【君に故郷はあるのか!熊本県牛深市】2004年9月A
 牛深二度目の朝、昨日と同じように二階の子供たちがバタバタ走り回る音で目が覚めた。とは言っても今日は土曜日、学校が休みだからだろうか昨日よりもだいぶ遅かった。昨夜もよく飲んだ。二日酔いの頭を覚ますために風呂に入る。アパートの部屋を出ると、サードさんの実家で飼われているコロスケがいじって欲しくて尻尾を振っている。たぶん誰にでもこうしてなつく犬なんだろうけど、こういう犬って可愛いよね。しかも雑種とはいえ日本の犬、賢そうな顔をしている。タイの本当にバカそうな顔をした犬ばかり見てるので、余計にそう感じた。
 しばらくコロスケと遊んでから朝飯を探しに行く。牛深は水産業で成り立っているので、街中には蒲鉾屋が何軒かあってそのうち1軒に入ると、今揚げたてのチーズ入りかまぼこフライが美味しそうに僕を誘っていた。迷わずさつま揚げと合わせて買った僕は、桟橋へ向かいほお張る。まだ夏の名残が残るけど爽やかな海風を浴び、身も心も充実してくる。僕は海の無いところに育ったので、こうして海を見てオゾンを浴びているだけで本当に幸せな気持ちになる。

 サードさんのお店に行くと、サードさんはもうパソコンの前に座って仕事中だった。とりあえず今日は自分で牛深を回ってみようと思ってたので、自転車を借りて走り出した。しばらく走って牛深小を過ぎたあたりでサードさんから、息子さんが自転車を使うので車で行って欲しいと電話があったので引き返す。
 お店に戻るとサードさんから地図のコピーと車のカギを渡される。街の北西の茂串海岸や、河浦町や天草町の隠れキリシタンの教会などの情報をもらい走り出した。

 お借りしたのはホンダのオデッセイ、オートマなのでマニュアル派の僕的にはちょっと恐々なんだけど、知らない道だからその方がいいか。とりあえず、大河ドラマ『武蔵』で巌流島の決闘のシーンが撮影されたという茂串海岸へと向かう。撮影の事はサードさんのHPでもリアルタイムで報告されてたので知ってたのだけど、4月にインドネシアのジャカルタに行った際に暇なので日本語学科のある現地の学校にでも行ってみようかと思い、ジャカルタの日本大使館に訊きに行った時に、大使館の中にたまたま確か『月刊 ロケーション』とかいう雑誌(なんてニッチな雑誌が置いてあるんだろう)があって、撮影の事が特集されていたのだ。牛深という町は僕みたいな関東の人間とは全くと言っていいほど縁が無いのに、たまたまサードさんとお知り合いになれたから牛深と言う町の存在を知ることができただけで、その牛深の記事に初めて来たインドネシアのたまたま来た日本大使館で巡り会ったわけで、そりゃ運命的な出会いを感じないわけにはいかないでしょ。僕と牛深ってやっぱりなんかあるよね。
 茂串海岸は一応牛深市内にあるのだけど、市街地からは坂を登ってトンネルをくぐり、さらにまた山道みたいな所を走ってようやく入り口の駐車場に着くという、とても辺鄙な場所にある(海岸へはそこからまだ徒歩で行かなくてはならない)。そんなだから美しい自然の海岸が守られているのだろう。

 駐車場で車を降りると、学校のジャージを着た中学生でいっぱいだった。後でわかったのだけど、中学生だと思ってた人たちは実は牛深高校の生徒たちで、彼らは学校の奉仕活動で夏休みの終わった茂串海岸のゴミ拾いに来ていたようだ。そうしてゴミ拾いが終わった海岸に出てみる。降り口の階段には御丁寧にも『NHK大河ドラマ武蔵「決闘巌流島」ロケ地』という記念碑が建てられていて、「自然のままの茂串白浜海水浴場、左へ500m」と案内されている。まぁ、宣伝したいのはわかるけど、ちょっと趣味悪いよね、たかが大河ドラマのワンシーンだし(こう言うと御立腹される方もいらっしゃるかもしれませんが、部外者からするとこんなもんです。こう言うのはもっとさりげなくやらないと・・・、オシャレじゃない)案内にしたがって左へと歩き出した。
 しばらく砂浜を歩くと、ちょっとした瀬になっていて、岩場が波に洗われている。その岩場を濡れないように渡っていくと小さな砂浜が見えてくる。ここが茂串海岸なのだろうか?季節外れなので男4人組がビーチボールで遊んでいる他は誰もいない。もちろん海の家なんかも無い(最盛期にはあるのか?)。とても静かで人工的なものは何も視界に入らなかった。水もとても澄んでいて、濃いエメラルドグリーンの光を放っている。水遊びをしている彼らにここが茂串海岸なのか訊くと、そうだと言う。だけどこの先の岬を越えた所にもまだ海岸があるらしい。僕は迷わずそこへと向かった。
 今度の岩場は厳しかった。さっきの岩場と違って岩壁が垂直方向に立っていた。今日の僕はジーンズを履いている。見えているあそこに行くにはジーンズを濡らすか脱いでいかないとならない。たぶん、撮影が行われたのもあそこだろう。しばらく考えた僕はそのまま岩場に寄りかかってウトウトしてしまった。そのくらいのんびりしていて気持ちが良かったのだ。遠くには漁船だろうか、行き交う船が見えるけど、彼らからは小っちゃな僕は見えない。こうして屋外で誰にも見られずにボケッとできる空間って都会じゃまずありえない。たぶんそんな空気に酔ってしまったのだろう。

