「…………はぁ?」
あまりにも突拍子のない内容に俺は思わず口に出していた。
「聞いていなかったのか?」
いやもちろん聞いていた。
一字一句余すことなく聞いていた。
だがそれは俺にとって意味を成していなかった。
まるで外国語で話されたかのように、理解できなかった。
「もう少し噛み砕いて説明してもらいたいんだが」
「噛み砕くも何も、これ以上噛み砕きようがない」
「じゃあもう一回言ってくれるか」
俺の前に座った男は気だるげに眉を顰めると、ピンと持っていた紙を指で弾いた。
「次にお前に倒してほしい淫魔は、館だ」
『館』……
やっぱり二度聞いても同じことだった。
意味が分からない。
「つまり、どういうことだ?」
「……………」
男は持っていた紙を俺の方へと滑らせた。
俺はその紙面に目を通す。
そこには古びた洋館の写真と館内の見取り図が記されてあった。
「その館は夾竹館と呼ばれている。館の形状をしているが淫魔だ。実際に数人のハンタ
ーがこの淫魔の餌食になっている」
俺は相槌も打てずに、呆けた顔で男の話を聞いていた。
俺はこれまでにもたくさんの淫魔と戦ってきた。
中には人型とは違うモノ……例えばスライムやスキュラ、猫又や妖狐などとも対峙した
事はある。
まあ人型をしていない淫魔というのは大抵が常軌を逸した強さであるため、戦わずに逃
げ帰ったことの方が多かったのだが。
だがこれは何だ?
ちょっと地震が起きたら忽ち崩壊してしまいそうな、そんな廃墟のような洋館が……淫
魔?
そもそも淫魔の定義って何だ?
ついにはそんな根源的な疑問にすら達してしまう。
つまりは軽くパニクっていた。
「困惑するのは無理も無い話だとは思うが、裏は取れている。コイツは淫魔だ」
その裏とは何だと問いたい。問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。
だがまあ、それよりも先にだ。
「で、コレが淫魔だとして、どうやって倒せと?」
水道の蛇口とでもファックしろとでも言うのか? はは、笑えねえ。
「この館の中、淫魔の体内とも言えるが、そのどこかに核があるはずだ。それを倒せば
淫魔は消えるだろう」
核……
それは人型をしているんだろうな?
それともやっぱり水道の蛇口か?
「核は人型だと思われている。多少の差異はあるかもしれないが、お前の恐れているよ
うなことはない……と思われている」
「…………」
淫魔ハンターになって以来、これほど受けたくない任務は初めてだった。
しかもその理由が死の危険ではないことも初めてだった。
「この建物が何故淫魔なのかは分からないが、恐らく元々あった建物に淫魔の魂が憑依
したと考えられている。だからその核は建物に憑依する前の淫魔の姿をしている……と
考えられている」
思われている。考えられている。
つまり間違っていても責任は負わないと、そういうこと。
何てお役所根性丸出しなんだ。
「でも何でわざわざ倒す必要があるんだ? 建物は移動できないだろう? 周りに民家
があるようにも見えないが……」
「ああ、それ単体で在るだけだったら我々も見逃していただろうが、如何せん、その建
物は非常に強い淫気を発しているんだ。淫気の強さから見れば極淫魔クラスだろう」
極淫魔なんて、俺ですら殆ど戦ったことがない。
奴らは気紛れで、雑魚淫魔と違って村を乗っ取ったりはあんまりしないからな。
腹が減ったら精気を吸いにこっちに来て、腹が膨れたらあっさりと帰る。
黙っていれば帰ってくれる者相手にわざわざ戦う必要はない。
触らぬ神に祟りなしだ。淫魔だが。
「強い淫気を発する以外の行動はしていないが、強すぎる淫気はそれだけで害悪だ。排
除しなければならない」
今回の相手は建物。
黙っていれば帰ってくれる訳ではない。
悪意があろうと無かろうと、淫魔とはそこに在るだけで脅威なのだ。
腹をすかせたライオンと同じ部屋で眠りたいと思う人間はいないだろう。
だがもし同じ部屋になったとしたら、そしてもしその手にライフル銃が握られていたら
……
ライオンに襲われる前に、喰われる前に、撃ち殺す。それは当然の自衛行為だ。
「先んじて派遣したハンターからの連絡は既に途絶えている。おそらく淫魔に喰われた
のだろう」
「喰われた?」
「そうだ。館の中は淫魔の体内。彼らはそこで淫魔の食料となった可能性が高い」
外見がどんなに奇異でも淫魔は淫魔。イカされれば呪縛にかかる。
だがどんな方法で彼らはイカされたのだろう?
