「レイ、……来たよ。いま、助けに……行くからね」
レイはベッドの縁に座りながらアーシアを見下ろしていた。
彼女は少年の脚のあいだで跪き、頭を緩慢に上下させている。シャギーショートに手入れされた青藤色の髪の毛が首の動きと連動して静かに流れており、清澄たる泉の波打ちを連想させて、穏やかに揺らめいていた。
肩甲骨の辺りから生えている三枚の漆黒の翼も優美に踊り、羽音が心地よい。ただし、透き通った羽根のコーラスに乗って少年の口から切なげな吐息が漏れており、催しが聖なるものではないのを如実に物語っていた。
少年の若塔がアーシアの口に含まれているのである。
レイは首を横に曲げ、堕天した元天使の顔を覗いた。彼女は頬を紅潮させながら口を窄め、固くなった男子の証を吸い上げている。吸引される力は弱いのだがとにかく動きが緩いので、吸う動作が始まると若塔が根元から引っ張り上げられる感覚が長く続く。その際、熱く濡れた舌が濃密に肉の棒へ絡みつき、柔らかな唇の感触と混合して、少年の全身の力を奪うほどの快感を与えてきていた。
アーシアはレイの竿の根元に、丁寧に三つ指を立て添えている。淫猥なおこないの中にも麗姿が窺えた。
レイは愉楽に耽溺しそうになりつつも、当初にアーシアから指示されたとおり、自分の身体の内に巣食う淫気の流れを読みつつ、操ろうと努力していた。
アーシアの快感による妨害を耐え忍びつつ、濃い淫気を彼女の口に送り込めれば、今回の修行は成功なのだそうだ。外部からの誘惑に負けない精神力作り、というわけである。当然、射精したら失敗だ。
成功報酬は、好きな食事のメニューを訴えてよいというものだった。保有している食材の都合にもよるが、大概のものは作れるそうである。失敗した場合の罰はとくに言い渡されていないので、のどかなものだ。もっとも、現在の状況は、気楽には程遠かった。
卑猥で生ぬるい感覚を有する淫気は、アーシアの愛撫によって、全身で勝手に暴れ狂っている。流れを調節しようにも、アーシアから受ける刺激に邪魔されて上手くいかなかった。
淫核化した心臓の鼓動は平常よりも高鳴っている。だが、狂おしくなるほどではないのが救いであった。
深呼吸をして気分を沈着させようとすると、もうひとつの淫核がその存在を強烈に誇示してきた。この存在が厄介で、アーシアの頭を抱えて腰を振りたくなる衝動を増大させてくるのである。アーシアと肌を合わせると、ほとんどの場合において自己主張してくるのだ。
心臓で濃厚な淫気を精製してから股間に送るイメージを続けていても、アーシアの吸引からくる快感によって背筋を震わせられ、霧散してしまう。
初めからやり直すと、今度は否応なく欲情を昂ぶらせてくる小淫核に集中を妨げられ、やはり霧散する。
かなり困難な作業であった。
修行の開始直後は何度も股間に淫気を集めて徐々に濃くしていく作戦を採っていたが、アーシアが与えてくる刺激によって保持するのが不可能だったので、先に心臓で濃い淫気を精製してから送り込むという一発勝負に出ていた。ただし、今のところすべて失敗している。
淫気を練ると体力の消耗が激しいので、回数も重ねられない。目算では、あと数回ほどで限界になりそうな予感がしていた。
薄い胸板は発汗に濡れ、茶色い前髪は汗で額にこびりついている。右上腕を使って額の汗を拭いつつ前髪を掻き上げて額を出し、心中で「もう一度だ」と呟いた。
アーシアの口に含まれている桜色の亀頭が、彼女の舌によって文字どおり舐め回されている。彼女は舌を伸ばすと顎に達するほどの長さゆえに、亀頭に接する面積があまりにも広い。熱い腔内によって自我の保持が不可能になるまえにやってしまわねばならなかった。彼女の口淫は危険である。
レイは両膝に手を乗せると、菊門に力を込めてアーシアの愛撫をこらえ、淫気の精製に励んだ。
心臓が沸騰しそうなほどに熱い。レイは下唇を甘噛んで心臓に意識を向けようとさらに肛門に力を込めた。その拍子に前かがみとなったため、アーシアの大きく開かれた背中が垣間見えた。
紺色のワンピースとフリルつきの白いエプロンを着衣しているアーシアは、肩甲骨のあたりから漆黒の翼を三枚生やしている。翼があるので背中が広く開いた衣服が必須であり、乳白色の肌が丸見えとなっていた。