 本当に30分くらいウトウトしてしまった。それだけ気持ちが良かったのだ。寝起きの重たい身体を起こして帰途に着く。昨夜のT−Jrさんもそうだったけど、牛深でこれまでにお会いした方々がみな口々に茂串海岸は素晴らしいとおっしゃっていたのでちょっと期待過剰気味だったからだろうか、はたまたトンネルをくぐって急に目の前に広がるとかの演出が足りなくて感動するタイミングが取りづらかったかったからだろうか、思ってたよりも心を踊らすことができなかった。確かにいい所だったけど、ちょっと見に来ただけでは本当の価値は読み取れなかった。もしかしたら、ここの良さは牛深に長く暮らさないと実感できないのかもしれない。

 事件は突然起こった。ゆっくり歩を進めて駐車場へと上がる階段の脇の岩陰に、さっきまで海岸でゴミ拾いをしていた体操着姿の牛深高校の女子高生が2人、水に濡れて座っていた。陽も高くなって暑くなってきたので、ちょっと水遊びでもしたのだろう。彼女たちは歩いてきた僕に気付き挨拶をしてくれた。なので僕も僕が行ってきた方向と反対(駐車場を降りて右手)には何かあるのか訊いたけど、特にこれと言ってたいしたものは無いと言う答えしかもらえなかった。仕方なく入り口の「武蔵撮影記念碑の横にある自動販売機でコーラでも買って飲もうと思って階段を上がると、自販機の電源が切られていて買えなかった。朝からもうしばらく水分を補給していなかったのでもうかなり喉が乾いていた僕は、さっきの女子高生にこの辺で飲み物が買えるところがあるか訊こうと思って再び階段を下りた、すると!何と一人の女子高生が濡れた体操着を脱いでジャージを着る途中だった。僕が見た時には既にジャージを頭からかぶっている所だったので大事な所は見えてないけど、真っ白なお腹が丸見えだった。僕は申し訳なく思いすぐに謝った。彼女らもちょっと恥ずかしいところもあったのだろうけど、はにかんで許してくれた。
 この事で僕は少し嬉しくなった、変な意味ではなく。いくら誰もいない海岸の岩陰で、例え遠くの海に浮かぶ船の上から見てもほとんど認識できないとしても、年頃の女子高生が白昼堂々と服を着替えるだろうか?でもこれが田舎に住む人のおおらかさなのだろう。まだ毒されていないと言うか、スレていないと言うか。リンゴを食べる前のアダムとイヴの様に、まだその事がいけないことだという認識が無いのだ。これが都会に近い海岸での出来事だったら、もしかしたら近くに変なおじさんがいるかもしれない(僕じゃなくて)。そんな警戒心からこんな大胆な行動は本能的にできないだろう。別に田舎の女子高生みんなに海岸で生着替えをしてもらいたいわけじゃなくて、そういった無垢な心を忘れないで欲しいし、過剰な警戒心を持たせるような変な風潮(都会の、はたまた欧米の)にこの町は飲み込まれないでいて欲しいと思った。

