ユウマvs美沙 ユリ子vs霧夜
私が教師になったのは、大阪万博の開かれた昭和45年(1970年)のことだった。
最初に赴任したのは、貧しい地方の工業都市にある定時制の学校だった。
生徒の多くは中学卒業と同時に工場で働いている勤労学生たちで、私はそんな生徒たちの努力に頭の下がるような思いで国語の授業を受け持っていた。
就職から3年目、私は教頭先生からBF部の顧問をしてくれないかと打診された。
夜間部の大会を目指す部員諸君のひたむきな努力に心動かされた私は、顧問を引き受けてはみたものの、自分自身、BFどころかSEXの経験すらなく、時に自信を失いかけることも度々あった。
当時、日本の学校でBFをやっているところはまだまだ少なく、私はドイツから取り寄せた学校教師向けの指導書を独日辞書をひきひき勉強しながら、生徒たちの指導にあたり、大会では声が枯れるほどの声援をおくったものである。
それが私がBFとかかわるきっかけだった。
その年のBF部の生徒たちは、定時制の全国大会でみごと3位入賞をはたした。
ご存知のように、かつてはBFを快く思わない人々も多かった。私自身、心無い言葉を浴びせられることもあったが、多くの人々のBFへの情熱が、次第に社会全体のBFに対する認識を変えていったように思う。
そのような時代を見てきた自分だからこそ(とまで言ってはいささか大仰かもしれないが)、現代の若者には、BFのフェアプレー精神を大事にしてほしいと強く願うのである。
先週のことである、私はBFの大会で審判を務めていて、とある一人の選手に注目した。
南校の倉鹿之ユウマ君という青年で、攻守の技術ともになかなか見所があるというだけでなく、逆境にめげない逞しい精神力を持つと同時に、ともに戦うチームメイトに対する思いやりや主将としてのリーダーシップという点でも、たいへん敬服させられた。
今日、その青年がプレーオフで戦うということで、私は一観客として会場に足を運んだ。
彼が強敵を相手にいったいどんな試合を見せてくれるのか。私は大いに期待し、また心からの声援を送りたいと思っている。
さて、ここで読者の皆さんと一緒に、今回のプレーオフの仕組みを確認したいと思う。
この試合では、南校のユウマ君と対戦校の美沙さん、そして南校のユリ子さんと対戦校の霧夜君が、同時に対戦する。
勝つためには、同じチームの男女両方が、連続して相手をイカせなくてはならない。
たとえば、ユウマ君が美沙さんをイカせて、次にユリ子さんが霧夜君をイカせれば、南校の勝利である。
しかしながら、ユウマ君が美沙さんをイカせても、次に霧夜君がユリ子さんをイカせてしまえば、先ほどのユウマ君が美沙さんをイカせたことは無効となってしまう。そして次に美沙さんがユウマ君を射精させれば、相手側の勝利となる。
このようなルールであるから、ただ相手をイカせれば良いというものではない。
同チームのパートナーの戦いぶりを見ながら、どのタイミングで勝負をしかけるのか、それを見極めることが重要になってくる。
さて、そろそろ試合の開始時間だ。
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