女の顔を正面から見据える。
 もう話し合いは無理だろう。
 そう思った。
 これ以上長居していると、今度は自分が常軌を逸し、シンディを襲ってしまう。
 湧き上がる欲望が少年の身体を灼熱ほどに火照らせ、高濃度の淫気が満腔を駆け巡っている。ひじょうに危険な状態であった。
「また来るね。とにかく、シンディの淫魔化だけは、シンディが何を言おうと、絶対にダメだ。こっち側に、足を踏み入れちゃいけない」
 凝視されるシンディの蒼い瞳から、視線を切った。
 少年は振り返り、退室するために扉へ向かって歩き始める。
「レイのバカぁッ!」
 背中に罵倒を浴びたレイは、後ろを振り返らずに扉を開けた。
 扉を開けた先に、マリア=ルイゼが腕組みしながら壁にもたれかかって待機しているのが見えた。
 目が合うと、面会の時間をくれた堕天使にうなずいて礼に代え、扉を閉めながら退室した。
 幼馴染のくぐもった慟哭が扉と壁を越え、少年の心を刺し貫く。
 レイは固く拳を握り締め、歯噛みした。
「いいのか?」
「いいんだ。ぼくは、憎まれるべきなんだから」
 脱ぎ散らかしたはずのスリッパが、丁寧に揃えられて床に置かれていた。それを履きながら、肩を落として消沈する。
「そうか。ではついて来い。その火照り方では、さぞ苦しいだろう。スッキリさせてやる」
 マリア=ルイゼは、レイが着ている貫頭衣の膨らみを見下ろしてから、先頭に立って長い廊下を歩き始めた。少年は彼女の背中を見ながらあとに続く。
 マリア=ルイゼには二枚の黒い翼が生えているので、黒衣のデザインは背中が大きく開いたものだ。このように、堕天使たちは皆、翼を外に出せる衣服を着こなす。
「うぅ」
 発情で朦朧としてきたレイは、おぼつかない足取りで堕天使についていった。
 はちきれそうな痛みを発する若塔は、貫頭衣に染みを作っている。
 シンディを抱かない、物扱いしないと決心しておきながら、これからマリア=ルイゼと睦み合い、性の捌け口とするのである。矛盾しきっている自分の行動が、心底嫌になった。
 自己嫌悪に陥りながらマリア=ルイゼの艶美に揺らめく黒翼を後ろから眺めているうちに、卑猥で生ぬるい感覚が全身を駆け巡った。身体はより火照りを増し、呼吸が荒くなっていく。
 股間が焼けつく痛みに襲われ始め、早く出してしまわないと気が狂うと焦慮した。
 病室に戻るまで自分はもつのかと危惧しながらも、前を歩く堕天使の、長い後ろ髪が柔らかく揺れるさまに見蕩れてしまう。ひと呼吸ごとに、これからマリア=ルイゼと興じる事柄への昂奮によって、幼馴染への意識が呑み込まれていった。
 堕天使が歩を進めるごとに、黒衣のスカート越しからふくよかな尻が艶めかしく左右に揺れるのが見える。その視覚効果により、貫頭衣の裾に若塔が擦れると、敏感に感度を上げさせた。
 マリア=ルイゼは前を向いて歩きながら妖しくほくそえむ。
 自分の淫気を不可視の濃度で、少年へ投射していたのだった。

 昇り階段まで歩いてきたところで、レイは限界になった。
 階段を上がろうとしたマリア=ルイゼの背中から、両手を黒衣の中へ忍ばせて前へ廻し、大きな乳房を直接掴んだのだ。
「もう我慢できなくなったか」
 堕天使は乱暴に胸を揉まれると失笑し、立ち止まった。
 レイを性欲の虜に陥れる仕掛けをしておきながら、そ知らぬふりをして、淫気の放出を止める。あくまでレイが勝手に襲い掛かってきたのであって、自分が相手をしてやるのだという、上からの立場で接した。
 少年は長い彼女の後ろ髪に顔をうずめ、甘く妖しい芳香を嗅ぎながら必死に愛撫した。
 無意識に両手に淫気が集まり、快感を与えようと力を増幅している。
「フフ。なかなか淫気を使うようになったではないか」
 マリア=ルイゼの説教とは、言わずもがな、性的教育である。