 茂串海岸の後はお隣り河浦町の漁村にある古いキリスト教の教会を見に行くことにした。サードさんのオデッセイはカーナビ付きなので(今は普通標準装備ですか?)道にも迷わずにすんなり目的の漁村に着く事ができた。しかし、漁村の入り口から教会までの道が工事中で通行止めだったので、車を埠頭に止めて歩いた。
 僕は基本的に史跡・名勝を見るのが得意な人間ではない。だいたいそういうのって、その場所に車で乗り付けて中を見学してお土産を買ってまた車で帰るってパターンが多いでしょ。そうだとその場所と周りに住む人達との係わり合いが見えてこないし、突然現場に行っちゃうとそこに行くプロローグの部分が無くていきなり核心になっちゃう訳で、旅行の起承転結が全く成立しない。そんなだとまだ心の準備ができてないと言うか、自分の中で消化できないのだ。なので僕は旅行に行く時は飛行機でその場所にドンっと行っちゃうのではなくて、なるべく地べたを這う交通機関を選ぶ様にしている(カッコよく言えばそうだけど、飛行機はお金がかかるし・・・)。なので今回もトボトボ歩きながら行って正解だった。だって、肝心の教会が補修中で中に入れないばかりか、外観も一部しか見えなかったので、途中で名産品を売る店の裏でその物を作ってたり、漁師の人たちが網を直しながら歩いている僕に挨拶してくれたり、僕もこの漁師さん達はとてもそうは見えないけど(失礼!)やっぱりクリスチャンなのかしらん、なんて考えながら歩いた事の方が楽しかったりしたしね。

 車に戻るともう午後1時になるところだった。そろそろ昼食をと思い、来る道中でみかけた海沿いのチャンポン屋さんに向かった。
 たしかチャンポンって長崎独特のものだと思ったけど、店前の立て看板には“天草ちゃんぽん札所”と書いてある。中に入ろうとすると、ちょうどどこかのTV局が来て撮影をしているところだった。こんな辺鄙な所にあるのにそんなに有名な店なのかと思いご主人にきくと、今日はたまたまだそうだ。僕が店に着いた頃は撮影はほとんど済んでいて、あとは外観を撮ってスタッフは次もあるからと慌しく帰っていった。何だかちょっとだけ懐かしかった。
 チャンポンの定義って何だろう?スパゲティのような丸い太麺に白湯スープ、具はイカやカマボコなどのシーフードと野菜が中心で、そしてその具も麺もスープと一緒に煮込む事じゃないかと思う。でもこの店のチャンポンは確かに麺は丸麺でスープと一緒に煮込んでいるようだけど、そのスープが醤油ベースだった。それから博多ラーメンみたいにどっさりと刻んだ万能ネギが載っている。味の方もチャンポンというよりは醤油ラーメンに近い感じで、確かに美味しいけど、僕みたいにあまりチャンポンを食べる機会が無い人はやっぱり“あのチャンポン”が食べたいかな。この店はチャンポン上級者向けって事にしておこう。

 さて、これからどこへ行くというあてがない。サードさんに頂いた地図を見ると、牛深市街の対岸に下須島という島があって、ハイヤ大橋(右写真→)という大きな橋とそれに繋がる赤いループ橋で渡る事ができる。そしてその島にも海水浴場があるようだったので、とりあえず行ってみることにした。
 ハイヤ大橋はまだできてからさほど時が経っていないけど、今や牛深のシンボルとなっている(?)ようだ。ちなみに“ハイヤ”とは毎年4月に行われる牛深の伝統行事“ハイヤ踊り”からとられているという。橋の欄干があまり高くないので、車を運転していても景色がけっこう見えるし、橋自体もとても整備されていて走りやすかった。

 下須島に入ると途端に道が細くなった。それに合わせて真っ直ぐな道が無く、知らない道を走っているためすぐに方向がわからなくなった。それでも、海水浴場を指す看板が所々にあるので何とか砂月海水浴場に着くことができた。しかし乗用車に乗っていた僕の目線から海は見えなかった、なぜならさっきまでいた茂串海岸とは違って、海岸は人口の防波堤の向こう側にあったのだ。僕は車を降りて海岸を見ようかとも思ったけど、そのまま引き返して海岸の前で二手に分かれていた道のもう一方へと車を走らせた。
 その道はセンターラインの無い細い山道で、ブラインドカーブばかりで勾配もきつかった。だけどいくら走っても対向車は全く来ない。それをいい事に、久々にタイヤを鳴らしながら走ってしまった(でも、もし対向車が来たら回避できる範囲内です)。もしこのクルマがマニュアルだったら相当おもしろいね、この道。そうして10分以上は走っただろうか、とっても小さな漁村にたどり着いた。そしてその道は漁村のはずれで終わっていた。Uターンができないのでバックで戻り、漁具の傍らで横になって寝ているおじさんに市内に戻る道を尋ねると、今来た道を戻るしかないと言われた。すごいな、この村。砂月海岸から家も無ければ歩いている人もいない、そして車も走っていない道を延々走ってたどり着いて行き止まりだ。そしておじさんは道端で横になって寝ている(決してそういう方ではなくて)。こういう場所が残ってるって素晴らしい。僕はもうちょっと村の中を見てみたいと思ったけど、さすがにそれじゃお住まいの方々に失礼なのでそのまま引き返した(本当に馬鹿にしている訳ではありません。地元の方はお気づきにならないと思いますが、本当にすごいです、こういう場所って。高倉健主演で映画を撮れます)。

