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第3章 駆り立てたのは本能と衝動、横たわるのは羊な主(あるじ)

 省吾が気がついて目に入ったのは、見慣れた天井だった。
間違いなくここは自分の寝室だ。
ぼんやりとしていた頭がゆっくりと覚醒し、あの時の記憶が少しづつ浮かび上がってくる。
省吾は頭を振ってその光景を振り払おうとしたが、
体全体が金縛りにあったかのように動かす事が出来ないことに気がついた。
「ん・・・気がついた?」
 視界の隅に飛び込んできたのは、看護婦の格好をしたエルだった。
薄いピンク色を纏った、その魅力的な姿も今の省吾にとっては死神の装束にしか見えない。
エルもその怯えを読み取ったのか、頬を掻いて視線をそらした。
気まずい雰囲気が部屋に流れ、耐えかねたエルが唐突に頭を下げた。
「その、ごめんなさい。完全に私の不祥事・・・じゃなくて、えーと、
不注意というか、本当にごめんなさい。」
省吾が声を出そうにも、喉が枯れきって、辛うじて動く口をもごもごとさせただけだった。
「あ、ちょっと待って。」
エルが省吾を抱き起こし、水を飲ませ、省吾の渇ききった喉を湿らせる。
「な、ん、の、つ、も、り、だ・・・」
省吾はきりきりと痛む喉からかろうじて声を出した。


「こうなったのは私の責任だし、省吾を看病しようと思って・・・」
 エルの言葉に省吾はもう勝手にしてくれと思った。
確かに看護婦の淫魔はいるとは聞いたことがあるが、患者は看護という名の性の拷問で吸い殺される話しか聞いたことが無い。
何にしても体を動かせない省吾の生殺与奪の権利はエルが握っているのだ。
「えーと、体そのものには何の異常も無かったわ。極度の精神的疲労で頭がボーとすると思うけどそれは2,3日で治ると思う。
それで今、省吾が体を動かせないのは・・・あの時に私が省吾の体の気の流れを無茶苦茶に乱しちゃったかららしいの。」
そんな省吾をよそにエルは何処からかカルテらしき物を取り出し、病状を説明する。
確かに本来体を駆け回る省吾の気はズタズタに引き裂かれている。
脳の快楽物質を無理やり抑制しようとしたせいか、体を動かす神経にも影響を与えたのかもしれない。
「それは、私が正常に戻すしかないんだけど、その・・・方法が───」
省吾は意識を手放して現実逃避を試みたが、それはエルに体を揺さぶられ、あえなく失敗に終わった。
「で、でも今度はちゃんと加減するし、体に負担かけないから・・・ね?」
(ね?と言われても・・・)
やっぱり体の動かない省吾に拒否権などあるはずも無かった。
 精神的疲労でその後ほとんど眠っていたのは省吾にとってある意味幸運だったと言えるだろう。
その数日間の省吾の覚えている記憶は
まともに動けない省吾に口移しで、なおかつ硬いものは噛み砕いて食事をさせてくれた事と、
筋肉が固まらないように数時間ごとにマッサージを施してくれる位のものだった。


 だが、エルの言った通りに数日経ち、意識がはっきりしてくると、記憶の無い間に(そういう風にエルが気を使っていたのだが)
受けていた看病も省吾は認識せざるを得なくなった。
「治療」の度に、射精を堪える、という事のできない省吾は一度交わるたびに三擦り半並のペースで
何度も射精を繰り返した事で男としての自信を失い、
その上、その事を元淫魔に「しかたがない」と慰められるという事が、省吾のプライドをより深く傷つけた。
 そして何より省吾を落ち込ませたのは、「オムツ」を履かされた事だろう。
体を動かす事が出来ないばかりか、筋肉を収縮させることすら出来ない省吾は排泄を堪える事が出来ない。
省吾にとって体を動かせない自分がベッドを汚さないためには仕方の無い事だと頭でわかっていても、
それを絶世の美女と言ってもいいエルに処理されるというのは惨めの極みだった。
もちろんエルに他意はないのだろう。熱心に看病してくれているのも省吾は理解していた。
それでも、オムツを替える時、熱いタオルで丁寧に下半身を拭いてもらっている時に、
自分のモノが反応し、大きくなってしまった時には酷い自己嫌悪に陥った。
あまつさえ、困ったような仕草で、「後でね」とエルに言われた時には、
そのエルの微苦笑すら嘲笑のように感じられ、
そんな被害妄想に反応して更に硬くなった自分のモノを感じて、流石に情けなくて死にたくなった。


 そんな沈んでいく心とは裏腹に省吾の体の状態はエルの看護のおかげで徐々に良くなっていった。
とりあえず、違和感が付きまとうものの、歩ける程度には回復した。
「はい、あーん。」
「ん。」
・・・それでもエルは少々過保護気味ではあったが。
省吾はエルの料理を咀嚼しながら、自分を見つめるどこか温かみのあるエルの表情に何とも言い難い感情を覚えた。
「何?」
「いや・・・淫魔なのに随分手馴れた介護だと思ってな。」
ごまかすように以前から思っていた事を尋ねる。
「こう見えても子育てしたことくらいはあるから。」
淫魔は人間から搾り取った精で新しい淫魔を生み出す。
魔を狩るものとして常識ではあったが、どうしても淫魔の、いやエルの子育てなど想像する事が出来ない。
「・・・俺はアンタの子供じゃない」
「わかってますよ、ご主人様。」
食べ終わった食器を片付け、エルが部屋から出て行こうとする。
「エル。」
「ん?」
つい呼び止めてしまった事を後悔しながら、なんでもない、と言おうとした。
「ありがとうな。」
・・・自分は何を口走っているのだろうか。
言い訳をしようにも、エルは花が咲くような笑顔を残して既に部屋を去っていた。
「子供なのはどっちだよ。」
省吾は溜め息をつきながらも、自分の心がほんの少しだけ軽くなったのを感じた。

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