「これは一体―――どういう事かしら?」
玉座の上で控えめな王冠を被った黒髪の女性はそっと言葉を発する。
淫魔界アハト・ディールの中央に位置する王都。
親衛隊と呼ばれる淫魔達によって守られし国を治めるパレス城内、玉座の間。
その玉座に座っている女性は苛立つ様に髪を手串で梳いていた。
「姫兵から報告を受けた――、人間の子供に不様に絶頂へ導かれたそうね?」
玉座の絨毯の上で膝を曲げ、礼をする体勢で頭を下げる少女。
女王の勅命を受け、人間界で人間と戦い―――引き分けになった少年を少女は逃がした。
だが、その事に黒髪の女性は苛立たせているのではない。
消滅しなかったとはいえ、この少女が人間に敗北した事を責めているのだ。
「答えなさい、エレノア。」
小さく―――それでいて怒気を含んだ声が辺りに響く。
衛兵達も、―――特選部隊と呼ばれる女王の側近も――この場の重圧に飲み込まれそうだった。
ずっと口を噤んでいたエレノアが、漸くその口を開いた。
「――はい、女王陛下。――に、人間の男に、私は―――私はイカされました。」
頭(こうべ)を垂れながらエレノアは発言する。
夢魔にとって、自分の敗北を口にする事は自らに対する最大級の侮蔑であった。
今エレノアは屈辱と、怒りにも似た感情を抑えつける事しか出来なかった。
油断していた――などと言い訳をする積りはない。
彼女は失態を犯したとき、初めての経験を以って、その結果がこうなった―――と考える事にしていた。
落ち込む暇があるなら、挽回する事を考える――それが皇女たる者の務めと解っていたからだ。
「やはり貴様に女王の座を渡さなくて良かったわ―――。」
黒髪の女性はエレノアに目をくれる事無く言い切った。
エレノアは握り締めた拳の爪を、更に手の平へ食い込ませる。
彼女―――黒髪の夢魔であり、エレノアの姉である現アハト・ディールの新女王、
テラ・シェル・アハトディールは、突然夢魔の国である中央国へ現れた。
金色の髪を持つ淫魔と桃色の髪を持つ淫魔を従い、たった三人で当時の中央国の夢魔戦士達を全滅させた。
そして彼女達は王都まで迫り、当時の淫女皇であるエレノアの母を追放してしまった。
実力で女王まで伸し上がった夢魔―――。
アハトの法を破った方法ではあったが、当時の淫魔達は彼女を圧倒的な支持で迎え入れた。
即位したテラは保守的な前女王と違い、徹底的な支配体制を確立させた。
自らに従わぬ前女王派を容赦なく排除し、力ある者だけを受け入れてきた。
そしてアハト・ディールの歴史上、最強の淫女皇と称えられる程になっていったのだ。
「この様な失態を、我が妹である貴方が犯してしまった―――。お陰で私は老婆達のいい笑い者になったわ。」
実力だけで伸し上がったテラに背景の力はない。
自らの力だけでアハト・ディールを守らなければならないのだ。
故に彼女は近しい者の失態を許す事は出来ない。
エレノアの実力を過大に評価しているからこそ、彼女には試練が必要なのだ―――とテラは考えていた。
「姫兵隊を連れずに、一人で人間界へ行き、その人間を奴隷にしてきなさい。」
それがエレノアに与えられた新たなる女王の勅命だった。
―――狭間の門―――
アハト・ディールの5つの公爵家の一つ、南東国イーウス・デビルス。
悪魔科の淫魔達によって守られし淫魔界。
その何処までも続く草原をエレノアは唯一人歩いていた。
狭間の門から人間界へ向かう為に―――丁度、狭間の門が肉眼で確認出来る所で
彼女は栗色の髪を持つ悪魔と出会った。
「聞いたぞ、エレノア。人間に遅れを取るなんてな―――。」
エレノアに近づきながら声を掛ける少女。
悪魔科の国の貴族である、セシアナ・イーウスであった。
肩まで掛かるさらっとした柔らかな髪、全てを射抜く様な厳しい瞳、
そして、エレノアに負けるとも劣らない、巨大な乳房を揺らしながら彼女の所へ辿り着いた。
「姉上なら揉み消してくれるかなぁ〜って思っていたんだけどね―――、やっぱ甘く無かったわ。」
「仕方あるまい、今のアハトには異淫会の淫殺部隊が何処に潜んでいるか解らぬからな。」
―――異淫会―――
人間達が協会を設立するに辺り、一部の淫魔だけで結成を始めた組織。
当初は規模も小さく、殆どの淫界も相手にして来なかったが、
この組織の長の卓越した政治手腕によって、近年、異淫会への入会を行う淫界が後を絶たなくなった。
アハト・ディールも異淫会に属し、有事の際は率先して動かなければならない。
だが、異淫会を束ねる仙女達は各淫界へ常にスパイを送り込んでいる状態だった。