 サードさんのお店に戻って、茂串海岸と隠れキリシタンの教会と下須島に行って来たと言うと、早いねと言われる。そっか、やっぱりゼンマイがまだ牛深仕様になってないのだ。ちょっと反省。
 それならばと、今度は市内の探索に出かける。サードさんがHPでよく「本当に寂しい商店街だ」みたいな事を書いていらっしゃるのだけど、土曜日の午後だというのに本当に買い物客を見かけない。僕が育った東京近郊の町なら、おばさんや子供たちの自転車がひっきりなしに行き交っている時間帯だ。区画や道路は非常に整備が良くて暮らしやすそうな感じなんだけど、買い物は別の町にある大型スーパーでしてしまう人が多いらしい。これは地方に限った事じゃなくて東京などの都会の商店街も同じ問題を抱えている。確かに商店主の方々の努力も足りない部分もあるのだろうけど、僕的には買い手の意識の低下がいちばんの問題なのだと思う。安ければいい、便利ならいい、人と同じでいい。みんな人生の工夫を放棄しているので、いくら商店主の方々が知恵を出し合ったところで限界は見えてしまう。僕が子供の頃って、未来はワクワクするような楽しくて夢がいっぱいなのをイメージしてたんだけど、こんなにつまらなかったんだね、21世紀って。
 歩き回って喉が渇いてきたので、いわしやさんのスーパーへ飲み物を買いに行った。その時にある事の僕の認識が今までずっと間違えていた事を知った。今ではタイでも日本のような四角い豆腐も売ってるけど、その大部分はチューブに入った円筒形の豆腐だ。僕はこのチューブ豆腐は東南アジアにしか無い物だと思ってたんだけど、いわしやさんの棚に発見してしまった、チューブ豆腐を。少なくとも関東では一度も見たことは無い。これは九州だけなのか、それとも関東以外では当たり前なのか。それよりも、このチューブ豆腐は売れているのだろうか?確かに密閉されているので、恐らくロングライフ牛乳のように普通の豆腐よりも日持ちはするのだろうけど、その他のメリットってあるのだろうか?

 ひと通り街中を散策してサードさんのお店に戻る。するとまー君が堤防に釣りに行こうと誘ってくれた。お兄ちゃんもさーちゃんも一緒に行くという。もちろん僕はふたつ返事でOKだ。そうとなればみな準備が早い。竿や仕掛け、釣った魚を入れるバケツにゴム手袋などがあっという間に揃った。そしてみんなで釣具屋へと向かう。そこで餌の小海老と撒き餌様のオキアミを買い、さらにお兄ちゃんとまー君がこれは連れると言う仕掛けを見ていたので買ってあげる。それから1本の竿のガイド部分が壊れていたので、それも直してもらう。お兄ちゃんもまー君も遠慮して欲しいとか直したいとか言わないのだけど、せっかく誘ってくれたのだからそれくらいはしてあげないとね。値段も思ってたより全然安かったし。
 道具も餌も揃ったところでお目当ての堤防へ向かう。陽は既に西の高台の陰に隠れていて、吹く風も爽やかだ。3本の竿のうち1本はリールも付いていて仕掛けも餌も大物狙いでお兄ちゃんの担当だ。あとの2本はサジキという疑似餌の付いた針が複数付いている仕掛けで、特にまー君のやつはさっき釣具屋で買ったばかりの物だ。お兄ちゃんがオキアミを撒くと、それまで静かだった水面に銀色の影がばちゃばちゃ跳ねだした。そこへまー君とさーちゃんが仕掛けを落とす、するともう次の瞬間にはまー君の竿に手ごたえがあり、引き上げると3匹も4匹も魚がついている。針をはずそうとすると、それらは全て10cm前後の小アジだった。その後も新しい仕掛けを付けた竿ばかりにあたりがきて、お兄ちゃんの大物の竿とさーちゃんの竿にはほとんどあたりがなかったので、結局まー君の竿をみんなでとっかえひっかえして釣りまくった。しかし、家から5分ほど歩いた所でこんな風に釣りができる、しかもそれらは食べられる魚ばかりだし。なんて羨ましい環境なのだろうか。僕なんて近所の溜池や川で釣った魚なんて臭くて食べられなかったし、しかもその場所まではかなり自転車を走らせなければならなかった。僕もこんな所に生まれ育ちたかったな。彼らも今は当たり前すぎてこの素晴らしい環境と貴重な経験の重さを感じないかもしれないけど、やがて大人になって都会に出て、そして都会に疲れた時にしみじみと感じるだろう。