彼女には、首の付け根のあたりから腰にかけて大きな傷痕がある。堕天した際に命を奪りにきた同胞の天使によって刻まれたものだと教わったが、女性にこのような傷がついているのは心苦しかった。
レイはさらに上体をかがめ、己が罪業であるもうひとつの傷を見ようと、アーシアの背中を覗き込んだ。
彼女の翼は、左側が一枚足りない。左の肩甲骨には、傷が残っていた。
これを見るたびにレイは痛恨する。自分の見栄によって引き起こした、取り返しのつかない大罪だった。
天使の象徴である翼が一枚足りないという事態は自分には想像だにできないが、存在を否定されるほどの艱苦なのではなかろうかと悔悟する。
絶対に天界へ還してやらなければならない。その想いが、淫気を精製する集中力を激増させた。
射精感を凌駕した精神力が心臓へ収束すると、自然に溢れ出した薄紫の波動がレイとアーシアを包み込む。アーシアは満足そうに小さくうなずくと、今度はとどめを刺しに愛撫を激しくしてきた。
快楽に顔が歪むレイの頬は紅潮し、睾丸が発射態勢を整えようと、腹腔へ収まった。
アーシアの首の上下運動が勢いを増し、吸い上げる力も、より強烈になった。意図的に空気を漏らす音を立て、少年の聴覚を弄ぶ。
「うあ……っ」
レイは膨大な悦楽に耐えようと空色の瞳を固く瞑り、歯を食い縛った。
現在の自分ではこれ以上の濃度に精製するのは無理だと思われる淫気が出来上がったものの、濃度を昂めた淫気がアーシアの淫行によって僅かに霧散させられた。だが少量だったので、そのままかまわずに、心臓から淫気の移動を開始させた。
淫気が移動すると、そこが焼けつきそうな苦痛を味わう。腹まで落ちると、胃が焼け爛れそうな錯覚にさえ見舞われ、股間の射精感と相俟ってレイは惨たらしい表情を作った。
普段ならアーシアに本気の愛撫をされると刹那で果ててしまうのだが、残酷ではあるものの、淫気の移動による痛みのせいで幾分か射精感がごまかせるので、あと数秒ほどは耐えられそうに思えた。
淫気が下腹まで落ちると膀胱が悲鳴を上げる。我慢の限界に達した尿意の痛みなど歯痒いほどの、痛烈な刺激であった。このまま濃度の高い淫気を留め置いたら、器官の機能を失ってしまうのではと畏怖したレイは、急いで若塔へ淫気を移動させた。
アーシアは舌先で亀頭の裏筋を突き続けながら、亀頭全体を唇で含み、太麺を吸い上げるかのような音階を奏でながら吸い上げた。
「ダメだあっ」
レイは情けない声を発しながら射精した。
精製した淫気が射精移動に乗ってアーシアの腔内へ飛ぶ。すると、淫気の衝撃によって彼女は小さく呻きながら顔を仰け反らせ、レイの果塔を口から離してしまった。
射精を続行する若塔の律動によって、アーシアの頬に白液が降りかかってゆく。アーシアは黙したまま銀杯色の双眸を閉じ、三つ指を立てていた両手で果塔の根元を握ると、上下にしごいて支援してきた。そのまま顔で受けるつもりらしい。
アーシアは口を半開きにしているので、粘り気の強い精液が唇に橋を架けた。やがて重さにたわんだ白橋が崩落すると、上唇と下唇の内側に入り込みながら付着する。
左頬、右頬、鼻梁、唇の順で精液を吐きかけたところで、射精が終了した。
アーシアは両手を離すと上品に腿へと手を重ね添えながら目を開き、慈しむように銀杯色の双眸を細めながら少年を見上げた。
レイは荒い呼吸をしながら彼女と視線を合わせると、修行が失敗したと思って申し訳なさそうな容貌になりつつも、次に来る淫気喰いに備える。
呆けていると、淫核化した心臓による、淫気を吸い込む力によって、意識を飛ばされてしまうからだ。倦怠感に黄昏るときは、まだ先である。
淫気喰いが始まると、心臓に卑猥で生ぬるい感覚が増す。射精しても性欲をいや増す破滅の力は、痛みを伴った。
今日は一回目の射精なのだが、淫気の精製によって体力を使っているため心臓が痛んだ。ただし、針で刺される程度のものなので、これならば呻吟してのたうちまわらずに済む。呼吸すると痛みが大きくなるので、少し苦しくなるが荒く呼吸するのはやめて間隔を広げて小さく息を吸い、小さく息を吐き、淫気喰いが終了するのを待った。
レイの様子を窺っていたアーシアは問題なしと判断したのか、反らせていた頭を俯かせると、果塔に長い舌を絡ませてレイの後始末を開始した。
その刺激によって敏感になっている果塔が痙攣し、レイは呼吸を荒げてしまう。
「痛てて……」
最近のアーシアは容赦がない。レイが大丈夫そうだと診ると試練を与えてくるのだ。