 レイは昏睡状態だったときから、彼女に介抱されていた。意識がなくとも精気は溜まるから、淫気にまみれた身体が精気に拒絶反応を起こしたときには射精させられ、汚物の処理もされた。意識が回復したばかりでまだベッドから起き上がれない状態のときも、同様の処置をおこなわれている。
 そのためか、マリア=ルイゼは少年の対応に長けており、院内鬼ごっこ後にやられる身体の説教では、いつも主導権を握られていた。それでいてレイにやる気を出させ、淫欲の虜に埋没させるのである。
「だが、ここではマズい。ワーズ先生に見つかったら、たいへんだ」
 レイはマリア=ルイゼに注意されても行く耳を持てず、隆起した乳首を摘んで軽く引っ張った。前へ引っ張られて形を変えた胸の先を執拗にこね続けていると、彼女から甘い吐息が漏れる。
 レイは彼女に魅了されてしまった。滾る性欲によって、シンディの問題で懊悩していた意識が転覆させられると、もはやマリア=ルイゼしか見えなくなる。
 淫人としての本来の姿を曝け出し、必死になって享楽にいそしむ態度を確認したマリア=ルイゼは、満足そうに含み笑いした。彼女はさらに、少年から無用な悩みを捨てさせようと、「上手いじゃないか」と囁いて気分を乗せ、甘く笑う。
 レイは堕天使の色香に恍惚となり、心の底から彼女を欲するようになった。
 右手を胸から下半身へ下げようとすると、腹のあたりで引っかかり、それ以上、下げられなくなった。ベルトで腰を締めているためだ。
「私はどこにも行きはしないから、慌てるな。とにかくここではマズい。廊下でこんなことをしているのが見つかったら、ワーズ先生にお咎めをいただいてしまう」
 性欲に支配され耽溺しきっているレイは、マリア=ルイゼの忠告を無視した。
 右手を堕天使の黒衣から外に出すと、スカートをたくし上げて腰を寄せる。
 スカートを手の甲で上げたまま、指を伸ばしてTバックの下着をずらした。
「まったく、この子は」
 マリア=ルイゼは右腕を伸ばしてレイの頭を撫で上げた。
「堕天使の私に、規律を破らせるつもりか?」
 そう言いながらも、マリア=ルイゼは自分から尻を出してきた。レイの先端に、彼女の後ろの門の入り口が接触する。
 望まれた場所に応じるかまえのレイは、右手を若塔に添えて支えとし、腰を突き出した。
「あぁっ。またおまえは、私に罪を背負わせて……」
 言葉とは裏腹に、堕天使は嬉しそうに顔を綻ばせた。
 レイは左手で胸を揉みながら、さらに腰を突いて根元まで挿入する。
「うぅ、すごい……」
 根元が巾着袋のような締めを味わった。まったく触っていなかった場所なのに、簡単に入っている。淫魔の肉体の仕組みは、味わっても味わっても、理解し難い不思議さがあった。
 腸内は、溶けてしまいそうな甘い悦楽がある。
「と、とにかく。そこの部屋に入るぞ。このまま歩けるな?」
 マリア=ルイゼは左後方へ首を向けると、顎をしゃくってみせた。促されたレイは左へ首を向けると、少し戻ったところに扉があるのを確認した。
「そこは物置だ。さあ行こう」
 堕天使が右脚を出したので、レイも併せて右脚を出した。挿入が解けぬよう、彼女の動きについてゆく催しだ。右手は彼女の腰に廻してしっかりと抱き止め、左手は、衣服の中へ突っ込んだまま、彼女を揉み続けた。
「こら。あまり、刺激するな」
 マリア=ルイゼが左脚を出したので、レイも左脚を出す。そうやってふたりはつながったまま、扉を正面に迎えた。
 マリア=ルイゼが右脚を出したので、レイも習って右脚を出した。歩を進めるたびに菊門が力を強め、レイの射精感を促す。ただ、まだこれからが本番である。余裕もあったので、青い髪の毛を掻き分けてうなじに吸いついた。
「あぅ」
 マリア=ルイゼはレイの愛撫を受けながら左脚を出した。少年は菊門の締めを味わいながら左脚を出し、併歩する。
 右脚の動きにも併せた。少し動きたくなったので、マリア=ルイゼが左脚を出したときにはすぐに併せず、ニ、三度ほど、腰を振った。
「くっ。この、いたずらっ子め」