「で、どうするのだ?――その人間を性奴隷にするつもりなのか?良ければウチで預かってやってもいいぞ?」
「言ったでしょ?私は年上の頼れる男が好みなの。好みじゃない少年を奴隷になんかしないわよ。」
どこまで本気なのか―――セシアナはそう思いつつも、エレノアを送り出した。
彼女は手を振りつつ、狭間の門へ消えていった―――。
「―――で、どうしてこうなるかなー。」
小高い草原の上で何故か正座をして溜息を零すエレノア。理由は明白で、赤い髪の少年を膝枕しているからだ。
少年―――クリフとは意外に早く再会出来た。
エレノアは彼に出会うなり、戦いを挑む積りだったが、逆に懐柔されるという有り体を晒してしまった。
彼の赤い瞳を見た瞬間に奴隷にするなどの意気込みが、空しく消沈してしまったのだ。
「この子、まさか魔眼の持ち主とか―――そんな訳無いわよね―――。」
エレノアの膝に頭を乗せ、すやすやと寝息を立てるクリフ。
少年の顔を見下ろしては(この場合、乳房のせいで横から覗く形ではあったが―)、溜息を零すしかなかった。
「いえ、まだ時間はたっぷりあるわ。―――じっくり焦らずに誘惑していけばいいのよ。」
少年をどう調教するか、それを想像するだけでエレノアは心を躍らせる。
悪魔のセシアナが運営する集合牧場の人奴隷も、それはそれは小鳥の囀りの様な可愛い喘ぎ声を聞かせてくれる。
この生意気な少年が私にどれだけ惨めな姿を晒し、懇願するのか楽しみではあった。
だが―――今、この瞬間もまた、エレノアにとって心が休息される時でもあった。
優しい母を失い、親しい友とも会う事は許されず、エレノアは心が荒んでいた。
更に貴族長である彼女は無理に人間を射精させなくとも、十分に精液を摂取出来る立場である。
それ故、彼女は人間の女に近い感情―――自分の好みにあった男を捜すと言う、およそ夢魔とは思えぬ思考を持っていた。
だが少なくとも、この少年にそれを充足させる気にはならなかった。―――ならない筈だと自分に言い聞かせていた。
「そうなんだからね―――、勘違いするんじゃ無いわよ。」
少年の時折膨らむほっぺたを指でツンツンしつつ、思わず顔を緩めてしまう。
エレノア自身は気付いていないが、傍から見れば立派な恋人同士に見えるだろう。
だが、そんな和みを崩すかの様に三つの人影が彼女に近づいていた。
「何やってるのかな〜?淫魔が人間に膝枕なんかしてるよ〜?」
その声にエレノアは顔を挙げ目を見張る。
その風体からして、三人とも淫魔―――しかも、上級の力を持つ大淫魔であった。
個の実力ならエレノアに分があるが、相手は三人―――。
内心の計算を相手に見抜かれぬ様、エレノアは平常心を保ちつつ声を返した。
「無礼者が―――、私をアハトの貴族長と知っての事か?」
エレノアは藍色の瞳を細め、睨み付ける様に淫魔達の目を射抜く。
大抵の淫魔なら、これだけで恐れを成して退散してしまうのだ。
だが、エレノアのその読みは外れる。その淫魔達は全く別の事を考えたのだ。
「アハトの貴族長が呪縛もしてない人間に膝枕してるって?」
「うっわー、こいつ馬鹿だ、ありえないって。あ・り・え・な・い。」
「まぁ、時折人間に情を持つ馬鹿な淫魔がいるって聞いてるけどね、アンタの事だったか。」
淫魔達はエレノアの言葉を聞くなり、嘲笑を始める。
常識という言葉からすれば、確かにエレノアの行動はそれに反する。
人間の安眠を手伝っている今の状態は、明らかに常時のそれを逸脱しているのだ。
「黙れ、この子が目を覚ましてしまうだろう。」
言ってからエレノア自身も何を言ってるのだろうと考えてしまう。
別にこの少年の眠りを妨げたから何だと言うのだ。私にとって何のメリットもない、
五分五分の戦いを挑むのは愚か者のする事だ、この子を守らなければならない事など無い。
そう思いつつも、エレノアは彼を庇う行動を無意識に取ってしまったのだ。
「ふん、馬鹿がうつるだけだわ、さっさと目的の国まで行きましょう。」
淫魔達はそう言うと翼を羽ばたかせ、颯爽と飛んでいってしまった。
一先ずは何とかなったか―――そう思った瞬間、エレノアは段々腹が立ってきた。
相変わらずすやすやと眠る少年を見下ろして―――彼女はちょっとした悪戯をしようと思ったが―――
結局はクリフの安眠を優先する事にした。
この日、エレノアはクリフを手篭めにすることは出来なかった。
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