ディアネイラがいつまでも帰還しないために焦燥しているだけなのかもしれないが、彼女がいなくなってから、二十日以上は経過しているような気がする。ディアネイラの身に何かが起こっている可能性があるのだ。もしそうであった場合、アーシアがディアネイラに代わって自分を育成する役目を負うのかもしれない。アーシアが厳しくなってきたのは、その覚悟からなのだろうか。
それらの疑問は、彼女に尋ねたところで決まってお茶を濁されるので、レイには判別できなかった。
淫気喰いが終了し、濃密な淫気を身体に漲らせたレイは、自分の後始末をしてくれているアーシアの青藤色の髪の毛を撫でながら反省した。
「あとちょっとだったんだけどなあ。負けちゃったわー」
成功報酬で約束してくれていた食事のリクエストが水泡に帰したのを残念に思いつつも、仕方がないと諦めた。
アーシアはレイの掃除を終えると、自分の顔に付着した液体はそのままに、レイを見上げて応えた。
「いいえ、成功でようございます。どうぞお好きなメニューを、お申しつけくださいませ」
「え、いいの? 耐えきれずに出しちゃったのに」
「はい、かまいません。レイ様はわたくしが想定していた以上の濃度をもつ淫気をお作りになられました。アーシアは驚嘆しております。お見事にございました」
「ありがとう。じゃあ、魚貝のパスタをお願──」
室内に重苦しい電子音が響いたので、レイは発言を止めて音のしたほうへ目を向けた。
アーシアはおもむろに立ち上がり、唇に付いている精液を舐め取りながら、同じく音のする方向へと肉体を向ける。
ディアネイラが帰ってきたんだと思ったレイは、アーシアの肉体越しに、身体を斜めに倒しながら覗いた。アーシアの背中には翼が生えているので、ほとんどベッドにつきそうなくらいに上体を傾ける必要があった。
淡白い球体が大部屋の中央に現われると、幾筋もの細い稲妻が球体から発せられているのが見えた。
「え、バベット……?」
レイの推測は外れ、球体の中から淫女王バベット・アン・デニソンが現われた。
彼女はペティコートを愛用するらしいが、今回の衣装はシースルー仕立てなため、女性の凹凸がくっきりと確認できる。下着は、上下とも身に着けていなかった。
存在感が強すぎる乳房にレイの空色の瞳が吸い付き、その形のよさとざくろ色の頂の艶冶さに、生唾を飲み込む。
下半身からは、小さな正方形に整えられた茜色の陰毛が目に飛び込んできた。だが、すぐにバベットの乳房へと視線が戻ってしまう。
「やっほーアーシアちゃん、淫人ちゃん──て、おお? いいコトしてたんだね〜。いいないいな、あたしも混ぜてよ〜」
突然に来訪したバベットは、大きな翠色の瞳をアーシアの顔に向けると、妖しく微笑みながら片目を瞑って訪問の挨拶に代えた。
レイは射精後の倦怠感からすぐに発情し、身体が火照って頭が朦朧とし始めたので、慌ててかぶりを振って自意識を保とうとする。
「また来たよ……」
口では強がってみせるものの、その目はバベットの胸に釘付けとなっていた。先日経験した圧倒的な肉の塊の感触が蘇り、それだけで、屹立を続けている若塔の先から透明の粘液が溢れる。
「へっへ〜。来ちゃったんだよね〜、今日もまたっ」
バベットは屈託のない笑みをレイに向けた。
「ようこそおいでくださいました。すぐにお茶のご用意をいたします」
「あ、いいのいいの。ちょっと仕入れた情報を教えに来ただけだから。ありがとね、アーシアちゃん」
バベットは深々と一礼するアーシアへ手を振りつつ、レイが坐っているベッドへ歩いてきた。
レイの心臓は高鳴り、あの胸にもう一度触れてみたいという欲望が湧き上がってゆく。
「や〜ん。淫人ちゃん、そんなにあたしのおっぱいが気になるの〜?」
バベットに揶揄されたレイは歯噛みしたが、彼女がこちらへと歩を進めるたびに乳房が弾むので、その動きから目を離せずにいた。とても張りが強い持ち物なので、揺れるというより、跳ね飛んでいる。両肩を大きく前後させながら歩行しており、意図的に乳胸が激しく動くよう仕向けているのは明白であった。
レイの元へ到着したバベットは遠慮もなく少年の隣に腰を落ち着け、ボブカットに手入れされている髪の毛を撫で付けた。
この淫女王は猫背なため、レイの視界に大峡谷が飛び込んでくる。ここに挟まれて一瞬で果てたのを思い返し、脳髄が揺れた。