 時計の針が8時を指そうとする頃にサードさんが懐中電灯を持ってもうそろそろ終わりにしなさいと呼びに来た。結局僕は餌付けと、釣れた魚を針からはずす係りだったのであまり釣りはしなかったけど、本当に久々に時間を忘れて楽しかった。そしてサードさんの懐中電灯で水面を照らすと、撒き餌に集まってきているもの凄い濃さの魚影に改めてびっくりした。
 結局、約1時間半でバケツに半分くらいの小アジを釣り上げて戻った。

 この日は小百合さんの手料理で晩餐だった。地物のお刺身の盛り合わせに、同じく地物のウニ、そして僕がタイから持ってきたソンブーンの“プー・パッポンカリー(蟹と卵のカレー炒め)”などがテーブルの上に並ぶ。お刺身はさすがに活きがよくて、港町に住むありがたみを十分感じた。それからびっくりしたのがウニ。ウニって北海道とか寒い所の春先に獲れるものが美味しいってイメージだけど、ここ南国牛深産もどうしてどうしてすごく美味かった。僕は東京ではまずウニは食べない。例え銀座の鮨屋でも。7年程前の4月頃、小樽に1ヶ月ぐらい滞在して取材活動をした事があって、その時にウニは獲った次の日までに食べないと溶けてしまうので、地元以外に出す物はミョウバンで固めているということを知った。あの東京で食べるウニが苦いのはそのせいだったのだ。その時僕はウニ漁の舟に密着していて、その場で獲れたてを開けてもらって食べたりもしていたので、ウニが本当はすごく甘〜い事を知っていたのだけど、この牛深のウニも苦味はゼロで本当に甘かった。それでも、いくら港町でもあのお刺身とウニはかなりのご馳走だろう。本当に感謝しています。
 この席では僕がタイから持ってきたタイ料理と合わせてマカオで買ってきたポルトガルワインの食前酒も開けた。ところがこの食前酒、すっごく甘くて食事には全然合わない。大失敗、これだけシーフードが並ぶなら素直に白を持って来ればよかった。サードさん、次の機会のためにポルトガルワインの赤と白を残してあります。すっごく安かったのでワイン好きのサードさんを唸らせられるかどうかわからないけど、お楽しみに。

 この晩餐、最初はサードさんのお子さん達も一緒に食べてたんだけど、お酒も入って夜も遅くなったのでサードさんと小百合さんの3人だけになった。小百合さんもサードさんと同じく牛深の出身で、部外者の僕にとってとっても羨ましいような話しをたくさんお伺いした。だけど僕はこの後ちょっとだけある計画があったので、お酒はだいぶセーブしていた。僕はこの後、明日もう一泊してあさっての早朝には牛深を発つことになっていた。そして明日の晩は本渡からマウンテンリバーさんがいらっしゃる事になっていたので、その計画を実行に移すのは今晩しかなかったのだ。その計画とは、最後にもう一度だけ初恋の人に会いに行く事だった。

 今夜のお酒はお話しも交えて本当に美味しかった。そして深夜1時、いくらセーブしてても、ほろ酔い気分でサードさんのお宅を後にした。その足でグッズさんに連れて行っていただいた初日のスナックへと向かう。場所は昼間に確認しておいたのでわかっている。ところがお店の前に着いてみると看板の明かりが消えていた。それでも中からは話し声と明かりが漏れてきている。僕は扉を何度か叩いてみた。
 すると中からママさんが顔を出して「ごめんなさ、今日はもう終わりなの」と言う。それで僕は「チカちゃんによろしく伝えてください」とだけ言ってすぐに帰った。残念、思いのたけを伝えることはできなかった。

 今日も朝から2階の子供たちの足音で目が覚める。布団をたたみ風呂に入り、日課となったコロスケとの触れ合いタイムをこなす。今日はマー君とさーちゃん、さゆりさんと対岸の鹿児島県まで芋焼酎探しに行くことになっていた。
 サードさんの店へ行くと、もう既に小百合さんが今日いっぱいは台風のせいでフェリーが運休することはないと確認してきていてくれた。そのフェリーが止まってしまうと、ものすごい遠回りをして帰ってこないとならないらしい。
 みんなが準備できたところで出発進行、とはいってもサードさんのお店からフェリー乗り場までは目と鼻の先なんだけど。フェリーに乗る車用の車留めに入る、一番乗りだ。そういえば、僕はこういったフェリーの類には散々乗っているけど、こうして自分でハンドルを握って乗り込むことは初めてだった。そんなことを思っていると小百合さんが既にフェリーの乗船代を払ってきてしまった。これだけは払おうと思ったのに・・・。
 