 青髪の淫魔は嬉しそうだ。腸内が火照っている。
「部屋に入るんでしょ? そんなにお尻を突き出してきたら、動きづらいよ」
 マリア=ルイゼの老巧な扇情によって、全身に濃度の高い淫気が充満しきったレイは、彼女の肉体を貪るのに専念する態勢が完全に整った。
 色事のみに意識が向くと、狂おしいほどだった苦しみが和らいだ。彼女を挑発する余裕もでき、純粋に色欲を愉しむ。
「フン、泣かせてやるから、せいぜい覚悟しておけ」
 マリア=ルイゼは両腕を後ろへ廻すとレイの尻を抱き、歩を進めていった。
 レイは感触がつかめてくると、楽に彼女の動きに併せられるようになり、歩行速度が上がった。
 移動する頻度が短くなると、それだけ締まる間隔も狭まり、レイは早く腰を振りまくりたい衝動に駆られた。

 扉の前まで到着すると、マリア=ルイゼは手を伸ばして扉を開ける。
 中は物置らしく、いろいろな道具が置かれていた。ここは主に清掃用具を収納しているらしい。バケツやホウキの類が、数多くあった。
 ダンボール箱が詰んである山もある。箱の中に何が入っているのかは判然としないが、気にならなかった。
 ふたりが部屋へ入室すると、レイが扉を閉め、マリア=ルイゼが照明を灯す。
「まったく。外で姦淫しているのを発見されたら、問題になっていたところだぞ。ここは病院だということを忘れるな」
 ふたりきりになると、レイは遠慮なく腰突いた。マリア=ルイゼは立ったまま尻を突き出し、少年の動きを真っ向から受け止める。
「でも、さ。部屋でするぶんには、全然かまわないんだね、ここって」
 レイは腰を振りながら左手を堕天使の服の中から出すと、両手で彼女の腰を抱き、より力を込めた。
「それはそうだろう。私たちは淫魔で、ここは淫界だぞ。そう、その調子だ。私を達し殺す思いで腰振れ」
「なる、ほど」
 腰振るたびに揺れる青い長髪が川を連想させ、美しかった。二枚の黒翼も優雅に揺らぎ、擦れる羽音が耳に心地よい。
 ぶつかり合う少年の股間と堕天使の尻肉の鳴り響きは淫猥であった。腸液を多く分泌し始め、出入りする場所からは、艶めかしい液音が聞こえている。
「ん? あれはなんだろう」
「どうした」
 抽送運動を続けながら、レイは手近にあった物体に目が留まった。
 正面にあるテーブルの上に、どう見ても女性用淫具としか思えないものが置いてある。
「閃いた。ねえマリー、あれって、汚くないよね?」
「ん? ほお、こんな所にバイオバイブがあるのか。見た目は汚れているようには見えないな。どうやら、私たちのように、ここで密会している者がいるらしい」
 マリア=ルイゼは愛称で呼ばれても気にせず、レイの問いに受け答えた。名前が長いからマリーでいいじゃんと、勝手にそう呼ばれるようになったのである。
 マリア=ルイゼは、バベットが建国するまえから仕えている淫魔だ。行く宛てのない淫魔たちが気兼ねなく、誰でもお友達の仲でやっていける国造りというバベットの発想に感銘し、一命を賭して仕えてきたのだそうだ。
 元はルイゼ・フォーフェンバングという名前だったが、功労に報いるために、バベットがマリアという名を授けたと聞かされている。
 大らかで包容力に優れた性格から、同じような性格の女神の名前を取って拝名されただけに、最初はレイの短縮した呼び方に対して怒っていた。が、レイは気にせずマリーと呼び続け、名を授けたバベット自身が、親しみがあっていいねと喜んでいたため、そのうちに慣れてしまったのだった。
「ちょっと、取ってみてくれない?」
「ああ、かまわない。どうせ私を責めまくってやろうとでも画策しているのだろう? いいぞ、時間ならいくらでもある。存分にやってみせるといい」
 マリア=ルイゼは、汚れてなくとも明らかに使用済みだと思われる淫具を手に取ると、レイに差し出した。
 レイは動きを中断して右手で受け取ると、つぶさに淫具を観察する。
「なんだこれ? ブヨブヨしてる」