「早速だけど淫人ちゃんさ、シンディ・シュバイツァーちゃんて人間の女の子を知ってるっしょ?」
「え!?」
レイはバベットから思わぬ発言を聞いて驚倒した。なぜバベットがシンディを知っているのか、その考えを巡らせる余裕もなく、ただ驚いた表情で隣のバベットへ首を向ける。
「ウチに攻め込んでるハンターから使者が来たの。なんか手違いでその子があたしの国に迷い込んだらしくってさ〜、発見したら保護してくれって頼まれたんだ〜。その見返りとして一時撤退するってゆーから、引き受けちゃった。恍魔関係で人間たちと遊んでる余裕もあんまないし、その子が淫人ちゃんの大事な子だってのもあたしは知ってるしね」
「なんでシンディが……。グーおじさんやファン兄は何をやってんだ」
「女心を知らない愚か者め〜。おっぱい責めで悶死させちゃうぞ〜」
バベットがレイの腕を取り、両胸で挟んできた。レイは呻き声を発して恐ろしいほどの張りを味わい、全身が灼熱に見舞われた。
その行為によって、射精して間もない睾丸が再度の射撃態勢を整えようと、腹の中に入ってゆく。
「あの、バベット様。なぜその情報を、御自ら、わたくしたちにお伝えくださったのですか?」
「だってここって、あたしとディーネちゃんとアーシアちゃんしか知らないじゃん。ディーネちゃんはまだ帰ってこれてないんだから、あたしが来るしかないし〜。でもさでもさ、そうすればお友達の淫人ちゃんにも、逢・え・る・っしょ〜」
「こいつ、ウザすぎる……」
バベットの乳房から解放されたレイは、目頭を抑えながら反駁し、せめてもの強がりをみせた。
「にょっほほ〜。淫人ちゃん、か〜わいぃ〜」
バベットは小首をかしげながら少年へ笑いかけた。が、すぐに真顔に戻り、話を続ける。
「──で、話を戻すけども、シンディ・シュバイツァーちゃんには手差ししないようにみんなには厳命してあるからいいんだけどさ、先方への使者がいないのが問題なの。ナーチャちゃんに続いてマイナちゃんも奴らに消されちゃって、みんな人間への復讐に燃え上がっちゃっててさ〜。気合入りまくりで、誰も使えそうにないの。シンディ・シュバイツァーちゃんに手出しするなって言い含めるのだって、ホント、苦労したんだよ。あたし、それはもう頑張ったんだから」
「左様でございましたか。たいへんお疲れ様にございました」
「淫女王のくせに自分の国の淫魔を統制できてないの? バベットの器そのものに問題があるんじゃない?」
「あぁ〜っ。またそうやってすぐに苛めるんだからぁ〜」
バベットが頬を膨らませて抗議の視線をレイに向けてきた。少し首を突き出しただけで彼女の唇に触れられる位置にいるため、レイはすぐに首を正面へ戻し、両手を前で組みながら清楚なたたずまいで起立しているアーシアを見上げた。
「ではその使者は、わたくしが勤めさせていただきます。バベット様はシンディ・シュバイツァーの所在をご存知ですか?」
「さすがアーシアちゃん、話が早くて頼れる〜。うんとね、哀歓の森でさまよってたって報告が入ってるよ。でも行くまえに洗顔するか吸収するかしてったほうがいいと思うよ〜」
バベットが愛嬌のある笑い声を立てると、アーシアは「そうさせていただきます」と応じた。
「ちょっと待って、ぼくも行──」
「それはダメ。淫人ちゃんは秘密の存在なんだから基本的にここから出ちゃいけないの。アーシアちゃんがいないあいだは、あたしがえっちの相手をしてあげるからさ、大人しくここで待ってなさい」
「冗談言うなっ。シンディが困ってるのを知って黙ってられるか!」
バベットと肌を合わせられるという歓喜の誘惑がレイの心を掻き散らしそうになったが、不安そうにしているシンディの顔が脳裏をよぎったので、なんとか振り払えた。
「あたしは本気なのにぃ」
頬を膨らませ続けているバベットの顔が横目でも見えたが、レイは彼女にはかまわずアーシアへ視線を向けた。バベットを意識すると、発情の萌芽がすぐに花開いてしまいそうだからだ。
「ねえアーシア、ぼくがいたほうがバベットの国に来てるハンターたちとも話をつけやすいと思うんだ。ファン兄と一緒に帰ったりしないから、連れてってよ!」
レイはアーシアの手首を掴んで懇願した。どうしてシンディが淫界にいるのかは、考えても答えが出なかった。
混乱するばかりである。