 フェリーが入港してきて、係員の指示に従い無事車を停める。デッキに上がると、そこはちょっとしたビジネスホテルのロビーのようにソファーが並んでいて、テレビでは台風関連のニュースが流れている。現在はまだ沖縄本島に近いところにあるけど、やはりここ数日間よりも風が強いし波は穏やかではなかった。
 約1時間で対岸の鹿児島県長島町に到着した。初日に飲んだ芋焼酎“島美人”のふるさとだ。フェリーの先頭に駐車していた僕らの車は真っ先に飛び出して、港の前の坂を駆けのぼった。そして10分もしないうちに小百合さんからそこの右の店に入ってと言われる。そこは普通の一軒の酒屋さんなんだけど、入ってみると様々な焼酎が並んでいる。もちろん地元の“島美人”もある。しかし慌てて買おうとする僕を小百合さんがなだめる。どうやらこの後行くA・Zというスーパーセンターの方が安いのでそっちで買ったほうがいいらしい。でもそのAZでは“島美人”は1人2本までしか買えないのでそれ以上必要ならここで買ってもいいとの事だった。さらにその“島美人”を出している長島研醸が地元限定で出している“島娘”と“だんだん”はA・Zには売っていないのでここで買った方がいいと、恐らくこんな焼酎買出しツアーを今までにそうとう経験しているのだろうと唸らせるありがたい助言をいただく。そこで僕は“島美人”の5合瓶を3本と“島娘”を2本、“だんだん”を1本購入してオデッセイの荷台に積み込んだ。

 酒屋からしばらく勾配のある道を走ると、右手に道の駅が見えてきた。そこで降りて中を見る。僕はけっこう色々な所にある道の駅に行ったことがあるけど、ここも他と同じように地元の特産品を売っていた。そしてやはり他と同じようにけっこういい値段をとっていた。まー君とさーちゃんはここぞとばかりに試食をしまくっている。だけどこんなのってかわいいもんだ、タイじゃ大人が試食を両手に持っていたり、更にはただ計り売りのために裸で置かれている物(豆やサラダバー等)を大人も子供も平気でバクバク食べてるからね。
 結局、何も買わずに景色がいいので写真だけ撮った。

 再びハンドルを握る。それにしても日本はこんな田舎でも本当に道路がきれいだとつくづく思う。30分以上走っただろうか、目の前に海峡を渡るきれいな橋が見えてきた。僕はこの橋を渡る間息を止めていられるか、まー君とさーちゃんと競争することにした。およそ500mぐらいだろうか、橋を渡り始めてから僕は車のスピードをわざと落とした。横ではまー君が「ウーン、ウーン(ずるいぞ、早く走れ!)」と唸っている。結局みんな最後まで息を止めることができた。こんなくだらないお遊びにも、下のいない僕は幸せを感じてしまう。

 橋を渡ると標識の地名が長島町から阿久根市へと変わっていた。そして高台にある道端の食堂で昼食をとることになった。奥の座敷へ入っていくとそこからは東シナ海が一望できる。しかも望遠鏡が備え付けてあって、タダで使うことができる。設置してあるのがちょっと高めなので、さーちゃんを僕の膝の上に立たせて覗かせる。さーちゃんはとてもスレンダーなので足の裏の骨が出ていて、けっこう痛い。でも子供はお構いなしだ、背伸びしてグリグリ踏みつける。でもこんな事にもやっぱり幸せを感じちゃうのは、もしかして“M”?
 しばらくしてみんなの頼んだものが順々にやってきた。実は僕はこの店の雰囲気からたぶん“太平燕”があるのじゃないかと思ってひそかに狙っていたのだけど、メニューには見当たらなかったので、なぜか今日も“チャンポン”を頼んでしまったのだった(意外と美味しかった)。

 昼食を終えたら、あとは目指すA・Zへ一直線だ。そのA・Zに着く頃には空に雲が多くなっていた。まだ雨が降りそうな感じではないけど。それにしてもこのAZ、何でこんな田舎にこんなバカでかいディスカウントショップがあるのだろうか。とにかくむちゃくちゃでかいし、品物も豊富だ。しかも24時間営業らしい。恐らく、こんな店があったら地元の他の小売店は壊滅的な打撃を受けているんだろうと思う。それくらい駐車場には車があふれていた。

