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【喜助×空鶴】蜜柑

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むいてあげましょうか、と喜助が言ったので空鶴は素直にうなづいた。
畳敷きの座敷。邸内にはほかにも人がいるはずだが
なんの気配も感じられない。
ときおり思いだしたかのようにざわざわと鳴る、葉の音。
そして、蜜柑の匂い。畳の上に無造作におかれた蜜柑の
匂いだけだった。
空鶴は親指をいれただけで苦戦していた蜜柑を喜助に手渡す。
掌でつつみこめるくらいの小粒な蜜柑。よく熟れたこの果実は、
秋山の黄色い銀杏が夕陽で赤く染まったようなあざやかで
まぶしい色をしていた。
蜜柑を喜助は器用にむいていく。たちまち部屋のなかが
甘酸っぱい芳香で満ちていった。


蜜柑をもってきたのは喜助だった。さかさまにした帽子のなかに
無造作に蜜柑をいくつかいれて、いきなり訊ねてきたのだ。
喜助が突然やってくることは珍しくない。
天気がよかったからだとか、いまいちわけのわからない理由で
やってきたこともあった。
今日は蜜柑があんまりにもおいしそうだったから、らしい。
尸魂界を追放された喜助がここを訪れるには、あまりにふざけた
理由だろう。空鶴はついつい苦笑してしまった。
部屋にあがると喜助は、おもむろに帽子をさかさまにして
なかに入っていたものを畳のうえにごろごろところがした。
無規則にころがっていく蜜柑に、空鶴はあっけにとられた。
あまりにも唐突すぎる。ぼんやりと果実を眺めている空鶴に
いつものように帽子をまぶかくかぶった喜助は
おいしそうでしょう、と笑った。
なんら不思議なことはないといった面持ちだった。
あまりにも屈託もなく言ったので、空鶴もおもわずつられて
おいしそうだなぁ、と素直におもってしまった。


蜜柑はすきだった。けれど食べることはなかった。
案外、蜜柑という果実はめんどくさい食べ物なのである。
たとえば林檎なら、簡単だ。皮のついたまま、大口をあけて
かじりつけばいい。
蜜柑はそうはいかない。皮をむいて、食べなくてはいけない。
むかしは、そうたいした手間だとおもっていなかった。
ぐいと親指をさしこみ、そのまま心のおもむくままに
やわらかな皮をむけばいいだけだ。手間だとすら思わなかった。
けれど、いまはそうはいかない。
ぐいと親指をさしこむまではいいのだ。なんら問題はない。
けれど、そのあと皮を花びらのようにむくというのが難関だった。
蜜柑はやわらかい。力をこめれば皮はむけるが、果実が無残に
つぶれてしまう。かといって力をいれなければ、手元でぐらぐらと
ゆれるばかりだ。
口をつかって皮をむいてもよかったが、あまりにも阿呆くさい。
そうだろう。たかが蜜柑だ。そんなもののために猿のように
口で皮をむくのは、空鶴の矜持に反していた。


しろい筋を丁寧にむきながら、腕、と喜助が言った。

「腕、つけてあげましょうか」
「いらねえよ」

即答する空鶴に、喜助はきまり悪そうな顔をした。
片方の口角だけがあがっていて、笑うことに失敗したみたいな表情だ。
薄皮だけとなった蜜柑を空鶴にわたすと、でもねぇ、と呟いた。
空鶴は深いため息をついて、蜜柑を一房口にいれる。
挨拶をするかのように、喜助はふとした瞬間に腕の話をもちだす。
それが空鶴には不快だった。
失くした腕に固執しているつもりはない。無くなってしまったものは
しょうがないし、どうにかしようともおもっていない。
たしかに時折、不便だと感じることもある。
たとえばいま。蜜柑をむけないだとか。だが、それも覚悟の上だ。
甘く、かすかにすっぱい蜜柑を飲みこむと、空鶴は言った。

「腕のことは、俺がこれでいいって決めたんだ」


喜助は、かすかに残るかさぶたをはがすように、空鶴の心を問う。
どうしようもないほど、不快な行為だった。むかむかする。
他人からしてみれば腕を失ったことを後悔しているように
見えているのかとおもうと気分が悪い。
いつか腕を欲しがってしまいそうな弱い自分にも腹がたつ。
喜助なら、腕を再生することは可能だ。
彼の技術の高さは知っている。
空鶴が一言欲しいといえば、喜助は腕を与えてくれるだろう。
さも簡単に。そのことが、一番厭だった。
自己嫌悪の混じったため息を吐く。こんなくだらないことから
さっさと頭をきりかえようと、空鶴はおもった。

腕をのばして蜜柑をひろう。座布団のよこにひとつ、ちょうどよく
ころがっていた。
それもむきましょうか、と訊ねる喜助を無視して、空鶴は蜜柑に
爪をたてる。指に、蜜柑の汁をかんじた。
蜜柑は空鶴のおもうままにならない。格闘するもぐちゃぐちゃと
つぶれかけた蜜柑で手がぬれただけだった。