淫魔ハンターになるために養成学校へ入学したという無謀さだけでも心配で仕方がないのに、よりにもよって人間を襲う淫魔がいる世界に足を踏み入れるなど、正気の沙汰とは思えなかった。なんとしても見つけ出して人間社会へと連れ戻してやらなければならない。
「レイ様のお気持ちはお察しいたしますが、やはりお連れするのは下策と思われますので、ここはわたくしのみで参ります」
「じゃあ、命令したら連れてってくれる?」
レイの発言に困惑したアーシアは銀杯色の瞳の輝きを濁らせ、一歩、後ずさった。命令されると抗う術をもたない彼女には、強烈な脅迫になったようである。
「あたしを苛めるのはいいけどさ、あんまアーシアちゃんを困らせないでやってよね〜」
「ぼくだって必死なんだっ」
思わず力強くアーシアの手首を握り締めてしまったレイは、狼狽して手を離した。
「恍魔にレイ様の存在を気付かれるわけにはいかないのです。たいへん申し訳ございませんが……」
仕えている者へ意見を述べるアーシアの顔色は蒼白となっていた。それを見てしまうとレイは逡巡しそうになるが、ここで諦めてしまったらシンディに逢えなくなる。淫魔ハンターへの道を諦観させなければならないという思いがあり、また、純粋に逢いたいという想いもあった。
「淫人ちゃんが行くと足手まといになるんだから、アーシアちゃんに任せたほうが早いって〜。……あー、ならさ、彼女を確保したら、一回こっちに連れてきたらどお? それならあたしとえっちしながら待ってられるっしょ〜?」
「シンディをそんな怖い目に遭わせられるかっ」
「ふぅ。ディーネちゃんの苦労がよく解るわ……。ホ〜ント、お子様なんだから。淫人ちゃんのいないトコでアーシアちゃんと話をするべきだったかぁ」
バベットは両手をベッドにつくと軽く伸びをした。突出した乳房を斜眼にしたレイは息が詰まったが、極力見ないようアーシアへ視線を向け続ける。
「もう行くって決めてるんだから、アーシアはぼくの洋服を持ってきてくれればいいんだって。着替えてるあいだに洗顔してもらったり出発の準備を進めておいてくれればいいんだから」
「わがままっぷりは筋金入りだね……。これはもうどうしようもないなぁ」
バベットは肩から大きく嘆息し、アーシアへうなずいてみせた。
「承りました。ではお洋服を持ってまいります」
アーシアから衣服を受け取ったレイは、久しぶりの着衣を楽しみながら見につけていった。
ボクサーパンツを穿くと自由に揺れ動く下半身が固定され、新鮮な着心地を味わった。若塔は屹立したままなので上向きで膨らんでいるのが見えており、バベットは悠揚とそれを眺めている。
レイは彼女を無視してトレンチパンツを上に穿く。脚が布で覆われると冷たい感触が肌に伝わる。それは、とても安心するものであった。
下半身の着衣が完了すると、『アルファ』というブランドのトレーナーを手に取った。これはシンディが誕生日プレゼントに贈ってくれた大事な服である。彼女の身の安全を願いながら袖をとおし、最後にバスケットシューズを履いて紐を結んだ。
不思議と、身が引き締まる思いとなった。
「準備はようございますか?」
アーシアが大部屋へやってくると、レイは黙してうなずき、答えとした。
アーシアの顔に付着していた精液はなくなっていた。使者に立つのに礼服を着るわけでもなく、いつもの制服とエプロン姿である。頭に巻いているレース編みのフリルのカチューシャは、真新しいものに取り替えられていた。気付かぬうちに、精液を飛び散らせて汚してしまっていたのかもしれない。
「あーあ、淫人ちゃんが服着ちゃった。つまんないぃ〜」
「バベットもディアネイラと同じこと言うのかよ」
レイは軽く抗議の声を上げたが、バスケットシューズの具合が最高によいので、気にせず小さく飛び跳ねて感触を確かめた。コンクリートの床に靴底が噛み合わされると軽やかなゴムの靴音が室内に響く。イルカの歌声のようなこの音色が、レイは好きだった。
「ほんじゃ、気をつけて行っておいで。ふたりを見送ったら、あたしも帰るね〜」
「うん。シンディを気遣ってくれて、ありがとう」
「淫魔へのお礼は言葉じゃ意味ないよ。感謝の思いがあるなら身体で示すの。いい? 今度、濃いのご馳走してもらうからね〜」
レイがアーシアの細腕に触れると、彼女は転移の魔法を行使した。
一瞬でレイの視界は、大部屋から、紫の木の葉を纏う木々が生い茂った森のものへと変わった。