 触った感触は柔らかなゴムのようであった。男性器に酷似したデザインで、長さも太さも自分のものより遥かに優れている一品だ。
「生きてるぞ、それ」
「ぶっ。マジですかっ」
 試しに力を込めて握ってみると、
 動いた。
 身をくねらせたのである。
「目覚めたようだな」
 マリア=ルイゼが楽しそうに笑った。レイが腰を振らないので、自ら尻を円運動させて、快楽を貪っている。
「ええ? 握るとスイッチが入るの?」
「ああ、そんな感じだ。挿れるだけで、女が反応する場所を敏感に嗅ぎ取る優れものだぞ、それは。買おうとしたらかなり値が張る。こんなものをぞんざいに置きっぱなしにしているとは。誰が使っているんだ」
 マリア=ルイゼが後ろに首を向け、くねるバイオバイブを眺めた。
「ワーズ先生だと予想……」
「ああなるほど。それは充分すぎるほどに、説得力のある話だ」
 マリア=ルイゼが髪の毛を掻き上げる仕草に、レイは胸がときめいてしまった。中断していた腰振りを再開させ、腸壁を抉る。ただ、淫具を持ったままなので動きづらく、思うようにならない自分の未熟さに、心が沈みそうになった。
「挿れないのか?」
「いいの?」
「かまわないと言ったはずだぞ?」
 妖しく目を細めて流し目を送ってくる淫魔を見詰めながら、レイは思案した。
「じゃあ、……挿れない」
 やはり、菊門が締まった。じらし行為や、背徳的な行動に燃え上がる性格のようだ。
「私を弄んで、楽しそうだな。今すぐ搾り尽くしてやってもいいんだぞ?
「あはは。強がってる」
 マリア=ルイゼの頬が、紅くなっていた。
 レイは彼女に淫具を手渡すと、黒衣を締めているベルトに手をかけ、緩めた。そのままベルトを引っ張って外し、テーブルの上に置く。
 マリア=ルイゼは淫具を持ったまま、自分で黒衣を脱ぎ上げた。首裾から青髪を抜き取る艶冶な動作は、レイの鼓動を昂ぶらせ、淫核に濃い淫気を作らせる。
 白い裸体が照明に照らされ、火照った部分が朱色に染まっているのが見える。
 レイは立ったままマリア=ルイゼの背中に自分の上半身を密着させ、体重を預けた。
 少年の重みによってマリア=ルイゼの両膝が沈み、肉体がくの字に曲がる。だが彼女は嫌な顔ひとつせずレイを受け入れ、尻を持ち上げながら、沈んだ膝を伸ばした。
 レイは両手を前に廻して乳房を掴み、腰をひと突きするたびに、両手で揉む行為を繰り返した。
「は……あぁ」
 堕天使から甘い声が漏れる。官能を耐えるつもりは、毛頭ないらしい。少年など相手にならないという、自信の表れであろう。
 少年は堕天使の右肩に口を寄せ、緩やかに盛り上がっている筋を咥えると、彼女は喉鳴りさせて悦んだ。
 丁寧に畳まれた翼の羽根が少年の両腕を包み、温かで柔和な感触を与えてくる。
「どうした。その程度か?」
「なんのっ」
 レイは挑発に乗せられてしまい、力責めをした。マリア=ルイゼは楽しそうに少年を受け止める。
 受け止めながら下着をずらし、持っている淫具を挿入した。
「あああぁァッ!」
 ひと際高い声が室内に響いた。
 腸の下部が圧迫され、より窮屈になる。
 淫具が活動を開始したのだ。マリア=ルイゼは淫具から手を離し、正面のテーブルに両手をついている。
 淫具は自立して動いていた。
 かなり悔しい。自分の腰遣いや胸の愛撫よりも、マリア=ルイゼの反応度が大きいからだ。
「こんのおっ」
 レイは負けるものかと淫気を開放した。淫核化している心臓に濃い淫気を作り上げ、痛みをともないながらも若塔へ移動させる。
 淫気に覆われ岩石ほどの硬度を有した烈塔で、少年は淫具相手に戦いを挑んだ。
「ウフフ。可愛いヤツだな、おまえは」
 マリア=ルイゼは恍惚と口を開くと、少年の唇を奪った。
「ウブッ」
 堕天使の舌がレイの口の中に侵入し、少年の舌に絡み合ってくる。
 レイは腰を振り、乳房を揉み、口を動かして彼女を刺激し、応戦する。
