「大丈夫よ…あなたが気に病む事ではないわ」
宿舎の渡り廊下、会議を終えてすぐに月明かりの中寝室へと戻る背中が、振り向いて私の表情を察する事もなくそう穏やかに告げた。
この方が前を歩き、自分がその後ろにお供をする。いつも通りの事だというのに、なぜか今日は、その純白の羽織の背中をまっすぐ見つめる事が辛い。
「し、しかし、隊長……」
「いいのですよ。私も気にしていません」
とん、とんと上品な歩幅が前を行き、足音の余韻を残す。
意識しなければ自分の歩幅では追い抜いてしまうだろう小さな一歩一歩。
共に歩く事に慣れたはずなのに、今日はなぜか、その足音までもが胸を締め付ける。
上手く言葉を返せぬうちに、再び穏やかな声。
「彼らにあんなふうに言われようと、私たちがすべき事も大切な任務です。刀をとり最前線に立てなくとも、私達には私達の役目がある。皆の傷を癒すことも、恥じる事など無い大切な任務なのだから…」
私に、というより、自身に言い聞かせるようでもあった。
責任感と誇りに溢れた気丈な言葉。
そうだ…私はずっとこの方を尊敬してきた。
自分よりずっと小柄な羽織の背中を、頼もしいと感じてきた。
なのに…
なのに今日は…
尊敬しているはずの凛々しい背中を、ただ脆いものに思えてならない。
穏やかな声だってきっといつも通り。なのに今日はあの声さえも、健気に振る舞っているような、壊れやすいものに思えてならないのだ……
私は副官だ。
“無理して強がらないで下さい”
なんて言えない。
私はあの男達のように強くない。
“私が戦って彼らを見返し、隊長と、我が隊の名誉を守ります”
なんて言えない。
私は…とても無力だ。
だから普段この方の刀を任されることが誇りだった。喜びだった。この方の役に立てているという重みを感じられたから。
でもそれは刀ひと振りの重さと同じ、ちっぽけなものでしかない。
私は…
「どうしたのです?」
前を行く背中が止まった。
「まだ、悩んでいるの?ねえ、勇―」
…私は。
「さ、…ね…?」
華奢な肩が向きを変え、優しい瞳が私を見上げる、そのいつもの瞬間よりも早く……
私は、腕の中にその肩を、胸の中にその瞳を、しっかりと抱きしめていた。
今は、壊れそうなこの方を、一面に降り注ぐ月光からもただ、守りたくて。
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