哀歓の森。ファンと邂逅した場所である。
土の香りは人間が住む世界のものと大して変わらないように思えるものの、甘ったるい空気がレイの鼻孔を突いてきた。地面いっぱいに開花している色とりどりの草花から発せられる芳烈な芳香である。
萎んでいた下半身が疼いて、隣にいるアーシアに抱きつきたくなる衝動に駆られたが、両頬を張って気合を入れた。淫気を養分とする植物たちの匂いは、媚薬の効果があるのかもしれない。
「シンディがいる方角は、分かる?」
レイは周囲を見渡しながらアーシアに声をかけた。居場所が判り次第、すぐに移動を開始しなければならなそうだ。咲き誇る草花から受ける刺激が強いのである。
「少々お待ちくださいませ」
アーシアが銀杯色の瞳を閉じると、レイには聞こえぬほどの小声で何か呟いた。シンディの居所を調査しているのだろうと、少年はアーシアの集中を邪魔せぬようにしつつ、彼女の傍で待機した。わがままを聞き入れてもらったのだから、これ以上勝手な行動をしてアーシアに迷惑はかけられないので、周囲を警戒するだけにする。
虫の音や風によって葉擦れる音が聞こえるほかは、とくに耳に入ってくる情報はなかった。
目は、女性器に酷似した花を注目した。ほかの花々より大きなそれは、女性の膣口にあたる部分で、蛇か、動物の尻尾のようなものを咥え込んでいる。甘ったるい匂いは、この植物が虫や動物を誘引する餌にするためのものなのだろうか。食虫植物の類なのかもしれない。
淫界ならではの植物から目をそらしたレイは、出発の際にアーシアから聞かされた行動計画を思い返した。
シンディを探索し、発見したらすぐに淫魔ハンターたちのいる本体へ転移。彼女を送り届けた後、すみやかに帰還する。注意事項は、行動は危険を伴うので、アーシアの近くを決して離れてはいけない、というものだった。レイとしても逆らう理由はない。
「レイ様、申し訳ございませんが、撤退いたします」
「え……どうして」
「付近に不穏な波動を感じます。得体が知れませんが、恍魔のものである可能性がございます」
「ちょっと待って。シンディだって近くにいるんでしょ? 危ないじゃんかっ」
「申し訳ございませんが、御身の安全こそ、わたくしが最優先せねばならない事柄にございます。ですがレイ様、わたくしはすぐに舞い戻り、シンディ・シュバイツァーを保護してまいりますのでご安心くださいませ」
「そんな、ここまで来たのに……」
レイはうろたえながら周囲を見廻した。視界にシンディが入らないかと期待したが、生い茂る木々ばかりで小動物すら見えない。
食虫植物のような花は、咥えていた長いものを呑み込み終えており、花の下側にある茎が膨らんでいた。
「ねえ、恍魔が持ってる恍気ってオーラは、淫魔にとって最悪の力なんでしょ? もしアーシアがひとりきりで行って恍魔と鉢合わせしたら、それこそヤバいんじゃない?」
恍魔の波動は敵愾心を失わせる効果を有しているらしい。まったく逆らえないという精神状態になったら操り人形と化すのと同義であり、あまりにも危険な力に思えた。
恍魔は数体いるというのが淫魔たちの推測だ。近辺にいるらしい存在が恍魔だとしても、ディアネイラが相手をしているらしい、淫帝を名乗っている者ではないのだろうが、危険な存在には変わりない。このデニソン国でも被害が出ているとバベットが嘆いていた。実働している恍魔が付近にいるかもしれないと知ったら、ひとりきりで向かうと発言したアーシアを止めるのも当然であった。
同時に、ここまで来ておいてシンディを助けずに帰るなど、レイには承諾できなかった。
「下賎なわたくしの境遇など、レイ様が杞憂なさる必要などございません。ご友人の身柄はわたくしが一命を賭して探しだしますので、どうぞ、ここはご理解くださいませ」
「できるわけないじゃんっ。そんな絶望的なことを言わないでよ。なんでアーシアは、いつも真っ先に自分を犠牲にしようとするんだっ。そんなのダメに決まってるだろ!」
「レイ様……」
アーシアは辛苦の表情をレイに向けてきた。できればこんな顔はさせたくない。だが、ここは退けないという思いでいっぱいになっていた。
「今から決意を表明する。……ぼくも行く。足手まといにしかならないだろうけど、アーシアだけ危険な目に遭わせておいて、ぼくだけ安穏と帰りを待ってなんかいられない」
