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タイトルなし 1-1

 ここは、剣と魔法が支配する何の変哲もないファンタジー世界。魔王と勇者がドンパチ
やったりするような、珍しくもなんともない世界だ。
 ただ、唯一他の世界と違うところがあるとすれば、この世界の魔物が苦痛を武器にする
のではなく、淫らな快楽で人間を殺めていたことだ。男性の精をむさぼり、女性の淫蕩[い
んとう]を糧にする彼ら魔物を、人々は淫魔、あるいはサキュバスと呼んでいた。
 もちろん、人間はただ魔物の暴虐に手をこまねいていたわけではない。性を武器にする
彼らと戦うため、性技のプロフェッショナルである「戦士」が、洞窟で、村で、塔で、サ
キュバスと日夜激しい戦いを繰り広げていた。
 ホリスも、そんな戦士の一人だった。戦士の養成学校を卒業し、いくつかのダンジョン
で下級淫魔と戦い経験を積んだ、駆け出しの少年戦士である。
 この日もサキュバスとの戦いを終えて報奨金を手にしたホリスは、宿を探して町を歩い
ていた。盛り場からやや離れたあたりを半刻ほども探しただろうか。その日はどの宿も先
約済みで、仕方なく、いかにも安く不潔そうなボロ宿に飛び込んだ。
 宿の内装は、案外こざっぱりとしていた。が、肝心の宿主がいない。客も、店子も、人
っ子一人いない。気色が悪いまでに静かで、高度なダンジョンの空気にどこか似た、不気
味な雰囲気が漂っていた。
 いぶかしく思った彼は、宿主を大声で呼んだり、片端から部屋の扉を叩いたが、気配ど
ころか物音一つしない。もしかして空き家だろうか、と半ば諦めながら、ホリスは最奥の
部屋のノブに手をかけた。

「少年、人の店に土足で上がり込むのは、感心できないな」
 少し低めの、艶めかしい声が背後から少年の耳に滑り込んできた。はっとして、後ろを
振り向くと、裸身に薄布をまとっただけという出で立ちの女が、ホリスをのぞき込んでい
た。かがんだために薄布からこぼれ落ちた、女の豊満なバストがホリスの視界に飛び込ん
でくる。思わずそれから目をそらしながら、
「み、店……? ここは宿屋じゃないんですか」
 少しどぎまぎしながら、ホリスはそう答えた。職業柄、裸身の女性は見慣れているのだ
が、この女の場合は勝手が違った。すっと通った目鼻立ちに、ダークブラウンでややつり
上がった目、そして大理石の彫刻のような白く艶やかな肌。美の女神が嫉妬で狂い死にし
かねないほどの美貌だ。その上、先ほどからホリスを誘惑してやまない女の乳房は、驚く
ほどの巨乳だった。水風船でも薄布の中に詰めたのか、と勘違いしかねないほどに巨大な
それは、圧力の少ない薄布の中にありながら、深い谷間を描いていた。そして、女が動く
たびに、はち切れんばかりの豊乳はぷるんぷるんと淫らに揺れ動き、ホリスを挑発するの
だった。
 この女と比べれば、今までホリスが戦ってきた下級淫魔の艶も色あせるだろう。いや、
戦士であればこそ、この女の色香に我を忘れず、立っていられるのだ。常人ならば、その
場にへたり込んでいるかもしれない。現に、戦士のホリスですら、顔が上気したように熱
く、頭のてっぺんまで官能の色で染め上げられ、視界にはすでに霞がかかっていた。
 そんなホリスを見透かしてか、女性は淡い笑みを浮かべながら、

「ああ、昔はな。今は、娼館になっている」
 盛り場から離れた売春宿というのも変な話だが、それを疑う思考力はホリスに残されて
はいなかった。
「あ……そ、そうだったんですか。てっきり、ただの宿かと……思ったのですが」
 と、どもりながら言った。すると、女性は目を細めて、
「今日は店は休みだから、なんなら寝床を提供してやってもいい。……もっとも、宿泊料
は少し高くつくがな」
「えっと……持ち合わせはあまりないんですが」
「ははっ、安心しろ。そんな心配はいらん」
 と、言いながら、女は抜群のスタイルを見せつけるかのように、胸を張った。ぶるんっ、
と大げさにふるえる乳房に、思わずホリスは見入ってしまう。かと思うと、女は、腰まで
とどく黒色の長髪に手をかけ、かき上げる。甘く、蠱惑的な女の香気が、ホリスの思考力
をさらに奪う。
 気がついたときには、少年の腕は女に絡め取られ、宿の一室へ強引に引きずり込まれて
いた。
 そして、宿のベッドに少年を押し倒しながら、女は言った。
「宿泊料は、少年、君の……躰[からだ]だ」
 そう言って、淫らに笑う女の瞳が、焦茶色から群青色に変わっていくのを、ホリスはな
すすべもなく見守るしかなかった。
 青の瞳は、魔性の力の象徴。サキュバスの瞳だ。
「うっ、お、おまえは……サキュバス!?」

 女は、それには答えずに、淫らな笑みを浮かべたまま、目を閉じた。薄暗い宿の部屋が、
淡い瑠璃色の光に包まれたかと思うと、女の、サキュバスの背中に、天使のような光の翼
が現れていた。
「くそっ」と、短く自責の声を挙げると、ホリスは交戦の構えを取ろうとした。しかし、
サキュバスにしては法外な力で腕と足は押さえつけられ、あまつさえサキュバスの妖気に
当てられて戦う気力すらもろくに残されていなかった。
「そう、邪険にするな、少年。空腹で仕方がないのだ。なに、悪いようにはしない」
 そう言って、サキュバスは哄笑した。
 戦士でありながら、サキュバスの甘い毒牙にかかってしまったことを、ホリスはその時
悟ったのだった。

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