 店内に入ってカートを押し、まずは焼酎売り場へと向かう。うわぁっ、何だこの種類と量は。売り場の通路2本分、つまり4面が全て焼酎の棚になっている。あった、お目当ての“島美人”が。確かにさっきの酒屋より安い。そして聞いたとおり1人2本までと書いてあった。
 とりあえず焼酎の品揃えを確認した僕は、今回買った焼酎を持って帰る際に必要な折りたたみ式カートを探しに行った。この規模の店だ、無い訳がない。しかし、売り場が大きすぎてどこにあるのか全然わからない。仕方なくサービスカウンターの人に聞いて連れて行ってもらった。
 下はプラスチックと合金できた1,000円程度のものから、上はオールスチールの3,000円もするものまで、思ってたとおり数種類のキャリアーが売られていた。しかしスチール製のものはそれだけでもかなりの重量があるので、僕は最も安いやつを買ってしまった。これがこの後、長崎から福岡、そして東京へ戻る時にずっと悔やんだ間違った選択だった。
 カートにキャリアーを入れ、再び焼酎売り場へと向かう。今回この焼酎ツアーに参加したのは、もちろん僕が飲んだり知り合いへのお土産にしたりする事もあるんだけど、一番の目的は大の焼酎好きの義兄さん(姉の旦那さん)にタイから何もお土産を買ってきていなかったので、東京には無い物を買っていこうということだった。そこで売り場から姉に電話して義兄さんは芋か米か麦か何が好きなのか訊くと、何でもいけるという事だったので、安いけど芋の“島美人”とこれは他から比べると高かったけど米の“杜人”というものを買った。さらに、“島美人”が1人2本までということはもう1本いけるということなので、一升瓶をもう一本、さらに同じく1人2本までと書かれていた地元の“莫祢氏”の一升瓶を一本、さらには“田苑”“黒伊佐錦”“桜島”の5合瓶をそれぞれ1本ずつカートに入れた。

 とりあえず僕の目的は全て終わったけど、待ち合わせ時間まではまだあった。そこで重いカートを押して店内をうろついた。すると、地元の産品が売られているコーナーがあって、僕が大好きな“ボンタンアメ”をみつけた。僕の父親は昔から熊本に出張に行くことが多くて、その時に必ずお土産でこの“ボンタンアメ”を買ってきて、僕はそれを子供の頃から食べていた。なので、どっちにしろ牛深でお土産に買って帰ろうと思っていたのだけど、ここの方が圧倒的に安かったので6箱入りの大箱を4つカートに入れた。(後日談:タイに戻ってからタイ人にお土産で渡したら、みんな必死になってアメを包んでいるオブラートを剥がそうとしていた。僕がこれも一緒に食べられると言って食べて見せても、何でビニールを食べてるんだという目で見られた。それでも一人がそのまま食べたら、みんな勇気が出てきたらしくそのまま食べだした。口々に「ウマイ!」だって。)

 そろそろ時間なので会計を済ませ、梱包所で焼酎を割れないように箱に詰める。色々な種類の箱があって、一升瓶2本は大根が入ってい長細いダンボールに互い違いにしてすっぽりと収まった。他の5合瓶は最初の酒屋でもらった5合瓶用の1ダースのダンボールにぴったり納まる。これで合計8升、いったい何kgあるんだろう?

 時間になってみんな待ち合わせ場所に集まった。小百合さんもものすごい量の焼酎などを買っていて、僕の分も合わせてオデッセイの荷台に積み込むと車体の後部がかなり沈み込んだ。そこから小百合さんがいつも買って行く和菓子店へ行き、こから出水駅が近いと言うことで、開業したばかりの九州新幹線を見に行こうということになった。ナビに出水駅を打ち込み発進、迷うことなく30分ほどで人影のまったく無い出水駅に到着した。駅はこの町と不釣合いなくらいに立派で、新幹線の高架が横切っている。オートスタートのエスカレーターを使って新幹線の改札へと向かう。時刻表を見ると1時間に1本しか無く、しかもさっき出たばかりだった。仕方が無いので売店を見て帰ることにする。再びエスカレーターを使って駅前に戻り車に乗ろうとすると、なにやら後方から爆音がしたので振り返ってみると、高架の柵の上から屋根の部分だけを覗かせて新幹線があっという間に走り去った。どうやらこの出水駅は特急(?)は停まらない通過駅のようだ。

 出水駅を出発したら、後は牛深行きのフェリーが出発する長島町の蔵之元港へナビを合わせ向かうだけだ。このまま行けば17時発のフェリーに乗れそうだった。ところが道中、片側1車線の道で超遅い車にぶつかってしまい、かなり時間をロスしてしまい、港に着くのが17時丁度になりそうな感じだった。まー君が「急げ、急げ」とせかすけど、いくら子供が2人とはいえ4人が乗っていて、荷台には数十キロの荷物が載っているので、さすがに無理はできなかった。結局、蔵之元港へと降りていくと、前方に今まさに岸壁から離れたフェリーが見えた。仕方ない、次の便で帰ろう。ここで事故ってたら、それこそ目も当てられないからね。