両者は互いの瞳を凝視した。レイはもう決めているから自分が折れる気など微塵もない。彼女が折れるまで目を離すつもりはなかった。
アーシアの顔色が青ざめている。最悪の状況が心中で巡り巡っているのだろう。
白エプロンを握る手に力が込められ、肉体を小刻みに震わせていた。
最悪の状況。それはレイの死である。アーシアが自分の命など顧みず、淫魔の未来を担うとされる存在の守護が破綻するのを最も恐れているのは自明だ。それはよく理解している。彼女は、生真面目という線路から、自分で脱線できない性格なのだ。
だからといって譲るわけにはいかない。レイの眼光は専断の輝きを放ち、アーシアを射抜いた。
「ひとつだけ、約束なさってくださいますか?」
消え入りそうなほどか細い声でアーシアが言うと、レイは即座にうなずいた。
葛藤につぐ葛藤だったのだろう、血の気が完全に失せている。アーシアは震える唇を鎮めるように指で触れたあと、そのまま静かな口調で言った。
「わたくしの手を、決して離さぬよう、お願い申し上げます。これは危険と判断した瞬間に転移をするためにございます」
「うん、従うよ」
レイは右手を伸ばし、アーシアの細い左手を握った。冷や汗にまみれていた彼女の掌は凍りそうなほどに冷たくなっている。精神をかなり疲弊したのだろう。
彼女の心労が自分にあるのが申し訳ないが、今は時間が惜しかった。
「急ごう、シンディが危ないかもしれないんだ」
「はい。では、こちらでございます」
アーシアはレイをいざなって鬱蒼とした森へ入っていった。
獣道がないために、ふたりで枝や葉を掻き分けながら進んでゆく。アーシアは大きな翼を可能なかぎり背中に隠し、歩行の障害にならぬよう気をつけていた。
少し歩くと下り坂になりながら森の密度が薄らぎ、枝に邪魔されないほどになった。とくに奥面に変わりはなく、何も見つからないので、そのまま進む。
レイは淫気を練りながら歩いた。もし恍魔と直面してしまったら、場合によっては物理攻撃を仕掛けられるようにするためだ。淫気を集めた場所で淫魔を打擲すると、弾かれたりせずに攻撃が入るからである。それが淫魔の異端とされる恍魔に通用するかどうかは判らないが、何もせず、ただアーシアに守られるだけなのは我慢できなかった。
「シンディの気配は、感じる?」
「弱々しい生気をひとつ感じます。ですが、得体の知れない力の者が共にいるようです。どうか、存分にお気をつけくださいませ」
「ありがとう。それでも連れてきてくれて」
アーシアに手を強く握られた。言語道断の越権行為をしていると懺悔しているのが手に取るように解る。ディアネイラに後を託されたアーシアにとって、気絶しそうなほどの辛さなはずだ。それは一緒の時間を過ごしてきてよく見知っている。
自分は恍魔を斃せる切り札らしい。だがその正体を知られてしまったら、アーシアが問責されるだろう。アーシアの進退問題が発生したならば、そのときは己が身命を投げ打って抵抗しようと心に決めた。
無論、それで済む問題ではないだろうし、責任など自分は取れやしないが、そうせずにはいられないという心情が激情となって渦巻いた。
「……いました」
アーシアが立ち止まってレイの耳に囁くと、少年は心臓が弾け飛びそうな衝動を味わった。
目を凝らして周囲を窺うが、森の木々や草花しか見えずに焦燥する。
前、右、左、後ろ。
首を巡らせてみても、どこにもシンディの姿は確認できなかった。
レイはアーシアからさらに手を強く握られると引っ張られ、木陰に身を移動された。アーシアの顔を見ると、彼女がどこを見ているのかが分かる。レイはアーシアの視線を辿った。
木々を縫った先に、人工物を発見した。
紫の芝生の上に、黒と茶色でデザインされたチェック柄のプリーツスカートが落ちていたのである。
「え──」
そのすぐ近くに、同じデザインの、引き裂かれたブレザーと白いブラウスが落ちていた。
レイの背筋に悪寒が走り、両膝が震えた。顎が痙攣して歯音が鳴る。
恐怖心に煽られながら奥に目をやると、木の根の上に、緑色の液体に汚れた白のブラジャーが、カップをふたつに裂かれた姿で落ちていた。その横にピンク色の小さなポーチが転がっている。
自分がシンディの誕生日に贈った、ブランド物のポーチであった。
「嘘……だ、ろ……」