「無機物に宿る魂。その特徴から鑑みるに、おそらく洋館内にある家具が搾精の道具と
なっているのだろう。そういう報告も受けている。館の中には様々なトラップがあると
いうことだ」
飛んで火にいる何とやら。
俺はこれからそのトラップが満載の淫魔の腹の中に行くわけか。
さっきは感じなかった命の危険を漸く感じ始めていた。
「厄介な任務だ」
「厄介でない任務などこれまであったか?」
「違いない」
俺は笑って、椅子から立ち上がった。
淫魔の館、いや館の淫魔と言うべきか。
今度もまた厄介な任務になりそうだった。
任務を受けてから一週間後。
俺はやっとのことで夾竹館へと辿りついた。
何しろこの館、とんでもない辺境にあるのだ。
馬車を乗り継ぎ、川を渡り、また馬車に乗り、最後は獣道を歩いての道のりは、何かの
修行かと思ったくらいだ。
「……ふぅ」
水筒に入れておいた水を一息に飲み干して、俺は夾竹館を見上げた。
ボロイ。とにかくボロイ。
外壁の塗装は殆どが剥がれていて、窓ガラスも粉々に砕けている。
屋根にある風見鶏には烏が止まっており、不気味な声で鳴いていた。
肝試しにはもってこいの物件だろう。
これが淫魔とは、未だに信じられない。
ならばどんなであれば信じられたかと言われれば返答に窮するところではあるが。
淫魔っぽい建物ってどんなんだ?
まあ、何かこちらに話しかけてくるとか、近づいただけで扉が開くとか、そんなことで
もあれば、ただの建物とは思えなくなるな。
「また来たんだ、ハンターさん」
そうそう、こういう風に話しかけてくれて。
「あたしはここで眠っているだけなのに、どうして邪魔するかなあ。ん〜、まあ大切な
食料だもの、無碍にはしないわよ。さ、入ってきて」
そうそう、こうやって扉を開けてくれて。うん、完璧。
「って、何納得してんだよ、俺は」
思わず自分に突っ込んでしまった。
「……………?」
どうしてだろう? 姿は見えなくても(実際は建物だから見えいているわけだけれども
)何となく奇異な目で見られていることが分かってしまった。
「お前が、淫魔なのか?」
俺は仕切りなおすように咳払いをしてから、そう訊いた。
「うん。あたしの名は桃。ハンターさんは何しにここに来たの?」
「そりゃ決まっているだろう? お前を退治しに来たんだよ」
「ふぅん。ハンターさんってしつこいね。この前から何人も何人も……あたしは餌の心
配する必要がなくなったから、別に構わないけど」
餌、ね。この口ぶりからすると、本当に極淫魔クラスかもしれないな。
雑魚淫魔はハンターを相手にここまで余裕綽綽ではいない。
「こっちも仕事なんでな。ていうより、何でお前は館なんだ?」
俺は訊いた。一応のことは聞いているが、やはり淫魔本人から詳細を聞きたい。
「そっか、こっちではあたしみたいな淫魔いないんだってね。う〜ん、どう説明すれば
いいんだろ? ちょっと難しいかもだけど、あたしにとって魂の器……ハンターさんで
いうところの肉体は代替のきくものなの。人でも木でも道具でも建物でも、波長が合え
ば……相性が良ければ、あたしはそれを器にすることができる。そんなわけで今はこの
建物があたしの器ってことなんだけど、分かる?」
俺は首を横に振った。
魂とか器とかそんな哲学めいた話は嫌いだ。
手っ取り早く倒し方を教えてくれれば話が早いんだけど……
「ついでにお前の倒し方も教えてくれないか?」
あ。無意識のうちに口をついて言葉が出てしまった。
「……………ハンターさん、もしかしてあたしを馬鹿だと思ってる?」
剣呑な声。こりゃあ相当怒っているようだ。
「まあいいわ。教えてあげる」
教えてくれるのか!? 何て太っ腹な淫魔なんだ。うっかり聞いてよかった。
「あたしの倒し方も知らないままってのはフェアじゃないもんね。これまでのハンター
さんにもちゃんと教えてあげたし」
フェアじゃない。淫魔からそんな言葉が出るとは意外だ。
「意外って顔してるね。もちろんあたしの言葉を信じないでもいいよ。どっちにしたっ
てハンターさんは、あたしには辿りつけないと思うから」
「信じるか、信じないかは、話を聞いてからだな」
「そうだね。あたしという中心……この前のハンターさんは核って言っていたみたいだ
けど、それを見つけられれば、ハンターさんの勝ち。あたしはこの館から出て行くわ
」
「見つければ終わりなのか?」
「うん。それで終わりにしてあげる。だってハンターさんじゃあたしを倒すことは絶対
出来ないもの。だから、もしハンターさんがあたしを見つけたら、あたしはこの館から
出て行ってあげる。かくれんぼみたいなものかな」
かくれんぼね。だが勘違いしてはいけない。
その舞台はあくまで淫魔の腹の中なのだ。
「そう。もちろん、あたしの中はエッチな誘惑がいっぱいだよ。先に来たハンターさん
たちは、すぐにその誘惑に負けちゃったけどね。あなたはどうだろうね?」
くすくすと笑みが漏れる。
それはこの淫魔が初めて垣間見せた淫魔らしさだった。
「さあ、無駄話はこれくらいでいいよね? いらっしゃいハンターさん。あたしの中で
……たくさん犯してあげる」
目の前でぱっくりと開いた両開きの扉。
それは何の比喩でもなく、淫魔の口に他ならない。
俺は覚悟を決めて、館の中へ……淫魔の腹の中へ歩を進めた。
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