 次の便までは1時間余りあったので、僕と小百合さんはまー君とさーちゃんを待合室に残して、再び港近くの酒屋へと向かい、僕は“島美人と“島娘”の5合瓶をそれぞれ1本買い足した。そして港に戻ると、フェリー乗り場にはたくさんのバイクが停まっていた。どうやら日曜日の今日、牛深のバイク愛好家の方々がツーリングに行った帰りのようで、市の職員の方など小百合さんも顔見知りのようだった。

 日が西に沈みかけた頃、ようやくフェリーがやってきて僕らは乗り込んだ。すると後方からバスが1台乗り込んできて、船室は坊主頭の高校生やその父兄の方々で埋まった。どうやら、牛深高校の野球部が練習試合に行った帰りのようだ。サードさんは毎年夏前になると、牛高応援委員会として新聞チラシを製作し、そこにスポンサーを募り野球部に寄付をしている。サッカーと違い野球はやはりお金のかかるスポーツです。マスコミが何かとサッカーサッカーと騒ぎ立てますが、高校サッカーの視聴率なんて寂しいもんですよ。しかもプロになってももらえるお金はサラリーマン並ですし、選手寿命も短いですから。やっぱり野球は日本人に色々な意味で最も適したスポーツです。みなさんも次の夏は是非ご協力ください。

 牛深に戻り、もう明日の早朝には牛深を発つのでその荷造りを始める。A・Zで買ってきたキャリアーに焼酎を括りつける。結局、牛深の酒屋さんで買っていたものも含めて合計で8.5升にもなってしまった。買ってきたばかりのキャリアーはもうその重さに悲鳴をあげている。台風が近づく中、長崎の大村から博多へ行き、2日後に東京へ戻る明日からの道中が思いやられた。

 荷造りが終わってサードさんのお宅へ戻ると、マウンテンリバーさんが既にいらしていた。今晩は僕が借りているアパートに一緒に泊まって、明朝、島原行きのフェリーが出る五和町の港まで送って頂けるようサードさんがお願いしていてくれていたのだ。食卓には小百合さん手作りの料理が並び、もちろんお酒は芋焼酎。今までほとんど芋焼酎を飲んだ事が無かった僕も、もうすっかり芋焼酎にはまっていた。そして、昨日まー君達と釣り上げた小アジがから揚げにされてから南蛮漬けになっていた。何度も言うけど、勝手に行って勝手に釣った魚がこうして食べられるなんて、本当に幸せだ。僕は夢中になってバクバク食べた。

 楽しい宴の終わりが近づくにつれ、僕の心はだんだんと張り裂けそうになる。この夜が明けて明日になれば、僕は牛深を離れなければならないのだ。そんな気持ちを必死に抑えて笑みを作る。もしこの牛深が東京から車で2時間くらいのところにあればこんな気持ちにはならないだろう。もしかしたら、明日ここを離れたらもう一生来る事はないかもしれない、そんな思いが心に湧いてくる。お酒の力も手伝って、サードさんもマウンテンリバーさんも、小百合さんもよく笑う。もちろん僕も笑った。でもいくら笑っても湧き出してくる寂しさを抑えるのは難しかった。僕は本気で牛深に恋をしてしまったのだろうか。

 時計の針がてっぺんを指した。サードさんの口から恐れていた言葉が発せられた。僕は寂しさを紛らわすためにけっこういいピッチで飲んでいた。これだけお世話になったサードさんと小百合さんへのお礼が、まるでまた来月会うかのように軽くなってしまった。マウンテンリバーさんとアパートへの道をトボトボと歩く。

 翌朝、ちょっとだけ期待したのだけど、結局サードさんにはお会いできなかった。マウンテンリバーさんが天草へと向かうフェリーが出る五合町の鬼池港へと送ってくれた。台風の影響で出向が危ぶまれた島原行きのフェリーもどうやら午後の早い時間までは運行しそうだった。
 対岸から来たフェリーが埠頭に着いた。とうとう行かなくてはならない。こんな僕のためにわざわざ牛深まで来てくれて、今日もお仕事なのにこんな僕を早朝から港まで送ってくれたマウンテンリバーさんにお別れをする。フェリーへの坂道を下る道中8.5升の焼酎と、別れ際に小百合さんからいただいた兵六餅と少し甘い熊本のお醤油を載せたカートがギシギシうなる。僕のふるさとがだんだんと遠くなる・・・。

 台風の影響で福岡に2日間足止めされてようやく我が家に戻った。もう既にふるさとが恋しくなっていた。サードさんにお礼のお電話をかけると、あいかわらずお忙しそうだった。電話ではこんない近いのに、なんだかものすごく遠かった。

(完.)