レイは無意識のうちにアーシアの手を引き剥がし、木陰から身を乗り出した。落ちていた衣服の先は、両手を広げるよりも太い幹を誇る大木が聳立していて見えないので、少し廻り込んでから奥を覗く。
シンディが、いた。
人外の異形に、捕獲されていた。
「シン……ディ……」
華奢な身体を四つん這いにしている少女は、蒼色の大きな瞳を虚ろにし、焦点がまるで合っていない。小振りな口を大きく開かされ、肉色のミミズのような長い触手が突っ込まれていた。口の端が切れているようで、出血している。突き込まれている触手が脈動するたびにシンディの口内に緑色の粘液が吐かれ、下品に零れた。粘性がひじょうに強いらしく、少女の顎先から地面まで垂れ下がっても切れないほどであった。
彼女自慢の美しい金髪も、緑色の粘液にまみれて穢されている。ツインテールにしているのだが、右側はゴム紐が千切れているため、髪の毛を広げ散らしながら、狭く細い背中にこびりついていた。左の尾髪はその姿をかろうじて保っているものの、重そうにしながら真っ直ぐ地面へと落ちていた。
四つに伏せているシンディのか弱い身体は、異形の生命体の動きによって前後に揺すられている。反り返っている柳腰など、今にも折れてしまいそうなほどだ。この腰にも肉の触手が絡みつき、先端がふたつに枝分かれしている口が、それぞれ少女の発育途上の乳房に吸い付いていた。触手の口の周りには、さらに無数の細かな触手が生えており、白雲色のシンディの胸に張り付いて蠢動している。三角型のシンディの胸は引っ張られているらしく、痛々しげに伸びていた。
胸の谷間にも触手が這っている。これの先は男性器の形と似ており、浅い谷間を前後しながら、ときおり粘液を吐いてシンディを汚していた。
何本もの触手は、異形の腰部から出ている、蟻や蜂の腹節に似た場所の先端からつながっていた。
この異形には四肢がある。人間のものとそう変わらないように見える土色の腕が少女の薄い尻肉を掴み、鋭い鉤爪を食い込ませ、出血させていた。
左膝を地面につき、右膝は立てた姿勢で腰を振っている。
異形の腰は少女の腰とぶつかり、そのたびに少女の身体が前後に揺れる。
レイは見た。
シンディの股間は血に染まり、細い腿に垂れていたのを……。
「シンディっ」
レイが声を上げると、こちらに気付いた異形が首を向けてきた。頭は蜂のようになっている。巨大な両目が顔の多くを占め、額のあたりにも目のようなものがあるが、どちらも瞳がないためにどこを焦点にしているのかは分からない。だが、確実にこちらを見ていた。
蜂頭の下側には大顎があり、僅かに開いている。そこから青色の長細い舌を伸ばし、シンディの後ろの門に挿し込んでいた。
上半身には垂れた乳房がふたつあり、腰打つ動作によって激しく弾んでいる。
「う……」
レイは頭が呆然としてきた。胃が煮えたぎり、口から飛び出しそうだ。鼓動が早鐘のごとく裂帛に打ち鳴らし、心臓は張り裂けそうな苦痛を伴った。全身に力が篭り、大きく身震いする。股間は怒張して、淫気の塊が集まっていった。
「レイさ──あうっ」
アーシアがレイの身体に触れようとしたが、急にしおらしく地面にくずおれてしまった。黒翼を力なく地面に落とし、股間を押さえて喘いでいる。顔は真っ赤だった。
「貴様もハンターか? 淫魔と共にいるとは滑稽だな。人間が裏切ったのか、はたまた、淫魔が裏切ったのか。それとも、何か別の事情があるのか」
男とも女ともつかない声音で異形が語りかけてきた。だがレイの耳には入っていない。アーシアの様子が一変したが、それにもかまっていられなかった。
シンディの腰に、異形が粘液を注ぎ込んだからである。
夥しい量の粘液にシンディの腹中が耐えきれず、下品な音と一緒になって溢れ出した。少女の股間から出血している赤い液体と異形が吐いた緑色の粘液が混ざり合いながら腿を伝い、さらに落ちていって膝に引っかかっている白い下着を濡らしながら地面に到達する。
異形はかまわず腰を振り続け、少女を蹂躙した。
シンディの呆けた蒼色の瞳と視線が合う。だが彼女はこちらを認識していないのか、無反応のまま異形に突かれ続けた。
「うあああああああああアアアアアアアぁぁぁぁァァァァっ!!」
レイが絶望の金切り声を発し、淫界を揺るがせた。
背徳の薔薇 叫喚 了
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