「ほら、やっぱり、」

喜助の呆れた様子の声に、血が上った。
空鶴は手のなかの蜜柑を喜助に力いっぱい投げつける。
蜜柑は喜助の胸元にあたると、汁をしたたらせながら畳のうえに落ちた。

「だからなんだっていうんだ」

空鶴はまっすぐに喜助をにらみつけながら、吐き捨てるように言った。
感情にまかせて空鶴は、喜助の胸倉をつかみあげる。

「俺が、滑稽か」

喜助はくびを傾げる。そして笑った。

「滑稽ですよ」


空鶴の怒りで震える腕を、喜助がつかんだ。あたたかい指だった。
笑ったままの表情とは裏腹に、指先には力がこもっていた。
空鶴は痛みに顔をしかめる。

「空鶴サンはぁ、」

喜助は、間延びした口調でゆっくりと喋った。

「自分がよわいと知っているのに、つよいふりをするんスね」

急に喜助が腕をつきはなした。均衡していた力場がうしなわれ、
空鶴は姿勢を崩す。腕をつこうにも、腕は、なかった。
仰向けにころがる。畳にころがっていた蜜柑が、背中で潰れる。
室内の蜜柑の匂いが、一段と濃くなった。
喜助は馬乗りの姿勢で空鶴にまたがると、さも自然にくびへと手をのばした。
おちた蜜柑を拾いあげるかのように、なんの感情もこもっていなかった。

「アタシはあんたをこのまま殺すことだってできるんスよ」

喜助の瞳に表情はみえない。ただ、空鶴の顔がうつっているだけだった。
夜。闇。そういったものよりも暗い。泥だらけの沼ににている。
そうだ沼ににているんだ、と空鶴はおもった。
落ちたら泥に足をとられて、もがいてももがいても
深く沈んでいくだけの底なし沼。
意図的にゆっくりと空鶴は目を閉じる。さえぎってしまいたかった。
目をしばたかせる空気だとか、喜助の不自然にわらった顔だとか
彼の瞳にうつる自分だとか、わけのわからない恐怖心とか。
蜜柑の、甘いあまい匂いだとか。
そういったものすべてを、さえぎりたかった。
自分の呼吸がきこえる。やけにおおきな音だ。視覚をさえぎったぶんだけ
他の部分が鋭敏になったからだと理解はしていても、不思議な気がした。
息を吸う。息を吐く。
そのたびに咽がうごいて、皮膚の上にある喜助の指の存在を感じた。
空鶴よりも体温のたかい、ごつごつと骨ばった男という生き物のおおきな手。


このまま殺されるのだろうか。喜助は殺すのだろうか。
妙に頭は冷静だった。

「あんたのつよいところが、きらいだ」

喜助の声が耳元で聞こえた。そのまじめな声色に驚いて目をあける。
さっきとかわらない暗い瞳。胡散臭いわらい顔も同じだった。
なのにどこか寂しげだった。泣きそうだ、と空鶴はおもう。
どうしてこんな顔をしているのだろう。
喜助はわらっている。けれど空鶴には、泣くのを我慢している
ようにしかみえなかった。
腕をのばして、喜助のまぶたにふれる。睫がかすかにふるえた。

「俺を殺さないのか」
「殺されたいンですか」
「殺されてやってもいいぜ」

おどけた口調で言うと、喜助は眉根をひそめた。
くびから手をはなして顔のまえにある空鶴の手をにぎる。

「ねえ腕が欲しい、って言ってくださいよ」
「いらねえ」

べたつく空鶴の手に、険しい顔をしたままの喜助が口でふれた。
蜜柑の汁をなめとるように、指先、てのひら、てくびと、ふれていく。
くすぐったさに空鶴は身をよじらせる。
やめろ、と静止の言葉を言いかけた空鶴の口を喜助の唇がふさいだ。
喜助の唇は、ひどくやわらかくて、蜜柑の味がしていた。
ねっとりとした喜助の舌が、むりやり奥まではいってくる。

「……んっ、」

空鶴の意図に反して、自然に声がもれた。
まぶたの裏、眼球のもっと奥のあたりがじんわりと眩しい。
熱。喜助の熱。まぶたの裏のまぶしいオレンジ色の光がにじんだ。喜助の髪と
おなじあざやかな暖色だった。


「そうやって殺されることも、自分の意思か」

唐突に唇がはなれていく。同時に、光は残滓となってかききえていった。

「あんた、アタシが抱きたいって言ったらどうするんスか」
「抱かれてやるよ」

喜助がうなだれるように、胸に顔をうずめた。やっぱり空鶴には喜助が
泣いているようにしかみえなかった。迷子のこどもみたいだった。
無意識に空鶴は喜助に右腕をのばしかける。抱きしめてやりたかった。
けれど、そこに腕はない。
もう一方の手は喜助がにぎったままで、動かすこともできない。
空鶴は抱きしめるかわりに、すこし苦笑して、そのまま喜助の耳元で
ヤろうぜ、とささやいた。

蜜柑の匂いは、いつのまにかしなくなっていた。

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おわり
エロ寸止めだけど投下。

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