 淫具の動きは、腸内からでも、なんとなく伝わってきた。ヤツは回転する要領で動いている。ほかにもいろいろな刺激をマリア=ルイゼに与えているのだろうが、細かな部分までは、さすがに分からなかった。
 括約筋が、締めてくる力の割合を強めてきた。マリア=ルイゼが意図的にしているのか、自然に締まっているのかは分からない。だが、確実に感度を上げているようだ。
 口を合わせているので、堕天使はくぐもった喘ぎを絶えず漏らしている。そのうち、必死になってレイの舌を貪るようになり、少年の前後運動に対して、突き出す尻を左右に揺らしてきた。
 呼吸が苦しくなったので、レイはマリア=ルイゼから顔を離す。すると、彼女は残念そうに舌を出し、もっと来いと誘惑してきた。
 レイは荒ぐ息を整えながら、妖艶に微笑む堕天使と見詰め合う。
「いいぞ、本気になってきた」
 マリア=ルイゼは右手を股間にまさぐらせ、淫具を掴むと前後に出し入れする。淫具は回転を続け、爆発的な刺激を膣へ送った。
 淫具はマリア=ルイゼの膣奥に執着して責めている。その刺激は少年の裏筋に伝わり、堕天使のみならず、レイまで絶頂感を昂めさせられていた。
「イッたら、死んじゃうよ?」
「生意気を言う。ならば、殺してみろ。これが耐えられたらな。ウフフ」
 マリア=ルイゼはレイを凝視したまま、巾着の紐を全力で絞るように、菊座を締めてきた。
「うあああっ」
 限界となってしまったレイは、逃れようと彼女の腸内から烈塔を引き抜いたのだが、もはや手遅れであった。
 射精し飛び散る精液が、マリア=ルイゼの臀部に降り注がれてゆく。我慢するのが遅れて射精するという無様な姿を露呈したが、官能に負けて自分のものを握り、激しくしごいて射精が終わるまで続けた。
「中に出してくれたらよかったものを」
 マリア=ルイゼが切なそうに呟く。淫魔は体内に射精したほうが精気の吸収率が上がる。それはレイも知っていたのだが、これは事故だとごまかした。
 濡れ汚れた堕天使の尻肉を眺めていると、なんともいえない征服感が、心を満たした。
「しかし、すごい精気だ。ンフ、ゥ……」
 女穴への刺激は止まっていない。淫具はマリア=ルイゼを責め、彼女自身、自分で淫具を操っていた。淫靡な音階を奏で、快感を全身で味わうかのようである。
 射精が終わったレイは、堕天使から離れ、喘鳴しながら呼吸を整えた。虚無感と同時に淫気喰いが始まり、マリア=ルイゼの淫気を喰らいだす。
 とくに苦しくはなかった。卑猥で生ぬるい感覚が淫核化した心臓へ侵入してくるのはいつもの現象であるが、淫気に味があるのを知った。
 マリア=ルイゼの味は、
 罪に燃える堕徳の味。
 そんな感覚を受けた。彼女の危険な部分が美味である。
 一分ほどの、いつもの淫気喰いの症状が治まると、レイは自慰に励むマリア=ルイゼを冷静に眺めた。
 自分が吐き散らした白濁の体液に濡れ汚れた淫猥な姿は、さらなる発情を催す魅力に満ち溢れている。二回戦を挑んでも、おそらく、喜んで応えてくるだろう。
「気持ちよさそうだね」
「当然だろう? おまえが私を、燃したのだぞ」
「ぼくが?」
「そうだ」
 マリア=ルイゼは肉体を反転させ、レイと向き合った。
「うっわ。すご……」
 下半身は濡れきり、太腿には、白く濁った彼女の液がこびりついている。激しく出入りする淫具が女裂を押し広げ、女体の魅力が少年の脳を掻き乱す。
「あ、ク……るっ」
「え、待ってっ! イッたら死んじゃう!」
 マリア=ルイゼの手を掴んで動作を中断させた。だが、淫具は自立しているので動きまわり、
 彼女を絶頂へと導いていった。
「う、ンあ……。はあああああああっ」
 大きくかぶりを振りながら腰をくねらせ、淫らな喘ぎを室内に鳴り響かせる。
 少年に見られていてもかまわず、むしろ彼女は、甘えた調子の視線を投げかけてきた。
「え……。待って。待って、よ」
 淫魔とはいえ、世話になった者を、ぼくが殺す?
 そんな思いがよぎった。
 マリア=ルイゼは力尽きて膝をつき、肩から荒々しく呼吸を繰り返した。二枚の翼は、だらしなく床に垂れている。
 淫具は、彼女が絶頂したのを感知したのか、動きを止めて大人しくなった。
「え。……ねえ、イッた、の? ちょっ、と」
 レイは青ざめると自分も床に胡座し、堕天使を覗き込んだ。
 マリア=ルイゼは紅潮しきった顔を綻ばせ、うなずき返してくる。
「嘘……。だって、それじゃあ──って、あれ? 消え、ない……?」
 肉体の透明化が始まらないので、レイはマリア=ルイゼの肩に手を触れた。しっかりとした肉感が手に伝わってくる。
 少年は堕天使の鳩胸まで手を滑らせ、隆起する柑子色の果実を指の腹で弾いた。やはり、肉体が存在を続けている。
「おまえに達されたわけではないのだから、消えるわけが、ないだろう?」
 マリア=ルイゼは、少年が乳首を弾き続けるのを好きにさせながら言った。
 レイには思いあたる節があった。
 アーシアが恍魔に絶頂させられたとき、自分も付近にいたのだが、消滅しなかった。
 直接相手に絶頂を与えないと消滅させられないのかもしれない。それは、人間が淫魔と戦うにあたり、不利な条件に思えた。
 とはいえ、
「よかった。死んじゃうのかと、心配したよ」
 少年は安堵の息をつき、手を堕天使から離すと、胸を撫で下ろした。
「なんだ? 私はおまえの敵なのだろう? 死んだほうがよかったのではないのか?」
「バカ。そんなに死にたいなら、今度はぼくが斃してやる」
 ぶっきらぼうに言い放ってやった。すると、堕天使は声を立てて笑いだし、腹を抱えた。
「本当に、不思議なヤツだな、おまえは」
「うるさい。バイブに負けたんだぞ、ぼくは」
 レイは恨めしそうにマリア=ルイゼの股間を眺めると、手を伸ばして収まったままの淫具を引き抜いた。
「お疲れ、バイブ君。負けました、参りました」
 レイは手に持っている淫具に話しかけた。マリア=ルイゼの体液で濡れきっているそれは、まるで少年に応じるかのように身を一回転させた後、大人しくなる。
「ハハッ。楽しい子だ。おまえみたいなヤツは、初めてだよ」
 マリア=ルイゼはレイの頬に手を添えると、柔和に微笑んだ。少年は憮然としながら、テーブルに淫具を置く。
「さあ、掃除をしてやろう。そのまま楽にしていなさい」
 マリア=ルイゼは四つん這いになると、屹立したままの若塔に手を添え、吸いついてきた。
「うぁ……」
 堕天使は意識的に音を立てて少年の聴覚を刺激しつつ、唇と舌による掃除を開始する。
 尻を高く突き上げ、濡れ汚れたままのものまで見せつけてきた。
 レイは昂奮し、彼女の頭を抱える。
「これほど上質な精気を味わえる。女王様には感謝しなければな」
 執拗にねぶられたレイは、また射精感を催した。
 催しながら、ふと、悲しむシンディの顔がよぎった。
 今も泣いているのだろうか。
 泣いているに違いない。なのに自分は、こんな行為をして悦んでいる。
 なぜ自分は、こうなのだろう。性行為が楽しくて仕方がなくなってきている。生き甲斐のひとつになっている。当たり前の行為だと思っている。
 そのくせに、人間に戻りたいとわがままを言っている。
 生きている価値などないのではないかと、自虐的な意識が疾駆した。
 小淫核が嘲笑しているのが感じ取れる。
 笑われて当然だと思った。
 悩んでおきながら、マリア=ルイゼの頭を掴み、激しく動かしているのだ。
 矛盾した意識を正当化するために、
『自分が生きるため、淫魔とは性行為をしてもよい。ただし、シンディは人間であり、自分の大切な人だから駄目である』
 と規定を作り、自ら洗脳した。
 そうでもしないと、罪の意識で気が狂うのである。
 マリア=ルイゼは少年から乱暴な扱いを受けて逆に燃えたのか、妖しく尻をくねらせ、逞しく伸びているものに吸いついている。
 熱い堕天使の口淫を味わいながら、レイは、今はこうするしかないんだと自分に言い聞かせ、何度もルールを反復した。
 そのうち、マリア=ルイゼの愛撫で何も考えられなくなり、あとは射精するまで疾走するだけとなった。

 背徳の薔薇 空転 了
第二十話です

メッセージありがとうございました。下降気味だったモチベーションが高まりました

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